第26話 それぞれの闘い
無名の森に入った瞬間、微動すらしていなかったミレナの長耳が、水を得た魚のように動き始める。続いて、シュウの第六感が敵の殺気を捉え、遅れて同乗者の残り三人が気付く。
——予想通り、残党は現れた。
「居る……それも、いきなり木の陰から急に現れたわ。多分、光の魔充石を木の幹の間か、何処かに仕込んでたんだと思うわ」
敵が何処から現れるのか知るため、ミレナに共感覚を使ってもらっている。運が良ければ、敵の仮拠点を突き止められると思っていたのだが、やはり敵の計画性の良さだ。予断は許されない。
「拠点は村の近くにある空洞一つだけか……」
拠点は一つだけと考えてよさそうだ。モワティ村付近にあった空洞。リメアの見立てでは、高位の土魔法師なら入り組んだ空洞を作ることは可能らしい。
家屋やテントと違って、拠点が地下なら隠蔽は容易い。 それに加え、転移魔法を使ったとしても気付かれにくいというメリットもある。
村の近くに拠点があったのは、恐らくリフの仕業だろう。魔刻主の彼なら、光の魔充石をすり替えたりしても違和はない。
「多分ね……シュウが未来で捕まった場所よね?」
「あぁ、俺を洗脳しようとしたのか。そこが敵の腐朽になった」
問いかけてくるミレナに、シュウは過去の出来事を簡捷に話す。
自称サキュバスの女に、乾物を口の中に入れられた直後だ。
脳が溶かされるような甘美な感覚が訪れ、理性が踏みにじられるかのような恋慕が全身に走ったのだ。
女の全ての言葉が、仕草が、匂いが、存在そのものが蠱惑に感じられ、蜜の中にいるような形容しがたい歪さがあった。
だが女の策謀は徒労に終わり、その隙に斃すことができたのだ。
そして、死ぬ前に放った言葉——『私の魅了が効いていない』という述懐。二の句が継げないような顔だった。
これらから類推するに、女が自身の洗脳技術を誇示していたのは確かだ。
ここで魔法ではなく技術と呼ぶのは、ミレナやリメア達からの「そんな魔法は存在しない」という発言から来ている。
「あとは、詐欺師と女が、どのタイミングでどこに現れるかだな」
一番重要で一番危険なことが遺漏している今、慢心は許されない。いざとなれば、仲間が扶助してくれるとは考えない。
——俺の手で、奴を殺す。
シュウは自身の心を沈めていく。
殺しは慣れない。だが、それだけだ。心を沈めればどうという事はない。
「いい顔やな。仲間のワシが武者震いしてしまったわ……」
「殺しを、躊躇う訳にはいかねぇからな……」
まるで昂り溢流しようとする興奮を抑え込むように、ヴォルフは身体を丸め、左手を右肩で摩る。その彼に、シュウは冷然と返した。
いま分かった。この男は闘いを好む戦闘狂だ。こちらを試すように威圧してきたのは、彼なりの値踏みだったのだろう。
言葉通り、良い評価をされたのだと思っておこう。
「その通りや……さて、出番やな」
扉に手を掛けるヴォルフの雰囲気が、獰猛なものに変貌したのをシュウは見た。
筋肉は倍近く強張り、顔は快然たるものに。その面影がほとんどない容姿は、獲物を求める獣と言っても過言ではない。
彼の読めない表情——掴み切れない心象の理由は、これであったのだ。
獣心。
普段は燃え滾る獣の精神を抑え、自身の本性を偽っていた訳だ。
騎士とは似ても似つかない獰猛な雰囲気は、理性の無い獣と差異はない。
「———ッ!!」
ヴォルフは扉を粗雑に開けて跳躍した。
振動で馬車が揺れ、シュウは身体の重心を元に戻そうと両足を広げる。そして呆然と口を開けて、暗い森の中に消えたその背中を見つめた。
シュウの膝の上に座るミレナも同様である。
その二人とは打って変わって、彼の本性を知っていたポポットとシュアシュは冷静に、反対方向の扉を開け、
「後ろは俺たちに任せとけ!」
「前のことは頼みます」
「あぁ!」「わかったわ!」
根を詰め過ぎず、かといって軽すぎず。緊張の無い笑顔で馬車から飛び降りた。
後方の馬車にシュウとミレナ、御者台に乗る騎士。次に前方の馬車は五人の騎士。最後は森の先で待機しているグレイ達。彼らと共に残りの残党と相まみえる。
降りる——いや、決戦の前にやり残したことが一つあった。
「ミレナ……」
ミレナの翠色の瞳を、シュウの蒼色の瞳が捕まえる。瞳に憂いが混じっているのが見て分かった。
この状況下で名前だけを呼ぶ。目敏い彼女なら、何か大切なことを言われるのだと、察したはずだ。
「何、シュウ?」
「…………」
ミレナの慈しみある眼と表情——慈顔に、シュウは今から話すことを躊躇ってしまった。
今から問う事は、彼女の全てを汚す行為になる。いや、違う。それは言い訳だ。自分に正直になろう。
本当はその問いかけによって、自分が軽蔑されるのではないか。そう思い、踏み込めないでいるのだ。慄いているのだ。
「いいよ。私、幻滅なんて絶対しないから……言って」
ミレナは嫣然と笑って、シュウの手の上に手を落とした。
こちらから踏み込もうとしたはずが、逆に彼女に踏み込まれてしまった。
それが重く、痛悔としてシュウの胸中を苛む。
——柔いのは、やっぱり自分の方だった。
安心しろ。彼女は強い。
——話せ。ミレナを信じろ。
ミレナから力を借りたことを更なる愚行で汚さないように、シュウは腹をくくった。
「——これから、俺たちは危険な場所に踏み入ることになる。どうしようもない奴と戦うこともあるだろう。そんな奴を生かしたことが原因で、仲間が殺されることだって、あり得ない話じゃない」
言葉に躊躇いは無かった。恐怖も、忌避もない胆気を持って踏み込めた。
「そんな奴を、殺さなければならない時が必ず訪れる……だからここで訊く。ミレナ、お前に、人を殺せる覚悟はあるか……?」
シュウは更に奥へと踏み込み返すように、ミレナの華奢な手の上に、自身の硬く大きな手を乗せた。
彼女の最初の言葉は「…………怖い」であった。
「人を殺すことなんて、考えたくもないわ……」
そう続けるミレナの声も、恐怖の感情が多くを占めていた。だが、途中から、
「でも、私の代わりに、誰かがしたくもない人殺しを強いられるのなら……」
その恐怖が影も形もなかったかのように、
「私は、やれるわ!」
後から紡がれた声には胆勇が溢れていた。
倒錯とは違う、恐怖を覆い尽くすような真勇があった。挫けても強く持ち直せる心があった。
艱難辛苦にも尻すぼみしない、堅忍不抜のミレナが居た。
それは誰かの為なら強くなれる、彼女らしい美麗の現われであった。
「そうか、わかった……嫌な話をしたな。悪い」
「うんうん、いいの。年長者の私が、嫌なことから逃げてばっかりじゃ、駄目だもんね」
その覚悟があるだけで充分だ。
ミレナに人を殺させるつもりなど、毛頭ない。昂然と気高い彼女を汚さない為に、言い出しっぺで、慣れている自分がその罪を被ろう。
「よし! じゃあ背中に乗れ!」
「わかったわ!」
膝の上からミレナを下ろし、背を向けて彼女を見る。少し遠慮しながら、背中に乗るミレナをシュウは待った。
乗ったのを確認すれば、軽く彼女の身体を持ち上げて背負いやすい位置に。
御者役の騎士から降車の合図を受けて、シュウはミレナを背負ったまま馬車を降りた。
あの時かけられた、希求の言葉を思い出す。
『シュウ、私を助けて』
『絶対に助けてやる! 何が何でも絶対に!!』
例え、二度とその言葉を聞くことが無くても、ミレナがそのことを知っていなくても『助ける』と約束を交わしたのは確かだ。
『クソみてぇな運命を、俺が!! 絶対に変えてやるよ!!』
覚悟を翻意して、『変える』と自分に誓ったのは確かだ。
「吠え面かかせてやるよ、運命さんよ」
シュウは天を仰ぎ、世界を見下ろしている創造主に向かって啖呵を切った。
視線を元に戻すと、こちらに警戒した黒いフードを被った者達に、取り囲まれていた。顔は黒い布で隠され、対格差だけでは男女かどうか見分けがつかない。
「エルフの女を発見! 逃げる気だ! 捕獲しろ! それ以外は殺していい!!」
黒いフードを被った者達は、武器を取り出してシュウとミレナにじりじりと接近していく。
人数は多い。だが、今背中にはミレナが居る。高位の水魔法師であるミレナがだ。
彼女の魔法と自分の身体能力——圧倒的な力で、残党たちを殲滅。そしてこの中を掻い潜り、金髪の詐欺師を見つけ出す。
あの存在だけは、確実に殺さなくてはならない。そうしてやっと、クソッ垂れた運命を乗り越えたことになる。
心に慢心はない。大丈夫だ。
「ミレナ、行けるか?」
「当然!」
「よし、行くぞ!」
——今回は、乗り越えてみせる!!
——視点は切り替わり、ヴォルフへ。
片手両足を泥濘に付け、獣が威嚇するように犬歯を剝き出しに。そして地面についていないもう片方の手で、両手持ちの鉈を軽々しく持ち、前方にいる敵を見据える。
その後ろから、ポポットとシュアシュが走って追いついた。
右手は片手剣、左手は小さな盾を装備しているポポット。シュアシュは両手でメイスを持っている。
姿勢を低くし、獣のような四足歩行で移動するヴォルフと違って、ポポットとシュアシュは二足歩行だ。
彼らの移動方法が違う理由は、ヴォルフは我流で騎士に。ポポットとシュアシュは、人類に訓練を受けて騎士になったからである。
「逃げず向かってくる……加えて、乗っている奴も違う。そうか、妙な違和感はこれか! まぁいい! プランが変わっても、俺の役割に変わりはない!! お前らは前の馬車を追え!」
黒いフードを被った集団——その中心に居る男が、他の仲間に指示を送る。
彼らにとって、予定外すらも視野の範囲内だったのだろう。虚を突き、優勢のまま推して参ろうと思っていたが、まさか劣勢を均衡状態まで持っていかれるとは。
寧ろ、優勢を均衡にまで持っていかれたため、こちら側の方が劣勢と言えるか。
「いい心構えやねぇか。戦意喪失されて、戦う前から萎えさせられるのだけは、勘弁してほしかったからなぁ……好敵手に会えて、久々に血が騒ぐわ!! 他の奴らはおまんらに任せたぞ!」
「「了解!!」」
ポポットとシュアシュは口答えすることなく二手に別れ、馬車を追う敵に向かって走った。
——あの男、かなり強いな……
妙な違和感と言ったが、まさか感づかれていたとは驚倒だ。危険察知能力は、獣人の嗅覚に負けず劣らずと考えていい。
「————ッ!!」
先手必勝。ヴォルフは黒フードの男に突貫した。
身体をプロテクションで覆い、身体能力が向上した彼のスピードは狼の最高速を凌駕する。
反撃させる間もなく、速度を乗せた一撃で胴体を両断する。
「早い!? だがッ!!」
黒フードの男はヴォルフの素早さに目を丸くした。が、
「——ッ!?」
胴体に目掛けて振ったはずの鉈が、男に接触する直前で止まったのだ。
何が起こったのか。
——こいつ! 鉈を肘とひざで挟みやがった!?
プロテクションに加え、ヴォルフの筋力を以ってしても鉈はピクリとも動かない。
——かなり鍛え上げられた土魔法師だ。
「……なら!!」
一枚上を取ったと思えば、逆に一枚上を取られてしまった事実。なら、その更に一枚上を取ろうとするのがヴォルフの性格である。
強張った体躯によって、戦闘中では目の届くことがない背中に仕込んだ通常の鉈。隠し武器だ。
空いた片方の手で隠し武器を背中から取り出し、男の首元に目掛けて繰り出す。しかし、
「ッ!? ウォール!!」
男は寸前で詠唱し、ヴォルフの真下から尖石を出現させた。
ヴォルフは尖石が腹部に刺さる直前で、隠し武器である鉈を盾にして防御。盾にした鉈が砕けるが、その隙に上体をのけ反ることで攻撃を回避した。いや、完全には回避できていない。
「あっぶねぇ、あぶねぇ……」
防ぎきれず、浅手ではあるが額に傷を負ってしまった。
「攻撃を途中で止め、鉈を身代わりに……素晴らしい反応だ。今の一撃で、串刺しする予定だったのだがな……」
ヴォルフの機転の利く咄嗟の行動に、男は嘆美する。
鉈を盾にしたのはよかったのだが、尖石の先端が額を掠めたのだ。流血している。
「ハハハ! ええなぁ、こういうのや……久しく滾ってきたわ」
ヴォルフは額から流れる血を舐めとりながら、快哉を口にした。
流石と言わざるを得ない。先の攻撃で斃せていたのなら、一撃目で斃せていた筈だ。見事に攻撃を先読みされ、あわや死にかけた。
全くおもしろいことこの上ない。
劣勢を楽しむなど酔狂にも程があるが、その異常さこそがヴォルフの強さでもあった。
「同じ穴の貉、といったところか。お前、何故軍などに入った……?」
額から血を滴らせながらも、闘争心を崩さないヴォルフに同じものを感じ取ったのか、男は突拍子もないことを言う。
「……せやな、師への恩返しとでも言っておこうか」
ヴォルフは素直に報答した。
同じ穴の貉。その通りだ。稀に見ない邂逅と言えよう。
生死を分つ戦いの中、ヴォルフが男の問いに答えたのは、好敵手への感謝があったからだ。無ければ流していただろう。
——師への恩返し。
『お前の力、人を生かすために使え』
ヴォルフの師とは、グレイのことだ。彼が居たからこそ、こうしてヴォルフとポポット、シュアシュの三人は生きていられる。
忘れもしないあの日。あの日が無ければ、今頃三人とも、大地の肥やしになっていたのは間違いない。
グレイが騎士団長に就任してから、年々と会う回数が減っていった。ここ一年、彼と顔を合わせられたのは指で数える程度。今年の恩返しの日も何もできていない。
そして今、その師のグレイの幼馴染であるリフが闇に落ちようとしている。
恩師最大のピンチ。
——なら、今こそグレイさんの為に、一肌脱ぐのが筋ってもんやろ!!
少し遅めだが、今日という日をグレイへの恩返しにする。
村を守り、グレイに貢献して感謝を告げ、粋な恩返しをしてやるのだ。それで酒でも驕って、朝まで一緒に飲み明かすつもりである。
「恩返し、か。なかなか良い理由だな。弱き者の為、などといわれた日には、殺すだけでは気が済まなかっただろう」
「何や、善は嫌いなんか?」
「あぁ、反吐が出る程な! 善を掲げながら、それを自身の看板にするなど矛盾している!! 善とは他者の為にあるものであって、自身を魅せるための材料ではない! 主義主張のない悪の方がまだ可愛げがある!」
男はヴォルフから鹵獲した鉈を、激情をまき散らしながらへし折った。
奪った武器を使わない。『下に見られている』とは違う、『徒手が全力』なのであろう。
理屈はない。こればかりは、野生の勘と表現するほかない。
それにしても、善に対する異常な激情。
男の過去に何があったかは知らないが、善を嫌っている理由は白蛇——ルマティアの反社会組織に所属しているからだろう。
「そうか、悲しいことや……せや、こっちが答えた義理で、そっちも答えてくれや。なんで、白蛇のあんさんが他の土地の場所で、全く関係のない者に牙を向いとんのや? 知っとるで、白蛇は攻めて来るもんを、略奪したもんだけを狙う反社会組織やって。それと、はみ出しもんは暖かく受け入れるってな」
ヴォルフは一旦、臨戦態勢を解いて男にそう問うた。
ルマティアは未だに身分制度が色濃く反映されている国だ。人口の過半数以上が下位階級に属していると、ヴォルフは聞いている。白蛇はその最下位に属した者達が多く集まった組織だとも。
善への厳しい価値観も、育った環境がそうさせているのだろう。
「まさか、俺の素性まで知っているとはな。何もかも予知されていたわけか……」
「それで、答えてくれるんか?」
急かすヴォルフ。
「ふん、隠す意味も無いか。いいだろう、答えてやる……」
男は口元に笑みを浮かべながら、軽快にフードを脱ぎ捨てた。
その頬には白い蛇の刺青が。紛れもなく、男が白蛇に属している証拠だ。
男は拳と拳を打ち付けて、
「俺が、俺であるためだ!!」
声高に答えた。
その一言で、ヴォルフは言葉が無粋であることを悟った。
互いが互いの正義を貫こうと、戦いに身を投じているのだ。それを口先だけで侵すのは都合が良すぎる。況してや、男は同じ穴の貉だ。こちらと同じく、言葉ではなく拳での語り合いを求めているはずだ。
いいや、欲している。拳で正義を貫くことを渇望している。
故に正義を侵すことが出来るのは、戦いに勝った勝者のみ。
男も同じ結論に至ったのだろう。両手を前に出し、隙の無い構えを取ったのがいい証拠だ。
「そうか。もう言葉は不要やな」
ヴォルフは応えるように、低い体勢で構えた。
「あぁ……」
「「なら、拳で語り合うのみ!!」」
——拳と拳が交差する!!
——視点が切り替わり、グレイへ。
「どうやら、本当のようだ」
作戦会議の時に居た、妙な服を纏った謎の青年——ミレナがグレートギメラから助けてくれたと、嘘を吐いてまで逃がした青年。青年は中央テーブルに座する訳でもなく、部屋の片隅で壁に背を預けていた。
騎士ですらなく、剰え戦場を知らないような素人の彼が、脳裏に深く刻まれているのは、ミレナが嘘を吐いた云々だけが要因ではない。
澄んだ青色の瞳には、物事を俯瞰視したような冷たさがあった。ただ、その冷徹とした瞳の中に、矛盾した小さくも暖かい灯が隠れていたのだ。
矛盾——このヒントが指し示す解は『青年は優しい奴』である。正邪看破の力があるミレナが、青年を認めていたことも、その解へと辿り着くための一押しになった。
魔女の切手を持っていたという理由もあるが『未来を知っている』という奇天烈な言葉にも、自然と溜飲が下がった。
リフが村を、国を、騎士を、仲間を裏切ったことも、断腸の思いながら吞み込めた。
グレイは青年に問うた。自分が敵に変装し、虚を突くのはどうだと。未来を知っているなら、敵がどういった容姿なのかは知っているのが道理だ。
対し、青年の言葉はこうだ。
『黒いフードを被ってましたね。あと顔は布か何かで隠してました……男女かどうか、外見だけでは見分けはつかないかと』
現在、グレイは変装して無名の森の中に潜伏中。
ローレンにモワティ村を任せ、無名の森で残党を——リフを捕縛して改心させる為にいる。
「これなら、違和感はないな」
よく観察すれば直ぐにバレる変装だが、暗闇で奇襲をかける程度の時間を稼ぐことは可能だ。
「ん、おいお前! 何をしている! 村の奴らが乗っている馬車はこっちだ! こい!」
噂をすれば何とやらだ。早速、グレイの前に黒フードを被った残党が現れた。大きな体躯と太い声質から察するに男だろう。
グレイは気付かれないよう、手を使ってフードを深くかぶり、
「あぁ。すまない……そうだ、リフ・ゲッケイジ殿は何処にいらっしゃる?」
男に本命であるリフの居場所を問う。
「すぐそこだ! 用があるなら後にしろ! 今はエルフの女を確保することだけに集中するんだ! 分かったな!! 行くぞ!!」
何故、こんな間抜けが仲間にいるのか。男はそう言いたげに、リフのいる方を指さした。
その男が走り出そうとした瞬間、
「そうか……答えてもらって何だが、悪いな。フン!」
間抜けはお前だ。
隙あり。
「あッ!? がぁはぁッ!?」
グレイは男の首を背後から絞め上げた。満身を使って藻掻く男だが、筋骨隆々のグレイには抵抗止むなしだ。
グレイは男に声を上げさせることなく、気絶させることに成功した。
気絶させた男から布とフードを盗み、グレイは自身の着ていた服と交換。男を木に縛り付け、リフが居る方向に走り出す。
これで数違いによって、潜入が露呈することもないだろう。
「見えた……」
グレイの視線の先には停止した馬車と、その中にいる騎士の者達。その彼らを取り囲むようにしている残党。そして、
「諦めて、出てきなさい。貴方達は包囲されています」
鈍色の髪の男——リフ・ゲッケイジの姿が。
「リフ……」
リフの姿を見た瞬息、グレイは峻厳な現実を呪った。どうして、リフは自分達を裏切ったのか。何か並々ならぬ理由で、裏切りに至ったのは間違いない。きっと、自分達が大きな過ちを犯してしまったのだ。
そうでなくては、リフが裏切りなどするはずがない。
それと同時、リフが幼馴染である自分に、何も言ってくれなかったことへの憤懣が溢れる。そして彼が裏切りに至る今までの間、気付けなかった自分への不甲斐なさで、胸裏が抉られる。
——だからここで、リフを止めなくては、本心を聞かなければならない……
グレイはリフへの感情をかみ殺して、残党の中に紛れた。
「そうです。良い判断です。ん? グレイは、いや……そもそも乗っている者が全員ちが——ッ!?」
「俺を見ろ!!」
グレイは大声を出して、光の魔刻石を宙に放り投げた。
突然の大声、自然と残党たちの視線はグレイに遷移する。
視覚を奪うことで、囲まれた状況を裏に取る作戦である。タイミングは申し分ない。
「なんだ!?」
グレイの投げた魔刻石が、馬車を中心に光を放つ。見事、残党たちの目は光に包み込まれ、視覚を奪い取ることに成功した。
事前に情報を知っていた騎士たちは、光に視覚を奪い取られることなく馬車から散開。残党たちを次々に戦闘不能にしていく。
同士討ち防止の為に黒フードと顔の布を外し、グレイは本命のリフの元へ走り出した。
「何が起きたのだ!?」
「フン!!」
腰に番えた鞘から剣を抜き出し、グレイは混迷しているリフに向かって剣を振るう。正確には直接的な攻撃ではなく、次元斬による遠距離攻撃だ。
一拍の後に光の斬撃が次元を超え、リフに向かって直進していく。が、
「この程度! 目が見えなくても!!」
リフは直前で蛇腹剣をクッと動かし、光の斬撃を相殺してみせた。
光の斬撃は直進しか出来ない。故にリフは、足音と剣を振る音から光の斬撃が飛来してくる方向を推知し、グレイの攻撃を防いだのだ。
「クッ! 届かないか!」
例え視覚が奪われたとしても、猪口才な攻撃では傷一つ付けることが叶わない。それが騎士副団長のリフ・ゲッケイジだ。
視覚を取り戻したのか、リフは閉じた瞼を徐々に開いて周囲を見回し始める。
「なッ!? 貴方は!!」
そして、光の斬撃が飛んできた方向に目を向けると、リフは顔色を一変させた。
「そういう事だ……リフ! 何故裏切ったのか、聞かせてもらうぞ!」
グレイは跳躍し、剣をリフに振り下ろす。対し、リフは攻撃を避けながら、蛇腹剣を極めて流麗にグレイへと走らせる。
「なんの!」
グレイは振り下ろした剣をすぐさま振り上げ、蛇腹剣の切っ先を受け流す。鉄と鉄が擦れ、周囲に鏘鏘たる音が響きながら火花が舞う。
グレイは蛇腹剣を押し退け、リフは地面に足を突いて立て直す。二人の距離は振り出しに戻った。
「まんまとしてやられた訳ですか……疑わしきは罰せず、今はその言葉が憎く思えますね!」
リフは不平を口走りながら、後退したグレイに蛇腹剣をしならせる。
それをグレイはもう一度剣で受け流し、距離を詰めるために前へと突き進む。流された蛇腹剣は、あらぬ方向へと飛んでいった。
リフが手元に蛇腹剣を戻そうとする隙に、グレイは懐に踏み込み——、
「甘い!!」
攻撃が入ったかに思えた。しかし、蛇腹剣の切っ先は、地面へと突き刺さる前に蛇のように軌道を変え、グレイの背中に突き進んでいった。
こちらの攻撃の速さよりも、リフの蛇腹剣の方が幾倍も早い。このままでは、リフに攻撃が当たる前に、蛇腹剣で背中から心臓を貫かれてしまう。
洞見したグレイはリフへの攻撃を止め、退いて蛇腹剣を受け流すことに切り替えようと判断。後ろを向き、力任せに蛇腹剣を叩き落とす。
ただ、リフの攻撃はそれだけでは終わらない。
「クソ!」
グレイは間一髪のところで、光柱を躱した。更に、追撃で飛んでくる三本の光柱。先ず、グレイは颯然としたステップで二本の光柱を回避。三本目は後方へ退きながら、光の斬撃を十字に飛ばすことで断滅させた。
再び、二人の距離は振り出しに戻ってしまう。
懐に入れば力が半減する蛇腹剣だが、リフはその弱点を技術や出だしが早い光魔法を併用することで、横紙破りに克服していたのだ。
考えなしに突っ込むのは得策ではない。やられてお終いだ。
「リフ! 何故裏切ったんだ! 言え!!!」
「答える意味無し!!!」
理屈では裏切りと分かっていても、心では何かの間違いなのではないか。もしかしたら扇動され、裏切りを強いられているのではないか。
そう思い、グレイはリフに再度答えを求める。だがリフは変わらず、酷薄にも答えてはくれない。
「何故そこまで!!」
二人に加勢は来ない。
残党と騎士たちが戦い合っている証拠だ。故に二人の闘いに邪魔が入ることは無い。ないはずが、
「開門。出でよ私の眷属。貴方の力、私の為に使い果たしなさい」
「人型の魔獣……?」
忽然と推参者が姿を現した。
縷述するのなら、リフが背後の木の側面に手を翳し、そこから突如として黒い水たまりが発生。中から、赤黒い人型の魔獣が這い出てきた、である。
リフが木に忍ばせていた眷属を呼び出す触媒だ。
——前回の世界線と同じ状況になってしまった。
「リフ! お前!! 騎士を名乗るなら、正々堂々一対一で戦え!! お前のやっていることは騎士道を愚弄する行為だぞ!!」
「奇襲を仕掛けて来た貴方がそれを言うとは! それに、元より私は裏切りの身!! この手が汚れることで望みが叶うのなら、私は喜んでそうしましょう!!」
「何故そこまで!?」
金切り音を奏でながら、蛇腹剣が獲物に飛び掛かる。
螺旋を描きながら襲い来る蛇腹剣を、グレイは剣で受け流し、定石通りに懐に入ろうと前に出るが、
「キシシシシシ!!!」
然うは問屋が卸さない。
リフが呼び出した人型の魔獣が、蛇腹剣を受け流したグレイの隙を見て、
「ウッシャァァァァァ!!!」
横から攻撃を仕掛けた。
蛇腹剣に気を取られ、グレイは防御が遅れてしまう。結果、魔獣の手がグレイの鎧を貫き、横っ腹を切り裂いていった。
「ぐッ! あぁクソ! 鬱陶しい!!」
グレイは痛みで下がりそうになる腰を、足に力を込めて踏みとどまり、追撃してくる魔獣に次元斬で応戦する。
腹部から垂れ落ちる血は、馬鹿に出来ない量だ。放っておけば、失血で昏倒してしまうだろう。
「ウキキキキキ!!!」
光の斬撃を、魔獣はするっと回転して躱す。その最中に、リフは蛇腹剣を手元に戻した。
腹部の傷を片手で抑えながら、グレイは戦いの最中に思惟に耽る。
思い出せば、剣戟大会の日からリフは様子がおかしかった。分からない。彼が何故こうなってしまったのか。分からない自分が憎い。
「何故なんだ」
すれ違い、年を重ねる毎に摩耗していった友情。互いが感情を爆発させ、腹を割って話し合っても、もう遅い。
穴の空いた容器には何も溜まることは無い。ただ上から下に、無情にも流れ落ちるだけだ。
『チゲェよ! お前は俺にはない才能があるんだ! 一つのことに縛られるな!! 剣の強さだけじゃ強い騎士にはなれねぇ!! お前は器用だからな! 俺にすぐに追いつけるって!!』
『……うん、わかったよグレイ! 今はそうじゃなくても、大人になったら、必ず僕はグレイを越えてみせる!!』
『そうだ! 俺を越えてみせろ!! リフ!!!』
解れてしまった大切な記憶。忘れられもしない、丘の上で交わした約束。幼い時の友情。
例え、それがもう治せない甚大なものだったとしても、塞がなくては。繋げ治さなくては。取り戻さなくては。
——リフを連れ戻して、ぶん殴って分からせる!!
傷口を筋肉で無理矢理に塞ぎ、グレイは痛みを堪えながら剣を構えた。
「リフ!! お前への処罰は馴染みであり、家族であり、ライバルであり、友であった俺が直々に下す!! 俺の為にも!! お前の為にも!! ここでお前を食い止める!!」
「どうかそうしてください!! そうでなければ、私は貴方や王に報いる意味がない!!」
グレイはリフに次元斬を飛ばし、リフはグレイに蛇腹剣を走らせる。
互いの剣戟が火花を散らせながら交差する。
——それぞれの闘いが、いま始まった。




