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アンリーズナブル  作者: 犬犬尾
第二章 アルヒスト攻防戦
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第14話 行ってらっしゃい

 空にわたぐもが残る朝。黒いパンが入った布袋を持った少年が、暗い裏道から中央道路に出てくる。右側、宿屋の前で民衆に囲まれている荷馬車が、少年の目に映った。


「秘蔵のワインです!」「これ、寸志ではございますが!」「悪い奴らなんかやっつけてね!」


 道路に並ぶ家屋からは、囲まれている彼らを一目見ようと二階の窓から覗く者も。

 祭りでもないのに、街中が賑々(にぎにぎ)しくなっている原因は、


「いやぁどうもどうも……わざわざ、ありがとうございます! 寸志だなんて、感謝です! えぇはい! やっつけてやりますとも!」


 中央都を襲った極悪非道の組織。その者達を追う英雄が、リフレッシウに訪れているからである。

 民衆達から酒樽や瓶に入った保存食を受け取っている美少年。このアルヒストに住むものなら、大半は目にしたことがある傑人員のリメア・ニュートラルである。


 少年はその彼を見て、卑しい顔で笑った。


 その表情は、少年というには歪で欲にまみれたような面貌。まるで、老いれた老人が浮かべるような老獪ろうかいな笑みだ。いや、ようなではない。その少年の正体は、


「あぁ、見つけたよ。街で評判になってるよ。どうやら、これからアンコウエンに向かうようだね」


 長命の神人——金髪赤目のレイキであった。思念体を各所に送り、敵の行動を偵察していたのだ。


「あ、君。このパンあげるよ。僕にはもう不要になったから」


「う、え?」


 目の前に通りかかった街の少年に、変装していたレイキはパンを渡した。困惑する少年を無視して、レイキは来た道である裏道に戻る。誰も見ていないのを確認し、念を押してディスガイズで身体を不可視に。


「さて」


 思念体の身体は、足元から光の粒となって離散。リフレッシウから、その存在を消した。


 視線は本体であるレイキに移り、場所は高原。丘の上に建てられた古城の食堂だ。レイキ以外にも、数人の影が見える。

 古城は現在、魔獣と匪賊達が集う豪族の根城になっている。


「いやぁ、素晴らしいね。お国の英雄さんは……街を歩けば注目の的。お陰で捜す手間が省けるってもんだよ、ほんと……」


 瞑っていた目を開け——思念体から共有していた視覚を切り、レイキはゆっくりと立ち上がる。それから机の上に乗っていた金の杯を手に持ち、陶然とうぜんとワインを嗜んだ。


「思ったんだけどさ、アンタの思念体潜ませて、火の魔刻石使って一緒に爆発すれば? そっちの方が手っ取り早くない? やだぁ! メルルちゃん天才かも!」


 そう言って、陰から姿を現したのはバラ色髪の女メルルだ。彼女は天才っぷりを発揮したと、黒色の尻尾と羽を振るわせる。


「無理だよ。恐らく、壁男かエルフ辺りが僕の思念体に気付く。そしたら、こっちが居るのを示唆しているのと同じだ……戦って分かったよ。あれは厄介だ。ていうか、思念体切っちゃったから、もう遅いけどね」


「あっそ……」


 レイキの淡々とした説明にメルルは情動じょうどうを折られ、そっぽを向いて嘆息した。

 それが出来れば苦労はしないということだ。本当に厄介な存在である。


「お、こっちも引っ掛かった」


 レイキの神核に刺激が走る。思念体からの伝達だ。

 レイキは目を瞑り、視覚情報を共有。


 騎士と思わしき人物が乗った馬車が、視覚から共有される。思念体のいる場所は、馬車が通っている街道から遠い位置——高い樹木の上だ。

 片手には手持ちの望遠鏡を持ち、それを使って馬車に乗っている者を見ている。


 当然だが、思念体の身体と望遠鏡は光屈折を操作して不可視になっている。


「三人。一人は御者、二人は騎士だね。街道を走ってる。向かってる場所はアンコウエン……あ、女、居るよアイツ。ローレン・アメニア……もう一人は、治癒の上手い女だね」


「マジ? バッチリじゃん!! タイミング!」


 馬車の荷台に乗る二人の騎士。一人は花色髪の神将ローレンで、もう一人は青髪の女だ。ローレンは言うまでもない。女の方は治癒魔法が得意だが、再生の能力を持っているエルフほど脅威ではない。


 レイキは目を開けて視覚共有を切り、


「で、どうするのペテロ様。僕は、アンコウエンの神人ごと潰すチャンスだと思ってるんだけど……」


「そうだな。デッドスピリットのたくわえも充分だ。当て馬使った感じ、神人がどの程度で動くかもわかったしよ……」


 レイキが声を掛けた方向に見える人影。上座にふんぞり返って座る赤髪の男——ペテロだ。彼は机から脚を降ろして発言。そして、机の上に置いてある、紅蓮の神仙エンタクを模して造られた老人の木彫きぼり像を手に取った。


「ということは」


「あぁ、一網打尽だ。敵の翼をもぐ!」


 レイキの求めるような言葉に、ペテロは木彫り像を右手で粉々に砕き割った。木粉が飛び散る中から見える笑みは、男の悪辣さを犇々(ひしひし)と体現している。


「じゃあ壁男は僕にやらせてくれ、ペテロ様」


「力を失った神将はメルルに、いいでしょペテロ様? メルルあいつ嫌いなの。今なら免疫もないだろうし……」


 座るペテロの元にレイキとメルルが歩み寄る。二人を見たペテロは両手を広げ、


「いいぜぇ、俺は寛大だからなぁ! 今回は助演に回ってやるよ!!」


 承諾を得たメルルは「やったぁ!」と手を上げ、レイキは「楽しみだね」とワインを飲み干した。


「では、この私がメインディッシュを……」


 フォトンの光が届かない廊下の奥から、一つの人影が姿を現す。容姿は秀麗しゅうれいな服を身に纏い、アメジスト色の長い髪と目をした少年。どこか幼さを残しながら、大人のような魅力を放つ不思議な少年である。


 メインディッシュとは最後の砦であり、敵にとって希望の光である紅蓮の神仙エンタク。神将を超えると言われている彼女を、少年がどのような方法で再起不能、または洗脳するのか。


「あぁ、任せたぜ助っ人さんよ」


 少年はペテロに一礼をした後、自身の首に掛ける丸い手鏡を手に持ち、それを恍惚こうこつな瞳で眺めた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 朝を迎え、リフレッシウを出てから一時間。


「どうしても聞いておきたい事がある。ゲッケイジ……いいか?」


 寂然せきぜんとした空気に切り込んだのは、フィアンだ。彼女の怜悧な目は、昨日とは違って正面に座っているリフを射る。名前を呼ばれた彼は、貰った本を閉じると顔を上げた。


「いいよ……なんだい?」


「お前が国を裏切った理由だ。私は、お前が意味も無く、罪人に落ちるような奴でないことは知っている。何故、国を裏切ったんだ。聞かせてくれ……」


 馬車の空気に針で刺されたような痛みが走る。横で自身の髪を触っていたミレナの長耳がピクリと反応。フィアンの怜悧れいりな目が、より鋭く厳かなものへと変わった。


 割って入るべきか、入らないべきか。シュウは判断に苦慮してしまう。できるなら、何事もなく済んでほしい。

 シュウはフィアンからリフへと視線を遷移せんいさせる。彼の顔は、


「なぜ、か……弱き人達のため、だな。貴賤きせんを無くすことが、弱者の救済に繋がる。そのためにレイキの言う事を聞いて、国を裏切った。騙されたとは言わないよ。今は間違っていたと思うし、罪の意識もある……でも、反逆を決意した時は、本気で弱き人を救いたいと、救えると思っていた。それは嘘ではないよ」


 昨日や二日前よりも、温色になっていた。声にも少しばかりがあるように聞こえる。

 ミレナの長耳と表情も、その事実に気付いたのか喜んでいるご様子。どうやら、良い進展を遂げたようだ。


「そうか。偏屈な、お前らしい答えだな……」


 後押しするようなフィアンの穏やかな顔つき。


 今朝、リフの「イエギク君、今日は前に座っていいかい?」という発言は良い進展の伏線だったようだ。

 昨夜、二人の間に何があったのかは分からないが、仲間として、不和が解消されたのは嬉しい限りである。下手な詮索せんさくをしなくてよかったと、シュウは思った。


「そういえば、グレイさんはお元気か?」


「彼はいつも元気さ……元気過ぎて、うんざりするくらいだよ」


「ハハ! 確かに、あの人は馬鹿みたいに明るいからな……大会の後、傷だらけなのに『俺は大丈夫だ』! といって、治癒魔法を拒んだ後すぐに倒れた時は、困らされたものだ」


 リフとフィアンは自然と打ち解けるように会話を弾ませる。しかし、ここにきてグレイの話で会話を弾ませるとは。


——全く、居ても居なくても騒がしいおっさんだ。


「あったね。そんなこと……ていうか、グレイは猪がすぎるんだ! 気に入らない事は気に入らないの一点張りで、翻すってことを知らなさ過ぎる! それを指摘すると激怒するし、なのに慕われてて」


「確かに、その通りだ! グレイさんが最上級騎士になってからは、彼が次の騎士団長だ! 何て言われてたしな! 更にそれを実現してみせた時は、刮目したよ……」


 『ははは』と口を開けて破顔はがんする二人。心配はいらなかったようだ。元副団長の名も、伊達ではないということだ。


「昨日までギスギスしてたけど、なんか急に打ち解けてるね」


「夜何かあったんだろ。てか、元々は仲良かったんじゃないか?」


「それはありそう。見た感じ、二人の相性良さそうだし」


 顔を近づけて来たミレナにシュウも近づけ、互いに口前に手を置いてひそひそ話。リフとフィアンの温柔おんじゅうな会話を聞いて、ミレナは嬉しそうに微笑む。シュウも笑い返した。


「あの、皆さん。お楽しみのところ、水を指すようで申し訳ないのですが、私から一つ提案がありまして」


 一段落を終えた空気に、今度はリメアが手を上げて切り込んだ。彼に四人の視線が集まる。


「エンタク様を説得する為、昨夜色々と案を考えたんです。そして、私の中で決まったのが一日で出来て費用対効果がいい暗記です! 今からこれを、皆さんに覚えてもらうと思います!」


 リメアのかばんから取り出されたのは五枚の羊皮紙。

 一時間、何よりリフとフィアンの会話に反応を示さなかったのは、彼が作業をしていたからだ。羊皮紙に記述された内容を確認していたのだろう。

 とはいえ、それでも一切の反応もなかったのは驚嘆ものだ。教育者の集中力、恐るべし。


 因みに、グーダは寝ている。こちらは朝から眠そうにしていたからだろう。


 そういや待てよ。もしかして、書かれているのは異世界文字なのでは。


 そう考えている中、リメアから渡された羊皮紙を見てシュウは「あ」と、思わず声を出してしまった。

 その声に他の四人が「ん?」と疑問符を上げたあと、ミレナとリフだけが「あ」と羊皮紙を見て声を漏らす。

 そうとも、シュウは未だに異世界文字が読めないのである。そして彼らはそれを知らない。


「あの、すいません。俺、実は文字読めなくて……」


「「え、えええええええ!?!?」」


 リメアとフィアンの大声に、グーダが「ん、あ?」と目を覚ます。

 気まずさが限界を超えそうだ。


 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 リメア達にシュウは『文字が読めない島出身の超田舎者』という説明を終え、読み方を教えてもらいつつ暗記すること、もう一時間が経過。

 突然、リメアによって『アンコウエン名所暗記大会』が始まった。


「アンコウエンと言えば、ミレナ様」


「お茶とお米と仙境!」


「ではリフさん」


「絹と陶磁器」


「ではフィアンさん」


「フイリンにあるフイケン魔刻脈まこくみゃくと、エンザンにあるサツガヤ金脈」


 ミレナから始まり、リフ、フィアンが暗記した——というよりかはさせられた名所を順に答えていく。問いかけたリメアはアンコウエン名所を記した羊皮紙を見て、こくりと頷き三人に正解だと示した。


「ではグーダ」


「タワーカルパスとどのう?」


「ちがぁぁぁう! タワーカルストと土楼です!」


 四人目グーダの近いようで遠い回答に、リメアは羊皮紙を見えるように裏返し、異世界文字に指を差して彼に突き付けた。

 こうしてグーダが名所の名前を間違えて早三回。教えるのが好きなリメアでも、ため息を吐いて辟易へきえきとしている。


 義務教育というのが無い世界では、グーダくらいの年の少年でも暗記は難しいらしい。時って恐ろしい。


「ではイエギクさん」


 最後、目を向けてきたリメアによって話の中心がシュウに移る。


「ヒ江と、その源流である氷河から生まれるヒカリ河。そして、その氷河があるヤミ山。合ってます?」


「はい! 大丈夫ですよ、あってます!」


 少しだけ不安であったシュウは、安心に胸を撫でおろした。

 文字が読めず、異世界見識が浅い事実を明かしただけでも恥辱であったのに、頭の悪さまで露見したとなれば、汗顔かんがんではすまない。

 具体的に言えば、海に飛び込みダイブしたくなる。田舎者を明かすのも、これで三度目だ。


 ミレナが嘲笑するような顔が少し腹が立つが、今は無視しておこう。


「そして最後に私が、一番名声があるのは紅蓮の神仙エンタク様、貴方です! と言ってフィニッシュします! これによって、先ず互いの距離を縮め、次にエンタク様にこちらの仲間に加わっていただいた際のメリットを提示します」


 リメアが鼻高に話す中、回視によって自爆した心を慰めていたシュウは、御者台の奥から見える景色を眺望ちょうぼうした。


 北の空に見える入道雲。少し蒸し暑い風と、揺れる樹々。中央都付近の街道とは、また違う景色の世界。馬車の中に積まれた酒樽や瓶詰が揺れる。

 長閑すぎる朝だ。このまま刺客が現れずに、何もなくアンコウエンに向えるのではないかと思う程に安閑あんじゃくだ。


「メリットって?」


「例えばそうですね、魔獣と共存している訳ですから、その技術を活かして拡大した農地、廃坑となってしまった鉱山の所有権譲渡などでしょうか? 領地によって法律も変わるので、どの領地に土地があるのかについても説明するつもりです」


 正鵠せいこくを射るミレナに、リメアは詰まることなく能弁でつづる。彼が傑人とされる所以は、知識とその頭の回転速度の速さなのだと実感させられる。

 だが、


「なんかもうビジネスっすね」


「所感だけど、そういうのに動かされなさそう」


 言葉通り、シュウとミレナは表現にかたい所感を述べた。


 相手は一国の王子の頼みさえ断る神人。恐らく、王子も協力を仰ぐ際、自分達と同じように何かメリットを提示しただろう。

 そのことから吟味すると、やはり何か慧眼な一手が足りない感覚。昨夜から悩み考えていた問題の答えは判然としないままだ。


「とと、取り敢えず、私が昨夜考えた案は以上です……申し訳ない。立案だけではいけませんよね」


 昨夜考えたというリメアの発言に、シュウは彼の目の下にあるくまを見た。

 寝る間を惜しみ、目的成功の為に努力した証拠だ。知恵を絞り、羊皮紙に綴って資料まで作ってもらったのだ。


 シュウはリメアの努力や立志を折ったことが申し訳なくなり、


「すいませんリメアさん。何も考えてないのに否定的なこと言って……距離を縮めるって言っても、難しいっすもんね」


 シュウに続いてミレナも「私もごめん、リメア」と、両手を添えて謝罪する。


「言うは易く行うは難し、ですね……」


「やってみる価値はあるでしょう……リメア殿、フイリンについてご教授願えませんか?」


 リフの慣用句に顔が上がり、フィアンの願い出にリメアの暗くなっていた表情が明るくなる。鼻息が荒くなり、両手をそわそわさせる姿は年相応だ。

 彼は立ち上がり、馬車の前方に見える景色を指さした。


「あ、はい! 分かりました! では今向かっているフイリンにて、奇景と言われているタワーカルストについて……見てください! 前方に林立する円錐のような形をした地形を! 巨大な石灰岩が雨によって削られることで出来た景色です」


 リメアの言葉に荷台に乗っていた者達全員が、数キロ先にある円錐の塔を見る。塔の傍には大きな川が流れ、その横では釣りをする者や、稲の様子を見に来ている者がちらほら。

 人里離れた場所での農業。この世界では初めて見る。


 石灰岩が雨に削られて出来るとは、恐らく溶食というやつだろう。読んだ本に、確かそう書いてあったはずだ。うろ覚えだが。


「ぁ? どっかで……」


 タワーカルスト。ふと疑念に思ったことを、シュウは口にしていた。


「ん? どうかしたの?」


「あ、いや、あの景色どっかで見たことがあるような、って思ってな」


 ミレナに声を掛けられたシュウは彼女の目を見て、釈然としないまま返した。


 本では見たことはあるが、生前も異世界に来てからも実物のタワーカルストは見たことがない。しかし何故か、前にも見たことがあったような、既視感に似た疑念が胸に残る。

 それも最近、遠くない日数だ。


「どこかで……幼少の時に見たとかじゃない?」


「幼少期健忘というやつでしょうか? 薄っすらとしか覚えていないのなら、当てまりますし」


 他人の記憶で曖昧な物言いに、ミレナとリメアが気を利かせてくれるが、シュウは何か違う気がして、


「いや、多分……夢で見たような」


 もう一度、思ったことを口にした。


 釈然としていないのに夢で見たと言ったのは、それ以外ないと思ったからだ。

 その可能性を示唆しているのは創造主。実物を見たことがないなら、創造主が夢でタワーカルストの景色を見せた、というのがシュウの結論である。


 ただし、一つだけ腑に落ちない点がある。それは何故、創造主がタワーカルストの夢を見せたかだ。何せ彼彼女は面白さの為なら、自身に制限を掛ける欲の集大成。恣意的しいてきにやったというのは考え難い。


「夢ですか……」


「幼少の頃に見た景色を夢で思い出したって感じかな?」


 そうして推考したが、結局答えは出せないことを経験しているシュウは、リメアとミレナの二人に「どうだかなぁ……」と、欄干らんかんにもたれ掛かって返答した。


——馬車が橋を渡り切ったその時だった。


「ぁ……なんか、ッ!? ぁがァッ! ウッ!?!?」


——世界が、視界が攪拌かくはんされていく。


 息が詰まる。乗り物酔いをしたように、思考が覚束おぼつかない。 


「どうしたのシュウ? 大丈夫? もしかして馬車酔いした?」


「ぃ、ぁ……ダぃ……?」

 

 憔悴しょうすいを訴えるシュウに、憂い気のミレナが様子を窺う。その彼女に大丈夫だと発したはずが、掠れ切った声が出た。

 鏘然そうぜんとした耳鳴りが、脳みそを端から侵食していく。手足の感覚がなくなってきているのが分かった。


「すごく辛そうよ」


 ミレナに触れられた部分の触覚すらも、感じられなくなってきている。攪拌された視界が、白い絵の具を垂らしたように外側から染められていく。


「ギッ、あぁッ!」


 切り刻まれるような激痛に胸を抑える。

 この痛みの感覚は、悶えるような痛楚つうそは、確かあいつが——創造主が現れる前兆だ。


 ——だが、なぜ今ここで、もう関わらないんじゃないのか!?


「ク、ソ……なん、で……」


 どういうことだ。嫌がらせか。もし、この状況で敵に襲われたら、最悪の事が。タイミングが悪すぎる。拙い拙いまずいまずいマズイマズイ。


——どうして、こんな時に限って!!!


「だい———ぶ——か? み——さま、——ぎく———ち——ほうを!」


「———た! すぐ————わ……」


 身体が虚脱感で苛まれる。座っているのが難儀になって来た。


「——? どう——? なおる————に? ———がも———い!? なん—!?」


 誰が何を喋っているのか分からない。音は、耳を塞がれたかのように遠く感じる。視界が、見えなくなってきた。

 だるい。きもちわるい。ネムリタイ。ヨコニ、ナリ、タイ。


『条件が今、満たされた。大切な者の、大切な家族、その凄惨せいさんな記憶……さぁ、可能性の一つであった、その結末を見たまえ』


——やっぱ、てめぇかよ。


 述懐じゅっかいが夢と現の境目となった。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 


 パレットに一粒の絵の具が垂れると、その一粒が境界となって絵の具の雨を降らせていく。白だった世界が無数の絵の具によって彩られ、そして世界が生成された。


——シュウは体の無い意識のみで、その世界を俯瞰ふかんさせられる。


 朝方。雲海立ち込める紫幹翠葉の仙境にひとつの寺院が立つ。絢爛豪華程ではなく、慎ましさ溢れる閑雅かんがの寺院が、黒い壁が、紅い血で汚されていた。

 傍らには返り血で汚れた手を拭く、短い金色の髪に赤目の少年がいた。


「何が目的だ」


 顔を快哉かいさいに歪ませる少年の眼前。透き通るような長い月白の髪の少女が、憤然と少年に訊ねた。少女の後ろには、砥粉とのこ色の髪を結んだ女性が見える。

 怒気を乗せた空気が少女を源として、少年を含む周囲全てを席巻していくのが分かった。が、それを真っ向から受けた少年は慄くどころか、その歪んた顔を更に愉楽で歪めた。


「目的? 楽しむためさ……楽しむためなら努力も惜しまないし、なんだってやる。だから、君と闘う為に人質まで取ったんだ。それが、今の俺のやり方でね……ぁ、今後もか?」


 ——待って、お姉ちゃん!


 何かが、少年と少女が話している世界に混じり込んでくる。悲しい声だ。


「では……————、人質の方は任せましたよ」


「当たり前……」


——お願い! お姉ちゃん!!


 もう一度、少女と女性の掛け合いに何かが混じりこんでくる。何かを強く求める声だ。嘆く声だ。


——私はずっと待つよ。


 先程、混じり込んできた声とは少し違うが、似ている声。


——もうあの日のように、大切なものは失いたくないから。


 成長して大人びたような声。小さくも、意志を持った強い声。


——他の指示なんて聞かない。頼まれた通り、お姉ちゃんが帰って来るまで、私が、僕がここを守るから。


 知らない記憶が、シュウの脳内に刻み込まれていく。


「はぁっ、ぁっ……ぅ」


 廊下を走る。いつもなら走っても息切れしないはずの廊下が、今は何故か長く、辛く息苦しい。走る度に廊下の奥に引きずり込まれているのではないか。そう思える程に長く感じる。

 足を止めて休みたい。でも、走りたい、走らなければいけない。今ここで、姉の元へ行かなければ、二度と会えない気がする。


 少女は銀煤竹の髪を揺らせながら走る。後ろで呼び掛ける声を無視して、ひたすらに走る。喘ぐように息を吸い、排斥するように息を吐く。


「ぁ、おねえ、ちゃん……」


 厳粛な扉を目の前にして、少女は立ち止まった。その先に姉が居ると、少女は確信する。

 扉に手をかけて開いた先の景色を、少女はその紅桔梗の瞳で見た。


 ——お姉ちゃんだ! ————お姉ちゃんと————お姉ちゃんだ!!


 そしてもう一つ、白い服を赤色で染める少年と、赤で汚される黒い壁が見えた。

 なぜ壁が赤色に染まるのか。少年が何かしたのだろうか。服が赤くなっている原因はもしかして。


「ぁ……」


 少女は少年の奥、見知った人が倒れているのを見た。胴体から下が——分からない。嫌だ。怖い。見たくない。

 だってあれは、染色した赤色とは何もかもが違う惨たらしいもの。鼻孔が嗅いだことのない臭いの所為で、酷く痛い。ここに居たくない。

 でもそれでは、姉が居なくなってしまう。それが一番嫌だ。 


「————お姉ちゃん! ————お姉ちゃん!! 待って!!」


 少女は心の中の気持ちを必死に叫んだ。


「————なんで!? 来ちゃ駄目って言ったでしょ!!」


 砥粉髪の女性は少女がいることに、驚きと焦りで困惑した。

 どうして、姉がそこまで驚き焦るのか、少女には理解できない。きっとあの少年が元凶。なら強い姉はなぜ、早く斃さないのか。どうしてか分からない。


「それが、君達の一番守りたいものか……ぃひ」


 歪な顔で笑ってきた少年に、少女は怖くなって目を逸らしてしまった。逸らしたその先には、知っている人の陰惨いんさんな死体の一部が、切り離された足が、そこにあった。


「ぅ…………」


 惨たらしい現場を見て少女は耐え切れずに尻もちを突き、手で口を押えてしまう。


「————ッ!!!」


「あははッ!! 言葉でなくとも行動で分かったよ……寸毫すんごうの凄まじい殺気。並大抵の奴なら、今ので死んでたよ」


 妹を野卑な目で見る少年を、月白髪の少女は腰に番えた鞘から剣を引き抜き、切りかかった。対して、少年は身をのけ反って後方へ飛ぶことで回避した。


貴様おまえ……」


「あぁ分かってる。手は出さない……それじゃつまらないからね」


 なぜこの人は、人が死んでいるのに笑っていられるのだろうか。どうして、姉が怒っているのに楽しそうにしているのか。

 激憤している姉と、正反対である法悦の感情を見せるのか。


——この怖い人が、悪い人が、お姉ちゃんを奪いに来たんだ……


——お姉ちゃんが、居なくなると感じたのは、こいつが原因だ……


「————様! さぁ早くこちらに!」


「嫌だ! お姉ちゃんと一緒に居るの!!」


 少女を後ろから追いかけていた二人の男女が、彼女の肩を掴んで引か下がらせようとする。しかし、少女は姉を奪われたくないと、掴む手を振り払うために身体を左右に振った。


「おいおいおい、まだ子供だぞ。別れの挨拶くらいはしてあげないと可哀想じゃないか……二度と帰ってこれないかもしれないのにさ」


「近寄るな!! ユウ!!!」


「よくも家の人をぉぉぉ!!!」


 少女の姉が叫んだ先、少年の背後から一人の女性が刀を持って現れる。

 彼女は殺された男性と接吻せっぷんするほど仲——夫婦という関係なのを、少女は知っていた。

 刀が少年の首に近づき、切り裂かれたかと思ったその時、


「こんな風に……ふ」


 女性の身体に無数の穴が空き、血しぶきが舞った。


「嫌ァァァァあ!!!!」


「ッ……」


「見てはいけません……」


 少女を引き下がらせようとした女性の一人が悲鳴を上げ、腰を地に落とす。もう一人の男性は、口を開けて凝然としていた少女の目を手で遮った後、彼女が動けないように肩を掴んだ。


「お姉ちゃん!! ごめん! ホウ!」


 見てはいけない。まるで、言外に『姉とは居てはいけない』と言われているようで、少女の心は激情によって沸騰。


 少女は手から小さな炎を放ち、


「ぁッ!? ま、待って下さい! ————様!!」


 男性の手に火傷を負わせて不意を作った。そのまま手を振り払い、少女は小さい階段を飛び降りて走り出した。


 ここに居てはダメだ。姉を留めるには傍まで駆け寄って、縋りついて離れないようにしなければ。そうしないと、姉はこの場からいなくなってしまう。あの怖くて危険な少年に連れて行かれてしまう。

 それだけは嫌だ。


 少女は目を閉じることで畏怖を押し退け、姉を留める為に石畳をその小さな足で走り抜けていく。


「あぁ安心して、今ので盟約を破ったなんて言うつもりはないよ。俺の目的に背く」


「感謝はしないぞ……」


「されても困る」


——怖い。振り返りたい。止まりたい。逃げたい。こっちに来て欲しい。


「————! ————はうちが止めッ」


「その必要はありません————。————をここまで来させてあげて……サイも大丈夫です! 私が……」


——嫌だいやだイヤダ! 怖いよ! でもお姉ちゃんが居なくなるのが一番嫌だ! 行かなくちゃ!!


 周囲の会話の内容。畏怖を押し退けることに全力でいる少女には、音が意味にまで昇華されない。

 少女の世界を見ているシュウにとっても、何か理解することは出来ない。


 少女は二人の姉の元まで走ると目を開け、行かせない為に足に縋りつき、


「————お姉ちゃん!! ————お姉ちゃん!! 嫌だよ、行っちゃやだよ!!」


「————、いいですか? お姉ちゃんは、人質に取られた人たちを助けに行かなくてはいけないんです。だから、————のお願いは聞けないんです」


「嫌だ! 一緒に居て、お願い!!」


 月白髪の姉はその小さな体で、自身よりも小さな少女——泣きじゃくる妹に目線を合わせて抱き着いた。


——あったかいのに、なんでか嬉しくないよ、怖いよ、寂しいよ……

 

 やせ我慢。作り笑いをする月白髪の姉。汪然おうぜんと涙を零す妹。それをやるせない顔で見る砥粉髪の姉。暖かくて、それでいて寂しくて虚しい光景。

 だってその暖かさは、姉が妹を悲しまない為に向けた慈愛であり、裏を返せばそれが長い別れの温もり。


「ごめんなさい————。軽薄なお姉ちゃんを、一緒に居てあげられないお姉ちゃんを許して。きっと帰ってきますから、いつか必ず。必ず帰ってきます。だからそれまで待っていて……」


「いやだよ、お願い、ここに居て。あんな奴すぐにやっつけて。皆を連れて戻ってきて……だから!!」


 どうして姉は一緒に居てくれないのだろうか。どうして、姉は私を置いて行ってしまうのだろうか。これだけ思いを吐露しても、これだけ縋って懇願しても、届いても叶わない願い。

 少女は直感的に、理解してしまった。姉との長い別れが、間近まで迫っているのを。


 抱き寄せられていた身体が離れ、月白髪の姉の顔が見える。姉の口が、ゆっくりと開かれ、


「誰よりも可愛くて、誰よりも強くて明るい希望の光。私は————を愛しています」


「————お姉ちゃん!!」


 砥粉髪の姉も少女に抱き着く。暖かい。でもこの暖かさも違う。

 砥粉髪の姉は、少女から身体を離して顔を見つめた。泣きそうな顔の姉の口が、小さく震えながら開いていく。


——いやだ! 言わないで……


「うちも愛してるよ。大好き、————」


「————お姉ちゃん!!」


 こんなに暖かいのに、暖かいからこそ、怖くて寂しい何かが背中を引っ張ろうとしているのが分かった。


——いやだ! それ以上は……


 月白髪の姉。ずっと閉じていたまぶたが開き、万感を孕む灰桜の瞳が少女を見つめる。

 落ちる木の葉が遅く、流れる雲が緩く、少女の世界が遅鈍に、そして暗くなっていく。


「————……私たちが帰って来るまで、————を、いえ、————エンを頼みましたよ」


「ぁ…………おね、がい。いかな、いで……」


 ——お姉ちゃん……


 暗闇に包まれた。

ミレナ「朝だよー 起きろ!」


シュウのベッドに飛び込みダイブするミレナ。


シュウ「ウッ!」


ミレナ「おはようシュウ! 時間ですよ」


シュウ「はい。おはようございます……でももうちょっと静かに起こして」

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