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アンリーズナブル  作者: 犬犬尾
第三章 絶対ルマティ教社会主義国 ルマティア
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第10話 涜聖2

 『風呂だ風呂だ!』と、誰一人として居ない公衆浴場に入ったまではいいものの、運悪く男から女へ切り替わる時間だったらしく、アウリヌスは覗き扱いで逃げる羽目になってしまった。


 風呂に入れず、あまつさえ覗き扱い。余りの幸薄さに人生で初めて『とほほ』と、口にしてしまった。


 アウリヌスは洗って乾かした木製の器を片手に、オーブルの家に帰宅した。

 

『ただいま、おじ……』

 

 いつもと違って家の中が薄暗いことに違和を感じつつも、アウリヌスは扉を開いて中に入った。

 まだ幼く思慮浅い彼は『節制かな?』と思惟した。吝太郎しわたろうのオーブルだ。なくはない。

 が、アウリヌスの考えはのちのち否定されることとなる。


『これで、俺達を乗せて行ってくれないか?』


『と言ってもなぁ……』


 部屋の奥で、オーブルと誰かの話し声が聞こえて来た。『誰かと、話してる?』と胸襟きょうきんで零しつつ、アウリヌスは扉に耳を当てて、話を盗み聞きすることにした。


 本来なら、アウリヌスは盗み聞きするような狡猾こうかつなやつではない。オーブルが自宅で誰かと話していようと構い無しに『ただいま!』と、部屋の中に入っていくのが彼だ。

 だが今回は風呂に入れなかったことや、家の中が蒼茫そうぼうとしていたことが誘因となり、盗み聞きする結果となったのだ。


『ヴァンパイアが外に出ることは、固く禁じられてる。犯罪だぞ……知られたら終わりだ』


 『分かってる。だが、ブラッドはイカれた野心家で、手段は選ばねぇタイプだ。今回のやつの政策には、きっと裏がある』


『どういう根拠で……』


 盗み聞きして早々、アウリヌスは持って行き場の無い複雑な感情に苛まれた。

 犯罪という単語に、憧れ支持しようと思ったブラッドへのいわれのない非難。そしてそれを、父親とも言えるオーブルが口走ったという事実。


——おじさん、なんでブラッドさんの悪口を……


 アウリヌスの中で葛藤が生まれる。

 憧れの存在を、身近な人が軽佻浮薄けいちょうふはくに罵っていたと知れば、複雑な感情になるというもの。幼いならなおのことだろう。


 アウリヌスは歯を食いしばり、怒りを砕き割るように強く握り拳を作った。


『根拠としちゃあ、ちと薄いかもしれねぇが、ある日聞いたんだ。堅気そうじゃねぇ男達が、上から保守派の奴を拉致しろって命令された云々の、話をしてたのをな。恐らく、アイツらは下請けの下請け、謂わば捨て駒だ……ブラッドがどういう奴なのか、俺は同級生だったから知ってる』


——同級生。


 その言葉は、偶然にもアウリヌスの耳に入らなかった。


『奴は、目的の為なら手段は選ばねぇ。保守派の奴を拉致させたのは、保守派の奴らの票を革新派に移す為だ。きっと間違いない』


 自分なりの考えがあってブラッドを罵倒したのだと主張するが、アウリヌスにはもう関係などない。寧ろ、薄い根拠という言葉がアウリヌスをより激昂げきこうさせた。


『そいつぁ……』


『恐らく、奴は今回の聖政戦で、真祖政権総裁(そうさい)のエイブラムを殺すつもりだろう。きっと、真祖政権を支持してる奴らもただじゃ済まない。犯罪だか何だか知らねぇが、黙って殺されるよりかは増しだ。俺はアウリヌスを連れてここから逃げるぜ』


 数秒の沈黙の後、オーブルと話していた男は折れたように『分かった』と吐き出し、


『大金をつぎ込まれて尚、そんな話を聞かされちまったら、断れるものも断れねぇ……だが、無駄なリスクは背負いたくない。決行は、俺達が国に帰る予定の日だ』


 二人が逃げるのを手助けすることを誓った。


『分かった。それで頼む』


 話が終わったのか、椅子を押して立ち上がる音が耳に入って来る。

 盗み聞きしたのがバレることよりも、単純に今オーブルと顔を合わせたくない。アウリヌスは暗い表情で、自分の寝室に入った。


 靴を脱ぎ捨ててベットに寝転ぶと、鬱積うっせきを嚙み潰すように歯を食いしばった。


 オーブルが犯罪を企てている。憧れ、支持したい人をオーブルが罵った。

 薄い根拠だの、きっとだの、恐らくだの。噂に流され|たり、嘘を付いたりする人が口にする常套句じょうとうくだ。


 扉の奥からオーブルと男が別れの挨拶をしているが、今のアウリヌスには聞こえない。


 ——悔しい。なんでこんなに悔しいんだよ。


 叔父に、オーブルに裏切られたという感情が、アウリヌスの心の中でぐるぐると渦巻く。

 枕を締め上げるように強く抱きしめ、ただ暗い部屋の中、溢れ出る怒りを噛み殺し、壁と枕だけを見て過ごした。


 その日はあまり寝れなかった。


 翌朝になり、ベットの上で寝ていると、扉をオーブルが開けて入って来た。 入ってきてほしくなかったが、だからといって扉を開けられないようにするほど、アウリヌスの気力はなかった。


『アウリヌス。明後日は船に乗って違う島に行き、そこで店を出すからな。そこは違う人種の客ばかりだから、いつも通りにはいかないぞ。接客の仕方は変えなくちゃいけねぇ。臨機応変に対応しなきゃいけないってことを、しっかり意識しとけよ……』


 暁光ぎょうこうを遮るカーテンを開け、オーブルは蒼茫とした部屋を明るくする。

 無視したいが怒られるのも嫌だし、返事だけはしておこう。

 アウリヌスは壁に顔を向けたまま、希薄きはくに「うん……」と返事をした。


 開いた扉から、朝食の匂いがしてくる。

 ミルクの匂いだ。オートミールをミルクに入れたポリッジだろうか。


 でも今は、ベットから起き上がって食べたくない。

 どうしても訊きたいことがある。それを聞き出すまでは、ベットから出たくない。顔も見たくない。


『……ねぇおじさん、なんで違う島に行くの?』


 アウリヌスは布団を深くかぶりながら、オーブルに疑問を投げかけた。

 最初から本題に入らないのは、答えをはぐらかされるかもという不安と、順を追って知りたいという意欲があったからだろう。


 自分のことなのに『だろう』と取り留めがないのは、自分の言動を後から自分なりに解釈したからだ。


『出稼ぎだよ、出稼ぎ。遠いとこに行って、そこで料理をいつもより高く売って稼ぐんだ』


 真っ赤な嘘だ。どうして嘘を吐くのか。どうせ、子供だからと言う都合のいい理由だろう。

 アウリヌスは胸襟でイライラした。それを外に出さないように抑え、


「でも、充分今も稼げてるんだよね? 船に乗っていくのにも、乗船料とかあるだろうし、わざわざポリドリを出る必要なんてないよ。ここでいつも通り稼いだ方がッ——」


「ガキなんだから、んなこと気にすんじゃねぇ! てめぇには分かんねぇことがあんだよ! 世の中にはッ——!」


 やっぱりそうだ。


「嘘ついてる…………」


 分かって欲しい。複雑な気持ちに気付いてほしい。

 それを声に乗せて言ったのに、オーブルは怒って言葉尻をとらえてきた。だから彼の言葉尻を、アウリヌスは鬱積を吐き出すような言い方で、とらえ返してやった。

 

 オーブルの怒った声がそこで止まる。


「本当は外に逃げるんだよね? 犯罪なのに」


「お前、なんでそのことを……」


 丁度いいと、アウリヌスは嫌味っぽく言ってやった。

 今まで見たことがない程に、オーブルの顔色が変わる。それはアウリヌスには見えていないが。


「昨日お風呂に入れなかったから、早く帰って来たんだ。その時に……」


「……そうか、聞いちまったのか。なら仕方ねぇ……」


 怒る訳でもなく、欺罔きもうしようと嘘を吐くわけでもなく、オーブルは目を瞑り、ただうつむいて言った。

 それから彼は深呼吸すると、覚悟を決めたように決然けつぜんと顔を上げ、アウリヌスを見た。そしてアウリヌスに向かって緩歩かんぽし、彼が壁の方を見ていても構いなく、座って目線を合わせ、


「アウリヌス。話を聞いてたなら、お前にも分かる筈だ。このままここにいると、俺達は殺されるかもしれねぇんだ。奴は真祖政権を支持してる、俺達みたいな死んでも何ともなく、他人と関係の薄いヴァンパイアを拉致してるんだ」


 根拠の薄い話を始めた。

 どうしてこうも自信満々にオーブルは話せるのだろうか。血のつながっている者として、恥ずかしくなってくる。


 アウリヌスが煩わしい思いをしている中も、オーブルの話は続き、


「俺達の血縁関係は俺とお前だけだ。血縁以外でも、深い関係の奴はいない。あっても店の上連くらいのもんだ。なにより、虐殺されたお前の父ちゃんの肉親だ。生き残ってる唯一の血縁関係すらも虐殺されたなんざ、人の情を動かすのに——ッ」


「わっかんない!! わっかんないよ!!!」


 コンキスタドールに虐殺された、家族の話題を挙げられたところで心の中の土嚢どのうが崩れ落ち、怒りが洪濤こうとうとなってアウリヌスの口から漲溢ちょういつする。

 アウリヌスは布団を弾き飛ばして、ベットから起き上がった。


「ブラッドさんは僕の父ちゃん、母ちゃん、姉ちゃんの仇だけじゃなく、大切な人を殺された人達の為に、戦おうとしてるんだよ!! きっと何かの勘違いに決まってる!! それを薄い根拠でああだのこうだの!! オジサンおかしいよ!!!」


 躊躇ためらいなく、怒りの思いを全て吐き出した。

 自分でも驚くくらい卒然そつぜんと行動に出たからか、短い時間大声を出しただけなのに息切れした。


 表情を固め、二の句を継げないでいるオーブルから視線を外し、アウリヌスは歯噛みする。数秒——数分にも感じられる時間の沈黙が続き、アウリヌスは家から出て行った。


「まて! アウリヌス!!」


 残されたオーブルはアウリヌスを追いかけた。

 少年と大人の体格差だ。オーブルはすぐアウリヌスに追いつき、逃げられないように右腕を強く掴んだ。


 幸いオーブルの家は人里離れた僻陬へきすうにある。

 周りに人がいることはない。


「離せよ!!」


 振り解こうと右腕を大きく振るアウリヌス。その彼を、オーブルは無理矢理振り返らせ、


「聞いてくれアウリヌス! 頼む! 俺の話を聞いてくれ!!」


 両肩を掴んだ。

 オーブルの見たくない顔がはっきりと見えてしまう。


「何を聞けってんだよ!? おじさんがどれくらい無根拠に、ブラッドさんを罵ってるのか聞けってか!? 黙って信じろってか!?」


「違う!! いいか、アウリヌス! まだ幼いおめぇには酷かもしれねぇが、心して聞くんだ!!」


 今度は孱弱せんじゃくに肩を振って逃げようとするアウリヌス。

 嫌なのに強く逃げようとしないのは、真剣なまなざしで見つめられたからだ。


 それは今日で二度目だった。

 またオーブルの見たことのない表情だ。顔と瞳は同じ形をしているのに、別人かと錯覚してしまう程、オーブルの紅眼は憂いでんでいた。

 

 どうして、いい人を悪く言うのに、オーブルはここまで心配してくれるのだろうか。

 理解不能だと当惑するアウリヌスの抵抗は、それを契機けいきに自然となくなっていった。


「お前の父ちゃんと母ちゃんと姉ちゃんはなぁ! 無差別に殺されたんじゃない! 計画的に殺されたんだ!!」


「え…………?」 


 ——何言ってんだ、意味が……


 無理解に続く無理解。アウリヌスの表情が、凝然と時間が止まったかのように固まる。


 ——無差別に殺されず、計画的に殺された?


 そして、理解と宿怨しゅくえんが脳に染み渡り、


「どういうこと……どういうことだよ……計画的に殺されたって、どういうことだよ!! 誰がそんな無意味なことをするってんだ!!」


 爆発した。

 アウリヌスはオーブルを睨みつける。


「ブラッドだ。奴は自分がヴァンパイアの頂点に立つために、同胞のヴァンパイアを厳酷げんこくにも虐殺してるんだ。それもトカゲの尻尾切り。自分の立場が汚れないよう、捨て駒を使ってな……」


「どうしてそこまで、おじさんはブラッドさんを疑うんだ……」


「俺はブラッドと知人でな……いや、同じ学校に通ってたただの同級生だ。その学校では、学年で一桁台の成績を残せた者に、貴族の嫡子ちゃくしになれる権利が与えられるんだ」


 オーブルがブラッドと同級生だったことには卒遽そっきょだ。だがそれ以上に、


「話が見えてこないよ……」


 オーブルが何を言いたいのか分からない。

 学校の話に、成績がよければ貴族の嫡子になれる。それと父さんや母さん、姉ちゃんをブラッドが計画的に殺すことに、連繋れんけいなどあるというのか。


「分かってる、大事なのはここからだ。ブラッドは学校に入ってからの一年間、よくイジメられててな。だからか、勉強はできるがイジメられてる可哀想なやつってイメージだった」


 イジメられていた。勉強が取り柄の真面目な人。

 それだけ聞くと、今のブラッドの躍進やくしんぶりを見るに、素晴らしく誠実な人物に思えてしまう。寧ろ虐殺を止める側ではないのか。


「だがある日、俺は偶然見ちまったんだ。あいつが計画的に、自分がイジメの被害者になるように強制してるのをな」


 だがオーブルは汚い物を隠す為に乗せたふたを、タイミングよく取り外した。

 それを言われてしまっては、例え憧れている人でも疑ってしまう。


「あいつにイジメるように強制させられてたのは、学年で一位の成績を残してた奴だ。それに対し、ブラッドは成績は優秀だったが、学年で一桁台に入れるって程じゃなかったんだ。ある日を境に、イジメは過激になっていってな。目に余ると判断した総長そうちょうが、その学年一位のやつを退学処分にした。結果、ブラッドは学年で一桁台の成績になったな」


「じゃあ、ブラッドさんは、自分の成績を学年で一桁台にする為に、成績が学年で一位の人に自分をイジメるように強制させて、計画的に退学させたってことかよ?」


「その通りだ」


 アウリヌスの疑問に、オーブルは目を見たまま質実しつじつに首肯する。

 彼が嘘偽りを言っているようには思えない。これが嘘だと思いたくない。


「じゃあなんで、ブラッドはそこまで貴族になりたかったんだよ?」


「革新派の筆頭になるには、最低限でも貴族である必要があるんだ……選挙で過半数以上の票を得るなら、公爵じゃないと無理だろうな。そして見事、ブラッドは公爵の嫡子となった。イジメられていたのに、優秀な成績を残せた素晴らしい子ってのがきっかけでな……」


 アウリヌスはその言葉に何も言えず、口を閉ざす事しか出来なかった。 


 憧れという綺麗な白紙に、狐疑こぎという汚水が一滴だけしたたり落ちる。


 コンキスタドールに強者だと示威する為に、虐殺された人とその遺族を弔慰する為に動いているブラッド。赤ん坊のころから一緒に居る、育ての親のオーブル。


 つい先ほど仲違いをしたが、親しい人と知らない人だ。

 ブラッドの事は知らない。だから、オーブルの理屈を覆せるような反論はできない。


 だからといって、でも、どうすれば、どちらを信じればいいのだ。


「……ブラッドは、選挙で過半数以上の票を得て、聖政戦を起こして、一体何を……」


「そんなもん決まってる。政権交代だ」


「政権、交代……?」


 聞いたことがない言葉だが、真祖政権から革新派政権に交代するというのは照察しょうさつできた。


「あぁ……きっと拉致されなくても、聖政戦が終われば奴は見せしめに、保守派の死んでもいい俺達を殺すだろう」


「だけど、憶測なんだろ? 薄い根拠なんだろ?」


「あぁ……その通りだ。単純に、コンキスタドールが海を跋扈ばっこしてるだけって可能性は、否定できない。でも、あいつはやる」


 オーブルは薄い根拠であることを否定しない。そこで否定されれば、ブラッドのことを信じて、オーブルを嘘つきだと切り替えることができたかもしれない。

 重ねて、オーブルの真剣な目と質実な表情——欺罔しようとする要素が一切合切ないのだ。


 ただ正直に答えようとする気持ちが、オーブルから感じられた。


「お前の父ちゃん、俺の兄貴は保守派だった。当然その妻、お前の母ちゃんも保守派の一人だ。そして、お前の姉ちゃんも兄貴と一緒に、真祖政権を支持してた……その三人が、他国の見聞も兼ねて、旅行に出ないかって誘われて、俺にお前を預けて出て言った途端、返らぬ人となった……」


 玉響たまゆらの時間、オーブルは闃然げきぜんと黙ると、急にアウリヌスの肩を力強く両手で握りしめて、


「おかしいとは思わねぇか! 薄い根拠だとしても、戯言だって、ほら吹きだって言いきれるか!?」


 鬱積を、鬱憤うっぷんを、積年の義憤ぎふんを吐き出すように尽言した。

 その言行は、彼が本気であることを如実にしていた。


 だが彼が本気であることが分かって、油然ゆうぜんたる疑念が一つ浮かんでくる。


——どうしておじさんは敵討ちをしないで、逃げようとするんだ?


「…………ならなんで、おじさんは逃げるんだよ? そうだって分かってて、何で逃げるんだよ!!」


 疑念が言行として——オーブルの肩を掴んでくる両手を振り払い、大声となって溢れ出した。

 オーブルは万感を切り付けるように顔をゆがませ、何も言わずに黙った。


 「父さんも仇を、なんで取ろうとしないんだよ!!」


 それが癪に障り、アウリヌスはオーブルの胸倉を掴んで真正面からハッキリ言った。


「俺が情けねぇからだ……お前を、兄貴から頼まれたって理由を言い訳にして、逃げたいからだ……お前を助けるだけなら、大金を他国の外交官につぎ込んで、任せれば何とでもなる。でも、俺は死ぬのが怖いから、敵討ちは無理だって決めつけて、お前と逃げることにしたんだ……」


 そうして返って来たのは、普段の怒りっぽいオーブルからは感じられない、怯懦きょうだで情けない言葉の数々であった。

 いつも怒っていたのは、その髭は、強面は、全部見掛け倒しだったのか。


「すまねぇ……臆病で頼りねぇ男で、本当に、すまねぇ……」


「だったら、おじさん一人で逃げればいいじゃん……」


 目を伏せあがなうように謝罪するオーブル。その彼に、アウリヌスは一番辛いことを言ってしまった。

 事実、見限りの言葉を浴びせられたオーブルは、


「俺を、おじさんの都合に巻き込むなよ……」


 冷たい目で睥睨へいげいして離れていくアウリヌスを、追いかけられなかった。

 怖くて敵討ちもできず、おいを連れて逃げる選択肢しか選べなかったオーブル。唯一、血のつながりがある甥。縋る思いで育てて来た、息子と言える存在。


 そのアウリヌスから見限られた彼の感懐かんかいは、何人なんぴとも推し量ることはできない程に、どん底へと落ちていった。



※ ※ ※ ※ ※



 それでも時間とは無常に過ぎ去るものであり、ポリドリから逃げ出す期日になってしまった。


 オーブルはというと、一人で外交官のルスヴィンが待機している港湾こうわんに到着した。


 そこには長い航海を想定してか、黒く塗られた木製の帆船はんせんがあった。帆船には縦向きに帆を畳んだ三本のマストが見え、上に出っ張った船首楼せんしゅろう船尾楼せんびろうが重厚感を溢れさせている。

 帆に髑髏どくろが描かれていたら、海賊船と見間違える程のずんぐりした船だ。

 

「オーブル、やっと来た……て、お前、その顔どうした? それに、子供は?」


 ルスヴィンはオーブルの顔を見て、唖然とせざるを得なかった。


 ブラッドがアウリヌスの父を——兄を捨て駒を使って殺し、血のつながりがある自分達の命を狙ってくると言ったのは、オーブル自身である。


 命に関わることだ。唯一の肉親で、今は亡き兄から頼まれた存在。


 アウリヌスに見限られたからといって、強引にでも彼を連れて来るのが合理的であり、普段の自分なら躊躇ちゅうちょせずに執行していただろう。

 だのに、アウリヌスを強引に連れてこれなかったのは、オーブルの心がすさみ切っていたからに他ならない。


 それは既に分かっている通り、顔にも深く表れていた。


「悪い、アウリヌスと喧嘩しちまってな。あいつが家から出て行っちまった……少しだけ、ほんの少しだけ待ってくれないか……」


 だが、そんな状況でもオーブルは絶念ぜつねんせずにいた。腹が減れば食い物を欲すように、絶念できずにいた。

 それだけ彼にとって、アウリヌスの存在が大きかったのだ。


「は? なんだそれ? 急に待ってくれなんて言われても、乗船するのはお前だけじゃねぇ。無理に決まってんだろ」


「分かってる! だが頼む! 明日、明日だ! 明日には必ずアウリヌスを説得して戻って来る! だからそれまで、ポリドリに留滞してくれ!! どうか頼む!! この通りだ!!」


 あしらわれても落胆することなく、叩頭こうとうしながら恥を捨てて哀求あいきゅうする。

 彼の人生の中で、叩頭して誰かに哀求することなど一度もなかったことだ。しかし、そんなことなどどうでもいい。


 恥を捨ててでも、やらなければならない時はある。


「頼む!!!」


 大声での懇請こんせいと、やっても意味がない瞑目。

 目を瞑って懇請すれば、相手に気持ちがより伝わるのではないかという、浅短(はなは)だしい行動だ。ましてや、叩頭している所為でルスヴィンには全く見えていない。


 それでも続けた。

 そうして必死の懇請が伝わったのか。ルスヴィンは「はぁ、分かった」と、不承不承ふしょうぶしょうに承諾してくれた。


 ルスヴィンはオーブルの肩に右手を乗せ、


「だが、待つのは今日の日付が変わるまでだ。顔をあげろ……俺もお前と一緒に、アウリヌスを探して説得してやる」


 協力するとまで言ってくれた。

 たかが二人の命、されど二つの命。ここで待たなければ、そもそもヴァンパイアを船に乗せようとはしないということだ。


「ありがとう!! 本当にありがとう!! ルスヴィン!!」


「さて、それじゃあアウリヌスを探しに行くぞ! さっさとしないと、間に合わなくなっちまう」


 顔を希望で輝かせるオーブル。ルスヴィンはその彼にただ微笑みかけ、急いで二手に分かれた。報せは転移石を使った紙切れの交換。

 アウリヌスを二人で探し始める。


「あいつ、一体どこに……まてよ……?」


 二、三時間ほどアウリヌスが行きそうな場所を探ったが、見つからず。そこでオーブルは『アウリヌスはブラッドを探している』と思い、富裕層が住む住宅街に向かった。


 そして、アウリヌスは居た。場所は曲芸師や吟遊詩人が賑わす噴水。そこが見える路地裏の隅の影で、アウリヌスが座って中心を睨んでいた。


 子供ながらブラッドが現れそうな場所を考え、虎視眈々(こしたんたん)と待機していた訳だ。


「見つけたぞアウリヌス!! こんなとこにいやがったのか!」


 オーブルは視界を遮るように、アウリヌスの前に立った。

 陰鬱いんうつな場所の所為か、そこは賑やかな雑踏の近くなのに人気が無かった。


「何だよ叔父さん、一人で出ていけって言っただろ……」


 昨日追いかけて来ないで何を今更と、アウリヌスはオーブルの目を見ずに低くぼやいた。その冷暗れいあんな眼は、まるでオーブルを邪魔な存在だと諷示ふうじしている。

 それは到底、子供ができるような、ましてや数日前まで純粋な眼をしていた少年ができる冷たさではなかった。


 アウリヌスにとって家族とは、それほどまでに大切で代替のきかない存在だったのだ。臆病な自分本位でアウリヌスを巻き込もうとしたことを、オーブルは今そこで慚愧ざんきする。


 だが、だからといって、アウリヌスを置いていくわけにはいかない。

 自分だけ逃げることは、アウリヌスを見殺しにするだけでなく、兄の信託を最も汚す裏切りになる。


「昨日は悪かった」


 だからオーブルは謝った。謝るしかなかった。


「そんなこと言っても、俺の気は変わらないよ」


「臆病な叔父で悪かった……頼りねぇクソ男で悪かった!」


 今度は叩頭して謝った。

 プライドなんてどうでもいい。いや、子供に、甥に叩頭して傷つくプライドなどプライドとは言わない。まがい物のクソだ。クソなど捨ててしまえ。


「何度言っても変わらないって! 俺はここから出て行かない! おじさんが嘘つきなのか、ブラッドさんが悪者なのか、この目で確かめるまでは絶対に!!」


 それでもアウリヌスは付いていくとは言わない。

 ただ、アウリヌスの眼が冷暗ではなくなり、オーブルの後頭部に視線が向いたのは、オーブルの深謝しんしゃが伝わったからだろう。


「聞いてくれアウリヌス! 納得いかないことばかりかもしれない!! こんな奴のいうことなんて、聞きたくないのは分かる! でも、お前を思ってない訳じゃない! お前を助けたいと思う気持ちは、本当のものなんだ! 一度だけでいい! 俺を信じてくれないか!」


 オーブルは言い切る前に頭を上げ、アウリヌスを見上げる。そして、こちらを見下ろしているアウリヌスの眼が、いい方に変化していることに気付いた。

 温かみを帯びた瞳になってきている。


「だから、この目で確かめるまでは出て行かないって、言ってんだろ!」


「それでも頼む! 今回だけは俺のお願いを聞いてくれ! ここから逃げたら、殴ってもいい! 罵ってもいい! 熱湯をぶっかけたっていい!! 一生恨んで嫌いになったっていい!! 何なら俺から離れていい!! 金なら渡す! お前なら一人でも生きていけるはずだ! だから!! だからどうか!! 一度だけ俺を信じてくれ!!!」


 最悪、アウリヌスと一緒に居られなくてもいい。それでも彼が生きているなら、それ以上は望まない。

 違う。アウリヌスに見限られたのなら、二度と会えなくなっても彼を逃がすのが最善だ。これが今の最高の望みだ。

 

 頑然がんぜんと意思を変えないアウリヌスに、オーブルは頭を再び地面に着けて懇請した。

 でも、それだけでは足りないと思い、オーブルは叩頭をやめ、


「どうか頼む……俺は兄貴だけでなく、お前まで失いたくないんだ……お前が生きててくれるだけでいい。お前がいなければ、俺は生きる意味なんてないんだ……頼む、アウリヌス」


 目と目を合わせて、アウリヌスの右手を両手で包み込んだ。

 見なくても、自分が情けない顔をしているのは分かる。


——だがどうか、信じてくれ。


——アウリヌスに視点が変わる。


 アウリヌスはオーブルのこちらを思う深厚しんこうな表情を見て——今にも涙を流しそうな顔を見て、


「…………なんで、そこまで……」


 耳を傾けたくなった。


——その時であった……


 「煩わしい」と声が聞こえたと同時、オーブルとアウリヌスは謎の赤黒い液体に包まれた。

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