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1.ライセンス取得

「おお、これがダンジョンライセンス」

 座学と実技講習を終え、できたてホヤホヤのカードを手に建物を出ると、既に日は大きく傾いていた。

 貴重な丸一日の休みと、虎の子の二万円をかけて取得した探索資格。

 ふりがな付きで印字された『氷野森(ひのもり)菜緒(なお)』の横に刻まれた『F』、そのグレーの文字色が変わる事はおそらくないだろうが、せめてこの写真だけは撮り直したい。

 一時間近くダンジョンの一階層を歩かされ、眠気と疲れがピークに達した直後、見計らったようなタイミングで撮影されたせいで瞼が半分閉じている。メイクも大半が汗で流れ、ほぼすっぴんの眠そうな顔という最悪のコンボ。せめて朝一で撮らせてくれれば人の形は保てたのに。

 名前と顔写真、探索者ランクの表記された表面(おもてめん)に対し、裏面は真っ白でピカピカだ。

 ダンジョンに関する功績、またはペナルティが発生するとここにしっかり記録されるとのこと。

 ダンジョンライセンスは身分証としても使用可能、他にも様々な機能がある。

 個人情報の取り扱いにはくれぐれも注意し、とにかく絶対なくさないようにと、説明中何度も念を押された。

 カードの貸出、譲渡、売却、複製は禁止。違反した場合いかなる理由があろうともライセンス失効となり、二度と探索資格は得られない。無くした場合速やかに届け出るようにと。

 事実小金目当てにライセンス証を売る人達はいて、社会問題になっている。

 歴とした犯罪であり、逮捕者も出ている、最終的には売って得た金額以上のリスクを負う事になる、と中年の局員が厳しい表情で語っていた。

「基本的にライセンス証がなければダンジョンゲートは起動しない。入場時、退出時に必ずゲートを通るので、出入りは常に記録されている。小規模ダンジョンの中には無人ゲートを設置している所もあるが、当局に知られず出たり入ったりは出来ません」

 そう言ってダンジョン管理局の制服を着た男は、じろりと教室を眺め回した。

 やましい所のない菜緒は、同じくらい真面目くさった顔で見つめ返したのだが、きっと講習を共にした人の中には明日の糧の為に売ってしまう者もいるのだろう。

 人には色々と事情があるものだ。

 自らの事情を振り返り、また都会の一人暮らしで培ったドライさで割り切って、とりあえず財布の中にカードを仕舞う。

 今はただ目の前の結果を祝おうではないか。

「これでやっとヒールベリーを採りに行ける!」




 十一年前の夏、世界にダンジョンが発生した。

 数日前から各種計器が異常な値を示し、日本でも『近日中に大地震が来る可能性が高い』などと発表され、用心を通り越してパニックになっていた中、突如それは現れた。

 縦3m、横2mサイズの黒い穴、または渦。

 地面に垂直に立ち、不気味な怪音と謎の粒子を放出する『ゲート』が、同時刻世界中に一斉に開いたのだ。

 場所は公園や道路のど真ん中、民家の庭にビルの高層階と法則性はなく、ゲート発生によって起きた事故も少なくなかった。

 人、車、物、動物、あらゆるものがゲート内に消え、入った者は戻って来ないという事態に人々は混乱し、恐怖した。

 日本は即時封鎖を宣言、ゲートは次々とブルーシートに覆われた。

 見張りの警官の目をかいくぐり、ゲート内に侵入した者もいたが、この時期のゲートは行き専用。

 道路の真ん中に発生したゲートにそのまま突っ込み、帰ってこなかった家族連れやトラック運転手の目撃談が盛んに報道された。

 だがゲート発生から五日後、入った時とまったく様子の変わらないまま人や物が排出され始めると、また別のパニックが広がる。

 彼等にゲート内で過ごした記憶はなく、日付の認識もずれていた。

 中には神秘体験を語る輩もいたが、大体の人間は『入ったと思ったら出てきた』としか言えず、また五日も飲まず食わずでいたにしては汚れもせず、健康に問題もなかった。

 結構な数の人が戻ってきたが、『ゲートとは何か』という問いに答えられる者は一人もおらず、事態はますます混迷してきた。

 そんな中過熱する報道に煽られた一部の若者が、山中の未発見ゲートに侵入し、まったく別の場所へ繋がっている事を発見する。

 似たような行為は世界各地で見られた。

 初めは危険だからと立ち入りを制していた政府も、多すぎるゲートの数に実質管理不可能であると覚っていた。

 この頃になると調査に派遣されていた軍や自衛隊が次々と帰還、同様の報告を挙げていた。

 ひとまずの危険性はないこと。

 ゲート内では独自の生態系が見られること。

 見たこともない生物に攻撃され、やむを得ず反撃、倒した生物はその場で消滅する事などが判明し、まるでゲームのようだとネット掲示板やSNSでお祭り騒ぎになった。

 物語のようなゲートの発生、広大な別空間の存在、謎の生命体ことモンスター。

 常日頃からサブカルチャーに馴染みすぎていた日本では、早くも『ダンジョン確定』の文字と共に一般解放を求める運動がぶち上がり、『冒険させろ!』『魔法とスキルはよ』『強くなって稼いでハーレム』と欲望に後押しされる形で世論がどんどん傾いていく。

 国としても悩み所であった。

 先行している自衛隊により由来の分からない新薬やら新素材が次々発見されるものの、数が多すぎてとても調査の手が回らない。

 ダンジョンにはそれこそ創作物のように階層が存在し、奥へ行くほど有用な品が手に入る事が分かると、世論は一気にローリスクの安全策からハイリターンのダンジョン解放策へと雪崩れ込んだ。

 最終的に各国との開発競争になると睨み、日本政府は『やりたいならさせてやる』とばかりにライセンス制を導入。

 同時に『ダンジョン法』『ダンジョン管理局』が設立され、広大なダンジョンを直接管理するのではなく、むしろ探索者を募る形で事態の収拾を図った。

 賛否両論あるものの、官民一体となってダンジョンに取り組んだ日本の政策は、今のところ成功と見られている。




 物語では魔石だの魔法だの若返りの薬だの、夢のような品が次々と発見され主人公は大活躍、大金持ちになって美男美女に囲まれ幸せに暮らしていたが、現実にそれほど大きな変化はなく。

 魔石に該当する品は存在し、何らかのエネルギーを発する事は分かっているが、ダンジョン外に持ち出すとそれはただの石になってしまう。

 同様に魔法もスキルもあるけれど、何れもダンジョン外では使用出来ず、ポーション類は外部に持ち出すと急速に効果を失う。

 ダンジョンと地球には構造的に大きな隔たりがあるらしく、研究に出かけていった専門家は全員頭を抱えて出て来て、それっきり止めてしまうか以後ダンジョンに入り浸るかのどちらかだった。

 先日菜緒が見たテレビ番組ではダンジョン内、ダンジョン外での比較実験の後、『まったく別の法則で動いている』と結論づけており、発生から十年以上経っても謎だらけの場所である事は確か。

 とはいえ世界とダンジョンは人という存在を介して混ざり合い、ダンジョン産の品は少しずつ暮らしに馴染み始めている。

 日本を例に取れば、国民は誰であれ十五歳で保護者同伴の仮ライセンス、十八歳で正式なライセンスが取得でき、権利関係でごたついている一部のゲートを除き、ほぼ全てのゲートに二十四時間フリー入場が可能。

 古ぼけた巻物といういかにもな形をした呪文書(スペルブツク)で魔法を、文字の刻まれたアイスの棒みたいな薄板でスキルを習得可能で、これらはモンスターを倒すか、ダンジョン内に現れる宝箱から得られる。

 ダンジョンではレベルの概念があり、モンスターを倒す程に身体能力が上がる。

 一時期モンスター討伐による能力値の底上げが流行ったが、すぐに下火になった。

 ダンジョンを出ると能力は通常に戻ってしまい、疲労だけが残る。

 疲れるだけならまだしも負傷者が続出。また効果は本人の能力やる気、持続性に左右されるため、結局採算が取れずに撤退してしまった。

 当時はポーションも今よりずっと高価で、気軽に使えるものではなかったから、低階層でも危険度が段違いだったのだ。

 やがてダンジョン内で活動したことのある『探索経験者』は全国民の二割程度に落ち着き、専業探索者や一部の実力者を除けば、趣味程度のものとなっていた。




 生粋の庶民かつドラッグストア勤務の一従業員である菜緒が、二十三歳にしてダンジョンライセンスを取得した理由は簡単、実益を兼ねた小遣い稼ぎである。

 即効性が高く、傷跡も綺麗に治るポーションの地上使用は製薬会社の悲願。

 大勢の探索者を抱え込み、時には社員をダンジョンに送って、ポーションの精製自体は成功した。

 その後血のにじむような努力の末、ポーションの効果を持続させる容器をとある企業が開発。ダンジョン発生から十一年経った今、いよいよ店頭でポーションの販売が開始される。

 ドラッグストアで働く菜緒は、その騒ぎを目の当たりにして驚いた。

 たかが傷薬に朝もはよから何十人も並び、一本六千円もする箱入りのポーションを皆競うようにして買っていく。

 このポーション、取り扱いが非常に面倒で登録販売資格を持つ男性社員が愚痴っていた。

 地上では効能が抜けてしまうため、密閉容器でも一週間ほどしか保たない。

 期限内に必ず消費するようにとの注意書きがあり、販売時も説明をと言われているが、この調子だと必ず『効果ないんだけど!』『期限切れです』のやりとりが発生するであろうと、販売前から遠い目をしていた。

 密封した状態でも一週間経てば効果は消えてしまう。

 買ってすぐ飲めば一番良いのだが、お客様全員が理解して購入している訳ではないだろう。

 販売からしばらくはクレーム対応に注意という地獄のような通達がされ、皆テンションが下がりまくっていた。

 しかし午後番の竹下さんが『ポーションの元のヒールベリーなら食べた事がある』と言うと、大騒ぎになった。

「あれはすごいわよ~」

 一時期酷い腰痛に苦しんでいた頃、探索者をしている息子にいきなり呼び出された。

 文句を言いながらも車を出すと、ダンジョン近くの駐車場まで走ってきて『母さんこれ食べて! はやく!』と渡されたとのこと。

「食べたら腰の痛みは嘘みたいに治るし、肌も綺麗になって、手の擦り傷まで見る間に塞がったからびっくりしたわ~。それが薬になるんなら、ねえ」

 その即効性、目に見える効果はテレビでも散々放送されていた。

 ドリンク剤とは訳が違う……しかし六千円は高すぎる。

 取り扱う数も多くはないし、店員割引もポーションには効かない。

 余程のコネと金がなければ続けられそうにないお値段である。

「本当だ、ヒールベリーって書いてある」

「食べて効果があるんだ」

「じゃあライセンス持ってたらタダで手に入るってこと?」

「行くまでが大変なの。息子にも勧められたんだけどねえ、この年で化物退治なんて出来るわけないじゃない」

 そう言って大仰な仕草で首を振る。

「持ち出すのは問題ないみたいだけど、ダンジョンから離れるとどんどん効果が薄れていくから、すぐただの果物になっちゃうんだって」

「果物……どんな味なんですか?」

 菜緒が質問すると、それまでワイワイ盛り上がっていた会話がぴたりと止まる。

 見れば皆妙にあたたかい眼差しを注ぎ、一部は横を向いて小刻みに肩を揺らしていた。

「菜緒ちゃんは食べるのが大好きだものねえ」

「気になるわよねえ、味」

「えっ、ちょ、違うんです! ただちょっと気になっただけで!」

 くっ、すっかり食いしん坊キャラが定着している。

 だって仕方が無いじゃない、おなか空くんだもの!

 昼休憩で巨大おにぎりや一斤サンドイッチをもしゃり、仕事上がりは職場で割引パンを買い込み腹に入れてからでなければ動けない菜緒は、自他共に認める大食い体質。

 その荒ぶる胃袋を沈める為、自炊を極め勤め先も見極めた。

 郊外にある業務用スーパーと悩んだが、今の職場は自宅から近い上、時々とち狂ったような安売りをするので離れられない運命の店。

 割引食材を買い漁り、米の特売があれば両肩に担いで帰って行く。賞味期限間近の投げ売りいつでもウェルカム。

 少しでも食費を抑える為に河川敷でハゼを釣り野草を採取、外食は大好きだがお財布と胃袋の都合で滅多に食べられない。ちなみに近隣の食べ放題の店は軒並み出禁である。

 食べ物を差し出されたら絶対に断らない菜緒は、幸せそうに食べる姿が心和むと同僚のおばちゃん達に餌付けされていた。

「色は薄いけど形も大きさもブルーベリーに似てるのよ。味もそんな感じ」

「ブルーベリーかあ」

 店でも冷凍物は扱っていて、ヨーグルトやスムージーに入れると美味しくて便利だが、生はまた格別な味わい。

 果樹を欲しがった母親が実家の庭に何本か植えており、摘んで食べると果汁がぷちっと弾けてとてもおいしかった。

 毎年庭に来る鳥と争うように食べていたけれど、近頃はすっかりご無沙汰だ。

「美味しくて美容にも良いとか最高じゃない?」

「ダンジョン前で試食販売してくれないかしら~」

「採ってその場で食べるってこと?」

 皆一斉に『無理無理』『もうちょっと若けりゃねえ』と笑う。

 しかしそのうちの一人がポンと手を打ち、『菜緒ちゃん若いんだから。ダンジョンに直接採りに行けばいいじゃない?』などと言い出す。

「えーっ、無理ですよ! 私運動苦手だし」

「一階層にもヒールベリーは生えてるって。食べて帰るだけなら案外行けるんじゃない?」

「ね、試しに行ってみてよ。菜緒ちゃんが行けそうなら行くわ」

「私も!」

「うまくやれば結構な稼ぎになるんでしょ?」

「やだ皆でライセンス取っちゃう? 探索者デビュー?」

 キャハハと盛り上がる皆に、その時は『また適当なこと言って』くらいにしか思わなかった。

 いくら儲かるとは言え、わざわざ危険な場所には行きたくない。

 学生の時に何度か誘われたものの、探索の中心となるのはやはり体力のある男性。

 女性でライセンスを持っているのは見るからに活動的な、溌剌とした人ばかりで正直気後れしていた。自分など腕力はないし足は遅いし、足手まといになる予感しか無い。ダンジョン探索なんて、ありえない。

 だがそんな凝り固まった考えをぶち壊し、菜緒にライセンス取得を決意させたのは、後日竹下さんが『お味見に』と持ってきてくれたヒールベリーの実物だった。

 味が気になる菜緒のため、息子さんに頼み分けてもらったのだという。

「えー! わざわざすみません、ありがとうございます」

「ちょっとしかないから他の人にはナイショ。あと多分効果はないだろうって」

 ミニタッパーに入れられた十数粒の空色。

 試しに一つ口に入れると、爽やかな風味と甘み、バランスの良い酸味を感じ思わず口元が綻んだ。おおこれは、確かにほぼほぼブルーベリー!

 菜緒はすごいすごいと喜んで、その日残りのシフトをウキウキとこなし、ヒールベリーを手に帰宅した所でふと気付いた。

「……ん?」

 いつもなら仕事中からぐうぐう鳴り出す腹の虫が、今日はやけに大人しい。

 あの切羽詰まった空腹を感じない。

 かと言って体調が悪いかというとそうでもなくて。

「おかしいな、効果はないはずなのに」

 その日の夕飯はカレーだった。

 いつもなら飯五合に鍋いっぱいのカレーをかけて食べるところ、なんと皿一杯分で満腹に。

 翌朝もヒールベリーを一粒食べ、昼にまた一粒。

 検証の結果、菜緒は確信した。

 どんな理屈かはわからない。

 しかし長年頭とお腹と財布を悩ませてきた食欲を、この不思議な果実は抑制する働きがあるらしい。

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