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アンリーズナブル  作者: 犬犬尾
第三章 絶対ルマティ教社会主義国 ルマティア
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第11話 涜聖3

 「煩わしい」と声が聞こえたと同時、オーブルとアウリヌスは謎の赤黒い液体に包まれる。そして液体が解けると、見えていた世界が人気のない路地裏から、無骨な石に囲まれた地下に一変した。


 オーブルが自分から目を離し、後ろを見るのを見て、アウリヌスは背後に誰かがいると理解した。


「船に乗って街を離れた時、一網打尽にしてやろうと思っていれば、動かず停泊したままの帆船。そして、突如いなくなった外交官と二人のヴァンパイア。何故、昔から爾奴おれめはこうも面倒事を増やすのか……本当に煩わしい……」


 怒りを乗せた、高く凛とした知性溢れる声。振り返ると、そこには銀髪紅眼の男と、その後ろに連なる堅気そうではない男達が立っていた。


 前方で立っているのが、自分達を地下へと拉致した巨魁きょかいなのだろう。

 後ろにいる男達は、ヴァンパイアも居ればそうではない人種も錯綜さくそうしている。捨て駒と言わんばかりの連中だ。


「歩合、実力、能力主義……それを否定する真祖政権。社会のあるべき姿とは、無能が淘汰とうたされるようなものでなければならない……」


 後ろで手を組んだ銀髪紅眼の男が、喋りながらゆっくりとこちらに歩み寄り、オーブルを鋭い目付きで見下ろした。


「お前は、ブラッド……」


 オーブルは怨色えんしょくで睨みつける。


 ——この人がブラッド……? 俺達を拉致した巨魁がブラッドなのか?


 狐疑で汚れた白紙と言えど、それでもまだ憧れが多くを占める存在。だがその白紙に大量の汚水が降り注がれた。

 その事実に『どうして』という疑問だけが、アウリヌスの胸中を回り続ける。


「無能を庇護していては、必然的に有能な者が不当な扱いを受けることとなる。ひいては、他国に朶頤だいされる可能性を高め、国だけでなく、ヴァンパイアそのものの存亡に関わって来る訳だ。事実、均衡きんこうをとる政策が、有能な者の意欲を著しく割いてしまっている。これでは社会が停滞するだけだ」


 アウリヌスにブラッドの喋々(ちょうちょう)たる声は届かない。


「何が平等だ、何が弱き者も生きられる社会だ。因果応報。無能とは、生きているだけで罪だと何故わからぬ……分かっていて、何故変えぬ……爾奴も変えるべきだと思うだろう? かつての同志よ……」


 だが、


 ——同志? おじさんはブラッドさんと、ただの同級生じゃなかったのか?


 最後の『同志』という言葉だけは、アウリヌスの耳にしっかりと入った。


「かつてね……なんで、俺達が船を使って逃げるって分かったんだ?」


「ふ……私が爾等おれらの浅はかなはかりごとに、気付かぬとでも思ったか?」


 嘲笑うように口を吊り上げ、ブラッドはオーブルを見下す。


 ブラッドに拉致されたという事実。そしてオーブルがブラッドと、かつての同志だったという新事実。

 その板挟みに、アウリヌスは疑問という深い渦に飲まれ、溺れてしまう。その渦の中から抜け出したいと、手探りに掴んだ答えが——、


「ブラッドさん!! 貴方は真祖政権を支持してる人達を、拉致して虐殺しろなんて命令してませんよね!?」


 薄い根拠で、アウリヌスは自分に言い聞かせるようにブラッドに問うた。

 かつてとはいえ、オーブルと同士だったのなら何かの間違いなのではないか。そういう薄い根拠で問うた。


「情報収集などいくらでもできる。気付いたうえで泳がせ、有効活用してやろうと計らってやったのだ。光栄に思え……」


 無視された。それも、こちらに目を合わせようとせず、オーブルを見下したままでだ。

 まるでいない者のような扱いだ。こちらに一切の関心がない。


 ならばと思ったアウリヌスは苦し紛れに立ち上がり、


「質問に答えてください!! ブラッドさん!! 貴方は——ッ!?」


 無視できないように両手を横に広げて、ブラッドの視界を遮った。


「何故私が丁稚でっちの質問に答えねばならぬ……時間の無駄でしかない。二度と口を開くな。不快だ」


 だが結果は変わらず。ブラッドは汚い物を見るような冷眼で、こちらを見下してきた。

 これなら、いない者として扱われた方がまだ増しだったかもしれない。

 アウリヌスの信じたくないという必死の抵抗は、厳烈げんれつに踏みにじられてしまった。


「言っただろアウリヌス!! こいつはいい奴なんかじゃねぇ!! 冷酷無比のイカレタ野郎だ!!」


 オーブルに肩を掴まれ、アウリヌスは後ろに下げられる。


「爾奴ごときの価値観で私を語るな。ヴァンパイアはエルフのような長寿の人種と同じく、神によって創られた存在。神から血を与えられた有象無象とは違う。人の身でありながら、神に近しい存在なのだ。ホモデウスとでも呼称しようか。私が神に代わって無能を排除し、人類を強制的に高次元な存在へと進化させる。その為に、私は動いているだけに過ぎない」


「能力主義は糞だってのがなんで分からねぇ!! 多くの人が死ななけりゃ進化できねぇ寡頭的かとうてきな社会が! 本当にあるべきすがただなんて、お前は本当に思ってんのか!?」


くだもって天を窺うな。それこそが進化であり、それを否定する理論、道徳、価値観は全て、下衆げすの勘ぐりだ……」


 ブラッドの一家言に、オーブルは憤りながら論駁ろんばくする。その論駁にブラッドは内憤ないふんにじみ出し——静かに怒りながら論駁し返した。


 右と言えば左。ああ言えばこう言う。

 決して交わることのない意見と主張。それは、議論まがいの揚げ足の取り合いだった。


 ようやっと気づけた。理解に抵抗がなくなった。


 ブラッドが——こいつが父さんや母さん、姉ちゃんを殺した巨魁だ。

 この男のイカレタ目的の所為で家族は殺されたのだ。虐殺されたのだ。

 ゆるせない。


「もうよい、こいつらを捕らえろ」


 ブラッドは振り返って歩き出すと、堅気そうではない男達に指示を送った。

 男達は携帯していた鈍器を取り出し、アウリヌスとオーブルに目を血走らせながら襲い掛かる。


「クっ!! アウリヌス逃げッ——ガァッ!?」


 酒に溺れた暴力を振るうクレーマーを、叩きのめす程の体術は心得ているオーブルだ。しかし多勢に無勢。数人悶絶させたところを鈍器で殴られ、取り押さえられた。


「おじさッ————」


 彼を助けようとしたが、子供のアウリヌスに何かできる訳もなく。心窩しんかを殴られ、転瞬てんしゅんで意識が薄れた。


「かつての同志オーブルよ……爾奴は何故変わってしまったのだ。何故、何が爾奴を変えたというのだ……」



※ ※ ※ ※



 育ての親のオーブルと見ず知らずのブラッド。

 どちらを信じるかなど、考える必要がないくらいに明徹めいてつなことだった。なのに自分は憧れを理由にそれを否定して、何をしていたのだろうか。


 例えブラッドが巨魁でなかったとしても、それどころか聖人であったとしても、信じるべきはオーブルだ。

 だって結局は赤の他人だから。結局、個人を本当に助けられるのは身近な存在だけしかいない。


 オーブルは自分を助けようとしてくれた。

 堅気そうではない男達から庇おうと、背中で守ってくれた。鈍器で殴られ意識が遠のく中でも、彼はこちらを見て「逃げろ……」と思っていてくれた。


 悪いブラッドの甘言かんげん誑惑きょうわくされかけていた自分のことを慮り、真正面から真剣なまなざしで説得しようとしてくれていたのに。

 何故悩んだ。理解したくなかった。


 オーブルに謝らなければ。謝って彼を助けなくては。


——おじさん……


 目を覚ますと、全身が縛られ牢屋の中に閉じ込められていた。

 無骨な地下の部屋の中には自分以外居ない。自分を縛っている拘束具は、魔法を中和する術式が編まれたものだろう。魔法を射出しようとしても何も起きない。


 正面の牢屋には、気を失っている男がいる。

 絶望的状況。このまま何も出来なければ殺され、恥辱に報いることが出来ずに無様に死ぬことになる。


 ——報いろ、報いさせてやる。


 助けてくれたオーブルに報い、虐殺された家族の無念をブラッドに報いさせる。

 それには先ず、ここから抜け出さなくてはならない。


 嘗試しょうししたことなどある筈もないが、手の関節を外して拘束から抜けられないか。

 やってみる価値はある。ただやり方は分からない。思いっきり伸ばしてみるとかだろうか。


 とにかく嘗試した。そして、当然の如く失敗した。

 ただただ苦楚くそするだけして、時間も無駄にした。

 早く抜け出さなくてはいけないというのに、何をしているのか。


 アウリヌスは胸間で焦慮しょうりょする。

 手っ取り早く拘束から抜け出せる術は何かないか。


 拘束具を切り落とせる鋭い物。ない。

 壁に叩きつけて壊す。できない。壁の方が欠けた。

 周囲の牢屋の中にいる誰かに助けを求める。無理だ。自分が抜けられていないのに、他人が抜けられるはずがない。


 考えても考えても知謀は生み出せない。

 いたずらに時間だけが過ぎていく。

 刻一刻と迫る無様な死。


 何かいい案はないか。考えろ勘考かんこうしろ熟思じゅくししろ深慮しんりょしろ。

 何もできなければ報いれず死ぬだけだ。それが最悪。常識や先入観を捨てろ。

 そうすれば、今まで思いつかなかった知謀を生み出せるはずだ。


 例えばそう、腕を切り落と——、


「ぎゃぁ!?」「ウばゲェ!?」


 通りの奥から、男の悲鳴と切り裂くような音が響いて来る。

 誰かが脱出したのだ。


 運がいい。ブラッドをたおして、仇を打たなければ。



※ ※ ※ ※



 捕まる時に転移石を飲み込んだこと、ブラッドが尋問する為に殺さなかったこと、ヴァンパイア以外の人種がいたことが、不幸中の幸いだった。

 

 まず転移石を使って体内に刃物を転移させ、それを腹から取り出し、自分の右腕を切った。それで拘束から抜け出し、外で見張りをしていた獣人とヴァンパイアの男を殺して、獣人の血を吸う事で重症をほぼ全癒。


 アウリヌスを探しながら、膂力を向上させる特殊能力——筋肉操作を使って、囚われた者達を助け出していった。


 そうして、アウリヌスを見つけた。

 逃げよう。ここにいる全員で。



※ ※ ※ ※



——二人の意志が、運命が交差する……

 

「アウリヌス!!」


「おじさん……おじさん!!」


 目の前に現れたのは、多くのヴァンパイアを連れたオーブルだった。アウリヌスが鉄格子の前まで駆け寄ると、オーブルは「よかった、無事だったか!!」と、安堵の笑顔を見せる。


「ごめんおじさん! 俺のせいで……こんなことに」


 アウリヌスは躊躇わずに、オーブルに謝った。心から、嘘偽りなく深謝した。

 オーブルはアウリヌスの深謝に、慈顔じがんでニッコリと歯を見せて笑い、


「気にするな! それにお前の所為なんかじゃねぇよ……」


 鉄格子を両手でつかんで、力を込めるように力んだ。

 何をすると言うのだろうか。アウリヌスは『もしや』と思い、オーブル達が走って来た方を見やると、歪に反曲はんきょくした鉄格子が見えた。


 まさかと思った矢先、オーブルはそのまさかを、


「さっさとこんな所から抜け出して、船に乗って逃げるぞ!!」


 実践してみせた。抜きんでた膂力によって、鉄格子が反曲したのだ。

 驚愕するアウリヌス。しかし言葉には出ずに仕草にだけ出る。

 

 そんなことより、アウリヌスにとって重要なことがあるからだ。

 それはブラッドを殺すこと。


「助けてもらってごめんだけど、それはできない。俺は、あいつを殺す。殺して、家族の仇をとるんだ!!」


 アウリヌスはオーブルの目を真っすぐ見て言った。

 逃げることはできない。逃げたら、父さんと母さん、それに姉ちゃんだけでなく、虐殺された人たちが報われない。ブラッドに報いさせることができない。


「何言ってやがんだ! 無理に決まってる! 殺されて終わりだ!! それに俺達は他の人種と違って長寿だ! 敵討ちは後にでもできる! 何より、お前の父ちゃんや母ちゃんや姉ちゃんは、そんなこと望んでねぇ!」


「そんなの分からないだろ!! 敵討ちが後からできる根拠もない! それに俺達が逃げる間に、罪のない人々が虐殺されるんだよ!! 放っておけるかよ!!」


 必死に逃げようとするオーブルと、敵討ちをしたいと主張するアウリヌス。

 互いの思いが噛み合わずに、次の行動が定まらない。拉致され脱獄したという焦眉しょうびの急で、行動が滞ると言うのは非常にまずい状況である。


 しかし、


「その子供の言う通りだ!!」


「俺達をこの地下で殺して、それをコンキスタドールに売ろうとしやがったんだろ!?」


「ブラッドをここで懲らしめて、奴が悪人だってのを世の中に知らしめなきゃならねぇ!!」


 そのまずい状況はアウリヌスへと傾くことで解決された。

 アウリヌス達と同じく、拉致監禁された者達がブラッドを斃そうと声を上げ始めたのだ。

 その彼らを皮切りに、


「そうだ! 悪人に聖政戦なんて起こさせちゃいけない!」


「真祖政権の為に、ここで俺達が奴を潰して報いるんだ!!」


「あんな卑怯者のクソ野郎! この人数ならへでもない!!」


 他の者達もアウリヌスに賛同し始める。


 多数決。焦眉の急でこれを覆せるなど不可能。

 もし冷静沈着に考えられるなら、この人数を短時間で拉致できた相手に、勝てるはずがないのだ。


 だが、やられたらやり返したくなるのが常人の思考だ。無理もない。


「やろう、オーブル。俺達の手で!」


 顔の前で握り拳を作り、前に出たルスヴィンがオーブルを見つめる。

 止めは外交官のルスヴィンによって刺された。そうして、オーブルの願いは完全に絶たれてしまう。


「みんなで一致団結したら、きっと勝てるよ!! おじさん!!」


 アウリヌスはルスヴィンの横に立ってオーブルを見つめる。

 オーブルは、


「お前ら……だが……」


 願いを完全に絶たれても、決断できないでいた。

 アウリヌス達からの視線に耐えられず、下を見て目を離してしまう。


 だって彼の生きがいは、アウリヌスが生きていることなのだから。ここで闘えば、アウリヌスは——、


「無能というのはここまでに浅はかで度し難いとは……爾奴も苦労するな」


 その時、矢庭やにわに地面から赤黒い液体があふれ出し、その中からブラッドが現れた。

 ブラッドが現れた地面には穴など開いてはいない。何もないはずの地面から、ブラッドはどういった原理で現れたというのか。


 いや、それはいらない雑慮ざつりょだ。

 アウリヌスは目の前に現れたブラッドへと飛びつこうとした。だが、


「ブラッド! わざわざ一人で来るとはいい度胸じゃねぇか!!」


「手下のいない大奸なんざ! 敵じゃねぇ!!」


 彼よりも素早く男達が前へと出た。

 全員が現れたブラッドを射殺しようと、前に突き出した手にオドを収束させていく。


「お前等! 早まるな!!」


「フレア!」「フロスト!」「ゲイル!」「ストーンメアハイト!」


腥血せいけつ起動」


 オーブルが抑止しようと叫び、それでも構わずに魔法を射撃していく男達。その中で微小であったにも関わらず、ひと際目立ったブラッドの声がアウリヌスの耳に残った。


 ブラッドの両掌の中心から、赤黒い球体が現れる。


 気付いた。

 やばい。死んだ。


「「「ッ!?!??!?」」」


「アウリヌス!!」


 自分と同じく死を達観する男達と、叫び、こちらに飛びついて来るオーブル。動かされる視界の中で、アウリヌスはそれが飛び出して来る瞬間を目の当たりにした。


エスピーナ


 赤黒い球体から、


「「「ガァ!?」」」


 同じく赤黒い鋭い尖った針が、アウリヌス達を殺しに飛び出してきたのだ。

 男達はその針に胸以外の箇所をめった刺しにされる。


 自分とオーブルは、間一髪で牢屋の中に逃げ込んでいた。


——嘘だ、そんな、だって、人が、人が……


「あぁ、ぁぁぁぁぁぁ!!?!?!?」


 アウリヌスは目の前で人が殺されたことに惶遽こうきょし、声を荒げてしまう。

 その惶遽っぷりは、アウリヌスが殺し殺されるという状況にめっぽう耐性が無いと言う証左であり、同時に彼が、ブラッドを根本的に殺すことができないことを現実にしていた。


「大丈夫か! アウリヌス!!」


「お、おじさん……人が、人が……」


「今はそんなこと気にしてる場合じゃ——ッ!? うぐ……」


 顔を恐怖で引きつらせるアウリヌスに、オーブルが平静を促そうとした時、彼は唐突に傷を負った場所——左横腹を左手で抑えた。


「おじさん?」


「ぁ……クソ、なんだ、こりゃ……」


「なに、それ……」


 そこには、


——お腹が、黒くなって……


 軽いかすり傷から段々と広がるように、オーブルの身体を蝕んでいく黒い何かがあった。

 これは一体、何だと言うのか。


「避けたか……しかし、丁稚の所為で完全には避けきれず、傷を負ったな。オーブル」


 自分がやったと言うように、ブラッドが奥から話しかけて来る。

 この黒い何かは、ブラッドの攻撃を受けて発症したのだ。


「腹が、焼けるみてぇだ……この感覚は」


「同胞食いによる報復だ……我々を創造した神が、同種同士で絶滅させない為に欽定きんていした禁忌。私の血をお前の体内に流し込んだわけだ。更に、私は私自身の血に毒を仕込んでいる……」


 腹を抑え、激痛と痛痒つうように汗をき、顔を蒼白にさせるオーブル。ブラッドは赤黒い針を元に戻し、何をしたのかを縷縷るると述べながら、ゆっくりとアウリヌス達の方へと歩いて行く。

 

 まるで勝ち誇ったかのような慢心だ。

 その通り、ブラッドは余裕な笑みを浮かべていた。そして引き続き、


「帆船で国外へと逃げようとした時から徹頭徹尾てっとうてつび、爾等は有効活用される運命だったのだ……終わらせてやろう、かつての同志よ。腥血」


 首を動かさずに目だけをオーブルに向けて、再び赤黒い球体——血液の球体を——、


「ルスヴィン!!」


 同じく反対側の牢屋の中に飛び込み、生き残っていたルスヴィンに、オーブルは叫んだ。ルスヴィンは「あぁ!!」と返す。


 合図だ。

 だが、彼らは合図など事前に決めてはいなかった。


「————ッ!?」


 それでも、二人は違わず同じ行動に出た。

 ブラッドの周りの天井を、魔法を撃って崩したのだ。


 同じ行動をとれたのは、交感こうかんしたからだ。それは絶体絶命の状況に置かれたことによる、魂での意思疎通。


 このまま地上に出て逃亡し、総裁エイブラムにこの事態を告げる。そうすれば、ブラッドは斃せる。ポリドリから逃げる必要もなくなる。

 この状況は寧ろ好都合。追い詰められているのはこちらではなく、ブラッド側だ。


「地下に閉じ込められたのなら、天井を破壊して逃げ、る……」


 そうポジティブになったのも束の間。


「オーブル! 変な壁があるせいで、抜け出せないぞ!!」


 天井が崩れたことで現れるはずの空が、見えないのだ。ブラッドの掌の上に浮かんでいる血液と同じ色の障壁が、空を遮っているのだ。


「はははは……言っただろう、徹頭徹尾、爾等は有効活用される運命だったと……」


 崩壊した瓦礫の中から、ブラッドの嘲笑じみた笑い声が響き渡る。


「どうなって、やがる……」


「ここは私が造り出した、血の結界に囲まれた異空間。もしも俗輩ぞくはいが牢屋から抜け出し、逃げられてしまったら、私の計画が公になってしまうからな……その問題への答えというわけだ」


「ッ!!」


 狡猾で野心家この上ないブラッドの深謀しんぼうに、オーブルは睨みつける。

 アウリヌス達がいる場所が異空間というのなら、何もない地面からブラッドが現れた説明になる。そして、仮に逃げることができても証拠は隠滅させられてしまう。


 ブラッドを斃すことはできない。


「そんな目で見るな。光栄に思えと言っただろう。恍惚こうこつの笑みを浮かべながら、法悦ほうえつするように手を広げて、全てを受け入れろ……」


 瓦礫の中から血液が溢れ出し、ブラッドが構成されていく。そして、完全にブラッドが出来上がる前に、


「腥血・エスピーナ


「クッ!! ギィぐ、ガァはァ!?」


 血液の針がオーブルをめった刺しにした。

 アウリヌスはオーブルが挺身ていしんして守ったことで、無傷で済んだ。反対側にいたルスヴィンは傷は負ったが、致命傷には至っていない。


「さて、かつての同志オーブルよ。爾奴はどのような魔力核をしているのだ?」


 オーブルは即死してもおかしくない傷を負い、ルスヴィンもブラッドの攻撃を受けたことで体内に毒が回りつつある。


 惨敗のきざしが、アウリヌス達にも認識できる近さにまで迫っていた。


「ハハ、同胞、食いによる、報復か……」


「…………?」


 全身を黒で蝕まれる中、オーブルは可笑しそうにぼやいた。

 いぶかしむブラッド。愁容しゅうようになるルスヴィン。唯一、オーブルの顔を間近で見ていたアウリヌスは、彼が笑った真意を感悟かんごする。


「だけどよぉ……そいつは、身体と、精神が、蝕まれるだけ、で、ゴハァッ!? 傷が、治らねぇ、訳じゃねぇ!」


 オーブルは自信に満ち溢れた顔で、身体に突き刺さる無数の血の針を強靭な肉体でへし折る。そこからアウリヌスを抱えて、


「お前らの死は、無駄にはしねぇぇぇゾォォォ!!!」


 死んだヴァンパイアの死体に食いつき、その血を吸ってみせた。


「グッ!?!!?!?」


 転瞬だけだが、うめき声をあげるオーブル。その体から血の針を抜くと、無数の刺し傷と身体が塞がるかわりに、身体を蝕んでいた黒い何かが広がった。


「こいつ!?」


 傷だけを完治させたオーブルは、アウリヌスをルスヴィンの足元に投げ飛ばし、狼狽えるブラッドに突貫。その間合いを倏忽しゅっこつたる時間で縮め、勇烈ゆうれつに拳を叩きつける。

 大きな衝撃音が響き、ブラッドは壁に吹き飛ばされた。 


「ルスヴィン!! アウリヌスを連れて逃げろ!!」


 ブラッドを殴り飛ばしたことで出来た一掬いっきくの時間を使い、オーブルはルスヴィンに告げる。ルスヴィンは「お前!!」と、正気なのか訴えかけた。

 オーブルは、


「ルスヴィン! アウリヌスを、頼む……」


 ただ一言、やせ我慢の笑みを浮かべて言った。


「——あぁ、任せろ!!」


 一瞬の沈黙の後、ルスヴィンも一言だけ、見れば空虚だと分かる毅然とした顔で返す。


——おい、何言って……


「おじさん!! 待てよ!! 俺も、僕も戦う!!」


「駄目だ!! オーブルの命は無駄にはしない!!」


「嫌だ!! 離して! 離せよ!!」


 目に涙を浮かべて暴れ出すアウリヌス。ルスヴィンはそのアウリヌスを離さないように両手で抱きかかえて、オーブルとは反対方向に走る。

 アウリヌスはルスヴィンの拘束から逃れようと必死に藻掻もがくが、大人の力を振り解ける訳がない。


「僕も戦う!! オジサンと一緒に闘うんだ!!」


 アウリヌスの瞳には、ただただ遠ざかっていくオーブルの背中が映る。


 彼の背中は、軽く叩けば壊れそうな程にもろく見えた。そんな状態で闘えば、オーブルは敗亡はいぼうする。絶対に死んでしまう。

 それでも闘おうとしているオーブル。


「臆病じゃなかったのかよ!? 僕と一緒に逃げるんじゃなかったのかよ!? なに一人で死のうとしてるんだよおじさん!! なぁおい!!」


 格好つけるなと叫び、世界が遅くなっていく中、少しだけ振り返ったオーブルの顔をアウリヌスは見た。その口の動きを見た。

 彼の口の動きは「今までありがとな。達者でな、アウリヌス」と、確かに言っているように見えた。


 そのことを裏付けるように、告げた彼の顔には、その表情には、やせ我慢でも虚勢でも空虚などでもない、純然たる欣幸きんこうが凝縮されていた。

 オーブルは顔を背け、ブラッドに立ち向かう。


——嘘だ! ふざけるなふざけんな!! こんな別れ方なんてありかよ馬鹿野郎!! 死ぬんじゃねぇよ!!!


「僕が絶対におじさんを、おじさんを!! 死なせるもんかぁぁァァ!!!」


 意識が剥離はくりする。

次の話はちょっと短くて、ちょっと主軸からそれた蛇足になります。

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