第15話 選定
——言う通りだった。
『僕の作った部屋に入ることをお勧めするよ』
——欲が出たんだ。どうしても、救いたかった。だから……
「————様方を!! よくも————様方をぉぉぉッ!? 殺す! 絶対ぶッころッ!」
知っている人の断末魔。水飛沫の音。
直接、光景を目にしたわけではない。寧ろと言った方がいいか。見知った人が血に染まって斃れる姿。幼い身でありながら、少女は部屋の外で起こった惨状を達観していた。
「どうも、えっと名前は、確か……あ、そう! ————君!! だったね!」
開けられたドアの前には、少女から姉を奪った少年。金髪赤目で顔を快然とさせる悪辣の権化だ。
「君を敢えて生かして、強くなった君と闘うのもよかったんだけど、君のお姉ちゃん達と約束しちゃったからさ……俺を斃せなかったら、君の最愛の妹を殺すって」
——お姉ちゃん。嘘、なんで、どうして、そんな、お姉ちゃんが。こんな、こんな奴に、嫌だ。 嘘だ、嘘だよこんなの……
淡然と言葉を並び立てる少年の声は少女に届いていない。少女の頭の中は、こんな奴に、クソ野郎に負けるはずがない二人の姉の姿のみ。
姉は負けてしまったのだろうか。いや、誰よりも強くて、誰よりも傑出している姉が負けるはずがない。でも姉がここに居ないのは、皆を助けに来ないのはあり得ないはずで。
「そしたらさ、君のお姉ちゃん達は、本気で闘ってくれるようになったんだ。要するに、俺に答えてくれた訳なんだ。それで、その後に来たお姉ちゃんの男も……いや、これは言う必要はないか」
負けるはずのない姉。絶対に勝てる姉。でも姉はここに居ない。そういえば生まれる前、姉の記憶の中に、今起こっている出来事と符合するものがあった。
——封印。
陥穽。姉を汚い罠にはめたのだ。それしかない。それなら全てが釈然とする。
「貴様がお姉ちゃんを……?」
「うん、殺したよ……あぁ、安心していいよ。獣に死体を貪られるのは、余りにも心苦しいから、死体は消しておいた。せめてもの敬意としてね……」
封印したのか。そういうつもりで、少女はカスに問うた。だが返ってきた言葉は、予想していたものとは異なる返答。信じられない真実に少女の顔色が変わる。
「ぇ……おね、えちゃん、が……」
息が詰まり、そうして出てきた声は更に感情が枯渇した音だった。
「そして、これが、君のお姉ちゃんの神核だ……綺麗だね。真珠のように白く丸いのが大きいお姉ちゃん。黄玉のように輝く淡褐色のが小さいお姉ちゃん。これが神人の実相さ……君の実相も見てみたいけど、俺は約束を守る主義なんだ……だから、君一人だと可哀想だと思って、わざわざ持って来た。一緒に居られた方が、君も嬉しいだろうしさ」
表面だけの希薄な憐れみを口にするゴミ野郎。その掌の上に乗る姉の神核に少女は手を伸ばした。
「あ、いや、そんな、うそ……」
伝わって来る姉の温もり。姉から出るマナ。
浮かぶ、姉の笑っている姿が、このクズに壊されるのを。浮かぶ、痛みに苦しむ姉が。浮かぶ、力なく地面に落ちていく姉の姿が。浮かぶ、姉の身体から神核を失われるのを。浮かぶ、惨劇が。浮かぶ、血の色が。
浮かぶ浮かぶうかぶうかぶウカブウカブ。
腸から激情が湧き上がって来る。枯れきった感情が、捻出された赫怒によって湿っていく。
「君を、殺すよ」
——そんな、そんなそんなソンナソンナ!! 許せない許さない赦せるはずがない!!
「お姉ちゃんをかえ————ッ!?!?!?」
少女の心臓に、ゴミクズ野郎の手が触れる。
「ふッ……」
衣装部屋の壁に血が飛び散り、少女の胸に大きな孔が空いた。
「ぁ…………」
遺体が、黒い何かにドロドロに溶かされ——、
※ ※ ※
「ッ!?」
最悪な結末を迎える寸前、悪夢から目が覚めた。
「夜……ここは、誰かの家か?」
蝋燭の火で淡く照らされる室内。ベットに何処か馴染み深い布団を敷いた和洋折衷な寝具。十字模様の装飾が施された円窓からは、赤い提灯が見える。
昏倒している間、何もなかったようだ。安泰を確認したシュウは、夢の中で見た映像を蘇らせていった。
会ったことのない少女の陰惨な悪夢。
「誰の記憶だったんだ……」
分からない点があまりにも多すぎる。
整理しよう。
先ず分からない点一つ目。金髪に赤目の少年。
レイキに似ているが、どこか底知れない醜悪さがあるような差異があった。似ているだけで、全く違う人物の可能性もある。
分からない点二つ目。創造主の言葉に直接的なヒントが無かったこと。
次の災禍はヒントを与える程、機先を制する問題ではないのか。それとも、次ではなくその先にある問題であり、それ故にヒントが必要ないのか。
いや、そもそも前回と今回では状況が違う。ヒントがない事自体を怪しく思うのは早計だろう。
分からない点三つ目。創造主の言葉が全て過去形であったこと。
過去を見せて何をするつもりなのか。とはいえ、創造主を信じればの話ではあるが。
分からない点四つ目。見た悪夢が、心当たりすらもない少女の悪夢であったこと。これが一番曖昧で厄介だ。
前回の世界線で見たミレナと自分の記憶。そして、薄緑髪の少女の悪夢。恐らく、両方がミレナに関連した事だと、今のシュウは解釈している。
だが今回の悪夢は自分の知らない——会ったこともなければ目にもしたことがない少女の事についてであった。
誰か分からない亡くなった少女の記憶を見せ、創造主は何を考えているのか。
——分からない。
ハッキリとしているのは、創造主が意味のない行為をしないこと。何がきっかけで何が目的なのか。タワーカルストを見せたことといい、理解の範疇に収まらない。
思索の末、分からないことだけがシュウの胸中を蠢く。
「いや、そうじゃないな」
シュウは深呼吸をして、翻然と心を落ち着かせた。今、着目すべき問題は、仲間に無事を告げることだ。
蝋燭の火も付いている。まだミレナ達も起きているだろう。
「とにかく、ミレナ達に知らせねぇと……」
掛け布団を退け、上体を起こしたシュウは体の節々を両手で検める。
痛みはなく全身支障なく動く。それどころか、朝から夜まで寝ていたことで体力が有り余っている程だ。
「…………?」
ベットから降りようとした時、シュウは靴がない事に気が付く。
壁に沿って置かれているベットで、周辺に靴が見当たらず、ベットの下を覗いても、靴らしき物は見えない。運ばれたのは確実だ。
アンコウエンでは室内で靴を脱ぐ文化なのだろうか。
とはいっても、裸足で家の中を歩いていいのかどうか迷ってしまう。部屋の中にスリッパらしきものはないか周囲を見回していると、木製のドアが勢いよく開いた。
扉を開けたのはバーミリオン色の髪に紅い目をした幼い子供だ。子供はシュウを見て、ニパァと嬉しそうな表情になると、
「あ! お姉ちゃん達! お兄ちゃんが起きたよ!!」
「え!? シュウが!! 本当!?」
「イエギク君!!」「イエギクさん!!」
子供が振り返って叫ぶと、聞き覚えのある声が三つ。廊下の奥から乱雑な足音が近づいてくる。都合、シュウが寝ていた部屋にミレナ達六人が入ってきた。
嬉しそうな少女だけを抜いて、全員がその顔に驚きと安心を宿している。
ミレナと目が合い、彼女の瞳が嬉し涙で潤む。その次の瞬間、
「良かったよぉぉぉぉぉ!!」
シュウに飛び込みダイブ。
「うおっ!」
手を前に出して頭から飛び込んでくるミレナを、シュウはベットに倒れ込みながら受け止めた。
「シュウが急に倒れちゃった後、私、すぐ治癒魔法を施したのに、でもなんでか治らなくて! どうしていいか分かんなくて、街に着いたから家に泊めてもらって! そしたら、ただ寝てるだけだって分かって、でも治癒魔法が効かないのは絶対おかしくて!! 光りの箱に飲み込まれた時みたいに、重篤なんじゃないかって!!」
「あぁ、分かった分かった! 落ち着けミレナ……俺はこの通り、もう大丈夫だ」
目を潤ませ、待機中の心境を述べるミレナの頭をシュウは安心させるように撫でる。
「ほ、本当? 本当に大丈夫?」
「本当だ。心配かけて悪かった……」
上目づかいで心配してくるミレナに、シュウは目を合わせてそう言った。彼女は「うん……」と頷くと、涙を拭いてシュウの胸に顔をうずめる。シュウは上体を起こし、胸に顔をうずめたままでいる彼女の頭を撫でた。
「他の皆も、心配かけてすいません……俺はもう大丈夫っす」
「良かった。本当に、あぁ、良かった……」
室内に入って来たリフ達の顔を一人一人見て、頭を下げたその直後、リメアが腰から崩れ落ちるように倒れた。その彼の身体をグーダが「おい、若頭!」と、床に頭を当てないように両手を使って支えた。
「リメア殿! 大丈夫ですか!?」
「すみません、安心したら、腰が抜けてしまいました……」
声を掛けるフィアンに、リメアは疲労を訴えながら答える。
「大丈夫かよ、おい……昨日の夜遅くまで、紙と睨めっこしてたからだ。今日はもう寝ろ。俺がベットまで連れて行ってやっから」
「お、お願い、しま……」
「あ、もう寝ちまいやがった……」
グーダの言葉を聞いた彼は、力が抜けるように入眠した。
「安心して、疲労がどっときたのでしょう」
フィアンにグーダは「あぁ」と首を縦に小さく振る。リフは「ふぅ」と安堵の溜息。ミレナはシュウから離れて「よかった」と呟いた。
疲労が溜まっているにも関わらず、リメアは自分が目を覚ますまで休むのを躊躇っていたのだ。いや、彼だけではない。ミレナにリフ、フィアンにグーダも同じだ。護衛する側がこれでは、護衛役失敗である。
後でリメア達五人と、家に泊めてくれた家主に感謝を伝えなくては。
「だな。イエギクのにぃは、どうやら大丈夫そうだし、俺は若頭をベットまで連れて行くぜ」
「助かります。時間もかなり遅いですから、頼みました」
グーダは両手で支えていたリメアの身体を、お姫様抱っこの要領で担ぎ、部屋から退室。フィアンはその二人を廊下に出て見送りに。
「ちな、今は何時で?」
「陰刻の四時です」
質問したリフから、そう告げられたシュウは「じゃあ、俺は半日以上寝てたのか……」と、俯きながら独り言ちった。
「敵襲はなかったっすもんね?」
「はい。イエギク殿が昏倒してから、ここまで今まで何事もありませんでしたね」
次の質問は、グーダとリメアの見送りから戻ってきたフィアンが、確信を突かせてくれる。
「そうっすか」
敵襲に会い、現在進行形で対処中という最悪すぎる筋書ではないらしい。シュウは深呼吸をして一安心。
ひとまず、起きてもいない事に拘泥する必要はなくなった。ならば、次は今後の急襲に備えることだろう。シュウは口を開き、
「他の皆は、これから就寝します?」
「そうなりますね」
可否にリフが可と答えた。決まりだ。
「なら、夜は俺が……」
「その必要はぁ、ないな……」
出来る限りの哨戒を果たそうと、ベットから降りようとしたシュウに、一つの寂声がその行動を止めさせた。
極限まで抑えられた足音。押し殺された気配が廊下の奥から近づいてくる。
そうして、シュウ達のいる部屋に現れたのは立派な口ひげを蓄え、長い白髪を結ぶ老人であった。
「街の外にはエンタク様やワシらが調伏しとる魔獣がおる……もし夜襲があるなら、夜行性の魔獣が気付きおる。何よりエンタク様がいらっしゃる限り、その心配は無用じゃわい」
「ぁ、ローガおじいちゃん!!」
「おぉ、ぬしはアゼルさん家の孫か。大きくなったのぉ……じゃが今は陰刻の四時、子供は寝る時間じゃぞ」
ローガと呼ばれる老人は、うさぎのように飛び跳ねる紅目の子供の頭を撫で、忠告する。
「えぇ……でも、分かった!! お休みローガおじいちゃん!」
「おう、しっかり寝るんじゃぞ」
老人に撫でられた子供は少し躊躇いを見せつつも、歓然と笑って忠告を受け、廊下の奥へ走っていった。
好々爺、と言いたいところだが、老人が声を掛けてくるまでシュウは彼の存在に気付けなかった。ただ者ではないのは確かだ。
そして、その事実に気付いているのはシュウ以外の者も同様。「貴方は?」と緊張の混じった声で、リフが疑問を代弁した。
「ワシか? ワシの名はローガ。エンタク様に変わって、都市の警備と魔獣の世話を任されとるフイリン警備隊の隊長じゃ」
蓄えた髭を右手で弄りながら、老人——ローガは隠すことなく従者であることを明かした。
「警備隊の隊長……ということはエンタク様と面識がある方ですか?」
「あるぞぉ、それも今朝顔を合わしたばかりじゃ」
知人と会ってきたように、楽し気な顔でいけしゃあしゃあと話すローガ。
シュウ達四人はそれぞれ顔を見合わせ、ローガの口述に息を呑む。望外の喜びに、ローガ以外の表情が少しずつ明るくなっていった。
これほどまであっさりと、伝手を得るチャンスがやって来るとは思いもしなかったのだ。リメアがここに居れば、欣喜雀躍していただろう。
「そういえば、ぬしら、エンタク様に用があってアンコウエンを訪れたんじゃろ? ぬしらと同じ目的でここに来た連中が、実はもう一組いてな」
「もう一組って?」
「男女二人の騎士じゃよ。見た目は青髪の坊主と青髪の娘っ子じゃったな。ワシはよくしらんが、坊主の方はかなり目立っとったぞ……」
もう一組。その言葉にシュウの隣に座っているミレナが反応。その彼女に、ローガは見た者の具体的な人物像を述べる。
青髪の騎士で、かなり目立つ。その言葉から推測できる存在は、
「まさか……名前はローレン・アメニアだったりしますか?」
リフに質問されたローガは「おう、そういえば、そんな名前じゃったな……」と顎に手を当て答える。
「まさか神将君もアンコウエンに来てるなんて……あ、でも、考えてみると普通ね」
ミレナが呟くように、シュウも驚きつつ『やはり、そうであったか』と心の中で頷く。フィアンとリフも一驚しつつ、あり得るといった顔だ。
神剣の力を失った神将。彼らにとっても頼れるのは、シュウ達と同じ神人のエンタクのみ。アンコウエンに訪れようとする理由としては十分だろう。
「明日、エンタク様におぬしらを連れて行ってよいか訊いてやる。じゃから、今日はもう休むんじゃな。まぁ、起きていたいなら、起きておいてもいいがの」
「本当ですか!? 是非お願いします!」
思ってもみない提案にフィアンが、髪を揺らしながらローガを見る。その熱い視線に彼は、表情を変えず、
「あぁ……それじゃあワシは家に戻るからこれで……」
「「あ、ありがとうございます!」」
「ええんじゃええんじゃ、じゃあの……」
頭を下げるフィアンとリフを見て、ローガは背中で手を組んで部屋から退った。
順調がすぎる展開に足を掬われまいかと、シュウは反射的に『随分、簡単に受け入れてくれるんだな』と不安を覚えていた。
腑に落ちず、ローガの背中を見ていると、彼はシュウにだけ見える角度の場所で振り向き、
「…………?」
口元を緩めながら目配せ。そのまま家から出て行った。何が言いたいのか、シュウは気になってベットから降りると同時に、廊下から子供が、
「お兄ちゃんの分の、五目うま煮と肉の包子温めたよ! お腹すいたら食べてね! でもだからって無理せず、全部食べる必要はないからね! お休み!」
「あ、あぁ! ありがとう! 夜更かしすんじゃねぇぞ」
せっかく温めてもらったのに冷ますのも悪気がして、シュウはローガを追うのは後に。先に食事をとることにした。
食事を済ませて三十分後。
「もう動いて、本当に大丈夫なの?」
ローガに会いに外へ出ようとするシュウを、ミレナが心配そうな顔で止めた。
ミレナとシュウ以外は既に用意された寝室の方に移動。紅い目をした家主の男——子供の父親が、室内にある蝋燭の明かりを消しに回っている頃合いだ。
「あぁ。ミレナ達が看ててくれたおかげで、もう全然動ける」
「変なところない? 痛いとことか、動かないとことか……」
「大丈夫だって、実際ミレナの治癒魔法でそれが証明されてんだし、考えすぎだ……」
「でも、やっぱり心配なんだもん……」
子供に制限を掛ける過保護の親のように、離れようとしないミレナ。そんな彼女を説得するにはどうすればよいか。シュウは案を閃くと、
「俺ならこの通り、お前を難なく持ち上げれるし、肩に乗せてスクワットもできる。だから身体に支障はねぇ。看ててくれて、ありがとな」
ミレナを肩に乗せて軽くスクワット。降ろした後、彼女の目を見てそう言葉を掛けた。
「うん……」
「ミレナも疲れ溜まってるだろうし、もう寝て休め。いいか?」
長耳を垂れさせ、両手をもじもじとさせるミレナの頭をシュウは優しく撫でる。
自分の事以上に他人のことを心配してしまうのが彼女だ。それが原因でリメアのように倒れてしまっては困る。それも、杞憂による心配となれば尚更だ。
ちゃんと休んでほしい。
「わかった。寝に行く……」
「おう、お休み……」
憂いていた表情を弛緩させ、ミレナはシュウに手を振る。そのまま寝室に向かって行く彼女の背中を見ながら、シュウも手を振り返した。
「さて、どうしたものか……」
ぼそりとため息交じりに呟いた。
三十分以上経った今も、ローガはまだ真摯に待っていてくれるだろうか。シュウの中ではそれだけが気がかりである。とにかく、先ず外に出てローガを捜すところからだ。
玄関に置かれた自身の靴を履き、シュウは十字模様の入った扉を開けて外に出る。
ローガは直ぐに見つかった。シュウがいた家の向かいにある簡朴な石造りの家。その前にある、提灯で照らされている木製ベンチの上に彼はいた。
「何か用っすか?」
近づき、声を掛けてくるシュウにローガは口元を緩めて見る。
「おぉ来たか、すまんのぉ、世間話をと思ってな」
「世間話……?」
「そうじゃ、今の季節は昼が暑くてたまらんからのぉ。風呂上りには夜風を浴びたくなるもんじゃ。そしたら偶然、起きたばかりで暇そうなおぬしがおったから、これは良いと思って呼んだんじゃよ……偶然、な……はよぉ残暑がなくなって欲しいもんじゃ」
目を細め、分かり易い嘘を吐いてみせるローガに、シュウは心の中でため息。
そんな世間話をするなら、わざわざシュウだけにしか分からない目配せなどする必要はない。皆がいる場でも言ってよいはずだ。迂遠な所為で、気付かなかったらどうしたというのだろうか。
てか、顔がふざけている。嘘を吐く気が無いのは丸わかり。
「吐くならもう少し、丹精した嘘を吐いて欲しいっすね……さっき目配せは、何すか?」
「いかんのぉ、おぬし。そこは気付かぬふりをして、じじいの世間話に乗らなくては……可愛げが無い奴じゃ。まぁいい、ここに座れ」
——このじじぃめんどくせぇ……
心の中でその思いを止まらせながら、シュウはローガに言われた通り椅子に座った。話す気力を減耗されつつ、掌に額を乗せて彼を見ると、
「茶はいるか? 美味いぞ……緑茶と白茶と黄茶どれがいい?」
ローガの奥。左側に置いてある茶葉が入った三つの籠を、彼はシュウの横に置いた。いや、よく覗いてみると茶葉だけでなく、産毛が生えた芽のような乾物も見える。白色の芽が入ったものが白茶。黄色の芽が入ったものが黄茶なのだろう。
「じゃあ白のやつ、貰います」
白茶にしたのは白という言葉の響きと、見た目が美味しそうと感じたからである。
「ではワシも白茶にしようか。入れるのは芽葉茶というやつじゃ……」
ローガは茶葉を右手で抓み上げ、シュウにも分かり易いようにそれを見せる。
「めようちゃ?」
聞きなれない単語にシュウは、インコのように復唱。白茶を入れると言われたのに、一呼吸後には「めようちゃを入れる」と言われ、シュウの頭はフリーズしてしまう。
「芽と葉の両方を使って入れた茶の事じゃよ……作り方は簡単、蓋碗に茶葉を入れ、その場で入れるだけじゃ。湯は沸点の少し手前、十数秒から一分程度の時間で入れるのがベストじゃ……」
何となくの表面だけを理解したシュウは、ローガの茶を入れる工程を黙って眺める。蓋碗——ふたが綺麗に閉まらない容器に茶葉を入れてお湯を注ぎ、待つこと二十秒程度。
お茶が注がれた暖かい茶杯をローガから受け取り、
「ほれ。飲め飲め」
「ん……」
匂いを嗅いでゴクッと一飲み。
「どうじゃ、美味いじゃろ?」
「そうっすね。甘さと柑橘っぽい香りがして美味いです」
茶と聞いてシュウは渋い味を予想していたのだが、思いのほかの香りと味に目を丸くした。
ローガは中身を注ぎ切っていない蓋碗にもう一度お湯を注ぎ、
「じゃろーて。他にも芽だけの芽茶と葉をメインにした多葉茶というものがあるが、それはまた今度じゃな……ほれ、まだあるぞ。もっと飲め」
急かすようにシュウの茶杯へとお茶を注ぐ。
「貰います…………うん、美味い」
シュウはもう一度、飲む前に柑橘系の匂いを嗜みつつ、一気に胃の中へと嚥下する。
二杯目も、一杯目とそれほど変わらない味で飲み心地はかなりよい。流石、お茶が有名であるアンコウエン。緑茶に留まらず、白茶に黄茶。更に入れる茶葉にも種類があるとは。奥の深さ、味が豊富である故に注力しているのが分かる。
「さて」と前置きをしたローガを、シュウは見た。
引き締めた顔から、シュウは自分が呼ばれた理由が明かされるのだと悟る。
「では本題に入るとするかの。さっきも言ったが、ワシはここの警備隊の長じゃ。この土地の治安維持を任されとる。賊の撃退、いざこざや軽犯罪の鎮圧。魔獣の世話。そして、事前に面倒事を避けること、もな……有無を言わせず、ということもある」
「試しに来たって訳ですか。だが、何故今、それに俺だけなんすか? 明日全員が居るところでやった方がよくないっすか?」
言葉の中途から棘を帯びさせていくローガに、シュウは圧迫されることなく質問。
ここで相手のペースに飲まれ、言葉を見誤ってしまうのは下策だ。この場で冷厳として前に出ることで、相手に印象強く残させる。一対一でのチャンスを逃してはならない。
「よい疑問じゃな。答えは、そちらの問題が解決するまで待っておったのと、おぬしが一番、話が分かりそうだと踏んだからじゃ……因みにおぬし、人を殺したことが、あるじゃろ?」
よい疑問。そう言うローガにシュウは内心『手ごたえがあった』とガッツポーズをしたが、言葉尻を聞いてその情動も虚しく塵になる。
人を殺したことがある。何故今それを聞くのか。否、なぜ彼はシュウが人を殺したことがあると分かったのか。
グーダの弟であるブーノもそうだった。直感なのか、或いは相手の言行の端々から推察したのか。
——恐らく、このじじいは後者……
人殺し。この男は仲間を殺すかもしれない。故に面倒事だと思い、自分にだけ目配せした。
——嘘を吐くべきか?
いいや、それは逆効果だろう。虚偽は相手にとって、より面倒事になる。ここは、
「ッ……どうして分かったんすか?」
「なぁに、ちょっとしためききじゃよ……今、おぬしが嘘を吐こうとして、結局止めたくらいの、鑑識はあるつもりじゃ」
思った通りであった。一瞬、嘘を吐こうとしたことすらも見透かされていたとは。恐れ入るじいさんだ。
「それで、俺を人殺しだと見抜いたじいさんは、面倒事を避けるために直接話を付けに来たと、そういうことっすね?」
「そうか、おぬしは人殺しを面倒事の塊だと思っておるわけか」
自ら話題を振っておいての物言い。シュウは怪訝に眉を顰める。しかし、直ぐに表情を元に戻し、
「それはそうでしょ」
「どうかのぉ……ワシも人を殺したことはあるが、では何故、その人殺しのワシがエンタク様に使えておるのか、分かるか?」
圧倒されてはいけない。まだチャンスはある。そのつもりで、自虐気味に返した言葉だった。だが、ローガは入れた茶を嗜みながら、何の情緒もなくそう言ってみせた。
こうも搔き乱されては狼狽して——いや、していない。慮外にも、自分の心は落ち着いていた。それは、
「……人殺しが必ずしも面倒事へと繋がりはしない、から……」
——シュウ自身がそうだと、心の奥底で考えていたからだ。
クソみてぇな運命との対峙前、ミレナに「お前に人を殺せる覚悟は、あるか?」と、問い質したあの時。あの時は本当に必要なことだと思ったから、彼女の中に踏み込んだ。
必要……?
——必要なことだから、踏み込めた……
「カカカ!! おぬし、翻すのが早いな! いや、それとも本音と建て前、主観と客観というやつかの? 混ざっておる……」
「…………」
「しかし、面白い」
胸襟で呟いた事が見透かされたかのように、ローガの指を差しての指摘。シュウは髭を触って見てくる彼の瞳を介して、自身の顔を見た。落ち着いた面だ。
そうだ。必要なことだから。もう既に答えていてるではないか。あの場でそれが問えるということは、心の片隅では『人殺し=面倒事』を否定している自分がいるということだ。
実際、そうだと指摘された事で納得している部分がある。
「先、おぬしが言った『何故自分だけ?』という質問に答えよう、ワシが知りたいのは目的じゃ。目的だけ訊くのなら、おぬし一人だけでもよいじゃろ?」
場を読んだかのように、ローガは靄を払ったシュウに真の目的を明かした。しかし言外に、ローガは直ぐに明かす必要は無いと、三杯目の茶を無言で入れる。次は小さく笑い、シュウに茶杯を寄越せと目で合図。
受け取るとシュウは三杯目を一飲みし、
「……目的を言う前に、一つ訊いていいっすか?」
「あぁ、いいぞ」
「もし、じいさんのお眼鏡に適うことなく、俺たちが独断でエンタク様の元に向ったら、じいさんはどうします?」
目的を明かす前に、シュウは今までかき乱してくれたローガに対し、挑発的に出てみた。
とはいえ、そんな粗野なやり方は絶対にしない。よくもやってくれたな、と細やかなる意趣返しだ。
「別に、何もせんよ……言ったではないか、ワシが知りたいのは目的じゃと。それ以外は何も頼まれておらん」
シュウは「そうっすか……」と言って、ベンチの背凭れに凭れ掛かった。
開けられた蓋の中身をみればである。
目利きに長けたじじい。全く、やりづらいじいさんだ。
軽く息を吸い、シュウは姿勢を戻してローガを見た。
「分かりました。目的は、エンタク様をこっちの仲間に加えることです。中央都が何者かによって急襲を受けたのは知ってますか?」
「風の噂程度でならな」
「そいつらが自分達よりも格上だから、俺たちにはエンタク様の力が必要なんです……」
ローガから視線を外し、シュウはミレナ達が眠る家屋を見る。そして、そこには居ないモワティ村の知り合い達を思い描く。
敵の力量は遥かに上。今戦えば確実に負けるだろう。
仲間達が殺される姿を想像したシュウは、その想像を砕き割るように拳を固めた。
「俺には守ると決めた仲間がいます。でも敵には神人が複数居る。そいつらを殺すには、仲間を守るには、圧倒的に力が足りていない。だからそうっすね……仲間を守る為に、俺はエンタク様を利用しようとしているんです」
シュウは偽りも脚色すらもなく、純然たる目的をローガへと吐露した。
「そうか……並々ならぬことで、おぬしらがアンコウエンに訪れたのは、何となくだが分かっていた。じゃが、ここまで本気とはな。そして、おぬしの矛盾……」
ローガは三杯目の茶を飲み干し、茶杯を盆の上に置くと立ち上がった。何をするのかと見てくるシュウに、彼は横顔で、
「決めたぞ。ワシがぬしらをエンタク様の元へ連れて行ってやろう」
「それは、本当っすか!?」
耳を疑うような発言に驚き、シュウも茶杯を置いてベンチから立ち上がる。ローガはその彼に、『まぁ落ち着けと』言いたげに手を上げた。
「あぁ本当じゃ。ただ、ワシはおぬしらを連れて行くだけで、エンタク様がどうなさるかはおぬしら次第じゃ……浮かれておるだけじゃ、いかんぞ」
「分かってます。気を抜けるような状況じゃないっすから」
「分かっておるなら、それでよい……それと、一つアドバイスじゃ、エンタク様はお優しい方じゃ。それ故に手厳しい。言葉はよく考えてから、選ぶんじゃな……他の奴らにも、言っておけ」
「分かりました……」
目を細め、忠告の言葉を掛けてくるローガにシュウは小さく頷いた。別れの挨拶だと捉え、自宅へと歩いていくローガの背中を見る。
「じいさん、最後にひとつだけ、訊いていいっすか?」
「ん? かまわんぞ」
出し抜けに思った疑問だった。足を止めて振り返るローガの顔は穏やかで、それ故にシュウは逡巡することなく、
「どうして、そこまで懇情を向けてくれるんすか? かなり昔、エンタク様の力を借りようと、アンコウエンに訪れた王子は、エンタク様に合うどころか従者に断られたって聞きました。俺たちとその王子で何が違ったのか気になって……」
「さぁな。ただのじじいの、気まぐれじゃよ。それに、ワシはその時生まれとらんし、そもそも昔のことなんぞ、強力な抑圧が加わればいくらでも改竄可能じゃ……」
少し考え込むように空を眺めるローガ。それからシュウを見て指を差し、
「強いて言うなら、おぬしが気に入った! ただそれだけじゃよ……」
「……」
気に入ったか。それ以上でもなく、それ以下でもない。ならば、決まっている。こちらが取るべき行動は一つ。
「……ありがとうございます」
取るに足らない純粋な感謝。
礼を述べるシュウにローガは「ま、頑張ることじゃ」と、背中を見せながら手を振った。
——確実に、成功させなくちゃな……
自宅に戻り、廊下を歩いていたローガは過去を思い出していた。
『約十年後、ここに面白い奴が来る……頭の片隅にでも、置いておいてくれ』
——かの時の言葉。その理由が、分かりかけて来たな……
「はぁ、今日は移動で疲れた、はよ寝よ」




