第8話 それは悠久の彼方から……
「シュウ、君には君専用の、特別な神器を扱ってもらう……十年前、とある白髪の男が奉納していった、神器をね……」
思い出すは十年前の秋。米の収穫が終わり、新年を迎えた別れと出会いの季節。
あの時は季節外れの酷寒で、雪が降ってもおかしくない寒さだったと、よく覚えている。当時は霧がかかっていた。
陰と陽。その境目の刻に、一人の男がコウエンタクの正門を潜ってきた。俯瞰の傑出能力に引っ掛かった途端、男はそこに居た。
白髪に六尺を超える背丈。顔が布で覆われている所為で容貌は分かりにくいが、蒼い双眸が特徴的だった。
男に敵意も害悪の要素もなかった。だから、慌てて正門まで赴いたが、焦燥と恐怖の感情はなかった。
あったのは、どうしてという疑念だけだった。
心配だと言って、一緒にセイとフクも男を迎えに随伴してくれた。
男は『神器を奉納しに来た』とこちらに伝えると、携えていた風呂敷を石畳の上に鎮座させた。
風呂敷が自然に開かれると同時、明らかにその風呂敷では到底包み切れない程の質量の神器が出て来る。
転移魔法を用いたのが、すぐさま分かった。
ただ唯一、男が右手に持っていた神器の入った箱。
他の神器を武器庫に奉納する間、男はそれを離さずにずっと持っていた。その様は、まるでその神器だけが彼にとって特別——いや違う。きっと違う。
奉納した全ての神器に、男は特別な感情を抱いていた。
そう、ただそうとしか思えない。だってその神器だけ嶄然としていたのだ。
男はその神器だけ、特別なんて陳腐に思えてしまう程に、筆舌に尽くしがたい感情を抱いていたのだ。
神器を武器庫まで運んで奉納する間、話などは碌に無く、淡白に時間が過ぎていった。何故、話そうとしなかったのか、話せなかったのかは、よく分からない。
男は最後に、右手に持っていた神器を武器庫に奉納し終えると、
『十年後だ。十年後、ここは大きく変わる……その時、面白い奴が訪れるはずだ。覚えておいてくれ』
そう言うだけ言って、コウエンタクの正門前まで歩いて行った。
数多くの神器を武器庫まで往復して運んでいた所為か、刻は陰を置いて陽へ。霧が晴れ始め、暖かい太陽が大地と気持ちを照らし始める。
このまま何も話せずに男と別れることになるのか。
『そうだ、肝心なことを言い忘れていた』
そう思った矢先、男から話しかけてくれた。
男は振り返ると、こちらの目を見据えてこう言って来た。
『さっきの神器、あれだけは特別でな。十年後、面白い奴が訪れるって言っただろ……? あれはそいつ用のだ。だから、そいつが来るまでは、開けずに保管しておいてくれないか?』
ふわっとしていて、何とも曖昧な言葉だ。
『……それはいいが、何故曖昧に告げるんだ? 渡したい相手が決まっているのに、僕が間違えて他の奴に渡しちゃったら、元も子もないだろ。十年後だから、容姿は変わるとして……』
含糊が過ぎる男。聞かざるを得ないという衝動。
今まで、話したくても話すことが出来なかった鬱憤が、言葉が、堰を切ったように溢れ出す。
『せめて名前や性別、人間なのか亜人なのかとかだけでも——』
『曖昧じゃなきゃならねぇ理由があってな……悪いが説明はできない。一応、元も子もないってことで、一つ情報追加だ。そいつはオドの量が多い癖に、放魔器官が未熟な所為で魔法が下手くそだ。言えるのはここまで……急いでるから、もう帰る』
男はこちらの言葉尻を、どこか申し訳なさそうに言葉で覆った。
そう言われてしまっては、見ず知らずの相手に深くは追求できない。
曖昧でなければならない理由を説明できないのは、それを説明してしまうと、曖昧ではなくなってしまうからなのだろう。
だって追加で言った情報さえも、直接ではない曖昧なものなのだから。
『事情は把握した。最後に質問させてくれ。どうして、無償でこれほどの神器を奉納してくれるんだ?』
正門を潜って姿を消そうとした男を、素朴な疑問で引き止める。
何故施してくれるのか。何の目的があるのだろうか。聞いても特に意味のない、無駄で利己的な質問。
それでも問うたのは、理由が知りたかった以上に、何か特別なことを男から聞けるのではないか。淡い、どうしようもない期待を、男に寄せていたからだ。
『返報性の原理。無償の施しほど、怖いものはないってか? まさか……この神器達は、今まで何も出来なかったことへの返礼だ。寧ろ、こっちが返さなきゃいけない側なんだよ』
男はまた振り返り、その蒼い双眸に笑みと安心を浮かべて、自嘲したように答えてくれた。
近くも無ければ遠くもない。かといって、期待外れでもないような返答。
男はすぐに振り返ってゆっくり歩き出す。が、数歩歩いて急に止まった。
今度は振り返らず、男は首と蒼い双眸だけをこちらに向け、
『今まで、何もしてやれなくて悪かった……』
先程の笑みと安心とは異なる、積もり積もった悔いと憂いを浮かべて、
『え?』
『じゃあな、エンタク……』
こちらが有無を言う前に姿を消した。
『今までって、お前は僕の何を知ってッ!!』
正確には、男はまだアンコウエン内に居た。だから彼をすぐさま追った。
訊きたかった。訊きたくてしょうがなかった。『今まで』という言葉。名前を知っているのも、きっと噂から知ったのではないと、謎の自信があった。
でも間に合わなかった。男は追いつく前に、アンコウエンから完全に姿を消した。
後に分ったことだが、男がまだアンコウエン内に居たのは、ローガとハクロウに会いに行ったかららしい。
あの時、どうして自分が見ず知らずの男に、あそこまで感情を揺れ動かされたのか。未だに分らない。
※ ※ ※ ※
「まぁ、その神器が、君の苦手な遠距離を補ってくれるかまでは、僕も分からないけどね……」
エンタクからデジャヴにも思えるようなことを言われ、シュウは「十年前、か……」と独り言ちた。
十年前、ミレナ宛てに届いた手紙にも、同じことが書いてあったか。
遠距離を補ってくれる云々よりも、単純にその神器に興味が湧いてきた。
手紙も十年前で、今回の神器も十年前。もしかすると、手紙を書いたのも創造主ではなく、神器を奉納していった白髪の男なのかもしれない。
「どうやら、心当たりがあるようだね」
いつもの、顎に手を当てて沈思黙考モードになったシュウ。その彼を見て、エンタクは嬉しそうに呟いた。
「ほんの少し前、十年前ッて文字を見かけることがあってな」
——まぁ、この世界線ではミレナの元に手紙は来ていないがな……
エンタクはシュウに「ふぅん」と相槌を打つ。
すると、横からミレナが羨ましそうに長耳をピコピコさせて「ねぇねぇ! シュウだけじゃなくて私も神器ほしい!!」と、割り込んでくる。
「そう言うと思った。全く欲張りな奴らだ、君達は……ま、僕は寛大だから、全部答えてあげちゃうけどね。さ、武器庫に行くぞ、付いてこい」
エンタクは両手を腰に当てて大きく胸を張り、ふんすと鼻息を出した。
その様子は言葉とは裏腹な喜悦だ。頼られて嬉しいのだろう。
エンタクはシュウとミレナを置いて、鼻歌を口ずさみながら嬉しそうに走り出す。
シュウとミレナは見合って笑い合い、彼女の後を追って階段を駆け上がった。
武器庫に訪れ、エンタクが照明を点けると、中には想像を絶するような光景が広がっていた。そう広がっていた、だ。
大きな室内に、それを埋め尽くすが如くに櫛比する多種多様な神器たち。ただどれも、雑には仕舞われず大切に珍蔵されている。
これはもう言ってしまえば、高価な遺産を珍蔵する博物館。
狭く暗い場所を想定していたが、流石神人兼、領主クオリティ。レべチだ。先入観が打ち砕かれる。
「すごぉ! 神器がこんなにいっぱい!!」
「これが、全部神器……」
「そうだよ、全部神器。ミレナは選んでくれる神器がないか、探しといて……」
興奮して室内を四顧するミレナと、呆気に取られているシュウ。各々の反応で感嘆している二人に、エンタクは鼻を鳴らして鼻高になると、シュウだけに「こっちこっち」と、付いてこいの合図をだす。
親しい仲間の前では、やっぱり俗っぽいエンタクである。
シュウは後を追った。
「これは剣! かっこいい! これは戦斧! 強そう! 髪飾りにピアスも! かわいい!」
「おい、言っておくがミレナが選ぶんじゃないぞ」
「分かってるぅ~見てるだけだもぉ~ん」
後ろで子供のようにはしゃいでいるミレナに、エンタクが注意する。いや、注意というよりかは水を指すか。分かっていて、はしゃいでいるようだ。
エンタクは憮然と嘆息した。
エンタクの気持ちも分からないでもない。それだけ興奮している分、選ばれなかった時の落ち込み具合は最悪になる、と言いたいのだろう。
エンタクに付いて行くまま、室内の最奥に着いた。
そこには、ワックスがけをしたほどに光を反射させる綺麗な机——その上に置かれている、大きくも小さくもない木箱があった。
「それで、シュウには……これ」
エンタクはシュウにその箱を渡した。
変わった特徴がないただの木箱だ。
「中に神器が?」
「そうそう、ほら開けろ開けろ♪」
「お、おう」
催促され、ふたを開けると、
「これは……」
中には蒼色の籠手があった。左右一つづつ。そこには紙が敷かれていて、それとは別に小さい折られた紙がある。折られたと感じたのは、紙が少しだけ丸まっているからだ。
「籠手だな……」
覗き込みながら、エンタクは呟いた。
「だなって、エンタクは知らなかったのかよ」
「いやぁ、神器を奉納してくれた奴がな、君が開けるまでは開けないでって言ってたんだよね」
妙な言い方にシュウが問うと、エンタクは腰を曲げて覗き込んでいた体勢を元に戻し、酒然と答弁した。
誰にも開けるなと言っていた。となれば白髪の男は本当に、何が何でもこちらに宛ててこの神器を武器庫に奉納したということだ。
ますます興がさかされる。
底にあった折られている紙を手に取ると、シュウは違和に気付く。紙の底から、堅い感触が木箱を通して感じられたのだ。
シュウは息を呑みながら、紙をゆっくりと裏返した。
「……なっ!? こいつは……」
シュウは色然と静かに驚愕した。
「どうした? 何だこの文字、悪戯書きか?」
「え!? なになに!? 私にも見せてみせて!」
裏返した紙——表面にあるとある物を見て、エンタクは小首を傾げる。
静かに、とはいっても室内は閑寂だ。シュウの驚愕の声に、ミレナが興味を持って走って来る。
「いや、悪戯書きじゃない。でも、いや、どういうことだ……」
シュウはエンタクの誤った所感を正しつつ、紙の表面にあるとある物を、自分だけが分かってしまう状況に狼狽した。
エンタクが「読めるのか?」と、目を合わせて来る。シュウは「あ、あぁ」と答え、
「……ENDって書いてある。でもなんで」
とある物——封蝋に捺されていた、元の世界の文字を読んだ。
果たして、それは異世界で二度目のENDからの手紙であった。
「何か、思い入れのあることなの?」
遅れて参加したミレナにシュウは「まぁ、な……」と、頷く。
「手紙だよな……開けてみてよ」
「分かった……」
そう言われ、シュウは手紙を開けようとした。
と、封蝋に触れたまではいいものの。
——あれ? 封蝋って、どう開けるんだっけ?
シュウは開け方が全く分かっていなかった。
開けずに固まっていると、横からエンタクが「ペーパーナイフはないぞ」と助言してくれる。
指で掴んで開けろということなのだろう。
そういえば読んだ本の中に、ペーパーナイフを刺して封蝋を開けるシーンがあったのを思い出す。完全に頭から抜けていた。
シュウは封蝋を指で掴んで慎重に取り、手紙を開いた。
手紙は封蝋に捺されていた文字と同じく、元の世界の文字で書かれていた。
「全く読めない、シュウは?」
エンタクが訊いてくる。
読めるはずがない。だって中身も元の世界の文字だ。
シュウは読み聞かせることを含めて、手紙を音読し始める。
「この神器は、お前の力になってくれる……仲間を守り、お前を導いてくれるだろう。使い方は、身につけた時に直感できる。籠手の裏には……」
裏には。
シュウは読むのを中断して、左手側の籠手を手に取り、裏返して見た。
「風林火山」
左側の籠手の腕の部分には『風林火山』と。
「松風水月」
持ち替え、右側の籠手の腕の部分には『松風水月』と、彫られていた。
「お前にとって、これから大切になるであろう人物のイメージを、四字熟語にして彫った。神器の名は、積羽沈舟……」
シュウは籠手を箱の中に戻し、中断した手紙の音読を再開する。
「積羽沈舟? どういう意味?」
「小さくても、多く積み重なれば強大な力になるって感じの意味だね。なかなかいい名前じゃないか……」
名前の意味が分からないミレナに、エンタクが簡潔に教える。
——果たして、この神器に積羽沈舟と名付けたのは、どういった目的で……
「シュウだけに、積羽沈舟。なんちって……」
「上手いこと言うじゃないかミレナ。シュウだけに、ぷぷぷ……」
「ぷぷぷ……」
二人で見合った後、嘲笑するようにこちらを覗き込んでくる。
普通にうぜぇ。
シュウは「手紙が見えないし、うるせぇ」と言って、二人のおでこに軽くデコピン。
ミレナとエンタクはわざとらしく「うがッ」と言って、顔を退けた。
「宛名は書いてないんだな……ん? まだ何か……紙か」
読了したシュウは、手紙を箱の中に戻そうとした。
その時だった。
手紙と包紙の間から、何かがスルッと机の上に滑り落ちたのだ。
落ちたのは折り畳まれた紙だ。
シュウはそれを不思議に思いながら開けた。
「ええっと、今からこの神器が、お前を選ぶための契約を行う……けいやく……ッ!? なぁッづっ!?」
書かれていた文字を読むと、紙が卒遽に光り出す。眩しさに目を瞑ると、今度は左右の手の甲が熱くなっていく。
「急に!?」
「眩しい!!」
エンタクとミレナも眩しさに怪光を遮ろうと、手を目の前に出した。
怪光の光度が次第に増し、室内を超えてコウエンタク内へ赫灼と伝播していく。それに比例して、手の甲の熱も増していった。
その熱は、手の甲が焦げる程の熱さだ。痛刻に思わず、手に持っていた木箱を落としてしまう。
そうして数秒、怪光は光り続け、最終的には弱まり収まった。
同時に手の甲の熱も引いていった。
「な、なん、だよ……? 一体何が……」
目を開け、視界が暗順応し始める。
「シュウ、大丈夫か!?」
「あぁ、今のところは何ともねぇ……」
慌てて深憂を向けてくれるエンタクに、シュウは素直に無事を告げると、落としてしまった木箱を手に取り、机に乗せた。
「ねぇ! 見て! シュウの手の甲に!!」
すると突然、ミレナが驚きながら手の甲を指さしてきた。
急なことでありながらも、手の甲というワードと、先程の熱との繋がりを悟ったシュウは、手の甲が見えるように手首を捻った。
——!?
「こいつは……」
左右の手の甲に、それぞれ違う文字が刻まれていたのだ。
まさかこれが、神器から選ばれる為の契約だったのだろうか。だろうかではない。確信がある。
何故かって、刻まれた文字が、
「Yじゃないな? 象形文字? 右手は、ギリシャ文字のΣか?」
見覚えのあるものだからだ。
左手に刻まれた文字はYのような象形文字が。右手はギリシャ文字のΣが、黒色で刻まれていた。
左手の甲の文字自体は読めないし、仮に読めたとしても何故この文字なのか、意味が分からない。いやまぁ、契約の為に必要なことと言われれば、そこまでなのだが。
どうしても、文字に何かしらの意味があるのではないかと、気になってしまう。
「片方は、シュウも読めない文字なんだな」
「なんか、見たことはあるんだけどな……」
悩んでも仕方のない事だと諦めたシュウは、エンタクにそう返す。
シュウですらも分からない。
ミレナはその事実に「謎は深まるばかりってやつね」と、探偵さながらのポーズをとった。服装と髭のおもちゃがあれば、様になっていただろう。
「ともかく、その神器は君の為に作られ、奉納されたもので間違いないらしいな。君が謎の文字を読めた理由が、そうだと証明してる」
「そう、だな……ありがたく受け取っておくよ」
溜飲が下がらない点が多々あるが、シュウはありがたく受け取ることにした。
自分宛てに奉納され、手紙には直感で分かると記されていたし、苦手な遠距離をこの神器が補ってくれるのだと信じよう。
「うんうん、さ! 次はミレナだ。 いったい何に選ばれた? それとも、選ばれなかったりして……」
肝心なシュウの用事が終わったことで、ミレナに話題が切り替わる。
エンタクに軽くからかわれたミレナは、にたりと彼女に嗤い返し、
「あれあれ! 弓! びゅん! しゃしゃ! って、一度は矢を射ってみたかったの!! 私!!」
指を差して昂然と走り出した。
「ミレナ、さっきも言ったが、神器は僕たちが選ぶんじゃなくて、神器が僕たちを選ぶんだぞ?」
「分かってる! 直感でピンッて共感覚が来たの! きっと選んでくれるわ!!」
嘆息してミレナの後についていくエンタク。ミレナは走りながら反言した。
「共感覚か……純血のエルフは凄いな」
感心を口にしながら歩いて行くエンタクに、シュウは無言でついて行った。
神器で死角になっている十字路を右に曲がると、先には大弓を手に持ったミレナが見える。ミレナが小さいとはいえ、彼女の身長の二分の一以上の大きさである大弓だった。
彼女は大弓を持ってシュウとエンタクの方に走っていき、
「ほら! 反応してくれてる!! 見て見て!」
子供のように歓然とはしゃぎながら、両手を前に出した。
青と赤と緑が織り交ぜられた金属製っぽい大弓だ。彼女が言った通り、大弓から風が——マナが吹いている。
——それにしても……
ミレナを見て偶感が湧く。
「大弓を持ち、狩人装束を身に纏った薄緑髪のエルフ……」
今のミレナが、絵に描いたようなエルフだと思った。
大弓と小さい体は少しばかり不釣り合いだが、それでも絵にかいたようなエルフである。
「ミレナらしくて、いいんじゃないか?」
「うん!」
シュウの言葉を引き継ぎ、ニコッと笑うエンタクにミレナも笑い返す。
どうやら、エンタクも同じ所感を抱いたようだ。この世界でも、エルフは自然と調和した存在らしい。
「僕の思った通り、二人とも神器に選ばれて何よりだ。それじゃあ、コウエンタクを出て訓練所に戻るぞ!」
そうして神器選びは憂いなく終わり、シュウ達は武器庫を、コウエンタクを後にした。
「それにしても、風林火山と松風水月って、誰なんだろうね?」
「これからって書いてあったんだし、シュウの師匠と母親ではないもんな」
階段を下りる途中、ミレナが卒遽に口にすると、エンタクが手紙の内容から明敏に考察する。
二つの四字熟語から二人であるのは間違いない。そして、大切な二人となれば迷わず師匠とツグハになる。だが、エンタクの言った通り過去の二人ではないし、文字のイメージとも絶妙に合っていない。
そういった観点から、師匠とツグハではないだろう。
——シュウは手に持った籠手を恣意的に裏返し、文字が彫られた場所を見た。
「紫、緑……」
先程は意識していなかった所為で気付かなかったが、風林火山と彫られた箇所は紫色に。松風水月と彫られた箇所は、緑色に染まっていた。
シュウはふと、エンタクとミレナの双眸を見た。
エンタクは紅桔梗でミレナは翠だ。
紫と緑。風林火山と松風水月。
「もしかして、お前らだったりしてな?」
シュウは偶感をただただ自然に言葉にした。
「「え…………」」
二人が驚きながら一斉に目を合わせて来る。
紫と緑。ほら、やっぱりそうだ。文字のイメージとも符合している。
「シュウって、凄く自然に誑かして来る感じなんだな」
「まぁね。でもそこが素直で可愛くて、シュウのいいところなんだけどね」
二人はこちらをチラ見しながら、聞こえるようにひそひそ話をし始めた。
からかうようなその二人にムカッとしながらも、シュウは今しがたの発言を俯瞰的に振り返った。
包装紙に包むことのない、純乎たる言葉だったと思う。
「…………そういうつもりで、言ったんじゃねぇ……」
理解して、急に恥ずかしい感情が込み上がって来た。
シュウは二人から視線を外し、赧顔しながら愚痴った。
確かに今しがたの発言は、愛の告白のように聞こえても仕方がない。
「「照れた」」
「そのハモルのやめろ!」
ハモル二人にシュウは必死に言い返す。そんなシュウに、エンタクとミレナは朗笑した。
——こいつらマジで……
あぁもう本当に恥ずかしい。あんなことなど言わなければよかった。
シュウは気を紛らわせるように、階段を降りる速さを少し早めた。
その彼がおかしくて、エンタクとミレナはより瞭然と朗笑する。
仲睦まじいやり取りを交わしながら、三人は再び訓練所に戻った。
「それじゃあ、今から二人には、筋肉操作のやり方と、その性能を上げるやり方を教える」
喋るエンタクを前に、シュウとミレナは並んで彼女を見る。
「右腕だして」
「分かった」「こう?」
シュウとミレナは右腕を前に出した。
「じゃあ、その右腕にオドを集中させろ。体外に放出させるんじゃないぞ」
エンタクの指示通り、体外に出さないように注意しながら、右腕にオドを集中させる。
「できたわよ」「分かんねぇけど、こんな感じか?」
これなのだが、とても簡単である。こんなに簡単なのかと思える程簡単だ。
感覚は、オドを集中させている右腕が張っている感じだ。
「右腕が少し張るような感覚があれば、オドが集中している証拠だ」
「あるな」
シュウはエンタクに答える。ミレナも頷いている。
「ここからが本番だ。よーく聞け、右腕に集中させたオドを、筋肉の中に無理矢理流し込んでみろ」
「流し込む?」「掴み辛い説明ね……」
エンタクの要領が得られない指示に、シュウとミレナは早速けつまづいた。
流し込むとは、はてさてどうすればいいのか。何とも難しい指示だ。
因みに、二人が苦慮している原因は、シュウはそもそも筋肉操作を行使したことがないから。ミレナは意識をしたことが一切ないからである。
「自分のイメージでかまわん。とにかくやってみろ」
右腕を凝視して固まる二人。そんな二人を見かねたエンタクは、思うままにやってみろとアドバイスを送る。
自分なりのイメージでやる。流し込む、というのは力を入れる感じでいいのだろうか。
シュウはそう想見しながら、筋肉に力を入れた。すると、
「なんか……右腕だけ」「硬くて軽くなった、ような感じがするんだけど?」
突として、右腕だけふわふわの雲になったような、かつ鋼鉄のように堅強になった感覚が訪れたのだ。
もしこの感覚が足に訪れていたのなら、十数メートルの高さまで飛べそうだと思えるくらいの感覚だ。
「それが筋肉操作だ。筋肉にオドを流し込むことで反応させ、強化させたんだ。因みに筋肉操作を使えば、肉離れした筋肉同士を無理矢理くっつけたりすることもできるぞ。そこが、強化じゃなくて操作って呼称してる理由だな」
筋肉操作の凄さに驚嘆しているシュウとミレナを見て、エンタクは満悦そうに言う。弟子の第一歩目を見られて嬉しいのだ。
「この筋肉操作を極めていけば、見てて……」
「なんで急にナイフを……」
エンタクは服の内側に手を入れると、懐からナイフを取り出した。ミレナが彼女の行動に訝しむ。
何故ナイフを。一体全体、ナイフを何に使うという——、
「まさか! それで!?」
ミレナが悟ったように声を上げる。シュウも同時に感づいた。
まさかとは、ナイフで腕を——、
「察しの通りさ……」
エンタクは一言だけ返すと、
「ッ!!!」
自身の右腕に向かってナイフを勢いよく振り下ろした。
果然、壊れたのは、
「マジか……」
「ナイフの方が折れちゃうなんて」
ナイフの方であった。
シュウは顔を引きつらせ、ミレナは口元に手を当てて、エンタクがやってのけたことに驚き怖れた。
折れてとんだナイフの欠片は、エンタクの右手に。折れたナイフの欠片が勢いで飛び散る前に、右手で掴んだということだ。
シュウとミレナの方に飛んでは危ない。
「すごく便利だろ? 因みに、僕は常時この状態だ。だから寝首を掻かれても大丈夫。まぁ、そもそも寝首なんて搔かせるつもりはないけどね……」
右目を閉じ、舌をペロッと出して悪戯っぽく喋るエンタク。
掌を返すように言っているが、あり得ないことを平気でやっている彼女には詠嘆しかない。
高性能な筋肉操作を常に発動させるに至るまで、どれほどの訓練を積み重ねてきたのだろうか。
無量劫。一言で表すのが浅劣だと言える程、長いはずだ。
「そして、ちょっと本気を出せば……」
そう言うと、エンタクはナイフの欠片を握っていた右手を、得意げにぐりぐりし始めた。
鈍くありつつも高い不快音が、戛然とエンタクの右手の中から響く。
シュウとミレナはその音に耳を塞いでしまう。
「鉄を粉末状にまですり潰すことができる」
「おいおい」「ほんとにどうなってんのよ……」
結果、エンタクはナイフの欠片を粉末状に小さくなるまで、粉々に破砕。右掌からナイフの欠片であった物を、地面に捨てた。
その異常すぎる光景にもはや驚きが消え、シュウとミレナは震恐して彼女を見た。
「筋肉操作が出来るだけで、戦闘に於ける勝率は格段に上がる。てことで、今からいつまで筋肉操作がもつか時間を測るぞ。さぁ、計測開始!」
そうしていきなり、エンタクが手を叩いて計測開始の合図を出す。
シュウとミレナは気を引き締め、筋肉操作を行使し続けた。
三分ほど過ぎたところで、
「エンタク、俺……そろそろ」
シュウが脱落する。
「シュウは大体三分くらいか……ミレナは?」
「まだ、いけると思う……」
エンタクが見やると、ミレナは大きく息を吸って答える。
普段から筋肉操作を使っていたことが功を奏したのか。顔に疲労はみられるものの、ミレナは筋肉操作を行使し続ける。
それから二分過ぎたところで、
「ダメ、もう無理……」
ミレナが脱落した。
「ミレナは五分くらいだな」
膝に両手を乗せて、肩で息をするシュウとミレナ。
エンタクはその二人を見ながら、悪くないと言いたげに頷いた。
筋肉にオドを流し込んでいる都合上、右腕に集めたオドは徐々に減っていく。故に、長時間行使する為には、常にオドを集め筋肉に流し続けなければならない。
特殊な筋肉の使い方もさることながら、この行動が疲れるのなんの。
普段から行使しているミレナでも、性能を上げれば疲労で維持できなくなってしまうのが筋肉操作。
そこに、全く行使したことのない自分がいきなり始めれば、結果は灼然としている。
筋肉操作がここまで難儀なものだったとは、思いもしなかった。そして、甘い考えで挑んだ自分を呪う。
「シュウは筋肉操作自体が慣れてないから。ミレナはいつもより強くしてるかつ、身体を見て分かる通り、そもそもの筋肉量が少ないからだな……今回は右腕だけだったが、戦闘時は、これを全身で行いながら戦うことになる」
エンタクにそう詳述され、シュウは途方もない道のりだと邪推した。
だってこれを全身に行使しながら戦うのだ。実現できている未来が想像できない。
「シュウは先ず、筋肉操作を毎日行使して持続時間を伸ばす……ミレナは筋トレして筋肉量を増やしながら、性能を上げた筋肉操作の持続時間を伸ばす……」
今後の具体的な訓練メニューが、エンタクによって決められた。
彼女が言っていた地道な努力、研鑽、精励が一番大事で一番の近道という言葉。
それがまさしくこのこと。
「期間は一か月以内! それまでにシュウは筋肉操作を最低でも一時間は維持できるようにすること! ミレナも同じく、性能を上げた筋肉操作を最低でも一時間は維持できるようにすること! 出来ないは無し! 出来次第、次の修行に移る!!」
——ドドン!!
「おう! やってやる!」
「当然!!」
人差し指を立てて鍔際だと強調するエンタクの指示に、シュウとミレナは躍如たるガッツポーズをして、決意を表明する。
一か月。長いようで短い期間と言えるだろう。
だがしかし、強くなると決めた以上、絶対に成し遂げてみせる。それも、一か月なんて長さが笑えるくらいの短期間でだ。
——さっそく、筋肉操作の再開だ!!
※ ※ ※
「報せなければ! エンタク様!!」
一方そのころ、コウエンタクの階段を焦りながら登る、アウリヌスがいた。
手の甲の文字のヒントです。
原カナン文字→フェニキア文字→ギリシャ文字→アルファベット(ラテン文字)
左手の甲は『フェニキア文字』の『Y』みたいなやつが、右手の甲は『ギリシャ文字』の『Σ』が刻まれています。
文字が何の意味を持つかは、考察してみてね。
答え合わせは後程……




