第35話 狂瀾を既倒に廻らす
サブタイの読みは、狂瀾を既倒に廻らす(きょうらんをきとうにめぐらす)です!
意味は自分で調べてね!!
エンタクは頓に、チャクラムのような武器——乾坤炎輪を左右に二つずつ、上に一つ出現させ、
「塗炭を味わわせてやるよ。文字通りな」
それを追い詰めた鼠——神人のアスランに向かわせる。
風を切る速さで飛翔する五つの乾坤炎輪は、一撃でも相手の肉を割き骨を砕く威力を持つ。それを前後左右と上方から、逃げ場を無くすように挟み込む。
となれば斜めから避ければいい、ともいかない。エンタクは、乾坤炎輪を精密に動かすことが出来る。逃げることは叶わない。
呆然自失としているアスランに、上から向かう乾坤炎輪が触れようと、
「クソ、私は神人アスラン! 優れた才知の持ち主である!! 逆境を乗り越える俊才なのだ!!」
した寸前、アスランから黒い波動が発生し、全ての乾坤炎輪を吹き飛ばした。
——雰囲気が、力感溢れるものに変わった……
エンタクは吹き飛ばされた乾坤炎輪を自身の周りに戻し、力感を溢れさせるアスランを睨んだ。
徐々に、アスランの身体が黒く染まっていく。足元にいるスイリュウの身体も、アスランと同様に黒く染まっていった。
エンタクは「……まさか」と、ぼやいた。
次の瞬間、アスランの右の背中から黒い羽が、服を貫きながら生えてくる。口からは黒い牙が生え、右頬から上は皮膚が膨張——堅硬たる皮膚によって覆われ、角のように尖った。右目は、その堅硬たる皮膚によって完全に包まれ、代わりに皮膚の間から、二つのアメジスト色の目が出現する。
足元に居たスイリュウは、次第にアスランの肉体に吸われていき、完全に消失。アスランの左の背中から、黒い龍翼が服を貫きながら生え、両腕は異形なものへと変化する。
左脚は獣のように体毛が生え、つま先からは両手と同様に鋭利な鉤爪が生えた。
都合、アスランは黒い悪魔へと変貌する。
「どうにも、おかしいと思ってたんだ。さっきの貴様に、スイリュウ達を滅する力はないって……」
エンタクは黒い悪魔を見て、余裕綽々と所感を言う。
先程までのアスランは精々、スイリュウと同等の力量であった。そのアスランが、スイリュウ以外の四獣を滅したとは考え難かったのだが。
今、目の前に居る黒い悪魔なら、四獣全てを滅することが出来るであろう。それも、四対一でだ。
「気付いていましたか……」
エンタクの所感に、黒い悪魔は窃笑する。その悪魔に、エンタクは炎尖鎗で指を差し、
「貴様、神と人と獣人、それと魔人の血を引く交雑種の神人だな……?」
類推を述べた。
右上半身は魔人の姿。左上半身は取り込んだスイリュウの姿。左下半身は獣人の姿。右下半身は元々の神人の姿。
これが交雑種でなければ、目の前に居る四つの側面を持つ悪魔の説明が付かない。
この姿が、アスランの全力ということだ。
「中々に慧眼ですね。できれば、力の全てを解放したくはありませんでした。全てを解放すれば、魔人の力に身体が蝕まれ、理性を奪われないように、抑えなくてはならない。そして、元の姿に戻るまでに、かなりの時間を要する」
言葉とは裏腹に、自身の力に酔いしれているのか、いけしゃあしゃあと情報を開示していく黒い悪魔。表情も怒りや焦りはなく、慶色のみ。
「なにより、この容姿は醜怪が過ぎる……」
アスラン——黒い悪魔は右手を自身の胸に当て、高らかにそう言ってみせた。
エンタクは倒錯的な悪魔の顔を、言葉通りイライラさせてやろうと、
「確かに、切り分けたみてぇに見た目が混ざってて、気持ちわりぃな……交配失敗って感じで、かわいそ」
冷ややかに笑いながら嘲罵した。
嘲罵された悪魔は、
「ハハハハ!! 減らず口もここまでだ!! エンタク!! ここがお前の墓場だァァァァ!!」
憤怨することなくエンタクへと飛び、両手を組んで振り下ろした。エンタクは、悪魔の拳を炎尖鎗で防ぐが、
「ッ!?」
予想以上の膂力に打ち落とされてしまう。彼女は地面に激突する前に止まり、すかさず乾坤炎輪を飛ばすが、
「遅い! 遅すぎる!」
まるで未来予知をしたかのように、最小限の動きだけで全て避けた。
「そのような遅鈍な攻撃など、何発打っても当たらんわ!!」
ただ、エンタクはその顔に蒼惶を宿さない。その理由は、
——通常の状態なら当たってるはずの攻撃なんだけど、どうやら身体能力全般、飛躍的に上がってるっぽいな……
彼女が悪魔の力量を推し量っているからだ。
それを見る悪魔の心境は『いつまで、その透かした顔で居続けられるかな?』である。
「小手調べだ!!」
上空と低空。悪魔は丁度良いと言いたげに冷笑し、右手を振り上げた。
「ぬん! はッ! ふ!」
それから、オドを放ちながら、右手を振ることで生み出した衝撃波を一撃、二撃、三撃。四撃目からは速度を上げ、過早——残像を生むほどの速さで、衝撃波を放っていく。
その一撃はエンタクが先刻、乾坤炎輪でアスランを斃そうとしたものと遜色ない。それを残像を生むほどの速さで放つ。
「…………」
エンタクは自若と全ての衝撃波を、悪魔と同じく残像を生む速さで炎尖鎗を振るい、衝撃を漏らすことなく相殺した。
恐らく、今の技はエンタク以外は受けきれないだろう。他の者なら、触れた箇所は抉れ拭き飛び、最終的に肉塊へと帰する。
「中々やるな」
小手調べにやられては楽しくない。こちらの力量を嗜んでいるような表情だ。
では、その嗜み心を、恐怖に変えてやろう。
エンタクは、今度は更に速さを上げた乾坤炎輪で悪魔に攻撃する。
「先ほどより早い!?」
悪魔は乾坤炎輪の速さに煩瑣だと顔を歪める。が、
「だが!! この程度では利かぬ!!」
その膂力を以って最初の乾坤炎輪を受け止め切り、受け止めたそれで他の乾坤炎輪を弾き返した。
——避けれないが受け止めることは出来る、か……
エンタクは胸間でそう思い、
「なんとなく、分かってきたかも」
悪魔の力量を、ポテンシャルの振れ幅——最低値と最高値を大雑把ではあるが捉え始めた。
自身が値付けされていることに気付くわけもない悪魔は、両腕の筋肉を膨張させ、乾坤炎輪を粉々に砕き割る。そして、その両腕から、
「これならどうだ!! ふっ! かァッ!!」
先程よりも、速さを上げた衝撃波をエンタクに向かって撃ち続ける。対局のエンタクは、
「ッ!!!」
全ての衝撃波を蚊虻だと言うように、炎尖鎗から放った強烈な衝撃波で弾き飛ばした。
「なッ!? 弾き返しただと!?」
エンタクのやってのけた卓犖たる行動に、悪魔は瞿然と目を丸くした。
悪魔からすれば、手加減なしで撃った技だ。その全てを軽く弾き飛ばされては、驚きたくもなる。驚いて、目の前で起きた出来事を否定したくなる。あり得ないことだと、思いたくなる。
とはいっても、
「小手調べに、技をバンバン撃ってきてくれてありがと。優しいんだね」
エンタクからすれば、どうでもよいことだが。
「き、貴様!! 全開ダァァァァァァ!!」
本日三度目。エンタクの挑発に、悪魔は両翼と四肢を大きく広げて慷慨。内にある黒いオドを四方にまき散らして、街を席巻する。
「貴様をこの周辺諸とも、荒漠としたものに変えてやる!!!」
悪魔は右掌と左掌を近づけ、双方の掌から黒いオドを捻出。禍々しい波動を溜めていく。
密度が凝縮されているからか、その中心から風が吹き荒れる。波動が溜まる度に風の勢いも増し、街中の花瓶や植木鉢などが吹き飛ぶ程まで強くなった。
エンタクは吹き荒れる風の中、微動することなく凝然と佇む。
「ガハハハハハ!!」
悪魔は佇むだけのエンタクを見て哄笑。黒い波動を両掌以上の大きさまで肥大化させ、
「ぬぅぅぅぅん!! 荒漠となれェェェェイ!!」
鈍く、重い音を殷殷と轟かせながら奔出させた。
その黒い波動は、悪魔の宣言通り街を荒漠とさせる程の威力。凝縮させたオドの塊を、物体にぶつけて一気に爆発させる。悪魔の渾身の奥義である。
エンタクはそれを、どうやって防ぐのか。或いは、我が身の愛おしさに躱してしまうのか。それとも凝然と佇んだまま、この街と共に死するのか。
——答えは、
「あっそ、獄炎・浩」
エンタクの言葉と同時、彼女の右掌から、淡く光る紅蓮の炎が迸散。広範囲に行き渡り、黒い波動を飲み込み焼き消した。
——どれでもない『焼き消す』であった。
「なん、だ……俺の渾身の波動が消え——ッ!?」
渾身の技が、全身全霊をかけた奥義が、たった一言と一つの技で消し去られた。悪魔は変貌前と同様に、エンタクの強さに呆然自失と呟こうとした。
だが、現実は酷薄だ。悪魔が諦観して自棄になるよりも前に、何かが周囲の空気ごと彼を引き寄せる。
引き寄せられた悪魔は、同じく何かに引き寄せられた乾坤炎輪に、
「言っただろ。何も出来ねぇって……」
「グゥ!」
殴られ、
「グェ! ジェ! ツゥ! イィ!?」
全身を抉られていく。
「貴様が小手調べに撃って来た技で、逆に小手調べさせて貰ったよ」
エンタクは一連の勝負で、悪魔のポテンシャルを完全に推し量ったのだ。
「フェ! ミィ! トォ! ズェ!?」
今、悪魔を襲う乾坤炎輪の速さは、その一撃一撃は、悪魔が避けられる速さ、防げる威力を優に超える。
悪魔のポテンシャルでは、絶対に攻撃を喫する連撃である。
そこに、エンタクは炎尖鎗を投げ飛ばした後、自身もすぐに飛んでいき、
「ツッ!!」
石突の部分に両足を付け、
「フンッ!!!」
「グゥェ!!!?!?」
悪魔の胴体を貫き、巨大な風穴を開けてみせた。
勢いを殺し、更に右手で炎尖鎗を掴むと、
「フンッ!!!」
「ジェビィエ!!」
今度は足元からオドを放ち、落下する勢いを用いて、悪魔の胴体を真横に両断した。
悪魔から赤黒い鮮血が舞う。
エンタクは空中で止まると、炎尖鎗を中心に、蒼い炎を纏着した両手で、弓を撃つ構えをとった。そして、悪魔の上半身が直線上に落下してくるまで、蒼い炎を貯めこんでいく。
「終わりだ……」
「馬鹿め! まだ私は動けるぞ!!」
蒼い炎が貯まり切り、エンタクが放とうとする中途。悪魔は上半身のままで翼を羽撃かせ、彼女に向かって直進した。その狙いは、
「神位魔法!! ハイドロボム!!!」
往生際の悪い道連れであった。悪魔の胸の部分が青く光る。
ハイドロボム——水属性の神位魔法である。咫尺の距離で、神位魔法を用いた自爆。かのエンタクであっても、逃げることは疎か、神位魔法を防ぐことは出来ないはず。
悪魔の身体から、神位魔法を行使するだけのオドが放た——、
「ふ……知っててやってんだよ。ばぁか……」
放たれた瞬間、何も起きなかった。
悪魔が放ったオドは瞬く間に街中へと広がっていったが、何も起きなかった。肌を慰撫す前兆もあった。だのに、
「神位魔法が、行使でき、ない……」
悪魔が囁いた通り、現実は神位魔法どころか魔法すら発現しなかった。
悪魔の胸中では、何故という文字だけが去来する。
「蒼炎・燬」
エンタクの右手の指が離れる。
——蒼い炎が、悪魔とその先にある空気を焼き尽くした。
原型をぎりぎり保った——両翼を無くし、丸焦げになった悪魔が、煙を纏いながら森に落ちていく。
「マナとオドと魔法の相転移……オドでオドを覆っちゃえば、魔法は行使できない」
煙を放って落ちていく悪魔。エンタクはそれを見下ろしながら、得意げな顔で言った。
マナとオドと魔法の相転移。魔法はマナとオドが混ざり合った時、そこに意志を込めることによって魔法へと昇華する。
故に、ほぼ不可能な神業ではあるが、オドでオドを覆ってしまえば魔法は行使できない。
話しの筋道は逸れるが、レイキが魔法——プルガシオンを発動できなかったのは、アゼルが血液の中に仕込んだオドを、彼の身体に侵入させ、全身を覆ったから。覆って、オドを外に出せないように妨害したからだ。
閑話休題。
丸焦げになった悪魔は葉を掠め、枝に当たって弾け、地面に衝突。泥沼の横まで転がり落ち、その体は汚濁にまみれる。
エンタクの宣言通り、アスランは塗炭を味わって轟沈した。
戦闘のスペシャリスト。正しく百戦錬磨。他の追随を決して許さない、卓絶の存在。
——これぞ、神将を超えると言われる所以。
狂瀾を既倒に廻らす。
——エンタクの、アンコウエン側の勝利である。
「…………」
エンタクは悪魔の場所まで下降し、汚濁にまみれた悪魔から翠の鉱石——スイリュウの神核を取り返した。
エンタクはスイリュウの神核を強く、仁慈に握り、それを胸元に当てて目を瞑る。
「おかえり、スイリュウ」
エンタクは心に意識を集中させ、
『ただいま戻りました。エンタク様』
スイリュウの神核と、己の胸の中にある神核とを通じ合わせた。
暗い世界で、翠の龍——アスランの傑出能力で傀儡として操作されるスイリュウではなく、目に光がある温顔のスイリュウが一匹映る。
「もう誰にも、お前のことを傷つけさせはしない。だから、安心して眠ってくれ……」
エンタクは暗い世界で、スイリュウと目を合わせ身体に触れた。スイリュウはエンタクの憐れみ、慈しむかのような表情に『はは!』と呵々した後、その頭に大きく硬い手を乗せた。
『全く……大きくなったものだ。泣き虫で口だけは達者だった、あの生意気な小娘が……』
スイリュウは親のような穏やかな表情で、エンタクの頭を優しく撫でた。
ふと、スイリュウの目に映るエンタクが一瞬だけ、幼い姿に戻る。姉に劣ることのない綺麗な銀煤竹の髪に、純粋無垢で明るい紅桔梗の瞳。
スイリュウは後悔と、自身に対する怒りを混在させた顔で目を瞑り、歯を小さく食いしばる。
『すまなかった、お前が大好きだった姉を守ってやれなくて……すまなかった、お前に全てを背負わせて、辛い思いをさせて……』
スイリュウはその表情をエンタクに見せないよう、すぐに解き、彼女の頭から手を退ける。そして、謹飭とした表情で彼女を見た。
『エンタク様、我が子ら共々、これからも、アンコウエンを宜しくお願いいたします。貴方はあの御二方と変わらず、強く優しいお方だ……これで、安心して、眠れます』
スイリュウはエンタクに深々と、謹飭に頭を下げて、彼女にアンコウエンを信託した。
「任せろ。お休み、スイリュウ……」
『あぁ、ありがとう』
スイリュウの姿が、暗い世界から消える。
安らかな暖かい風が、エンタクの長い髪を靡かせる。
エンタクはその風を少しだけ味わい、瞳から一粒の涙を零して、スイリュウの神核を懐に仕舞った。
エンタクは「さて」と言って、先ほどまでの寂寞な雰囲気を瞬目で振り払い、
「スイリュウの神核も回収した。止めを刺して幕引きだな」
まだ息のある、死にぞこないの悪魔を見下ろした。
「はは、えん、たく……おまえ、の、はいいん、は、かつての、な、かまの、しん、かくを、かいしゅう、しようと、し、た、こと、だ……」
堅硬たる皮膚から浮き出る二つの目が、微かではあるがエンタクの方へギロリと動く。
その目には何故か絶望がなく、豁然と希望を見つけたような光があった。
「敗因だと?」
何か変わった様子はない。かといって、その目にある希望が無根拠でないことは感取できる。
エンタクは悪魔に外見から何かしらの異常がないか、持ち前の傑出能力と研ぎ澄まされたシックスセンスで探し始める。
「ッ!?」
そして、見つけ出す。
エンタクは悪魔の胴体を足で蹴り退かし、
——背中の後ろにある、丸い手鏡に身体が吸い込まれている!?
丸い手鏡に、悪魔の身体が吸い込まれていくのを見た。
悪魔は気付いたところでもう遅いと、焼け焦げた口を大きく開け、
「そう、だ! なかま、を! みん、しゅうを、ころし! そして自死! しろ! エンタク! はははは!!」
——往生際の際でまたもや、悪魔はエンタクを道連れにしようとした。
悪魔の身体を吸い込んでいる手鏡から、小紫色の波動が溢れ出し、エンタクに襲い掛かる。
「——ッ!?」
ただ、
「——ハッ!?」
エンタクは波動を防ぐ素振りなく、炎尖鎗で手鏡ごと悪魔を両断。
「なぜ、きかなぃ……」
紅蓮の炎で全てを焼き消した。
そもそも、最後の命の灯を賭した能力——小紫色の波動は、エンタクに近づいた瞬間、彼女を嫌がるように避けていったのだ。
波動の感情を代弁するなら『無理だ、逃げたい、ごめんなさい、許してください、嫌だ! いやだ!! イヤダァァァ!!』と、言ったところだろう。
その理由は判然、
「だから、さっき言っただろ。ただの対策って……」
エンタクの才能と努力によって編み出された対策——傑出能力があるからだ。
——鼠如きの全てを賭した攻撃では、エンタクにかすり傷すら付けられなかった。
窮鼠猫を噛めず、である。
彼女に小細工など利かない隔絶した壁が、そこにはあった。
「…………?」
唐突、波動はエンタクの後方——街の方へと急速に向かって行く。
本来、彼女に向かうはずだった傑出能力が不発に終わったことで、暴走してしまったのだ。
エンタクが卓絶した存在であるだけで、悪魔の能力は強力なもの。ただ虚しく潰えることはない。残滓ではあるが、その牙が他者に向かおうとしていた。
「……まずい、街には……」
ぼやき、エンタクは即刻、傑出能力で周囲の状況を把握し始める。
——街には、シュウとミレナ、それとアゼル親子が!
リュウリンの街にはシュウとミレナ、アゼルとディーネの四人が固まっている。このままでは、四人が小紫色の波動によって操られ、暴れ出してしまう。
早急に止めなくては。
「面倒な真似しやがって……」
エンタクは苛立ちながら頓に武器を消すと、周辺の樹々を揺らしながら空を飛び、颯爽とシュウ達の元へと向かった。
——視点はシュウへと遷移する。
突然、街に訪れた小紫色の波動が体内に侵入し、脳みそが甘美な蜜で溶かされるような感覚に襲われた。
立っているのも儘ならなくなり、シュウは膝を付いて息を荒くする。
「な、んだ……この、感覚は……」
レイキの死体が消えたことを追究したいのに、これでは何もできない。
「シュウ!? どうしたの!? 大丈夫!?」
矢庭に膝を付き、片手で胸を抑えているシュウにミレナは憂いた顔で近づく。
「ミレナ……お前は、大丈夫、なのか……?」
「私は大丈夫っぽい! さっきの変な空気の席巻でしょ!?」
何事もなかったかのような仕草で背中を摩ってくるミレナに、シュウは質問。その質問にミレナは大きく答えつつ、シュウの背中を優しく摩り続ける。
ミレナが言った通り、変な空気——小紫色の空気が体内に侵入した矢先、脳みそが溶かされるような感覚が出始めた。
「あぁ、頭がぼーっとして……はぁ、ん、気持ちわりぃ、暖かさに、包まれ、て、視界が、脳が、溶かされた、みてぇに……ぅ」
シュウは嘔吐感を堪えながら、遅鈍に思考を巡らせる。
丁度、自分を含め、ここにいた四人の体内に小紫色の空気が侵入した。果然、ミレナは無事。何故無事かは、今考えるべきことではない。
アゼルとディーネは力を吸い取られたように倒れ、眠った。恐らく二人は、無事ではない。もしかすると、自分よりも状態が悪いかもしれない。
——こいつは、この感覚は一度味わったことがある……
類似性のある感覚。体内に入った矢先という共通点。
——確か、バラ色の髪の、サキュバスの女から、乾物を食わされた時だ……
サキュバス。推し量るに、
「こいつは多分、魅了、だ……」
声を詰まらせながらも、そう喋ったシュウ。その彼の言葉に、ミレナは「魅了……」と、言葉尻を濁し、
「取り敢えず、治癒魔法を……」
すぐさま治癒魔法を施そうと、背中を摩る手に意識を集中させる。しかし、シュウは、
「いや、ミレナ。俺は、正気を、保ててる! 先に、アゼルさんと、ディーネに、治癒魔法を掛けるんだ!」
先程まで眠っていた筈のアゼルとディーネ——立ち上がり、虚ろな目をしている二人に治癒魔法を掛けろと、ミレナの手を振り払った。
言いたいことが分かったのか、ミレナはアゼルとディーネの異常にハッと小さく口を開け「分かったわ!」と果断に答え、走る。
操り人形のように「ころす……コロス……」と、両手を前に出してのろのろと歩く二人に、ミレナは、
「まずい! ごめん!」
掌から氷魔法を放ち、足止めを図る。そして、その足止めの間に治癒魔法を施そうとするが、
「コロ」「コロ」
「なに!? 嘘!?」
「「コロスコロスコロスコロスぅぅぅぅ!!!」」
アゼルとディーネは、氷を潰敗させようと身体をじたばたさせ始めた。その二人の奇怪な動きに惶惑しつつも、ミレナは意を決して深呼吸。両手で握り拳を作り、それを「あぁもう!」と、大きく振り上げて、
「痛いけどごめん!! 大人しくしてて!! むん!!」
アゼルとディーネの頭に叩きつけた。
「ウがぁ!?」「グエェ!?」
二人はミレナの拳骨で完全に気絶した。
ミレナは「はぁ」と息を吐き、氷から出ている二人の頭に手を乗せて、治癒魔法を施す。その体から、小紫色の空気が抜け消滅していった。
ついでにミレナは、勢いよく殴った部分に出来たたんこぶも、治癒魔法で証拠を隠滅した。
因みに、シュウはミレナが証拠を隠滅したことを知らない。
万事解決。これで、一安心だ。アゼルとディーネが暴れ出すことは、もうないだろう。
シュウは甘美な感覚を成る丈、早く抑えようと息を整え始める。
「クソ、はぁ……ぅ」
前回と同じく感覚がましになり、シュウは心身を休めようと、膝を付いた態勢から地面に寝転がった。
そして額の上に手を乗せて、レイキの死体が消えたことについて思案を始める。
原因は十中八九、転移魔法。だが、どうして死んだ後から転移魔法が発動したのだろうか。普通なら、死ぬ前に転移魔法を発動させるはずだ。でなければ、転移したところで意味がないというのに。
シュウは、レイキの死体があった場所——血痕がある場所を見やる。
思念体であるのなら、血は残らない。心臓を貫いたのは、絶対に本体である筈だ。だのに、死んだ後に転移した。
無意味。遅すぎる。
——何のために?
「クソ、わかんねぇ……」
結論は『分からない』に行き当たった。
空で風を切る音が鳴る。シュウは額から手を退かし、空を見た。
「シュウ! ミレナ! ロジェオとディーネは!?」
そこに居たのはエンタクだ。シュウ達の元に、首魁を斃したエンタクが来た。
彼女はシュウとミレナの前に急速落下。地面に着地する寸前で止まり、ゆっくりと両足を地面に着け、二人に駆け寄る。
「エンタク!! 大丈夫! 二人は気絶させちゃったけど、治癒魔法を施したわ!」
ミレナは氷からアゼルとディーネをすぽんと引っこ抜き、二人を隣り合わせで寝かせる。
「治癒魔法? 魅了は治癒魔法でどうこうなるものじゃないぞ!」
「え!? 嘘!? でも、変な色の空気、抜けていったよ!?」
エンタクは否定したが、ミレナの言葉に「どういう……」と、足を止めて思案顔に。その後すぐに溜飲が下がったのか、エンタクは今度、横で倒れているシュウに視線を落とし、
「シュウ、お前は大丈夫なのか?」
安否を問う。シュウは、
「一応、ですけど……」
彼女の目を見て、息を吐きながら報答した。
どうしてかは分からないが、自分とミレナには魅了の耐性があるようだ。特にミレナに関しては、一切の効き目がなかった。
運が良かったと、言わざるを得ない。
「そうか、分かった! 助かったミレナ! シュウ! ありがとう!」
エンタクはシュウの言葉にも、少しだけ思案顔になったが、それをすぐ解いて二人に頭を下げる。
「いいの! 困った時は助け合いだもんね! シュウ!」
「あぁ、そう、だな……俺たちが、やりたくてやった、事なので」
頭を下げる彼女に、ミレナは顔の前で両手を振って謙虚に返す。
水を向けられたシュウも、彼女に便乗して謙虚に返した。
いや、自分に関しては謙虚ではない。何故なら、やりたくてやったことは事実。ならば、それは事実であって謙虚ではない。似てすらもいない、全く非なるものだ。
「そうか、本当にありがとう!」
エンタクはシュウとミレナの返しに、朗笑した。その彼女の笑顔に、シュウとミレナは「お……」と声を出し、互いに目を合わせて笑い合う。
話し合いの時、最悪な軋轢が生じてしまったが、どうやら問題ないようだ。
それに、笑比河清ではないらしい。
——領主だとか、神人だとか、長生きだとか、神将を超えるだとか……
「いや、案外伏線はあったか……」
露出度の高い給仕服を着ていたり、従者と仲良く冗談を言ったり、上座下座の風習を嫌ったり。
——なんとも、庶民的な神人様だ……
割と庶民肌なのだと、シュウはミレナと笑い合う。
強く、秀麗としていて、なじみ深い。これなら、従者に慕われてしまう理由も分かる。
二人の笑いに、エンタクは首を傾げるが、それを見てまたシュウとミレナは小さく笑う。
そしてシュウは決意する。
——やはり、俺たちがやるべきことは、自分達の尻拭いを自分達で出来るようになること……強くなることだ……
——強さを理由に、エンタクから仲間を奪う事じゃない。
シュウは心の中で述懐した。
これからの旅は、自分達だけの力で乗り越える。
「そうだ。金髪のガキは、殺せたが消えたんだな?」
エンタクは傾げた首を元に戻して、シュウとミレナにそう問うた。
はて、何故エンタクがレイキの死体が消えたことを知っているのだろうか。
彼女の質問にミレナが、
「え? なんで知ってるの!?」
と、シュウの思いを代弁する。シュウはミレナに先を越された事で、却って冷静にエンタクの発言を振り返った。
エンタクは敵が急襲を仕掛けて来た時、ものの見事に相手の正体を見抜いていた。彼女の発言を疑わないフクとセイや、ローガの行動もそうだ。
そして今回、レイキの死体が消えたところを見ていないにも関わらず、知っていた先程の発言。
「そうか……」
シュウの脳内で、推断が確証に変わった。
「エンタク様、俺たちがアンコウエンに入ったのって貴方が知ったんですね?」
「うん、僕の傑出能力で知った……アンコウエン内に居る場合、アンコウエン内全土の状況を、俯瞰的に把握できるんだ」
最終確認、シュウはエンタクに心の内を言って確かめる。そして、予想通りの返事が来た。
三人の中で、ミレナだけは『どういうこと?』という顔で、
「傑出能力……ってなに?」
エンタクに質問する。
いや、自分も傑出能力という抽象概念については何も知らないし、何も言えないのだが。今は何も言わないでおこう。会話の流れがもつれるだけだ。
「その名の通り、傑出した者が使える能力だ。それより、詳しい話は後でいいか……? 僕は民衆に、勝利宣言をしてこなくちゃいけない」
エンタクは軽く質問に答えると、すっと両足を浮かせて飛び上がる。
今まで何とも思っていなかった——というよりかは、何かを思う事すらできないほど、切羽詰まっていた訳だが。空をこうも簡単に飛んでみせるとは。
細部まで神将を超える実力の持ち主なのかと、驚嘆してしまう。
エンタクにミレナが「うん! 分かった!!」と、見上げて言うと、シュウも寝た態勢のままで「はい!」と答える。
エンタクはこくりと頷き「また後で」と、手を振って公共施設の方へと飛んでいった。
「また後で! エンタク!!」
「はい! また後で!!」
神将を超える神人が凱旋する。
シュウの真横で飛び上がったエンタクのパンツ丸見えェェェェ!!




