10.魔力調整
「つ、つかれた……」
相変わらず人気の無い更衣室。
簡素なベンチに腰を下ろした菜緒の手には、先ほど査定を済ませてきた買い取り票が握られていた。
「今日はちょっと奥まで行きすぎたかも」
マジックベリーの採取量は約十キロ、買取額三十万超。
更にとある理由で道中遭遇したモンスターをもれなく倒すため、ドロップ品が多く出る。
革、毛皮、骨系は初期装備品の素材としてそれなりの需要があるそうだ。貧乏性が抜けない菜緒はどうしても捨て置く事が出来ず、結局容量の多い収納袋を借りてしまった。
管理局の買い取りは基本底値。
多少面倒でも店の買い取りに持って行く方が得ではある。
でも持ち運びに手間がかかるし、お店には営業時間がある。買い取りが混んでいれば待ち時間だって──つまりドロップ品の価値が低いF~Dランク探索者は、よほどの出物でない限り、皆受付で済ませてしまうのだ。
本来であれば菜緒もこの位置。しかし魔法を使い短時間で多くのモンスターを狩る以上、必然的にドロップ品の数は多くなり、中にはレアものも混じる。
ただし収納袋に入れるだけ、選別は後回し。
狭間社長と契約し、事前仕分けなしに一括で卸せるようにしてもらった。受付でドロップ品を出すと『商会行きですね』と確認され、専用のラベルを貼られ運ばれていく。振込みは査定の後になるが、最短翌日、遅れても三日と気になる程ではなく、待ち時間なしにさっさと帰れるので社長様々である。というか天知さんだ。
「天知さんは、うん」
実際ありがたい話ではあるのだ。
間に立って交渉してくれた上、素材用に容量の大きな回収袋も貸してくれて。
魔法を使う際の注意点、ポーション類の使用や管理方法、その他ダンジョン内での立ち回りなど、細かく丁寧に指導してくれた天知の、おかげさまではあるのだが。
「親切なんだけど、何か違う……」
『幸福Lv.1リング』の値段を聞かされた菜緒は、飽和した脳内情報と感情のパンクにより機能を停止した。
「氷野森さん!?」
ヘナヘナと足の崩れた所を天知に支えられ、直後体がぐいと浮く。
「しっかりしてください!」
「えぇ!?」
気付けば背中と膝裏に腕を回され、抱え上げられていた。
世間で言うお姫様抱っこ、姫抱き等と称される体勢だが、特筆すべきはそこではない。
平均以上の体格をした父と兄を持つ菜緒、割と人に抱えられた経験は多い。
子供の頃は父に肩車をしてもらうのが好きだったし、成長期に貧血で倒れた自分を迎えに来た兄が、背負って帰ってくれた事もある。
子供だろうが女性だろうが人間である以上それなりに重量がある訳で。
父も兄も力はある方だと思うが……それでも持ち上げる瞬間『ウッ』だの『ふんっ!』という声、または気合いは必ず漏れるもの。
経験者だからこそ菜緒にとって姫抱きというのは、ロマンチックなシチュエーションにはなり得なかった。童話の挿絵や少女漫画でスリムな体型の王子様がお姫様を抱き上げるの図を見ても、『この人今頑張ってるんだろうなあ』『腕も足もぷるぷるしてそう』と身も蓋もない感想しか抱かなかった。
しかしここに来て一切そういうリアクションなしに、軽々と人一人抱き上げる男の登場である。
「失礼します」
「は、はいっ」
──ほんの一瞬ではあったが、乙女回路が起動しそうになった。
角度の関係か斜め上にある顔も普段の三割増し男前に見える。
覚悟を決める間もなくものすごいスピードで駆けだされ、振り落とされないよう慌ててしがみ付くと、そこにあるのは服の上からは想像も出来ないほど鍛え上げられた肉体。
年上の男性、異性であることを改めて認識してしまい、これまでとは違う動揺があった。
しかしそれが明確な形を取る前に、天知は爆速でゲートを経由しダンジョンに飛び込むと、その場に菜緒を下ろして叫んだ。
「さあここなら問題ありません! 思い切り魔法を撃ってください!」
「……へ?」
靴下のまま地面に立たされ、足裏に感じる大地の感触に、即真顔になる。
「氷野森さん、あなたは高い魔力の持ち主だ、これはあまり知られていませんが、魔力の高い人は魔力の消費が十分でないと、心身に影響が出てしまう事があるのです!」
「……はぁ」
「不調を感じたらすぐにダンジョンへ入り、速やかに魔力を放出してください。この場合は魔法を使うのが一番手っ取り早いので、普段より意識して魔力を込めに込め、灰も残さず焼き尽くすイメージで──」
「燃えろぉぉぉっ!!!」
何か色々とやるせない感情を込め放った魔法は、巨大な火柱となり辺り一帯を焼き尽くした。
うっかり対象を指定しなかったせいで、無差別に放たれた魔法が生えていた草から地面から石から全て黒焦げのコゲッコゲにしてしまい、たくさんの人に目撃されてしまった。
一階層は全ての探索者が通る道。
そんな所が焼け野原になっていれば目立つし、騒ぎになるし、そもそも天知自体が有名人。
通りかかった全ての人間に注目され、非常に恥ずかしい思いをした。
「いやあ、見事でしたね! 素晴らしい!」
「うわああ……」
「やはり伸ばすべきですよ、この才能を眠らせておくのはもったいない」
「そういう問題じゃない……」
何が嬉しいのかニコニコしている男に文句を言いかけ、その顔を見て言葉が詰まる。
自分でも何と言って良いかわからない。
目立ちたくない、程々でいい、強くなるとか興味ない、あと足の裏ごつごつしてて地味に嫌。
唯一良かったのは、急下降したテンションと共に気持ちも落ち着いた事だ。
『許可無く人を運ぶな、せめて説明して』という思いと、『この人は生粋の探索者なのできっとまともな感覚ではない』というのと、シンプルに『天知この野郎』が同時に湧いてきて、諸々諦めがついたというか。
「俺もできるだけサポートしますから! 氷野森さんも深層を目指してみませんか?」
「いらぬ!」
うっかり武士みたいな口をきいてしまった、菜緒の怒りは伝わったようで。
直後謝罪の嵐、ついでにその場で土下座されかけた。
おかげで『Sランク探索者を土下座させた女』の噂が立ち、地味に迷惑している。まるで悪人ではないか。一部の目撃者からは勘ぐられ、妙に遠巻きにされるし、とにかくいたたまれない。
「私じゃないのにぃぃ!」
悪い人間ではないのだろう。
色々と良くしてもらい、感謝の気持ちもある。
しかし『物腰丁寧で常識的な対応の好人物』という世間の評判には異を唱えたい。
天知という男は探索とダンジョンの事しか考えていない。魔法やスキルを得て強くなってまたダンジョンを探索して──今も夢中になって走り続けている。
菜緒にだって欲はあるが、それはささやかなもの。
彼が提案するようなレベリングや攻略は負担が大きい。何しろまず第一歩が『仕事を辞める』だと……極端すぎる!
移動時間短縮のためダンジョンの近くに部屋を借り、昼夜問わずダンジョンアタック。
一ヶ月間で三十階層単独走破とか、恐ろしい事を言っていた。どんな拷問だそれは。
「そんな人生を左右するような選択、簡単に出来ません!」
首を横に振った菜緒を見て、彼は不思議そうに首を傾げていた。
強くなれる、お金の心配がなくなる、ダンジョンの事が知れる──様々なメリットを並べてはいたものの、一番肝心な事を忘れている。
「ダンジョンは危ないでしょう」
「危ない……?」
虚空を見つめる猫のような顔。
何もおかしな事は言っていないのに。
「氷野森さんは魔法が使えますよね? それも相当強力な魔法を。大体の敵はあれ一発で消滅します」
「魔力が尽きたら終わりじゃないですか」
「尽き……る?」
なんだその素っ頓狂な顔は。
「ええと、魔力が減っている感覚あります? 空腹だとか気分が悪いとか」
「今のところはないです」
「ですよね! 氷野森さんの魔力量はとてもその……多いと思われるので、心配ない……筈です、はい」
「天知さん。私のモットーは安全第一です」
「氷野森さんが氷野森さんである限り、これ以上なく安全だと思います」
「ぬうー!」
ああ言えばこう言う、埒が明かない。
二人の意見は平行線で、菜緒の足も地面が熱を吸い冷えてきた。
「とにかく一度戻りましょう。私達食事の途中で出てきちゃったわけで、きっとお店の人も困ってます」
「本当に大丈夫ですか? もう二、三発撃っておいた方が」
「私が動揺したのは魔力の問題じゃなくあなたのせいなんですけど!」
その後再び抱えようとする天知に全力で抵抗、予備の履き物を借りてかぽかぽしながら帰ってきた菜緒は、どうにか一般人的感覚を理解させようと努力した。
「普通の人間はお、億なんて聞いたらびっくりしますし、怖くなるものなんです」
「はぁ」
しかし相手は変な割り切り方をしており、『所詮金』『使えば無くなる』と目のハイライトを消し淡々と返してくるなど、闇を感じたので説明は諦めた。
「リングの提供は問題ないのですよね? なら受け取っておいた方が良いです。必要になるまで口座に入れておけばいい」
「うう……」
「ヒールベリーやマジックベリーの採取と同じです。ダンジョンでの取得物を売っただけ」
「そうかなぁ」
心の整理がつく訳でもなく、ただの先送りなのだが、疲れのせいか思考は安易な方へと流されていく。
その後魔法適性と魔力量についての小難しい話をされたが、専門用語が多すぎてよくわからなかった。
要約すると自分は魔力が高めで魔法が使え、威力もそこそこ。
常に感じていた空腹は魔力不足で、補充する方法はダンジョン品の摂取。ベリーや薬草類が手軽で無難。
また魔力不足や満タンよりも、『循環』が最も安定するという。
取り扱いに不慣れな初心者は、魔力に引き摺られて不安定になる事がままあり、慣れる為になるべく魔法を使い、適度に放出する必要がある。
それにはダンジョン探索が一番良いというので、こうしてせっせと通っているわけだ。
「最近ダンジョンと仕事しかしてない気がする」
探索上がりにポーションを飲みながら、マジックベリーを囓る。
休みの日、仕事帰り、時間が空けばダンジョンへ。
大変と言えば大変なのだが、困った事にこれが中々楽しい。
天知からは五階層までのモンスターは例の火柱一発で即消滅、マップを見て進めば迷う事もなく、行ける所まで行ってよしと言われている。
そんな気はないと言いつつも、サクサク進めるダンジョン探索は限度を忘れがちで、つい足が向く。
これまでは何も気にせず、好きな時に探索をしていたのだが、最近は目立たないよう早朝人の少ない時間帯に来て、こっそりダンジョンに入っている。
必然的に探索時間は延び、倒したモンスターの数も増えていく。
魔力の放出のため片っ端からモンスターを燃やし、ズンズン進んで三階層。
今まではマジックベリーを採取して戻るだけだったのが、『あと少し』『もうちょっと』と先へ進み、いつの間にやら四階層へ。
ここではフライと呼ばれるモンスターが出現する。
正式には『ドラゴンフライ』、トンボの形をした虫型モンスターなのだが、宙を飛んで逃げるので、ウィスプ同様殆ど相手にされていない。
菜緒はいつもの調子で空中のフライを燃やし、地面には透明な羽が散らばった。
これは薄く脆いが、重ね合わせる事で装備の材料になる。運ぶ内に崩れてしまう羽を持ち帰る者は殆どいない──そう、菜緒以外は。
魔力放出のため巨大トンボを燃やしまくり、落ちてくる羽を袋を広げて回収。
そしてまたもやレアドロップ! 中身は風を起こす魔法の呪文書で、本来はそよ風程度のものらしいが、菜緒が使うと結構な威力になる。
菜緒は風の操作に夢中になった。モンスターへの攻撃ではなく、地面に落ちた羽の回収に使えればと思ったのだ。
少しの風でふわふわと浮き、加減を間違えると飛び散る羽の微細なコントロールは、魔力操作の練習にぴったりのようで。
火柱魔法をようやく火の玉魔法に出来た時は、思わず歓声を上げてしまった。