出会い7
「お前はいつ出発するんだ?」何事もなかったかのように振る舞った。
「明後日に馬車が出る。ミラも一緒に来るか?」
「……お前、本気で言っているのか?」眼を細めて睨みつけた。
「ああ、俺の眼を見てくれよ」目を見開いた。
「ありがたい申し出だが、答えはノーだ。今はな」と、含みを持たせた。
「今は?」
「私は今、自身の魔力を体内から漏らさないよう訓練を行なっている。正直に言ってどれだけの時間がかかるか目処も立たないが、それが出来れば理論上、人々を脅かさずに済む」
「本当にそんなことが出来るのか? 魔物に気が付かれないよう潜伏する時に魔力を断つが、息を止めているかのように苦しいとレオンも言ってたけど」
「そうだな。ただ呼吸と違って苦しいだけで、死ぬわけではない。体内で漏らさず循環させ続ければその苦しさにもいつかは慣れるだろう。それがいつになるかはわからないが」
「もし出来たら、俺のギルドに来てくれるか?」
「悪いがその時は、お前が私に期待するA級の魔法使いとしては全く役立たずになっている。魔力を断つということは魔法を使えないのだからな」
「別に構わないよ。ミラが行きたいと思ったら来て欲しい」
「そうか。変わったやつだな、お前は」
「よく言われるよ」菓子を口に運ぶと「でも外に出たらやりたいこととかないのか? ずっとここで生きてきたんだろう」
「そうだな。ないこともないが、どちらかと言えば、ただここに居たくないという想いの方がずっと強いんだ」噛みしめるようだった。
「そうなのか?」
「ああ、ここは本当に肥溜めのような場所だよ。さっきもそうだったが、この集落は相互監視社会なのさ。相手の収入や交友関係、何を買ったか、何を食べたかまで気にしている。私と仕事をしたお前のことを、もう魔女全員が知っている」自嘲するかのような口振りだった
「本当かよ?」
「ああ、別に私が言いふらしたわけじゃなく、監視魔法を使い監視されていたのさ。お前がいるギルドくらいは射程範囲内だから、多分お前は一晩中監視されていただろう。今頃、連中は集まって、お前の尊厳を平気で傷つけるような下衆の勘繰りをしているだろうな」
「俺なんか見てたって何にも面白くないだろう。なんでそんなことを?」
「奴らにとってはそれが唯一の娯楽なんだ。監視と反吐が出る尾籠な噂話がね。それにもっと気持ち悪いのは、お前も見ただろう? あの奴隷たちを」その表情は嫌悪から歪んでいた。
「だが、奴隷の所持は違法じゃないからな。俺もあまり褒められた行為だとは思わないが」
「それだけじゃない。さらに反吐が出るのが、精通のようやく済んだ少年の奴隷と、その間に出来た子供を愛でながら、自分たちがなぜ迫害されるのかと嘆いていることだ。はっきり言ってあいつらは異常だよ。まあ、こんなところにいて、性格や性的欲求が屈折してしまうのはよく理解できるが」ほの暗く笑った。
アレクも流石に面食らい、言葉が思い浮かばずに、眼は泳ぐばかりであった。
「すまないな、こんな気色の悪い話をして。ただ、お前にこう言ったことを話さないのは、騙しているようで気が引けたんだ。私もその社会の中で育っている異常者の一人なのだから。私が魔力を断ち外の世界に出たとしても、普通の社会に馴染めるかどうかは自信がないんだ」何処か遠くを見つめていた。
ミラがそうやって打ち明けてくれたことにアレクは嬉しさを感じていた。悩みや不安は現実からしか生まれない。それらは夢想の子供では決してないのだから。それだけに彼女の真剣さが伝わってきた。
「大丈夫だよ。世間に普通の人間なんて居やしないよ。みんなどこか少しづつおかしい異常者なんだから。俺だってそうさ」
「自分が真人間に見られていると思ったか? アレク、お前が異常者だという事は火を見るより明らかだよ」
「だろ? それでも俺は楽しく生きてるよ。嫌なことがあったら最悪逃げてもいいんだし」
「てっきりお前は、人生を戦い抜かなければならい。などと、そういった思想を掲げているものだと思っていたよ」少し驚きを感じていた。
「ああ、全くその通りだ。でも、俺にとっては逃走だって闘争さ」
「やはりお前は面白いな」小馬鹿にしたような態度だった。
「よく言われるよ」理想家のアレクにとって小馬鹿にされることは、正しいことを成していると、肯定されいるのと同義だった。
「……私ばかり喋ってしまったな。お前のことも聞かせて欲しい」冷めた紅茶に口をつけた。
「そうだな……」どこから話そうかと、首を傾げた。「俺は孤児でな、それでギルドに拾われて生きてきたんだ。ただ餓鬼だったから俺が一番下っ端でさ、餓鬼扱いされるのが嫌で、俺も早く兄貴風を吹かすために後輩が欲しかったんだよ。それで似た境遇の孤児を拾ってギルドに連れ帰ってさ」懐かしそうに微笑んだ。
「それが螺旋式か」
「ああ、今では四人兄弟だよ」
「お前らしいな」
「自分がされて嬉しかったことを人にしてあげたいと思うのは当然のことだろう。だから俺もギルドを作りたいんだ」
「自分のギルドをってことは、共同狩猟組合試験には合格しているのか?」
「ああ、二種だけどね」謙遜しているが、彼にとっての数少ない誇りであった。
「名義を借りるのかと、お前のことを見縊っていたよ。二種でも合格率は一割未満の難関試験だったな」
「まあ、十年勉強したからな」
「合計十年の実務経験も大丈夫だろうし、あとは組合の審査に合格するだけか」
「それが一番難しいんだけどな」
「それに確か、最低五人の専属冒険者の登録が必要だったはずだが。大丈夫なのか」
「そんなことまでよく知ってんなぁ。ま、それはそのうちなんとかするよ」
「そのうち? 待てよ、四兄弟であと一人足りない。そうか、つまりは先ほどまで熱心に口説かれていたのは、そういうことだったのか……」俯きあからさまに哀しそうな表情をして見せた。
「いや、違うんだ。本当に。俺はただ、人々に恐れられながらも、その人々のために戦う優しさと、聡明さに惹かれて、共に仕事できればいいと思っただけで、決して人数合わせのために誘ったわけではないんだ」アレクは焦りに焦って身振り手振りも合わせて弁明した。「だからえっと」
俯いていたと思ったミラは珍しく声を上げて笑っていた。アレクはそれを見てポカンと間の抜けた顔を晒した。
「冗談に決まっているだろう? お前も珍しく焦っていたなぁ」ようやく意趣返しを果たしてみせたという満足げな表情だった。「人数合わせのために魔女を誘うような回りくどいことをするとは思えないし、そんなに人望がないとも思わないよ」
目を細めて子供のように無邪気に笑うミラがあまりにも美しかったため、アレクは見惚れてしまった。
「なんだそんなアホ面をして。少しタチが悪かったか?」
「まあね」
「そうか、悪かったな」事もなげに言い放った。
アレクは背もたれに寄り掛かり「でも楽しみだなぁ。ミラも来てくれるとは」嬉しそうに。
「お前、気が早いな」
「向こう着いたら手紙書くよ」
「ここに手紙は届かないよ」
「ギルドに宛てて届けるから取りに行ってくれ」
「無茶言うな。この前仕事を受けに行っただけで、皆ビクビク怯えていたのに」
「それこそ、さっき言ってた魔力を断つ練習だと思ってさ。な、頼むよ」
「強引な男だな」
「あとこれも預かってくれよ」と、ケネースの詩集を手渡した。
「どういうことだ?」言いながらミラは最後のページを開き驚いた。「これは初版じゃないか。マニアの中で高値で取引されているのを知らないのか?」
「知ってるさ。少しプレッシャーをかけておこうと思ってな」その言葉と裏腹に笑みは爽やかだった。
「お前、性格が悪いな」じとっとした上目遣いでアレクを見た。
「じゃ、そろそろお暇しようかな」
「そうか。じゃあ送っていこう」
家を出てミラはやはり溜息を吐いた。その監視魔法を隠そうともしない堂々たる姿勢に。井戸端会議に興じていた魔女達はいやらしい視線を二人に向けていた。
二人が歩いていると、長い前髪で顔を殆ど覆い隠している陰気な魔女が通り掛かりに「やあアレク、ミラの初めてはどうだった? 私のと比べてみるかい」前髪で隠れた表情を容易に想像できる品の無い言葉遣いだった。
「その下品な口を閉じろ!」静かだが強い語気だった。周りにいた魔女達はくすくすニヤニヤしながら眺めていた。「アレク、悪いな。こんな連中ばっかりなんだ」申し訳なさそうに、再び歩き始めた。
「あら、お帰り? 今度は私のところにいらしてね。とても具合のよくなる香があるの」優雅で上品そうな女性はアレクの前で足を止めて彼の胸に手を重ねた。
「黙れ阿婆擦れ!」大きな声を出した。
アレクは魔女達が自分を揶揄しているのでなく、ミラにちょっかいをかけているのだという事はすぐにわかった。
「ヤッホー、ミラ」笑顔で現れるレイだった。
「またお前か。頭が痛くなるな」片手で頭を抱えて言った。
「……生理中?」
「刺す」
「やだ、こわーい。助けてー」甲高い声を上げながらアレクの腕に絡みついた。
「あまりベタベタ触るなよ。迷惑だろう」口調は柔らかかったが、ミラは止めどなく魔力を溢れさせて威嚇した。
「もう、そんなに怒んないでよ。冗談でしょ」震える声で腕を放り出し、逃げるように何処かへ消えた。
魔力を感じないアレクはそのレイの怯え方を見て違和感を覚えたが、何か察して黙っていた。
二人はやっとの思いで静かな森に辿り着いた。
「本当、迷惑をかけたな」
「気にすんな、勝手に来たのは俺の方だ」
「それに、未だに見られている。この街を出たら範囲からは外れる、申し訳ないがそれまで我慢してくれ」
「了解」
「あと、エミーに感謝を伝えてくれ」
「泣いて喜んでたって言っておくよ」
そんな話をしているうちに、初めて会い、そして別れた場所へとやってきた。
「なんだか凄く懐かしい気がするよ」
「そうだな」笑みを溢し「あのギルドまで一人で行けるか?」なんて、初日と同じように。
「ああ、ありがとう。じゃあまたな」片手を上げた。
「ああ、また」ミラも片手を上げて応えた。
振り返っても未だにミラ姿があった。小さく見えなくなるまで彼女はそこで手を振っていた。
ミラが涙を流しているなど、アレクは知る由もなかった。
次回、最終回です。