四 導き手と導かれる者
「こんにちはアレス」
「こんにちはアルバートさん」
アレスはすっかり路地裏に通うのが日課になっていた。ストレスの溜まる学び舎での時間を乗り越え、路地裏の倉庫に息をしに来ていた。
そんなアレスを、アルバートはいつも楽しげに迎えていた。両親も弟も戦争で亡くしたアルバートにとって、アレスのような年下の少年は弟のように可愛がれる相手だったためだ。
「今日は学校、どうだった? 楽しかったかい?」
「楽しくはない。でも、ラグフェイスが考える平和の形は面白い」
「はは……、そっち行っちゃったかぁ」
アレスが賢い子なのはこの数日ではっきりと理解できていたが、価値観があまりにも大人びすぎている。一体どこに平和の定義に関心を持つ幼子がいるというのか。いや、ここにいるけれど。
アルバートは半ば呆れながらも、思わず笑ってしまった。
「そっち?」
「何でもないよ。それで? どんなところが面白いんだい?」
「ラグフェイス、平和のためには軍縮すべき派らしい」
「それは多分、平和のためっていう題目でマグナ=ロンド軍を縮小したいだけだと思うよ」
「でも、だとしたら嘘が雑。おれみたいなのには通じないと思う」
「アレスみたいな子がいるなんて思ってないんだよ。だって、君は記憶編纂魔法陣を打ち破っちゃったんでしょ?」
「うん」
「普通の子はそういうことできないからね。君が特殊なの。そんな特殊パターンがいるとは思ってなかったんじゃない?」
その話を最初に聞いた時、この子供ちょっとおかしくないかな、とアルバートは首を傾げた。アルバート自身がこのくらい幼かった頃なんて、記憶編纂魔法陣なんていう概念すら知らなかったというのに。何なら編纂という言葉の意味すら知らなかっただろう。だって十歳にもなっていない頃である。そんな言葉知っている方がおかしい。
しかし、それがアレスという子供であるらしいということを理解してからはなんとも思わなくなっていった。アレスはそういう、ちょっと……かなり……ものすごく、大人びた子供らしいので。
「見通しが甘い」
「手厳しいな」
あまりにも容赦のないアレスに苦笑いして、アルバートは口を開いた。
「じゃあ、アレスが先生の立場で、軍縮を進めたいならどうする?」
アルバートは単純に興味を持っていた。この大人びてしまった子供は、どんな思想を持っているのか。あるいは誰かを導く時、どのように教えるのかが。
「……軍に属すのは名誉だって言う」
アレスはアルバートからの問いに、少しだけ悩んでから答えた。
軍属は名誉なことだ。そう教えれば、軍の縮小は進むだろうと。
「……どうして?」
「軍属は名誉なこと、だから皆軍人にならなきゃいけませんって言ったら、軍に入りたいって思う人は減る。あとは放っておけばやる気のない軍人ばっかりになって最終的には軍縮される」
「無茶苦茶言うね君」
なるほど、心理的リアクタンスである。一般に、義務化されたことで自由が制限される場合、それに反抗するのが人間の心理だ。アルバートは以前高等院で心理学を学んでいたため知っていた。
それを抑え込むことができる人もいるだろうが、どうしたって態度には出るだろう。兵役を義務化することで一瞬の軍拡にはなるだろうが、最終的に軍縮に繋がるというのは理解できる。
理解できるが中々無茶苦茶な話だ。まず間違いなく市民からの反発が起こる。何せこれまで兵役が義務ではなかったのだから。
「無茶ではないと思う。義務は果たすべきことで、国家の決定に民衆は容易く反抗できない。反抗するには武力が必要。であれば軍に入るのは悪い選択肢ではない」
「うん、論理的だね」
「義務化したことでやる気をなくした軍人が多くなれば、理想を持って軍に入った人もダメになっていく。人って怠けたがりだから。最初は志高くても、周りが腐ってたら腐るものだもん」
「うーん、正しい。正論過ぎて返す言葉がないなぁ」
感情論を排せば、アレスの案は誤りではないだろう。アルバートとてそのくらいは理解できる。
だがアレスは、人間が関わる組織で最も排してはならない感情を排してしまっている。組織のためには極力感情をそぎ落とすのが大切だが、完全にそれを殺してしまっては自壊するだろう。組織を組織足らしめるのは、明確な構造と感情なのだから。
「じゃあ、実際にそうしたとして、予想と違って軍拡になっちゃったらどうする?」
「反乱分子を潜入させて内部から崩す」
「内紛を起こそうとしないの。軍縮どころの騒ぎじゃなくなるでしょ」
「でもそれが一番早いと思う」
倫理観を学ぶ機会がなかったのかな? アルバートはアレスの頭を軽く小突きながらそんなことを考えた。実際学ぶ機会はなかったのだろう。この幼子は教え込まれた戦争教育を捨てられないまま、この平和な時代を生きているのだから。
「早いことと最も良い手段であることは必ずしも一致しないよ。そうだなぁ、例えば、プロパガンダとかは考えなかった?」
「考えたけど、効果がないと思った」
「どんなことを考えたかな?」
「軍人は危険思想の持主って吹聴する」
「容赦ないな……。で、効果ないと思ったのはどうして?」
「やる気のある軍人ならその程度のことで心折れたりしないと思うから」
その言葉にアルバートはピンときた。この子供はもしかすると、軍人というものに焦がれすぎて理想を見すぎているのかもしれない。軍人だってただの人間なのに。
「君は軍人をちょっと神格化しすぎかもしれないなぁ。軍人も一人の人だよ、差別されれば傷付くし、軍をやめようと思う人も出るかもしれない」
「でも、軍はそう単純にやめられない」
「そうだね。だからこそだよ」
「……? 分かんない」
「簡単にやめられないからこそ、軍に入るのをやめるってこと。これなら、兵役義務化で一瞬の軍拡は起きてもそれ以上は大きくならない。どう? 内紛よりはスマートでしょ?」
「……確かに」
その理屈はアレスにも納得できた。確かにそうだ。内紛は過ぎれば戦争となり、他国の介入を許すことになる。であればプロパガンダの方がより効果的なのかもしれない。うんうんとアレスは頷いて、その手法を脳内のメモに書き記した。
そんなアレスの様子を見て、もしかして僕今この子に変なこと教えたかな、とアルバートはちょっぴり後悔した。やめといた方が良かったかな。
とはいえここまで話してしまったのだ。やっぱり忘れて、なんて言葉をアレスが聞かないだろうことくらいアルバートにも分かる。
「まあ、僕の言った手順も良い手段かって言われるとちょっと分かんないけどね。何が一番良い方法かっていうのは、状況によって変わるものだから」
「……変わるもの」
「そうだよ。だからこそ、そこにいる人間がどう感じるかを考えるのが大切なのさ」
「……分かった」
「よし。じゃ、今日も宿題やろうか」
「……」
「あはは、ほらほら、そんなむくれないの」
あからさまに機嫌を損ねたような雰囲気を出したアレスに、アルバートは声をあげて笑った。
何だ、この子はただ他よりちょっとだけ理知的なだけで、やっぱり子供じゃないか。笑って、少し安心した。この子はまだ完全なはぐれ者じゃない。平和の中で生きていられる子だと。
一方のアレスは、学び舎から渡された宿題をこなすのは非効率的だと思いながらも、鞄から教材を取り出した。
「だって宿題、簡単すぎてやる意味ない」
「やる意味ないと思ってもやらないと怒られるでしょう? 手伝ってあげるからさ」
「……むう」
「怒られたいなら別にいいんだけどね」
「いや」
「じゃあ頑張ろうか」
「……はぁい」
不貞腐れたような声で返すアレスに、アルバートはまた少し笑った。




