フェイド家の今後
モワティ村に戻った三人。現在時刻、陰刻の二時。
辺り周辺はすっかり闇に包まれ、微かな光源と虫たちが奏でる旋律の中に、彼らはいた。
枝を重ねて大きくした焚火の前には、特徴的な長耳を揺らすミレナが立っている。今後の予定について、話している途中だ。無論、話の内容は今後の予定——アンコウエンへと赴き、紅蓮の神仙エンタクの力を借りることについてだ。
彼女の横には曖昧さ回避の為、シュウが一緒に並んでいる。
ミレナは自己完結した考えのままで話す悪い癖があるため、彼女が暴走しないようシュウが手綱を握っている状況だ。
実際、村に帰って早々「明日アンコウエンに行きます!」と言って、天然の片鱗を見せたのだ。
握らなければ、話がぐちゃぐちゃになってしまう。
とはいいつつ、話は大きく崩れることなく終点に辿り着きつつあった。
「それでは、カイサァァァン!!」
ミレナの掛け声がミララン山に響き、焚火を前に座っていた村民達は帰路につく。その彼らとは打って変わって、彼女の元へ歩み寄る四人の男女。
一人は憂色を見せる家政婦クレイシア。もう一人は、浮かれ気味のヴァンパイアのリザベート。残り二人は、何か言いたげな元騎士団長グレイと、その彼を見る元副団長リフだ。
「往路の詳細を聞かせてもらっていいか、シュウ?」
「おう。明日朝、もう一度中央都に行って、明後日朝、アンコウエンに向けて出発。ジッケルの森は霧の所為で通過できないから、北東の渓谷から迂回して、フェアラードを経由しながらアンコウエンに向かうつもりだ」
シュウはリメアから受け取った簡易地図を取り出し、グレイ達に見やすいように紙を裏返す。教えてもらった通り、線で書かれた道筋を指でなぞって簡潔に説明した。
山を抜けるために通る道は、前回シュウが訪れたリーカル領跡地がある渓谷だ。北東の領地へ向かう者が頻繁に使う道である。
「では三日から四日は掛かりますね。復路はジッケルの森を通過できるとして、六日……」
「エンタク様はお堅い方なのですよね? お力添えしてもらうための説得期間のことを加味すると、一日二日増えても……」
腰を低くして、地図を見ていたリフが大まかな移動に掛かる日数を計算。説得に時間が掛かることを想定したクレイシアが、プラスで日数を付け足す。
揺れたクレイシアの尻尾がリザベートの顔へ撫でるように当たり、彼女はくしゃみと共に鼻水を垂らした。
「一週間もわたし、待たなきゃいけないん、ですか? そ、そ、それは、長すぎますぅぅぅ!」
二つの日数——全体に掛かる日数を計算したリザベートは、鼻水をすすって強気に前に出る。彼女にとって、一週間という長い足止めは苦痛なのだ。
「一週間か……」
顎に手を当て、シュウはいつもの深慮モードに入った。
掛かる日数は最短で往路が三日、復路が二日、説得に一日だとして六日だろう。間を取ると移動に一日ずつ増え、八日だと目算できる。約一週間が妥当だ。
だがもしも——、
「不測の事態に陥ったら、もっと掛かるかもっすね。いや、可能性としちゃ高い、か……」
「え!? 嘘!? そんな!?」
その彼の言葉に、リザベートは目を開いて狼狽。シュウを見上げながら言い寄る。
シュウの言う不測とは、真の意味での不測とは少し差異がある。
敵が強襲してくるのは確実だが、いつ何時かまでは分からない現状。結論として、いつどこで襲われてもおかしくないことが挙げられるだろう。
掛かる日時が増えることは相応にある。
——最悪、死ぬことも。
「襲われるのが分かってても、いつどこでなのかが分からないのが怖いわね」
「えぇぇぇぇ……」
長耳を小さく垂れさせ、鬱屈な表情でぼやいたミレナ。彼女の言葉の重さに、その場にいる全員が息を呑んだ。特筆して、リザベートは脱力して地面に座り込んでしまっている。
失敗を組み入れた用意周到な敵の計画。その先にある計画も、事前に練っているだろう。
だからといって、恐れて動かないのは愚策。掛けるなら勝算の高い方へ。故にこそ、危険を顧みずに打って出る必要がある。
「だからって蹲ってちゃ状況は変わらない。行くしかねぇだろ」
敵にとって何が好都合なのかは、言うまでもない。
クレイシアを除いて、シュウの奨励に全員が首を縦に振った。
「その通りだ。クレイシア……気にかかるのは分かるが、覚悟を決めるんだな」
「はい。でもミレナ様……どうか、どうか、危険だけは冒さぬように」
グレイに指摘され、少し否定の跡を残しながらも了承するクレイシア。
事ここに至っては首を縦に振るしかない状況を、彼女も噛み締めているのだろう。右拳に力を入れる姿が、それを体現している。
お節介焼きの彼女に、ミレナは小さく深呼吸をして、
「分かってる。私にはシュウが居てくれるから大丈夫。それにそのことで、慢心も、驕りもしないわ」
曇りが無く、逡巡の無い声色。偽りがなく、綺麗にしようと洒掃の跡がない翠の瞳。仲間のシュウを信じている証だ。
溜息。ミレナの穢れが無い心からの言葉に、クレイシアの顔が綻びる。迷い、疑い、憂い、焦り——彼女の中の溜飲が下がった瞬間だった。
「私からはもう、何も言う事はありませんね。アルヒストの為、危なくない程度に頑張ってください」
「何も言う事ないって言った後に、ありありなこと言ってるわよクレイシア」
矛盾を掘り返されて、クレイシアはむすっと頬を膨らませる。耳と尻尾は、そうでもないようだ。ミレナもそのことに気付いているのか、してやったりという顔だ。
「クレイシアからの承諾を得たことで、次は誰がついて行くかだが……俺は厳しくてな、理由は後で話す」
「あの、わたしは……」
眦を細めるグレイには見向きもせず、我先にと名乗り出たのはリザベートだ。
先程のことを振り返ったら、随行の名乗りは簡単に読める。果たして、クレイシアがリザベートの我儘を許すか否かは後者で、
「リザベート。今朝、勝手にミレナ様達に同行したことも、私は許したつもりはないんですよ」
「ふえ!?」
伴った結果は見ての通り。
リザベートはクレイシアに引かれて強制執行である。クレイシアの作り笑いは、机を叩き壊した事実が相まってか妙に怖い。かなり浮世離れしているリザベートも青ざめた様子だ。
「では僕が行きましょう」
「リフ……」
非戦闘員のクレイシアやリザベートを、急襲の恐れがある護衛に連れて行くのは当然ながら却下。グレイは自らのことで手が塞がっている。
ならばと、会話の枠外にいたリフが名乗り出た。
「今、何のしがらみのない僕が最適でしょう……グレイは自分のことを優先してくれ」
リフはそう言ってグレイに向かって握手を催促。躊躇いながらも、彼はその手を取り、
「本当にすまない」
「いいんだよ。帰郷は目先の目標を達成してからだ……」
握り合った手を放した。
帰郷を先延ばしさせてしまったことに、シュウは忸怩たる思いが湧いてきてしまう。その感情を見せてことで、負担を掛けないようにと色を隠す。
ミレナには隠したことが気付かれているだろうが、彼女も野暮ではない。目を向けられて、ニッと笑みを見せる辺りがよい証拠だ。
「助かります。リフさん」
「いえいえ、事とは重なりますからね」
握手を終えたリフに、今度はシュウが握手しようと手を出す。無骨な男同士の手が重なり、何か絆が芽生えたような感覚を得た。
「それでは、私はイエギク様の最後の服の仕立てが残っていますので……」
「感謝です。クレイシアさん」
解された空気に割入ったクレイシアがシュウ達にお辞儀。件である彼は、頭を軽く下げて感謝を送った。
「そんな! イエギク様は村の救世主ですからこの程度、寧ろ恩返し出来て嬉しいくらいです!」
クレイシアは滅相もないと、両手と尻尾を振って畏まる。
目的に目が行っていた為、眼中からなくなっていたが、シャツ一着の仕立てが途中であったのを忘れていた。三着あれば、洗濯後の乾燥云々の話も気にせずにいられるのだ。
作業の邪魔をして申し訳ない、と思うばかりだ。
「では、リザベート。貴方にはこれから、服の仕立て方を覚えてもらいますからね。そうすれば、自分の服も仕立てられますし……」
「わたしが、自分で自分の服を、ですか……?」
「そうです。自分で自分の服を仕立てるのは、中々に感興ですよ。何と言っても、自由に作れますからね」
「んん!! 自由に、自分の服を、楽しそうです!」
表情を歓然に光らせたリザベートは期待に頬を膨らませた。
そうとなれば、彼女の興味は一気に仕立てにへと向かい、ミレナ宅に一直線で走っていく。それを見て「あ、待ちなさいリザベート!」と、手を伸ばしながら追いかけるクレイシアでテンプレだ。
二人を見届ければ、
「ミレナ様……クウェル達が村に来ているのは、もう知ってますよね?」
次はグレイの話したいことについてだ。
「うん」とミレナが返事をする。そして、グレイは少し苦笑いをしながら自宅を親指で差した。
「それについて今から話したいんです。シュウも、付いて来てくれ」
——大事な用件が開示される。
扉の先には、いつかに会った藍色髪の青年——クウェルと、ワインを汲んでもらった天色髪を長く伸ばした女性——ユリアが座っていた。
お世辞でも広いと言えない狭苦しさを感じる部屋。その部屋に六人が敷き詰められている状態だ。
蝋燭の乗る古い燭台を囲んで、左右にグレイとリフ。正面にクウェルとユリア。その二人に対面する形で、シュウとミレナが座った。
「どうも、初めまして。俺はクウェル・フェイド。兄さまの弟です」
——初めまして。
その言葉に思い知らされる。
シュウは今回の世界線で、彼らと会っていないのだ。本当の兄弟ではない話も、クウェルと読んでくれと言った馬車内のやり取りも、迫害の真実を聞かせてもらった話も、グレイから彼の父親について聞いた話も、ワインを飲ませてもらった話も、今では水の泡。
グレイも会っていないのを知っていたから、ミレナだけにクウェルが来たと言ったのだ。
リメア達や村民達との関係は前よりも深まったからこそ、鈍っていた。
「どうしたの?」
「あ、いや……」
ミレナに横から覗かれ、停滞していたシュウの時間が動き出す。いずれ訪れる出来事。分かっていた事。ミレナにしたように、グレイやリメアにしたように、一から築き上げればいいのだ。
少し寂しさはあるが切り替えろ。慣れている。
「俺はイエギク・シュウだ。よろしく頼む。クウェル君」
「よろしくお願いしますイエギクさん」
「初めまして、私はユリア・ホズワックです。よろしくお願いしますシュウ様……」
「こちらこそ、です。ユリアさん……」
二人と自己紹介を交わし合った、のはいいのだが、
「なんか変だよ? シュウ……」
ピクリと長耳を跳ねさせた後、ミレナはシュウにそう言って疑問を投げた。
感情の表面が読めてしまう彼女には、拙劣な舗装は無に等しい。装った理由を知りたくなるのは、性格上普通のこと。
シュウは「実はな……」と言ってミレナに耳を近づけるよう手招き。未来から来た話——事前材料を活用し、前の世界線でしか会っていない事を彼女に伝えた。
「あぁ、そういうことね」
杞憂だと知ったミレナは納得したと手を合わせ。
そんな二人の様子を見ていたグレイが「何か?」と知りたそうにしていたのを、ミレナが「それがね……」と言って、耳を貸すように手招きする。
ごにょごにょと籠った声が聴こえたら、
「そういうことか」
訝しんでいたグレイも、ミレナと同じく納得顔。身体を背凭れに預け、腕を組んだ。残された者達は、そのまた三人のやり取りを見て疑問符を浮かべていた。
「こっちの話だ。気にするな」
気付き、その一言で殴殺だ。次第、沈黙は勢力を増していき、
「それで話についてなんだが……実は昨日、元騎士の知り合いと会ってな。傭兵協会に誘われた」
グレイは話を切り出した。
「傭兵協会って確か、騎士とは違って誰でも依頼ができるあれよね?」
「そうですね。騎士は国営、傭兵協会は民営だと思ってもらって大丈夫です」
「協会ができるくらい傭兵に需要があるんだな」
「まぁな。何せ騎士は常に死と隣り合わせの仕事。傭兵はその埋め合わせみたいなもんだ。だから常に人員不足……傭兵協会に元騎士が入るのは珍しいことじゃない」
ミレナにグレイ、その次はシュウが発言。最後はグレイが傭兵について注釈した。
傭兵は死と隣り合わせの埋め合わせ。埋め合わせなら、傭兵の仕事も死と隣り合わせということになる。即ち、騎士よりも人員の入れ替わりが頻繁に行われているということだ。
何故なら、騎士から落ちた者や、騎士ですらない者が傭兵に入るのだから。
「じゃあ、グレイやリフとかの実力ある子は、その子達からすれば喉から手が出るくらいに欲しい人材なわけね」
「ですね。騎士は国から依頼を受け、赴任先の大規模を守るのが仕事です。ですが、傭兵は村や商人といった少数の民間から依頼を受けるので、使い勝手がいいんですよ」
ミレナの最もな言葉に、グレイが更に分かり易いように説明を加えた。
民間から依頼が出来るのなら、依頼の報奨金は当然少なくなる。少額で守ってもらえるのだから、確かに使い勝手はいいだろう。
これから重労働を強いられるグレイ達が心配——、
「ん?」
ふと、シュウは前言を反芻して思い至った。それとは、
「思ったんだが、傭兵になるのが珍しいことじゃないんなら、折り入って話す必要はなかったんじゃないか。普通に傭兵になるって……それとも、いやまさか!? クウェル達がいるのって!?」
素朴な疑問を呟きながら突き詰める過程で、シュウは更に思い至る。
グレイとリフは元騎士。騎士を解職となった理由は国家反逆の罪。モワティ村に訪れたフェイド家の者達。折り入って話す必要性。
この五つを符合させると、この状況の原因が微弱ながら見えてくる。
椅子を足で押して立ち上がったシュウの胸中を、グレイは悟ったように「あぁ」と相槌を打ち、
「そうだ。フェイド家の奴らを守りたいなら、傭兵協会に入れと言われたのさ。国家反逆をしたリフを、擁護した俺だ。関係者が迫害されるのは、目に見えていることだからな。相手にとって、俺たちは便宜だった訳だ」
「そんな……リフは弱い子達の為にやって、それをグレイが庇っただけなのに」
「赤の他人となれば、過程よりも、結果が見られるのは普通のことですから……」
「……弱みを握られてるわけだろ? 足蹴にされるんじゃねぇのか」
傭兵に落ちることが当たり前のことなら、シュウの言った足蹴発言は的外れではないはずだ。
騎士が守っている領地。そこから離れた場所を守る傭兵は、必然的に矢面に立ちやすくなる。弱みを握っているのをいいことに、捨て駒として使われ、最悪死ぬことだってあり得るのだ。
「だろうな」
それなのに返ってきたのは、その危殆を吞み込んでの言葉だった。
蝋燭の火——光源に、空いた窓から入ってきた虫が寄せられる。彼らの目には留まっていない。
「なら何で断らない。俺も、ミレナも、村の奴らも、二人を仲間だって思ってる! 仲間の大切な存在、クウェルやユリアさんもそうだ……頼れよ」
「いいんだ」
机に上体を乗り出し、親身に語り掛けるシュウを見てさえ、グレイの答えは変わらなかった。苛立ちがシュウの胸中を埋め尽くす。頼らないグレイの頑固さに怒り、何より頼られない自身の無力さに怒りが溢れる。
怒りの波は防波堤を追い越し、
「何がいいんだよ!」
「お前らに掛けちまう負担が多すぎるからだ!」
シュウの怒りをグレイは真正面から受け、その上で弾き返した。
空いた窓から風が入りこみ、蝋燭の火が揺蕩う。蝋燭の周りを飛んでいた虫は風に押され、燭台についた蜘蛛の居ない巣に囚われる。
「今はモワティ村に留まってるのが知れ渡ってないが、直ぐにここに居るってのはバレる! 前に亜人は悪魔だって、村民を殺そうと山を歩き回る奴もいたほどだ!! 中には殺して首を晒して、名声を得ようって狡猾な奴もいた!! これ以上の迷惑はかけれねぇんだ!!」
「————ッ!!」
何も言えず、シュウの感情は完全に矛先を失っていた。ただただ、やるせない激情のみが降り積もる。
「失敗してからじゃ遅いんだ……それに、これは俺たちは承知の上で取った行動なんだ。尻拭いくらいはさせてくれ……頼む」
視線は、立ち上がって頭を下げるグレイに集まっていた。
ミレナの息遣いの音が聴こえ、シュウは彼女が発言しようとするのを横目で感じた。
「傭兵協会に入ったあと、フェイド家の皆が守られる保障はあるの?」
「あります。幸い奴らにとって、僕たちは貴重な人材。裏切るような真似はしないでしょう……イエギク君の危惧していることも、最悪は……」
言葉の尾が詰まったのは、無いと言い切れず、有ると言いたくないが故のリフの心境を如実にしていた。
「昇進とかはあるの?」
「一応昇進も可能であるそうですが、真相はどうか……」
「最低限の保障ってことなのね……なら、せめて二人の支援だけはさせて! それはいいでしょ?」
「「わかりました……」」
グレイを見て、リフを見て、クウェルとユリアを見て、雰囲気に左右されないミレナの笑顔。肯定するグレイとリフ。温柔に表情を弛緩させるクウェルとユリア。
きっと、その信用はグレイ達が一番求めていたものだと、シュウは痛感した。
ミレナの発言は、仲間のことを信じているからこそ出せた言葉だ。仲間を思うのなら、彼女のように信用するのがベストだったはずだ。
——なのに俺はまた……
「じゃあ決まりね! シュウはこれでいい?」
「——そう、だな。助かったミレナ」
落ち込む姿を見られ、ミレナの慈愛を以った提案に顔を上げた。精神の均衡を保とうとする彼を見たミレナは、翠の瞳で見つめ、
「いいのいいの! 相手以上に相手のことを思っちゃって、から回りしちゃうのはよくあることだわ。気にしなぁぁい! 気にしなぁぁい!」
最後に頭を横に傾け、「ね?」と愛嬌な顔でシュウを励ました。
計算してやっているのか、本心で最適だと思ってやっているのか。エルフのお嬢様には脱帽だ。
シュウは全員の顔を一瞥していく。部屋の空気は纏まりつつあった。
「悪い。グレイさん」
「いいさ。お前が怒るのは何となく目に見えてたからな」
「何だよそれ……」
「タハハ! すまんすまん!」
このおっさんときたら、とシュウは頭の後ろを掻いて嘆息。
グレイの気の利いたシャレだったのは理解できたが、頭を下げたのを少し後悔したシュウである。
「……分かってくれて、俺は満足だ」
囚われた虫は、蜘蛛の巣から抜け出した。
※ ※ ※ ※
少し時間が経ち、ジッケルの森へと進軍する前夜。場所、ライラット兵站拠点。
城塞の監視塔から一人の少年が夜空を眺めていた。
監視塔に上る為の階段下から、近づいてくる足音に少年は気付く。
「よう、ローレン。どうだ調子は?」
監視塔に上って来たのは善なるオーラに包まれる男——クザブだった。彼は鋸壁に手を掛け黄昏ている花色髪の少年——ローレンに語り掛ける。
「クザブさん……身体の方は特に」
「含みがある言い方やな……精神的には良好じゃないってか」
含みに気付いたクザブは、ローレンの心中を探るように横に立つ。手には酒瓶を持ち、頬は薄い赤色に染まっていて、ほろ酔い状態だと見て取れた。
「そう、ですね」
少し忌避を乗せた苦笑で、クザブの言葉を受け入れる。
いい人なのだが、ローレンは彼に苦手意識を持っている。理由はいい人であるからだ。いい人であるが故に、苦言することもできず、咎めることもできない。
いい人にも個性があり、特有の性格があり、独自の思想があるのをローレンは人生で学んできた。
合う合わないだけで、いい人を批判するのは自身の矜持に泥を塗ることになるのだ。そのため、いい人で合わない人との対話はなるべく差し障りのないもので避けて来たローレンだ。
「はッ、神将様でも悩みはあるんやな。女か、ダチとのいざこざか?」
「そういった素朴なものなら、良かったのですが……」
ただクザブは、ローレンのことを嫌悪する点はほとんどなく、対話をすることは同業の騎士達よりも多くあった。
周囲よりも話しかけるクザブと、苦手を理由に避けるローレン。犬猿の仲と呼ばれる理由が、ここにあった。
要するに、周囲の見たイメージが噂となって独り歩きしているということだ。
「ん?」
クザブは詮索に走ろうと酒を飲んで、言外に答えを求めて来る。
そんなもので悩むわけがない、と遠回し言ったつもりのローレンだ。今回も例外ではなく、クザブから避けようとしたのだが、意識が裏目に出てしまった。
こうなればと、天命に身を任せることにしたローレンは、悩みを打ち明かそうと決心した。
「あの、私が逃してしまった敵、神人なんですよね……そのことがずっと心残りで」
「あぁ……失敗を引きずってるわけか」
「私が逃してしまったことで、人々が苦しむ未来を考えると呵責で……」
夜空に燦爛と輝いている星を見る。静かな声に小さな感情を沁み込ませるようにして、思いを吐いた。
「そっちはリメア君達が請け負うって言ってただろ? 過ぎたことにくよくよして、目下の面目躍如できない方がよっぽど責任重いぞ」
酒を飲み、陶然としている男の口から出たとは到底思えないアドバイス。起きた現実に、ローレンの感情は混迷してしまう。
ローレンの知る限り、クザブは民衆は守るが対等には扱わない冷徹な人物像があった。だが、そのような人物像とは乖離した思いやりを、彼は散見させた。
唖然と口を開けながら『この人、意外と優しい!?』と、ローレンは思う。
「で、す、よね……その、分かってはいるんですが、何というか、どうしても気になって」
目線を下に向けて、ローレンは顔を隠しながら作り笑い。全く、人の調子を狂わせてくる人だ。
真実を告白するなら、単純にクザブがローレンを己よりも強く逞しい男として賛美しているだけだった。謂わば、ただの勘違い。弱者にとことん厳しい性格は健在のままだ。
とはいっても、そのことはローレンに知る由もないため、ほつれたまま会話は進む結末に。
「お前はまだ若いしな。そういう枷はあっても仕方ないか。だが、それでも俺は言っとく。役目はしっかり果たせってな」
「…………」
「タハハハハ!! いや、悪い悪い。純粋な悩み聞くと、からかいたくなってしまからよ。ま、俺の為にも最大限サポートはするつもりだ。安心しとけ」
酒に酔っていた筈の気力の無い顔が、言葉尻になるにつれて精悍なものへと変わっていくことに、ローレンの意識が割かれる。
ところが、今度は引っ繰り返したように哄笑して、彼をからかった。
酔った者の情緒と言うのは、こうも不安定になるのだと、ローレンは憮然と肩を脱力させた。
「安酒でも飲んで気持ち楽にしとくんだな」
クザブはそう言いながら、懐に忍ばせていた酒瓶をローレンに無理やり手渡し、
「お気遣い感謝します」
監視塔からふらふらとしながら降りて行った。
足音が聴こえなくなると、もう一度夜空を眺め始める。
『そいつは脅威だ!! 殺せ!!』
かつて、悪なるオーラを纏った男——黒髪蒼眼の彼が放った言葉を思い出す。
失敗が遠因となった虐殺の未来を連想してしまう。男の言う通りにやっていたら、その未来は、
「殺し、悪……いや、私は何を悩んでいるんだ。切り替えろ。父上と母上の為にも、弱き人達の為にも……もし、シャルマなら、どうしていただろうか……」
地平線の彼方にいる友なら、どの選択を取ったのだろうか。




