6.マジックベリー
五十階層が複数パーティーにより突破され、世間のダンジョン熱もまだまだ覚めやらぬ頃。
当時トップを走っていたチームの一つ「Quad」は、大学のダンジョンサークルに属する学生四人で構成されていた。
サークル活動が長じて成果を出し有名になったパターンで、探索者界隈のみならず人気があった。特にリーダーのT氏はメディア露出に積極的であり、取材やテレビ出演に熱心で、一時期芸能活動もしていたようだ。
しかし攻略を重視する他メンバーの同意を得られず、チームは解散。
T氏はメンバー一人と新たなパーティーを結成し、あるメンバーは違うパーティーへ、またソロ探索者として歩み始めた者もいる。
「まあ、俺なんですけど」
A氏こと天知はパーティーを離れ、ソロとして大成した。
世間では順調と見られていた階層攻略であったが、実際の所は長く停滞し、プレッシャーが凄かったそうだ。
そんな時難攻不落と言われた六十階層単独突破に成功し、一躍名を上げた天知を英雄視する人間は多い。
攻略に対するストイックな姿勢、己の功績をひけらかす事無く淡々とダンジョンに向かう姿、頼めば応じるフットワークの軽さ。
取引相手の企業や管理局の評価が高く、他パーティーの実力者も彼を認めている。
しかし一方で『他のメンバーが足を引っ張っていたのでは?』と見る向きもあり……特にT氏が槍玉に挙げられる事が多かった。
元々目立ちたがりでビッグマウスな発言を、同業者に煙たがられていた事もある。
『言うほど実力はない』という評価もあった。
実際天知が抜けてからT氏の活動域は四十階層付近にまで後退し、世間の人気も低迷。
T氏は新パーティーを引き連れ、新宿から地方に拠点を移した──
と、ここまでが表向きの話。
無責任なネット社会は容赦なく人のプライベートに踏み込み、『Quad解散の真実』なるまとめには非常に消化の悪い話がくっついていた。
Quadのパーティーメンバーはリーダーで槍使い前衛のT氏、盾役のM氏、偵察と遊撃のA氏、魔法と回復薬でサポートするN氏である。
このうちN氏は女性であったらしい。
嘘か本当か知らないが、当時A氏こと天知とこのN氏は交際しており、それをT氏が奪う形で二人は別れ、それが原因でパーティー解散に至ったという噂だ。
それが本当ならあまりに悲劇。
見た瞬間後悔した。
同時に『なんてもん見せるのさ店長のバカー!』と流れるような罵詈雑言が菜緒の口からまろび出た。
人の辛い事情なんて知りたくないし、これから世話になる相手に変な感じになるのも嫌だ。
なんとか平静を保とうとしたものの、天知の顔を見るなり切なくなってしまい、不自然な態度に。
もうバレバレ。
バレてしまったものは仕方が無い。菜緒は潔く謝罪した。
「興味本位で調べてごめんなさい」
「いやまあ……知らない方が意外なくらいだったんで、はは」
天知は探索者トップのSランク。
大抵の人は知ってるし、探索者でなくても知っているレベルの、かなりの有名人だった。
むしろ不審者扱いをした初見が一番失礼だったかもしれない。
「不勉強ですみません」
「別にランクが高けりゃいいってもんでもないですし、世話になったのは俺の方ですから。氷野森さんがスライムキューブを集めてくれたおかげで八十階層いけたんで」
「ドロップ品を売っただけですけど」
「それで助かったんですよ。じゃなきゃ今頃また三十階層でヒュージスライム相手に……」
その青ざめた顔、小刻みな震えが、五日間に渡るヒュージスライム狩りが如何に過酷であったかを物語る。
「ま、まあ噂っていうか、パーティーのあれも本当なんで」
「ウッ……」
「俺の甲斐性が無くてフラれたってだけの話です。もう割り切ってるんで、気にしないで」
有名である事の代償、または弊害というべきか。
サイトには『一時期探索者もののN○R作品が急増』の一文と、ご丁寧にリンクまで貼られており、『もうやめてぇ!』と叫びつつ戻ってきた。その瞬間から菜緒の心は同情に傾き戻らない。NT○地雷です。
「天知さん」
「はい?」
「幸せになってください」
「……は? はあ……」
『皆知っている事だし今更気にしない』『そういう問題じゃない』と会話が盛り上がる中、いよいよ二階層への階段が見えてくる。
ゲートからまっすぐ進むだけ、迷うことなくあっさり到着したが、これは浅い階の特徴で、深くなるごとに複雑になっていくとのこと。
「これを体の何処かに着けてください。上着よりもシャツの方がいいかな。勝手にくっつきますから」
「ははーっ」
ミニハンカチサイズの、四角い薄茶の布である。
染料か何かで模様なのか文字なのか、それっぽいものが描かれているが、何を書いているかは分からない。
押しいただくようにしてそれを受け取った菜緒はジャージの前を開け、一切の迷い無くTシャツの胸に押しつけた。価格を考えると絶対に無くせない。
「……?」
「では行きましょうか」
何も変わった事は無いように思う。
しかし特に足音も殺さず、そのまま歩き始めても、周囲をごそつくスライムは気付かない。襲ってくるような事もない。
「え、効果すごっ」
「多少の会話や足音くらいなら問題ありません。あまり大きい音を立てると気付かれる事があります」
「わかりました」
一階層以外足を踏み入れる予定はなかった。
それがこんな事になって……人生ってわからない。
緊張しながら慎重に階段を下りた菜緒だが、二階層は一階層とほぼ変わらない、平原タイプのダンジョンフロアだった。
「あれ? 誰かいる」
「小鬼ですね」
「あー、あれが噂の……」
遠目には人のように見える。
講習でも『二足歩行のモンスターに注意』と強調されていた。
こうして離れた場所から落ち着いて見れば微妙に人間とは違うのだが、移動しながら、不意を突かれて、草むらから飛び出した影がモンスターであった場合、咄嗟には判断出来ないと。
「今後の為にもしっかり見ておきます」
「それがいいでしょう」
子供のような体格で、薄汚い腰巻きを身につけ、手には棍棒。
単独出現は殆どない。必ず二~三体、時には六体を超える集団で襲ってきて荷物を奪う。
そのくせドロップは渋く、憎たらしいことこの上なしのモンスター。
「相手をする必要はないので、このまま通り過ぎます」
「はい」
なんとなく忍び足気味になってしまうが、ゴブリンたちは気付かず離れていき、一度も振り返ること無く去って行く。
その後もゴブリン、スライム、例のウルフ系ことグラスウルフとも遭遇したが、いずれもこちらに気付かず、二人は悠々とその横を通る。
問題なく二階層を終え、いよいよ目的地である三階層へ。
「モンスター除けすごいですね。万能じゃないですか」
「そうですね。このモンスター除けなら十階層くらいまでは気付かれずに進めます」
「強すぎる……」
「ただし番人型のモンスターには効きません。五階層、十階層で必ず一度は倒さなければならない。攻略というよりは採取用ですね。だから企業が集めたがります」
中には研修と称し、ダンジョン十層クリアを義務づける会社もあるとか、恐ろしい話を聞いてしまった。業務詐称にも程がある。
「今から採りに行くマジックべリーですが、魔力含有量が高い分、ヒールベリーよりも扱いが難しいようで。そもそもヒールベリーも地上の工場では扱えないものを、無理して販売強行したんですよね。あの容器使って採算取れるのかなあ……」
「あの密封容器ですか?」
「あれも地上生産じゃなくダンジョンで作ってます。素材も使って、それでも一週間程度しか保たない……ダンジョン入って使った方が早いと思うんだけど」
「一般人はそんな勇気出ないですよって。それにライセンス料がかかるし」
菜緒とてヒールベリーの事がなければダンジョンに関わらなかったはず。
謎に適応して此処まで来てしまったが。
「あー……今幾らでしたっけ?」
「えーと、『通常50,000円のところ、今なら19,800円の大チャンス!』でした」
「本当ですか!? うわー俺達の頃はきっちり五万かかったのに……ダンジョン人気落ちてるからなあ今」
ダンジョンには適性というものがある。
能力的な問題もあるが、一番は継続性、つまりやる気だ。
華々しいイメージのある探索者だが、実際成功している人間はごく一部。
危険だし、保証はないし、基本的には自己責任の世界。怪我の痛みや長時間歩くこと、地味な作業に夢を壊され、辞めていく者が多い。
「大体ヒールベリー摘んで、段階的に五階層まで潜り、番人で挫折してってのがパターンかな。浅い階層だと思ったより稼げないから」
「そうですねぇ」
菜緒のようにずっと一階層でヒールベリーを摘む、というのは珍しいらしい。
大体ドロップのしょぼさに失望し、深く潜ればもっと割のいいモンスターが現れるのではないかと期待する。
しかし現実は厳しい。十二階層までは倒しても割に合わないモンスターばかり、まともに稼ごうと思うなら、二十階層、出来れば+5までは潜れないと難しいとのこと。つまりそれなりの装備と強さが要る。
「それにしてもポーション市販する時代になったんだなあ」
「たっかいですよねポーション。でもすごく人気なんですよ。私が働いている店でもあっという間に売り切れてしまって」
「そんなに皆怪我するの?」
「怪我もですけど、栄養剤みたいな扱いでしたね」
「じゃあマジックポーションでしょう」
思わずごくりと喉が鳴る。そんなに凄いのか、マジックポーション。
「丁度見えてきましたね。あれがマジックベリーですよ」
「おおー!」
色も木も葉も形も全然違う。
低木だがこちらはより低く、地面に近い。
鈴生りな所はヒールベリーと共通している。早速軽量バッグを前側にかけ、口を開けた状態で中の袋を広げる。
ゴミ箱にレジ袋をかぶせる要領で準備完了。後は片っ端から摘んで袋に落としていくだけ。
「おお、早いですね」
「いえ全然。おばちゃんおじちゃん達はもっと早いから」
「ご親戚の方もされてるんです?」
「いえ、現場で会ったヒールベリー摘みの達人です」
魔法のように手が動き、ベリーは一つ残らず摘み取られる。
あれがプロ。時間を黄金に変える職人の手さばき。
そう思えば自分はまだまだヒヨッコと言ったところ。
「あ、これおいし……すっっっぱ!」
「あはは」
赤い実は柔らかなヒールベリーよりも張っていて、歯でぷつりとその皮を囓ると、酸味の強い果汁が溢れ出す。
「あーなんか! 酸っぱいけど、でもキライじゃない!」
確かに効能はこちらが強いのだろう。
パクパクいけてしまうヒールベリーに比べ、食べやすさでは劣るけれど、それでも三粒も食べると『満ち足りた』感覚を覚える。
「氷野森さん、これ」
ベリー摘みを続けようとすると、天知が布袋──これもモンスター除けと似たような薄茶色──を手渡してきた。
「良かったら使ってください」
「ありがとうございます」
軽量バッグに収まる、丁度良い感じのサイズ。
たまにビニールが破損し、中で溢れてしまう事がある。もちろんより大きな袋で二重にはしてあるが、その上から布袋で補強したら更に安心。
「よいしょ」
ありがたく受け取り、バッグをごそごそやって持ち上げた時、あまりの軽さに驚いた。
「えっ? あれ?」
「収納袋です。マジックベリーなら十キロくらい入るのかな」
「なんでこんなに軽い……」
「ダンジョン産の袋だからですね。容量の拡張と重量軽減がされています。モンスター除けと似たような構成なんでしょうが、その辺りはまだ解明されてません」
「えーと」
それは……ものすごく貴重品なのではなかろうか。
「深層だと結構出るんです。企業も使ってる品なので」
「いやいや、絶対高いでしょこれ下手するとモンスター除けよりも」
「まあまあまあ」
「いやいやいや」
ベリー摘みで一番大変なのは、重い荷を背負っての帰り道。
この袋があれば解決してしまう。取り放題である。こんなの、こんなの……!
「レンタルで、お願いします」
「わかりました。期限はないので自由に使ってください」
「うわああ……! こんなこと覚えたら後戻りできないよー!」
見渡す限りマジックベリー、もっさりたっぷり。
これも明日には元通りの鈴生りだ。これはもう採るしかない。
そして稼いだお金をレンタル代として出す! これで完璧!
頭の中で一段落付けて、超高速で手を動かしていると、近くの繁みがごそりと揺れた。
「えいやっ!」
久しぶり、君の出番だスライム棒。
サクッと刺した瞬間、ふと違和感が過る。
このスライム色薄くない? 殆ど透明のような……
「天知さん」
「どうしました?」
「あ、ああー……いえ、なんでもないです」
ちょっと刺すのが早すぎたようで、スライムは地面に染みて消えてしまう。
残った金属片をつまみ上げた菜緒は、それがリングの形をしている事に気がついた。
「…………あ」