二 幼い怪物
薄暗い路地裏では、硬質な靴の音がよく響いた。跳ね返ってくる音が己をを追いかけてきているようで、アレスは時折ちらりと後ろを振り返った。当然だが、そこには何もいなかった。
かつかつという足音以外何の音もしない中、ファイが軽く息を吸うような音がして、アレスはそちらを見上げた。
「アレス。お前、どうしてそこまで戦争に固執する」
アレスは首を傾げた。何故そんなことを言うのか、理解できなかったからだ。
アレスは軍人となるために生まれた。軍人となるために育てられた。だからこそ、アレスは戦争に身を投じる日をずっと待っていた。
「……おれにとって戦争は傍らにあったものだった。銃声は子守唄だった。詠唱は寝物語だった。両親はおれを軍人として育てた。だからおれはそれ以外の生き方を知らない」
「……今は、どうしてんだ、両親」
「殉職した。敗戦直前に銃以外消えた。残った銃が墓標になってる」
「……そうかい、そりゃ悪いこと聞いたな」
「何故? 両親は軍務に殉じただけだ。誇りを持って戦い抜いただけだ。謝罪される謂れはない」
「……」
ファイは暫し思考を止めざるを得なかった。
アレスの年齢は知らない。だが、年端もいかない子どもが、両親の死をそんな風に受け入れられるわけがない。やはりこの子どもはおかしい。まるで……、まるで、兵器のような子どもだ。
例えば、これが軍人として訓練を受けた大人であれば理解できた。ファイ自身も先の戦争で配偶者を失った身だ。配偶者は己の責務を果たして国に殉じたのだから、それを否定するつもりはない。
だが、アレスは、というより子どもは違うはずだ。アレスの頭が切れることはファイにもよく分かったが、両親の死を知った子どもなら、大泣きして親を求めるものじゃないのか。それとも、そんな感覚を学ぶことすらできなかったとでも?
「……何、その顔」
「……いや、何も」
「そう。そんなことより、どこ向かってるの」
「……元軍人連中が集まってる場所だ。退屈しのぎにぐらいはなるだろ」
「……どんな人がいるの」
「俺の部隊の副隊長やら、海軍の強襲上陸部隊の隊長やらだな」
「アルバート・ブリッツにカナロア・リーンエイジか。有名どころだ」
「……詳しいな」
「きっと上官になっただろう人たちのことくらい覚える。作戦報告書も読んだ」
「そうかい。……普通は配属後に覚えるモンだがな。ここだ」
錆びついた倉庫の引き戸。ファイはそれに手を掛け、力強く開いた。
ぎいと鉄が軋む音とともに、暖かな光が隙間から零れた。
「よォファイ。どうした、今日は帰るっつってなかったか」
「ちょっとな。アレス」
ファイに促され、アレスはひょこりと倉庫の中を覗き込んだ。
「……カナロア・リーンエイジだ。本物初めて見た」
海軍第一師団強襲上陸艦隊長、カナロア・リーンエイジ。上陸戦では負けなしと謳われたマグナ=ロンドの勝利の要。ラグフェイス帝国が島国であったなら、かの艦隊だけで勝っていたのではないかとまで語られる傑物だ。
その他にも、軍服を身に纏った男たちが数人歓談しているようだった。アレスは彼らの顔を見て、作戦記録で見た顔だと確信を持った。
「……ファイ、そのガキ誰だ。何でオレの事知ってる」
「裏路地に入ってきたガキ」
「なら追い返せば良かっただろォが」
「俺が誰かを速攻で言い当てやがったんだよ。話も聞かなきゃならん」
「……バケモンか?」
「学校でかけられたはずの記憶編纂魔法を反転陣書いて無効化しやがったガキだからな」
「ジョークか? ……ジョークじゃねェみたいだな。……んー、ガキ、アレスで良いか」
「アレス・ヴェルグリンド。アレスで良い」
カナロアから差し伸べられた手を握り、アレスはそう応えた。
その手の平は固く、指には肉刺が残っていた。戦ってきた人間の手だった。
「そォか。どうしてオレの名前を知ってた?」
「……ステラゲイズ海峡強襲上陸作戦、写真付きで報告書あげてたから」
「…………オイオイオイ、まさかとは思うがそれ見て覚えてたってか?」
「……何故? それ以外に手段はないと思う」
「手段はねェがな、見ても覚えられねェんだよ普通」
「何故? 覚えなければ、どこの誰から指示が下りてきたのか判別できなくなる可能性がある。そうなれば作戦行動に影響が出る」
「…………。……あー、写真に名前なんて書いてねェだろ。どうやったんだ」
「写真の中のあなたが持っていた銃のストックに書いてあった紋を見た」
「……あのサイズの紋で、図案まで見切ったと。…………ファイ」
先ほどまで騒めいていた倉庫内は、今や水を打ったように静まり返っていた。あまりにも異質な子どもから、誰もが目を離せなくなっていた。
倉庫の奥に据えられた急拵えの暖炉のようなものから、ぱちぱちと火が爆ぜる音が微かに響く中、カナロアは数度首を振り、ファイの方へと視線を遣った。見詰められたファイは居心地悪げに頬を掻いて口を開いた。
「んな顔されても困る。俺が連れてきて何だが、俺の常識の範疇にいねぇんだよこいつ」
「いやァ……。色んなバケモンじみた連中を見てきたつもりだったが、こういうベクトルのは初めて見たなァ」
「……?」
アレスは不思議そうに首を傾げながら、ファイとカナロアを交互に見遣った。何がどうして化け物扱いされているのか、アレスにはピンとこなかったためだ。
アレスにとって、上官となりうる者の顔と階級を覚えることは当然のことだった。絵本の代わりに軍事作戦報告書を読んで来たのだ、覚えられない理由がなかった。むしろ、それを異常であるかのように扱う彼らのことがアレスには理解できなかった。
「……で、だ。何でこいつ連れてきた。戦争ごっこでも付き合ってやろうってか」
「いや、戦場の話を聞きたいらしい」
「戦場の話だァ? ……何でだ?」
「おれは文字と頭の中でシミュレートした戦場しか知らない。机上の戦場なら山ほど見てきた。何度も何度もシミュレートした。それでも、本当の戦場をおれは知らない。空気も、匂いも、風も、何も。だって戦場に立つ前に戦争が終わったから。だから知りたい。実際の戦場がどうだったのか、その全てを」
「……戦争はお遊びじゃねェ、興味半分で聞くような話でもねェ。……そんなことは、理解してんだろうな、お前みたいなのは」
「俺は陸の戦争しか知らんからな、お前の話も聞けた方が良いかと思って連れてきたワケだ」
どんな話をすべきかと小さな声で話し合い始めた大人たちを見て、アレスは少しだけ俯いて口を開いた。
「……あなたたちは、おれの両親は、あそこにいた。おれは、それが少し、羨ましい」
「……羨ましい、だと?」
訝しげにカナロアは首を傾げた。戦場に立つことに同情されたことや侮蔑されたことは数多あれど、憧憬の情を抱かれたのは、カナロアにとって初めてのことだった。
言葉を選ぶように、アレスは少しだけ俯いた。数度口を開いたり閉じたり、目線を左右へやって、細く息を吐き出して口を開いた。
「おれは軍人になるために生まれて、軍人になるために育てられた。それなのに、おれはその役割を果たせないままだ。おれはおれの道を失ったままだ。だから、少し、羨ましい。あなたたちはおれが進むはずだった道を行っていた人だから」
「……そんな憧れは捨てちまえ。軍人になるなんざ良いもんじゃねェよ。例えそう望まれて育ったんだとしてもな」
「……そう」
アレスは、何の感慨もないかのように返事を返した。怒りどころか、悲しみの情すら乗っていない。薄っぺらでどこかぼんやりとした声を聞いて、カナロアはアレスの肩を軽く叩いた。
「とはいえ、だ。話が聞きてェってんなら話してやるよ。楽しい話じゃねェが、構わねェな?」
「……大丈夫。お願い、します」
「おう。そら、そこ座れ。お前ら、空けてやってくれ」
ざわめきが帰ってくる。倉庫内にいた人々――かつて軍人だった者たちは、言われるままに席を開けてアレスを迎え入れた。
アレスは元軍人たちを見回して、開けられた席に腰を下ろした。
これが、アレス・ヴェルグリンドという男が、後に軍の頂点に立つことになる切っ掛けの出来事だった。




