第9話 涜聖
記念日ってことでクリスマスに投稿です。
サブタイトルの読みは「とくせい」です。
「エンタク様!!!」
唐突に、アウリヌスの声がシュウ達のいる訓練所に響いた。
シュウ達全員が振り返ると、そこには息を切らして焦りと緊張を湛えるアウリヌスがいた。
「ん? どした? アウリヌス……変な奴でもいたのか?」
アウリヌスに、エンタクがからかうように冗談を言う。
彼も今日から入隊した者達を練兵する教官の一人だ。
騎士に傭兵に少年少女たち——自身を有能だと自負しているであろう粒揃いを練兵するのだ。威張って、従順に従わない者が出て来てもおかしくない。
要は尖った訓練兵に問題でも起こされたのか、と訊いたわけだ。
「違います! エルフ様達が連れて来たヴァンパイアの娘、リザベート……彼女は、恐らく真祖の末裔です」
だが返って来た答えは、想像を絶するものであった。
首を大きく左右に振って否定したアウリヌスは、焦りと緊張の表情をより深くした。
エンタクは「なに……?」と、周章する。シュウの横に居たミレナも、エンタク程ではないが倏然たる事に狼狽えていた。
理解にラグがあるシュウは熟思し始める。
真祖。その言葉が示唆するものとは。
聞いたことがある。確か真祖はヴァンパイアに用いられる専門用語で、ヴァンパイアの始祖とされる存在だ。
リザベートが真祖の末裔。何故かレイキが気に入っていた奴隷。
——今、二つの情報がシュウの脳内でリンクした。
シュウの中でリザベートが、酷遇を受けて来た哀切な少女というイメージから、超重要な存在というイメージに変貌する。
ミレナの方を見ると、視線に気づいた彼女が頷いた。
「エンタク」
「俺達も行っていいか?」
「当然だ。君達にも大事なことだ」
真剣な顔で頼むミレナとシュウに、エンタクは即答した。
彼女が口笛を鳴らすと、近くの森にいた四羽の鳥の魔獣が、訓練所の中に入って来る。
シュウ達はその鳥に乗って、アゼル家へと出発した。
アゼル家へと着くと、エンタクは鳥の魔獣達を森に帰す。
靴を脱いで家の中に入り、アウリヌスに案内されるまま、四人は生活感の無い簡素な広間に入った。
中には子供を抜いたアゼル家とクレイシアが、円形に座って待っていた。全員が緊迫した空気の中、無言でシュウ達に会釈する。
リザベートはディーネと一緒に、他の部屋に居るのだろう。
シュウ達三人とアウリヌスは用意されていた座布団に座った。
「金髪紅眼である彼女を目にした時、試しに、オドの量を測ってもらったんです。結果は測定不能でした……金髪紅眼に多大なるオドの量。それが真祖の末裔の厳然たる証拠です。他にも、多少の血液摂取で、重症が一気に回復するなども当て嵌まりますが、そちらの方は、ベルモンドから確認したと聞きました」
「私の腕からリザベートが血液を摂取した途端、彼女の痣や傷が癒合していきました……」
「どうやら、リザベートは真祖で間違いないようだな……」
アウリヌスとクレイシアの説明を聞き、エンタクは熟考するように顎に手を当てた。
ミレナの再生の能力を使わずに、多少の血液摂取でリザベートの傷が治ったのは、ヴァンパイアだからという訳ではなく、真祖だったかららしい。
村が霧に覆われ、霧の魔獣から村民を守る時もそうだ。
聖堂を囲うため、土魔法のウォールを何度も行使したのに、彼女が息切れしていなかったのも、真祖の伏線だった訳だ。
「申し訳ございません。真祖の情報を黙っていて……」
アウリヌスは溜まっていたものを無理矢理吐き出すように、徐に謝罪した。
「いい、話したくない事は誰にでもある……気にするな。それより、子供達にも教えていなかったんだな」
「はい」
エンタクに軽くフォローされ、アウリヌスの暗い表情が幾許か明るくなる。
相当、黙っていたことを気に病んだのだろう。
「関わらせたくないと、何も言わず、いえ……言えず仕舞いでした」
次に紡ぎ出された言葉が、彼の悔悟を露わにしていた。
関わらせたくない。その言葉がどういった意味を持つのか、管窺なシュウには見当もつかない。
でもきっと、決して明るくはない陰惨なことだったのは理解できる。
何故なら、ここにいる自分以外の全ての者が暗い表情をしているからだ。
「そうか。だが、その臆病も今日までだ。お前の子供はもう大人だ。ロジェオに関しては子供もいて、長女のディーナは昨年、アンコウエンを出ている……」
エンタクは誰よりも暗い表情でいるアウリヌスを見据え、厳しく開口を促した。
ディーネの姉ディーナ。
シュウとミレナは彼女の存在を、既にディーネの口伝から知っていた。
※ ※ ※
遡上するは、シュウとミレナがアンコウエンに訪れた日。創造主が原因で昏倒して、アゼル家に宿泊させてもらった後日——ピヨミ達の背中に乗って、コウエンタクに向かう直前だ。
口の横に手を当てて、声を籠らせようとするディーネの仕草に、シュウは屈んで耳を傾けた。
『お願いがあるんだけど』
『何だ、お願いって?』
たった数時間の関係。先日に会った少女から何のお願いだと、シュウは疑問符を浮かべる。
何か彼女の中に、頼りたくなるような要素が自分にあったのだろうか。
『もしね、エンタク様がね、困ってたら、助けてあげてほしいの。ちょっと前、エンタク様を見た時、どこか寂しそうだったんだ。お願いできる?』
それはまさかのお願いだった。
年端も行かない少女が、自身ではなく他者を助けて欲しいとお願いしてくるとは。それも周囲の身近な人ではなく、神将を超える神人とされる、エンタクを助けてほしいとは驚愕だ。
周りのことを、この領地の頂点とされるエンタクのことも気にかけられるのは、彼女が偏に仁厚だからだろう。
なら尚更どうして。会って間もない男よりも、頼りになる父親のロジェオに頼めばいいのでは。
『あぁ……でも、何で俺なんだ?』
シュウは単純に疑問に思ったことを、素直に質問した。
『それはね……シュウお兄ちゃんが、ディーネのお姉ちゃん。ディーナお姉ちゃんと、同じ目をしてるからだよ』
——同じ目?
答えを聞いて、シュウの中の疑団がより深くなってしまう。
『ディーネの姉ちゃんは、俺みたいに蒼い目をしてるのか?』
きっと違うであろうと思いつつも、シュウはディーネに再び素朴な質問を投げかけた。
するとディーネは案の定『あ、そうじゃなくて』と手を振って、
『色は違うよ。同じなのは揺るがない芯? 先にある何かを見据えてるって感じがするの』
瞳の中にある揺るがない芯が同じだと、訂正してくれた。
答えが漫然としているのは、ディーネが幼い所為なのか、或いは単純に言語化し難いものなのか分からない。
それからディーネは、
『ディーナお姉ちゃんはね、昔から決断力とか行動力があって、ディーネ、よく助けられてたんだ。だから、そのディーナお姉ちゃんと同じ目をしてる、シュウお兄ちゃんだったら、エンタク様が困ってた時、助けられるんじゃないかって、そう思ったの』
容量が得られていないシュウを懇諭するように、優しく説明した。
ディーネの中で姉の存在は、エンタクを助けられる程に偉大な存在なのだろう。
ただ、出会ったこともない相手に、こんなことを考えるのもなんだが。どうにも、エンタクが困っているところを想像できない。
そもそもの話、
『じゃあ、俺じゃなくてディーネの姉ちゃんに頼めば……もしかして、お姉ちゃんはいないのか?』
思ったことをそのまま言葉にする途中、シュウはよくない事実に気付いてしまう。
『うん。外で好きな人が出来たらしくて、自分を知りたいって、その人を追いかけて出て行っちゃったんだ。パパは外に出るのは危ないから、よくないことだって猛反対したけど、ディーネはそうは思わなかった』
ディーネは万感を顔に浮かべ、もじもじしながら言った。
杞憂とまではいかなかったが、やはり姉のディーナは居ないらしい。死別ではないと分かって、ひとまず安心だ。
それにしてもディーネの言った通り、親の心配を振り切って外に出る姉は、決断力と行動力に富んでいるのだろう。
ただシュウには、父親のアゼルの気持ちも察することができる。
自分の娘が危険な外に出るというのは、筆舌に尽くしがたい感情だろう。
『パパに反対された時、お姉ちゃんは今のシュウお兄ちゃんと同じ目をして、こう言ったの……』
ディーネはシュウから離れると胸の前で握り拳を作り、顔を引き締め、
『この自分を知りたいって気持ちは、誰にも止められない。私にでさえも止められない。止めたいなら私を殺せばいい。私はたとえパパに殺されても、危険な外に出て理不尽に殺されても後悔はしない! 私が後悔する時は、この気持ちを諦めた時だけよ! って……』
真っすぐした目で当時の姉を、一生懸命再現しようとした。
シュウには、ディーネの姿が大きく成長した別人のように見えた。
だがそれはほんの一瞬だけ。姉のセリフを言い切った後は、イメージ通りの純粋なディーネに戻っていた。
ディーネのその演技力は、再現性は、当時の姉の言葉を一言一句違えずに再現したのではなかろうか、と思える程に素晴らしいものだった。
『だから、シュウお兄ちゃんに任せていい?』
両手を添えて、子供っぽくお願いしてくるディーネ。
少女にそこまで言われ、尚且つ素晴らしい才能を見せられては、断るものも断れない。
シュウは『分かった。任せろ』と、ディーネの頭を撫でて答えた。
ディーネはシュウの快諾に表情をぱぁっと明るくして、
『ありがとう!! それじゃあね!!』
欣欣と家の中に戻っていった。
『おう! またな!!』
シュウは軽く手を振って別れを告げた。
恩人の娘のお願いだ。エンタクが困っていたのなら、自分の為にも彼女を全力で助けよう。
『ディーネと何話してたの?』
内緒話の内容が気になったのか、ミレナが話しかけて来る。
『俺の目が、実家から出てったお姉ちゃんに似てるから、もしエンタク様が困ってたら助けてあげて、だってよ……』
シュウはアゼル家の玄関を見て微笑み、彼女に会話のあらましを伝えた。
『へぇ、可愛いじゃん。エンタクが困ってる姿は、何でか想像できないけど』
悪戯っぽく笑いながら冗談を言うミレナに、シュウは『まぁな』と微笑する。
『もしかして、さっきディーネが真剣にやってたのって、お姉ちゃんの真似?』
『あぁ……真似が上手過ぎて、一瞬ディーネが姉のディーナに見えちまったくらいだ』
『そのディーナって子、シュウは見たことないのに?』
『そうだけど、ほんとに見えたんだぜ』
シュウの大袈裟な誇張に、ミレナは『えぇ……』と言って莞然と笑う。シュウは冗談交じりに「ホントだぞ」と、笑い返した。
というか、ディーネは内緒話のつもりだったのだろうが、姉を克明に再現するあまり、ミレナに聞こえていたとは。
そんな愛嬌のあるところも含めて、エンタクを助けなくちゃな。
※ ※ ※
これがディーネの姉ディーナを知っている訳だ。
だからか、エンタクの話にシュウとミレナは驚かなかった。
「ディーナがアンコウエンを出た理由は、もうロジェオから聞いているだろ?」
「はい……昨日の夜、聞きました」
「なら、覚悟を決めろ。中途半端は無しだぞ……」
「承知しました。俺が知る限りの話を、させていただきます」
目を細め、鋭い目付きでアウリヌスを静かに厳責するエンタク。アウリヌスは弱々しく答えながらも、太ももの上に乗せた両の拳を強く握りしめ、果断にエンタクを見据え返した。
その瞳から彼の果断を汲み取ったエンタクは、無言で頷いて口を噤む。
「遡ること、二百五十年前の話です。俺はまだ幼い子供で、今でいうテレボウに住んでいました。場所はテレボウの北西部にある、ジャスマネオという島国です。当時はヴァンパイア以外の人種をほとんど内含しない、排他的な国でしたね」
ここから、真祖のあらましが——アウリヌスの過去の話が始まる。
※ ※ ※
そこは準鎖国国家ポリドリ。
都市の街道沿いから少しそれた、閑散という訳でもなければ隆昌という訳でもない通りに、こじんまりとした出店があった。
飲食の店だ。客たちはパラソル付きの円卓の周りに座り、出された料理と酒を嗜んでいた。
空には何か薄い天幕のようなものが見える。
『南の大陸と北の海から侵略してきたコンキスタドールによる密漁、私掠船での海賊行為、または魔力核を狙ったヴァンパイア狩り……そして、コンキスタドールが連れて来た外来種による、生態系の乱れ。それに伴って起きた食料不足。これらの問題を簡潔かつ迅速に解決できる策が、多人種家畜化政策である。この政策は直近の社会問題だけでなく、無慈悲にも殺された仲間のヴァンパイアとその遺族の弔慰となり、ひいては我々が蛮族共に強者であると示威できる、栄誉なことなのである……か』
『まずいな、革新派筆頭の公爵ブラッド・ツェルニーが登壇して以降、世論が革新派に靡き始めてるっぽいぞ。このままじゃ、聖政戦が起きてもおかしくない』
『聖政戦って何年ぶりだ?』
『俺が生まれてから起きてねぇから、百年以上前なのは確定だろうな』
もみあげを頬下まで伸ばした髭面の男が、新聞を両手で持ちながら音読する。
その男の左右から、二人の男が酒を右手に持って。
後方からは、一人の男が立ってソーセージを齧りながら。
最後に髭面の男が『でもよ』と逆接を喋り、
『聖政戦って全部、真祖側が勝ってきたんだろ? 今回も変わらずに終わるんじゃねぇの?』
計四人でがやがやと、髭面の男が持っている新聞を窮屈そうに読んでいた。
一人一つ新聞を持っていないのは、単純に新聞が高価だからだ。だから、知り合い同士のグループで一つ新聞を買い、回し読みするのである。
当然、出版する側も買ってもらわなければ大赤字。
故に大衆に売られる新聞は、専ら政治についてであった。
『お待たせしました! 追加の豆のスープとソーセージ、そしてエールです!』
そんな余談はさておき、四人の男達が座っている席に、少年が料理を持ってきた。容姿は茶髪で紅眼。幼いころのアウリヌスである。
『おう! ありがとな坊主!』
『いえ!』
机の上に料理が置かれると、男達は新聞から興味を無くし、料理に手を付けていく。
——聖政戦ってなんだろう? 聞いたことないな……
四人の会話を聞いてしまったアウリヌスは、聞いたことがない単語が気になって仕方がなかった。
言葉のかっこいい響きからも、幼いアウリヌスには興味しか湧いてこない。
『あの、聖政戦というのについて、お聞きしてもよろしいですか?』
『お? いいぞ坊主、勉強熱心だな!』
衝動でアウリヌスが質問すると、エールを飲んで顔を真っ赤にした髭面の男が、彼の頭を撫でた。『やった!』と、アウリヌスは嬉しさに歯を見せてニッコリ笑う。
『聖政戦ってのはな、真祖政権に反対する政党の政策に賛成する民衆が、過半数以上を超えた時にのみ行われる、秩序を正し、治める為の聖戦のことだ』
『…………?』
答弁されて、アウリヌスはぽかんとした顔になってしまった。
出て来た単語が難しすぎて、全く理解できずパンクしてしまったのだ。
唯一知っていた単語は真祖だ。
真祖とはヴァンパイアの始祖であり、その容姿は金髪に紅眼である。そして、多少の血液摂取で傷を素早く癒合させ、多大なオドを内含するヴァンパイアの象徴である人物だ。
真祖の名はアンファング。
彼の子孫も彼と同じく金髪に紅眼だと言われ、実際それが事実であるのをアウリヌスは目で確認している。
これがアウリヌスの認識で、学がない彼でも知っている超偉大な人物だ。
『ま、分かりやすく言うと真祖政権という保守派対、反対する政党という革新派ってことだな……』
——真祖に反対しているから、もしかして悪い人たち?
『保守に、政党に、革新に、聖戦? 分からない単語ばかりで、むずかしいですね。あはは』
だいぶわかりやすく噛み砕いてくれたのだろうが、それでも三割くらいしか理解できない。アウリヌスはこめかみを掻いて苦笑いした。
『坊主にはまだ、政治の話は難しいか!』
髭面の男がアウリヌスの頭を撫でて哄然と笑うと、他の男達も哄笑する。
かっこいい響きの言葉だから、かっこいいことだと期待していたのだが。まさか、かっこいいだけで難しい事だとは思いもしなかった。
大笑いされたことといい、アウリヌスは少し後悔した。
『でも、勉強熱心なのはいい事だぞぉ! ガキの頃から、こうやってしっかり働いてるのもいい! 見込みがあるぜ!』
『ご返答ありがとうございます!』
髭面の男の慰めの言葉に社交辞令で返し、アウリヌスはキッチンに戻った。
『おい! アウリヌス!! 四番の席だ! さぼってないでさっさと持ってけ!!』
『はい! おじさん!』
抑々、何故アウリヌスが料理を運んでいるのかというと、仕事の手伝いをしているからだ。おじさん——叔父が作った料理を注文された席まで持っていくのが、アウリヌスの仕事だ。
叔父の名前はオーブル。幼い彼が叔父の仕事を手伝っているのは、家族を亡くして引き取られたからである。
アウリヌスが赤ん坊の頃、彼をオーブルに預けて旅行に出た両親と姉は、旅先で魔力核を狙われ、無残にも殺されてしまったのだという。
だからか、アウリヌスは家族のことをよく知らない。しかし、家族のことを殺した奴を怨望するほどには、彼は家族のことが好きだった。
故に、よくある育ての親を本当の親だと思う気持ちは、アウリヌスには理解できない事であった。
『四番、八番、九番、十七番の席へ料理、運び終わりました!』
料理を指定の席に運び終わり、空いている席をナフキンで拭いて綺麗に。アウリヌスは急いでキッチンに戻る。
『いつもとれぇんだよ! お前は!!』
『すみませんおじさん!!』
早く運び終えたつもりなのだが、オーブルは手際の悪さに怒った。
アウリヌスは逃げるように目を瞑って、頭を下げる。
オーブルは怒ると怖い。眉間にしわを寄せた顔もそうだし、低い濁声が怖さを助長している。
怒られたくないな。こんなに怒る必要なんてないのに。なんでこんなに怒るんだろう。
『あの、次はどこへ!?』
胸襟でそう思いながらも、怒られたくないから元気よく次の指示を待つ。
『いや、今日はもう店仕舞いだよ。今いる客が去ったら終わりだ』
夕方に差し掛かる時間。夕食を食べに客足が増える時間帯だ。
ここから忙しくなるぞと、濁声で喝を入れられると思っていた。だが、オーブルから返って来た言葉は店仕舞いという意外なものだった。
『あれ? 今日はいつもより早いんですね!!』
アウリヌスは今日は楽ができると、その顔を驚喜で炯然と光らせる。
しかし同時にまずいと、口を両手で隠した。その理由は、仕事が早く終わったことをはしゃいだ日には、オーブルが決まって怒るからだ。
だが、
『まぁな……お前は先に上がって、賄い食って風呂に入って来い。片付けは俺がしとく』
今日のオーブルはいつもと違って怒らず、蕭条と目を細めてそう言って来た。
『え!? いいんですか!?』
『嘘は吐かねぇよ。こいつは今日の給料と賄いだ。面倒臭がらず、ちゃんと風呂は入れよ! 接客は清潔感が大事だからな!! 分かったか!?』
抑えた喜びを、惜しむことなく表情に出すアウリヌス。オーブルはそのはしゃぐアウリヌスを見て、蕭条たる顔を元の怖い顔に戻し、やることはやれと指示まがいに厳責した。
『いぃ!? 分かりました! ご馳走になります!!』
アウリヌスは怖がりながら返事をすると、逃げるようにスープとハムを持って、オーブルが見えなくなる場所まで走った。
アウリヌスは段差に腰を下ろし、ため息を吐いて食事を見やる。
暖かい湯気が出ていて、とっても美味しそうだ。
早速、木製のスプーンでスープをずずっと啜った。美味しい。
オーブルは怖くて苦手だが、彼の作る料理はおいしくて大好きである。
ただ食べているだけなのもなんだか暇だ。
オレンジに染まった空の天幕と夕暮れを見ながら、アウリヌスは今日の仕事を振り返った。
印象に残るのは、新聞を読んでいた四人の男達が言っていた聖政戦だ。
真祖のアンファングに反対する悪い人たちが起こす聖戦が、聖政戦だったか。
『聖政戦か……なんか怖いな。ん?』
独り言を呟きながら、アウリヌスは狭く暗い路地裏を見た。そこには人から逃げるネズミと、捨てられた新聞があった。
アウリヌスはハムを口に銜え、木製の器を横に置くと、捨てられ泥がついた新聞を手に取る。
泥に汚れていない部分はまだ綺麗なため、恐らく四人の男達が読んでいた新聞と同じ新聞ではないかと、アウリヌスは瞬時に洞察した。
『侵略してきたコンキスタドールによる、魔力核を狙ったヴァンパイア狩り』
その文章が見えて、アウリヌスはやっぱりそうだと了得した。
運よく、泥に汚れた部分は読む必要のない場所だけだ。新聞など買ったことがないアウリヌスは、ラッキーと聖政戦の部分を読み始めた。
『父さんと母さんと姉ちゃんは旅行してる時に、このコンキスタドールってやつに襲われて、殺されたのか?』
読むにつれて、アウリヌスは革新派の政策について少しずつ理解していった。
コンキスタドールとは侵略者のことで、ジャスマネオの近海での密漁や海賊行為、上陸してヴァンパイア狩りをする蛮族の総称らしい。
推認するに、自分の家族は旅客船に乗船している時、コンキスタドールから強襲に遭い、虐殺された挙句、資源となる魔力核を奪われたのだ。
ヴァンパイアは他の人種よりも長寿で、相関関係で一人一人のオドの量——魔力核の質は高くなる。
故に、コンキスタドール達の格好の的になったのだ。
許せない。
胸の奥から沸々と、憎しみの感情が湧き上がって来る。
自分達の利益の為に、他人の尊厳を、命を、人生を、全てを奪って行ったコンキスタドール。
——人の皮を被った悪魔どもめ……
だがこの湧き上がって来る憎しみは、落としどころの無いもの。怨望したところで自分には何もできない。
——多人種家畜化計画。
『無慈悲にも殺された仲間のヴァンパイアとその遺族の弔慰となり、ひいては我々が蛮族共に強者であると示威できる、栄誉なことなのである』
この落としどころの無い憎しみを、ブラッドという人が代行で解消しようとしている。自分と同じような境遇の人達を弔慰しようと、奔走してくれている。
——真祖に反対しているブラッド・ツェルニーは、悪い人ではない?
いや、寧ろいい人と言ってもいい。
アウリヌスは思う。彼を慕おうと。彼を支持しようと。
冷め始めたスープを飲み干すと、アウリヌスは公衆浴場へと向かった。
果たして、ブラッドは悪い人なのかいい人なのか。
真相は、アウリヌスの過去を知れば、容易に判断できると断言しよう。




