五 始端にて
「アレス」
「何、ファイさん」
「ちょっと付いて来てもらいたいところがあるんだが、時間はあるか」
「あるよ。でも、どこ?」
「あー……着いたら話す、でも良いか」
「……良いよ」
「よし」
いつものように路地裏の倉庫でジュースを飲んでいたアレスは、どこか話しづらそうなファイのその言葉に頷いた。そのまま廃材でできた椅子から立ち上がり、手を振るアルバートに手を振り返して、先を行くファイの後ろに付いて行った。
「お帰り、ファイ。そしていらっしゃい、アレス君」
「お久しぶりです、ガルドア元師団長」
「……フィリアス・ガルドア第一師団長」
アレスがファイに連れられて訪れたのは、古い邸宅の一室だった。チョコレートのような色の部屋にいたのは、長い金髪に赤銅の瞳の優男。
フィリアス・レヴ・ガルドア。かつてマグナ=ロンドの陸軍で第一師団長を勤めていた男だった。
フィリアスは楽し気に目を眇め、自身の名をかつての役職と合わせて呼んだ小さな子供を見つめた。
「へぇ、本当に知ってるんだ。でも一個訂正、元、第一師団長ね」
「……何故?」
「あはは、素直な良い子だ。第一師団は一度全解体されてね。再編成の時に当時の役付はほとんど解雇、ラグフェイスからの出向が役職に付いてるんだよ」
「……マグナ=ロンドの軍なのに?」
「マグナ=ロンドの軍だから。狼の牙は丁寧に抜いておきたいんでしょ」
アレスは首を傾げながら、フィリアスの赤銅を見つめた。フィリアスはそんなアレスに一瞬驚きの目を向け、すぐに微笑んだ。
「よく分からないみたいだね。簡単に言っちゃうと、軍に反乱を起こさせないようにするため。ラグフェイスは私たちのことがよっぽど怖かったみたいだよ」
「……こわい」
「ま、首元に刃物突きつけられたらそりゃあ怖いだろうけどね。……と、今日はこんな話をしにお前たちを呼んだんじゃないんだった」
万年筆をくるりと回し、フィリアスは椅子に座りなおした。口元に手を当てているその姿からは、ファイにもアレスにも伺い知れなかった。
「どういったお話で?」
「そう急かさないでよファイ。実は、元元帥殿から指示があってね。元軍人の連中をまとめておけって」
元元帥、すなわちかつての陸軍元帥の指示。その言葉にファイはすっと目を細めた。疑念と警戒によるものだ。
元陸軍元帥は先の戦争の結末に納得していない人物の一人であるとファイは知っている。それが、かつての軍人たちを集めるよう指示した。それは、
「……何故?」
ファイの思考を読み取ったかのように、アレスはファイと全く同じ疑問を口に出していた。
そうだ、それが分からない。何故わざわざ軍人を再び集めようとしているのかが。
「ん? んー、理由は今は言えないな。またいずれ教えられる日が来るから、それまで待っておいで」
「……はい」
アレスは疑念を抱きながらも、フィリアスに首肯を返した。上官がそういうのならば何らかの明確な意図があるのだろう。そしてアレスやファイがそれを知る必要はないということだ。
少しだけ黙ってから頷いたアレスを見て、ファイは次の疑問を口にした。
「それとアレスを連れてこいと言う指示に関連性が見えねえんですが」
「アレス君には私が会ってみたかっただけだよ。本当に軍人に焦がれているのか知りたかったから」
「焦がれて……?」
「どうやら本気で軍人になりたいらしいことは見れば分かった。というわけだから、元軍人連中にアレス君を含めてまとめておいてねファイ。お前のことだ、どうせ部下や同僚たちとどこかで集まってるんだろう?」
「……了解」
「うん。それじゃ、わざわざ来てもらって悪かったね。気を付けて帰ってね。ここ最近は物騒だから」
ひら、と手を振ってフィリアスはちっちゃな子どもと疲れた様子の大人を見送った。ちっちゃいのは扉が完全に閉まるまでちらちらとこちらを振り返っていて、どうやらフィリアスのことが気になっているらしい様子が見て取れた。いや、もしかしたら何かを探っていたのかもしれない。利発そうな良い子だったので。
フィルアスは微笑んだまま、そのちっちゃいのに手を振って、扉がばたんと音を立てて閉まったのを見届けた。
二人の姿が完全に見えなくなって、足音も遠ざかっていったのを聞いてようやく、フィリアスは刻み込んだ微笑みを引き剥がして深いため息を吐いた。傍らに置いておいた水差しの水を飲み下し、再び息を深く吐き出した。
本当にこれで良かったのか。沸き上がるのはそんな疑念だった。
かつてのマグナ=ロンド軍人を集め、いずれラグフェイスへと反旗を翻す計画。そして優秀そうな子どもがいれば軍人として育てるようにという指示。フィリアスの元に届けられたのは、そんな人道を排したような指示書だった。
フィリアスには元元帥の狙いは分からない。戦争で何かを失ったのか、敗北が許せなかったのか。あるいはもっと別の理由なのか。感情を持たない指示書から読み取れることはほとんどない。
だが、この指示はいくら何でもおかしいだろう。幼い子供を軍人に、なんて。
フィリアスとて、今が戦乱の最中であるのなら、子どもをそう育てることに否やはない。だが今は戦後だ。ついこの間戦争が終わったばかりの時代だ。誰もが戦に疲弊しているだろう頃だ。それなのに、また次の戦争を企てようとでも言うのか。マグナ=ロンドは敗北したのに。
「……ま、言っても仕方ないんだけどね」
フィリアスは軍人だ。元とはいえ、軍人でしかない。それ故に上官には従うより他ない。例えそれが、幼い子どもを戦火に巻き込むような指示であったとしても。
「あーあ。あの子、逃げてくれないかな。まだあんなにちっちゃいんだし、逃げたって誰もあの子には文句言わないだろうに。……私には言われるだろうけど」
ちっちゃな子どもの顔を思い返す。見覚えのある顔だった。終戦直前に殉職したヴェルグリンド夫妻の子どもだろう。最後まで軍務に忠実で、優秀で。……最後の最後にフィリアスを庇って逝った二人。
フィリアスを狙った肉体をも溶かす魔法。それを受け止めて消滅したアリア・ヴェルグリンド。反撃に出て、術者と刺し違えて消えたデルタ・ヴェルグリンド。……どちらも死体すら残さなかった。唯一残ったのは、背中に背負っていた銃だけだった。
あの子どもは、アレス・ヴェルグリンドは、あの二人の子だった。唯一の子だった。
愛し方は確かにズレていた。あの二人は、子どもを自分たちの後を継がせるために育てていたようなものだ。でも、間違いなく愛してはいた。首から下げた揃いのロケットには、あの子の写真が入っていた。
フィリアスはそれをよく覚えている。愛おしそうにロケットに触れては微笑んでいた二人のことを、よく覚えている。
――それなのに。
それなのに、フィリアスは、恩人たちの子どもを消費しなければならない。それも、勝つか負けるかも分からない戦争のために。
フィリアスだって今回の敗戦に思うところがないわけじゃない。面白くない敗北だった。何せ途中まではこちらが勝っていたのだから。その盤面を突如ひっくり返されたら腹立たしくもなる。
だが、それとこれとは話が違う。平穏を享受できたはずの子どもからそれを奪って、軍人に仕立て上げることのどこに正義があるのか。既に戦争に奪われてしまった子どもから、更に奪うことに正義があるのか。
「……あーあ、ホント。やになっちゃうね」
フィリアス自身のことも、世界のことも、時勢のことも。何もかもが嫌いになってしまいそうだった。




