第13話 旅路
リメア宅で宿泊して、翌日の朝。シュウとミレナは、新調してもらった旅人の服に着替えて心機一転。出発の支度を済ませ、アンコウエンへ向かおうとしていた。
御者台を前にして、最前列にはフィアンとシュウ。二列目をリメアとミレナ。三列目をグーダとリフ。六人二列で対面するような座り方である。
「では皆さん。出立の準備はよろしいですか?」
「はい!」「済ませてます」「俺はとっくに終わってるぜ」「こちらも」「私もとうの昔に」
最終確認をするリメアに、ミレナは手を上げ元気よく返事。シュウは小さく手を、グーダは馬車の欄干に背を預けながら答える。リフとフィアンは軽く会釈で答え、全員の確認が終わった。
急襲には、剛健な精神と冷静かつ素早い判断で備え、対処する。
シュウとミレナだけではない。他のメンバーもそのことを念頭に入れ、ミスは犯すまいと留意しているだろう。引き締まった表情がいい証拠である。
「「「行ってらっしゃいお兄ちゃん! お姉ちゃん!」」」
「はい! みんなくれぐれも、病を患うことのないように! 何かあればフーナとブーノ。騎士のレルドさんやケイニャさんを頼ってください!」
「「はい!」」
リメア一行に、子供達が足並みをそろえて見送りに来る。
悲しむ子供に、応援する子供。楽しそうに期待を膨らませる子供もいれば、全く無関心の子供もいたりと色々だ。純粋さ故か、感情に正直な子供ばかりだ。
「行ってらぁリメア! グーダもな!」
「おう! 俺たちがいない間は家とガキども頼んだからな!」
「任せとけや!」
子供達の後ろからフーナとブーノが馬車前まで入り込むと、リメアとグーダに向かってハイタッチ。行ってらっしゃいと、別れの挨拶だ。
その後、ブーノだけがシュウを指さして、
「てめぇは何も問題起こすんじゃねぇぞ」
「起こさねぇよ」
流石の執拗さに飽き飽きしたと、シュウは淡白にあしらう。相手にされないという意味で、意趣返しをされたブーノは視線を逸らして舌打ち。どうも、気に入らないご様子だ。
「くでぇなブーノ。アタシの見立てじゃ黒髪の兄ちゃんは結構やるぜぇ……な! グーダもそう思うだろ?」
「そうだな。つえぇ敵を退けてるしよ、相当腕は立つと思うぜ」
もはや恒例になりつつあるやり取りを、周りも茶化す程度には認識しているらしい。こうなるとブーノが不憫に思えるが、シュウは懲りてくれた方が楽だとスルー。
「そりゃそうですよ! なんてったってあの神人を退け、魔霧から村の人達を守った方ですから! 問題を起こすどころか、解決に貢献、いや! もう一人で解決しちゃったりするかもしれません!」
荷台の中心に立ち、巧みに麗句を使って演説するリメア。彼の能弁に子供達が「お兄ちゃんすげぇぇ」と珍しい物を見るように盛り上がりを見せる。
「なんか、すげぇハードル上がってるんすけど」
フーナとグーダの好評に少し嬉しさを感じたが、最後のリメアは大袈裟過ぎて荷が重い。
嘘は言っていないのだが、彼の説明だとシュウが一人で全て解決したような言い方になってしまう。正確には間違いであり、何より辛い。
「あはは……何かあったら私達も手伝うから、安心して」
困惑の色を見せるシュウに、ミレナは「にっ」と彼の服の裾を笑顔で引っ張って、安心の言葉を掛ける。
彼女の言う通り、一人で解決することはないと分かっていても、言われるだけで気は楽になるものだ。マジありがたい。
「では見送りの言葉を受け取ったところで、エンタク様を仲間にするぞ作戦を名のもとに、いざ! 出発です!!」
リメアの掛け声で、馬車はズシリと重い車体を動かし始める。
「あれ? するぞじゃなくて、しようじゃなかったっけ?」
ミレナのツッコミでリメアが固まるが「しゅっぱぁぁぁつ!」と、勢いで誤魔化した。
てんやわんやしながらも神人を仲間にする為、一行はアンコウエンへ向けて出発した。
※ ※ ※ ※
陰刻の0時。往路での問題で、遅滞を余儀なくされたシュウ達は中継の街で宿を取ろうとしていた。
街の名はリフレッシウ。標高の高い場所に位置する避暑地だ。
「そろそろ宿に着くぞ……」
「あ……んん……ぁ?」
シュウは自分の肩に身体を預け、ぐっすり眠っているミレナの頬を二度叩く。起きた彼女は、寝ぼけ眼のまま呆けた声を出した。
周りに眠気を誘うような寝起きっぷりだ。ミレナが眠ったことで、快活に喋る存在がいなくなり、馬車内はすっかりお眠りムードになって三時間半。
一度も眠らず起きていたのはシュウとリフ、そしてフィアンの三人。自分以外にも、車内に眠らずにいてくれる者がいるだけで気は楽になるものだ。頼もしい気分である。
「思った以上に、森を抜けるのに時間が掛かってしまいましたね。本当なら、今日中にアンコウエンに入って、フイリンで泊まる予定だったんですが……」
「しゃあねぇだろ。街道は荒れてたし、他の商人やら旅人もいたんだ。いつもより遅めに走ってたのも含めりゃ、まだ早かった方なんじゃねぇか?」
意気消沈と話すリメアと弁明するグーダ。話は戻り、遅滞の近因は遡ること九時間前の話になる。
『なぁゲッケイジ……わたッ!?』
卒然の出来事、車体が十数度傾くような揺れにシュウ達はあった。馬車に乗っていた者の全員が、飛ばされないようにと各々のやり方で体勢を保つ。
御者は慌てて手綱を引き、車体が横転しないように馬を操って馬車を停止させた。
『すいやせん、何か踏んじまったようで……』
『こんな街道に、なんでしょうか? それに何か臭いますね』
リメアが鼻を鳴らして何かの臭いを嗅いでいると、グーダが『若頭、俺が見る』と言って荷台から颯爽と降りる。歩き、彼は街道に落ちている丸い物体——車輪を掴むと、見やすいように空へ掲げ、
『踏んじまったのは車輪ッ——ぁ……こいつは……』
『どうかしたんですか? グーダ……?』
『見ない方がいいぜ……これは多分人の死体だ。奥には荷馬車みたいのが倒れてやがる。荷物はそのままだ……』
急に血相を青くするグーダに向かってリメアが疑問を投げる。その問に顔だけを見せたグーダは、驚愕の事実を言ってみせた。
『直ぐ横の茂みの中には、動物の死体も多い。イエギクのにぃが言ってた霧の魔獣の仕業だろうな』
人の死体に、街道から逸れた場所で横転する荷馬車。不可解に残る荷物にジッケルの森。グーダの霧の魔獣の仕業という推測に、疑いの余地はないだろう。
国が警戒態勢を取る前に、ジッケルの森を通過しようとしたのだろう。暗鬱な話だ。
『霧も晴れたばかりですから、街道の整備も行き着いてないのでしょう。それに、どうやら前の方でも停車している馬車もあるようですし……御者さん、事故の危険もあるので、速度は魔法無しの方で頼みます』
『了解しやした』
執鞭する御者。リメアの指示により、ジッケルの森を抜けるまで馬車の速度は快速から低速になった。
そういったことがあり、シュウ達は遅滞を余儀なくされた訳だ。
シュウ達が乗る馬車は街の住民に注目されながら、中継の宿に向かって走る。
中央都を襲った賊を追っている者が街に訪れたと、住民達は盛り上がっているのだ。彼らはまだ、この事実を知っていない。
「あとどれくらい?」
「十分くらいだそうだ。今日はフェアラードのこの街で宿を取って、泊まるってよ」
「フェアラード……うん、街の名前は?」
「リフレッシウって街でしたっけ?」
寝ていたことで事情を知らないミレナに、シュウが彼女の質問に答えながら説明。街名は確証に至れなかったため、リメアに助け舟だ。
「はい。フェアラード南西部にある街ですね」
「ご飯は何か決まってるの?」
「夕食は香辛料で味付けしたミルクパスタとソーセージ、それとサラダだそうです」
「おぉ! 美味しそう!!」
リメアの言った夕食の献立に、ミレナは目を爛々と輝かせる。それにはシュウも大いに共感だ。
実物を見たことは無いが、察するにゆでパスタだろう。香辛料で味付けしたというのは、何とも腹が空いてくるワードだ。サラダでバランスの良い食事を取り、加えてソーセージとなれば垂涎ものである。
「でも、魚も食べたいなぁ……フェアラードって言えば、魚と柑橘系の果物だもん」
「そっか、フェアラードって港町ですもんね」
「ですね。港とは関係ありませんが、フェアラードは魚の食文化がなじんでいるので、海から離れた街には養殖場があったりするんです。そこで採れた新鮮な魚を、アヒージョやムニエルにして出してくれる食店もあったりしますよ。あと、柑橘系といえば、レモニパイなどがすごくおいしいですね」
ミレナの何気ない呟きにシュウが。その彼の呟きにリメアが補足の説明を紡ぐ。
どれも一度は食べてみたい料理ばかりだ。
「おいしそう! そっちも食べたいです!」
「食うために来たんじゃないんだぞ……」
「それぐらい分かってるって!」
手を上げ自己アピールするミレナを、シュウは旅の趣旨がズレていると窘める。その彼にミレナはそっぽを向いて、お怒りの表明だ。
天真爛漫故に思ったことを素直に発するミレナと、親しい相手の要求を無下に断れないリメアの相性は、いい意味でも悪い意味でも良い。暴走する彼女を抑える役目は、中々に休めないものだ。
「そうね、エンタクを仲間にした後、復路! 復路の時に食べたい!! お願いリメア!!」
「承知しました! この私にお任せあれ!」
馬車が宿に着いた。
馬車から降りた六人は宿を取り、そのまま一階の食堂で夕食を食べることに。当然、注文した料理はリメアが言ったミルクパスタとソーセージ、サラダの三点だ。
「はいよ! ミルクパスタとソーセージと大盛りのサラダ! それとこいつはおまけのマンサナ酒!!」
騒然とした食堂。六人席に座って待っていたシュウ達のテーブルに、料理が運ばれてきた。きたのだが、そこには何故か注文していないはずの酒があったのだ。『酒を一緒に注文するのが店の流儀!』とでもいうのだろうか。
「あの、私達お酒は注文していないんですが……」
「おまけですよ、無料ってやつです。お代わりも店にある限りなら構いませんよ」
「そんな! 無料なうえ、お代わりなんていただけませんよ!」
おまけと聞いて納得はできたが、お代わり無料と聞いて飲み込めなくなってしまうリメア。畏れ多いと彼は両手を振る。
「中央都を襲った謎の組織、それを追って日夜奔走しているって聞きましたよ! これは国の未来の為、頑張ってくださってる貴方方へのお礼です。なんで、どうか受け取ってください!!」
店員の言葉によって、妙な視線と街中が騒がしくなっていた理由がようやく分かった。門番から噂が広がったのだろう。
「そうですか。分かりました! そこまで言われては、受け取らないのは失礼に値しますね。いただいておきます!」
「そりゃよかったです! どうか国の未来の為、奮励努力してくだせぇ!!」
「はい! お任せを!」
リメアと店員が握手をすることで、酒を無料で受け取ることになった。その光景を見ていた外野の者達も「応援してますぜ!」「頑張ってくだせぇ!」「頼みましたよ!」と、リメア達を激励しながら酒をがぶがぶと飲む。
店員にミレナが「ありがとう!」と大きな声で感謝。リフ、フィアン、シュウは「どうも」と頭を下げ、グーダは「おっちゃんありがとな!」と手を上げた。
置かれた酒を見まわして、シュウは聞き覚えの無い酒の臭いを嗅ぐ。
そうして気付いた。これは、
「リンゴ酒か。マンサナってリンゴのことだったのか……」
酒と聞いて少し嫌な思い出が脳裏に過る。
異世界に来る前に仲間と飲んだことや、グレイの家と親睦会の時に飲んだワインのことなど。とにかく酒には煩労な思い出が多い。
しかしリンゴ酒ならば、飲みやすく一杯程度なら酔う事もないだろう。
おそらく、たぶん、ダイジョウブ。
未成年のグーダを除いて、場の雰囲気に飲まれたシュウ達はコップを掲げて乾杯。グビっと嚥下する。リンゴの甘い香りと酒の苦みが口の中に広がっていく。飲み心地は悪くない。
「大丈夫? 親睦会の時、ワイン飲んで寝ちゃったの、私まだ覚えてるわよ」
「大丈夫だ。これくらいならいける」
「そうだ。私もあんまり強くないし、飲み比べしてみない?」
「勘弁してくれ」
ミレナの容赦ない言葉。いやはや、このお嬢様はえげつないことを何の呵責もなく言ってみせるものだ。参ったものである。
「さぁ、食おうぜ!」
社交辞令が終わり、グーダが真っ先にパスタへ食いつく。その彼とは対照的に、一口ずつ味わって食べるリメア。横ではミレナもパスタをフォークに巻きつけている。
シュウも匂いに誘われ、パスタに手を差し伸べた。口に流し入れ、味わい尽くそうと目を瞑って咀嚼。
「うめぇぜこりゃぁ!!」
感動の声を上げたのは、シュウではなくグーダだ。代弁者の彼は皿に盛られていたパスタを半分になるまで食べ、ミルクをスプーンを使わず直接啜る。
「グーダ。もう少し行儀よく」
「あぁ、わひぃわははひら」
「ちゃんと噛んで、飲み込んでから言ってください」
頬張った食べ物を飲み込まず喋る不行儀なグーダを、リメアがため息を吐きながら指導する。
シュウも誰にも見られていない空間でこのパスタを食べたなら、人目を憚らずにミルクを直接啜っていただろう。やってみたい気持ちは分かる。
「リメア殿。少しよろしいでしょうか?」
「あ、はい。なんでしょう?」
リンゴ酒を飲んでから現在まで、机を眺めていたフィアンが顔を上げないまま、リメアに質問。気恥ずかしいのか、彼女は俯いたまま身体をもじもじさせている。
「あの、ええっと、ですね……」
「は、はい。何か?」
少し様子がおかしいフィアンを、リメアは心配そうに窺う。他のメンバーも何か様子がおかしいと、彼女を憂いた表情で見た。
フィアンはゆっくりと顔を上げると、
「もっと、もっともっとぉぉ!! お酒飲んでいいですかぁぁ!!」
「「「「えッ!?」」」」
衝撃的すぎる驚きがシュウ達に走った。
フィアンの赤くなった顔と、ギャップの域を逸したキャラ崩壊レベルの発言。見間違えに聞き間違えではないかと、口を開けたままシュウ達の時間が凍結。一方、どうしてか、彼女の豹変にリフだけが超然としていて、
「あぁ、そうでした……彼女は、酒癖が悪いんです。本人にその自覚はあるようですが、据え膳食わぬは、というやつでしょう」
酒を飲みながらそう言ってみせた。
「おしゃけ美味しいのぉ~」
たったの一杯で呂律が怪しくなっている。
確かに、厚意で貰ったものを口にしないのは店に失礼であろう。騎士であるならば、尚更といったところか。
「あはは、私もお代わり貰っちゃおう!」
フィアンに釣られて、ミレナは木製コップを口に付けて傾ける。そして、空になるまで一気に飲み込んでいく。
比較的に飲み心地がさっぱりしているとはいえ、飲み干すとは恐れ入った。華奢な子供っぽい見た目の所為で、違和感が半端ではない。
「ぱぁ、シュウはもっと飲まないの? 今なら一緒にお代わり貰ってきてあげるけど……」
「飲むが、お代わりはいいよ。多分三杯くらいで潰れちまうからな」
コップの中身を確認したミレナの表情が、シュウの言葉を聞いた途端に愉色へと変わる。彼女のニヤリとした顔を見て、シュウは煽ってくると確信した。
「えぇ、よわよわシュウじゃん! やぁい、ざこ!」
案の定であった。腹が立つのは、嘲る顔と横でさわさわと動いている両手だ。
シュウはミレナの頬を両手で引っ張り、
「よわよわで悪かったな」
「ぅわぁん、ごめんなさい! 許してぇ!」
指を離すと、ぷるんと揺れるミレナの頬。酒が回ったように朱色に染まったその頬を見て、シュウは苦笑いする。
「やったなぁぁ」
やり返そうとしてくるミレナの顔を、シュウは掴んで阻止。掴む手を離せと、両手でポコポコと叩いてくる彼女に「届かんだろ?」と言って破顔する。
「酒は十八からじゃねぇと飲めねぇから、誰か俺の分飲んでくれねぇか?」
「では、私が——ッ」
「私が飲むッ、いや、飲みますぅぅぅ!! 任せてくださぁぁい!!」
対面の席では、未成年のグーダのリンゴ酒を誰が飲むかで盛り上がっていた。こちらでは、フィアンがリメアに割って入ることで盛り上がりを見せる。
「よし、今日は食べて飲むぞぉ!」
ミレナが空になったコップを掲げて叫ぶ。
仲睦まじい掛け合い。ただ一人、フィアンを見るリフだけが乗り気でない感じがして、そのことを問い詰めることも出来ず、そうして時間はすぐに過ぎていった。
すっかり閑静となった食堂。机の上では、寝息を立てながら居眠りしているミレナとフィアンが。二人とも、酒をお代わりしていたから酔いが回ったのだ。居眠りする直前は、身体をふらふらさせる程に酩酊状態であった。
因むと、ミレナは四杯目でふらふらになっていた。
「僕はラッテンを運びます」
「ミレナは俺が……ったく、人のことを雑魚という割にはだよ」
「部屋割りはどうしましょうか? 二人部屋が三つなので、丁度男女ずつ別ける予定だったのですが」
リフがフィアンを、シュウがミレナを背負い、荷物を持って二階に上ろうとする二人をリメアが止める。シュウはリフの顔を見て、
「あぁ、どうしますか?」
「イエギク君、僕はラッテンと一緒の部屋にするよ。酔いつぶれた二人を一緒の部屋にするのは、もしもの時があった時に対応できないからね。それに、彼女が起きたら、二人で話したいことがあるんだ。いいかい?」
リフの願い出るような物言いに前半建前、後半本音だとシュウは理解した。
彼の所業に、昨日の剣呑な表情。気持ちの良い話でなかったことは類推できる。
「いいっすよ」
シュウは色々考え、彼のことは彼に任せるべきだと判断した。
六人は、階段を上ってそれぞれの部屋の前へ。
「それじゃあ皆さま、お休みなさいませ」
部屋に入る前にそれぞれ挨拶を済ませ、別れた。
ミレナを反対側のベットに降ろして、シュウは手に持った荷物を机の横に。置いた荷物の中から二人分の歯ブラシを取り出し、木製の窓を開け、自身が寝るベットの上に座る。
「部屋着いたぞ、ミレナ。歯ブラシもあっから、寝る前に磨いて寝ろよ。虫歯になるぞ……おい、聞いてっか?」
熟睡しているミレナをシュウは『よくそんなに寝れるな』と思いつつ、頬を軽く叩いて起こす。ベットの上で臥床していた彼女はゆっくり起き上がり、瞼をこすって大きく欠伸。
口元に涎の跡を残す感じが彼女らしい。
「シュウが、磨いてよぉ」
「アホか。流石に自分でやれ」
シュウはミレナの額を指で押して、彼女をベットに押し倒す。
そこまで行くと流石に甘えさせ過ぎだ。
「えぇ、いじわるぅ。じゃあ寝ちゃおうっかなぁ」
「だぁー分かった! 手伝ってやるから寝るな!」
布団を被って寝ようとするミレナを見て、シュウは彼女を掴んで起こした。
用意した歯ブラシ——加工した木の枝に、馬の毛を植えた歯ブラシをミレナに持たせ、彼女が倒れないように歯磨きの手伝い。
歯磨き粉は木炭を粉末にしたものだ。効果は言わずもがな。生前の世界にあったフッ化物が入っている歯磨き粉が恋しい。早く研究よ進んでくれ。
「あひがほ」
「水は出せるか?」
「だへまぁぁふ。こっふ」
「俺の分も頼む」
シュウは木製のコップを二つ持ち、右手を出すミレナの手元へ。
「はぁい。あくぅあ」
「待て、一気にだッ! あ、あぁ……」
ミレナに水を頼んだのはよかったが、水魔法のアクアで放出される水の量を考えていなかった。どうなったかというと、コップの中に入り切らず床に零れてしまった。コップを持った手もべちょべちょである。
「べちょべちょだ」
シュウも歯磨きを終え、ベットに腰を落としてミレナを見やった。
「じゃあ寝るぞ、ってもう寝てるか」
明日は、いよいよエンタクとの対談の日だ。
『故郷以外のいざこざに協力するつもりはないって』
「故郷以外……」
窓から、曇り空を見る。
『ミレナ!?』
『アハハハハハ! コレデ、キサマラトクイノ、キョウリョクモ、デキナイ』
魔霧と共に現れた悪魔。もしもタイミングが悪ければ、或いは。
「説得……本当に、それだけで……?」
本当に必要なのは、強力な仲間ではなく——、
——ベットに仰向けになったシュウは、もの憂げに思惟するのであった。
約一時間後、リフとフィアンの部屋。
ベットで寝ていたフィアンが、目を覚ました。
「ゲッケイ……て! なッ!? もしかして私は酔ったまま寝てしまったのか!?」
「そうだよ。僕が君を部屋まで運んでおいた。荷物もね」
「そ、そうか。すまない。というか、私とお前は同じ部屋なのか……」
布団を被ったまま、ベットの上で取り乱しているフィアンに、空模様を眺めていたリフが振り返る。
乱れた髪と騎士服に、紅潮した顔。一見すれば、騎士家系の女が下町の男に引っ掛かったようにも見える絵ずらだ。ただし、そんなことは一切ない。
「ええっと、眼鏡……」
そう言いながら、フィアンは眼鏡を捜して部屋を見渡す。眼鏡はベットに備え付けてある小タンスの上に。リフがその場所を指さすと、彼女は慌てて眼鏡を掛けた。
「どれくらい寝ていた?」
「二時間程度かな」
「今は何時だ?」
「今は陰刻の四時前さ」
「そうか……私が起きるまで待っているとは、お前も変わった奴だな」
居眠り二時間、起きた時刻は陰刻の四時。それを聞いてフィアンは視線を逸らすが、リフが待ってくれていた事実に気付くと直ぐに視線を戻した。
「そうかもね。それで、ラッテン。君と同じ部屋になったのは他でもない。昨日のことについてなんだが……」
そうかもね、というリフにフィアンは少しだけ目を伏せる。
「……なんだ。自分は悪くない、とでも釈明するつもりか……」
立ち上がり目の前まで歩いてくるリフに、フィアンは当惑を顔に出す。まさか本当に釈明をするのかと言いたげな戸惑い方だ。
その彼女の心境を知らずに、リフは床に両膝を突き、頭を下げた。彼が放った言葉は、
「——君の弟を救えなくて、悪かった。僕が現場に着いた時には、ニック君は、他の上級騎士候補の者は、殺されていた。彼らを逃がす為に、先に行かせたんだ……でも、敵の罠に嵌って、僕だけが……本当にすまなかった!」
釈明どころではなく、罪の告白であった。土下座する彼を見て、罪の告白を聞いてフィアンは「ぁ……」と、声を詰まらせる。
「それは、私の為を思ってか」
今のフィアンの胸の内をさらけ出すなら『分かっていた』だろう。
リフが最初から、自分の為だけに釈明する粗野な奴ではないことを、彼女は分かっていた。怒りの源泉が、失敗を犯した彼に対してではなく、失敗の全てを自分の責任にしてしまう彼の薄情さから湧いていることも理解していた。
声を詰まらせたのは、大罪人になってもリフの根が変わっていなかったからだ。
これが、フィアンの胸の内だ。
「違う。確かに君との誓いを守れなかったことへの、罪の意識はある。今こうしているように、謝りたい気持ちもある」
床に額を擦りつけ、目を瞑る。
「だがそれ以上に」
『ニックのことを任せたぞ、ゲッケイジ。お前は頼りになるからな』
数年前、上級騎士への昇級試験に参加するフィアンの弟——ニックと、その上官に選ばれたリフ。試験が始まる前日に、フィアンと交わした誓いだ。
試験の前夜、リフ達は豪族を鎮圧する為に拠点で待機していた。確か今日のように曇り空だったか。
『俺、リフさんみたいな、礼節がある誠実な騎士になりたいです!』
『私のようになろうと思うのは結構ですが、それだけに囚われてはいけませんよ。その先の目標目的をしっかり持って精励してください』
姉弟というには見た目しか似ていない黒髪の少年の目を、リフは指を立てて言った。
『その先の目的……俺には、まだちょっと先のこと過ぎて分かんないですね』
『ではニック君の目標である私から、一つご教示を』
——まだ若く、目の前の壁しか見れていない少年へのアドバイス。
「彼との誓いを守れなかったことが申し訳なくて」
『上官は部下の道しるべにならなければなりません。ですから、皆で生きて帰ること。それが、部下を教化するのに一番いいことなのです。それを誓えますか?』
——道を踏み外してほしくない程度の気持ちで、格好をつけて言った言葉だ。
『皆で生きて帰ること……はい! 誓います!』
——だが、彼にとっては憧れの存在からの助言で、欣幸の瞬間であったのは間違いなかった。
少年の目がそのことを物語っていた。
試験当日、不測の事態によって隊は困窮状態に陥った。豪族が予想以上の力を秘めていたこと。困窮による士気の低下と、敵の士気高揚などだ。
リフは追手から部下の命を守る為、自らの命を擲つつもりでニック達を拠点に走らせた。だが、彼らは逃げた先で挟撃に会い全滅してしまった。
隊の中で生き残ったのは、挟撃から逃れたリフのみ。追手を撃退し、傷を負った自分がニック達に追いついた時には、亡骸は魔獣に食い荒らされ、汚濁に汚されていた。
悲憤に泣き叫び、魔獣達を殲滅した後、血塗れになって拠点へと一人で帰った。持って帰れたのはニックの持っていた剣だけ。
豪族は災害と認定され、神将の手によって鎮圧された。
後日、ニックの剣をフィアンに渡し、リフは頭を下げて去った。
「その誓いから、目を背けた」
そして昨日、フィアンと久方ぶりに会った。
『よくも、私の前に顔を出せたな……ゲッケイジ……弟子を、親友を、信じた仲間を騙すのは楽しかったか? なぁゲッケイジ! お前がいった言葉は全て、仲間を騙す為の嘘だったのか!! 聞かせろ、ゲッケイジ!!』
『君には、そう思われても仕方ないだろうね』
国を裏切った大罪人。生きていられるのは、再び陽を浴びれるのは、グレイが自分を庇ったからだ。こんな奴だから、弟のニックは死んだ。なぜこんな奴をグレイは庇ったのだ。答えは、仲間を騙したからだ。
そう思われても仕方がない。自分はそれほどまでの、悪辣な罪を犯したのだから。
『————ッ!!!』
薄情を体現したかのようなリフの顔をフィアンは叩こうとしたが、寸前で彼女は手を止めた。
殴られ、唾を吐きかけられる覚悟はあった。だがフィアンは手を止め、何も言う事はなかった。
昨日の出来事が、自身の薄情さに自責の念が募り、彼女には理解してほしいと思った。謝りたいと思った。
「だから彼に謝りたい。謝らせてくれ!」
『何を今更、都合のいい——ッ
「安心したよ。お前が大罪人になったと聞いて、昨日はあんなことを言ってしまったが、変わらないな、ゲッケイジ……昨夜の非礼を詫びよう。すまなかった」
『何を今更、都合のいいことを言うな!』とコップを頭にぶつけられると思っていた。リフが顔を上げると、フィアンは温和な表情をしていた。思いもよらなかった優しい言葉。リフは、自分が仲間に恵まれていることに胸の中が暖かくなった。
——僕は幸せ者だな。
目を見開いたリフに見つめられていると、彼女は気恥ずかしそうに「なんだ……」と目を逸らす。
リフは感慨を振り払い、現実に戻ると、
「ラッテン……いや、僕の方こそ言葉足らずだった。すまない。それと、ありがとう」
謝罪と感謝、穏やかな瞳のトリプルアタックがフィアンを襲う。目を逸らしていた彼女は「んん!」と咳ばらいをして、
「気にするな……そうだ、私には妹がいてな。名前はケイニャ。この旅の目的を果たした時、妹に、ニックの事を聞かせてやってくれないか?」
手を差し出したフィアン。差し出された手を、リフは立ち上がって握る。
「分かったよ。この旅の目的を果たした時、必ずそうしよう」
雲の間から、星空が垣間見えた。




