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アンリーズナブル  作者: 犬犬尾
第三章 絶対ルマティ教社会主義国 ルマティア
83/116

第1話 どちらも善であり、悪であるならば

第三章始動!!

 これは、アスラン及びその傘下がアンコウエンに攻め、大敗を喫してから二か月後の話である。


 夕刻。場所はアルヒストの西側にある、ごく普通の農場。

 夕陽の橙色に染められる畜舎の中に、二人の農夫と一匹の瘦せ細った山羊がいた。


「こいつはもう、ダメだな」


 二人の内の一人——小太りな中年の農夫が、痩せ細った山羊を見下げながら頭をいた。


「やっぱり、殺処分が妥当なんですかね? 逃がすのは……」


「逃がすのは駄目だ駄目だ! 病気の家畜を自然に返すなんざ、環境汚染と同じだ。だからって、治癒魔法で病気を治すのにも費用が掛かるし、完全に病気が治らねぇことだってあるんだ。可哀想だが……こいつと、それに、同じ畜舎に居た家畜は、殺処分するしかない」


 二人の内のもう一人——髭を蓄えた所為で老けて見えるが、目元や頬にはしわが無い青年の農夫。その彼からの質問に、小太りの農夫は厳しい現実を突き付けた。

 

 病気にかかった家畜は他の家畜に病気を移させない為に、畜舎から専用の屠蓄とちく小屋へと移動させて、殺処分しなければならない。

 また、病気に罹った家畜と同じ畜舎で飼育していた家畜は、専門の者に治癒魔法を施してもらわないといけない。または、殺処分しなくてはならない。

 そして、治癒魔法を施した家畜の肉や製品は安くなってしまう。


 これを怠ったり、虚偽の報告をした場合『家畜伝染病阻止法』に抵触し、厳しく罰せられることになるのだ。


 できて日が浅い農家や、不況だった農家などは資金が不足している所為で、治癒魔法を施すことが出来ず、家畜を殺処分することがよくある。


 小太りの農夫は壁に引っ掛けてあったナイフを手に取り、痩せ細っている山羊の傍で腰を下ろす。その行動を見た青年の農夫は、山羊が暴れないように無言でその頭を掴んだ。


 この農家も、同じ道を辿ろうとしていた。


 その時だった。橙色だいだいいろに染まっていた農夫の背中が、何物かの影によって黒く染まる。そこにいたのは、


「めぇー! めぇ!」


 家畜の母親である雌の山羊だった。母親の山羊は自らの力で畜舎を抜け出し、実子が連れてこられたであろう屠蓄小屋まで足を運んできたのだ。


「おやっさん、親の山羊が」


「こいつは、たまげたもんだ。家畜が、我が子を思って、抜け出してくるなんて」


 二人の農夫は、その初めての光景を見て唖然と固まった。


 母親の山羊は何かを訴えるように「めぇ! めぇ!」と低くうなりながら、子供の山羊の元へと近寄っていく。


「おやっさん、俺……」


「馬鹿言え。俺だって、殺す時はつれぇんだ。でも、やるしかない。こいつらに同情するな。そんなんじゃ、これから農夫としてやっていけねぇぞ」


 悲しそうな顔をして、頭の掴む強さを緩めようとした青年の農夫を、小太りの農夫は毅然きぜんと叱責する。

 数秒後、青年の農夫は「わ、わかりました……」と、屠殺をしぶしぶ受け入れた。その彼に、小太りの農夫は『それでよい』と、首を上下に振る。


 今まで家畜がかわいそうと、農家である自分達を非難する者は多くいた。が、その全てが口先だけで、毎日のように家畜の肉を食している者ばかりだった。


 自分だって心が痛まない訳ではない。


 言いたい事だけ言って、気持ちよくなるだけで行動には出ない。非難するなら、この農場から殺処分しなければならない家畜を買い取って、幸せにしてあげて欲しいものだ。法の改正をしようと、行動に出てほしいものだ。


 まぁ、国ではなく農家を非難している時点で、エゴであるのは分かり切ったことではある。


「めぇ! めぇ!」


 その日、二匹の山羊がナイフで殺処分された。


 雌の山羊は息絶えるまで——首を斬られ死にゆく中、最後まで子の山羊の前足に同じ前足を重ねていたという。


「人類め、やはり貴様らは罪深い。我が同胞たちよ、お前達を必ず救い出し、我々がなに不自由なく暮らせていける世界にしてみせよう。待っていろ……」


 断末魔を聞いた、聞かされた。惨状を見た、見せられた。

 白い体毛に、金色の二本の角を生やす稀有なシャモアが、農家に向かって走り出しす。家畜を——同胞を幸せにするために、動き出した。


 稀有なシャモア、二時間後に農場に付く。

 橙色に染められていた農場は、黒色に席巻せっけんされていた。


「なんだ? あの、デカいの?」


「ん? でかい?」


 殺処分した二頭の山羊の死体を焼いて処分し、農場に戻ってきた二人の農夫は、それを見た。


「ほら見ろよ! あれ!」


「白い、シカ……いや、ヤギですか?」


「ちげぇ! あれはシャモアだ! だが、あの体躯に金の角、見た事ねぇぞ……」


 翌日、殺処分されるであろう家畜たちを——否、それだけではない。他の畜舎に収容されていた家畜たちを従える、シャモアを見た。

 その容姿は言葉通り、金色の角を生やし、白い体毛を持った魁傑かいけつであった。


「あのシャモア。まさか家畜たちを、逃がす気じゃ……」


「こっちに来ますよ!?」


 家畜たちに「めぇ! めぇ!」と寄り添われる中、シャモアの神獣は彼らを置いて二人の農夫に近寄った。


——で、でけぇ!!


 小太りの農夫はその魁傑な姿を見て、目の前にいるシャモアが突然変異などでは説明できない、稀有な存在なのだと悟った。

 例えばそう、


「問おう」


「喋りやがった!? まさか、神獣か……」


 そうだ神獣だ。


 人語を介してきたシャモアに、小太りの農夫は驚きながらも、冷静に所思を喋った。

 このシャモアが神獣ならば、家畜たちが従っていることも、魁傑な容姿も、この心の中の違和も、解消できるというもの。


「如何にも。我が同胞たちに、今後、二度と陋劣ろうれつな行動をとらぬと誓うのなら、命だけは助けてやろう」


 シャモアは神獣だと肯定し、こちらを見下すような細く冷徹な目で、理解に苦しむことを言って来た。


「は? 人の家畜を逃がそうとしておいて、急に、なに言い出しやがるんだ!!」


「同胞? 陋劣? 意味が分かんねぇよ! 俺達は生きるために、嫁さんや子供を支えるために、この農場で働いてんだ! そいつらはそのための、手塩を掛けて育てた商品だ! 家畜たちを返してもらおうか!!」


 小太りの農夫はシャモアの神獣の意味不明な言葉に、冷静ではいられなくなってしまった。


 彼の率直な感想は『こいつ、頭がいかれてやがる』である。


 恐らく、このシャモアの神獣は殺処分に対して居ても立っても居られなくなり、家畜たちを逃がそうとしたのだ。それに加えて、命だけはという人を見下したような言動と態度。

 まるで家畜の殺処分を非難だけしかしない、馬鹿な連中のようだ。寧ろ、命だけはなどと狂ったことを言っている分、馬鹿な連中よりも厄介だ。


「そうだ! おやっさんの言う通りだ!」


 青年の農夫が一歩前に出て、シャモアの神獣にがんをとばす。


「そもそも! お門違いなんだよ! 異議があるなら国に言えや!! どうせ、家畜が可哀想だとかいう理由で、こいつらを逃がそうとしてんだろ!? ふざけんじゃねぇ!!」


 そう発言したら、非難するだけのエゴ連中とシャモアの神獣が重なり、余計に腹の虫がおさまらなくなってきた。

 やはり、こういう連中はしっかり言ってやらなくてはならない。


 小太りの農夫は勢いに身を任せ、


「こちとら、不況で資金が不足してんだ!! 病気に罹った家畜と、その家畜と同じ畜舎で飼育していた家畜は、殺処分するしかねぇんだよ!! そういう法律なんだよ!! そんなことも知らねぇで、ごちゃごちゃ物申してんじゃねぇよ!! この偽善野郎が!!!」


 シャモアの神獣に指を差して言い切った。


——二人の農夫は、人類とシャモアの神獣を同じ立場で見てしまった。


——それがどれだけ見当違いなことで、どれだけ愚かなことなのかを、二人は知る由もない。


 農家やそこから買い取った肉屋が、人々の気分を害さないことを名目に、人目に立たない屠畜場で家畜を屠殺しているというのに。

 これでは元も子もない。


 必要なことなのに、倫理的ではないことだと非難されるのは遺憾いかんでしかない。人類とは、生物とは残酷なことをしなければ生きていけないというのに。

 それを履き違えてやがる。腹が立つぜ。


 青年の農夫が「そうだぜ!」と叫ぶ。


——二人の農夫は、シャモアの神獣の目が赫怒で染まったことに気付かない。


——自分の言いたいことしか、人類的価値観でしか、僻論へきろんしか言えない。


 殺処分と聞けば耳心地が悪いだけで、家畜は当たり前のように殺され、当たり前のように食卓に並んでいる。

 それには目を瞑り、殺処分だけに焦点を当てるなどエゴが過ぎる。


——だからおらぁ、嫌いなんだ! 聖職者が! 王侯貴族が! 思想だけはいっちょ前なお偉いさんがよぉ!!

  

「神獣かなんだか知らねぇが! 上から目s———ッ!?」


「ならば! 爾等おれらは苦痛にのたうち回り! 即刻この場で死ぬしかあるまい!!」


——だから言ってやらなければ、言って、いって、イッテ……


「ごボぇ!?!?!?」


「は……?」


 青年の農夫の血が、小太りの農夫の顔に降り注いだ。


「我が同胞を苦しませ、その浅ましい手と価値観で殺したようにな……」


 貫かれていた。抉られていた。飛び散っていた。

 シャモアの神獣の角に胴体を貫かれ、瞳から光を失って項垂れる青年の農夫。


「ひっ!? ひぃぃぃぃ!?」


 何が起こった。意味が分からない。血飛沫が舞って。気持ち悪い。怖い。理解したくない。


 恐怖に腰を抜かしてしまった小太りの農夫は、両手を駆使してその場から逃げ出そうとする。が、


「ぶグぇ!?!?」


 突然現れた火柱で、小太りの農夫は苦しむ間もなく黒い塊となった。


「逃しはしない。己の罪を自覚し、我が同胞に謝罪しながら、無様に果てるがいい……それが唯一、爾等が許される贖罪しょくざいだ」


——家畜と種族が類する神獣が、彼らを解放して幸せにするため、行動に出た。


 シャモアの神獣は角で貫き殺した死体を黒焦げにして、その場に投げ捨てた。


「貴方! さっきの叫び声は——ッ」


「父ちゃッ!?!?」


「「いやぁぁぁぁぁ!!!!」」


 シャモアの神獣と農夫たちの一悶着——叫び声を聞いて、女性とその子供が駆けつけて来たのだ。

 小太りの農夫の妻と子供である。


「何事だ! おくさッ———!? おやっさん……」


 数秒遅れて、堅気とは思えない男達が剣を携え、その場に到着する。

 その中、頭目であろう無精ひげを生やした男が、黒焦げになった二人の農夫の死体を見て、顔をひきつらせた。


「テメェェェェェ!! よくもおやっさんを!!」


 農夫たちに深い思い入れがあったのだろうか。獣人の男が鞘から剣を引き抜き、怨望えんぼうの叫びをあげながら、シャモアの神獣に向かって走り出した。


「待てピクス! そいつは神獣だ!!」


 その彼を、無精ひげの男が注意して止めようとしたが、


「あァァァアァ!!」


 構わず叫びながら突貫し、


「グッぁ!?」


「我が憎いか……獣人よ……」


「ピクスぅ!!!」


「ぁッ! ヅぃぁ!?」


 シャモアの神獣に簡単にあしらわれて——火魔法で火達磨ひだるまにされた。そして、


「我も同じだ。己の弱さ故に、今まで同胞を守れず、研鑽することでしか誤魔化すことが出来なかった、この怒りは、憎しみは、憎悪は!! 爾等の比較にはならぬ!!!」


 赫怒——更なる業火で全身を焼かれ、黒い塊となって敗北した。


「マジかよ……」


 無精ひげの男はシャモアの神獣の強さに、唾をゆっくりと嚥下えんげした。

 このままでは全滅するだろう。その前に、せめて農夫の妻と子供だけは逃がさなくては。

 それが流れ者で、毎日飯を食わせてもらっている自分達が、農夫の彼らに出来る恩返しである。


「奥さん! ガキを連れて! 南東にある勇者協会の事務所に通報するんだ!! 今からじゃ騎士に連絡してもおせぇ!! それまでは俺達がここを食い止める!!」


「アントニウス!? 分かったわ! 夫の仇を取って!!」


「承知したぜ!!」


 農夫の妻と子供が走り去っていく足跡を聞いて、無精ひげの男——アントニウスは深呼吸した。


 仲間の死体から火が草原へと燃え広がり、農場が火の海へと変わり果てていく。


——俺は、俺達はここで死ぬ……


 プロスクリプティオなる法律で人権を奪われた自分達は、どうせ死ぬ運命だった訳だ。それを農場で働く農夫として匿ってくれた彼らには、感謝が絶えない。


 ここ数年、この農場で楽をして暮らせた生活は悪くなかった。


——だけどよ、やっぱり死に……バカを言うな! 俺達は不義理な連中とはチゲェ!! そこまで落ちるつもりはねぇ!!


 アントニウスは弱い自分を嚙み殺すように、柄の握る強さを強めた。


「食い止めるか……爾等には無理だ。しかし、我とて無暗な殺生は好まぬ。同胞たちをこの農場から解放できるのなら、それ以上は望まぬ」


 シャモアの神獣は、その赫怒に染まった瞳の色を少し薄くして、アントニウスにそう言った。

 逃げれるチャンス。生き残れるチャンス。だが逃げれば、農夫の妻と子供は確実に死ぬ。


 どうする。どうするどうするどうする!?


——アントニウスの中で、生存本能と理性がせめぎ合う。


 須臾しゅゆのあと——アントニウスの脳内では数分数十分の時間が経ち、答えは出た。

 その答えとは、


「部下を殺された、頭目の俺にそれができると……? それに、俺達はここを守る為に、おやっさんに匿ってもらってる人権の無い流れ者だ。そんな俺達が今ここで逃げ出しちまったら、ヘタレとして見られるだろう。そんな奴らを、闘うしか能の無い俺たちを、再び匿ってくれる奴がいるとでも?」


 もはや理性とは程遠い『部下の前で格好悪いことはできない』という意地であった。


「そうか、義理は通すのだな。悲しきことだ……」


 シャモアの神獣は容易く、言葉とは裏腹なアントニウスの眉を読んだ。

 シャモアの神獣が「同胞たちよ、下がっていろ」と言うと、家畜たちは彼を心配するように「めぇ! めぇ!」と鳴いて、顔を擦りつける。


「お前ら! 出し惜しみはするな!! 最初の一撃で仕留めに行け!!」


「「「おす!!」」」


 その中途、アントニウスは部下に指示を送り、総攻撃の構えをとる。それぞれがそれぞれの魔法で得意とするものを準備して、シャモアの神獣を取り囲んだ。


「大丈夫だ。安心しろ。心配する必要はない。お前たちの元に、我は必ず戻る」


「…………」


 家畜たちがシャモアの神獣から、離愁の情を向けながら離れていく中途、アントニウスたちは攻撃を仕掛けることは無い。

 一度は逃げるチャンスを与えてくれた、シャモアの神獣への感謝だろうか。


 違うな。今から殺される相手に、そんな情など向くはずがない。


 これはきっとそう、最後の抗いだ。

 お前たちが今から殺すのは、仲間を慈しむことが出来る者達だと、卑怯な手は使わず正々堂々闘う者達だと、知らしめる為だ。


 意地汚い、負け犬まがいの抵抗だった。

 

「さぁ来い。一人残らず屠ってやろう」


 そう言って、殺気を席巻させるシャモアの神獣。その彼を、得物にオドを込めて見やるアントニウス。


「お前等! 畳み掛けッ——!!」


 アントニウスの言葉を嚆矢こうしに、男達が一斉にシャモアの魔獣に向かって切りかかる。その時、アントニウスの見る世界がゆっくりになった。


「ヴァルカン……」


「ぁ…………クソ」


 彼の瞳には、烈火のごとく燃え盛る炎だけが映った。




 走る。ただひたすらに、母親の手を握って、何が起こったのかを考える暇もなく、息を切らしながら走る。


「爾等は逃がさん。殺すと決めたからには、その子孫も殺すと、最初から決めていたからな」


 そして、鉢合わせた。


「いや! お願いします! この子だけは! どうかこの子だけは!!」


 何が起こったのか分からないまま、母親が覆いかぶさって来る。

 少年は母親の髪の毛の隙間から、親しかった大きな兄と父親を殺した——丸焦げにした、シャモアの神獣を見た。


 ここにシャモアの神獣がいるということは、自分達を逃がす為に戦ったアントニウスたちも、殺されたということだ。


「ならぬ。爾等はそうやって、我が同胞が子を庇おうとも、構わず殺生しただ——ッ」


「父ちゃんを返せ!!」


 少年は覆いかぶさっている母親の横から、下位の風魔法——ウィンドをシャモアの神獣の顔に向けて放った。

 風の刃はシャモアの神獣の左頬に直撃。傷口から血が垂れる。


「兄ちゃんを!! アントニウスおじさんらを返せ!! 返せ!! 返せ化物ぉ!!」


 騎士か勇者協会に入りたいという将来の夢を、真摯に聞いてくれた兄。戦いの稽古を付けてくれたアントニウス。


 憎い憎い。許せない赦したくない。


 大切な人達を殺したこの化物が、憎くて仕方がない。


「化物。そうか……やはり、我らと爾等は、分かり合えることは決して無い」


 シャモアの神獣は垂れる血を拭きとることなく、少年に覆いかぶさる母親の背中に、前足を乗せた。そこに、オドが込められ、


「ぁ…………」


 火柱が二人の身体を貫いた。


「恨むなら、農家の家に生まれ、我が同胞を、愉悦ゆえつしながらなぶり殺しにした、自らの性根を、遺伝を、運を恨むのだな」


 憎い。にくい。


 あの、バケモノも、あの、無様、に、面白、おかし、く、なき、ワメイテ、シン、ダ、カチク、ノ、ヨウ、ニ、ミクダシ、ナガラ、コロ、シ……タ……


 燃え盛る火炎で肉体を焼かれる中、少年はそんなことを考えながら息絶えた。



※ ※ ※ ※ ※ ※



 農場とはまた別の森の近くにある街。

 そこでは愉快と不愉快、満悦と怨嗟えんさ、喜びの声と苦しみの声が、生と死の争いが起こっていた。


 人同士の争いではない。その街では、生きるために殺す——食う為に殺す、食われない為に殺すという、シンプルで峻厳しゅんげんな争いが起こっていた。


 食う側は黒い魔獣達。食われる側は人類である。

 黒い魔獣達の容姿は黒という色以外は様々で、錯雑さくざつな種類の動物たちから構成されていた。


「美味い。やはり人肉と生き血は珍味で、格別だな」


「空腹は最高のスパイスと、人類の本で読みましたが、本当にそうですね」


「あぁ、美味い。これからは月一ほどで、人肉を食したいものだ」


 そう言って殺した獲物——息絶えた人間の肉を食うのは、三匹の豹の魔獣だ。

 父親と子供。そして父親の兄弟の、三人から成る班で人類を狩っていた。


 その光景を、樽の中で眺めていた一人の少女。声を殺して息を潜めていたが、震恐しんきょうしておしっこを漏らしてしまった。

 その音や匂いを、豹の魔獣が都合よく逃す訳もなく。


「いや! いや! いや! いやぁぁぁぁぁぁ!!!」


 樽をその鉤爪で抉り、中から泣き叫ぶ少女を引きずり出した。少女が全力を出して暴れるが、奇偉きいな身体を持つ豹の魔獣の前では、なにも成せずに虚しく終わる。


「子供か……この場で食うもよし、生かして育った後に食うもよし……ここは……」


 豹の魔獣が黙り、一考しようとした。その時。


「その子から離れろ!!」


 武器を携えた四人の人類が現れた。

 彼らの服には返り血が見え、どうやら仲間の魔獣達を斃してここまで来たようだった。


 如何にも正義感が強そうな剣を持った青年と、寡黙そうな杖を持った女性。そして大きな戦斧を持つ直情径行そうな獣人の男と、眼鏡を掛けた長髪の脆弱そうな男の四人だ。


 豹の魔獣は四人の左上腕部分を見て、にたりと嗤った。


「おまえら、勇者協会の者達だな」


 服装は違えど、安全ピンで留められた腕章が、何者であるかを物語っている。


 組織を誇示する故のデメリットと言えよう。


——農場では無理だったが、この街では勇者協会が駆けつけていた。


 勇者協会とは非営利であり、傭兵協会と対をなす、アルヒスト西側の辺境で隆昌りゅうしょうし始めた団体である。軍隊である騎士よりも動きやすく、あらゆる弱者にとってのり所になっている団体だ。


 とはいえ、愚かなだけでこの四人が弱いという訳ではない。寧ろ互角。三対四という数が不利故に、劣勢と言ってもいい。


 だからこそ慢心はしない。そして、四人に殺された仲間の敵討ちをするのだ。


 ただでさえ錯雑な種類の動物で構成された連合なのに、仲間の敵討ちをすると心に決めたのは、果たして——、


 対面する四人組は——特に先頭に立つ青年アレスは、


「お前達に名乗る名などない! メリア! ソウタ! ロドクイヌス! いつもの陣形で行くぞ!!」


「来るか!? 人類!!」


 罪のない人々を食い殺した、邪悪な魔獣達に激昂。剣を引き抜いて飛び出した。

 向かってくるアレスに、同じく先頭に立っていた豹の魔獣が右前足を繰り出す。


「っ!!!」


 アレスはプロテクションによって身体能力——走る速度を上げ、豹の魔獣の懐に入ることで攻撃を避ける。奇偉な身体から繰り出された攻撃は不発に終わり、そのまま石畳の地面へ。石畳が軽く砕かれ、鉤爪によって削り取られる。

 懐に侵入された豹の魔獣は、跳躍して態勢を立て直そうとするが、


「フっ!!」


 アレスがそれよりも早く、豹の魔獣の後ろ両脚を切りつける。

 「ガァ!!」と、うめきながら倒れる豹の魔獣。


 アレスは倒れた豹の魔獣の脳天に向かって跳躍し、


「はァァァァ!!!!」


 火魔法を纏わせた得物を突き立て、急速落下した。

 素早い身のこなし。だが、アレスの行動はあまりにも無防備。急速落下する彼を横から斬殺してやろうと、後ろにいた豹の魔獣が鉤爪を振るう。

 だが、 


「させない」


「なぁっ!?」


 その攻撃の寸隙すんげきを狙っていた女性——メリアの杖から、光魔法が射出。助けに入った豹の魔獣の腕が、抉り飛ばされる。


 結果、邪魔されなかったアレスはそのまま急速落下。


「ガァッハァブァ!!」


 倒れた豹の魔獣の脳天を、得物が貫いた。

 豹の魔獣は息絶え、その口にくわえられていた少女をアレスが救いだす。


「父上!! クソ! 叔父上、下がっていてください!! ここは俺が!!」


 右前足を負傷した豹の魔獣を下がらせて、無傷の豹の魔獣は猛然とダッシュ。少女を抱えるアレスを、大きな牙と顎で細嚼さいしゃくしてやろうと大きく開口する。


「ロドクイヌス! 少女を!」


「分かりました!」


 今まで見守っていただけの二人の男。その内の一人——ロドクイヌスが、アレスから投げられた少女を受け取り、


「ソウタ!!」


「あいよ!!」


 戦斧を持った男——ソウタが、指示を受け取って欣欣然きんきんぜんと前に出る。その表情は、まさしく戦闘を楽しむ戦闘狂である。

 ソウタの身体能力がプロテクションによって向上し、


「なに!? その体躯で受け止めるだと!?」


 豹の魔獣の攻撃を真っ向から受け止め、牙による細嚼を防いでみせた。

 ソウタの足元にある石畳が抉れ、土埃が舞い散る。


「貴様も土魔法師か!! 煩わしい!!」


「だからどうした! あぁ!!」


 両者見合ったまま、微動だにしない。


 数倍以上は体格差のある両者。それを容易に埋めてしまうプロテクションが——土魔法師が、重宝されるのは自然のことである。


「隙だらけ」


「それはこちらも同じこと!!」


 その状態を他の仲間達が見過ごすわけもなく。

 メリアが豹の魔獣を、負傷した豹の魔獣がソウタを狙って同時に動き出す。


 とはいっても二対四。どちらに軍配が上がるかは炳焉へいえんとしている。


「私を忘れてほしくはないですね!」


「グぁハっ!?」


 ロドクイヌスの氷魔法——巨大な氷柱が、負傷した豹の魔獣の心臓を下から貫いた。


「き!? さまぁっ!!」


 口から血反吐を吐き、負傷した豹の魔獣は息絶える。地面に管を作り、そこから氷魔法を放ったのだ。

 残りはソウタと鍔迫つばぜり合いをしている豹の魔獣のみ。


「ッ————!!」


「おのれ! 父上と叔父上の仇!!」


 メリアの光柱が豹の魔獣を射抜こうと射出される。

 豹の魔獣はソウタから牙を離し、後方へと飛び退けることで光柱を回避。


「ソウタ! 行くぞ!!」


「任せとけ!!」


 豹の魔獣に向かって疾走するアレスの掛け声を聞き、ソウタも走り出す。魔法で二人を迎え撃とうと、豹の魔獣は四肢を横に引き伸ばして射撃の構えをとった。

 開口された口の中心から、空気が凝縮されるような低音が鳴り響き、そこから空気の塊が構築。小さな竜巻となって、アレスとソウタに射撃される。


「その程度では! 僕は止められない!!」


 アレスは剣に貯めていた炎を振り上げることで一気に放ち、


「馬鹿な!?」


 小さな竜巻を相殺した。

 射撃の構えをとっていたことと、度肝を抜かれたことで、豹の魔獣の次なる行動に遅滞ちたいが生じてしまう。


 そして、


「ブっガァ!? おのれ、人類……」


 アレスとソウタの同時クロス斬りが豹の魔獣に炸裂。豹の魔獣はその場に倒れた。


「ナイス連携!」


「あぁ! 僕たちの勝利だ!」


 左手でハイタッチを催促してくるソウタに、アレスは快活に答えた。

 勇者協会の四人組の勝利である。


「ロドクイヌス、アクアを頼めるかい? 剣を冷やしたい」


「お安いご用ですよ」


 アレスは水魔法師であるロドクイヌスの元に、傍に置いてあった樽を抱えて近寄る。ロドクイヌスは「ふぅ」と息を吐くと、抱えていた少女を地面に下ろし、アクアと唱えて樽の中に水を入れた。


 アレスは剣を水で冷やし、温度を下げた状態で鞘に戻す。


 火魔法のウェア系——対象に炎を纏わせる魔法は、対象が炎を纏うということであり、したがって常に熱されている訳だ。

 それをいきなり鞘に納めるのは危険であり、被服が発火して焼け死んでしまう事もある。


 故に水で冷やす必要があるのだ。


「大丈夫かい?」


 アレスは少女に歩み寄り、腰を下げて視線を合わせた。少女は「うん!」と、涙目で頷いた後「怖かった! 怖かったよぉぉぉぉ!!」と、アレスに抱き着いた。


「もう安心するんだ。僕達が、勇者協会のアレスとその仲間が来たからには、ケダモノ達から君と、君の大切な人達を守ると確約しよう!」


「ありがとう、お兄ちゃん! パパとママも、お姉ちゃんと弟も救ってあげて!!」


「当然さ! 僕は勇者協会のアレス。勇者の中の勇者だからね、必ず守るよ……」


 格好よく啖呵を切ったアレスに、少女は抱き着く。

 アレスは抱き着いてきた少女の頭を撫で、優しく背中をぽんぽんと叩いて落ち着かせた。


「また自分を、この班のリーダーみたいに名乗って……私が居なきゃアレス、さっきの魔獣に、鉤爪で真っ二つにされてたよ」


 格好つけたアレスに、メリアが杖の石突を地面に当てて、ため息を吐く。

 魔獣の鉤爪で真っ二つとは、当然、豹の魔獣の脳天に向かって剣を突き刺そうとした時だ。


 確かに、あの時は危殆きたいであった。メリアの手助けが無ければ、死んでいただろう。馬鹿だとは思う。だが、


「そこは君を信じていたから、突っ込んだんだよ? 感謝しているよ、メリア」


 仲間がいると信じていたから、手助けしてくれることを疑わなかったから、動いたのである。


「はぁ……あっそ……」


 メリアは長いため息を吐き、アレスに向かって心底呆れた態度をとった。

 本当に手間がかかると、言いたげな表情だ。だが心なしか、その表情には嬉しさも混じっている。


「照れ隠しですな」「だな」


 そんな彼女をロドクイヌスとソウタが嘲戯ちょうぎして、


穿うがつよ」


 それにメリアがおっかなく怒り、


「「すみません」」


 調子に乗った二人が瞬刻で謝る。

 これが、彼ら四人のテンプレートである。 


 正義感が強く無鉄砲なアレスを、冷静に支えるのが彼ら三人の役目である。なんだかんだ言って、アレスが四人組のリーダー的存在なのであった。


 アレスは「ハハハ!」と笑い、剣を握っていた手に付けていた手袋——熱を通しにくい素材と、水の魔含石で作られた手袋を外した。


 その手は、熱を通しにくい手袋を付けていたにも関わらず、赤くただれていた。


「お兄ちゃん、手が……」


 アレスの爛れた手を見た少女が、愁然しゅうぜんと目を見開きながら呟いた。


「あぁ、これかい? 大丈夫、ただの火傷さ」


 アレスは微笑み、少女に心配させまいと気丈に振舞った。 

 少女に憫察びんさつされてしまうとは、勇者失格である。こうなるならば、手袋を付けたままであった方がよかったか。


 フレアを纏わせた剣を握っている間ずっと、酷い痛みに苛まれていたのだ。

 この痛みだけには慣れない。


「それよりも、可愛いお嬢さん。君の大切な人達は、お父さんやお母さんと、お姉ちゃんと弟だったね、彼らがどこに逃げたか、知っているかい……?」


「分からない。わたし、必死に逃げて来たから、はぐれちゃって……」


 アレスの咄嗟の切り替えと少女の純粋さが相まって、手についての話題は熄滅そくめつする。アレスはよかったと安心しながら、


「そうか、分かった。なら、お父さんやお母さんから、避難経路を教わらなかったかい? 案内してくれると、凄く助かるよ」


 先ずは、少女を安全な場所に預けることにした。


「うん! それならわかる!」


「いい子だね」


 躍如たる返事をする少女。アレスは彼女の頭を爛れていない方の手——左手で撫でて、背中を見せる。それから少女に背負うと手招きして、おんぶした。


 そして、少女が「あっちだよ!」と指を差した方向に、四人は歩きだ——、


「遅かったか……」


 ドスン。四人の後方から、地響きが伝わって来る。

 

——低い声。


 家屋が倒れたわけではない。


——只ならぬ気配。


 爆発が起こった訳ではない。


——凄まじい殺気。


 これは、そう。


「ヘルハウンド様」


「お前たちの仇はとってやる……」


 初めての感覚。今まであった魔獣とは、ケタ外れの何か。

 四人は振り返った。


「ッ!? なにも、の……」


 アレスはそれを見て、立ち竦んでしまった。


 そこにいたのは、先ほどの豹の魔獣よりもひとまわり小さい、犬の魔獣だった。

 体躯は小さく、人より少し大きい程度。だが、先ほどの地響き——足元の陥没した地面に、豹の魔獣の死をいたむ発言。何より、見た目に反する驍勇ぎょうゆうな気配と佇まい。


 もしやこの犬は神獣なのではなかろうか。

 犬の魔獣が、アレスに人生で初めての畏怖いふを与えた。


——錯雑な種類の動物で構成された連合なのに、統率が取れていたのは犬の魔獣が主因であった。


「先ほどの魔獣よりも、小さい……?」


「小さいとはいえ! 魔獣です! 少女を!!」


「敵討ちか何だか知らねぇが、一体だけでなんて、随分と舐められたもんだな!!」


 自分以外の三人が戦闘態勢に入ったのをきっかけに、アレスは少女をおろし、恐怖を小勇で誤魔化して構える。


「お前、さっき俺達のことを、ケダモノと言ったな?」


「それがどうした! 事実だろう!! 罪なき人々を襲い! その血肉を食らうなど、ケダモノ以外の何ものでもない!!」


 怒りに身を任せ、アレスは犬の魔獣に反言する。


「罪なきね。本当にそうか? 同じことをしている貴様ら人類に、俺達のことは言えないはずだ……邪魔だから、必要だから殺す。俺達も、同じことをしているにすぎない」


「ふざけるな! 棚に上げるのも大概にしろ!!」


 稚拙。詭弁。身勝手。その往生際の悪い理論に、痺れを切らしたソウタが飛び出した。申し分ない速さ。犬の魔獣との距離は瞬刻で縮まる。


 更に、


「穿て!!」


 犬の魔獣が射出させた大きな氷柱を、光柱で相殺——メリアの助勢によって、ソウタの攻撃は虎に翼となった。


 四人は気付かない。犬の魔獣の顔色に焦りがなく、驍勇なままであることに。


「おっラァァァァァ!!!」


 その速さ。その突貫。そして、その戦斧を以てすれば、犬の魔獣の体躯ではひとたまりもない。胴体を真っ二つに——、


「ッ————!!!」


「なに!? ガァ!?!?」


 とはならなかった。逆に胴体に——心臓を貫かれたのは、ソウタであった。

 犬の魔獣の右前足の先端から、氷柱が頓に出現したのだ。


「「ソウタ!!」」


 メリアとロドクイヌスがソウタの名前を叫ぶ。


 プロテクションを重ね掛けしたソウタに、致命傷を負わせる氷柱。見た目は細いが、オドの密度が——氷の硬さが桁違いということである。


「愚か、卑賎ひせん奸物かんぶつ、狂態……ここまでくれば、哀れだな」


「ほざけェェ!!!」


 吐血し、瞳から光を失っていくソウタを見て、犬の魔獣は見下すような憐情を口にする。その侮辱に、ソウタが殺されたことに怒りが沸点に達したアレスは、憤激のままに飛び込んでしまった。


 その頭の中にはもう、畏怖という二文字はなくなっていた。


「俺達がケダモノなら、お前ら人類は悪魔だ」


「スっ! サァ!!! ハァァァァァ!!!」


「ッ!!」


 アレスの剣戟を流麗な動きで避け、犬の魔獣はその首に噛みつき、


「ガフぅッ!?」


 首の骨をへし折った。


「お兄ちゃん!!!」


「アレ、ス……アレスあれすあれす!! あぁ……あァァァアアァア!!!!」


 目と鼻から血を垂れ流すアレスを見て、少女とメリアが冷静さを失って喚叫かんきょうする。特に、アレスを思い慕っていたメリアの冷静の失い方は、尋常ではない。


「まずい! メリア!! おちつッ————!」


 四人のうちの二人の死亡。全滅の一途を辿りかねない状況に、ロドクイヌスはメリアを止めようと声を掛けた。


 その瞬息、


「……グレイシア」


 息の根を止める銀世界が、犬の魔獣を中心に周囲を併呑へいどんした。

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