13.研究所
ビルや倉庫が建ち並ぶ湾岸エリアの中でも、ひときわ広い区画に建つ四角い建物。
前面ガラス張りのいかにもな佇まいに圧倒され、今更ながら緊張を覚えた菜緒は、手にしたバッグの紐を意味も無くいじり回す。
事前に聞いていた通りゲートのチェックは厳重で、一人で来ていたら辿り着けていたかも怪しい。
一つ目のゲートは無人で開閉するタイプ、二つ目と三つ目は有人だった。
最後のゲートなんて制服を着た男性が二人も出てきた。一人が運転席側で訪問時間と照らし合わせ、もう一人が車内の人数を確認、その上でゲートを開く厳重さ。
「すごい警備」
「ダンジョン関連の技術は現在最も競争が激しい分野で、世界中から産業スパイが集まってきますから」
「それ逆に二人で大丈夫なんですか?」
「今は見て分かるようなセキュリティは敷かないんじゃないのかな。人を増やせばそれだけ危険も増えますし」
「なるほど……?」
店舗の防犯とは規模や意識が違うようだ。
建物の中も同様で、入り口は完璧に自動化されていた。
案内は自動音声付きのAIロボット。
何度も来ているらしい天知は、慣れた様子でモニターを操作する。
駆動音を響かせ表示された地図通りに進むロボットについていくと、長い廊下の先に区切られた幾つものフロアと、ガラスの扉が並んでいた。
机が並ぶオフィスのような部屋もあれば、用途不明の巨大な装置や観察器具の並ぶ部屋もある。
意外だったのはそこで働く人の服装。
皆が白衣を着ているわけではないらしい。見た感じ作業着が一番多く、中には私服っぽい人もちらほらと。
珍しい景色に夢中になっていると、前を行く案内ロボットが停止し、二人はそこで足を止めた。
「初めまして、ダンジョン解析技術部の佐伯と申します」
そう言って頭を下げた作業服姿の男性は、菜緒を見て穏やかに笑った。
「お呼び立てして申し訳ありません」
「いえ、こちらこそお世話になります。氷野森と申します」
三十代くらいだろうか。
ハーフリムの眼鏡をかけた、一見落ち着いた雰囲気の真面目そうな人。
「お会い出来て光栄です。貴重な品を見せていただきありがとうございます! いやあ、あれはすごい品ですね」
「は、はあ」
「これまでの概念を覆す大発見となるでしょう」
しかしダンジョンの話をする彼の目はキラキラと輝き、その声はまるで少年のように弾んでいた。
「ダンジョンの研究をされているんですか?」
「ええ、元々地方の支部にいたんです。これが出張所みたいなプレハブ小屋で」
そう言って目を細め、初期の大騒動を懐かしそうに語る。
「ダンジョンが出現した当時はそれはもう興奮しましてね。上にやらせてくれって直談判して無理矢理研究室を立ち上げたんですよ」
探索者と交渉し、手に入れた物を見せてもらう。
許可を得て解析をし、記録する。
できるだけ多くのサンプルを欲していたが、当時はまだ法が整備されていなかった事含め、かなりギリギリの行為だったという。
「おかげで他に先んじてデータが集まりまして。ようやく会社も重い腰を上げ、部門設立に許可が下りたわけです」
ダンジョン関係の品は取り扱いが難しい。
ダンジョン内と地上で解析結果が違う、持ち出すと構成が変わる、従来の方法では加工はおろか傷一つ付けられぬと、これまでの常識が通じない。
「ダンジョンの物を分析器にかけて装置が壊れるなんて日常茶飯事ですからねぇ。上司も同期も耐えられないと言って次々辞めていきました。上に結果を出せとせっつかれるのが辛かったのでしょう、私にとっては予算をもぎ取るチャンスでしたが、はは」
「ハハ……」
つまりこの一見穏やかな紳士は何億もする高価な装置や設備をぶっ壊しても、経営陣の圧に屈せずむしろ堂々と予算をもぎ取る神経の持ち主という事になる。
人は見た目によらないものと、心から感心する菜緒であった。
「天知さんとは長い付き合いでして。色々お世話になってます」
「それはまあ、お互い様という事で」
頭を下げ合う大人を生暖かい目で見ていると、他にも知った名前が出てきた。
聞けば狭間商会とも取引があるらしく、菜緒が回収したドロップ品の一部も此処に持ち込まれていた。
体毛色の違うグラスウルフの毛皮の耐久性について一通り説明を受けたが、装備関係に興味の薄い菜緒は愛想笑いを浮かべ、相づちをうつのが精一杯。
「どうぞこちらへ」
「お邪魔しま~す……」
無事顔合わせを済ませ、早速交渉かと意気込んだが、菜緒がまず通されたのは『解析室』と書かれた部屋だった。
「私達の仕事内容と、例のリングについて説明させてください」
「リング、はい、ええと」
「氷野森さんはダンジョン探索を始めて間もないと聞きました。ダンジョンから出る品は、一体何が貴重なのか。その辺りを知っておくと後々便利ですよ」
佐伯氏は天知同様、菜緒自身がリングの重要性を理解すべきと思っているようだ。
ポッと出の素人が偶然拾った品なのに、買い叩きもせず、随分と丁重な扱いである。
「ダンジョンから持ち込まれる物品は、まず鑑定にかけられます。これもまたダンジョンから出る品で、我々は未だその原理すら解き明かせないわけですが、そう……『鑑定道具』が存在するのです」
「はい」
ダンジョンの謎を現代知識で解く事は不可能。
ならばダンジョンの中から考察しよう、という向きは初期から出ていて、中階層で見られる遺跡のような人工物に調査団が向かったとか、そういうニュースをテレビで見たことがある。
結局文字は発見されず、現地ではモンスターに襲われ……いつの間にか見なくなった。あの時の調査隊、どうなったんだろう?
「我々の仕事はダンジョンから出る品がどんな物か、何で構成されているか、様々な効果を含め見定め、記録する事です。そして可能であればその仕組みを解き明かす事。これが難しいのですが」
ダンジョンが現れて間もない頃は科学的な解析、つまり現代科学の尺度でダンジョンを理解しようとしていたが、現在では不可能とされている。
物質の構成そのものが地上とは明らかに違うのだ。
またダンジョンの内と外で観測結果が変わる、地上の方法では検出できない等の問題があり、ダンジョン研究は学会において特殊な位置にある。
「ダンジョンから得た鑑定道具、その一部です」
台の上に所狭しと並ぶ器具や装置の中には、少々不自然な物が混じる。
鈍色の金属の容れ物、花の形に加工された宝石のネックレス、それに以前天知が見せてくれたものに似た拡大鏡。
「これは物を入れると水が涌き、水面に文字が映し出されるタイプの鑑定道具。こちらは首にかけて対象を見る道具です。このルーペタイプの物が一番よく出ますね、携帯しやすく扱いも手軽です」
試しにダンジョン産の品を幾つか見せてもらった。
確かにちゃんと文字や数字が見える。
「物により情報量に差があります。この中では水面鏡タイプのものが一番高機能で、次にネックレス、ルーペの順。中には名称しか分からないなんてものも……それぞれダンジョン内エネルギー、つまり魔石を消費します」
道具についている飾り、宝石は全て魔石である。
使用できる範囲はダンジョン内かゲート付近に限られる。
「これも地上では使えないですよね?」
「ええ。他の道具と同じように」
「今見えてますけど……」
「もちろん。ここにもダンジョンがありますから」
「あっ」
基本的な事を忘れていた。もちろんあるに決まってる。
というよりダンジョンが発生した地点は問答無用で建造物で覆われ、後から役割を当てはめていったと言う方が正しい。
ダンジョンゲートとして解放されるものもあれば、企業が所有するものもある。
ここは実験に丁度良い、比較的浅いダンジョンなのだそうだ。
「ここは地下にゲートがあるのです。こういった道具はもちろん、ポーション類も建物内なら問題なく使えます」
「使える範囲ってどのくらいです?」
以前ヒールベリーを駐車場で食べさせられたという、竹下さんの事を思い出す。
あれはギリギリ効果範囲ってこと? 駐車場……用事がないから行った事ないや。
「新宿ダンジョンで言うとビル内くらいならいけます。出てしまうと駄目ですね」
「なるほど……」
リングに重なって見えた、『幸運Lv.1』の文字。
あれはダンジョンの近くだから見えたのだ。
「情報の量や精度は道具によりますね。試しにそのネックレスをかけて、私と天知さんを見比べてください」
「物でなくても出るんですね……っ!?」
軽い気持ちで顔を上げた菜緒は、思わず息を飲んだ。
そこにあるのは文字ではなかった。
強いて言うなら色の付いた膜。
佐伯のそれは淡い水色が体全体を覆っている程度だが、天知のそれは極彩色のグラデーション。
しかも何重にもなって見え、サイケデリックな色彩にクラクラする。
「どうです?」
「……目がチカチカします」
「おお、氷野森さんははっきり見える質ですね」
鑑定対象を人間にすると、色で見える事が多い。
なお見え方には個人差があり、見えない人間もいるそうだ。魔力の有無が関係しているという説があるが、確かな事は不明。
「纏う色の強さ、範囲は魔力やスキルに比例すると言われています。私はダンジョンに出入りしていますが、それは研究のためであって探索はしません。天知さんは日本でもトップクラスの探索者ですから、比べるととてもわかりやすいでしょう?」
「天知さん、ギラギラ」
「恐れ入ります」
謎の返答と共に一礼した男が、外せというジェスチャーをする。
ネックレスを返してほっと一息。こんなものを着けて人と会ったら……
「人は情報量が桁違いに多いので、普通の鑑定道具はわざとこのような見え方になっている、というのが我々の仮説です。高性能の鑑定道具を使えば文字や数値で読めるのですが、数が少ない上、読み取る方も一苦労で」
鑑定道具が対象の情報を読み取る仕組みは、未だ解明されていない。
更に『文字が歪む、泳ぐ』という如何ともしがたい現象のせいで、使用者の負担が大きく連続しては使えない。物理現象ではないので記録も無理。今のところ肉眼で読み取るしか方法はないそうだ。
「道具自体が大がかりで、魔石の消費も激しい。実用的でない訳です」
人の鑑定──魔力量や魔法適性を見る場合、貴重な高機能鑑定道具を使い、泳ぐ文字を読み取れる人間に依頼し、更に魔石を消費して見る、と複雑な手順が要る。
人物鑑定が高額になるはずだ。
「こちらを踏まえて再度、氷野森さんのリングを鑑定してみましょう」
「あっ、はい」
天知がケースからリングを取り出し、そっと金属の容れ物に入れる。
一体どういう仕組みなのか……見る間に水が湧き出し、丁度縁ぴったりの所まで満ちると、水面に文字が浮かび上がった。
祝福の環
幸運Lv.1
補正値 ×1.5
「『祝福の環』……?」
「見ての通り、既存のラッキーリングとは完全に別物です」
資料で見せてもらったラッキーリングは、謎の意匠が刻印された幅広の指輪だった。
こっちはただのショボい金属の輪で、見た目からして違うのだが……こうもはっきり違いを突きつけられると、流石に緊張する。
「間違いなく未発見のアイテムです! しかもレベル表記あり、レアな補正付き!」
かなりの興奮度合いだが、その重要性がいまいちピンとこない菜緒は、違う所が気になった。
「補正というのは?」
「ラッキーリングに限らず大抵の装備品は+の固定値なんです。これまで+5、+10、+20、+30の数値が確認されています。ですが稀にこのタイプの補正があり、その殆どが深層のレアドロップですから当然値段も跳ね上がる。加えてこの『Lv.1』表記! これはもう、ダンジョン発見以来の大発見と言っても過言では──」
「おおう」
──覚悟はしてきたけど、思ったより大事になってない?
水に浮かぶ文字を怖々眺めた菜緒は、天知の後ろに位置取りぶつぶつと文句を言った。
「ちょっと。話が違うじゃないですか」
「ああいや、価格は交渉次第という事で……」
「億でも手に負えないのに、跳ね上がられたら困るんですけど」
小声で『なんとかしてください』と言えば、天知は困ったように頬を掻く。
「レベルの存在を伏せる事は難しいかと」
ダンジョンでモンスターを倒せば強くなる。
能力値は上昇する。
レベルの存在は以前から言われていたが、目に見える形では確認できなかった。
それがこの発見を機に変わるかもしれない。
「発見者は貴方ですから」
「うええ……」
お金はあるに越したことはないが、発見だ何だと目立つのは困る。
ダンジョン関係の発見は日本だけでなく世界も注目している。
新しい階層やアイテムが発見される度大騒ぎなのだ。
特に発見者の正体には皆興味津々。莫大な報酬の使い道はとか、急に親戚が増えたり、寄付だの嫉妬だの二匹目三匹目のドジョウを狙うたちの悪い輩につきまとわれるなど、ろくな事がない。
「今からでも天知さんが見つけた事になりませんか?」
「なりませんねえ」
「元々有名人だし誤差で済みますって! これまでだって大発見の一つや二つしてるでしょう?」
「俺は主に階層攻略で、そっちは専門外です」
「……薄情者」
ぼそりと呟くと苦笑いが返ってきた。
「金は持っておいて損はないです。装備や呪文書を買えばあっという間になくなります」
「深く潜る予定ないので」
「ですが……もったいない」
ベリー摘みで十分だと言っているのに。
そこそこの魔力を惜しんでいるのか、天知はよりディープな探索に誘おうとする。
しかし菜緒にやる気はない。探索はまあまあ楽しいけれど、趣味程度で十分と考えている。専業になるつもりもない。
「この『祝福の環』の効果は元の数値の1.5倍、つまり元々の幸運の値が高い方ほど効果を発揮し」
そんな二人の攻防にも、佐伯は気付かず語りに夢中だ。
会話が途切れた丁度そのタイミングで、満面の笑みを浮かべた佐伯と目が合う。ひええ。
「ドロップ率とその内容に幸運値が関係する事は、これまでの検証でも明らかで──つまり氷野森さんがこの『祝福の環』を見つけたのは、偶然ではないのです!」
「え? あ、はい」
やばい、聞いてなかった。
ドロップがナニ? 幸運値?
「数ある能力値の中、幸運だけは成長も変動もしない。正真正銘生まれもっての才能です。高い魔力と魔法適正はもちろんのこと、この部分だけでも貴方は貴重な存在なのです! 是非その力を今後のダンジョン攻略に役立ててみませんか!? そして是非研究にご協力を」
「何の話ですかそれ」