断章(涜聖)
封印を解かずに、外に出ていられる時間は限られている。
その限りない時間内で、アウリヌスを逃がさなければならない。
やるべきことは分かっている。場所も内にある魂の記憶の断片から、偶然にも把握している。
対象者を——それも多くの人数を本人の同意なしで、無差別に異空間へと転移させるのは、その能力の性質上、脆弱になりやすい。
故に、外から何らかの干渉をすれば、ブラッドを斃さなくてもアウリヌスを逃がすことができる。
ブラッドはそのイレギュラーを考慮していない。
オーブルがブラッドの意識を割いてくれている間に、外に繋がる穴を作るのだ。
——アンタの命は無駄にはしないぞ、オーブル。俺が必ず、アウリヌスをアンコウエンへと逃げさせる。
※ ※ ※ ※
「これで、気兼ねなく戦えるぜ」
走り去っていく足音が聞こえなくなると、オーブルは自身の身体を検めた。
傷は塞がっているが、全身に針に刺されているかのような痛みが絶え間なく走っている。
思考も睡魔に引きずり込まれるように覚束ない。これが、同胞食いによる報復だというのか。
前方。殴り飛ばした瓦礫の中から、重傷を負ったブラッドが起き上がって来る。
関節があらぬ方向に曲がり、全身をぐちゃぐちゃに複雑骨折したかのような状態だ。
だがブラッドのその重症は、
「逃がして何になる! 爾等はこの異空間からは、決して逃げ出せないのだぞ!! いずれ死ぬことは変わらぬ!!」
周囲からかき集められた赤黒い血液によって快癒した。それもブラッドが罵詈している間に。
その超速での傷の治り方は、まるで時間でも巻き戻したのかと思える程に、常軌を逸していた。
超速再生の真相が気になるが、雑念は捨てろ。アウリヌスを逃がすと決めてからは、生き残るつもりはない。そもそも、勝つつもりもない。
「優秀なのに分からねぇか!? ブラッド!! てめぇが造った地下なら、てめぇを斃せばなくなるのが道理だろ!!」
「それが分かったところで、爾奴ごときにやられる私ではないぞ!!」
「ガキを逃がすくらいの時間稼ぎはできラァ!!!」
罵り合う中、先手に出たのはオーブルだ。
だがそれをブラッドは予測していた。血の針を、向かってくるオーブルへと展開する。
このまま猪突猛進すれば、完全にくし刺し。致命傷は免れない。
——だが、突き進んだ!
即死を避けるために頭の前に両手を置き、針地獄の中を突き進む。
血反吐を吐き、痛刻に気を失いそうになるが、血の針をへし折りながらブラッドの顔面を殴打した。
オーブルの攻撃に耐え切れず、再び壁へと叩きつけられるブラッド。
その間にヴァンパイアの死体から血を吸い、致命傷を——、
「ッ!?!?!???!???!??!????!!?」
ツライクルシイキモチワルイナンデドウシテタスケテニゲタイネムイシニタイシヌシヌシヌシヌヌヌヌヌヌ!!!!
「クソ! 意識がッ!?」
精神と肉体を、雑巾搾りのように捩じられたかのような感覚。尋常ではない痛痒に意識が飛び、瞬目だけ悪夢を見せられた。
今、自分は同胞の血を吸ったのか。いや、吸ったから傷が治り、生きているのだ。
「これが……」
身体を見て血の気が引いた。これが自分の身体なのか。もう全身の六割以上が黒に汚涜されている。
「いい加減にしろ貴様ァァァァ!!!」
瓦礫を吹き飛ばし、顔面を崩したブラッドが復帰する。
次、致命傷を負えば終わりだ。同胞の血を吸って身体を治しても、精神が汚涜され、ただの黒い肉塊になるだろう。
「おいおい! お得意の小難しい蔑称は使わねぇのか!!」
「ほざけ!! 温情でわずかばかり生かしておけば、調子に乗りよって!! ただで死ねると思うなよ!!」
「あぁ、ただで死ぬつもりはねぇ!」
やせ我慢で罵詈すると、ブラッドは気持ちよいくらいに突っかかってくれる。それを気分よく皮肉で返してやった。
肉体と精神は蝕まれているというのに、気分だけは最高だ。
このまま罵詈し合っていたいが、そろそろ現実とはおさらばしよう。
「なぁ、かつての同志、決着をつけようぜ。俺が能力主義者じゃなくなった理由、何で変わっちまったかを、今のお前に全てぶつけてやるよ」
死ぬ覚悟はできている。
かつて同じ能力主義者であった好みで、何故変わったのかを、最後の最後で教えてやろうではないか。
※ ※ ※ ※
闘いは激闘にすらならず、あっさりと決着はついた。
ぼろぼろに崩れた地下。地面に倒れるオーブルと、それを見下ろすように立っているブラッド。
オーブルの身体は九割以上が黒に染まっていた。
致命傷を負い、苦し紛れに仲間のヴァンパイアの血を吸って戦闘を続行しようとしたが、報復を受けて自滅したのだ。
「舐めた真似を……すぐさま止めを刺してやってもいいが、どうやら、私が手を下すまでもないようだな……」
口から黒い血を垂れ流し、満足げな顔のオーブルを、ブラッドは見下ろしてニタリと笑った。
『お前は臆病なんかじゃないよ』
奇妙にも、オーブルの視界に映るブラッドが若い頃の兄と重なる。
霞む視界と汚涜された精神が相まって、ブラッドを兄だと錯覚し、死に際に会いに来てくれたと勘違いしてしまったのだ。
『今は分からんかもしれんが、きっと、お前は何かを成し遂げる、凄い奴になる。例えそれが、他人から見て、ちっぽけに思えるようなことでもな……』
「あに、き……?」
走馬灯だ。過去に言われた印象の強い言葉が蘇って来る。
『もし、私に何かあったら、アウリヌスを頼む……』
右掌を向けるブラッドが、オーブルの視界では赤ん坊のアウリヌスを託す兄に見える。
「へへ、俺、あんたに、言われたこと、ちゃんと、守った、ぜ……俺、むかしは、おくびょう、で、あん、たに、たよって、ばっかだった、けどよ……イマ、ハ、アンタガ、イッタ、コト、マチガッテ、ナカ、タッテ、オモ、ウ……」
奇跡で人生最後に尊敬する兄と会い、託されたアウリヌスを守る約束を果たせたことで、瀬戸際で踏ん張っていたオーブルの生命力が急速に枯凋していく。
オーブルは全ての生命力が枯れる前に右手を兄に——ブラッドに伸ばし、
「俺は、成し、遂げたぜ……兄貴」
握り拳を作って欣然と報告した。
アウリヌスは逃げられた。生きて、ここから脱出できた。
見てもいないのに、それだけは確信できた。
——俺は成し遂げたんだぜ、兄貴……
「あぁ、そうだ……この私に、一矢報いるという偉業をな……」
オーブルの頭に血の針が刺さる。
——視点は変わり、ブラッドへ。
さらばだ、かつての同志。
脳天に血の針を一突き、オーブルに止めを刺した。
このまま衰弱死するのを傍観していてもよかったが、最後はやはり自分の手で始末したくなった。
結局、オーブルを変えたのは憐憫という感情論であった。
なんと浅はかで、呆気ない袂の分かち方だったことか。
「さて、後は外交官と丁稚だ」
以前かわらず、血の結界は解除されていない。故に、丁稚と外交官は異空間の中にまだ幽閉されている。見つけ出して始末する。
自身を変えた憐憫で無駄死にするとは、なんとも皮肉なことだ。
——ブラッドを尊敬する兄だと錯覚し、その兄に殺されたのも皮肉だと言えよう。
「この扉の奥に居るのは分かっている。大人しく出てくれば、苦痛なき死を与えてやろう……」
二人が逃げた先——最奥の部屋の前まで来た。
ここまでに、隠れられるような場所はない。何より、押戸が重たい。扉の前に障害物でも置いて、中に入れないようにしているのだろう。
無駄な足掻きだ。確実に扉の奥に居る。
「聞いているのか? 今すぐ恍惚の笑みを浮かべ、法悦しながら死を受け入れろと————ッ!?」
ブラッドがしびれを切らし、血液の刃で障害物ごと扉を切り裂いて中に入ると、
「なにッ!?」
——アウリヌスとルスヴィンは、謎の穴から逃げていた。
※ ※ ※ ※
目を覚ますと、衰弱し切ったルスヴィンと見知らぬ土地に居た。ルスヴィンは余喘を吐きながら額の汗を拭い、真剣な眼差しでこちらを見てくる。
「よく聞くんだ。俺達が、負けたのは、弱かったからだ。弱かったから、ブラッドを、斃すことが、出来なかった。それを、心に深く刻め。お前は、家族だけでなく、オーブルの、コフッ!? 仇を、打とうとする、だろうが、それは、まだはや、うぐぅッ!? はやい……」
口から血を吐きながらも、アウリヌスに伝えるべきことを伝えるルスヴィン。
彼の全身には毒が回り、命はもう長くないのだろう。身体の節々が紫色に変色し、目の光も徐々に暗くなっている。
生を繋ぐ糸が、今にも切れてしまいそうな状態だ。それを告白するように、段々と言葉の端々から流暢さがなくなっていく。
アウリヌスは覚醒してすぐの状態でも、それがルスヴィンの最後なのだと感悟した。だから、彼が言った言葉の意味を理解しようと、真剣な眼差しで見返した。
「おまえが、しねば、オーブルが、ほんとう、に、はいぼく、した、ことになる……むだじに、した、ことに、なる……だ、から、つよ、く、なれ。つよくなって、ぶらっどを、たお、せる、くらいの、なかま、を、あつめ、るん、だ……」
彼も自分と同じく、ブラッドと闘おうとした一人だ。
だのに、オーブルを置いて逃げる結果になってしまったことに深く恥じ入り、猛省しているのだ。
ルスヴィンはその思いを、死ぬ前に伝えようとしている。
「ダ、カラ、ソレ、マ、デハ、ニゲ、ツヅケ、ロ……キット、オマエナラ……成し、遂げられる」
ルスヴィンはアウリヌスの頭の上に手を乗せ、最後にそう言い残す。アウリヌスが「分かった……」と答えると、彼は安らかに息を引き取った。
動物たちの鳴き声が透き通るように聞こえてくる。血の匂いも嫌悪を抱くものではない。
きっとここは、素敵な場所なのだろう。
——強くなって、仲間を集めて、いつか必ず仇を打つよ。おじさん……
※ ※ ※ ※
二十年の時が経った。
場所、謁見の間。
玉座に座るブラッド。
選挙にて過半数以上の票を獲得したブラッドは聖政戦を起こし、総裁のエイブラムを見事に討ち取ってみせた。
そうして、今は玉座に座っているのだが、
「何故、何故だ! 何故これほどまでに満たされぬのだ!!」
どこか、不穏な雰囲気が漂っていた。
「ブラッド様!? どうかなさいまし——ッ!?」
「口を開くな! それ以上息を吐けば首を消し飛ばすぞ!!」
ひじ掛けに片膝をつき苛れるブラッドの異変に、侍人が片膝をついて駆けつける。が、ブラッドはその厚意に忿恚し、血の球体から出した刃を侍人の首に突き付けた。
お節介はいらない。厚意と言うのなら、今すぐ立ち去ってほしい。
「ひぃ!? 申し訳ッ——!?」
侍人が宣告を聞かずに叫ぶと、ブラッドは躊躇わずにその首を消し飛ばした。
血が舞い、首から奔出する。
謁見の間が血で染まるが、飛び散った血が——侍人だった肉塊が何かの力によって、血の球体へと吸い寄せられていく。すると短い時間で、元の高雅な謁見の間に戻った。
「おのれ、オーブルめ……」
聖政戦——吟味した一対一の真剣勝負でエイブラムを殺し、新たなるヴァンパイアの王になれたというのに。
ブラッドの心は満たされないでいた。
人類強制進化という目的の大いなる第一歩を踏み出せた今、全ては着実に前へと進んでいる。
エイブラムの血肉と、奴が珍蔵していた歴代の総裁——真祖の末裔の魔力核を取り込むことで、若い体と頂上的な力も手に入れることができた。
だというのに、
『ガキを逃がすくらいの時間稼ぎはできラァ!!!』
オーブルに邪魔された事で、クソガキを逃がしてしまった。
外交官はまだいい。毒ですぐに死んだはずだ。
人生で出くわした汚点、歪みの全てにオーブルが関わっていた。
学生の時、唯一思想が噛み合ったのがオーブルだ。そのまま意気投合し、能力主義でいかに世界をよくするかを通宵話し合ったり、共に貴族の嫡子になろうと誓い合った仲だった。
『何故だ!? どうして考えが変わったんだ!?』
『わりぃな……変わっちまったもんは、変わっちまったんだ』
だがそのオーブルに突然、裏切られた。
あれが最初の歪みだ。他者を信用しすぎると、期待を裏切られるという過ちだ。
二度目の歪みは、オーブルにかつての同志だからと温情を向けてしまったことだ。
その所為で、丁稚を逃がす遠因を招いてしまった。
不要な情を持つと、厄介事を誘発するという過ちだ。
そして三度目は、自身の能力を過大評価し、慢心してオーブルに気を取られ過ぎたことだ。
『……決着をつけようぜ、かつての同志。俺が能力主義者じゃなくなった理由、何で変わっちまったかを、今のお前に全てぶつけてやるよ』
あの目。オーブルは歓然と戯笑し、理由をぶつけると言った。
無駄な足掻きをしてまで、丁稚を守ろうとした理由だ。それを知りたいと追求するあまり、第三者の介入にまったく気付けなかった。
そもそも、自分の能力を過信していた所為で、第三者の介入を顧慮していなかったのが原因だ。
自分の能力を過大評価し、慢心すると最悪な失敗をするという過ちだ。
そうして、最悪な失敗をして聞けたのは、
『変わっちまったのは、兄貴に子供が出来た時だ……小さくてかわいい女の子だった。お前が兄貴と一緒に殺した少女だよ。ちっぽけで、自分のこともできない未熟な子だった』
幼児は愛おしいという感情論と、
『アウリヌスはなぁ……姉のレンブランと違って、出来が悪かった……何しても、空回りして、失敗してばっかだった……でも、あいつはそれでも、一生懸命頑張って、周りの為に役に立とうって必死に努力するところが、さいっこうに可愛くて愛おしんだ!! この世が能力主義で、あんな可愛くてお人好しのガキが生きられねぇってんなら!! 俺はアウリヌスを生かす為に、命を懸けて戦う!!! 死ぬことはこわかねぇ!!!!』
無能でも努力し、他人に献身する精神があればそれでいいという、利己も甚だしい憐憫だった。
憐憫。オーブルを変えたのは矮小な感情論だ。
何となくは分かっていた答えだった。だが、それでも知りたいという欲が先行した。何かもっと違う、雄図が理由で変わったのではないかという欲が、先行してしまったのだ。
そうしてブラッドは、自分がオーブルと同じ感情に流されていることに気付いた。
『君は何故、真祖政権に反対するんだい?』
真祖に反対するか否かの授業で、反対派として挙手したオーブル。挙手した理由が知りたくて、話したことも無いオーブルに話しかけた。
『なんでって、真祖政権って、均衡化による平等を掲げてるだろ? それって、裏を返せば、有能で頑張ってる奴が不当な扱いを受けるってことになるじゃねぇか。頑張ってる奴が報われないなんて、クソだぜ』
真祖政権に反対するだけの同床異夢ではない。
初めて同じ意見を持った同志と会った時のあの衝撃は、今でも忘れられずに心に残留している。
あれも真の同志に邂逅できてうれしいという感情だった。そう、自分が見下してきた感情そのものだ。
おのれオーブルめ。人とは感情に支配された生物だ、とでも言いたいのか。
逃がしてしまったクソガキは、オーブルと濃い血のつながりがある。今後長い年月を掛けて、報復を仕掛けに来ることは確かだ。
だが、あの程度のクソガキに負かされる程、弱くも無ければ自惚れてもいない。逃がしてしまったのは、ただの矮小な歪みでしかない。そのはずだ。
それでも気がかりで、その気がかりの所為で満たされないのだ。
これも感情だというのかオーブル。
煩わしい。貴様はいつまで私を惑わせば気が済むのだ。




