出会い6
アレクはその魔女の後ろに付き従った。
すると突然霧が深くなり、一寸先も見えなくなった。
「魔女の集落は魔法で隠してあるの、魔女と一緒じゃないと出入りできないんだ」自身の手を取るようにと手を差し出した。「迷子になったら一生出られなくなるよ」
「わかった」
アレクがゆっくり手を伸ばし彼女の白い手を取ろうとした時、彼女の方からパッと手を伸ばしアレクの指を絡めるようにして手を繋いだ。
「じゃあ、行こっか」
目を細めて微笑む彼女は絶世と呼ぶに相応しい美しさを持っていたが、アレクには少し恐ろしい気がした。
やがて霧が晴れ、集落が見え始めた。彼女は何処からか杖を取り出すと、小さく振るった。すると彼女はローブを羽織った姿になっていた。
「ローブを着る決まりでもあるのか?」ふと気になって尋ねた。
「これは魔力を遮る効果があってね、これを着ないと中の男達が怯えすぎちゃって仕方がないの」
その回答のせいで更なる疑問がアレクの頭に浮かんだが、彼女の不気味な笑みの前では何も言えなかった。
アレクは手を振り解こうとしたが、彼女は尚更力を込めたので、二人は手を繋いだまま集落へと進んで行った。
女達は皆、眼を引く程美しかった。男は薄ぼんやりと思い出した。
原初の魔女は、地獄の悪魔に対して美貌と強さと若さを求めた。悪魔は自分の子を産むことと引き換えに、その望みを叶えてやった。自分の望みを叶えた原初の魔女だったか、悪魔と交わったことでその悍ましい魔力が自分の子孫にも引き継がれ、永遠に迫害され続けることとなった。
この話は今では伝説であり神話であったが、美しい女達を見ているとあながち本当だったのかもしれない。そう、アレクは思った。
魔女達は皆アレクを遠巻きに興味深そうに見つめ、コソコソと噂話に興じた。
好奇の目に晒されるアレクだったが、そのことはあまり気にせず周りを眺めた。さっき彼女が言った通り、少ないながら男がいた。彼らは皆上等な服を着て、仕事をしていた。しかしその顔には悉く生気がなく、首には奴隷の首輪が付けられていた。
彼らのためのローブか。と、アレクは心で思った。
「ほら、あそこがミラんち」指を差した。
集落のはずれにある煉瓦作りの立派な平屋だった。
「静かにね」彼女はとっておきの笑みでアレクに言った。
アレクは静かに頷いた。二人は足音を殺しながら歩き、扉の前に立った。
「ミーラー、ちょっと早く出て来てー、ミラー、お願いー」激しくノックをしながら甘ったるい声で叫んだ。
「なんだレイ、うるさいな」家の中から大きな声で返ってきた。そして足音がドアへ近づいてきた。
ガチャリと扉が開いた。
アレクはミラを見て目のやり場に大変困った。ミラの服装は黒色のノースリーブのシャツに、黒色のショーツだけだった。美しい形をした鎖骨からその下は、控えめな双丘の間がシャツの隙間から覗き見えた。そして、ショーツから伸びる二本の脚は、崖を軽々と登ってみせたように程よく筋肉が付き、引き締まっていた。アレクは視線を外そうとしたが、彼女の肉体の蠱惑さからどうにも難しかったため、視線ではなく首を大きく曲げ違うところを向いた。
一方、現れたミラはアレクが目に入るや否や、目を大きく丸めた。アレクが自身を訪ねてくるとは、微塵も思っていなかったからだ。何かを言おうにも言葉は出なかった。その時アレクは何故だかそっぽを向いていた。アレクらしからぬ仕草に疑問を抱いたが、すぐに自分の服装に気がついた。ミラは顔を真っ赤にし、勢いよく扉を閉めた。
「少しまっていろ!」甲高い声がドアの奥から響いた。
「ねえ、今の見た!? こんな顔してた」ミラの真似をし目を大きく開き、片手で腹を押さえていた。「あぁ、傑作、アハハハハ、真っ赤になって、少し待ってろだって」と涙を浮かべながら笑っていた。
アレクは引き攣った表情でレイを見ていた。
ようやくローブを羽織って普段の格好で出てきたミラの表情からは、赤みは引いていなかった。
「……なんで一緒にいるんだ」ミラは少し低い声で言った。
「森でミラに逢いたいって泣きじゃくってるから連れてきてあげたの」
「……なんで手を繋いでいるんだ」ミラは低い声で言った。
「えぇー、アレクが離してくれなくてー」甘ったるい声で言いながらアレクの肩に凭れかかった。
アレクは呆れたような表情を浮かべていた。
「私を揶揄うのがそんなに面白いか?」フッと微笑んだ。
「冗談だってー」アレクの手を離した。
「それで一体何の用だ?」
「アレク、恋文を書いてきたんだよねッ」
「いや、違うけど」
「レイ、お前は少し黙ってろ」呆れ顔を浮かべた次の瞬間、真剣な表情になった「見られてるな」
「そりゃそうでしょ。男、特にアレクみたいな体質なんて珍しいし」
二人の会話を聞いても、何処にも視線を感じなかったアレクは周囲を見渡した。
「魔道具による監視だ」アレクの動きを見て言った。「本当にここの連中は他人のことが気になって仕方がないんだ。どうしようもない」馬鹿にするように言った。
「だからさ、早く部屋に入れてあげてよー」レイは楽しそうに言った。
「そうだな。入れ、二人とも」
「悪いな、お邪魔する」アレクは遠慮はせずに家の中に入った。
「私は今から用事があるから、あとは二人でごゆっくりー」駆け出した。
「おい、ちょっと待て」その声は虚しく響き、レイの背中は小さくなるばかりだった。「まあいい、ここに座れ」丸いテーブルの椅子を引いてアレクを座らせた。
テーブルの上の木箱から葉巻を取り出すと咥えて火を付けた。慣れ親しんだ動作だった。煙をふかすと「アレク、お前も吸うか?」もう一本取り出した。
「悪いな。酒とドラッグは身体が鈍るからやらないようにしてるんだ」
「そうか。いや、その方がいい」疲れたような表情でアレクを見上げ「お前も随分顔色が悪いな。あいつと一緒にいたから疲れただろう」
「どうかな? まあ、そうかもね」やっぱり疲れたような表情だった。
二人の間には葉巻の煙と沈黙があった。
「お茶菓子ならいいだろう?」立ち上がると湯を沸かして紅茶を淹れ、戸棚から菓子を出して皿に盛り付けアレクをもてなした。
「ありがとう」
「遠慮するな」
「あっ、そうだ」唐突に思い出しポケットから銅貨を取り出してテーブルの上に置いた。
「ん、なんの金だ?」怪訝そうな表情だった。「私を買いたいのか?」自身の胸元を触りながら薄ら笑った。これは無防備な姿を見られたことに対する精一杯の抵抗であった。
「確かに一晩買うことが出来れば夢のようだが、これは昨日の薬草の代金だよ」
「わざわざ届けに来たのか、律儀な男だな」フッと笑って誤魔化そうとしていたが、手痛い反撃を喰らい、ようやく引いていた顔の赤みも再び姿を現した。
「あとはこれだ」ずた袋をから詩集を取り出した。
「意外だな。ケネースを読むのか」柄じゃないだろう。とでも言いたげだった。今では古典として知られているが、女性からの支持が高い作品だった。
「いいだろ別に」少し恥ずかしそうにはにかみ「そうじゃなくて、これを渡したくてさ」封筒を取り出した。
「なんだこれは、恋文か」揶揄うように言い、受け取った。
「飛竜から女の子を助けてたんだって。昨日、薬屋で会ったんだよ」
「そうか」視線だけを上げアレクの顔を見た。「戯れさ」
「いい紅茶だなぁ」呑気に茶をしばき、菓子を口に運んでいた。
ミラは意を決した。封筒を開け手紙を取り出す手は微かに震えていた。手紙を読み進める彼女はフードを深く被り、アレクに背を向けた。
「戯れだったんじゃないのか?」
アレクはミラから視線を外し反対側の小窓の方へ体を向け、心が洗われるような想いで香りの良い紅茶を味わった。