9.リングの正体
これまたわかりやすいキョトン顔。
出会った時に比べてかなり表情が豊かになったなあ……感慨深い思いで眺めつつ、菜緒はゆっくり首を縦に振る。
「このままだと金銭感覚おかしくなっちゃいそうで」
「問題あります? 稼げるだけ稼げばいいじゃないですか、あって困るものでもないですし」
「でも二百万ですよ!?」
「はあ……」
「一般人には大金なんです」
それはSランクともなれば、きっと比べものにならない稼ぎだろう。
その他企業との契約、功績に応じた報酬、広告報酬。
市販装備には『天知モデル』なるものが存在し、そちらのロイヤリティもかなりの額と推察される。企業のトップよりも年収は上だとか。
しかしそれは相手の中の常識であって、菜緒のものではない。
「軽い気持ちで始めただけで、まだ両親にも言ってないし、どうしたんだって聞かれたら……」
「怒られる?」
「どう、でしょうか。怒りはしないと思います。心配するかも」
菜緒とて成人した立派な大人。
しかしそれとこれとはまた話が別で、親に心配をかけたくない思いもある。
「もうやりたくない?」
「採取は楽しいです。魔法の練習も少しずつしてます。でも」
ダンジョン探索は楽しい。
採取も魔法も一人地道に努力するのも、性に合っているようだ。
だが『人に借りたもので稼いでいる』という意識が、どうしても抜けない。
「私、ダンジョン関係のオークションを見たんですけど」
「あぁ……」
「モンスター除けも収納袋も、すごく高かったです!」
天知が百万くらいと言ったので、菜緒はそれを信じていた。
預けたお金がそれを超えた辺りで、『お願いしたら譲ってもらえるかも?』なんて虫の良い考えたが浮かんだ事は確か。
その場で相場を調べ、額を見てひっくりかえった。
「モンスター除けの最終価格が、千二百万!」
「まあ……うん……」
「収納袋なんて二千万近くですよ!?」
「それはオークションだから」
もちろんどちらも効果はダンジョンのみ。外部に持ち出せばただの布と袋。
だとしてもこの金額。
到底払える値段ではない。
かごに美しく盛られた前菜を瞬時に食べ終えた菜緒は、勢いのまま隣のグラスをぐいと呷る。
「そんな貴重なものホイホイ他人に貸さないでください! 持ち逃げされたらどうするんですかっ!」
「そもそもお渡しするつもりだったので、問題はないかと」
「合わせてさ、さんぜんまんにもなる品を……!」
万が一の事があったらと怯えるも、いまいち伝わらない様子。
「責任を取れる額じゃないですよぅ」
「氷野森さん、世の中には卸価格というものがありまして」
首を傾げていた天知だが、彼は彼でまた違う意見があるようで、目の前でろくろを回し始めた。
「モンスター除けも収納袋もある程度深い階層の、しかもレアドロップですから、初心者が手に入れるのは難しいでしょう」
だが深層目当ての天知のような探索者にとっては通り道。
また既に上位互換のアイテムを手に入れており、どちらもいわば旧バージョン。
機能も制限されている上、探索で複数手に入る、余りアイテムなのだ。
それだけ日常的にダンジョンに潜り、日夜戦っているという事なのだが。
「だからと言って気軽に出せるものでもないんですよね」
ドロップ品をどうするかは手に入れた探索者の自由。
しかし無闇にダンジョン産の品を流通させるのは危険だというのが、天知の考えらしい。
「例えば日本はライセンスを簡単に取得できる。日本国民であれば誰であれ、簡単な講習と手続きで取れて、探索者として活動する権利を有します」
「はい」
「ですがその分ダンジョンから出る品や素材の取引は強く制限されています。まずオークション参加の最低条件がライセンスを所持している事。そこから貴重で有益な物品になるほどランクで制限され、『誰が何を所有しているか』の記録も付く」
もちろん個人の取引までは及ばず、裏で流出している品もあるだろう。
だがそんな違法な品は見つかれば即没収、売り買いした人間は罰せられる。
たとえ収集目的であっても、お目こぼしなしの一発アウト。
「これが海外だと事情が変わってきます。いくらライセンスに制限をかけようと、売買を規制しない国の中にはダンジョンを経由した密輸などの犯罪も起きていまして、結果ダンジョンの封鎖、限られた人間だけが出入りを許され、闇市場化するなどかえって不自由な結果になってしまうんですね」
日本はダンジョン管理局が強い権限を持っており、違反行為が認められれば即ライセンスが剥奪される。
そうなれば二度とダンジョンには行けないし、ダンジョンに関わる取引も禁止。
ダンジョンに興味の無い、知らない人間には察し難い部分があるが、ダンジョンの旨みを知る者にとっては非常に厳しい処置となる。
「基本その国のダンジョンにはその国の人しか入れない。残念ながら世界のダンジョンを探索し回るといったような事は、特別な事態でもなければ不可能です。国家間の共同作戦とか、初期は良く聞いた話ですが、銃器や機械類が有効ではないと分かった時点で集団の優位性は崩れてしまった」
日本はいち早く国民にダンジョンを解放し、探索者に対しても比較的優遇路線だ。
一時期──というか今でも探索者の稼ぎに目を付け、所得税やらダンジョン税やらを取りたがる輩はいるが、次の選挙で必ず負ける。
思想や所属は関係ない。ダンジョンに一番近い位置で接している管理局、更にダンジョンからの莫大な利益を見込む企業もそれを望んでいない。探索者への制限は歓迎されず、今では選挙公約のタブーとなっているほどである。
「ダンジョンとは何なのか。そこから生み出される新たな資源も現象も、まだまだわからない事だらけです。そんなものをこれまでの常識で扱おうとすると、必ず痛い目を見る」
ダンジョンとそこから出る物品含め、管理できるものではない。
管理局や政府が出来るのはあくまでサポート。
探索者の自主性に任せているのは、それが一番効率がいいから。
「つまり──大分遠回りになってしまいましたが、探索で得た品をどうするかは、探索者本人が決めるということ」
百万という額は世話になっている取引先への卸値。
ただしそれ以上の額をつぎ込み、迷宮用の装備を共同開発している。
「実際そこが一番経費がかかる部分なんですよ。装備一つ作り上げるのにどれだけ時間と金と手間がかかるか……! 苦労して取ってきた素材が何の役にも立たず、ただ消費され廃棄される事なんてザラです。何十何百何千ととトライしてやっと正解を掴み、素材の回収に出向いた結果が二個ですよ」
よほど辛かったのか眉を顰め、噛みしめるように『五日かけて、二個』と呟く。
「それだけ氷野森さんが果たした役割は大きいという事です。俺がそれに少しでも返したいと思うのは、当然の事ではないでしょうか?」
「うう……」
「それにダンジョン探索は命がけだ。低階層とはいえ、そのくらいの報酬はあって当然だと俺は思います。高ランク者の探索は一度で億を超える事もありますので」
「怖い怖い怖い!」
額にビビりつつも、その感覚なら端金であろう事も理解した。
「悪い人が寄ってきそう」
「来ますよ?」
「何で楽しそうなんですか!」
「まあそういう事ですのでね、モンスター除けも袋も引き続き使ってもらえたら嬉しいです。氷野森さんが採取を頑張ってくれれば、それだけマジックベリーの安定供給にも繋がりますし、俺も他の探索者もマジックポーションを使う全ての人間が助かります。いいことだらけです」
「くっ……!」
立て板に水とはこの事よ。
値段を理由にお返しするつもりが理詰めで説得されてしまい、反論材料も見当たらない。
菜緒は渋々頷くしかなかった。
「それより大変な事が分かったんです」
「はい……あ、お寿司おいしい……」
話の切れ目に運ばれてきた寿司五皿。
美しく並べられたそれを一定間隔で口に運びつつ、向かいで二カン一気に口に入れている男を見る。
「お預かりしたこのリングなんですが」
「ああ、スライムの」
「効果が判明しました」
「おー。そういうのってはっきり分かるものなんですね」
何やら大層なケースに収められている謎金属の輪。
右手小指にはまっている同じものを眺め、ぱくりと寿司をいただく。
「このリングの効果は『幸運』です」
「幸運? と言うことは、ラッキーリング?」
過去『ラッキーリング』なるものがダンジョンにて発見され、話題になった事があった。
幸運を上げる装飾品という概念はあれど、明確に効果が示されたものは始めてで、海外からも購入希望が殺到したとか。
結局は研究の為どこかの企業が買い取り、落札価格は非公開というオチだったが──
「落札価格は五億でした」
「…………は?」
「ただしダンジョン外では効果なしという事で、現在の価格は一億程度に収まっています」
「え……」
「問題はこれが『ラッキーリング』ではないという事です」
「ああ良かった」
恐ろしい金額が聞こえてきて、危うく正気が飛ぶ所だった。
宝くじ当選レベルのお金がこのちっちゃなリングにかかっていたら、のんきにその辺を歩いていられない。
「これを見てもらえます?」
「はい」
立派にも程がある座卓で相対している二人。
ほぼ同時に立ち上がり、お互い見合いながらその場で上下するという無意味な動きを繰り返し、結局菜緒が強引に卓を回りそちらに向かう。
「鑑定用のルーペです。これもドロップ品です」
「かっこいい!」
曲線と円で構成された、まるでそれ自体が優雅な装飾品のようなデザイン。
映画に出てきそうな小洒落た拡大鏡を受け取って、ご大層なケースに収められているリングを見る。
「『幸運Lv.1』……って書いてある?」
「そうなんです!」
「わ!?」
勢いに押される菜緒の手を取って、天知は興奮した様子でまくし立てた。
「今まで発見されたラッキーリングは『幸運』という表示しかありませんでした! つまり装備品にレベルの概念があるという事です! これは重大な発見でして、つまり今までに生じたスキルや魔法についてもレベルがあるのではないかと、リングを調べた研究機関で大騒ぎになっていてつきましては発見者の氷野森さんにもご協力をお願いしたく──」
「ああああ天知さん落ち着いて」
「す、すみません! つい興奮して」
何やら新事実が発覚し、気持ち的に盛り上がるのはわかるが、手がリングごと握りつぶされそうだ。どんな握力してるのこの人。
「そんなにすごい事なんですか? だってレベル一ですよ?」
「そのレベルの存在が今まで確認されていなかったので。いえもちろん予想していた人間もいたんですけど、明確に示されたのはこのリングが初めてなんですね」
「へぇ……」
ケースを返し、右手の小指にも拡大鏡を向けてみる。
そこには同じ『幸運Lv.1』の文字。
「私は何をすればいいんです?」
「具体的にはこのリングをこちらで買い取らせて頂きたい。それと入手状況の説明ですね」
「そちらは天知さんに差し上げたものなので、天知さんが良いなら良いんじゃないですか?」
「……ハハハ、流石にそれは。確実にラッキーリング以上の値がつく品ですよ?」
「ということは、億?」
「ええ」
菜緒の貧相な想像力で浮かぶのは、せいぜい札束ピラミッド。
それが狭い賃貸マンションの部屋にデデンと鎮座している光景を思い浮かべ、思わず口元を押さえる。
「氷野森さん!?」
「きもちわるい……」
自慢ではないが生粋の小市民、近頃は探索後の食べ歩きが生きがい! 程度の初心者探索者には、少々刺激の強い内容であった。
青い顔で俯く菜緒を支えた天知は、慌てたようにポケットを探る。
「良かったらこれを」
「これは……?」
「キュアポーションです。大抵の症状に効くので」
「ありがとう、ございます……」
また新しいのが出てきた。薄緑色をしたキレイなポーション。
封を開けるとこれはベリーではなく草系の匂いがする。思わず鼻の頭に皺が寄ったが、口にしてみると水出し緑茶のように爽やかな飲み物だった。
「フウ……ハア……」
「なんだか申し訳ない事をしたようで……その、金銭にトラウマが?」
「うう……額が大きすぎて……」
「価格については俺が交渉します。何も心配いらないですからね」
その言葉を聞いて少し体温が戻ってくる。
冷静に、落ち着いて考え……駄目だ! 出来るわけがない!
「……ちなみに、天知さんの見立てだと、幾らになるんです?」
「売り先によります」
「怖い怖い怖い怖い!」