第4話 エルフさんの日常
朝の起き方によって、その日一日の機嫌が左右されるといっても過言ではない。気持ちの良い朝は、機嫌の良い最高の一日になる。逆に気持ちの良くない朝は、その一日が機嫌の良くない、最悪な一日になってしまうものだ。
果たして、今日はどちらの朝かと言えば後者。その諸悪の根源は、双眸と顔を欣欣と輝かせるエルフの少女であった。
「シュウ! 起きなさい!! 今日は私が直々に森の案内と読み書き、おまけに魔法の練習も手伝ってあげるわ!!」
彼女は長耳を上下に振るわせ、寝室の窓を勢いよく開けた。
眩しい。というか五月蠅いし、人の部屋に勝手に入って来るのは素直にやめてほしい。
シュウは目を擦りながら体を起こし、
「まだ、朝早いだろ? 日も上がったばっかりだし、もう少しだけ寝かせてくれ……」
「うっそ……もしかして、夜更かししたの? それは感心しないわよ」
「夜更かしっつっても、勉学に耽った故の夜更かしだ。名誉ある夜更かしってやつさ」
正直なことを言うと、勉学に耽ったのはたったの三十分程度。夜更かしをしてしまった原因は、グレイとの対話だ。
ミレナの護衛役の一人——騎士団長のグレイの家に寝泊まりすることになったシュウは、昨晩の間、彼から魔法とミレナについていろいろ訊いたのだ。
初対面での印象は最悪であったために、話を訊きだすのは至難に思えたが、そこはシュウのおっさん特攻のコミュ力が功を奏した。
結果は、ため口を利ける程度まで、仲を深めることに成功した。
「何よそれ……そんなこと理路整然と言われても、夜更かしは夜更かしよ……どんな理由であれ、いけないことだわ」
「まぁ、起きない理由もないか……わかった。支度するから、外で待っててくれ」
ミレナは布団を軽快に取り上げた。そのままベットで寝ているシュウの上に跨り、眼前に右手を翳すと、
「なら手伝ってあげるわ! 目覚めのアクア!!」
魔法の詠唱と共に、忽然とミレナの掌から球状の水の塊が出現。表現するならば、掌からエネルギーを捻出させた、といったところだろう。
果たして、空中で生み出された水の塊は、重力に逆らえずに垂直落下。見事、シュウの顔面にクリティカルヒット。その後、水はベットと床に飛び散った。
「わぁっぷ!! 何しやがる!?」
「どう? 目覚めの一撃として、結構効いたでしょ……?」
「お前なぁ……」
「ヒッ!? あぁ、ええっと! 外で、私の家の前で待ってるから……その、ごめんなさい!!」
シュウの青筋の浮かんだ顔を見たミレナは、その怖さに冷や汗をかきながら震撼。逃げるようにジャンプをしてベットを降り、部屋のドアを無造作に閉めて出て行った。
「あの野郎……」
シュウはミレナの天真爛漫さに嘆息。小タンスからタオルを取り出すと、濡れた顔と髪を拭きとる。水魔法の下位に当たる『アクア』によって、顔面どころか上半身までもが水浸しになってしまったシュウは、ベットから降りて、
「まぁ、夏だし直ぐに乾くか……」
窓から空を見上げた。
爛然と室内を照りつける太陽。空には雲が一つも無く、快晴だ。
最悪の寝起きではあるが、偶には早起きをするのも悪くない。外に出て、日光を直接浴びながら仕事に励むのも、一興ではある。
「そう思えば、こんな日があっても悪くないか……」
シュウは濡れたシーツをベットから離して、手に持った。それから、生命の活力ともいえる日光を浴びながら、身体を大きく広げて全身の筋肉を弛緩。
「忙しい朝だな。シュウ」
「あぁ、グレイさん。全くだよ……お節介というか、何というか……元気なお嬢様だ」
低いハスキー声の方に振り向くと、そこに立っていたのは、右頬に痣がある筋骨隆々の男——グレイだ。昨日に着ていた軽装の鎧姿ではなく、短パンにタンクトップ姿と、かなりラフな姿だ。
シュウと同じく、彼もミレナの大きな声の所為で目が覚めてしまったのだろう。
「見た限り、かなりミレナ様に気に入られたんじゃないか……?」
「そうか? 俺のイメージでは、誰とでもあんな感じがするが」
「そうでもないさ。ミレナ様は人の善性を、直感的に判断なされるからな。お前は、そのお眼鏡に適ったというわけだ」
「直感か……そうだとありがたいな……」
シュウはグレイの誇大な言葉に対し、胡乱げに頭を掻いた。
確かに、ミレナは『信用する』とはいった。だが、それは飽くまで彼女の気持ちであり、シュウ自身の納得とは別である。
正確には、彼女がこちらを信用する理由が理解できないから、納得がいかないわけではない。彼女を騙しているようだから、納得がいかないのだ。
シュウがこのモワティ村を守ると決めたのは、目的があったからだ。
それは高潔な決意とは程遠い、我欲にまみれた利己心によるもの。師匠の目的を遂げるための通過点に過ぎず、全ては自分の為にというものに収束する。
その欲望に満ちた考えを持つ自分が、善人と判断されるのは何とも出来過ぎであり、騙しているようで気持ちが悪い。
——善人とは自分の為ではなく、他人のために全てを投げ出せる者のことだ。
自分には、人生の一生を掛けても得られない称号だろう。
「納得がいかない、そんな顔だな……」
「まぁな」
「だから、ミレナ様はお前を、善人だと認めたんだろう」
「……?」
シュウの悔悟をグレイは悟ったのか、俯きながら頬を緩めた。
善人でありたいと思うシュウには、彼の浮かべる笑みを理解することは出来ない。
生前、命を助けるために、命を奪う事もあった。分かり易く言うと、人殺しだ。
——その自分が善人など、あり得ない。
「まぁ、とにかく認められたんだ。考えても仕方がない……部屋の水履きは、家主の俺が済ませておく。お前は早く、お嬢様のご機嫌取りに行ってこい!」
「へいへい、お言葉に甘えるよ」
シュウは濡れたシーツを持ったまま外へ。物干しざおにシーツを干し、濡れたシャツとズボンを搾り取る。仕上げに、騎士団が身に着ける徽章を首に掛けて、ミレナの待つ家に赴いた。
徽章はお古だ。
「その、さっきはごめん」
家の壁を背もたれにしながら待っていたミレナは、シュウが来たことに気付くと壁から背を放した。
彼女の垂れ下がった長耳は、動物が尻尾で感情表現する様——慚愧しているのが見て取れた。
どうやら彼女の耳の挙動は、喜怒哀楽を見抜くのに最適らしい。といっても、彼女の表情をみれば一目瞭然ではあるが。
「反省してるってのは、その顔と耳を見てわかった。てかお前、俺以外にもこんなことやってないだろうな?」
「や、やってないです」
慄然とミレナは敬語で返す。
ミレナが何故、そのような反応をしたのかというと、それはシュウが怖い顔をしていたからだ。そして、その怖い顔に寝起きのテンションの低い声が被されば、効果は抜群。
因みに、本人であるシュウは全く気付いていない。
「じゃあいいか……それで、お嬢様。今日はどこに行き、何をなされるのですか?」
「あ、今馬鹿にしたでしょ?」
「とんでもない」
外方を向いて白を切るシュウに、ミレナはムッと顔を顰めて小さく呻る。それから長耳をぴくっと立たせ、
「それじゃあ、今日の予定について……先ず、陽刻はシュウに森の案内をした後、訓練所で魔法の練習。陰刻は、私の部屋で読み書きの練習よ!」
ミレナは背中で手を組み、足を大きく振りながら左右に往復移動。それから、すっとシュウの前まで足を運び、背伸び。右手の人差し指で、シュウの鼻をツンッと突っついた。
「ん、陽刻と陰刻ってのが、いまいちピンとこねぇが、今の言葉で今日一日、多忙ってのが理解できたよ」
もう一つ分かったことは、今日一日がミレナの護衛にもなるという事だ。
ミレナが融通を利かしてくれた為に、シュウは村を守る騎士団に入団できたわけだ。村を守ることが目下の課題である彼にとって、これほど合致した役目はない。
「ミレナ様を守護する騎士 (かり) として、本日から精進致します! ってな」
想像上の騎士を思い浮かべ、シュウは敬礼のポーズ。精励を露にした。
そもそも、獣人と人間のハーフだと忌み嫌われている者達が住むモワティ村に、人間の騎士団が滞在していることはおかしい事なのだ。だが、その『おかしい』を『正しい』に昇華させてしまう存在が、ミレナだ。
シュウは最初、彼女をエルフのお姫様だと思っていた。創作上に出てくるように、エルフのミレナが森の中に住んでいることからも、そのようなものだと解釈していたのだが、実際はもっと複雑なものだった。
ミレナは虐殺されたエルフ族の生き残りの一人らしく、瀕死状態のところを水魔法の創造神である『アルヒ』の神核が宿ることによって一命を取り止め、今に至るとのことだ。
そして治癒魔法師として、世界最高峰の実力を得たらしい。
ミレナの治癒魔法師としての実力は、切り落とされた腕や足を繋げ治すことは疎か、なくなった部位すらも再生することができるらしい。
事実、ミレナの治癒魔法によって、アルヒスト国国王の孫の命が救われたのだそうだ。
以上のことを踏まえ、ミレナは保護対象として、国の最高戦力である騎士団から保護されることになったのだ。
時代を越えて語り継がれるほどの功績を得た人物、と言っても遜色ない。
「どうしたの? ぼーっとしちゃって」
「あ、いや、少し考え事だ……何でもないから気にするな」
シュウは自身の胸中に、大きな痛痒を感じた。
先日、ミレナが島を出た理由の開示。それを惜しんだのは、同族が虐殺にあったからだろう。その陰惨な過去を思い出すだけで、彼女は毎度、激情に苛まれているはずだ。
何も知らなかったとはいえ、神を宿すミレナにしてしまったことは、慮外なことだ。
ミレナが寛仁でなければ、今頃首が飛んでいてもおかしくなかった。
「本当に、本当の本当に、何でもない?」
顎に手を当て、俯きながら思案するシュウに、ミレナは身体を傾けて覗き込む。翠の髪から垣間見える彼女の翠眼は、何処か憂いを孕んでいた。
「……いや、すまん、何でもないのは嘘だ。その、昨日は悪かった……ミレナの事情も知らずに、不謹慎なことを、俺は……」
「あぁ、そのことね……ホントバカね、シュウは。気にしてないわよ……グレイから聞いたの?」
シュウは「そうだ」と、頷く。
「そう……ありがとね。ちょっとだけ、気が楽になったわ」
シュウの気遣いは、稚拙で愚直であるからこそ、ミレナに大きな安心を訪れさせた。
パンパンと頬を叩き、ミレナは鬱屈とした感情、その余韻を残すことなく、嫣然と破顔。いつも通りの天真爛漫な少女に戻った。
「じゃあ、行きましょ! 村の為にも、教養の欠けてるシュウには、色々と知ってもらわないといけないからね!」
「助かるよ……」
長耳を上下に揺らしながらニコッと微笑み、ミレナの朗々とした声が村に広がる。そのまま彼女はシュウの手を取って走り出した。
※ ※ ※ ※ ※
「ここが第三転移地点よ。覚え方は『崩れた崖』に、川にある偶然できた『こわーい人面岩』そこから右にある大きなアズナシの木から、さらに右に村が移動するわ」
「こわーいって部分はどうでもいいとして、人面岩は覚えやすいな……」
現在、シュウとミレナがいる場所は崖下にある川。その横にある、直径一メートル程度の岩の傍だ。
人面岩というのは真実で、岩の細かい模様が老人の顔の様になっている。怖いかどうかは別として、覚えやすいという観点では上々といえよう。
第一の『森が騒がしい所のカガの木』と第二の『ミララン鹿が多く出る、ヌマの木』よりは、幾倍もシンプルで分かりやすい。
——ここで講釈。
村が移動というのは光魔法の一種——転移魔法を用いて、村と転移場所の位置を入れ替える仕組みのことだ。
転移魔法は、光魔法の創造神である『へダル』の血が濃い者が扱えるとのこと。
それに当たるのが、シュウが先日にあった陰の薄い男——リフ・ゲッケイジである。リフは高位の光魔法師であり『魔刻石』に魔力を刻む『魔刻主』という存在らしい。
転移物と転移場所に、転移魔法を行使できる『魔充石』を設置することで、転移できると、グレイが言っていた。
転移させる理由としては、村 (ミレナ) の居場所を盗賊や闇組織に悟らせないためらしい。これだけでも、充分刺客を撹乱しているのだが、更にこの防衛策に拍車をかけるのが、村にとって害ある存在を退ける護石だ。
昆虫から動物、魔獣に人間まで、害あるありとあらゆる生物を寄せ付けない守護結界とのことだ。
念には念を、という姿勢には感嘆しかない。
グレイ曰く、仮に村の位置を把握されたとしても、転移と護石があるから大丈夫であるそうだ。
ただ元来、転移魔法で転移させる物は小規模なものらしい。村ほどの規模を転移させるとなると、莫大な魔力が必要になるのだと。あとお金も。
それほど大掛かりな仕掛けを使った隠蔽。それ故、ミレナの存在が大きいことがわかる。国王の恩人であり、水魔法を想像した主神アルヒの神核を宿す、数少ないエルフ族の生き残り。
——ミレナの存在、デカすぎでは。
「ちょっと、こわーいがどうでもいいって、どういう事よ?」
「いや、主観はいらないって意味で言っただけだ。まぁ人面岩、って言うよりも、こわーいって言葉を加えた方が、フレーズとしては覚えやすいが……」
子供の様に不服を露わにするミレナ。その彼女に対し、シュウは至って淡々とした口調で返す。
ここだけを見れば、大袈裟に発言した子供を窘める、意地悪な大人と見られるかもしれない。
「ここでも理屈? 客観ばっかで話すシュウには、理屈屋って称号を与えてあげるわ……」
「ありがたいな……それと客観視しようとすることは大事だ。まぁ、主観視の方が、大事な時もあるがな」
「む……嫌味も通じないとか、私が子供みたいじゃない」
事実、ミレナは子供であるとシュウは思う。だが、ただの子供ではない。子供のように純粋でありながら、大人以上に物事の先を見ている。亜人と人間、獣人が一緒に暮らせるという未来を。
昨夜のグレイのやり取りを、シュウは思い出す。
『ミレナ様は、モワティ村の村民が、いや、亜人への迫害がなくなる未来を望み、目指していらっしゃる……俺たちが、モワティ村に赴任し始めた時は、シュウ以上に、村民達に忌避されたものだ』
蝋燭が置いてあるダイニングテーブル。少しうす暗い部屋が、グレイが話すことと妙にマッチしていた記憶だ。
『そうなんすね……』
『わざと無視されたり、子供に足を蹴られたり、そんなこともあったな』
『立場が逆転してません。それ……』
苦笑いするシュウ。彼の言い分にグレイは『その通りだ』と、頷いて、
『でも、ミレナ様がそんな村民達の行動を見かねて、こう言ったんだ。『それじゃあ、余計に軋轢を生むだけだわ。私達が本当に目指すべきは、互いが壁を厚くし合って、同じ人種で結託する、目先の保守的な未来じゃなく、互いに寄り添い、助け合う革新的な未来よ!! そうに決まってる!! 今貴方達がやっていることは、亜人迫害の問題を悪化させるだけの行為だわ!!』ってな……』
ミレナのセリフを言う時のグレイの表情は、躍然と輝いていた。そして、握り拳を固め、
『俺はあの言葉を聞いた時、本気でモワティ村と、彼女を守りたいと思った』
まるで、その時の感情を再現するかのように、敬慕を口にした。作った握り拳を毅然たる双眸で見る様は、敬慕の現われだろう。
ミレナに敬語は使わなくていいと言われた筈なのに、それでもグレイが敬語を使い続ける理由は、そこが起源なのだと、シュウは思った。
『凄いっすね。ミレナは……』
『そうだ、ミレナ様は最っ高にすげぇぜ』
村民たちは変化を恐れている。人間や獣人と関わっていくという変化を。
変化しないことで、停滞したことで良い方向に動くこともある。それは否定できない。
だから、変化を訪れさせようとしているミレナを、子供の考えだと罵る者もいるだろう。余計なお世話だと、激憤する者もいるだろう。
だがそれでも、ミレナは彼らの気持ちを理解したうえで、村を良い方向へと変えようとしている。
いつの時代でも、周囲の者の意見を気にせず、変えようと、変えたいと思う、大人になり切れない子供のような存在が、先の分からない恐怖を振り払い、畏怖を乗り越え、周囲や世界に変化を訪れさせるものだ。
それも、大きく良い変化をだ。
それで救われた者は、計り知れない。
ミレナは子供であることを、怖れていない。嫌がってもいない。
——それはミレナの美徳だ。
慕われている理由が充分に理解できる。もしかしたら、彼女が子供でありながら大人以上でもあるのは、長生きしているからなのかもしれない。
「何? なんか考え込むようなポーズとって……」
「え? あぁ……」
どうやら、考えている時の癖——顎に手を当て考えポーズを取っていたらしい。
シュウは顎から手を放し、
「グレイさんから、過去、ミレナが村民を叱ったって聞いてな……子供らしくありながら、大人以上に未来を見据えた、村一の年長者様だ、と思ったんだ」
ミレナに敬服を伝えた。
「え!? そ、そうなんだ。ま、まぁ……年長者の私が、皆を率いるのは当たり前だし、シュウもわかってる、じゃない……うんうん」
急に褒められた所為か、ミレナは視線をきょろきょろさせながら返す。
「声が震えてなかったら、百点だったな」
その反応がどうしようもなく面白くて、シュウはミレナを嘲弄した。
嘲弄されたミレナは怫然と頬を膨らませ、長耳を逆立たせて、
「ちょっと!? 馬鹿にしないで——ッ」
——刹那、木の枝が折れるような音が、シュウとミレナの耳に入った。
ミレナの長耳がぴくんと跳ねるように動く。
緊張感が森の中を席巻する。唾を嚥下した喉が、不安を煽るように顫動している。
この感覚は、強敵。強敵と接敵した時に感じる危機感だ。
もしかすると、先日に会ったグレートギメラが、村の近くまで接近してきた可能性もある。そうなれば、ミレナを守りぬかなければならない。
彼女は多少なりとも、戦闘の心得はあると言っていたが、だからといって慢侮する要因にはならない。退けられるなら退け、無理だと感じたのならミレナを抱えて逃げる。
役目重大だ。
シュウは音の発生源を睥睨。肌を刺すような気配が、大岩の裏から感じられる。
シュウは数歩動き、そこに居る存在が何者であるかを確かめ——、
「これは、これは……ミレナ様にイエギク殿でしたか。驚かせてしまったこと、深くお詫び申し上げます」
その存在は見つかってしまったことを、まるで開き直ったかのように姿を現した。肌を刺すような気配、緊張感は、幻覚であったかのように消失する。
大岩の後ろに居たのは、鈍色の髪を肩程度までに延ばした影の薄い、やせ細ったリフだった。
「リフじゃない! よかった。魔獣じゃないかって、ヒヤヒヤしたわ……」
「申し訳ございません。私も、てっきり魔獣と会敵してしまったのかと……今、魔充石の確認をしていまして、つい警戒し過ぎてしまいました。本当に申し訳ない」
殊更にそう言って、愛想笑いをするリフ。
シュウはその仕草と、普段着である容姿に違和感を覚えた。
「そっか、今日の魔充石の確認はリフだったもんね。お疲れ様……そういえば、今日はいつも着ている鎧じゃないんだ? 護石は村にしかないんだし、ちょっと危ないんじゃないの?」
「それは……ミレナ様にご心配をかけてしまうとは、一生の不覚です。ですが心配はご無用。このリフ・ゲッケイジ、魔獣程度に引けを取らないと、断言いたしましょう」
確かに、森を席巻していた緊張感はリフから放たれていた。ミレナも長耳をぴくぴくさせていたことから、先ほどの感覚は確かなものになる。
何か怪しいことをしている最中で、タイミングよく自分とミレナと遭遇。怪しまれない為に、敢えて自ら姿を現した。
そうすれば、訊かれた時の釈明に役立つから。
村が襲われることは確定している。その敵の一人が、モワティ村の内部にいる可能性は否定できない。
それとも、考えすぎか。
熟慮するシュウの耳から、二人の会話が段々と遠くなっていく。
「——ギク——、イエギ——の、イエギク殿……」
「あ、はい!」
「ミレナ様の護衛、頼みましたよ……」
シュウはリフの声と視線に、思慮を中断。右手を差し出して握手を示唆するリフに、シュウも「はい」と、右手を出して答える。
「任せて下さい……」
昨日、握手した時と同じ普通の手だ。リフが内通者という線は、護石が否定しているはずだ。やはり、考えすぎかもしれない。
細い眦から、こちらを覗いてくる透徹としたリフの瞳は、シュウからミレナに遷移。彼は恭しくお辞儀をすると「それでは」と一言だけ言い残し、森の奥へと歩いて行った。
「もう、畏まっちゃって、一応リフにも、敬語はいいって言ってるんだけど……あ、シュウってば、またぼーっとしてる。今日で三度目よ」
「…………?」
リフの背中を見据えていたシュウ。その彼の身体に一瞬、ラグのようなものが発生したのを、シュウは見逃さなかった。見た目は人間の——生物の色艶のある肌なのに、投影機で映し出されたように、彼の身体が薄弱になったのだ。
——寝不足による、見間違えか?
「ねぇ、シュウってば、ねぇ! 聴こえてないの? ねぇってば!!」
「え、あぁ……なんだ?」
シュウは思慮を解いて、呼んでくるミレナを見た。
「なんだ? じゃないわよ。リフのこと見たまま、ぼーっとして……そんなにリフの事が気になるの? あ、もしかして同性あ——」
両手を腰に据えて、ご立腹ポーズのミレナ。彼女は無視したシュウに意趣返しをするように、謂われもないことを言い募らせる。
その少しおふざけが過ぎるお嬢様の耳を、シュウはグニっと引っ張り、
「それは絶対にない」
こねくり回すようにグリグリする。
「ごめん! 嘘だから! 痛いから! 耳を引っ張らないで!」
「反省しているならいい。それよりも、訊いていいか?」
シュウはミレナの耳から手を放す。ミレナは「うぅ、ひりひりするぅ……なによ」と涙目で、赤くなった耳を抑えながら聞き返す。
「リフさんは、どんな人だ?」
シュウはリフについて問うた。
この内にある違和感は、知らなければ払拭されない。ここでリフのことを訊かなければ、二度と彼について知ることが出来ないような、そんな気がしたのだ。
「そうね……」
ミレナは「ぅん」と、腰に手を当てて考え込む。そして、彼女なりに噛み砕いたのか、リフが歩いて行った方向を見て、
「真面目で優しい子、かな……真面目過ぎて、自己犠牲を選んじゃうくらいの、いい子よ……」
少しだけ、悲し気に評した。
「真面目で優しい、か」
零したシュウ。その怜悧な表情に思うところがあったのか、ミレナは「まさか」とシュウを見て、
「リフのことを、疑っているの?」
「わからねぇ。ただ、少し気になってな」
シュウは首を左右に少し振って、尽言した。
「第一印象で、判断し切るのはよくないことよ。あと、リフにその気があったのなら、護石に引っ掛かってるはずよ。だから考えすぎ……」
「そうだな、その通りだ」
正論の中の正論だ。この違和が、疑いが、根拠のない邪推であることは事実。
それ以上の詮索は雲を掴むことと等しいと思い、シュウは胸中にある違和を無理矢理に引っ込めた。
「わかったのなら、次の転移地点に向かうわよ。次はもっと覚えやすい場所だから、ええっと、確かメジロオオカミが生息する、ウラジロフジの木だったかしら」
「いや、覚えてないのかよ……」
そんな他愛のない会話をしつつ、二人は森の奥へと歩いて行った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
薄みがかった己の身体を見やりながら、リフは鈍色の髪をかき上げる。そして、取り替えた魔充石を砕き割り、
「弱者救済……この大義を成し得る為なら、私は……」
もはや、見ることもできない青年と少女に向かって、そう零すのであった。