ザイドの秘密
夜が更け、洞窟の中は静寂に包まれていた。
ミラは丸くなって眠っており、グリも静かに羽をたたんで寄り添っている。
俺もそろそろ寝ようかと、椅子にもたれかけたその時——
「……?」
ザイドが音もなく立ち上がり、洞窟の奥から外へ向かって歩き出す。
何気なく視線を向けていたモニターの映像が、彼の動きに合わせて微かに揺れた。
洞窟の入り口に近づいたザイドは、そこで足を止め、誰かに向かって声を発した。
「遅かったな。」
薄明かりの中、そこに浮かび上がるもう一つの影。
それは人間ではなかった。
ねじれた角に、常人離れした黒い肌。漆黒のローブを纏い、冷ややかな光を放つ目。
「……魔人……?」
俺はモニターの前で息を飲んだ。
なぜ、ザイドが魔人と……?
「依頼の件は完了した。貴様の“鳥”は確かに都市で見つけた。……だが、あれが神獣かどうかは俺には分からん。」
「……俺にも分からん。ただ、あの子がそれで救われるのなら、それでいい。」
「……相変わらず娘には甘いな、ザイド。」
「貴様にだけは言われたくない。」
魔人は鼻で笑うと、夜の闇に溶けるようにして去っていった。
ザイドはしばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて小さく呟いた。
「……神獣様、起きているのか。」
彼の視線はグリのいる方へと向けられている。
「もう隠すことでもないだろう。どうせ、いつかは明かさねばならぬ。」
ザイドは岩に腰を下ろし、ぽつりぽつりと語り始めた。
「俺は、裏切り者だ。」
ザイドは岩に腰を下ろし、焚き火の揺らめく光の中で静かに語り出した。
「……かつて、俺たち六騎士は魔王討伐のために結集し、数多の魔人を倒してきた。だが——」
その声には、苦い記憶を思い出すような重さがあった。
「ある時、とある魔人の仕掛けた罠にかかり、俺たちは散り散りになった。仲間たちは……生死不明となった。俺も、瀕死の状態で、這うように罠から抜け出したが……もはや戦える状態ではなかった。」
「それでも、俺は進んだ。気づけば——魔王の玉座の前に、一人で立っていた。」
焚き火の火花がパチリと弾けた。
「もちろん、勝てるはずがなかった。魔王は俺の命を取ることもできた……だが、奴は別の提案をしてきた。」
ザイドは焚き火をじっと見つめた。
「“我が部下となれば、生かしてやる”……とな。」
「迷った。だが……その時、俺は信じていた。まだ妻と娘は村で生きていると……もう一度、あの二人に会えるのなら——と。」
彼の拳が膝の上でぎゅっと握りしめられる。
「俺は、奴の提案を受け入れた。俺の体には魔王の細胞が植え込まれ、徐々に……侵されていった。」
「そして今では、魔人たちの一員として扱われている。先ほどの魔人も、魔王に仕えたばかりの新入りだった。この地方の制圧を、奴と俺で任されている……それが、今の俺の“立場”だ。」
ザイドの口元がかすかに歪んだ。
「……だが、俺にはもう時間がない。魔王の細胞は徐々に記憶を蝕み、俺が何者だったのかさえも、少しずつ曖昧になっている。」
「あと少しで……完全に魔人として完成する。そのとき、俺は……俺でなくなる。」
ザイドは静かに頭を垂れた。
「……神獣様。どうか、お願いだ。あの子——ミラを……連れて逃げてほしい。」
「俺が完全に堕ちる前に……ミラを、この世界のどこか、戦火の及ばぬ場所へ……」
彼の声は震えていた。
「それが……俺が最後に、この世界に残せる唯一の……願いだ。」
ザイドの言葉を聞き終えた俺は、ようやくすべてを理解した気がした。
そうか——だからか。
ずっと気になっていた。
彼の身体に、傷がなかったこと。
同じ六騎士だったフィオナには、あれほどまでに深く刻まれた戦いの跡が残っていたのに、ザイドには見当たらなかった。
それだけでも、何かがおかしいとは思っていた。
そして——
あの異様な“殺気”。
人を寄せ付けない、凍てつくような空気。
英雄と呼ばれた者が持つにはあまりに過剰で、どこか不自然だった。
そうだ。あれは彼の意志ではない。魔王の細胞が——魔人としての力が、無意識に放っていたものだったのだ。
ザイドは、すでに人としての境界を越えかけている。
記憶が曖昧になり、自我が薄れていく中で、それでも娘を想い続けている。
その想いだけが、彼を“ザイド”という人間に留めているのだ。
「……」
俺は静かにグリの映る画面を見つめた。
——ザイド。
あんたは……間違いなく、本物の英雄だよ。