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アンリーズナブル  作者: 犬犬尾
第二章 アルヒスト攻防戦
43/113

第10話 霧晴れ

 十体の赤い魔獣と、それを上回る霧の魔獣。そして、中心に立つ六足歩行の悪魔。

 シュウが感じていた大きな気配の正体が目の前に立っている。長剣の投擲を避けられたのは、ひとえに大きな気配に厳戒していたためだ。


 引っ掛かる。何かが違う。確かに、悪魔の気配を厳戒していたからこそ、長剣は避けられた。だが、この違和感は何だ。

 

 魔霧を発生させている悪魔が、自ら正体を明かす意味。まるで、それが正しいことだと掴まされているような疑念。


「ブビ、ブヒャヒャヒャ!! アカ、ハ、ワタシ、オレ!」


 ——クソ! 考えてる余裕なんてねぇだろ!


 ただ現実は、シュウに反芻する時間を与えてやる程、言うなり地蔵ではない。

 要領の得られない悪魔の言葉を起点に、赤い魔獣の背中が顫動。模範を見習うように、背中から四本の牙を発生させる。


「もう一度!!」


 背中に乗るミレナが氷柱を出現させ、悪魔に向かって放つ。氷剣と氷柱が接触。氷柱は軽々と両断されてしまう。


「シロ、ハ ブヒハ! チダ!」


「拙い! 赤以外が聖堂に! クソ!!」


「クレイシア!!」


 叫ぶシュウとミレナ。


 悪魔の指示によって、通常の霧の魔獣はシュウ達を置き去りにして聖堂の方へと向かって行く。五十はくだらない数の魔獣。その全てを捌き切るのは無理だ。

 モワティ村はシュウにとって故郷のようなもの。仲間であるミレナにとっても、グレイやリフ達にとってもだ。

 誰一人死なせるわけにはいかない。死なせたくない。


 シュウは悪魔に背を向け、聖堂へと走り出す。が、


「バァオ!」


 二体の赤い魔獣に挟まれ、行く手を阻まれてしまう。前後、伸びる牙の攻撃をシュウは横に回避。


「ッ!!!」


 回避中途、右手を振りながら風魔法のゲイルを行使。前方にいる赤い魔獣を狙うが、牙によって軽く弾かれてしまう。


 着地して構えるシュウに、二体の赤い魔獣は息を合わせるような行動で、彼を再度挟む。

 伸びる牙の軌道は半円型。囲い込み、逃げ場をなくし、牙で引き裂きに来た。


「もっと大きく、強く……」


 毅然きぜんと動じず、ミレナは両手を広げて手の先から水を放出。赤い魔獣の牙を包み込み、水を瞬時に凍結させることで動きを止めた。


「お任せを!」


 蛇腹剣に光を貯めながら、リフは赤い魔獣へと接近する。先ず、手前にいる赤い魔獣の胴体を両断。そこから蛇腹剣を伸ばし、氷の壁を沿いながら奥の魔獣を切り殺した。

 それと同時、ドーム型の氷にひびが入り、中からシュウとミレナが脱出。


 その所要時間、僅か三秒。迅速な処理だ。

 

 ただ、これだけの技術と力があっても、聖堂へ向かう魔獣の数は一体も減っていない。扉の前で群がっていた魔獣達は、その口に魔法を迸らせていた。

 最悪な諦観ていかんが脳裏を過る。


 その時だった。


 聖堂の扉が開く。顔を見せたのは、リザベートとクレイシア。二人の掌に、オドが漲っていくのをシュウ達三人は見た。


「う、ウォール!!」


 突如、魔法を放とうとする魔獣の下から尖石が出現。みぞおちを入れるように、魔獣の腹を貫く。


「キュルル!!」


「フッ!」


 ウォールの攻撃を受けなかった魔獣は尖石の上に乗って、隙間から再び魔法を放とうとする。だが、隙間から狙うということは内側からも狙えるということだ。


「ギュル!?」


 顔を覗かせた魔獣にクレイシアはゲイルを使って、その頭部を切り落とした。


「よくやりましたリザベート!」


「窓から入って来る奴は俺たちが!!」


 窓を割って入って来た魔獣は、聖堂内にいたグレイ達が魔法を使って撃退。敵の侵入を許したことで中心に居た子供達は恐怖に叫ぶが、大人が取り囲んでいることもあって惨事には至らず。

 何とか持ちこたえている状態だ。


 その事実にシュウ達三人は背中を押された。無駄に焦ることなく、赤い魔獣と悪魔に対応する。


「リザベート。聖堂の周りをウォールで固められますか?」


 グレイ達が聖堂内を守ってくれている時間を使って、クレイシアはリザベートに可否を問う。自身へ白羽の矢が立ったことに、リザベートは何をどうすればいいのかと、身体をフリーズさせる。

 死の沼に片足を飲み込まれている状態だ。思考がぐるぐると攪拌かくはんし、正常な判断ができなくなるのは彼女の性格では無理もなかった。

 クレイシアはリザベートの目を力強く見ると、


「はいかいいえで!」


「はい! い、いけます!」


 有無を言わせぬ剣幕で言い寄られ、リザベートは目を回しながらも可能と答えた。


 ただ、決して無謀を可能だと誇張したわけではない。聖堂の扉を開け、リザベートを前に立たせたのは、彼女に何もかも委ねたからではないのだ。

 出来る事実を事前に知り、かつ実践できる状態であるからこそ、前に立たせたのだ。


「では……ミレナ様! こちらは大丈夫です! 私達のことは、私達にお任せください! 全力で構いません!! 心配は無用でございます!!」


 目を瞑りながらクレイシアは息を大きく吸って、大声で外にいるミレナへと指示を送った。

 理解を遅らせるような、抽象的な言。土壇場どたんばでの嚙み砕き難い指示の真意。


「——分かったわ!」


 一瞬の逡巡。ミレナはシュウの肩を強く握りしめた。敏活である。言葉を詰まらせたのは、自分自身への再確認といえた。

 彼女を確信たらしめるモノとなったのは、クレイシアの全力という言葉と聖堂を護る尖石の壁だ。


「リザベート! なるべく早くお願いします!」


「はい! ウォール! えと、ウォール! う、ウォール!」


 クレイシアは、座り込んでいるリザベートに壁を張るように催促。ミレナに全力の何かを行使させる為にも、壁で聖堂を囲うのは必要不可欠だ。でなければ、彼女が躊躇する要因となってしまう。そうなれば、敵生存の危惧——村の存続にかかわって来る。

 クレイシアも故郷を無くしたくないという意思は、シュウ達同様に強い。


「シュウ、リフを!」


「ああ!」


 ミレナは赤い魔獣と対峙しているシュウの名を呼び、全力の何かを行使する合図。


 シュウはオドが集約していく鼓動を背中越しに感じた。顔の横から、僅かながら聴こえてくる流音。背中の中心——熱いオドがミレナの胸付近から、腕へと流れていく感覚が伝わってくる。


「家の方は色々心苦しいけど……併合魔法」


 ささやきの直後、全身が慰撫いぶされるような感覚を村にいた全員が感じ取った。それは高位の魔法を行使した時に起こるマナの席巻だ。魔霧が一瞬、押し退けられ、村の視界が晴れる。

 シュウは傍に居たリフを掴み、上空へとジャンプした。


「ギガ!? ナニ、カ、ガガギ、クル!」


 敵は飛び上がるシュウとマナの席巻に、何か大技が来ると反射的に身構えた。だが、シュウが飛び上がった理由は、相手を狙い撃つ為ではなく、


「フィンブル」


 魔法に巻き込まれない為。

 津波が村を覆い、森を覆い、山を覆い、瞬きの時間を要することもなく、


 ——銀世界が悪魔とその従者を飲み込んだ。


「…………」


 凹凸の多い凍土に着地し、滑らぬように平衡を取るシュウ。リフを降ろし、凍土の中で固まる魔獣達を俯瞰ふかんした。

 通り道となる場所が無いからか、魔獣達の身体は消えずにいた。


「これは」


「併合魔法フィンブル。イマ―ジョンとグレイシアを合わせた応用技よ」


「圧巻、ですね」


 シュウと同じく凍土を俯瞰するリフに、ミレナは悪戯っぽくウィンク。天真爛漫な彼女からは想像できない所業に、リフは呆然とした顔だ。

 かつて自分は、この少女を狙っていたのだと。シュウも同じ立場に居れば、背筋も凍っていただろう。


「それより、聖堂は……」


 それよりもと、ミレナが聖堂内を心配。彼女を抱えたまま、三人は氷で包まれている聖堂に近寄った。

 フィンブルによって、聖堂の四分の三以上は氷で埋まっている状態だ。氷が解けるまで、正面から中へ入るのは厳しいだろう。


 解凍まで、一時間以上はかかってもおかしくない。その時まで待つというのは、論ずるに値しない。中へと入れる場所か、最低でも中にいる者とコンタクトが取れる場所を見つけなくては。


「窓からは?」


 ミレナがその言葉を発するまでの要した時間は鮮少せんしょうだ。ゴシック建築のような縦に細長い窓から、中にいる者とコンタクトを取る寸法である。


「僕が」


 無理矢理割るというのは危険が生じる。リフは光魔法によって窓を溶かし、暗い聖堂内を照らす為にフォトンを行使した。


「皆! 大丈夫!!」


「だだ、だいじょう、び、ですぅ!! まだ夏なのに寒いぃぃぃぃぃ!!」


「ミレナ様! 皆無事でございます!! そちらは!?」


「大丈夫よ!」


 先ず、ミレナの声に応対したのは鼻水を垂らすリザベートだ。三角座りで身体を縮こまらせていた彼女は、眩しそうにしながらミレナ達を見て体感を語った。


 次に、クレイシアが安否確認済みであることを答えた。村民144人と、騎士の男達全員無事という事だ。ひとりひとり確認する手間が省ける。


 最後はクレイシアの方からミレナ達への安否確認。

 地上にいる三人は顔を見合わせて頷き、心配ないことを伝えた。


「よかった……」


 凍土に腰を降ろし、シュウは安泰あんたいに力を抜く。勝利とは思えない、肌を刺すような寒さが村を覆っていった。


「ミレナ様! 先程、魔声石から救援の連絡が! もうすぐこちらに着くそうですので、人を見かけたら攻撃しないよう、頼みます!」


 念を押すかのように、聖堂内にいるグレイから救援の知らせを受ける。霧は晴れていないが、救援が来れば魔獣の対抗も楽になるだろう。これで、村民の避難もできるようになる。


「分かったわ!」


「救援ですか。ありが——ッ!?」


 何かが砕き割られるような、鈍い音。振り返り、音の方を見やった。


 中にいる村民達は音に「何の音?」「何か砕けたような……」「救援の人達?」と話しながら期待を膨らませるが、シュウには妙な胸騒ぎがした。それは、背中に乗るミレナも、横で聖堂内を窺うリフも同じだ。

 黒い影。その先に居たのは、


「こいつ、効いてない!?」


 凍土の中から這い出て来た悪魔だった。

 ミレナが手を抜いたわけではない。寧ろ、前回の世界線で見たフィンブルよりも威力は上がっていた。

 それなのに、全力のフィンブルを受けても、手足の先に軽い凍傷が出来た程度。


「多分、水が来た瞬間に、自分の周りにある水を凍らせて身を護ったんだと思う……その証拠に、手足の先だけが凍ってるわ」


「そんなことできんのか!?」


「高位の魔法師なら、充分可能、だわ」


 眼前の悪魔を見て、高位の水魔法師であるミレナの見識を聞いてすら、否定したがろうとするシュウ。その彼に、ミレナは冷然としたまま答えた。

 受け入れがたい事実。フィンブルが効かないのなら、この場をどう切り抜けるのか。救援を当てにするのは、死を受け入れるようなものだ。


 「上で何が!?」と言うグレイの言葉は届いていない。凍土の中に溜まっていた霧の魔獣の残滓ざんしもだ。


「フィン、クケ、ブル、ケクケ、アブナ、ケケク——ッ」


「フラッシュ」


「クケキャ! キキコケキャワギャピコ!!」


 意味不明な言葉を喋る悪魔にリフが光柱を放つが、直撃寸前で凍土の中から氷の壁が隆起し、防がれてしまう。溶けた氷の壁の先にいる悪魔へ、リフはもう一度光柱を放とうとするが、悪魔の身体が縦に伸びて消えた。


 五メートルはある巨体で、素早く跳躍したのだ。必然、三人の視線は上へと向き、悪魔の罠へとはまってしまう。


——音、地面から……


 シュウとリフの足元の凍土から、氷柱が浮き上がって来た。


 シュウは魔術によって体を強化して氷柱を弾くが、その術を持たないリフは敵の攻撃を受けてしまう。先端部分が腹部へと刺さり、噴き出る氷柱に身体を押され、飛ばされてしまう。


「リフ!!」


 大木にぶつかって項垂れるリフに、ミレナが叫ぶ。


「ヒハッ!」


 悪魔が投げ落としてきた氷剣を、シュウは後方に飛んで避けた。しかし、


——やられた!?


 避けた先、シュウは自分の足が氷に囚われているのに気づく。否、足だけではない。周りが、氷の壁で覆われていくのだ。

 落下の衝撃で氷の断片が舞い上がる中、正面から氷剣がシュウを追随。回り込んだ悪魔が後方から更に、挟むように氷剣を接近させる。


 前方から来る氷剣は、シュウがいとも容易く砕くが、後方から来る氷剣はそうではない。片腕を犠牲にすることで時間を稼ぎ、その間に氷の足枷から逃れる。片腕の損傷と痛みは伴うが、死ぬよりはマシだ。

 何より、幸なことにミレナの身体は氷に囚われていない。故に、離脱可能ということ。彼女は無傷で済む。


「ミレナ——ッ!?」


 しかし、離れろという指示にミレナは従わない。『なにやって!?』とシュウは胸三寸むねさんすんで叫ぶが、ミレナには離れたくない確固たる意志があった。

 シュウは知る由もないが、彼女の頭の中は敵の神人——レイキとの戦闘が現在と重なっているのだ。


——ミレナの胸の中は……


 光の箱に飲み込まれるシュウを、命の危機にひんしている彼を、ただ怖い、逃げたいという利己で見捨てた私。


『もう二度と間違えない!』この克己こっきを胸に!


——これが、ミレナの心の叫びだ。


 白刃取りをする要領でミレナは氷剣を両手で掴み、歯を食いしばりながら、


「ぅ、ぬぬぬ、グッラァァァァ!!」


 驚愕。へし折ってみせた。


「ッ? バカ、ナ!?」


 悪魔も同じように驚愕。その気の緩みをシュウは捕まえ離さない。無論、氷の足枷からは既に逃れている。


「ッ!!」


 体重移動を使って、悪魔の胴体下に拳を叩きこんだ。巨体顔負けの膂力りょりょく内腑ないふを圧潰させ、身体は後ろへ飛び上がる。


「ギボアゲヤァ!?」


 忘れていた。ミレナは——エルフは獣人の男にも負けない力を持っていたのだった。


『エルフは見た目は華奢だけど、獣人の男の子にも負けないくらい力持ちなのよ!!』


 中央都で花火を見た夜にミレナはそう言った。

 その他にも、自身よりも大きな樽を担いだりもしていた。レイキとの戦闘後の自分を、運んでくれたのもミレナだったそうだ。


「ナイスサポート!」


「どんなもんよ! ふふーん」


 華奢な胸を精一杯反り返して、歓然に鼻を鳴らすミレナ。死が近い状況下で、小気味よく誇示できる精神の屈強さは驚嘆だ。


「手は?」


「治療済み。シュウの足もね」


 そう言って、ミレナはシュウの顔の前に手を出す。足を見下ろせば、凍傷も完治している。まだ戦える。


「ゴバ、グエェ! ユダ、ン、フヒヒ、シタ」


 三つの顔から黒い血を吐き出し、悪魔はひっくり返った身体を元に戻す。「ユダン、へフヒ、モ、ウ、ナイ」と片言な発言を、シュウは無視して「ともかく」と前置き、


「先ずはリフさんを助けなきゃいけねぇな……」


「それなんだけど、少しだけ、時間をくれる……?」


「何か考えがあるのか」


 こくりと相槌を打って、ミレナはシュウに答える。

 だったら、ここはミレナに任せるのが仲間としての務めだ。


 


 ——ミレナの心へ。


 悪魔が地面から氷柱を出現させた理由を、ミレナは考えていた。同じ氷でも、凍土の中から無秩序に氷柱を出すのは不可能だ。一度出現すればただの氷。氷が障壁となり、距離が離れてしまうとオドは届かなくなる。

 だが現実はそうではない。実際は離れた場所に氷柱が出現している。


 魔霧は特殊だから、または悪魔だからできる。いいや、魔霧はマナが素。悪魔も同じ生物。どういった因果を経て、そこに至ったのか。思考を止めずに探し出すのだ。


「ギギ、キキャギ!!」


 悪魔は巨体を横回転させ、ミレナを背負ったシュウに急接近。凍土を抉りながら無造作に切りかかる。巨体に比べて素早いが、だからといって避けれない速さではない。シュウは間隔が大きい左へと飛び退けた。

 その刹那、


「クソっ!」


 シュウの回避方向を予想していた悪魔は、中間にある腕を使って軌道を急激に変化させた。

 氷の壁で限られた空間。間隔が大きい方へと逃げるのは当然の心理。シュウとミレナは今、飛んで火にいる夏の虫なのだ。

 

 身体が宙に浮いている状態から、シュウは中位の風魔法ゲイルを使って上空へ逃げおおせる。悪魔は氷壁にぶつかり、破片をまき散らしながら止まった。


 凍土に着地して構え直すシュウの背中——ミレナは抉れた凍土を見て「閃いた」と口走った。その根拠とは、凍土の中にある謎の管と流れ出る水だ。


「シュウ、準備ができたら肩を叩くから、それまで踏ん張って!」


「やってやら」


 フィンブルに飲まれた後、悪魔は凍土の中に管を張り巡らせたのだ。そして姿を現し、相手が立っている場所へ繋がる管に水を流して、凍らせることで凍土から氷柱を発生させた。

 これならば説明が付く。


 ミレナは相手が使っている管を逆に利用して、悪魔を打ち倒す。シュウは画竜点睛を彼女に委ね、時間を稼ぐ。

 二人の役割が完全に決まった。


 ただ、二つ懸念点がある。

 一つ、それは管の先が何処に繋がっているかだ。闇雲に管を使っても、氷柱が悪魔に当たるとは限らない。

 二つ、仲間の場所へ氷柱が出てしまう可能性があることだ。もし仲間に氷柱が当たることがあれば、ミスでは済まない。


 とはいっても、憂慮は有って無いようなもの。確実に、氷柱を悪魔にだけ当てられる条件が一つある。


「ムダ、ダ……イヒヒ!」


 悪魔が六足を横へ引き伸ばし、六手を軽快に振ってわらうと同時。五十を超える氷柱が、空中に構築されていった。

 ミレナが使っていた技と同じフロストメアハイトだ。


 氷柱は小刻みに振動して、悪魔の前方全てに向かって猛威を振るう。


「ダァァァァ!!!」


 シュウは構え、背中にいるミレナにだけは氷柱が当たらないように砕き割っていく。放たれては補充され、放たれては補充されていく氷柱。一方的な攻めと守りの応酬おうしゅうだ。


「ムヒヒ……」


 緩急なくフロストメアハイトを行使する悪魔は、虎視眈々と何かを狙うようにほくそ笑んだ。中央両足が腹の下にある複数の管を踏む。


「アハァ!!」


 管に流れる水が行き着く先は、シュウの後方——シュウの腰部と、ミレナの足を貫く為に水が放たれる。


——ここね!

 

 ミレナは管に流れる水の動きを見ていた。シュウの肩を二度叩く。

 放たれる場所は、後ろにある壁。左手で管を触り、掌に冷たい感覚を得た刹那。オドが冷気へと変わって水が凍結し、氷が逆流していく。


「お気の毒」


「ゲォボァァ!?!?!??」


 上述した条件とは、悪魔が管を使ってシュウ達に攻撃を仕掛ける時だ。悪魔は脅威であるシュウ達を確実に潰すため、一点集中の強力な氷柱か、最小限の場所から氷柱を放つはずだ。故に、悪魔がいる場所にだけ氷柱が出現する。


——狙い通り、氷柱は悪魔だけを穿孔した。


「イタイ! ツライ! グルジイ!! ボク、ワタシ、オレ! マダ、シニダグ、ナイ!」


 針地獄の上に落ちた者のように、氷柱に体中を貫かれた悪魔は藻掻もがき、暴れ、血をまき散らして泣き叫ぶ。


「ママ、アナタ、カナイ! ソンナ、イヤ、ジニタグナァイィィィ!!!」


 虚ろな目から黒い液体が垂れているのは、果たして涙なのか。真相も分からないまま絶命した。


「やった……」


「だな……ッて、んなことより、リフさんを!」


 シュウはミレナを背負ったまま氷の壁に跳躍。壁キックで抜け出し、リフの元へと向かう。

 辛うじて意識があったのだろう。夏とはいえ、四方は氷の世界。低体温にならないように、リフの身体から氷柱は引き抜かれていた。


 シュウの背中から降りたミレナは、大木の前で項垂れているリフに近寄り、


「結構深いわね。待ってて、今すぐ治すから……」


 上着を破って作成した簡易ガーゼを離し、ミレナは傷の深さを確認。直にリフの身体に触れ、治癒を施していく。


「すみません……」


「俺は周りを……」


「助かり、ます」


 呼吸を荒くしながらも、リフは顔を上げて二人の救助に感謝を述べた。


——シュウの胸懐きょうかいへ。


 悪魔と決着を着け、勝利を得たシュウは言いようがない不安に駆られていた。


 理由ははっきりしている。悪魔を打ち倒しても、魔霧が晴れないからだ。悪魔が魔霧の正体ではないからか。或いは、悪魔がまだ斃せていないからなのか。悪魔を見て感じた違和は残ったままだ。


 ひたすら愚直に、来たる二軍三軍に体力を削がなくてはならない。劣勢は依然、変わらずだ。


「……なん、だ……?」


 氷の壁の中から、何かが崩れ落ちる音が聴こえた。壁の奥を見据えると、凍土の上に落ちた悪魔の亡骸が見える。氷柱が重さに耐え切れず、崩れ落ちてしまったのだろう。


「…………」


 シュウは杞憂だったと溜息を零し、視線を降ろすと、全身が傷まみれになっていたことに気付く。痛みも少しずつ増してきた。

 寝間着として着ていたボロボロの服は、もう見る影もない。


「終わったわ……」


「感謝しますミレナ様」


「いいのいいの。それより言っとくけど、傷は塞がっても、使ったオドとか、体力とか、出血で失った血もあんまり戻らないから、絶対安静ね」


「肝に銘じます」


 シュウの背後では、ミレナとリフが治療後のやり取りを済ませていた。深い刺し傷はなくなり、残るのは破れて血の付いた服が醸し出す『だったであろう』のみ。


「シュウ……周りは大丈夫そう?」


「ああ、今のところは一応な」


「イチオウ、カ……」


 ミレナに声を掛けられ、彼女の方へ振り向いた瞬間。要領の得られない片言な声が、氷の壁の内側から聴こえた。


「えっ?」


 シュウの左横から透明色の何かが、呆然とするミレナの身体を包み、後方にいるリフともども飲み込む。


「ミレナ!?」


「アハハハハハ! コレデ、キサマラトクイノ、キョウリョクモ、デキナイ」


 悪魔を打ち倒したことによる無根拠な安心が、致命的な失態を生み出した。


「何で!?」


「ヤッパリ、アイツラニハ、ニガオモカッタ。ナァ、オマエサン。ソウダナ」


 しかし、悪魔は斃した筈だ。だのに、氷の壁を砕き割って出て来たのは紛れもない六足の悪魔。新たに、二体目が現れた訳でもない。


——いや、よく見れば……


「傷が……」


 氷柱に貫かれたはずの傷が、幻覚のようになくなっている。更に、三つの顔が老人、老婆、男へと変化していた。

 ミレナと同じ、治癒魔法師なのだろうか。呻吟しんぎんして泣き叫んだのは、自分達を欺く演技だったのだろうか。

 そうには全く思えなかった。シュウ達が知らない何かが、あるとでもいうのか。


「ジャマナ、モノガナクナッテ、ヨウヤク、タノシメッ——」


「——霧が」


 又しても急な変化。

 悪魔が話すのをやめ、シュウが呟いた事象。何が原因か分からないが、視界がんでいくのだ。急変に続く急変に、シュウの脳は理解が追い付かなくなってしまう。ただし、その無理解はシュウと相対する未知の悪魔も同じで、


「ナゼ、キリガ、ハレテ……ソン、ナ、ソンナソンナ、バカナ!?」


 三つの顔を怯懦きょうだに青ざめさせ、頭を抱えて錯乱する悪魔。先、敵が見せた恐怖の感情が、魔霧の後退によって再び浮き彫りとなる。


「待たせたな! ミラランからの援軍だゴラァ!!」


 男の太い声が響いた直ぐ後、不規則で乱暴な数多の足音がシュウの耳に入る。耐久戦が功を奏する時が来た。援軍がモワティ村に到着したのだ。


「ダリャァァァ!!」


「シッ!」


 巨躯の男と細身の男が気合の入った声を出すと、炎の斬撃と氷の弓矢が発生。悪魔の身体に向かって飛翔する。

 悪魔は奇声をあげながら、児戯じぎだと攻撃を弾き落とす。


「なんだ……?」


 どうも様子がおかしい。今まで、自身の力量をひけらかすような行動を取っていた悪魔が、恐怖の色を一切変えずいる。

 やはり演技ではない。悪魔の中では、魔霧が晴れることは想定外なのだ。


「受け止められた……」


「だが、魔霧が晴れたんなら、こっちのもんだろ……そこの二人は頼んだぞ!」


 先頭に立つ二人の男が、後続の者達にミレナとリフを助け出すよう指示を出す。ミレナ達が安全だと分かったシュウは、二人の男に続いて悪魔を追い詰めようとするが、


「ウソダ!? アノ、ソグームド、サマガ、タッタ、ヒトリ、ノ、ガキニ……」


 突然、発狂する悪魔。凍土に亀裂が入る程の勢いで巨体を激しく振り、その体から赤黒い煙を放ち始める。

 噴出する煙は次第に量が増え、物理に従うように身体は縮小化。あっという間にシュウ達よりも小さくなり、


「アァァアアァァァァアァァアアアア!!?!?」


 最後は液体のように溶けて完全消失した。


「なんだなんだぁ!? いきなり消えやがった!」


「援軍に恐れをなし逃亡した。ということでしょうか?」


 疑問符を顔に孕ませながら、武器を降ろす二人の男。的外れとは断言しないが、シュウは頭の中で男の見解を否定した。


 恐らく、悪魔は魔霧の一部で本元の存在が絶たれたからだと、シュウは結論を落とした。

 とはいえ全ては推論。モワティ村側が勝利したのは厳然たる事実だ。現状ですべきことは明瞭としている。

 シュウは優先順位を切り替え、

 

「ミレナ、リフさん大丈夫か!?」


「うん。大丈夫、だよぉ……」


「こちらも……です」


「そうか、よかった……」


 救援の者達に手を貸してもらい、氷の中から脱出した二人は弱々しく手を上げる。

 心配してしまうような薄弱な返事だが、命に別状が無いなら問題はない。シュウは凍土の上に尻もちをつき、真の意味で勝利を確信した。


「耐え切った……あの悪魔も霧からできた魔獣だったってのか?」


 魔霧の晴れた空を仰ぐ。青い空に、小さな雲。当たり前の世界が、ここまで恋しい景色だったとは。他のことは他人に任せて、今日は一日中、疲れを癒したい。


「リフ。お前ボロボロじゃねぇか……」


「オロイと、ボーゲンか」


「知り合いなんすね。俺の肩、貸します」


「どうも……」


 立ち上がろうとするリフに肩を貸し、シュウは二人の男と目を合わせた。


「イエギク君、彼らは元騎士、今は傭兵協会に属していて、僕たちを協会に誘った張本人です……」


「アンタらが……」


 謝恩しゃおんから転変。敵意を忍ばせたシュウの双眸が、巨躯の男と茶髪の男を射抜く。

 今日はまだ休めそうにない。

力持ちのミレナは昔、プロテクションで身体能力を強化した相手に腕相撲で勝ったことがあるそうです。凄いですね……


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