5.共同探索
大食いと言えばテレビで持て囃された時期もあり、一種のステータスのような扱いを受けるが、実態は結構悲惨だ。
何しろ食べても食べても満たされない。菜緒は上に兄と姉がいる三人兄弟の末っ子だが、家族の中でも菜緒ほど食べる人間はいない。元運動部で百八十センチを超える体格の兄よりも食べるのだ。母親から『勘弁して』と悲鳴を上げられた事もあった。
幸い両親は理解のある方で、我が子を『そういう体質なのだろう』と大らかに育ててくれた。
けれど親戚や友人の中には、菜緒の食べっぷりに対し『はしたない』とか『もったいない』と面と向かって口にする者もいて、密かなコンプレックスとなっていた。
事ある毎に帰ってこいと言われつつ、実家を離れ一人暮らしを続けているのも、この大食い体質が地元で知られているのが嫌だから……という理由だ。
小学生の頃から『男子じゃないのにおかわりしてる!』とつつかれ、わざわざ違うクラスの子が見に来たりと物笑いの種になっていて、あまり良い思い出はない。
寂しさはあるけれど、知り合いの少ない都会で自由に暮らせる今の方が、菜緒にとっては気が楽だった。
職場の人には多分うっすらバレている。
それをなんとか『食べるのが好き』で通して……でも皆他人にそこまで興味がない。触れないで欲しい所をそっとしておいてくれる、都会の優しさと菜緒は受け取っている。
なのでコンプレックスである大食いを初対面の人に明かすなど、これまでは考えられなかった。
幾ら相手が菜緒を超える大食漢でも、絶対に馬鹿にされるかひかれると思っていた。
「マジックベリーに興味ありません?」
しかし事情を語る菜緒に、天知は予想外の言葉を返してきた。
「なんですかそれ」
「マジックポーションの材料になる果実ですね。三階層に生えている低木に生っていて、見た目は地上でいうクランベリーに似ています。味も酸味が強いかな。買取額はヒールベリーの三倍です」
「高級品!」
天知曰くマジックポーションはダンジョン内でのみの需要で、受付価格でも一本5000円するらしい。
「魔力を持った人、使う人にしか今のところ需要がないのでその価格ですね。ヒールベリーのような目に見える効果はないですけど、体内の魔力を回復し巡らせる働きから、アンチエイジング効果があると言われています」
「ふおおお!」
思わず身を乗り出してしまった。まだ必要な年齢じゃないと信じたいけれど、でも興味はある! それにお母さんとお姉ちゃんにあげたらきっと大歓喜。
「そそそれはとても魅力的ですけど……! でも強いモンスターを相手にするのはちょっと」
二層以降はスライムだけでなく、色々なモンスターが出現する。
特にウルフ系が出ると聞き、動物好きの菜緒は腰が引けていた。たとえモンスターであろうと犬型の生き物に攻撃はしたくない。
「はあ。モンスター除けを使えば良いのでは?」
「そんな便利なものがあるんですか?」
「ええ。モンスターに気付かれにくくなる装備もありますが、高価なので現実的なラインで言えばそのくらいでしょうか。行って戻ってくる程度なら可能かと」
「ううん……でも……」
極端な話、一階層は一般人でも探索可能。
しかし二階層以降はまた別の話。魅力と同じだけ危険がある。
「モンスター除けと言っても、絶対ではないですよね……?」
二階層以降のモンスターは、おそらくスライム棒では倒せない。
装備を変え、菜緒自身も強くなる必要がある。
一階層のスライム相手にやっと慣れてきた所、三階層ともなれば完全に未知の世界。
できるだけ危険な事はしたくない。強くなりたいとか、お金がたくさん欲しいとか、有名になりたいなんて大それた事は思っていな……いや、お金はちょっと欲しい。
「目立つ事をしなければ平気です。ダンジョンは広いので見かけたら避けて通れば良い」
「そんな感じなんですか?」
「ヒールベリーを食べて改善されるなら、氷野森さんの空腹は魔力不足から来ている可能性が高いです。マジックベリーは日持ちもしますし、高い魔力を含みますから、定期摂取する事で氷野森さん本来のコンディションに近づくのではないでしょうか」
淡々と理詰めで話されると、だんだんそれが正しいかのように思えてくるから困る。
ヒールベリーより効果が高い……日持ち……安全……
首を捻り、天井を向き、悩みまくる菜緒に、天知が最後の一押しとばかりに言う。
「低レベルのもので良ければキューブのお礼に提供します」
「へっ?」
「企業が私有ダンジョンでポーションの材料回収に使用しているくらいです。結構な数出回ってますし、そう高いものでもない。私も幾つか持っているので」
「ちなみにお幾らで……」
「百万くらいだったかな?」
「そんなのもらえるわけないでしょー!」
『そんな高い物はもらえない』VS『どうしても礼がしたい』勢の戦いは白熱した。
すったもんだの末、モンスター除けについてはレンタルという結論に落ち着き、また一度試しに三階層まで天知が付き添ってくれる事になった。
お互い都合の良い日時を決めて解散し、電車に乗ってはたと気付く。
考えてみたら知らぬ男性と二人きりでダンジョンに入る、というのは不用心では?
「その辺は色々あってな……まあ、奴にそっちの心配はねえよ」
「はあ」
後日バッグの礼と遣い心地の報告に訪れた菜緒は、狭間社長からそんな話をされてしまった。
人選については他に頼れそうな知り合いがいなかったのと、普段から探索者相手の商売をしている人なら有効な手を知っているのではという期待、または希望的観測によるものである。
一応菜緒も探索者向けのサイトで調べてはみたのだ。
しかし身の安全に関しては『知り合いと潜る』『女性だけで潜る』『管理局を通して実績のある探索者を複数人雇う(高額)』という身も蓋もない対策が主流であり、『偶然知り合った親切なお兄さんに教えてもらう』パターンはよからぬ輩の確率が高いと止められていた。
しかし断ろうにも連絡先を知らない。
会計を済ませると彼はさっさといなくなってしまい、連絡先を聞かれもしなかった。
またその態度や食事中、会話、リアクション、どれを取っても天知という男は引け腰で、仲良くなりましょう的なアプローチは一切なかった。何が何でも礼をするという気概は感じた。
「あんた探索者になって間もないし、この業界にあまり興味もないんだろう?」
「ええと……すみません」
「謝る事じゃないけどな。あいつ結構有名なんだ」
そこで知り合いであろう社長に相談したら、この意味深発言。
むしろ何故知らないのかと不思議がられている気がしたので、大変今更ではあるが、帰宅後『天知開 探索者』で検索してみた。
すると出るわ出るわ、世の中天知の情報だらけ。むしろダンジョン管理局のサイトの高ランク探索者欄にでかでかと名を連ねており、『君も目指そう高所得!』とえげつない煽り文句まで添えられていて、レベルの違いを認識させられてしまった。
「有名人だから下手な事は出来ないとか……?」
しかし検索結果の下部、個人のSNS発言や怪しげなまとめサイトには、なにやら不穏な言葉が踊っている。
パーティー解散、その後のトラブル、現在はソロ探索者として活躍中……
「しゃ、社長ぉー!」
なんてもの見せるんだ、本当に。
「すみません、お待たせしました」
「こっここここんにちは」
探索当日、待ち合わせ場所である受付付近。
会うなり目を泳がせてしまい慌てる菜緒に対し、相手の反応は“無”であった。
「装備はスライム棒で問題ないです。とりあえず移動しましょうか」
「はっ、はいぃ……」
他人の事情を見てしまった罪悪感。
なぜ止めてくれなかったのか、むしろ誘導疑惑のある社長へのモヤモヤ。
何よりあんな辛い事を経験した相手に、どう接したら良いものか。
挙動不審な菜緒に対し、天知は適切な距離と冷静な対応を崩さない。
「氷野森さんは二階層以降は初めてという事で、まずは一階層から順に下って行きましょう」
「わ、わかりました」
ゲートをくぐれば、そこはいつもの一階層の景色。
平原がどこまでも広がっている……ように見える。実際かなりの広さがあるとか。
ヒールベリー群生地にしか用のない菜緒は、当然未確認なのだが。
「ここに出てくるスライムを倒してキューブを集めたんですよね?」
「はいっ!」
菜緒はいつも通りのジャージとスニーカー、軽量バッグを背負いスライム棒という最弱装備。
対する天知はといえば、どういうものかはまったくわからないがおそらく強いであろう黒色の全身スーツ、腰にポーチやら道具を取り付けたベルトを巻き、手に武器は見当たらない。
総じて玄人感がすごい。
上着を羽織っているけれど、全然隠せていない。
「一度やってみせてもらえませんか?」
「わかりました。というか私もキューブは欲しいので、出たら倒しますよ」
会話しながらでも問題ない、穏やかな一階層。
途中草むらが動いたので、菜緒はためらいなくスライム棒で突く。
「お見事」
「はは……どうも」
Sランク探索者に褒められてもという感じだが、一応お礼は言っておく。
そして良い具合に一匹目からころりと緑のキューブが落ちる。菜緒にとっては見慣れた光景。
「よっと」
「本当に落ちた……」
「葉とか枝のゴミが多いですけどね。でも、はい、こんな感じです」
近寄って天知の手にスライムキューブを乗せてやると、食い入るように見つめている。
なんとも言えない、渋みを感じる顔だった。
「スライム種のレアドロップ、なんですよね?」
「そういうくくりにはなってきますけど……低レベルのモンスターが落とすのは価値のないゴミか金属片というのが探索者の常識でして」
「それで、なんでしたっけ、でかスライム?」
「ヒュージスライムですね。ええ、スライム種ではそこそこ強いのと、ある程度群れる性質があるので、俺なりに頑張ったんですけど」
惨敗でしたと肩を落とす天知の反対側の手に、もう一つキューブを乗せてやる。
会話の間もポコポコとスライムが出現、さくさく刺していたらまたドロップしたのだ。
それを見た天知は目を見開き、キューブを握り締めて唸り、肩を落として深いため息を吐いた。
「現在挑戦しているのが八十階層付近のマグマ地帯でして」
「マグマ地帯!?」
「三十階層までは五階層毎、それ以降は十階層毎に番人がいるのはわかります? 複数人でもソロでもとにかく番人に一撃入れて、その後倒せばその階層をクリアした事になります」
「……なるほど」
以前テレビで見たような。
Cまでは階層到達が条件なので、強い装備を買う、探索者を雇うなど、金の力でなんとかなる。
しかしB以上となるとモンスターの討伐記録や貢献度が必要となる。ダンジョンには強いモンスターがいて、それが倒せるかどうかが探索者の強さの指標になっていると。
「過去攻略した方は皆パーティでして。炎を防ぐ魔法とか、水の膜を纏って交代で戦うとか色々方法があるんですが、ソロの私では難しく」
まあ普通は一人でやろう、とはならないだろう。なんだマグマ地帯って。
「試した結果、まあ無理だったんですよね。危うく骨ごと蒸発する所でした。それで装備をどうにかするしかないという結論に至りまして」
「こわぁ……」
思わず本音が溢れてしまった。
苦笑する男をまじまじと見て思う。やはり探索者とは危ない職業なのだと。
慣れですよ慣れ、とか言われて余計心の距離が開く。
「その辺りになると市販の装備では対応できないので、自分で溶岩に耐性のあるモンスターを狩って装備を作る事になります。問題はその継ぎ目で、素材が頑丈過ぎて普通の針では縫えないし、糸も耐えきれない」
人間の力では素材をつなぐ事すらできない。
科学の敗北だと学者は嘆き、職人は闘志を燃やす。
様々な素材を試した膨大なデータと経験が、解決策を見いだした。
「唯一有効な素材がスライムキューブだったんです」
「……!」
スライムキューブは存在する。
しかし落ちない。数が出ない。また落ちたとしても持って帰る者がいない。
深層ではもっと貴重で値の付くものがたくさんあるから。
「氷野森さんのおかげで無事八十階層に到達出来ました」
「えっもう行ってきたんですか!?」
「ええ、さっと行ってばすっと」
謎の擬音で腕を振っている。目にもとまらぬ速さで音がエグい。
その瞬間菜緒は決意した。何があろうとこの男を怒らせないと。
「普通はこうして徒歩での移動になりますが、七階層以降にドロップする呪文書で覚えられる『ゲート』という魔法で階層移動が可能になります」
「魔法ってすごい」
ダンジョン発生から十一年。
初めは皆うっすらと『攻略が進めば全てが明かされる』という思いを抱いていた。
しかし深層に至るにつれ謎は深まり、ダンジョンの中と外の隔たりは大きく、一時の探索ブームが落ち着いてくると、世間の興味も落ちていく。
ダンジョン関係の情報は規制されている訳ではないが、やはりコアな情報は目に触れにくくなっている。興味を持って調べるか、探索者コミュニティに属して積極的に情報を集めるなどしないと、一般人などこの程度。
しかしそんな無知な菜緒にも、天知は笑って頷いてみせる。
「そうですよね。俺も初めて呪文書使った時は興奮しました。どんどん覚えるぞって」
とはいえ魔力値、更に相性があり、覚えられる魔法は人による。
天知は中程度の魔力で、魔法にもあまり適正がなかった。
「ソロになった今はそれで良かったと思っています。魔法を主軸に戦う探索者は前衛が必須で、ソロは不可能と言われていますから」
「あっ……、はい」
一瞬あいた不自然な間。
なんと会話を切り出そうか、悩む内に時間が経ち冷や汗が滲む。
どうしよう、知らないとわざわざ言うのも不自然だし、かといってずけずけ聞けるような間柄でもなく。
「あのー……」
「はははいっ!」
「そんなに気を遣わないで。社長に聞いたんでしょう?」
「いやっ、あの、社長さんは、言ってないです……」
下手な誤魔化しも効かなそうだ。
こうなっては仕方が無い。正直に謝るしかない。
「すみませんでした!」