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六 レールの上の自由

「はー……、おいアレス」


 アレスがファイに連れられてフィリアスと出会った翌日。

 いつものように路地裏の倉庫を訪れていたアレスにカナロアが呆れたような口調で声を掛けた。


「何、カナロアさん?」

「ファイに聞いたぞ。テメェ、軍に入るのがほぼ既定路線になっちまったらしいじゃねェか」

「……フィリアスさんとの話のこと?」


 アレスは不思議そうに首を傾げ、カナロアを見つめた。


「そォだよ。何で反抗しねェんだテメェは」

「何でって、前にも言ったけどおれは軍人になりたいから反抗の必要性を感じない」

「……まだ将来を決めなくて良いんじゃねェか。お前みてェな頭の良いガキ、軍人以外にも道なんざいくらでもあるだろ」


 カナロアからしてみれば、軍人などというのは既に旧い時代の遺物に等しいものだ。わざわざそんなものになりたがるアレスの思いは全く理解しがたいものだった。

 アレスの賢さはカナロアにも分かる。理知的な子供だ。であれば、わざわざ軍人などという職に就かずとも生きていけるだろう。それこそ学者なんかも向いているかもしれない。ここまで一つのことに情熱を注げる子供なのだから。


「……でも、おれはそのために生まれて、そのために生きてきたから」

「……ガキがそんな風に考えるもんじゃねェよ。生まれた理由を十年足らずの人生で決めつけるんじゃねェ」

「……でも」

「あー、分かった分かった。悪かったよ、混乱させて。お前が本当に軍人になりてェってなら、オレだって止めやしねェよ」


 迷子になった子供のような表情を浮かべたアレスに、カナロアは思わずその背をとんとんと軽く叩いた。

 そんな表情をさせたかったわけではない。ただ、軍人になる以外の道を全く考えずにいるこの幼子に、今の時点で未来の選択肢を一つに絞る必要はないと伝えたかっただけなのだ。

 これから先、様々なことを学び、多くの人間と接する中で、軍人になる以外の未来を考えるときもきっと来るだろう。その全てを切り捨ててしまうには、この子供はまだ幼すぎる。


「だがなアレス。軍人になるために生まれて生きてきたから軍人にならなきゃなんねェって思ってんなら、今すぐやめろ。軍に入るのは義務じゃねェんだからな」

「……分かった」

「よし。……そんな顔すんなよ。アルバートにジュースでも貰ってこい」

「……そんな顔って、どんな顔?」

「迷子みてェな顔」

「……おれは迷子じゃない」

「例えだ例え」

「……」


 アルバートの方へとアレスを送り出し、カナロアはもう一つため息を吐いた。重症である。何がって、アレスの心が。

 いくらなんでも軍に執着しすぎじゃなかろうか。カナロアの疑念はその一点だった。幼い子供が将来の展望に夢を見るのは分からないでもないが、アレスはどう見たって軍人になる未来しか見ていない。普通の子供なら、もっと様々なものに興味関心を持つものだろうに。これがあの子供の両親が望んだ姿だとでもいうのだろうか。

 執着というか、執念とでも言うべきかもしれない。本人は軍人になりたいと言っているが、ならなければならないとでも思っていそうだ。


「……ガキが考えることじゃねェだろそれは」


 大人の都合で大人びてしまった子供のことを思いながら、カナロアはそう独りごちた。




□■□■□■□■□




「あれ、カナロアさんとの話は終わったのかいアレス?」

「終わった。ジュースでも貰ってこいって」

「そっか。今日は何があったかなー……。あ、ぶどうジュースあるよ」

「飲む」

「うん、分かった。じゃあちょっと待っててね」

「うん」


 廃材の椅子によじ登り、足をぷらぷらと投げ出しながらアルバートを待つその最中、アレスはカナロアの言葉を反芻していた。

 軍人になるのは義務ではない。軍人以外の道はいくらでもある。

 それが事実であるとして、アレスが軍人以外の道を選ぶ必要性はあるだろうか。


「……ない、はず」


 その必要性はないはずだ。何故ならそれ以外の仕事について調べたり検討したりする時間が無駄だからだ。

 アレスは既に軍人となるための初等教育を終わらせている。本来であれば学舎の同級生たちも同様であるはずだが、彼らは皆その記憶を奪い去られてしまった。その挙げ句、不必要な記憶を埋め込まれてしまった。

 だがアレスにはまだその記憶が残っている。それを無為にするのは、この数年間の時間を無駄にするに等しく、本来の同級生たちの姿をなかったことにするのにも等しい。

 それに、アレスは学舎で学んできたこと以外にも、両親から多くの軍事知識を受け取っていた。それを捨て去るのはあまりにも不合理だ。獲得した知識を破棄する、あるいは破棄させることは、アレスにとっては理解しがたい行いである。

 鉄骨と端材で作られたバーカウンターの天板を爪先で引っ掻きながら、アレスはぐるぐるとそんなことを考えていた。


「はいアレス、おまたせ」


 アルバートの言葉に思考を中断し、手渡されたグラスを受け取った。

 ゆらりと揺れた赤紫の液体は、アレスがぼんやりと見つめる中さざ波をずっと立てていた。


「ありがと」

「どんな話してたの?」

「ん……。軍人なるの、やめたらって」

「あー……。でも、アレスは軍人になりたいんでしょう?」

「うん」

「なら、一旦カナロアさんの言葉は置いておきなよ。頭の片隅に置いておいて、色々勉強していった後にもう一度考えてごらん」

「……もう一度」

「そう。何なら軍に入ってから考えたって良い。君が本当にやりたいことを、これからの人生で探すと良いよ」

「本当に……やりたいこと……」

「……そうだなぁ、やりたいことが見付からなかったら、旅に行っても良いと思うよ」

「旅?」

「うん。アレスが大人になる頃には、もう少し情勢も落ち着くだろうからさ。そうしたら、色んな国を巡っておいでよ。きっと色んな価値観の人に会える」

「……国を、巡る」

「もちろん、そうしなくても良いよ。でも、色んな人に会ってみたいならやっぱり他国に行くのが一番良いから」

「……分かった。考えて、みる」

「うん。それで良いよ」


 アルバートはそっとアレスのまろい頭を撫でた。きっとこの小さな頭で、必死に沢山のことを考えているのだろう。この子供の口数が減るのは、どう伝えるべきかを考えるときだと、この数ヶ月でアルバートも理解していた。

 きっと、アレスは軍人になる以外の道など考えたことがなかったのだろう。考えたことがないというか、意識したことすらなかったのだろう。軍人になるものだとずっと思っていたのに、それ以外の道も考えろと言われたのであれば、困惑するのは致し方のないことだ。

 そんなアルバートの親心に似た思いを他所に、アレスは背筋がざわざわと泡立つような感覚を覚えていた。考えてみる、とアルバートに答えた瞬間からだ。

 原因は分からない。心当たりとすれば、アルバートに嘘を吐いたことだろうか。学舎の教師たちにはいくらでも吐ける嘘を、アルバートに吐いたのは初めてのことだ。もしかすると、それが原因なのかもしれない。

 アレスは少しだけ身動ぎし、首を竦めた。


「……アレス?」

「……ん」

「何か、嫌なことでもあった?」

「……背中がざわざわする」

「えっ。熱でも出ちゃったかな。ちょっとおでこ触るね」

「うん……」

「……うーん、熱はなさそうだけど、もしかしたら体調が良くないのかも知れないね。今日は早めにお帰り。ちゃんと休んで、明日も調子が良くないなら学校も休むんだよ」

「……うん」

「送っていこうか?」

「平気。……今日は帰る」

「……そう? じゃあ、気をつけてね」


 アレスは鞄を背負い、手を振るアルバートに手を振り返して、路地裏の倉庫から足を踏み出した。

 初めてファイに出会った冬の日とは正反対の生温い風が、アレスの頬を撫でて吹き抜けていった。

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