反逆のゾラ
ピリ……と、空間が震え、瘴気のような風が吹き抜ける。
「……来たか」
ゾラが眉をひそめ、洞窟の入り口へ視線を向けた。
そこに立っていたのは、全身を黒紫のマントで包み、四本の腕と三つの眼を持つ異形の魔人。
——魔王軍幹部、《虚喰のギルゼル》。
ゾラにとっては、直属の“先輩”ともいえる存在だった。
「ゾラ……貴様、報告が遅いと思ったら……随分と楽しげではないか?」
ギルゼルの声は低く、地鳴りのように響く。
「ザイドも音沙汰なし。で、貴様は人間の子供を抱いて徘徊か……?」
ギルゼルの三つの眼が、ミラに鋭く向けられた。
「殺せ。そんなもの、我らの軍にとって不要だ。」
ミラがびくりと震える。
ゾラは咄嗟にミラを庇い、一歩前へ出た。
「……それはできません。」
ギルゼルの眉がぴくりと動く。
「ほう……命令に逆らうか、ゾラ?」
「これは、ザイドの……遺志です。俺はそれを継ぐと決めた。」
「ほう……裏切り者になると?」
次の瞬間、ギルゼルの四本の腕が不気味に広がり、瘴気が洞窟内に満ち始めた。
「仕方あるまい、ここで潰す!」
「来るか……!」
ゾラが構えを取り、再び戦いが始まろうとしたその時——
モニターの向こうで、主人公が叫んだ。
「いや、もういいって!! どんだけ連続でバトル入んの!? グリ、これもう日替わりバトルステージか何かか!?」
だが戦いは止まらない。
ゾラとギルゼル——魔人同士の激突が、幕を開けようとしていた。
虚喰のギルゼルの身体から立ち上る瘴気が、洞窟全体を黒く染め上げていく。
ゾラはミラとグリを後ろへ下げると、自らが前に出て構えを取った。
「……ミラ、神獣様、ここから先は近づくな。」
ギルゼルの四本の腕が、螺旋を描くようにうねりながら前へ伸びる。
「お前のような未熟者が、我らの理を語るか……身の程を知れ、ゾラ!!」
ズドォンッ!!
瘴気の塊が弾丸のように放たれ、ゾラが右腕で受け止める。だが、その勢いに押され後方へ跳び下がる。
「……さすがに、格が違うか……」
ゾラは体勢を立て直し、再び前方へ跳び出す。黒炎を纏った拳を繰り出し、ギルゼルに迫る。
ギルゼルはその拳を片腕で受け止め、もう一本の腕でゾラの脇腹に強烈な肘打ちを叩き込んだ。
「ぐっ……!!」
ゾラが吹き飛び、岩壁に激突。崩れ落ちた石が煙を巻き上げる。
その隙を突いて、ギルゼルはミラに向けて一直線に突進した。
「やめろぉぉぉ!!」
ゾラの怒号と同時に、黒煙が一気に爆ぜた。
次の瞬間、ゾラの姿がギルゼルの目前に現れ、渾身の一撃を放つ。
「ザイドの願いを……俺は裏切らない!!」
拳と瘴気が激突し、洞窟内に再び轟音が響いた。
ゾラとギルゼルの衝突は、幾度となく爆音を響かせ、洞窟内の空間を歪ませた。
互いの拳と瘴気がぶつかり合い、石壁が崩れ、地面が裂ける。
しかし、やがてその均衡は、静かに傾いていった。
ギルゼルの動きに、わずかながら鈍りが生まれる。
その瞬間を、ゾラは見逃さなかった。
「これで——終わりだ!!」
黒炎を纏った拳が、一直線にギルゼルの胸を打ち抜いた。
バァン!!
ギルゼルの身体が宙を舞い、岩壁に叩きつけられて崩れ落ちる。
その場に倒れ伏すと、動かなくなった。
洞窟に、沈黙が戻る。
ゾラは、しばらく肩で息をしながらギルゼルの亡骸を見下ろしていた。
そして、ゆっくりと振り返る。
ミラが震えながら、グリを抱いていた。
「……終わった……」
そう呟いたゾラの目には、決意が宿っていた。
その瞬間——頭の中に、鋭い声が響く。
『魔王軍所属・燼灰のゾラ、反逆の罪により……追放を宣告する。』
脳内に直接届く魔王軍の魔法通信。
ザイドに続き、ギルゼルまでも殺したゾラは、魔王軍の裏切り者として即座に裁かれたのだった。
「……これで、戻る場所もない、か。」
ゾラは苦笑する。
ゾラがギルゼルを打ち倒し、戦いが終わったあとも、ミラの震えは止まらなかった。
グリを抱きしめたまま、声を殺して泣いている。
主人公は画面の前で、その様子に胸を締めつけられるような思いでいた。
「……もう、隠してる場合じゃないか……」
これまで、ミラには伝えまいとしていた事実。 だが、父が変貌し、仲間に殺され、さらに魔人同士の戦い——この状況で何も説明されないままでは、ミラの心が壊れてしまう。
主人公はグリを通して、ゆっくりと語りかけた。
「ミラ……落ち着いて。……ちゃんと聞いてほしい。」
ミラは涙に濡れた目でグリを見つめる。
「お父さん……おかしく、なっちゃったの?」
「……違う。お父さんは……君のことをずっと、守りたかったんだ。」
グリの声を通して、主人公は語る。
「君のお父さん——ザイドさんは、かつて“六騎士”と呼ばれる英雄の一人だった。強くて、正しくて、たくさんの人を守った騎士だよ。」
ミラの目が見開かれる。
「……でも、魔王と戦ったとき……彼は仲間たちと引き離され、罠にかかって、瀕死になった。そして、魔王に取引を持ちかけられたんだ。」
「……とりひき……?」
「そう。『自分の部下になれば命を助ける』と。……ザイドさんは、君と、君のお母さんにもう一度会いたいという一心で、それを受け入れてしまった。」
ミラは小さく震えた。
「……じゃあ……お父さん、わるい人になったの……?」
「違う。ザイドさんは、最後の最後まで君を守ろうとしてた。魔人になっても、心のどこかでは……君の父親だった。」
「でも……しんじゃった……」
「それも、君を守るためだった。仲間にミラを託そうとした。でも、その仲間——ディランには、どうしても任せられないと思った。だから、最後の最後まで戦って、命をかけて……君を助けたんだ。」
ミラの瞳から、涙がぽろぽろと落ちる。
グリに顔を埋めながら、小さく呟いた。
「……お父さん……お父さん、ほんとは……」
「うん。君のこと、ずっと、ずっと大切に思ってた。」
主人公の言葉が、グリを通じて静かに伝わっていく。
ミラは泣きながらも、ようやくその想いを受け止めるように、小さく頷いた。
夜明けの光が、崩れた洞窟の入口から差し込んでいた。
地面には、激闘の名残である瓦礫と焦げ跡が残っている。空気にはまだ、戦いの余韻が漂っていた。
ゾラは静かに、外の空を見つめていた。
その背中に、グリを抱えたミラが近づく。ミラの瞳には、まだ不安と哀しみが混ざっていたが、その中に確かな光もあった。
グリが「トビマスカ?」と、軽く羽を広げる。
ミラは小さく微笑み、頷く。
「……おとうさんが、まもってくれた世界……いっしょに、いきたい……」
ゾラは振り返り、ミラとグリを見つめた。
「……すまないな。俺といることで、君まで追われる立場になる。それでも——来てくれるか?」
ミラはしっかりとゾラの手を取った。
「こわいけど……でも、ひとりより、いい。」
ゾラは頷き、ゆっくりと歩き出す。
「……ありがとう。なら、俺が守る。今度は、絶対に。」
朝焼けに照らされながら、裏切者となった魔人ゾラと、少女ミラ、そして神獣と呼ばれるオウム・グリ。
三つの影が、荒野の先へと静かに伸びていった。