4.焼肉と魔力
「一般向けの探索用バッグはこの辺ですね」
見れば分かる最低限の案内に、さっきからちっとも合わない目線。
本当に頼りになるのかと聞き返したくなるが、既に社長の姿は無く、カウンター内にいるのは店員だけだ。
「一般向け?」
気になって尋ねただけなのに、相手はビクリと肩を跳ねさせる。
天知と名乗った男の、眼鏡奥の目が微妙に泳ぎ、右足が半歩下がった。
見た感じ年上、身長は高め。多分うちのお父さんくらい? 百八十を超える長身で、鴨居に頭をぶつけまくっていた兄ほどはない。
「あー……」
平均身長、普通体型の菜緒に成人男性をビビらせる要素はない筈だ。
それともダンジョンに通いスライムを倒した結果、急激なステータスアップで知らず知らずの内に周囲を威圧してしまっている……なんてあるわけないか。多分人見知りか何かでしょ。
「探索者用に多少丈夫にはなってるんですけど、基本素材は地球産なので、まあ一般向けかと」
「お値段結構とんでもない事になってますけど」
「ダンジョン産の素材を使うとこんなもんじゃ済まないです」
「そうなんだ」
ライセンスはあるけどFランク、一階層をうろうろする菜緒の知識レベルは一般人と変わりない。
「氷野森さんはどの階層で活動しているんですか?」
「……一階層です」
玄人っぽい人に訊かれるの、何気にキツい。
何度も通って成果を得たという自信が、この『歴戦の者オーラ』の前では羞恥に変わる。
意識しすぎなのだろうが、一応自分にもプライド的なものがあったようだ。こちとら始めたてFランクの素人ですよ、文句ありますかの気持ちを込めてライセンス証をチラ見せする。
「一階層だけであれだけのスライムキューブを!?」
しかし相手の反応は思ったものと違っていた。
驚愕に目を瞠り、パクパクと言葉無く口を動かした天知は、やがてがくりと肩を落とす。
「三十階層でヒュージスライムを百匹近く狩ったけど、落ちたキューブ……二個でした」
「二個!?」
確率で言えば2%……ソシャゲのガチャほどではないが、それにしても無慈悲な数字。
「ヒュージが一番落ちるって聞いたから。でもナリはでかいけど数は少ないんで、階層のスライム全部狩って、ダンジョン泊して、五日かけて二個」
「うわあ……」
「普段は何も考えないですけどね。流石に心が折れて帰ってきました。キューブはレアドロップなんで仕方ない」
「レアドロップだったんだ」
確かにスライムを倒すと、ゴミにしかならない葉っぱが一番落ちる。
しかしキューブもそこそこ落ちるので、特に意識した事はなかった。
「私行っても低階層のヒールベリー摘みメインで、スライムを相手にできれば十分なんです」
「失礼だけどそれでやっていける? パーティー内で揉めません?」
「私ソロなので」
「えっ、あ、珍しいですね?」
だって皆めんどくさいって結局来なかったもん。一人でやるしかないんだもん。
「天知さんはパーティー組んでるんですね」
「俺もソロです」
なんだソロ二人じゃん、と菜緒の目が半分になる。
やーいぼっち……私もだけど。
「でもスライムキューブってそんなに高くないですよね?」
買取額は一個につき1000円。予想よりは高いが超高額という訳ではない。
それにこの天知さんが必要としていたから、それこそ色をつけて買い取ってくれたのだろう。相場680円だったし。
「滅多に落ちない割に値段も低いので、必要な時に買えないんですよ。それよりは高い値がつく素材を皆持って帰るわけで」
「あ、そうか。容量の問題……」
「氷野森さんはヒールベリーの採取が主なんですね? で、途中出てくるスライムを倒すと」
「一回の探索で三十匹いかないと思います。×4回として、トータルで百二十は超えてると思いますけど」
「ちなみに種類は?」
「グリーンとブルーです」
むむ、と唸る天知の眉間に皺が寄る。
垂れ気味の三白眼の下にはくっきりとしたクマ。
眼鏡越しにも苦労が滲み、その悲しげな表情から親しみやすいとはお世辞にも言えないが、さっきの社長よりはまだ険のない顔。十分な睡眠を取ったら、多分普通のお兄さん。
「……わかり、ました。貴重な情報をありがとうございます」
「いえいえ、参考になればいいですけど」
「それじゃ、あの」
「大丈夫です」
この場合『不要』の意である。
「ちゃんとお金貯めてたので! それにさっきスライムキューブ買い取ってもらえたので、それで十分間に合います」
「……っ!」
妙に詰まった声を出し、口元を押さえた男の目が心なしか潤んでいる。
思わず凝視した菜緒に慌てたように手を振って、天知は明後日の方向を向いた。
「や、なんか昔を思い出して……すみません、年取ると涙腺に来るのかな」
「そんな大げさな」
「俺も初探索はびびりながらスライム潰してウルフから逃げ回って、ビッグボアに突進されてボロボロになったなって──」
今度は菜緒があらぬ方を向く番だった。
この人一度で五層まで攻略してる、生粋のエリート探索者じゃない。
予定通りワゴンのバッグを手に取った菜緒だが、レジに進むと社長が出てきて、強制的に違うバッグを持たされてしまった。
「ダンジョン素材を使ってる中では一番安いやつだ。それでも軽量の効果があるから一般用より持ち運びがうんと楽になる。手間かけさせた詫びだ、同じ値段で売ってやる」
「そんな、悪いですよ……ってすごい! 軽い!」
流石に申し訳なかったが、『社長の一存なので』と店員がレジを通してしまったため、ありがたく頂戴する事にした。
「社長さん、ありがとうございます!」
「いいってことよ。それにこれは投資ってやつだ。またスライムキューブがあれば引き取るぜ!」
「はい、落ちたらまた持ってきますね!」
なんて良い人なのだろう──人相は別として。
今日この店に来て本当に良かった、良き出会いに感謝。
浮かれた気分で振り向くと、何故かまだいるエリート探索者。
「本当に気にしなくていいので」
落ちた素材を売っただけだという主張を菜緒は曲げなかったが、相手もまた退かない。
どうしても礼をさせてくれと頭を下げる。物が駄目なら金、金が駄目なら物、話はいつまでもループし進展しない。
「どのお店のどんな品でもいいんです」
「あなたもしつこいですね」
店を出てもペコペコしながらついてくる。何事かと此方を向く人の視線が痛い痛い。いい加減にしてほしい。このままずっと付いてこられたらどうしよう。
通路を進んでいくと飲食店街に差し掛かり、両隣からいい匂いがしてくる。
開業初期はチェーン店や高級店ばかり並んでいたこのフロアも、時間の経過と共に様子が変わっていた。
客の需要に合わせ提供の早いラーメン屋、そばうどん屋、庶民的な定食屋なんかも並んでいて、付近の会社員もよく利用しているようだ。
今日は肉の気分だ。自然と肉系の店に目がいく。
牛丼おいしいけど、できればもう少しリッチなものを食べたい。
豚カツ……うーん、揚げ物の気分じゃないかも。牛カルビ定食、なかなか良いぞ。しゃぶしゃぶかぁ。もう少し濃い味が欲しいよね。
そんな事を考えながら歩いていると、通路に面した巨大パネルに霜降り肉の断面がこれでもかと表示される。
食欲に負けてついそれを凝視してしまい、慌てて視線を戻す。
到底手の届かない高級焼肉店だった。はい却下。
「……焼肉」
「はい?」
「焼肉なら、どうでしょう?」
──ゴクリ。
拒絶するべきだったのかもしれない。けれどカルビが、タンが、ハラミにロースホルモンめくるめく肉の宴が脳内を巡る。
「一緒に食べるのが嫌なら席別でもいいんで。俺に肉を奢らせてくださ……」
「しょーがないですねぇ~~~!」
食い気味の返事に眼鏡奥の目がパチパチしている。
とある食べ放題店を出禁になって以来半年ぶりの外焼肉。
肉に飢えていたのだ、許して欲しい。
「いらっしゃいませ──」
流石は経験豊富なプロ探索者、高級店の店構えにも動じない……というよりこれは、常連?
笑顔のウェイターに慣れた様子で人数を告げ、奥に案内されそうになり慌てて首をブンブン振っている。『個室はまずい』という発言から、ちゃんと配慮してくれているのだろう。まともな大人だ。菜緒の警戒度がちょっと下がった。
個室ではないけれど、視線が気にならないよう配慮された席につき、飲み物を聞かれる。少し迷ったがウーロン茶にした。
流石に初対面の相手とビールで乾杯、とはならない。相手もジンジャーエールを頼み、口を湿らせてから改めて名乗り、頭を下げ合う。
「天知開と申します。一応その、探索で生計を立てております」
「氷野森菜緒です。仕事が休みの日や早上がりにダンジョンに来てます。ライセンスを取って一ヶ月くらいです」
「ソロですよね? よく続いてますね……」
それは自分でもそう思う。
必要に迫られなければ、三日坊主どころか一日目で終わっていたかもしれない。今ならスライムを倒すのは楽しいし、ベリーも手早く摘むコツを覚えたが、最初は結構大変だった。
「性に合っていたのかもしれませんね。運動にもなりますし」
「怖くなかったですか?」
「一階層はスライムしか出てこないので。スライム棒でこう、ざくっと」
「初期スラってどんなでしたっけ? これくらい? もう大分忘れてるな……っと、焼きましょうか」
「はい!」
注文はお任せした。お財布の持ち主がお大尽様。
続々と運ばれてくる、大皿に乗った美しいお肉たち。
脂で光るつややかな表面に、うっすらタレを纏う姿がたまらない。焼かない状態でこれだ、網の上に乗せたらどうなってしまうのか!?
「じゃあ──」
「ちょっと待って下さい! 今何をしようと?」
「肉焼こうかなって」
「こんないいお肉なのにもったいないでしょー!」
激安食べ放題店なら限りある時間の中、コンロの火力を最大にしあらん限りの肉を焼き続ける必要があるが、ここは高級焼肉店。
美しく並べられた上タン塩様、上ネギタン塩様を前にその暴挙は許されない!
片手で大皿を持ち、首と一緒の角度で傾けている男から全力で皿を奪い取る。トングを使えトングを。
「いいですか、タンは一枚ずつ焼いて下さい」
「あ、はい」
「ネギタン塩は特に注意して。上のネギが溢れてはもったいないです。トングでこんなふうに挟んで片面ずつ焼いていきます」
「おお……なるほど……」
「食べ頃です! さあレモンをさっとかけて」
「いただきます」
ぱくり。
口に入れて──これは──脳天直撃の旨み!
奇しくも同じタイミングで口を押さえた二人は、無言で顔を見合わせ頷いた。
「おいしいぃぃ……!」
「この肉こんなにうまかったんですねぇ」
菜緒の脳裏に先ほどの冒涜的光景が巡る。あんな焼き方をしたらこのタンの絶妙な厚みも脂の旨みも端の香ばしさも飛んでしまう。二度と許さないからな。
「ネギ塩もいい感じです」
「ああどうも」
「網に乗せる時はそっとです。いいですよその調子!」
「氷野森さんも食べて」
「もちろんです! いただきます!」
脂もしっかりのった高級なタンは格別だ。
この旨み、この歯ごたえ。シャキシャキとしたネギにさっぱりレモン、王道の組み合わせだが間違いない、最高ー!
至福の時間を文字通り噛みしめ、超高速で手を動かす。
「天知さんこれ幾つ頼んだんです?」
「タンだから五皿くらいでいいかなって」
「確かに! 美味しいですもんね!」
タン好きとはまた話が合いそうな。もちろんカルビもハラミもロースもホルモンも肉が肉であるというだけで全部大好きな菜緒である。
思う存分タン塩ネギタン塩を堪能し、合間にやたらと美味いキムチやナムルを挟み、また次の肉がやってきた。
「カルビ! ハラミ!」
「これは一気に入れても……」
「駄目です」
もちろん最高のお肉を最高の状態で食べる指導はさせていただく。
それが肉に向き合う者の使命であり、他者の命を頂く人類の責務であるからして、何より美味しいものが食べたい。
コンロ全面を活用して焼き続け、食べ続ける。
しかし幾ら食べても皿は尽きず、天知もまたまったく顔色を変えずに肉を食べ続けている。
もちろん菜緒とて幾らでも食べられるが、流石に人の奢りで好き放題食べ散らかす訳にはという遠慮が──最初はあった。
しかし尽きることのない肉の攻勢に、その心は徐々に崩れ始める。
「このハラミやばくないですか」
「うん、うん」
「カルビ……だめだ、我慢できない! 白飯をください!」
「俺も頼もうっと」
途中網換えを三回挟み、とんでもない枚数の皿の肉を平らげた二人は、あたたかいお茶と共に口直しのゆずシャーベットをじっくりと味わっていた。
一時の狂乱が過ぎると、菜緒の頭には人の金で高い肉をたくさん食べてしまった罪悪感、自分と同じかそれ以上に食べる人間に出会えた驚き、そして未だ何のリアクションもない天知に対する『なんだろう、この人』という思いが巡る。
「すごくその……食べちゃいましたね」
「そうですか? まあ久しぶりのまともな食事だったから」
探索は深部になる程に過酷なものとなり、都合の良いセーフティーゾーンも無いため、常に動きながら携帯食を囓るのだと言う。
「それと魔力の使いすぎですね。枯渇するとマジックポーションじゃ回復しきらないんで。足りなくなると体から絞り出すのか、補給しないと腹が減って仕方が無い」
「魔力……」
魔法は呪文書が無ければ覚えられず、呪文書が落ちるのは中層以降。
一応売っているものもあるけれど、目が飛び出そうな高額な上、本人に魔力がないと無効であるという、一種博打のような代物である。
「天知さんは魔法が使えるんですね」
「幾つか覚えてはいますが、どちらかと言うとスキルを使う方が多いですね。魔力もそこまで多くないですよ」
「自分に魔力があるってどうやって調べるんですか?」
正面を向いた天知が、一瞬目を眇めるような仕草をした。
なんとなく落ち着かない気分になる。背中の産毛が逆立つような、独特の感覚。
「ランク更新時に管理局から知らされる事が多いですね。レベルを見る道具があるんですが、コストが高いので使用は限定されています」
「その前にお金を払って見てもらう人も……?」
「いるにはいます。極端な話、ライセンスを取る前に子供を連れてくる親もいるようで」
「なるほど」
魔力が多い、つまり魔法の才能がある事になるのか。
見込みのある子を優先的に鍛えるとか、色々ありそう。
「氷野森さんは魔力あると思いますよ」
「え?」
「なんとなくですが……多分?」
「え、ええ、ちょっと待ってください」
いきなりそんな事を言われても。
それに一階層オンリーの自分に魔力があってもしょうがないような。
「ポーションの効きが人より良かったりしませんか? ヒールベリーを食べた事は? あれにも少量魔力が含まれているので魔力持ちは好んで食べたがりますね」
「……っ」
心当たりは──ある。
腹が満たされたのか、眠そうな目で此方を見ている男は、きっとダンジョンやヒールベリーの事に詳しいはず。
言うべきか言わざるべきか。一瞬迷ったものの、知られて困る事でもない。大食いはもうバレてしまっているんだし──
残っていたお茶を一息に飲み干し、改めて相手に向き直る。
菜緒はうまい肉を奢ってくれた物知りお兄さんに、自分がダンジョンを探索する理由について話す事にした。