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アンリーズナブル  作者: 犬犬尾
第三章 絶対ルマティ教社会主義国 ルマティア
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第9話 涜聖

記念日ってことでクリスマスに投稿です。

サブタイトルの読みは「とくせい」です。

「エンタク様!!!」


 唐突に、アウリヌスの声がシュウ達のいる訓練所に響いた。

 シュウ達全員が振り返ると、そこには息を切らして焦りと緊張を湛えるアウリヌスがいた。


「ん? どした? アウリヌス……変な奴でもいたのか?」


 アウリヌスに、エンタクがからかうように冗談を言う。


 彼も今日から入隊した者達を練兵する教官の一人だ。

 騎士に傭兵に少年少女たち——自身を有能だと自負しているであろう粒揃つぶぞろいを練兵するのだ。威張って、従順に従わない者が出て来てもおかしくない。


 要は尖った訓練兵に問題でも起こされたのか、と訊いたわけだ。


「違います! エルフ様達が連れて来たヴァンパイアの娘、リザベート……彼女は、恐らく真祖しんその末裔です」


 だが返って来た答えは、想像を絶するものであった。


 首を大きく左右に振って否定したアウリヌスは、焦りと緊張の表情をより深くした。

 エンタクは「なに……?」と、周章しゅうしょうする。シュウの横に居たミレナも、エンタク程ではないが倏然たる事に狼狽うろたえていた。


 理解にラグがあるシュウは熟思じゅくしし始める。

 

 真祖。その言葉が示唆するものとは。

 聞いたことがある。確か真祖はヴァンパイアに用いられる専門用語で、ヴァンパイアの始祖とされる存在だ。


 リザベートが真祖の末裔。何故かレイキが気に入っていた奴隷。


——今、二つの情報がシュウの脳内でリンクした。


 シュウの中でリザベートが、酷遇こくぐうを受けて来た哀切な少女というイメージから、超重要な存在というイメージに変貌する。

 ミレナの方を見ると、視線に気づいた彼女が頷いた。


「エンタク」


「俺達も行っていいか?」


「当然だ。君達にも大事なことだ」


 真剣な顔で頼むミレナとシュウに、エンタクは即答した。

 彼女が口笛を鳴らすと、近くの森にいた四羽の鳥の魔獣が、訓練所の中に入って来る。

 シュウ達はその鳥に乗って、アゼル家へと出発した。


 アゼル家へと着くと、エンタクは鳥の魔獣達を森に帰す。

 靴を脱いで家の中に入り、アウリヌスに案内されるまま、四人は生活感の無い簡素な広間に入った。


 中には子供を抜いたアゼル家とクレイシアが、円形に座って待っていた。全員が緊迫した空気の中、無言でシュウ達に会釈する。


 リザベートはディーネと一緒に、他の部屋に居るのだろう。

 シュウ達三人とアウリヌスは用意されていた座布団に座った。


「金髪紅眼である彼女を目にした時、試しに、オドの量を測ってもらったんです。結果は測定不能でした……金髪紅眼に多大なるオドの量。それが真祖の末裔の厳然げんぜんたる証拠です。他にも、多少の血液摂取で、重症が一気に回復するなども当てまりますが、そちらの方は、ベルモンドから確認したと聞きました」


「私の腕からリザベートが血液を摂取した途端、彼女のあざや傷が癒合ゆごうしていきました……」


「どうやら、リザベートは真祖で間違いないようだな……」


 アウリヌスとクレイシアの説明を聞き、エンタクは熟考するように顎に手を当てた。

 

 ミレナの再生の能力を使わずに、多少の血液摂取でリザベートの傷が治ったのは、ヴァンパイアだからという訳ではなく、真祖だったかららしい。


 村が霧に覆われ、霧の魔獣から村民を守る時もそうだ。

 聖堂を囲うため、土魔法のウォールを何度も行使したのに、彼女が息切れしていなかったのも、真祖の伏線だった訳だ。


「申し訳ございません。真祖の情報を黙っていて……」


 アウリヌスは溜まっていたものを無理矢理吐き出すように、おもむろに謝罪した。


「いい、話したくない事は誰にでもある……気にするな。それより、子供達にも教えていなかったんだな」


「はい」


 エンタクに軽くフォローされ、アウリヌスの暗い表情が幾許か明るくなる。

 相当、黙っていたことを気に病んだのだろう。


「関わらせたくないと、何も言わず、いえ……言えず仕舞いでした」


 次に紡ぎ出された言葉が、彼の悔悟を露わにしていた。

 関わらせたくない。その言葉がどういった意味を持つのか、管窺かんきなシュウには見当もつかない。


 でもきっと、決して明るくはない陰惨いんさんなことだったのは理解できる。

 何故なら、ここにいる自分以外の全ての者が暗い表情をしているからだ。


「そうか。だが、その臆病も今日までだ。お前の子供はもう大人だ。ロジェオに関しては子供もいて、長女のディーナは昨年、アンコウエンを出ている……」


 エンタクは誰よりも暗い表情でいるアウリヌスを見据え、厳しく開口を促した。

 

 ディーネの姉ディーナ。

 シュウとミレナは彼女の存在を、既にディーネの口伝くでんから知っていた。



※ ※ ※



 遡上そじょうするは、シュウとミレナがアンコウエンに訪れた日。創造主が原因で昏倒して、アゼル家に宿泊させてもらった後日——ピヨミ達の背中に乗って、コウエンタクに向かう直前だ。


 口の横に手を当てて、声をこもらせようとするディーネの仕草に、シュウは屈んで耳を傾けた。


『お願いがあるんだけど』


『何だ、お願いって?』


 たった数時間の関係。先日に会った少女から何のお願いだと、シュウは疑問符を浮かべる。

 何か彼女の中に、頼りたくなるような要素が自分にあったのだろうか。


『もしね、エンタク様がね、困ってたら、助けてあげてほしいの。ちょっと前、エンタク様を見た時、どこか寂しそうだったんだ。お願いできる?』


 それはまさかのお願いだった。


 年端も行かない少女が、自身ではなく他者を助けて欲しいとお願いしてくるとは。それも周囲の身近な人ではなく、神将を超える神人とされる、エンタクを助けてほしいとは驚愕だ。


 周りのことを、この領地の頂点とされるエンタクのことも気にかけられるのは、彼女がひとえ仁厚じんこうだからだろう。


 なら尚更どうして。会って間もない男よりも、頼りになる父親のロジェオに頼めばいいのでは。


『あぁ……でも、何で俺なんだ?』


 シュウは単純に疑問に思ったことを、素直に質問した。


『それはね……シュウお兄ちゃんが、ディーネのお姉ちゃん。ディーナお姉ちゃんと、同じ目をしてるからだよ』


——同じ目?


 答えを聞いて、シュウの中の疑団がより深くなってしまう。


『ディーネの姉ちゃんは、俺みたいに蒼い目をしてるのか?』


 きっと違うであろうと思いつつも、シュウはディーネに再び素朴な質問を投げかけた。

 するとディーネは案の定『あ、そうじゃなくて』と手を振って、


『色は違うよ。同じなのは揺るがない芯? 先にある何かを見据えてるって感じがするの』


 瞳の中にある揺るがない芯が同じだと、訂正してくれた。

 答えが漫然としているのは、ディーネが幼い所為なのか、或いは単純に言語化し難いものなのか分からない。


 それからディーネは、


『ディーナお姉ちゃんはね、昔から決断力とか行動力があって、ディーネ、よく助けられてたんだ。だから、そのディーナお姉ちゃんと同じ目をしてる、シュウお兄ちゃんだったら、エンタク様が困ってた時、助けられるんじゃないかって、そう思ったの』


 容量が得られていないシュウを懇諭こんゆするように、優しく説明した。


 ディーネの中で姉の存在は、エンタクを助けられる程に偉大な存在なのだろう。

 ただ、出会ったこともない相手に、こんなことを考えるのもなんだが。どうにも、エンタクが困っているところを想像できない。


 そもそもの話、


『じゃあ、俺じゃなくてディーネの姉ちゃんに頼めば……もしかして、お姉ちゃんはいないのか?』


 思ったことをそのまま言葉にする途中、シュウはよくない事実に気付いてしまう。


『うん。外で好きな人が出来たらしくて、自分を知りたいって、その人を追いかけて出て行っちゃったんだ。パパは外に出るのは危ないから、よくないことだって猛反対したけど、ディーネはそうは思わなかった』


 ディーネは万感を顔に浮かべ、もじもじしながら言った。

 杞憂とまではいかなかったが、やはり姉のディーナは居ないらしい。死別ではないと分かって、ひとまず安心だ。


 それにしてもディーネの言った通り、親の心配を振り切って外に出る姉は、決断力と行動力に富んでいるのだろう。

 ただシュウには、父親のアゼルの気持ちも察することができる。


 自分の娘が危険な外に出るというのは、筆舌に尽くしがたい感情だろう。


『パパに反対された時、お姉ちゃんは今のシュウお兄ちゃんと同じ目をして、こう言ったの……』


ディーネはシュウから離れると胸の前で握り拳を作り、顔を引き締め、


『この自分を知りたいって気持ちは、誰にも止められない。私にでさえも止められない。止めたいなら私を殺せばいい。私はたとえパパに殺されても、危険な外に出て理不尽に殺されても後悔はしない! 私が後悔する時は、この気持ちを諦めた時だけよ! って……』


 真っすぐした目で当時の姉を、一生懸命再現しようとした。


 シュウには、ディーネの姿が大きく成長した別人のように見えた。

 だがそれはほんの一瞬だけ。姉のセリフを言い切った後は、イメージ通りの純粋なディーネに戻っていた。


 ディーネのその演技力は、再現性は、当時の姉の言葉を一言一句違えずに再現したのではなかろうか、と思える程に素晴らしいものだった。


『だから、シュウお兄ちゃんに任せていい?』


 両手を添えて、子供っぽくお願いしてくるディーネ。

 少女にそこまで言われ、尚且つ素晴らしい才能を見せられては、断るものも断れない。


 シュウは『分かった。任せろ』と、ディーネの頭を撫でて答えた。

 ディーネはシュウの快諾に表情をぱぁっと明るくして、


『ありがとう!! それじゃあね!!』


 欣欣きんきんと家の中に戻っていった。


『おう! またな!!』


 シュウは軽く手を振って別れを告げた。

 恩人の娘のお願いだ。エンタクが困っていたのなら、自分の為にも彼女を全力で助けよう。


『ディーネと何話してたの?』


 内緒話の内容が気になったのか、ミレナが話しかけて来る。


『俺の目が、実家から出てったお姉ちゃんに似てるから、もしエンタク様が困ってたら助けてあげて、だってよ……』


 シュウはアゼル家の玄関を見て微笑み、彼女に会話のあらましを伝えた。


『へぇ、可愛いじゃん。エンタクが困ってる姿は、何でか想像できないけど』


 悪戯っぽく笑いながら冗談を言うミレナに、シュウは『まぁな』と微笑する。


『もしかして、さっきディーネが真剣にやってたのって、お姉ちゃんの真似?』


『あぁ……真似が上手過ぎて、一瞬ディーネが姉のディーナに見えちまったくらいだ』


『そのディーナって子、シュウは見たことないのに?』


『そうだけど、ほんとに見えたんだぜ』


 シュウの大袈裟な誇張に、ミレナは『えぇ……』と言って莞然かんぜんと笑う。シュウは冗談交じりに「ホントだぞ」と、笑い返した。


 というか、ディーネは内緒話のつもりだったのだろうが、姉を克明こくめいに再現するあまり、ミレナに聞こえていたとは。

 そんな愛嬌のあるところも含めて、エンタクを助けなくちゃな。




※ ※ ※




 これがディーネの姉ディーナを知っている訳だ。

 だからか、エンタクの話にシュウとミレナは驚かなかった。


「ディーナがアンコウエンを出た理由は、もうロジェオから聞いているだろ?」


「はい……昨日の夜、聞きました」


「なら、覚悟を決めろ。中途半端は無しだぞ……」


「承知しました。俺が知る限りの話を、させていただきます」


 目を細め、鋭い目付きでアウリヌスを静かに厳責げんせきするエンタク。アウリヌスは弱々しく答えながらも、太ももの上に乗せた両の拳を強く握りしめ、果断かだんにエンタクを見据え返した。


 その瞳から彼の果断を汲み取ったエンタクは、無言で頷いて口を噤む。


「遡ること、二百五十年前の話です。俺はまだ幼い子供で、今でいうテレボウに住んでいました。場所はテレボウの北西部にある、ジャスマネオという島国です。当時はヴァンパイア以外の人種をほとんど内含ないがんしない、排他的な国でしたね」


 ここから、真祖のあらましが——アウリヌスの過去の話が始まる。



※ ※ ※



 そこは準鎖国国家ポリドリ。


 都市の街道沿いから少しそれた、閑散かんさんという訳でもなければ隆昌りゅうしょうという訳でもない通りに、こじんまりとした出店があった。

 飲食の店だ。客たちはパラソル付きの円卓の周りに座り、出された料理と酒を嗜んでいた。


 空には何か薄い天幕のようなものが見える。


『南の大陸と北の海から侵略してきたコンキスタドールによる密漁、私掠船しりゃくせんでの海賊行為、または魔力核を狙ったヴァンパイア狩り……そして、コンキスタドールが連れて来た外来種による、生態系の乱れ。それに伴って起きた食料不足。これらの問題を簡潔かつ迅速に解決できる策が、多人種家畜化政策である。この政策は直近の社会問題だけでなく、無慈悲にも殺された仲間のヴァンパイアとその遺族の弔慰ちょういとなり、ひいては我々が蛮族共に強者であると示威じいできる、栄誉なことなのである……か』


『まずいな、革新派筆頭の公爵ブラッド・ツェルニーが登壇して以降、世論が革新派に靡き始めてるっぽいぞ。このままじゃ、聖政戦せいしょうせんが起きてもおかしくない』


『聖政戦って何年ぶりだ?』


『俺が生まれてから起きてねぇから、百年以上前なのは確定だろうな』


 もみあげを頬下まで伸ばした髭面の男が、新聞を両手で持ちながら音読する。

 その男の左右から、二人の男が酒を右手に持って。

 後方からは、一人の男が立ってソーセージをかじりながら。 

 最後に髭面の男が『でもよ』と逆接を喋り、


『聖政戦って全部、真祖側が勝ってきたんだろ? 今回も変わらずに終わるんじゃねぇの?』


 計四人でがやがやと、髭面の男が持っている新聞を窮屈そうに読んでいた。


 一人一つ新聞を持っていないのは、単純に新聞が高価だからだ。だから、知り合い同士のグループで一つ新聞を買い、回し読みするのである。


 当然、出版する側も買ってもらわなければ大赤字。

 故に大衆に売られる新聞は、もっぱら政治についてであった。


『お待たせしました! 追加の豆のスープとソーセージ、そしてエールです!』


 そんな余談はさておき、四人の男達が座っている席に、少年が料理を持ってきた。容姿は茶髪で紅眼。幼いころのアウリヌスである。


『おう! ありがとな坊主!』


『いえ!』


 机の上に料理が置かれると、男達は新聞から興味を無くし、料理に手を付けていく。


 ——聖政戦ってなんだろう? 聞いたことないな……


 四人の会話を聞いてしまったアウリヌスは、聞いたことがない単語が気になって仕方がなかった。

 言葉のかっこいい響きからも、幼いアウリヌスには興味しか湧いてこない。

 

『あの、聖政戦というのについて、お聞きしてもよろしいですか?』


『お? いいぞ坊主、勉強熱心だな!』


 衝動でアウリヌスが質問すると、エールを飲んで顔を真っ赤にした髭面の男が、彼の頭を撫でた。『やった!』と、アウリヌスは嬉しさに歯を見せてニッコリ笑う。


『聖政戦ってのはな、真祖政権に反対する政党の政策に賛成する民衆が、過半数以上を超えた時にのみ行われる、秩序を正し、治める為の聖戦のことだ』


『…………?』


 答弁されて、アウリヌスはぽかんとした顔になってしまった。

 出て来た単語が難しすぎて、全く理解できずパンクしてしまったのだ。


 唯一知っていた単語は真祖だ。


 真祖とはヴァンパイアの始祖であり、その容姿は金髪に紅眼である。そして、多少の血液摂取で傷を素早く癒合させ、多大なオドを内含するヴァンパイアの象徴である人物だ。

 真祖の名はアンファング。


 彼の子孫も彼と同じく金髪に紅眼だと言われ、実際それが事実であるのをアウリヌスは目で確認している。

 これがアウリヌスの認識で、学がない彼でも知っている超偉大な人物だ。


『ま、分かりやすく言うと真祖政権という保守派対、反対する政党という革新派ってことだな……』


——真祖に反対しているから、もしかして悪い人たち?


『保守に、政党に、革新に、聖戦? 分からない単語ばかりで、むずかしいですね。あはは』


 だいぶわかりやすく噛み砕いてくれたのだろうが、それでも三割くらいしか理解できない。アウリヌスはこめかみを掻いて苦笑いした。


『坊主にはまだ、政治の話は難しいか!』


 髭面の男がアウリヌスの頭を撫でて哄然こうぜんと笑うと、他の男達も哄笑こうしょうする。

 かっこいい響きの言葉だから、かっこいいことだと期待していたのだが。まさか、かっこいいだけで難しい事だとは思いもしなかった。


 大笑いされたことといい、アウリヌスは少し後悔した。


『でも、勉強熱心なのはいい事だぞぉ! ガキの頃から、こうやってしっかり働いてるのもいい! 見込みがあるぜ!』


『ご返答ありがとうございます!』


 髭面の男の慰めの言葉に社交辞令で返し、アウリヌスはキッチンに戻った。


『おい! アウリヌス!! 四番の席だ! さぼってないでさっさと持ってけ!!』


『はい! おじさん!』


 抑々(そもそも)、何故アウリヌスが料理を運んでいるのかというと、仕事の手伝いをしているからだ。おじさん——叔父が作った料理を注文された席まで持っていくのが、アウリヌスの仕事だ。


 叔父の名前はオーブル。幼い彼が叔父の仕事を手伝っているのは、家族を亡くして引き取られたからである。

 アウリヌスが赤ん坊の頃、彼をオーブルに預けて旅行に出た両親と姉は、旅先で魔力核を狙われ、無残にも殺されてしまったのだという。


 だからか、アウリヌスは家族のことをよく知らない。しかし、家族のことを殺した奴を怨望えんぼうするほどには、彼は家族のことが好きだった。


 故に、よくある育ての親を本当の親だと思う気持ちは、アウリヌスには理解できない事であった。 


『四番、八番、九番、十七番の席へ料理、運び終わりました!』


 料理を指定の席に運び終わり、空いている席をナフキンで拭いて綺麗に。アウリヌスは急いでキッチンに戻る。


『いつもとれぇんだよ! お前は!!』


『すみませんおじさん!!』


 早く運び終えたつもりなのだが、オーブルは手際の悪さに怒った。

 アウリヌスは逃げるように目を瞑って、頭を下げる。


 オーブルは怒ると怖い。眉間にしわを寄せた顔もそうだし、低い濁声だみごえが怖さを助長している。


 怒られたくないな。こんなに怒る必要なんてないのに。なんでこんなに怒るんだろう。


『あの、次はどこへ!?』


 胸襟きょうきんでそう思いながらも、怒られたくないから元気よく次の指示を待つ。


『いや、今日はもう店仕舞いだよ。今いる客が去ったら終わりだ』


 夕方に差し掛かる時間。夕食を食べに客足が増える時間帯だ。

 ここから忙しくなるぞと、濁声で喝を入れられると思っていた。だが、オーブルから返って来た言葉は店仕舞いという意外なものだった。


『あれ? 今日はいつもより早いんですね!!』


 アウリヌスは今日は楽ができると、その顔を驚喜きょうき炯然けいぜんと光らせる。

 しかし同時にまずいと、口を両手で隠した。その理由は、仕事が早く終わったことをはしゃいだ日には、オーブルが決まって怒るからだ。


 だが、


『まぁな……お前は先に上がって、まかない食って風呂に入って来い。片付けは俺がしとく』


 今日のオーブルはいつもと違って怒らず、蕭条しょうじょうと目を細めてそう言って来た。


『え!? いいんですか!?』


『嘘は吐かねぇよ。こいつは今日の給料と賄いだ。面倒臭がらず、ちゃんと風呂は入れよ! 接客は清潔感が大事だからな!! 分かったか!?』


 抑えた喜びを、惜しむことなく表情に出すアウリヌス。オーブルはそのはしゃぐアウリヌスを見て、蕭条たる顔を元の怖い顔に戻し、やることはやれと指示まがいに厳責した。


『いぃ!? 分かりました! ご馳走になります!!』


 アウリヌスは怖がりながら返事をすると、逃げるようにスープとハムを持って、オーブルが見えなくなる場所まで走った。

 アウリヌスは段差に腰を下ろし、ため息を吐いて食事を見やる。


 暖かい湯気が出ていて、とっても美味しそうだ。

 早速、木製のスプーンでスープをずずっと啜った。美味しい。


 オーブルは怖くて苦手だが、彼の作る料理はおいしくて大好きである。

 

 ただ食べているだけなのもなんだか暇だ。

 オレンジに染まった空の天幕と夕暮れを見ながら、アウリヌスは今日の仕事を振り返った。

 

 印象に残るのは、新聞を読んでいた四人の男達が言っていた聖政戦だ。

 真祖のアンファングに反対する悪い人たちが起こす聖戦が、聖政戦だったか。


『聖政戦か……なんか怖いな。ん?』


 独り言を呟きながら、アウリヌスは狭く暗い路地裏を見た。そこには人から逃げるネズミと、捨てられた新聞があった。

 アウリヌスはハムを口にくわえ、木製の器を横に置くと、捨てられ泥がついた新聞を手に取る。


 泥に汚れていない部分はまだ綺麗なため、恐らく四人の男達が読んでいた新聞と同じ新聞ではないかと、アウリヌスは瞬時に洞察どうさつした。


『侵略してきたコンキスタドールによる、魔力核を狙ったヴァンパイア狩り』


 その文章が見えて、アウリヌスはやっぱりそうだと了得りょうとくした。

 運よく、泥に汚れた部分は読む必要のない場所だけだ。新聞など買ったことがないアウリヌスは、ラッキーと聖政戦の部分を読み始めた。


『父さんと母さんと姉ちゃんは旅行してる時に、このコンキスタドールってやつに襲われて、殺されたのか?』


 読むにつれて、アウリヌスは革新派の政策について少しずつ理解していった。

 コンキスタドールとは侵略者のことで、ジャスマネオの近海での密漁や海賊行為、上陸してヴァンパイア狩りをする蛮族の総称らしい。


 推認すいにんするに、自分の家族は旅客船に乗船している時、コンキスタドールから強襲に遭い、虐殺された挙句、資源となる魔力核を奪われたのだ。

 ヴァンパイアは他の人種よりも長寿で、相関関係で一人一人のオドの量——魔力核の質は高くなる。

 故に、コンキスタドール達の格好の的になったのだ。


 許せない。


 胸の奥から沸々と、憎しみの感情が湧き上がって来る。

 自分達の利益の為に、他人の尊厳を、命を、人生を、全てを奪って行ったコンキスタドール。

 

——人の皮を被った悪魔どもめ……


 だがこの湧き上がって来る憎しみは、落としどころの無いもの。怨望したところで自分には何もできない。

 

——多人種家畜化計画。


『無慈悲にも殺された仲間のヴァンパイアとその遺族の弔慰となり、ひいては我々が蛮族共に強者であると示威できる、栄誉なことなのである』


 この落としどころの無い憎しみを、ブラッドという人が代行で解消しようとしている。自分と同じような境遇の人達を弔慰しようと、奔走してくれている。


——真祖に反対しているブラッド・ツェルニーは、悪い人ではない?


 いや、寧ろいい人と言ってもいい。

 アウリヌスは思う。彼を慕おうと。彼を支持しようと。


 冷め始めたスープを飲み干すと、アウリヌスは公衆浴場へと向かった。

 

 果たして、ブラッドは悪い人なのかいい人なのか。

 真相は、アウリヌスの過去を知れば、容易に判断できると断言しよう。

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