3.スライムキューブ
「本っっっ当に微妙だあ……」
帰宅して即風呂へ直行、ベッドに寝転んだ菜緒は、本日の成果3,800円を前に肩を落とす。
スライム七匹を討伐し、おそらくレベルアップもした。
ヒールベリーは用意した保存袋二つ分採取し、現金化にも成功。
しかし弁当代に電車代、レンタル代とポーション代、夕飯の支度がたまらなく面倒になり寄ってしまった定食代を合わせると、純粋な稼ぎは千円にも満たない。これでは子供の小遣いだ。
「あとはこの謎の金属」
スライムからドロップした草は、本当にただの草だった。
唯一まともな品かと期待した金属については、受付で『よくモンスターが落とす品ですね。くず扱いで値段はつきませんが、良かったら記念にどうぞ』とにこやかに突き返されてしまった。
「記念ねえ」
摘まんだ輪のサイズは小さく、指にあててもピンキーリングにしかならない。
試しに右の小指にはめてみる。不思議な光沢があるので見栄えは悪くないけれど、一切装飾がない、本当にただの輪っか。
「稼ぐのは諦めた方がいいのかも」
あのおばさんが言っていた二万円は、きっと朝一で行って大量に集め、重い荷物を背負い歩いて戻ってくる分の報酬で、自分のようなついで探索ではお小遣い分にしかならない。
だから皆続かないのか。納得だ。
休み一日潰してこれというのは、ポーションの効果を加味しても少々厳しい。
そして今日一日の経費の他、ライセンスに二万円かかっている事を忘れてはならない。元を取れるのはいつになることやら。
「でもお腹には効果あるんだよね」
ヒールベリーの効果は確かで、定食ごはんのおかわりも、なんと普通盛り二杯で済んだ。
菜緒にしては奇跡とも言える記録である。
「今のがなくなったら採りに行こう」
そう結論づけて目を閉じる。
疲れていつものように動画を見る気力もない。明日のシフトはよりにもよって早番だ。きっと辛い一日になるだろう。
翌日出勤した菜緒は、働き始めてすぐ体の軽さに気付いた。
例のステータスアップ効果だろうか? 身体能力の上昇はダンジョン内でしか効かないはず……それとも昨日の帰り際、慌てて飲んだポーションの効果が今頃に?
「菜緒ちゃん今日顔色いいね」
「そ、そうですか?」
言われて鏡を見れば心なしか肌つやもいいような。
その後も調子よく仕事をし、帰宅後もあまり疲れてない。
「絶対ポーションかヒールベリーでしょ」
運動不足な体であれだけ歩いたのに、筋肉痛すらないなんて。
調べてみるとポーション口コミは大変な事になっていた。殆ど万能薬の扱いで、細胞の回復力を高め疲労を解消、滋養強壮に肌ケア、その全てが煽り記事の如く褒め立てているから恐ろしい。
使用頻度の高い探索者界隈ではよく知られた効果であり、ライセンスを持つ人の中には仕事帰りにわざわざダンジョンに寄ってポーションを買い、飲む人もいるとか。
流石にないかと却下した『ポーションだけ飲み』を、堂々実行している人がいるという、なんとも言えぬむずむず感。
「ダンジョンダイエット?」
探索者の動画、コラムなど読むと、『ポーションの効果はダンジョン探索と併せてこそ』という主張がちらほらと。
身体能力は変わらないけれど、体の使い方が改善され、動きがスムーズになり、結果代謝が上がるという。
定期的なポーションの服用は病気予防にもなり、持病のある探索者がポーションを飲み続けた事で完治した例もあるとか。
「こういうのって誰が書いてるんだろ」
それが本当なら凄いし、値段以外良い事しかないけれど、過剰な文面でかえって胡散臭く見えるというのはあるかもしれない。
過去ダンジョントレーニング事業がコケた事もあり、ネットの反応を見ても思ったほど盛り上がってはいない感じ。
「まあ面倒は面倒だけど」
今日のメニューはオムライス。
前は味より量優先の、炊飯器に炒めた野菜とケチャップをぶち込み、卵焼きで覆っただけの雑オムライスだった。
今はちゃんとフライパンで丁寧に炒めたチキンライス、それを優しく卵で包み、見た目も綺麗な本物のオムライスが食べられる。
刻みキャベツと卵スープを添えて、ワンプレートで済む夕食──
「本当ヒールベリー様々だよ~」
いただきますと頬張って、しっかりと噛みしめる。
ちゃんと鶏肉が入ったオムライス、最高。焼きたて卵もしっとりで、バターの香りがする。文句なし、100点。
こうなると現金なもので、『続けてみようかな?』とすっかりその気であるから恐ろしい。
ライセンス取得から一ヶ月。
菜緒は毎週末ダンジョン活動、略して『ダン活』に励んでいた。
目的はヒールベリーなので、相変わらず活動域は一階層のみ。テクテク歩いてベリーを摘んで、また戻ってくるだけだが、これが結構楽しい。
最初の場所は人が多かったので、菜緒はマップを参考に都度場所を変えて探索してみる事にした。
ヒールベリー採取は行き帰りが面倒ではあるものの、気軽に始められるし需要も多いので何気に競争率が高い。
特に時間があって元気な高齢探索者に人気で、散歩ついでの小遣い稼ぎにグループで来ている人達が多かった。
着く頃にはあらかた摘まれていたり、そもそも小さな繁みだったり、近いけれど人が多すぎたりと、初めは中々思うように採取できなかった。
なのでベリー採取は必要な分だけ、スライム討伐でステータスアップを狙ったところ、偶然にも人の居ないベリー摘みの穴場を発見。
其処は片道四十分と近場だが、途中やたらとスライムが出る。
倒しても利のないスライムの相手が嫌で、他の人は近づかない。
つまり競争相手がいない。
おかげで毎回鈴生りのベリーを独り占めでき、自分の分を取り分けても、日に一万くらい稼げるようになっていた。それに──
「この感触、たまらないかも」
ぶすりと核を刺すと、薄緑色のスライムがとけていく。
握り部分に滑り止めを巻いたスライム棒は、レンタルではなく購入済み。
装備レンタルの代わりに月千円で専用ロッカーを契約し、着替えを入れていつでも気が向いた時に寄れるようにしている。
実はお値段2800円だったスライム棒。
購入希望を伝えると受付のお姉さんは変な顔をしていたが、慣れてしまえば杖にもなるし、中々便利な代物だ。
仕事を早上がりにして寄る日もあるほどに、菜緒はヒールベリー摘みとスライム潰しにはまっていた。
ほとんど何も落とさないと言われているスライム。
しかし例の金属片──なんとなく小指にはめたままだったアレを装備して倒すと、たまにキューブ状のやわらかい素材を落とす。
これは『スライムキューブ』というもので、調べてみると新素材の一種だった。
受付の買い取りは一つ300円と安いが、武器防具の店にまとめて持ち込めば多少色がつくとのこと。まとめてロッカーに入れてあるが、そのうち売りに行きたい。
「お金も貯まってきたし、そろそろ装備の一つくらい買ってもいいかも」
スライムを相手にしているだけなので、武器はスライム棒で十分。
防具も今のところ不満はなく、欲しいのは探索者用の軽量バッグ。
市販の物より丈夫で物が入り、値段は高いけれど店で買うと体に合わせ調整をしてくれる。素材の持ち運びに良いという口コミを見て欲しくなってしまった。
「また落ちた!」
濃い緑色のスライムキューブは、むにょむにょと癖になる感触で手遊びに丁度良い。
手のひらにのる三センチ角くらいのサイズ感。昔こういうおもちゃがあったような。
指で潰して拾い上げ、軽く土を払ってバックパックに入れる。ロッカーにある分はもう二十を超えていた筈で、今日はスライムがたくさん出たので良い具合だと思う。
「バッグ見るついでに持ち込んでみるか」
背にしっかりと感じる、ヒールベリーとスライムキューブの重み。
ベリーの報酬と食費が節約出来ているので、最近の食卓はややリッチだ。今日は何を食べようかと思うと、口元はニヤニヤ、つい足が速まる。
「久しぶりにお肉でも……っとスライム発見!」
考えずとも体が動く。
見つけて、近づいて、上からまっすぐ突き下ろす。
「また出ちゃった」
往復二時間弱の道のりもすっかり慣れた。いつの間にか随分と体力がついている。
ロッカーに探索装備を仕舞い、着替えを済ませ荷物を取り出す。
男性側は混んでいるが、女性更衣室は人が少ない。
更に契約ロッカーは奥の方なので、周囲を気にすること無く持ち帰り分のヒールベリーと、スライムキューブを仕事用のバッグに移し替えた。
お目当ての武器防具店は別フロア。有名ブランド店の洗練されたディスプレイに混じり、ショーウィンドウに並ぶ無骨な装備を何人もの人がガラス越しに見て騒いでいる。入場にライセンスが必要なダンジョン受付と違い、此処にいるのは探索者だけではない。
そんな見物人の間を縫って店に入ると、入り口でライセンス証の提示を求められた。
防具はともかく武器を購入するには必須とのこと。見せるとあっさり通された。
最低ランクである『F』の文字がちょっと恥ずかしい。辿り着いた階層ごとに色分けされ、B以上はダンジョン局で記録されるような功績がなければ上がれない。Cで銅、Bで銀、Aが金色でSがオーロラだったような。おそらく一生縁が無い世界なのでどうでもいいけど。
売れ筋なのかワゴンに並べられたバッグを手に取りかけ、ふと店内を見渡す。
店内はレジと買い取りカウンターが、隣同士ながら別れている作りだったので、先に買い取ってもらった方が良さそうだ。今も手に素材らしき物を持った人が列を作り、店員が忙しく立ち働いていた。
素材はどれも初めて見る物で、店員がそれを計ったりライトを当てたりタグを打ったりしている。
物珍しさに眺めていると、視線を感じたのでそっと列の最後に並ぶ。
店員含め店にいるのは殆ど男性で、連れもいない菜緒は少し目立っている。やはりダンジョン関係者の男女比は偏りがあるのだろう。
「次の方どうぞ」
列が一歩進む。
買い取り専用カゴなるものが用意されていたが、一抱えもあるサイズでかえって邪魔になりそうだ。
片手で持てる量なので、バッグの中の位置を確かめて、もう一度前を向く。
更衣室で数えてみたらスライムキューブは二十七個あった。
一つ300円としても8,100円、軽量バッグが27,800円。今週は二日通い、ヒールベリーの売却額が合計22,000円。お財布にある分で十分間に合う。
「次の方ー」
ダンジョン一回にかかる費用も初回より減っている。レンタルなしで入場だけならタダだし、ロッカー代金は月額千円と格安だ。
最初は気合いを入れて巨大おにぎりを作ったが、ヒールベリーのおかげで普通サイズのおにぎりやサンドイッチで十分お腹はもってくれる。怪我をした時のためのポーションだけは欠かさずに、しかしロッカーに入れておけば割と長持ちする事を発見したので、探索二回につき一回の購入で間に合わせている。
「……へへ」
節約生活が順調すぎる。
休みの日までダン活、しかしやってみると意外に楽しい。
ポーション効果で疲れも残らず、肌も髪もツヤツヤ。お客様に化粧品を聞かれ、プチプラ名を答えては若さを羨ましがられる日々。本当はダン活なんです、なんて言える筈もなく。
こんなに何もかも上手くいって良いのだろうか?
そんな浮かれた気持ちで順番を待っていた菜緒は、突如響き渡る野太い怒声に驚き、文字通り飛び上がった。
「ふざけんじゃねえ! そんなもんすぐに用意出来るわけねえだろ毎度毎度無茶ばかり言いやがって!」
「金なら出す」
「馬鹿野郎金の問題じゃねえんだよッ!」
レジと買い取りともう一つ、受け取りのカウンターがあり、スキンヘッド・髭・サングラスの強面三点セットを備えた大男が客に向かってキレ散らかしている。
探索者らしき男性はよほど鈍いのか、ぼそぼそとした声で『必要だから』『なんとか頼む』と追い打ちをかけていて、見ているだけで心臓が痛い。
「できねえっつってんだろ!」
緊迫した店内の空気にヒエエと息をのむが、客はともかく店員に動じる様子はない。
見れば大男の胸には『店長』のタグがあり、革の前掛けをしているので、おそらくはそういう事なのだろう。職人というのは頑固であると相場が決まっている。
「はい次の方どうぞー。すみませんね、お騒がせして」
「い、いえ」
代金を受け取りそそくさと去って行く客たち。
先達を見習い、さっさと用事を済ますべく、菜緒も袋に入れたスライムキューブを取り出す。
「これなんですけど、売り物になります?」
「えっ?」
何その反応。
袋を見るなり店員は固まり、伸ばしかけていた手を止めた。
背にじわりと汗がにじむ。もしかしてやっちゃった? 買い取り不可? せっかく集めたのに! 一階層のスライムからドロップする品はやっぱりゴミでしかないのか。
「すみません、失礼しました」
「待ってくれ!」
袋を引っ込めようとすると、横から伸びてきた手がばん、とカウンターを叩く。
いきなり何!? 怖っ!
「それスライムキューブでっ……すよね?」
「は、はい」
不自然に詰まった語尾から無理矢理敬語に繋げたようなぎこちなさ。
恐る恐る横を向くと、先ほど店長に怒鳴られていた客が目をひん剥いて此方を見ていた。
「それ俺に売って下さいお願いします!」
「ひぃっ!?」
怖い怖い怖い、何なのこの人。私絡まれてる?
隣でやいやいやられる分にはまあ私には関係ないのでご自由にどうぞだったが、こっちまで害が及ぶとなると話は別だ。誰か警備の人呼んでー。
店員に必死で目配せするも、何故か静観の構え。どうして!? 仕事しましょうよ、カウンター下にあるだろう警報器を速やかに押すだけですよ!
「すみません私買い取りに来ただけなので」
さりげなく視線を下に、できるだけ早口でそう言うと、例のぼそぼそした口調で『あっ』『駄目だ俺』と聞こえてくる。分かってるなら退いて欲しい。
「突然話しかけたりしてすみません。今相談中の装備に使う素材がその、あなたの持ち込んだスライムキューブで、ええと、仕入れがないから無理だと言われていたのでつい……」
「売れるんですかこれ?」
「売れます売れます!」
超高速で店員が頷く。何故このタイミングで。もっと早く会話に参加して欲しかった。
「どうしても必要なんです。金なら出します、まとめて俺に売ってくれませんか!?」
そんなことよく店員の前で言えるな!?
懐から取り出された札束に、堪えきれなくなった菜緒は『怖い怖い!』と叫んだ。
「私はただ落ちた素材を売りに来ただけなんです! 欲しい装備も初心者用で! お金は普通でいいんですうううう!」
「スライムキューブの相場は現在このようになっておりまして、今回お客様にはまとめてお売り頂けるということで……一つ1000円の買い取り、合計27,000円となりますがよろしいでしょうか?」
「お願いします」
もう幾らでも何でもいいという気持ちだった。
変な人とは関わらない。上京時に両親と兄と姉から散々言い聞かせられた。危ない人にも場所にも近づいてはいけないと。
横からの強烈な視線を感じつつ、精算を済ませる。買い取り票と現金を握り締め、くるりと後ろを向いた菜緒は可能な限りの早足で抜けだそうとした。
「じゃ、そういうことで」
ポケットからフランクに札束出す人と関わりたくない。
絶対ヤバい。菜緒の危ない人センサーにガンガン引っかかってくる。
しかし直線の筈の進路を巨大な壁が遮った。
見上げると筋骨隆々としたスキンヘッドの大男が腕を広げて立ちはだかり、妨害してくる。今度こそ通報! 通報! の文字が頭を巡るが、そもそもこの人が店長だった。あああ。
「なななななんですかわわわ私をどうするつもりで」
「まあ落ち着け」
男が胸ポケットを探り、指を突き出したので怯えたが、差し出されたのは名刺だった。
「ダンジョン探索用の武器防具を扱う商会の社長をやってる狭間ってモンだ。よろしく」
「は、はあ……どうも、ご丁寧に」
就活で必死に覚えた名刺受け取りのマナー。その後就職した会社が潰れ三ヶ月で元のドラッグストアに舞い戻ったせいでいまいち自信がない。字に指がかからないように、だったっけ?
「初心者であれだけキューブ集めるなんて大したもんだ。ありゃ滅多に出ねえ代物でな、数揃えんのが大変なのよ。たくさん持ってきてくれてありがとな」
「あ、はい」
え、優しい。
見た目に合わぬソフトな口調。
また声が深みのある低音美声で、素直に頷きたくなるような。
顔を見れば前科十犯という風情だが、不思議な事にそれも段々貫禄に見えてくる。
「そっちはウチの上得意なんだが、毎度要求が無茶でむかつくクソ客でもある。まあその分強ぇし稼ぐし、装備の事も詳しいからよ、あんた相談に乗ってもらったら」
「結構です」
カウンターバン、札束ドン、絶対ヤバい人でしょ。関わりたくない。
菜緒の不信感いっぱいの眼差しは、ヤクザ顔の社長に平然と受け流される。
「まあそう言わずに。こう見えて経験豊富だぞ?」
「欲しいのは軽量バッグだけなんです。装備なんて大げさなものじゃ」
「そこのワゴンのやつか? 安モンだ。キューブの礼にもっと良い物あいつに買わせてやる」
「ええ……」
お店の品でしょうにと呟くと、『ははっ、違ぇねえ!』と笑っている。
顔は怖いのに人好きのするリアクションで、中々会話を打ち切れない。
「じゃあ……」
のらりくらりと躱されて、いつの間にか店内を見て回る事になっていた。
いかにも渋々といった様子の菜緒に、情けなく眉を垂れた男が頭を下げる。
「すみません。本当に助かったので、せめてお礼をさせてください」
「自分で買いますけど、はい。よろしくお願いします」