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一 【英雄】譚の始まり

 アレスが生まれたのは、星貌戦争と呼ばれる戦争に、故国であるマグナ=ロンド商業都市が参戦した年だった。神暦五八三年のことである。

 星貌戦争は、星海皇国連邦とラグフェイス帝国の間で発生した戦争だった。星海皇国連邦と、当時ラグフェイス帝国の属国だったレーネクロイツ王国の間であった、本当にささやかな争いが発端のそれ。いつしかその争いは大事になり、レーネクロイツと星海皇国の間で戦争となった果てに起きた大戦だった。マグナ=ロンドは、星海皇国連邦側として参戦した。


 アレスは幼い頃から、戦争というある種の非日常を日常として過ごしてきた。

 朝昼夕と航空機が空を飛び、訓練場から銃声が響く、そんな日々。アレスは子守歌代わりに銃声を聞き、寝物語代わりに魔法の詠唱を聞いて育ってきた。

 学び舎で学んだのは人に優しくしましょうという道徳ではなく、如何にして敵兵を殺すかという暗殺技術や、そのために必要な算術や地学だった。

 魔弾の魔法発動までの時間を短縮する技術、気配を隠した状態で行う長距離行軍の訓練。アレスの体に刻まれた技術は殺すための技術ばかりで、アレスの頭に刻まれた知識は効率的な戦争のための知識ばかりだ。

 だが、他の同世代と比較して、アレスは人道というものを解していた。

 アレスの同世代たちは、どうすれば敵を殺せるのかという一点のみを注視して思考する者たちばかりだった。戦争とは人を殺すもの。打ち負かせばそれで良し。それが同世代たちの価値観だった。

 アレスの思想は、それとは違っていた。

 人が死ねば、近しい者が嘆き、復讐心に駆られる。それによって血が流れれば、再び復讐者が生まれる。その連鎖を、アレスは正しく理解していた。

 故にこそ、アレスは幼くしてその解決策も導き出していた。

 殺すのであれば一族郎党。近しい者は一人も残さず殲滅すべし。

 それこそが、人道を解したからこそたどり着いた結論だった。


 アレスは、ある種戦争に向いた子どもだった。

 しかし、アレスが実際に戦地へと立つよりも前に、マグナ=ロンドは敗北した。ラグフェイス帝国の強大さの前に、小さな商業都市でしかないマグナ=ロンドは斃れるより他なかった。アレスが齢にして七歳の頃の話だった。


 それからというもの、マグナ=ロンドの教育はそれまでと大きく変わった。

 戦争技術の教育から、道徳教育へ。軍事調練は無くなり、軍略や戦術に関する書籍は禁書として扱われるようになった。すべて、宗主国となったラグフェイス帝国の意思の下に行われた改革だった。小さいながら敵の喉笛を食い千切る狼から、丁寧に丁寧に、牙を抜く作業だった。

 アレスはそれに対して然程の関心を持たなかった。何故なら、アレスは既に己の脳内だけで軍事作戦をシミュレートできる程度の知識を有していたからだ。今更道徳を学ぼうと、軍略や戦術がタブー視されようと、アレスには関係なかった。

 アレスの同世代は、新たな教育方針にすんなりと順応した。その記憶を弄り回された果てに、戦争は悪であると、軍略や戦術を語るのはいけないことだと、理解した。それが正しい、かつての教育は間違っていたと教えられて、それを飲み下した。アレス以外の皆が、新しい時代の波に乗っていた。

 アレスだけが、置き去られた。アレスだけは、かつての教育が誤ってなどいなかったと知っていた。誤っているのであれば、わざわざ記憶を改竄するような魔法を使わずとも、誰もが納得できたはずだから。だからこそ、アレスは新たに赴任してきたラグフェイス帝国の教師が振るってきた記憶を書き換える魔法をこっそり打ち破って、禁忌の知識をしかとその脳髄に刻み込んだのだ。


 それからというもの、アレスは同世代と過ごすことをやめた。平和を享受する同世代が、アレスにとってはひどく歪に見えたためだった。

 数ヶ月前まで敵を殺すことにご執心だった同世代が、今や世界中皆仲良くとでも言いたげに笑うその姿が。敵兵を篭絡する話術を練習していたその口から、人を騙すのはいけないことだという言葉が出てくる状況が。アレスからすれば、異常で異様としか言いようがない気味の悪さを湛えているようにしか見えなかった。学び舎での日々は、アレスにとって苦痛でしかなくなった。


 学び舎で上っ面だけの平和を学ぶ鬱陶しいだけの時間を過ごし、帰宅の途に就くだけの日々。気分を紛らわせるために、アレスは帰り道にある細い裏路地にそっと足を踏み入れた。

 学び舎では不審者が出るから近付かないようにと教えられている路地だった。廃材や不要となったらしい家具などが打ち捨てられたままのそこには、軍人の服を着た不審者が出ると噂されていた。

 アレスは、別にその噂を本気で信じたわけではなかった。ただ、もしもそれが本当だったとしたら。もしかしたら、アレスはやっと息ができるかもしれないと考えた。


「……ガキ、何してる」


 果たして、その期待は叶えられた。

 低い男の声が、アレスの耳に飛び込んできた。見上げた先にいたのはくたびれた軍服を身に纏った壮年の男。後にアレスの副官となる者、ファイだった。


「……ここはガキが来る場所じゃねぇ、さっさと帰んな」

「……それ」

「あン?」

「八〇式魔導散弾銃。回収されたんじゃないの」

「……どこで知った」


 ファイは驚愕が顔に出ないように心掛けながら、目の前の子どもに問いかけた。

 八〇式魔導散弾銃、ファイが戦場で扱っていた相棒だ。神暦五八〇年製造の旧式散弾銃。簡素な作りながら頑丈で、メンテナンスが容易な一品。回収の指示こそ出たものの、ファイはこれを手放すつもりがなかったため、上手いこと誤魔化して隠し通したのだ。

 突撃兵だったファイは、この散弾銃で幾度も敵兵を殲滅してきた。だが、その散弾銃の型式を、十歳にも満たないような子どもが知っているはずがない。

 不審なものを見る目を隠すことなく、ファイは子ども……アレスを見据えた。


「学校」

「カリキュラム改正でそんなモン教えねぇようになってるだろうが」

「勉強したのはカリキュラム改正前」

「……何で覚えてる。ガキ向けに記憶編纂魔法かけて回られたはずだろ」

「記憶編纂魔法なんて反転陣書けば防げる」

「…………何者だお前」

「勉強中の子ども」

「……ガキは記憶編纂魔法の反転陣なんざ書けねぇんだよ」


 ファイは言葉を切り、目を伏せた。裏路地の澱んだ空気がどこかから機械油の匂いを運んでくる中、アレスはガラス玉のような目でファイを見つめていた。


 ――異常。ファイは眼前の子どもをそう理解した。ファイが幼い頃にこんな同世代がいたかと記憶を遡っても、こんな……異質、あるいは異常としか呼べないような子どもはいなかった。

 子どもはファイの目をじっと見据えている。そこに怯えの色は欠片も存在しない。……元とはいえ軍人の目を、逸らすことなく見つめてくる子どもなど、ファイは見たことも聞いたこともなかった。

 一方のアレスは、目の前に立つ男が軍人であったことを理解していた。その上で名前にもアタリをつけていた。陸軍第一師団、第二突撃兵連隊長、ファイ・ヴォルカニア。魔導散弾銃による突撃部隊の隊長だった男だろうと。

 見抜けた理由は単純だ。魔導散弾銃のストックに刻まれた紋、それは所属部隊と階級を示すものだった。

 魔法が絡む戦争では、肉体も身に着けた装備も残らないことはよくあること。ドッグタグすらも失われてしまう可能性がある。そのために付けられた印が、ストックの紋だった。もちろんこの紋も失われる可能性はあるが、僅かでも個人識別情報が残る可能性を高めるための装備である。

 両親が絵本代わりに見せてきた作戦報告資料に記載されていたそれ。アレスはそれを全て記憶していた。いずれ自分たちが所属するだろう部隊の紋が分からなくては迷惑がかかるだろうと考えたためだった。


「……ファイ・ヴォルカニア」

「……は」

「合ってるみたいで良かった。陸軍第一師団第二突撃兵連隊長のファイ・ヴォルカニアさん」


 ファイは己の喉がきゅうと音を立てて閉まるのを感じ取った。緊張というよりも恐怖による反応だった。

 ファイの脳内を埋め尽くしたのは一つの疑問だけ。すなわち、「何故知っている?」である。


「…………元、だ」


 だがその疑念が口を突くことはなかった。細く細く吐き出された息に混じって出ていったのは、そんな細やかな、訂正の言葉だけだった。喉がカラカラに乾いたファイには、それ以上の言葉を吐くことができなかった。


「何故? 陸軍はまだ生きている」

「……第二突撃兵連隊は解散した。俺はクビだ」

「何故? 貴方たちほど戦果に貢献した人はいない」

「負けたんだよ俺たちは。戦果に貢献したってのは、宗主国の人間をより多く殺したって意味だ。処刑されなかっただけありがてぇと思わねぇとな。ま、勝ってたとしてもどうなったことやら」

「何故?」

「戦争の英雄ってのは平和な時代にゃ邪魔だからな」

「……そう」


 アレスはその言葉を心に刻んだ。

 積み上げた死体の数が、人殺しと呼ばれるか英雄と呼ばれるかを分ける。アレスはそれを理解していた。だが、その果てまでは理解していなかった。

 戦時下の英雄は、戦後の殺戮者。例えどれだけ戦果を積めど、戦が終われば意味はなくなる。殺した敵兵の数はただの数字に成り下がり、その数字が首を締めてくることになる。

 ほの暗い目をしたアレスに気付いてか、ファイは重い口を開いた。


「……ガキ、名前は」

「アレス・ヴェルグリンド」

「そうか。アレス」

「何」


 ファイはアレスに背負っていた散弾銃を差し出した。


「オーバーホール、できるか」

「できる」

「やってみろ」

「……これはあなたの相棒のはずだ。その相棒に手を出すことはおれにはできない」

「構わねぇからやってみろ」

「……預かります」


 アレスはファイの魔導散弾銃を受け取り、カバンに入れていたタオルを地面に敷いて、装填されていた弾丸を抜いて分解を始めた。手入れ用の器具は他の機械の手入れにも使えるためか、幸いにして学び舎に回収されていなかった。

 パーツの一つ一つを丁寧に磨き上げ、油を注し、組み直す。何度か撃鉄と引鉄の動作を確認し、全体を拭きあげて、アレスは魔導散弾銃をファイに引き渡した。


「はい」

「……良い手際だ。これも学んだのか」

「学校で」

「……忘れる気はねぇのか」

「何故? おれが得た知識を他人の判断で弄られるのは嫌。おれの脳はおれだけのもの。他人が介入してほしくない」

「……そうか」

「……ファイさん」

「何だ」

「戦場の話聞きたい。戦場の空気とか、匂いとか、そういうのの話。おれは文字とかシミュレートした戦場しか知らないから」

「……そうかい。付いて来な」


 立ち上がったファイは、道を示すようにアレスへと振り向いた。

 裏路地の奥、薄暗いそこへと導かれるように、アレスは足を踏み出した。

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