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アンリーズナブル  作者: 犬犬尾
第一章 モワティ村の救済
32/116

第30話 キズアト

 薄暗い部屋の中に本を持った黒髪の男と、隣に座る黒髪の少女がいた。

 部屋の中を照らす光は、机の上にある蝋燭ろうそくの火のみ。その中には、燃え尽きることなく火が消えてしまった蝋燭が少数あった。


 その時、蝋燭が意志を持ったかのように火が消える。

 火が消えた瞬間、男の本を持つ手と両目がピクリと動いた。


 人の手によって消されたわけではない。部屋の中に、蝋燭の火を消す程の強い風が吹いていたわけでもない。ただ忽然こつぜんと消えたのだ。


「そうか……サルダーは逝ったか。もし俺の仮説があっているなら……」


「ルイス……サルダーが死んだの、悲しい……?」


 火が消えた蝋燭に見向きもせず、男は淡白に呟いた。その彼に、少女は話しかける。

 少女からルイスと呼ばれた男——ルイスの瞳には、死を受け入れる冷徹な感情がありながら、いたむような哀然あいぜんとした何かが、見え隠れしていた。


 他方、少女の顔には感情はない。強いて言うならば『興味』である。

 そう、彼女がルイスに問いかけたのは、サルダーという男の死を悼んだからではない。傍にいるルイスの心境を知りたかったからである。


「さぁ、な」


「そう……ルイスがそうなら、私もそう思うな……」


 ルイスの表情——瞳には、先ほどまでの感情はもうない。その彼の感情を読み取った少女もまた、相変わらず人形のように冷然としていた。

 会話を始める前から、二人の表情にほとんど変わりはない。


 だのに、少女がルイスの感情の機微きびを読み取れたのは、二人の間に長い関係と経験があるに他ならないだろう。


「ッ!? 誰か来るよ……ルイス」


「分かってる……犠牲は無駄にはしない」


 少女の気配察知に対して、ルイスは問題ないと言外に示唆する。


 今まで何の変哲もなかったルイスの表情に、少しだけ強い色味が出る。どういった心境の変化なのか。彼にしか分からない、何かがあるのだろう。


「やぁ、まさか君が白蛇の頭目だったとはね……」


 扉の先から姿を現したのは、金色の髪を腰まで伸ばした長髪の青年。赤い双眸に上下白い服を纏っている。

 まさかとは、まるで昔から知っているような口ぶりだ。しかし、古い知人というには、余りにも外見年齢が低すぎる二人である。


 少しうらやまし気な表情を浮かべる少女。ルイスと青年の意外な関係に、嫉妬しているのだ。それを悟らせないようにしているのが、愛嬌の現われでもある。


「俺も、まさかアンタが来るとは思いもしなかった……」


「ははっ、縁あれば千里ってね。君も好きでしょ? 昔からそういうの……しっかし暗すぎるな。それで本読めんの?」 


「これも昔からだがな」


「あッはは! 覚えてねぇ……さ、旧交を温めるのもここまでだ……さっそくだけど、始めようか……」


 言葉で素早い切り替えを入れ込み、青年はルイスの対面にある椅子にどっかりと鎮座した。そして、


「君たちも、これで仲間入りさ……」


 そのふところから小さな箱を取り出し、底の無い笑みを浮かべながら言ってみせた。




※ ※ ※ ※ ※ ※




『さて……許可は出てるし、悪戯いたずらしちゃおうかな……?』




 聞き覚えのある声が聴こえると同時、シュウの脳内に電撃が走った。そうすると、見覚えのない映像がシュウの脳内に流れ始める。


 場所は、焼き払われた荒涼こうりょうたる街の中。


「———ッ! どうすれば、このままじゃエヴィーが、エヴィー達が……」


「ここまでとは……俺が見誤ったばかりに、————! お前だけでもここから逃げろ!!」


 視界はかすみがかっていて、正確に視認することは出来ない。確認できるのは、月白げっぱくの髪の少女と白髪の青年。そして、赤黒い人型の何かとそれに捕まる男女。


「そんなの、できません! エヴィー達を見捨てるなんて、私には無理です!!」


「カハハハハハ!! 愚かだな神人とその従者共!! 俺が何故強いか知っているか? 感情に流されないからだ。仲間を切り捨てられるからだ。だが、お前たちはどうだ? 死にぞこないのゴミを捨て切れず、敵の術中にはまる。これを愚物というのに、躊躇いなどあろうか……さぁ泣き叫べ! 貴様らの仲間が死ぬ様を見て、絶望しろ!!」


「ヤメロォォォォォ!!!」


 噴き出す赤い血を見て、少女の瞳は光を失った。


 それ以降は濃くなった霞によって、視認することが叶わなくなった。次第に視界を覆っていた霞は薄くなり、今度は違う場所が映し出される。


 円錐えんすいのような形の山が連なった土地だ。その内の一つのふもと。そこに小さな一本の木と、横たわる墓石。そして、月白の髪の少女と白髪の青年がいた。


「国、追放されちゃいましたね……」


 掠れた声だった。空元気だというのが、夢でしか知らないシュウにも簡単に分かった。


「そうだな……悪い、何も出来なくて……————のおかげで、俺の仲間の命は救われた。感謝してる。ありがとう……」


 青年は分からないなりに、精一杯言葉を選んで返したのだろう。

 憂いに沈む表情が、それを物語っていた。


「いえ、いいんです……闘いに、犠牲は付き物ですから……今回は、私の……私の仲間達が、犠牲に…………犠牲になった、だけですから……」


 月白の髪の少女は泣かないようにと握りこぶしに力を入れ、唇を弱く引き結んだ。

 少女の後ろ隣りに立つ白髪の青年。彼はその彼女を見て、表情を変えることなく拳に力を入れた。

 青年もまた、少女のように愁傷しゅうしょうしているのだろうか。或いは、少女のその強くあろうとする姿に、憂思ゆうしを募らせたのだろうか。


「…………これ、あいつらが持ってた首飾り……一部しか持って帰れなかった。悪い……」


「……そんなこと……ありがとう、ござい、ます……」


 青年は強く握った拳の中から月白の石を取り出し、それを少女に手渡した。受け取った少女は墓石の前まで歩き、座り込んで両手を合わせる。


 故人を悼んでいるのか、しのんでいるのか。はたまた、その両方か。二人のことを何も知らないシュウに、推し量ることは出来ない


「————の仲間も、————に持ってもらえてるんなら、少しは報われたと思うからよ……」


 少女の長い髪が、風によくなびいていた。


 もう一度、濃くなった霞によって視認することが叶わなくなる。そしてまた、今度はこの映像を見ろと言わんばかりに、霞が薄くなった。

 

 場所は山の中だ。高く険しい山と、霧に囲われる様は仙境と呼ばれる世界に似ている。


「なぜ私に、そこまで優しく接してくれるのですか?」


「——同情だよ。それ以上でもそれ以下でもない」


「そうですか……———は優しいのですね」


 少女の何気ない質問に、青年は淡白に答えた。

 青年の返答に少女は幼い姿ながら、大人のような優婉ゆうえんな笑顔を作ってみせる。


「なんでそうなる。同情だぞ、同情……相手よりも、てめぇの気持ちを優先した、汚ねぇ感情だ」


 溜飲が下がらないと言いたげに、青年は額に手を当てて首を振る。その彼の困り具合に、少女は可笑しそうに頬を弛緩させて「だからです」と言った。


「毎回思うんだが、俺が同情って答えたら、全員そろって拒絶しないのはなんでだ? 自分の為にやったって言ってるのによ……」


「分かりませんか……? だって裏を返せば、それは単純に、相手を慮っているということになるからです……」


「わっかんねぇ……」


 気恥ずかしさを紛らわしたいのか、青年は頭を軽く掻いて外方を向き、岩に背を預ける。その彼の分かり易い仕草に、少女はまた面白おかしそうに「そうですか……」と、頬を弛緩させた。


 それから少女は深呼吸して、


「この力も、今では慣れました。それも、———のおかげです。本当に私は———に感謝しているんですよ」


 外方そっぽを向いたまま岩に背を預けている青年に、微笑みながら歩み寄った。


「感謝……か」


「…………?」


「いや……気にするな」


 その時の青年の表情は、暗くて見ることが叶わなかった。




※ ※ ※ ※ ※ ※



「……」


 目が覚めた。知らない天井、ではない。一度見たことがある。というか、一度体験したことがある。誰かの夢を見て、目が覚めたらミレナの家。

 またか、と既視感だ。


「誰かの夢……なんか頭ん中で、創造主が話しかけてきた気が……」


 見たという確信はあるのに、何の夢だったのかは曖昧だ。

 現実と夢が混在しない為に、脳が見た夢を忘れようとする、アレだろうか。


 そう思惟しゆいしている内、シュウはふと現実のことを思い出し、


「いや! そんなことより! ミレッ!」


 夢のことを忘れて起き上がった。

 

「すぅ……すぅ……ん、んんぅ……」


 シュウの視線の先には、椅子に座り、寝息を立てて眠る薄緑髪の少女がいた。よだれを口の横から垂らして無邪気に寝ている姿は、昏倒前の闘いを忘れさせるほど、長閑を彷彿ほうふつとさせている。


「…………あれから、どう……」


 シュウは昏倒前の記憶をゆっくりと呼び起こす。


 詐欺師が出現させた光りの箱に飲み込まれ、どうしてか脱出でき、逃げる詐欺師を急追しようとしたが、身体が言う事を聞かず昏倒してしまった。


 そして今は、助けると誓ったミレナに介抱される始末である。覚悟を翻意しておいてこの結果だ。

 情けないの一言に尽きる。


「とにかく、難は乗り越えられたってことでよさそうだな……ありがとうな。ミレナ」


 悔悟は後にでもできると、シュウは利己的な感情を排して、ミレナの頭を撫でた。

 身体の節々を覆っていた白い侵食が、一切感じられないほどの快癒かいゆだ。見た目だけではない。手足を動かして検めたところ、感覚の無かった四肢の先も支障なく治っている。


「いや……」


 ミレナの肩に手を置こうとした直前で、シュウはそれを止めた。疲れて寝てしまうまで介抱してくれた彼女を起こすのは、流石に忍びない。

 ベットを枕にして、眠ってしまっているのがいい証拠だ。


 一日、二日かそれ以上。付きっ切りで看病してくれたのだと思う。


「お前には感謝が絶えないな……取り敢えず、クレイシアさんに話聞くか」


 今確かめたいのは村民の安否だ。それとグレイやリフ達騎士の生存確認と、大きく変わるであろう今後の流れ。神将に頼んだ奴隷の少女のことも気になる。


 村民やグレイ達とは、自分が一方的に知っているだけの関係になってしまったが、それでも一度は顔を合わせたことがある者達だ。

 生きていてくれたのなら、安心できる。というか確認して安心したい。


「さて……」


「イエギク・シュウさん……貴方に話があります」


「…………アンタ、まさか……」


 腰を上げたシュウを止めたのは、翠の瞳が青に変わったミレナだった。それは、彼女の中で眠っている水魔法の創造神アルヒが、表に出て来た時に起きる現象だ。


 名指しで話があるとは。唾を飲んだシュウの顔が、真剣なものに変わる。


「そこまで細謹さいきんしなくてもよろしいですよ。ただ、真剣な話ではあります……貴方の察する通り、私は水魔法の創造神であり、アルヒストの主神アルヒです。この子の意識がない且つ、貴方とだけ話すことができる時……この限定的な条件下で、この子の身体を借りたのは、そういうことです」


 そういうこととは、ミレナや他の誰かに知られたくない話ということだろう。

 知られたくない。十中八九、彼女の禁忌に関する何か。


 禁忌。ミレナの過去。一族の虐殺に繋がる情報。可能性は十二分にある。


 ミレナが自身を年長者と豪語したように、長寿であるのは間違いないはずだ。アルヒがその中で、彼女の過去の情報をいったい何人に明かしてきたのか。

 『限りなく少ない』と、シュウは自問に落としどころを作った。


 本心で「細謹しなくていい」と言ったのだろうが、胃が潰されそうだ。


「どうかしましたか?」


「いや、大丈夫です」


 ともかく、責任重大であるのは間違いない。精神が打ち上げられ過ぎて、大気圏を越えそうである。ガンバリマス。


「では……聊頼りょうらいする身で僭越ではありますが、貴方がこの子を任せるに足り得る存在か……ここで見定めさせてもらいます。もし、貴方が任せるに足り得ない存在なら、この子の元から、モワティ村から去ってもらいます……」


 だが、返って来た言葉はミレナの過去云々などではない、それ以上に過酷な見定めであった。


「見定め……あと、任せるって、その言い方だと……」


 シュウはモワティ村を去らなければならないことよりも、アルヒの含みのある言葉に注釈を求めていた。

 何故なら任せるという事は、ミレナとはもう関わらないという事になるからだ。なってしまうからだ。


 アルヒはミレナの中に眠っている魂。いやおうでも、ミレナと共にいなければならない。なのに任せる。それは——、


「そう、ですね……ですが、決してこの子を見捨てるというわけではありません」


 最後に「イエギクさん」と呼ばれたシュウは「はい」と答えながら手を突き出した。

 彼の察しのいい行動に、アルヒは首を左右に振り、


「その必要はありません。卒爾そつじではございますが、三日前、この子が私と変った時に、貴方について少しだけ見させてもらいました。この子が貴方を好いている理由も重々、理解できます。貴方の本質にも、気付いたうえでしょう」


 黙ってシュウの性質を見たと、誠実に吐露した。


 シュウは顎に手を当てて「だからか」と、独り言ちる。


 自分の本質とは、間違いなく暗殺者であったことだろう。人殺しに対しての問いかけが、それを顕著に物語っている。

 問えるということは、既にシュウはその境地を逸していることに他ならない。


 見定める。その言葉の意味が見えてきた。


「故にといえましょう。度し難い相手であったとはいえ、この子は貴方の為に、殺しを決意しました。当然この子が自分で苦慮し、選択したことです。否定などはしません。ですがそれは、この子は貴方の為なら、辛い思いも許容できてしまうということです……」


 芯のある双眸。アルヒに心を刺され、シュウは視線を落としてしまった。

 彼女が自分のことを、そこまで慮っていてくれたなんて、思いもしなかったのだ。ミレナにとって、自分はそこまで価値のある者になっていたのだ。


 考えすぎだ、と履き違えてはいけない。

 ヴォルフにも指摘されたことだ。返報性の原理。自分がした行動は、ミレナにとって価値あるものだったのだ。


「そうだったんですね。俺は……ミレナに辛い思いを……」


 甘受ではいけない。手段にしてはいけない。事実として重く受け止め、仲間として思い合える仲になりたい。それも、自然に意識することなく成せる仲に。


「返せ、ますかね」


「それはあなた次第です」


「あ、ですよね……」


 淡然たんぜん右掌みぎてのひらを見せられ、至極普通の答えを返されてしまうシュウ。思わず、間の抜けた顔と声で返してしまった。

 激励の言葉が貰えると期待した自分に、恥ずかしさを覚える。甘えるな、ということだ。精進します。


「話を戻しますね……この子が、貴方を失いたくないと強く願った時、過去を思い出しかけたのです。さきほど言及したように、この子は貴方の為なら、辛い思いも許容できてしまいます……貴方がきっかけで、この子の凄惨せいさんな記憶が蘇ることは、大いにある」


「ちょっと、待ってください……記憶が蘇るってのは、そんなに悪いことなんですか……? 彼女の過去は、あらましなら知っています。一族の虐殺……それをアルヒさんから聞かされたってのも、知ってます……というか、何で隠してるんですか?」


 青い瞳のアルヒにシュウは詰め寄った。


 今まで訊くことがついぞ叶わなかった、過去を詳細に教えない理由。何故アルヒは、ミレナの過去を詳細に話さないのか。


 自分の過去の記憶。例えそれが暗鬱あんうつなものであっても、知っておきたいと思うはずだ。

 何より、迫害を受けた亜人を匿うようなミレナが、仲間思いの彼女が、自分の過去から目を背けるとは考え難い。


 同胞の死、その元凶が虐殺なら尚のことだ。


「この子の為にならないからです。辛いだけの過去だからです。それに私自身も、とある人物から事のあらましを聞いただけで、熟知している訳ではないのです」


 衝撃の事実だ——いや、改めて考えてみれば衝撃ではない。


 だって、過去のあらましだけを教えて、詳細なことを一切伝えないのは、中途半端に過ぎるからだ。

 ミレナを任せられるか否かを、見定めようとしているアルヒだ。そんな彼女が、あらましだけをミレナに教えるというのは考え難い。というかないだろう。


「でも、貴方がいれば、この子は自身の過去と、必ず向き合うことになる……私は、それが酷く恐ろしいのです。自分の子が変わってしまう。それが、決してくない方向だと分かっているのなら、止めたいと思うのは、間違いではないはずです。間違いなど酷烈こくれつです。ですから、自分の子を悪い方へ誘ってしまう貴方が、今は、ただただ憎い」


 その言葉は、親が子に抱く万感の吐露だった。

 子が成長して、自身の元から離れていく寂しさ。子が親の自分よりも、他者を思うようになる悔しさ。子が成長するにつれ、世の中にもまれ、純粋ではなくなっていくのを、見守ることしか出来ない憤り。不甲斐なさ。


 それらが詰まっていた。


「…………間違いとか、正解とか、俺には見当もつきません」


 親の立場など自分にはわからない。分かるなどと、うそぶくつもりもない。

 ただ、それ故にと言えるだろう。余所者であるからこそ、親の思いを、子を縛り付けてしまうエゴを、打ち砕くことが出来る。


『それに全部、私の問題だもの』


 前回の世界線で、ミレナと手紙のやり取りをした時に、彼女が発した言葉だ。あの時、彼女の胸中を知る由はなかった。ただ、今なら少しは推測できる。揣摩しまできる。


「でも……」


 ——過去を思い出せない自分に、義憤を抱いている。


 ——弱い自分に、逃げた自分に嫌気がさした。


「失礼ながら言わせてもらいます。止めたい、その自分の欲を突き通す為だけに、本人の意思を捻じ曲げるのは、親のすることではないと思います」


「私が、この子のためではなく! 自分の為に言っていると!?」


「違うんですか……?」


 アルヒの価値観を根元から瓦解させてやろうと、シュウはその諸目もろめを射殺すように見つめた。剣呑な雰囲気が、室内の空気をよどませる。


「ミレナがそう言ったのならわかります。でもそうじゃないから、寧ろ、ミレナが過去と向き合おうとしているから、こうまでして、俺だけと話そうとしたんですよね?」


「それは……」


 アルヒはそう言いながら視線を逸らした。

 彼女の瞳の中心にある芯が、波打つように揺らいだのをシュウは見た。


 自身の過ちを理解した者ほど、物事を透徹とうてつとした瞳で観れるものだ。諭さなくては、ミレナとアルヒの間に軋轢あつれきが生じてしまう前に。過去を思い出そうとするミレナを、アルヒが親のエゴで止めに掛かってしまう前に。


「自分が正しいって思うのは、簡単ですから……俺も、そうでした。いや、今もです」


 師匠が死して託された物すら、目もくれずに逃げた。逃げたことに言い訳をして、自分を正当化してまた逃げた。犯した罪は消えない。

 

「大切な人の為なら何でもできる。自分の厚意はその大切な人の為になる。今までやって来たから、前もそうだったから、他の誰かの為にはなったから……理由は様々です」


 師匠の為なら何でもできると思っていた。自分の厚意が師匠の為になると思っていた。


 だが違った。違ったのだ。


 本当は、大切な人の為に何かできる自分に、厚意を他者に向けることが出来る自分に、心酔していただけだった。


——だから、俺は逃げちまったんだ……


「おかしな話じゃないですか。例外を考えてないんです」


 淡白な声質とは相反して、シュウの目は凍える程に死んでいた。


「いざやってみて失敗すれば、頭ん中では論理的に自分を擁護して……大切な人なのに、我欲まみれの抗弁して……結局、それって自分が可愛いだけじゃないっすか」


 泡沫ほうまつではあるが、憎悪にも似た自己嫌悪が激情となって、室内を席巻せっけんした。


 シュウにとっても、師匠にとっても片が付いた話だ。それでも、犯した過ちに対して、自分自身に抱いている憎悪が摩滅まめつすることはない。


 ——僅少だけ、アルヒに視点が映る。


「…………そう、ですか……浅慮でした。申し訳ありません」


 泡沫であっても、彼のそれを見たアルヒの脳裏には、忘れられない記憶として深く刻まれた。

 アルヒはシュウの過去に、深くは触れていない。触れなくてよかったといえる。その禁忌に触れるには、二人を隔てる距離があまりにも遠すぎたのだから。


——視点はシュウに戻る。


「いえ……こっちこそ、取り乱しました。申し訳ないです」


「——貴方がどういった御仁なのか、理解できました」


 感情を抑え込めなかったと、頭を下げるシュウ。その彼に、アルヒは寂しそうに目を伏せた。


「そうっすよね……」


 シュウには彼女のその姿が、諦念ていねんしたように見えてしまった。奸悪かんあくな本性を見て、アルヒがミレナは任せられないと諦念した。そう思ったのだ。


「イエギク様の仰る通りだと思います。犯した過ちを、他者から罪だと指摘され慚愧ざんきするのではなく、自ら罪だと自覚し慚愧する……その道は、きっと辛く険しい道なのでしょう」


 ところが、実際に発せられた言葉は、シュウの思惑とは一片とも接触することのないものだった。

 言葉の節々には、敬服けいふく羨望せんぼうが感じられた。開かれた瞳には、憧憬どうけいが孕んでいた。


 アルヒのそれは紛れもなく、シュウを認めた証左の何ものでもなかった。

 シュウは何故、取り乱した自分が認められたのか、理解できない。


 その馬鹿なシュウを、アルヒは暁諭ぎょうゆするように、


「自分に厳しい貴方だからこそ、この子にも厳しくできる。この子に道を示せる。そして、私以上に優しく出来るのですね……」


 彼の諸目を見て、慈しみのある顔で話し始めた。


「この子が貴方を好いている理由。それが、事実としての受け止めではなく、実感として分かった気がします……自分の厚意が、必ずしもその者の為にはならない……経験、先入観とは牢獄ですね。誰かに諭されなければ、脱することはできない。それをまさか、私より幾百万も年下の、実子ではない子に再認識させられるとは……」


 夏であるのに閉め切った窓。日が昇って来て、少し蒸し暑くなってきている室内。

 アルヒはシュウから視線を逸らし、外の景色を見つめた。それから彼女は、穏やかな世界を、壁の奥から聴こえる生活音を、今あるこの時を、嘆賞たんしょうするように深呼吸した。


「…………」


 シュウは彼女を、口を閉ざして見ることしかできなかった。

 親の姿。例え諭すことが必要なことだったとはいえ、催促してしまったことに、後ろ髪を引かれてしまう。


 郷土から離れ、旅立つ子を寂しくも満面の笑顔で見送る親。今のアルヒはまさに、それであった。

 なまじ漢であるシュウには、それが分かってしまう。


 シュウは悲愁ひしゅうしてしまった。


 アルヒはシュウに見せないように、瞬目だけ微笑んだ。


「イエギクさん。私は、この子が過去との決着をつけるその時まで、表に出てくることはありません。この子には、そのことは言わないで下さると有難いです」


「言ってほしくない理由は、なんとなく察しました。なら、出てこない理由を訊いても?」


「はい。理由はこの子の為です……分かっています。イエギクさんに言われた事を加味したうえです……その時を待つ、心苦しいですが、それが私たちの罪ですから……それまで、この子のことを頼んでもよろしいですか?」


 小さな胸に手を当てて、アルヒはシュウに信託した。


 村にある聖堂の女神像と、ミレナの身体を借りたアルヒの姿が重なる。その聖堂の女神像と、本当のアルヒの姿が同じかは分からない。けれども、シュウはその女神像を彼女だと思い、見据えた。


「俺でよければ、いくらでも頼られてやりますよ」


 シュウは自身の拳を胸に当てて、アルヒの信託を快諾した。

 アルヒは「感謝します」と、謹厚きんこうに頭を下げる。


 モワティ村の村民に、家政婦のクレイシア。グレイやクウェルに騎士団の男達と、長官のリメア。最後に女神のアルヒ。

 八方美人顔負けの愛され上手だ。このミレナは。


「……ったく、果報者ですね。こいつは……」


 愛され上手なミレナを、シュウはからかうように嘆息たんそくした。


「です。みんな、親バカですから……」


 一拍の沈黙。物理的な時間はわずかであるのに、シュウにはその時間が長く感じられた。


——別れが近い。


 別れる前に、最後に残った後悔——悪感情を払拭させたい——、


「……アルヒさん! 生意気な事いってすいません。それと……ありがとうございます! 絶対、こいつが腹の底から笑えるようにしてやります。なので……」


 そう思った時、既にシュウは行動に——彼女の手を握り、目を合わせて言っていた。


 反射的にそうしてしまったのは、顔を合わせるのが最後になると思ったから、だと思う。

 最後はせめて、印象の良かったものにしたい。『あぁ、こいつに任せてよかった』そう満足してもらう為に。いい漢だと認めてもらう為に。


「ふふ! あは! あははははは!!」


「……? 俺、なんか……」


 面白おかしく笑うアルヒに、シュウは戸惑う。


「あぁいえ! 女神でもあり、母親でもある私を誑かそうとは……全く、破廉恥な人です」


「いや! そんなつもりは……」


 釈明するアルヒからシュウは手を放し、深々と頭を下げる。

 その彼に、アルヒは唇の前に人差し指を置いて、


「私は超が付く大人なので、問題ありませんが、無暗に、先ほどのようなことはしてはいけませんよ……」


 愛嬌あるミレナの顔でありながら、艶冶えんやに笑ってそう言った。


「では……私はこれで、貴方とその仲間に、幸福な未来があらんことを……」


 右手の人差し指と中指をクロスさせ、アルヒはシュウに祝福の言葉を送った。

 本当の神から加護をたまわれた自分もまた、ミレナと同様に果報者なのかもしれない。


 アルヒはミレナから身体を借りる前の態勢——ベットを枕にして目を瞑った。


「そう寝るのか……無暗に、ね」


「ふぇ? ぅんん~~はぁ……あ!」


 しばらくして、ミレナが目を覚ました。シュウは彼女が目が覚めるまでの間、鈍った体を解す為にストレッチ。それと、軽い筋トレをしていた。

 シュウは目を覚ましたミレナに、片手を上げて、


「おはようさん」


 朝の挨拶をした。


「シュウ起きたの! もう大丈夫!? 身体の具合は!? 三日も寝たっきりだったのよ!? どれだけ心配したと——ッ!」


「待て待て、分かったから落ち着け……俺は無事だ」


 長耳をビクッとさせて、ミレナは翠眼に憂憤ゆうふんと安堵を滲ませる。そして、鼻息を荒くして顔を近づけてくる彼女に、シュウは両手で制止の合図を出して無事を告げた。

 顔は少し苦笑いである。


「そう、ならよかった……お腹減ったよね? おにぎり作ろっか?」


「母親か!? てか、おにぎりはいい……」


 ツッコミつつ、ミレナにおにぎりと言われて浮上する記憶は、具が甘い木の実であったことだ。しかも、あれは今回ではなく前回の世界線で起きた出来事。

 恐らく、彼女におにぎりを頼めば、甘い木の実が入ったものを渡されるだろう。てか、絶対そうなる。


「そういや口元、涎の跡ついてんぞ……」


「え? あぁこれはこれは、お恥ずかしや……」


 シュウは自身の口元に手を当て、涎の跡が付いている場所をアピール。苦笑いしたミレナは小タンスからタオルを取り出し、それで跡を拭きとった。


「おにぎりが嫌なら、パンにする? ジャム塗って持ってきてあげよっか? グレープとマンサナのジャムは切らしてるから……南のミララン産フレーズジャムか。北のフェアラード産マーマレードか。どっちがいい?」


「フレーズ? あぁ苺か……久しぶりに、ヨーグルトに掛けて食いてぇな」


 ミレナにジャムと言われ、昔を思い出す。


『ヨーグルトに苺ジャム掛ける?』


 ジャムを掛けたヨーグルト。幼い頃は母親のツグハと、苺ジャムを掛けたヨーグルトを、よく一緒に食べていたものだ。


「ヨーグルトってヨウルト? 乳を発酵させたやつよね?」


「そうだな。こっちではヨウルトっていうのか」


「ジャム掛けたヨウルトも美味しいわよね! 身体にもいいし! ふふ! それじゃあ、早速持ってくるわね!」


 アルヒの言っていたことは真実であった。

 彼女の中で自分は、本当に価値のある存在になっていた。誰かからの信頼——シュウはそれを、遠く享受きょうじゅしがたい存在だと思っていた。


 だがどうだ。今、それが目の前にある。

 罪が消えることは無い。だが、その罪など気にも留めず、一人の人間として認めてくれる仲間がいる。


 異世界でミレナ達に会えたことに、心から感謝しよう。


 他愛のない、日常的な会話。当たり前のようで、当たり前ではなかった温柔おんじゅうな日々。

 これを守る為に命を賭ける。あの詐欺師を殺して、今度こそクソッ垂れた運命にケジメを付けてやる。必ずだ。


「ミレナ!」


「ん? なに?」


 シュウは言い忘れていたと、扉に手を掛けるミレナに声を掛けた。小首を傾げて疑問符を浮かべるミレナに、シュウは今後もよろしくの意を込めて、そう言ってやった。

 その言葉とは、


「介抱してくれて助かった……それと、互いに無事で何よりだ!」


 感謝であった。


「うん!」


 微笑み、微笑み返される。

 その時、ミレナの笑顔が、生前に出会った銀髪の少女と重なる。


『はい! お兄さん!!』


 母親のことを思い出したことを転機に、シュウはもう一度過去を振り返った。

 銀髪の少女。異世界に留まってから、それなりに日が経った。


「あいつ、元気にやってっかな……」


 窓から外を見る。視線の先に生前の世界はないだろうが、その先にあると信じて見た。

 二度と戻れないのは、悲しくはある。でも、異世界に留まってよかった。


——窓から外を見たアルヒと、シュウの行動がそこで重なる。


「あ! 結局ジャムはフレーズでいい?」


「フレーズで」


「バタン!」と、ドアを勢いよく開け、戻ってきたミレナにシュウは軽く答えた。


 ライ麦パンで硬かったが、苺ジャムの乗ったパンはかなり美味かった。

取り敢えず一章完結です。

僕の執筆スピードが遅いせいで大分時間が掛かっちゃいました。

申し訳ないです。


後は幕間の話を投稿して、二章に挑みます

『先が気になる!』『もっと見たい!』という方はブクマお願いします!

『面白い!』『感動した!』『キャラがいい!』など感じた方は星評価の方もお願いします!


ではでは! こまで付き合ってくださった読者様、本当に感謝です!!

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