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12.トラウマ

 メタリックな光を反射する車体が、風を巻き上げて去って行く。

 時刻を確認すればまだ十分ほど余裕がある。予定通りだ。一つ頷いて、菜緒は歩き出した。

 自分以外誰もいないホームに、コツコツと足音が響く。

 普段なら仕事かダンジョンに潜っている時間帯。空のベンチの横を通り過ぎながら、右手小指にあるつるりとした感触に触れる。

 過去数ヶ月間だけの勤め人ではあったが、それでも普段の仕事着やダンジョンに着ていくジャージが場に相応しくない事くらいは分かる。

 クローゼットを引っかき回し、どうにかそれらしい物を見繕ってはみたものの、正解がわからない。

 スーツでガチガチに固めるのも何か違う気がする。今日の菜緒は会社員ではなく探索者なのだ。話だけで終わらず、実演してと言われた時にワンピースやスカートでは動きに支障がありそう……考えすぎだろうか?

 結局無難に襟付きのトップスと、ワイドパンツに落ち着いた。

 メイクも普段よりは気合いを入れ、しかし友人と出かける時程には遊ばない。

 こういう時は美醜よりも、きちんとして見える事が大事なのだ。頼りになる仲介人がいるとは言え、売買交渉という重ためな要件である以上隙は見せられない。交渉相手に舐められない為にも、可能な限り取り繕っていきたい。

 下りたことのない駅は景色も新鮮だ。

 仕事場に行くにもダンジョンに行くにも、普段乗降人数の多い駅ばかり利用しているせいか、この人気の無さが落ち着かない。

 改札を出てエスカレーターに足を乗せてからも、本当に此処で合っているのかと不安だった。




「いた!」

 道路脇に停められた車を見た菜緒は、思わず小走りになる。

 迫り来る気配に気付いたのか、運転席で端末を弄っていた天知が顔を上げた。

 手を振る菜緒を見て固まったのが気になるが、とりあえず頭を下げておく。

「すみません、お待たせしました」

「ああ……いえ……」

「天知さん?」

「は、はい。どうぞ」

「失礼します」

 助手席に荷物が見えた。

 という事は後ろに乗れという事なのだろうと、勝手に判断して後部座席のドアを開ける。

「お疲れ様です。わざわざ迎えに来ていただいてすみません」

「こちらこそ……あ、ええと、貴重な休日に申し訳ない、です」

 挨拶もそこそこに走り出した車は、すぐにその先の信号で止まった。

 スムーズに合流出来たこと、知っている相手に出会えた安心感。

 またそれまで結構な頻度でメッセージを送り合っていたため、その空気のままテンション高く話しかけてしまった。

「たまにはダンジョン以外のお出かけもいいなって思っていたので。それに天知さんだって忙しいじゃないですか。お互い様という事で、今日はよろしくお願いします」

「……ハイ」

 声ちっっっさ。

 気のせいかと思い天知を見るが、ミラー越しにも、話しかけても、どうしてもこっちに視線が向かない。いつにも増して目が合わない。

「いただいた書類一応全部読んだんですけど、分からない所があって」

「はい」

「『リング取得時の状況』ってあるじゃないですか。前に説明したのが全てというか」

「はい」

「調べたんですが、私が見る限りは載って無くて。スライムの種類って色以外で見分けつく方法あります?」

「はい」

 気のせいだろうか。さっきから『はい』しか聞こえないような。

「おーい」

「はい」

 いよいよかみ合わない会話を余所に、車はビルと倉庫が建ち並ぶ工業地帯を疾走する。

 道行きは順調で、このままだとすぐ着いてしまいそうだ。

 打ち合わせもアドバイスも心構えもなし、いきなり本番はちょっと厳しい。

 どうしたものかと悩んでいると、前方に見慣れた青色のロゴ看板が現れた。信号待ちを見計らい、声をかける。

「すみません!」

「はいっ!?」

「間に合いそうだったらでいいんですけど、コンビニ寄ってもらえませんか」

「わ、わかりました」

 幸いな事にビルインではなくロードサイト型店舗。

 駐車場には何台か車が停まっている。ここなら問題ない筈だ。

「ちょっと行ってきます」

 言い置いて、コンビニに入る。

 飲料コーナーで少し迷ったが、食後にコーヒーを頼んでいた記憶があるので、多分大丈夫だろう。

 会計を済ませ車に戻ると、天知はまだハンドルを握ったまま、ぼんやりと遠くを見ていた。

「はい、どうぞ」

「わっ!?」

 車に乗り込み、後部座席からカフェオレを渡す。

 わざと掠めるようにした容器が首筋にあたった瞬間、裏返った悲鳴が上がる。

「あ、す、すみません……」

 汗ばむ陽気に、よく冷えた甘いカフェオレが心地よい。

 無言で吸い上げる菜緒と、ミラー越しだがようやく此方を向いた男の視線が、かち合った瞬間またもや逸れる。

「あの」

 出かけた言葉を飲み込んだのは、その表情や顔色がただならぬものであったから。

 初対面からおかしな人だったけれど、ここまで取り乱すのを見たのは初めてだ。

「コーヒー、駄目じゃないですよね?」

「……うん」

「カフェオレおいしいですよ。飲んでください」

 その目が手にあるものを見る。

 ふは、と息を吐き出した天知は、緩慢な仕草でストローを刺し、口に含んだ。




 少し風が出てきたようだ。

 行き来する人の服が風に煽られ、膨らんだりしぼんだりしている。レジ袋を手にした作業服姿の男性が眩しげに目を細め、首のタオルを取って仰いでいた。

「すみません」

 ぼそぼそとした声に顔を向けると、とうに飲み終わって容器を手にした天知が、申し訳なさそうにしていた。

「大丈夫……じゃなさそうですね。約束の時間は」

「それは、まだ、はい」

 告げられた時間にはまだ四十分近く余裕がある。菜緒以上に待ち合わせは早めに着くタイプらしい。

「体調が悪いようなら、無理せず別の日にしませんか?」

 カフェオレ一本分の時間で、この顔色が果たして落ち着くものなのか。

 心配ではあるものの、根掘り葉掘り聞き出すのもという感じがして、なんというか──悩む。

「体調に問題はないです」

「その顔で言われても」

「そうではなく……っ」

 おそらく振り返りかけたのだと思う。

 ヘッドレストに擦れたのか、クセの付いた後頭部を見ていた菜緒と、丁度目が合う。

 中途半端な体勢で固まった天知が、ぎこちない動きでまた戻っていく。

「──え」

 もしかしてコレ、私のせい?

「天知さん?」

 呼びかけると、びくりとその肩が震えた。

 多分当たっている。しかしどう指摘したものか。

「すみません、氷野森さんが」

「はい」

「氷野森さんを、見ていると」

「ええ」

 何度も息を飲み込み、掠れた声で繰り返す。

 その様子がいかにも辛そうで、こっちまで苦しくなってきた頃、予想だにしなかった言葉が耳に飛び込んできた。

「今日はとても……お綺麗にされていたので……」

「ぇえ!?」

 いきなり何を言い出すのこの人。

 しかし焦る菜緒を余所に、天知は震える手で口元を覆うなどし、そこに浮ついた空気は微塵もない。

「どうしても、苦手で」

「私?」

「いえ! そうではなく、あの、女性が……」

 背を丸め身を縮め、絞り出すように告げる言葉の悲壮感たるや、思わず姿勢を正してしまった。




 天知が所属していた学生パーティー『Quad』が、解散にまで至った過去のトラブル。

 ネットに書かれてた事が全てではないだろう。

 しかし天知自身が事実だと肯定している。

「よくない別れ方をしてしまったもので」

 友人に恋人を奪われるという事件が、どれほどの傷を彼に刻んだのかは分からない。

 彼等はパーティーだった。同時に二人の人間に、それも信じていた仲間に裏切られたのなら、トラウマの一つや二つあってもおかしくない。

「女性らしい格好で、メイクもされていて、そういう女性を前にすると、頭が真っ白になってしまって……」

 そうハンドルに凭れながら呟く。

「これまでは平気でしたよね?」

 苦しんでいる人に申し訳ないが、こっちだって色々気になる箇所がある。

「初対面であんなに堂々と横から話しかけてきたじゃないですか」

「その節は大変申し訳なく」

「対面で食事もしたし」

 焼肉、寿司、ラーメン……はちょっと違うか。

 あの時はカウンターで横並びだった。

 でも距離自体は結構近く、だからこそ苦手意識を持たれている事に気付かなかった。

「私のこと抱えて走ってたのに、女性が苦手って」

「面目ない」

 確かに菜緒の探索スタイルは実用一辺倒。

 だって体を張るダンジョンで服装を気にする余裕はない。

 どうせ運動して汗を掻くから時間をかけてメイクしても無駄、風魔法で髪が乱れまくるので帽子は必須。

 動きやすい服装でなければ複数のモンスター相手に立ち回れない。

「これでも一応悩みはしたんです。初対面の女性に声をかけるなんて、俺にはハードルが高すぎて」

 結構ぐいぐい来られた記憶があるが、天知的には大層勇気が要ったらしい。

 初対面の印象は完全に不審者。

 あれがハードルを越えようとした努力だとすれば、とびきりすっぽ抜けた跳躍である。

「どうしても欲しかった素材が目の前にあって、正気が吹き飛んだんでしょうね。気がついたら話しかけてました。それに氷野森さんは俺を知らないようでしたし……」

「知ってたら駄目なんですか?」

「騒がれるのはちょっと」

 天知自身の魅力についてはさておき、Sランク、高所得、独身の肩書きに寄ってくる女性は多いらしい。

 おまけに例の件が知れ渡り、『私なら貴方を悲しませない』と恋人に名乗りを上げる女性が一定数湧くそうだ。地獄である。何故わざわざトラウマをほじくり返すような真似を。

「女性全般駄目な訳ではなく、子供さんや年配の方、仕事で知り合った人なんかは平気です。受付の方も、なるべく目を合わせないようにすれば、なんとか」

「あー……」

 確かに受付、綺麗なお姉さん率高いかも。

 企業の受付嬢に負けない可愛い制服がよもや、こんな所で地味なダメージを与えていたとは。

「つまり私がよそいきだったせいで?」

「はい……」

「いやでも流石に余所へお邪魔する時にあの格好は無理」

 勘弁してくださいという感じである。こっちが非常識扱いされてしまう。

「そもそも天知さんだっていつもの全身真っ黒スーツじゃなく、ちゃんとしたスーツじゃないですか」

「はあ」

「私だって同じですよ。相手方に失礼のないようちゃんとした格好をしているだけです」

「そ、そうですよね!」

 普段は良くて今の菜緒が駄目な理由は、服装とメイク。

 いつもは意識して平静を保っているが、近くに来られるとよくない。

 うん、面倒くさい。

「なるべく私を見ないようにするか、慣れるしかないのでは?」

「慣れる……かな」

「見た目がちょっと変わっただけで中身は同じです。化粧じゃなくて仮装だと思えば良いんですよ。私もスーツの天知さんはコスプレだと思う事にします」

「はあ」

 どちらかというと普段の全身スーツの方がコスプレっぽくはある。

 日曜朝にやっているヒーローものみたいな。

 でも絶対主人公タイプではない。序盤からチラチラ思わせぶりに出てきて敵かと思いきや、中盤以降新たな仲間になり、新作玩具CMの販促がはかどるキャラだ。

「そろそろ良い時間なのでは。どうです? いけそうですか?」

「大丈夫、です」

 顔色は大分戻っていた。

 視線もちゃんと合っている。目は死んでるし、表情はちょっとぎこちないが、これはいつも通り。

 親指を立てて見せると、口元が少しだけ緩む。

「天知さんにはお世話になってますし、金や体目当てに迫ったりしませんから安心してください」

 前方から激しく咳き込む音がした。


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