僕だけが常識外れだなんて、一度たりとも思ったことはないよ。
先生の合図の後、生徒たちはアリスティアなる生徒に鼓舞されたせいか順調に魔族を殺害していった。
「ぎゃあああああ!? 痛い! 痛いぃぃぃ!」
「ああ、一発でできなかった。えい!」
「ああああぁぁぁ!?」
「もう、喚かないでよね。これで、終わり!」
「ぁぁ……」
「よし、ちゃんと殺せたな。次、早く入りなさい」
最初の生徒のときは一発で殺せたから、特に痛みを感じることなく逝けたのかもしれない。でも、ここにいるのはあくまでも殺しの経験が少ないか、あるいは全くないド素人の生徒たちだ。
一撃で急所を突くどころか、首を狙っても狙いが逸れて体を傷つけたり、剣が首の半ばで止まったりもする。その度に、ああして魔族たちの絶叫がコーラスとなって学園の裏庭とも言える練習場に響き渡った。
もう地面は血を吸いきれなくなって海ができ始めているし、結構臭いの方も酷くなってきた。殺された魔族はゴミ同然に死体処理のための袋に乱雑に捨てられていき、それを見た後続の魔族たちは絶望し涙を露わにしている。
あまりに目を背けたくなるような光景だけれど、僕は彼らの姿の一挙手一投足をこの黒目に、ひいては脳裏に焼き付けるように見つめていた。これでも一応は見捨てている自覚があるため、助けられない身としてはせめて彼らの生き様を見届ける責任があると思うのだ。
魔王として、彼らの無念を晴らす。そのためにはこの罪も業も、背負わなければならないのだ。
「さて、あとやっていないのは……。ユリティア様、お願いします」
「……はい、分かりました」
ユリティアと呼ばれたその生徒は、僕が目を付けていたもう一人の生徒だ。彼女もまたアリスティアと同じ金髪を持っていたが、アリスティアと対照的に腰まで伸ばしたロングヘア―と気品さを従えていた。
彼女と違うところはまだある。瞳は赤いし、目つきは穏やかな垂れ目で気弱そうな感じだし、胸の方もこちらの方が断然大きく男子の視線がかなり集中しているように見える。
魔力量も彼女と同等レベル……ん? 何だろう、魔力の流れが胸の中心辺りに集中している気がする。ペンダントのようなものが魔力を吸って、それを体外に放出しているのだろうか?
本来の魔力量よりも少なく見えるのはそのせいか。でも、何のためにそんなことをしているのだろう?
まあ、どうでもいいか。彼女もまた、魔族をゴミみたいに切り捨てる人たちの仲間なのだから。
どうやら、彼女の力には男子だけでなく女子も注目しているらしく生徒たちは彼女のために道を開いて一人にした。用意された魔族は一人、まだ少年のように幼い彼は目に涙を浮かべながら剣を握り締める彼女のことを見上げていた。
「……」
彼女が少年に向かって何かを呟いたけれど、魔力で強化した耳でも聞き取れなかった。彼女はアリスティアと同様に美しく剣を振るうが、彼女の剣が少年の首を通り抜けようとしたとき、少年の姿が消えた。
いや、正確にはしゃがんだのだ。彼女の剣が首を捉える寸前で、頭を小さく抱えるように丸め込むことで攻撃を回避した。
偶然だろうか? 学生レベルとはいえ、かなりレベルの高い彼女の剣を少年が避けられるとは思えなかった。
そこで、もっと耳に魔力を込めて聴覚を研ぎ澄ました。これをやると周囲の音が聴こえ過ぎるから後から頭痛がすることもあって、あまりやりたくないのだけれどね。
「右、左、右斜め後ろ」
ようやく聞き取れた彼女の声は、どうやら少年に指示を送っているらしかった。彼女が剣を振る直前、彼女の指示通りに少年が動くとまるで少年が剣の軌道を見切っているかのように見える。
だが、実際は剣の方が彼を避けるように彼女が指示していた。彼女は恐らくだけれど、少年を殺す気は全くない。こんな意味のないことをしても評価はつかないどころか、大減点の対象に成り得る。
「え、外しまくってるけれど何?」
「まさか、アリスティア様と違って、ユリティア様って剣術が下手……」
「おいおい、そんなことあんのかよ?」
「でも、一回も当たってないよ」
当たってない、じゃなくて当てていないだ。それすらも分からないのなら、黒組とやらの実力もたかが知れていると言わざるを得ない。
一通り振り終えても少年は健在、彼女はやがて剣を鞘に納めるとクロイツ先生に頭を下げた。
「……すみません、私の実力が足りないせいで斬れませんでした」
「よろしいのですか? 殺せないと大減点ですよ。一応、再評価の機会は与えていまずが、満点評価には絶対にならないです。それでも?」
「……ええ、構いません。お時間を取らせてしまい、申し訳ございませんでした」
「……そうですか。後は……、ネオ・ヨワイネ。前へ出なさい。あ、その魔族は処分しろ。イレギュラーだ」
「ま、待ってよ! 殺さないで! やだ……」
クロイツ先生が他の先生に指示を出すと、実行役が少年のところに行ってすぐさま細い首を手折った。少年はこと切れてしまい、他の魔族たちと同じく袋の中に無造作に放り込まれた。
僕が処刑場へと向かう時、ユリティアとすれ違った。彼女は唇を噛みしめ、拳を強く握りしめていたのが筋肉の動きでよく分かった。
こうなることは分かっていたはずだ。例え自ら手を下さなくても、彼らは異常行動を示す家畜を放っておくわけがない。
それでも、彼女の本心が魔族を殺したくないと訴えているのはよく分かったし、一瞬とはいえ同胞の命を繋ぎとめた。僕はこの学園に来て初めて、真面目に顔と名前を覚えようと思ったのだ。
さて、気を取り直して僕の番か。仮にも魔族の王を謳っている僕が、仲間を目の前にして同胞を殺害なんてしたら大問題になるだろう。
この状況下だ、殺さざるを得ないことはきっと彼女らも理解してくれるとは思う。しかし、魔王である僕がルールに準じるだけの存在だと知って、皆が僕を尊敬して従ってくれるのだろうか?
監督役の教師数名に加えて、生徒は四十名近く、周囲は開けていているけれど逃げ場はなく、仮に鎖を解いてもすぐに捕まって処刑されるのがオチ。こんな絶望的な状況で魔族を一人救うことができたのなら、部下の信頼を勝ち取るには十分過ぎる報酬ではないだろうか。
僕の前に用意されたのは、妙齢の綺麗なお姉さん魔族だった。藍色の長髪を地面に垂らしてベタンと座り込んで、ボロボロの裸体を晒しながら俯きその瞬間を待っている。
「ねえ、お姉さん」
「……」
僕は彼女に聴こえるだけの声色で話をする。周囲の魔力を操作して、声が空気を伝わっていかないように偽装工作をしておくのを忘れない。
彼女はこちらの声に反応した。まさか、話しかけられるとは思っていなかったのだろう。
虚ろな瞳に僕の姿を映して、乾いてお粗末になった唇を弱々しく動かした。
「……殺して。もう、いやなの」
「殺して欲しいの? 助かるかもしれないのに?」
「私は、この学園で飼われていた孕み袋。毎日、毎日、朝から晩まで休まず犯されては誰とも知らない子を産み続けた。私がここにいるのは、処分されるためなの」
「そっか。でも、僕はそうしたくないかな。これだけの生徒に魔族を供給し続けるのなら、家畜小屋っていうの? 君たち魔族を飼うための施設が必要だよね。その場所を、君から聞き出したいんだ。その時の生活の様子とか、構成員とかさ」
「何のために?」
「魔族再興のために。僕はね、君たち魔族の味方なんだ。もしも君が助かれば、他の捕まっているまだ出荷される前の魔族なら助けられるかもしれない。どうする? これが最後のチャンスだよ」
「……助けて、くれるの?」
「それを望むなら。嫌なら、殺してもいいよ。僕なら、君を苦痛なく送れると思うからさ」
彼女は少し考えて、やっと暗く絶望の闇に包まれた瞳に光を灯した。もう声を出すこともできなかったのだろうけれど、乾ききったその声はちゃんと僕の耳に届いた。
『た、す、け、て』
「……分かった」
僕は隠れている仲間に向かって左手でハンドシグナルを送りながら、右手に構えた剣を天高く掲げた。もしや殺されるのではないか、そんな緊張感が伝わってきて僕の手に若干の力が籠る。
そして、彼女を処刑するための剣が振り下ろされたその瞬間のこと。
ドカンと、上空で大きな爆発が起きた。爆音と爆風で地面が、空気が大きく揺れ動き、発生した煙が徐々に周囲の空気へと霧散していく。
「何だ、突然!? 学園に不届き者か!?」
皆の周囲が爆発に逸れた時、僕は自分の魔力を細かい霧状に霧散させて周囲にばら撒いた。あっと言う間に視界は謎の黒い霧に覆い隠され、周囲からパニック状態に陥った生徒や先生の声が聞こえてきた。
「今度は何だ!?」
「突然の霧……!? ヤバい、ヤバいぞ!」
「助けて! ちょっと、早く何とかしてよ何も見えない!」
「早く霧を掃え! 生徒たちの安全確認をするんだ!」
僕はこの数秒しか持たないだろう好機を逃さない。彼女に繋がれた鎖を斬り、僕の下にやってきた仲間……ディアに彼女を引き渡した。
「あとはよろしく」
「はっ、主殿もご武運を。それと、仲間に慈悲を与えてくださったこと、感謝いたします」
「君も待ってたでしょ。魔王として、当然のことをしたんだ。そろそろ霧が晴れる。見つかる前に行ってよ」
「かしこまりました。必ずや、彼女を助けます」
ディアが消え去った後、僕は死体袋から適当な死体を素早く回収、元の場所に戻ってその体を地面に置いてから刻みまくって元の形が分からないように工作して完了だ。
仏様にこんなことをしたら罰が当たる? 生きている人を救ったのだから、これでお相子でしょ。
霧が晴れる前に死体に剣を突き刺し、僕はその場に尻餅をついて怯えたフリをしておく。霧が晴れて視界が良好になったとき、クロイツ先生が僕へと駆け寄ってきた。
「大丈夫か、ネオ。怪我はないか?」
「は、はい……。その、突然の霧でパニックになって……。鎖を誤って切ってしまったので、滅茶苦茶に剣を振るったら……。すみませんでした」
クロイツはその惨状を見て、小さく嘆息した。一瞬だけバレたかと思ったけれど、そんなのは単なる杞憂らしかった。
「いや、謝らなくていい。むしろ、咄嗟の事態でもよく殺すことができた。こういう時に行動できる人間は少ないからな、評価に値する」
魔族は家畜、人間にとっては容姿が違っても関係ない。人間が牛や豚を個体として区別するのが難しいように、魔族を一個人として認識して違いを見極めることなんてできはしないのだ。
増して、こんな元の形が分からないような肉体を目にしたところで、彼らにとっては同じ肉の塊なのだから。僕は素直に、クロイツ先生からの称賛を受け取っておく。
「本当ですか? ありがとうございます」
しかし、すぐにまた難しい顔に逆戻りだ。どうやら、僕は同時に間違いも犯してしまったらしい。
「だが、鎖を斬ったのは減点だな。狙いを外しているのが分かってしまうし、万が一にもこれが逃げ出したら大変だからな」
「はい、気を付けます」
その言葉で十分だったのか、口元に小さく笑みを作って許してくれた。これでお咎めはなし、僕は無事に魔族殺しの授業を乗り切ることに成功した。
「よし、戻って良いぞ。今日の授業は、これで終わりだ! 解散!」
僕は赤組の脇役底辺、一時の勇士を見せようと先生が褒めようと誰かが注目することはない。ぞろぞろと先生の言葉に従って自分の教室に戻っていく。
先生たちはというと、先ほどの爆発の原因を探るために色々と調査をするらしい話をしているようだ。すぐに校内で秘密裏に捜査が行われることだろうけれど、あの状況で魔族と会話していたことや、霧を発生させたのが僕だと断定できてないこと、そもそも仲間が隠れ潜んでいたことすら感知できないようなお粗末な人たちに犯人を特定するこなど不可能だろうと思う。
一応、証拠が残らないよう最小限の力で何とかしたつもりだけどね。念のため警戒することを忘れないようにしつつ、皆について教室に戻ろうかな……お?
「ちょっと来て、姉様」
「……分かった。今行く」
校舎裏に呼び出されてぼっこぼこにされそうな不穏な会話をしていたのは、ユリティアとアリス……ティア、だったけ? の二人だった。ユリティアは呼び出された方で、もう一方からの険悪的で重圧的な態度に脅される形で後ろをついて行っている。
……バレないように後ろをついて行って、ちょっと様子を見てみようかな。早速、さっきの仮を返せそうな予感がするからね。