第25話 資格はいらねぇ
シュウがリメアに魔女の切手を託した後日。リメアと他の長官との議論の話を、簡潔にしよう。
先ず議論で出た結論から。
啓示が真の場合、切手売却の所得の約5割を教育省、約3割を国防省が受け取り、リメアに学校を設立する認可が下る。
偽の場合、所得の約3割を教育省、約5割を国防省が受け取る。また、リメアの教育長官の座を剥奪。デマを流したシュウに相応の処罰を与える。
これが結論だ。早い話、嘘だったら所得が減って相応の罰を受ける、ということだ。
真偽の決定は、シュウが受けた啓示の内容の一つ、敵が中央都に攻めて来るか否かで決まる。
結果は、言うまでもない。
残りの約1割は教会に納税、もう約1割は他の行政機関に割り振られる。
教育省と国防省の配分が多い理由は簡単。前者は所有者のリメアが、教育省であるから。後者は軍隊である騎士達は、国防省の管轄下であるからだ。
では何故、このような結論に至ったのか。
本来、魔女の切手を売却したことによる金額は、全て教育省に入る予定であった。だが、前述したとおり結果は違う。
では何故こうなってしまったのか。
それは、リメアが国の為に、基、亜人迫害問題を解決する為に切手を売却したからだ。そうしなければ、学校に生徒を無償で通わせるという、初の試みが出来ないからである。
分かり易く言うと、初の国立学校を建てる為にこうなってしまった訳だ。
ただ学校を建てるだけではいけない。それでは、他の学校とかわらず亜人が迫害される現状を変えられない。
国立となれば、それは国の為、国として動くことになる。となれば、傑人員同士で議論して、可否を決めなくてはならない。
その結果、前述した結論になった。切手売却の所得の一割が、その他の行政機関に配分されている理由も、これに当たる。
そうして今、リメアから聞いた話を、シュウは合流したミレナに説明した。
魔女の切手を売却して、その金で亜人迫害の問題解決に貢献してもらうことも含めてだ。
現在は神将が首魁を撃退した一日後である。
「うぅ……むむむぅ」
「ん、俺の説明、分かりにくかったか?」
「いや! うんうん! 偽計? 業務なんちゃら罪や、信用なんちゃら罪とか、そういうのは全くわからなかったけど、違うわ。所得が売却額の半分って少ない、わよね?」
長耳をピンと立たせ、手を振ってシュウの言葉を否定するミレナ。彼女が言葉尻を疑問形に変えたのは、自身の考えの正誤を確かめるためだ。
シュウはミレナに間違っていないと諭すため「まぁな」と相槌を打つ。
「でも、かなりいい方向に持っていけたと俺は思う。リメアさんの立場は超が付くほどの劣勢。騎士団を動かすこともだし、なにより……」
シュウは外の景色を車窓越しに眺めながら、リメアの置かれている状況を思い浮かべる。
「リメアさんは大金を抱えた状態。他の長官どもが、リメアさんからできるだけ金をむしり取ろうとするのは、普通だ。最悪、一銭も貰えないなんてあったかもしれない。それを約半分に抑えられたのは、あの人の弁の凄さだ」
弱冠二十歳で長官の座に就任したリメアを、よく思わない者もいるだろう。
若いくせに、自分はもっと苦労したのに、まぐれで運がいいだけ。
理由は区々としているが、毛嫌いする者は多いはずだ。
「そっか、普通はそうだもんね……」
ミレナは長耳を暗然と垂れさせながら呟いた。シュウは俯く彼女に視線を戻す。
普通。常識。一般論。それが議論では正義だ。
『あァァ!! あの耄碌ジジイめ!! 議論だけはいっちょ前に美味いのがムカつく!! ウガァァァァ!!!』
議論が終わった後、リメアが私宅で赫然と叫ぶさまを思い出す。確か机をひっくり返していた。
リメアが怒っていた理由は、国防長官にあれこれ指摘されたからだ。
その指摘とは。
そもそも、啓示は過去の事例から百発百中と決めつけられているだけで、受けた啓示が未来で起きるという証拠にはならない。
起きない可能性もある訳で、それを視野に入れないのは暗愚だ。
それに偽なら騎士団を無意味に動かすことになり、我々の業務に支障が出てしまう。
それだけならまだよいが、緊要である魔霧の問題よりも、当たるかもどうかも分からない啓示を優先して、騎士団を動かすのはリスクが高い。
であるから、国防省には他の行政機関よりも多く寄附するのが道理である、と。
相手の趣意が透けて見えているというのに、反論できない無力感。
リメアが怒りで叫びたくなるのも分かる。寧ろ、透けて見えているからこそ、怒りは一層大きいだろう。
切手売却の所得の五割。
「でも、リメアさんなら不利な状況でも実現してくれる。責任の押し付けじゃなく、本意としてな」
「そうよね。そうよ、そうだわ! 絶対大丈夫よ! リメアはいい子だし、頭もいいし、可愛いし実現してくれるに決まってる!!」
「俺とはちょっと違った部分での信用だが、元は変わらないな」
だが、彼ならその五割の所得でも国立学校を建て、未来で亜人迫害の問題を解決してくれるだろう。
根拠はない。ただの感情論だ。信用しているだけで、客観的には身勝手で杜撰な意見であろう。
——だが、
「人は機械的にはなれない。そこが人のいい所、か……」
——それでも信じたいと思うのが仲間だ。
前回の世界線で、ミレナが発した言葉を口に出していた。
その通りだと思う。
いつもは感情が先行しないように理性や論理で抑制しているが、いつだって感情の後に理性や論理があるのは間違いない。故に感情が主なんだ。
抑々、未来のことなど分からない。ならば、リメアが未来で亜人迫害の問題を解決してくれないと思う事も、根拠の無い感情論と言えよう。
ならば仲間を信じた方が、いいに決まっている。
「……んで、それよりもだ」
「あれ? 私の腰掴んでどうしたの?」
自身の膝の上に乗るミレナの腰を掴み、シュウは彼女の顔がこちらに向くように動かした。
それから、
「何でお前が、馬車に乗ってるのか説明してもらいたいんだが……」
ミレナを睨んで問い質す。
一つの難所を越えて上首尾の今、次の難所に当たる前に問題の解決——ミレナが馬車に乗っている状況を、どうにかしなくてはならない。
ミレナと合流したのは報告の為。決して、彼女を戦場に連れて行くからではない。
「あ、待って! もしかして追い出そうとしてる!? ストップ! ストップよ!! これには事情があるの、深い事情が!!」
「あっても下ろす。ただでさえミレナが乗って定員オーバーだってのに、敵の本命であるお前が、馬車に乗る意味はねぇ」
静寂の一辺倒だった馬車内はシュウとミレナの声で一蹴され、盛況な雰囲気に変化。前回の世界線やジェスパー領の宿でもやりあった、痴話が付く喧嘩が始まる。
定員オーバーというのは、四人用の馬車の中に、五人の人類が乗っているからだ。口論する二人の前方には獣人男性、右前方には獣人の女性、横には獣人の男性が座っている。
シュウとミレナ以外、全員騎士だ。彼らは、一緒に村を防衛してくれる騎士の一部である。
御者も変装した騎士が担っている。そしてそれが二両で十人編成。
当然、ミレナはその十人に入っていない。
「でも許可は得たわよ! ちゃ! ん! と! 私ってば、魔法師としての才能は高いんだから!」
「許可って、お前な……」
指を差して自信満々に言って来るミレナに、シュウは呆れてため息を零す。
「魔法に高い技術があっても、敵の攻撃を受けりゃ一発でアウトなんだぞ? それに、お前は戦いすらまともにできないだろ? 流石に嘘だってのが——」
「嘘じゃないぞ、あんさんよ……許可出したのはワシや」
言葉の間に言葉を差し込み、シュウに寸言したのは前方に座っていた獣人の男性だ。
容姿は、細長い体躯で狼顔。体毛は黒色で、顎から下には黒とは対照色の白い毛が伸びている、特徴的な男だ。
本人自身も気にしているのか、体毛を癖のように上から下へと扱いている。
「俺もだぜ!!」
その男に追随するように、親指を立ててアピールするのは、横に座る犬顔の獣人男性。体毛は茶色で、見た目通り直情な性格の男だ。
「アンタも許可を?」
『まさか三人ともから?』と、シュウは右前方で泰然自若と座っている獣人の女性に問うた。
容姿は狐顔に白い体毛で、シュウと変わらない身長の女性だ。
彼女はシュウの指名に、細い目を開けて、
「はい。戦闘に参加したいと、ミレナ様が自薦なされたので、わたくしとヴォルフ様、ポポットの三人で審査致しました。素早い身のこなしに、そこから放たれる水魔法の数々。騎士のわたくしたちも圧巻の技術でしたよ……」
そう答えた。
「おいおい、アンタらは何考えてんだ! 敵の狙いはミレナなんだぞ! 話はグレイさんから聞いてるはずだろ! 例え技術があっても、戦闘に絶対はねぇんだ!」
シュウは一緒に来ようとしたミレナよりも、それを許可した三人に憤慨する。
ミレナの魔法の才能、技術に疑いを持っている訳ではない。それは自分の目で確かめている。確かめているからこそ、才能や技術など関係ないと断言できる。
「それはアンタらも重々承知のはずだ! 技量があるだとかそんな問題じゃ——ッ!」
「はぁ、なんも分かっとらんはあんさん。柔い柔い、柔すぎるわ」
感情を昂らせているシュウにもう一度、狼顔の男——ヴォルフは呆れたと額に右手を乗せ、言葉を差し込んだ。
細い双眸がシュウを射抜く。まるで、心胆を覗き込まれているような、透徹とした双眸だ。
「や、柔い……?」
シュウは少し戸惑い、気圧されながら答えてしまった。
「物事は零と百以外にもある。それに、騎士であるワシらの許可が許されへんってのは、騎士を侮辱するのと同義やと思い」
ヴォルフは背凭れに預けていた上体を前のめりに——大きな体躯と面貌を活かし、シュウを威圧する。だが、シュウはそれがどうしたという目で睨んだ。
ヴォルフはやるやんと言いたげに窃笑する。
「あんさんの仲間を思う気持ちは、素晴らしいもんや。その思いがあるからこそ、ミレナ様はあんさんを気に入っとるんやろ。でもな、よぉ考えてみ……」
ヴォルフはシュウに指を差し、細い双眸を更に細くする。
「仲間っちゅうもんは必ずしも、助ける助けられるの立場が決まっとるわけやない。それを固定しとるあんさんは、ちとズレとるし、仲間を思うんなら、返されるのも許容せんとな」
それなら今度は威圧ではなく情として、シュウを負かしてやろうと、ヴォルフは言葉を紡いだ。
それは一般的な、返報性の原理であった。施されたから、施し返したいというアレである。
今まで、ミレナから返し切れない程の恩を受けてきた。
前の世界線で受けた恩。異世界に残ると翻意して、終わったと憔悴していた自分を救ってくれた恩。
何なら、この異世界に残ろうと翻意したきっかけも彼女である。
全てにミレナが関わっている。
だのに、彼女に何も返せていない。だからこそ、感情でも理性でもミレナと村を救うことに尽力するつもりであった。
返してやっと、関係が始まると思っていた。
シュウはヴォルフに根負けした。
「思索しとんな。人生の先輩として一つヒントや、ミレナ様の目ぇ見て訊いてみ? 分からんかったら、本人に訊くのがベストや」
長くて白い顎毛をしごきながら、ヴォルフは顎をしゃくってミレナに注目を促す。シュウの視線は流れるようにミレナに遷移。彼女の翠眼を捉える。
「ミレナ」
名前を呼ぶと、ミレナは「うん、何?」と優しく返事をしてきた。
「俺は、ミレナに何か一つでも返せたか?」
「うん。というか、私ってばシュウに何もしてないわよ? 今この状況があるのは、シュウのお陰。返せてないのは私の方なの……だから、私にもこの戦いに参加させて」
膝の上に乗っているミレナの瞳に、粉飾という名の偽りはない。仕草にも何の変哲もなく、いつも通りの彼女だ。
それは、包装の過程がない本音であった。
「そうだったのか。なら俺は、ミレナの仲間か?」
「とうっぜんよ! 信じるって、勝手に背負うって言ったでしょ? 私はてっきり、もうその時から仲間だって思ってたのに、シュウはそう思ってなくて、何だか複雑……」
本音を真正面から受け止めて、彼女の言葉が心の深くに突き刺さる。どうしようもないくらいの嬉しい感情が泉のように溢れ、身体の内側が暖かいもので覆い尽くされていくのが分かった。
なんでこのお嬢様はこんなに嬉しいことを、言って欲しいことを臆面なく、面と向かって言えるのだろうか。完敗だ。
「何よ、私じゃ不満?」
「いや、そうじゃない……」
安堵のため息を零したシュウに、ミレナが不服そうに頬を膨らませる。シュウは呆れからきたため息ではないと、首を横に振って、彼女の手を握り目を瞑った。
予想外の行動に、ミレナは頬を紅潮させる。肝心のシュウ本人は目を瞑っているため、そのことに気付いていない。
「どうやら俺は、根本的に解釈を間違ってたらしい。そうか、そうだよ。仲間に資格もくそもねぇよな。師匠……」
※ ※ ※ ※ ※ ※
生前の記憶だ。人生の師匠。益荒男で今でも憧れの人。塞いでいた師匠との記憶の一部が再生される。
シュウがまだ、彼と会って一年かそこらの出来事だ。
まだガキで、何が自分のしたいことか、何のために生きるかも分からない、無知蒙昧だったあの頃。前後の記憶は曖昧模糊としているが、師匠の姿とその言葉は今でも、脳裏に鮮明に焼き付いている。
『師匠、仲間って何? 友達みたいのもの?』
『お、どうした? 本にでも書いてたのか?』
『うん、友達は分かるけど、この本には年が離れた人同士でも仲がいいんだ。仲間って書いてあるんだけど、分かんなくて。俺と師匠と似てるから気になってさ……』
『ハハハハ! 嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか!! そうだな、ダチよりも厚い関係で結ばれた者同士が仲間だ。ダチよりも難しいかもしれないが、一回築いちまったら、切れることはまぁ無いな』
——確か、俺はこういった。
『難しいなら資格とかは、いる?』
——確か、俺の無邪気な言葉に師匠はこう返した。
『いらねぇよ。俺とお前は所謂仲間みたいなもんだ。俺はお前に資格を求めたか? お前は俺に資格を求めたか? してねぇだろ。一緒にいて、一緒に何かしたいって思えば、そりゃもう仲間だ』
※ ※ ※ ※ ※ ※
あの時も、パンツとタンクトップ姿だった師匠。あの人はいつだって馬鹿みたいで、いい奴で、豪胆な人だった。
「…………」
「仲間に資格なんていらねぇ、か……俺たちはもう、仲間だったんだな。ミレ、ん?」
目を開け、仲間の在り方を再確認させてくれたミレナに目を移す。するとどうしたことか、俯いている彼女が目に映る。顔色までは窺えないが、ミレナの長い耳の先端が真っ赤に染まっていた。
シュウは何か粗相をしてしまったのかと、
「どうした……?」
胡乱げに問うた。
「……急に手を握って来るから、ちょっとドキッとしただけ」
あぁそういうことか、と納得顔になるシュウ。
ミレナの言葉に魅せられ、無意識的に彼女の手を握ってしまっていたのだ。知り合い——仲間だろうと、唐突に手を握られてしまえば誰だって驚く。
シュウはミレナからさっと手を放し、
「悪い! 勝手には嫌に決まってるよな」
「別に、急だから驚いただけで、手を握られるのは、嫌じゃ、ない。けど、今度からは、聞いてからにして……バカ」
「気を付ける」
プイっと顔を背け、身体を半回転させて背を向けるミレナ。そうやって勃然としている彼女に、シュウは自責の念を伝え、
「えっと、ヴォルフさんだったか? 助言、ありがとうございます」
顎毛を扱いているヴォルフに感謝を伝えた。
「人生の後輩に、教訓を与えんのも先輩の務めやからな。あと敬語はいいわ。自分よりも目上の人がタメ口聞かれとんのに、下のワシが敬語使われるっていうのは、妙にむず痒い」
そう、ヴォルフは謙虚に返答した。
獣人というのも相まってか、いまいち表情が読めない。というか、読ませないように飄々としている。
威圧を掛けてきたり、かと思えば情に訴えかけるような話をするし。よく分からない人だ。
「そうだミレナ、ちょっといいか?」
「なに?」
「付いてくるのはいいが、一つだけ条件がある」
「何よ、条件って?」
会話の軸を戻すシュウに、ミレナは横目でちらりと睨む。
折角ついて行けるのに、条件という水を指されて機嫌を悪くしてしまったのだろう。『どうせ、前線には出るな、とか言うんでしょ?』と言いたげな、不機嫌な顔である。
ところが違う。シュウはミレナの肩に手を乗せ、
「お前は俺の背中の上で魔法を打つ。これが条件だ。いいか?」
一緒に戦ってくれと、決然たる双眸で見つめた。ミレナは意外過ぎるシュウの言葉に「なぁんだ、そういうことなのね」と、不機嫌な顔を欣然とさせ、
「分かったわ! 危なっかしい子は、放っておけないもの! 私が背中の上で援護してあげる!!」
シュウの鼻をつんっと突っついた。
どうやらお気に召したようだ。
背凭れに身体を預け、シュウは調子が戻った彼女に合わせようと、
「危なっかしいって……これでも、それなりの死線は越えて来たつもりだがな」
得意げに言う。
「そういう慢心はダメ! 第一、最初に会った時なんか、子供みたいに泣いてたじゃない。えんえーんって、それにそのことを誤魔化そうとするし……まだまだ未熟な子供だわ」
その彼をミレナは、子供の様に泣く真似をして嘲戯する。
「なッ!? 言っておくが、俺はもう二十一だ! れっきとした漢だよ!」
「私からすれば、二十一も六十のおじいちゃんも子供だよぉだ。子供に毛が生えた程度ぉ~」
益荒男でありたいと思うシュウに対し、ミレナはまだ子供と言い返して小ばかにする。再び、馬車内は二人の痴話げんかで喧擾になった。
「タッハハハハ!! 我慢できねぇわ! おもろいなアンタら!! さっきまで嫌な空気だったのに、急に痴話げんかを始めるとか!! 仲が良すぎだろ!!」
「痴話げんかじゃないやい!!」「痴話げんかじゃねぇ!!」
「うぉ!? 反言の息もぴったりだな!」
突然、犬顔の男——ポポットが腹を抱え、足をばたつかせながら哄笑する。シュウとミレナは痴話という言葉に、反射的に言い返した。
その二人の息の合った反言に、またもポポットは輾然と笑う。
彼に続いて、前方にいるヴォルフは何も言わずに頷き、右前方の獣人女性は微笑ましそうに両手を合わせて「とても癒されました」と呟く。
三人ともシュウとミレナのやり取りに、暖かい物を感じたのだ。
「さ、決まったようやし、気を引き締めへんとな」
「しっかし、本当に残党はいるのかよ? 上が尻まくって逃げたなら、その下にいる奴らも逃げるのが普通だろ?」
「そこは口出しせんって約束やったやろ。ワシらは上からの命令に従う。食わせてもらってるワシらからすれば、上が全てや」
ぽつりと己の疑問を言葉にするポポットに、野暮だと窘めるヴォルフ。
彼らに下された命令は『リメアの指示に従うこと』である。そして、そのリメアの命令は『ミレナを襲う残党の捕縛、及び撃退すること』だ。
遡り、昨日の夜。
※ ※ ※ ※ ※ ※
『明日以降の行動についての話なのですが、リメアさん、入っていいっすか?』
『え!? はい! 大丈夫です! ちょっと散らかってますが。あはは……』
ドアが三回叩かれる音に、リメアは身体をびくりとさせる。それから本に栞を挟んで閉じ、眠い瞼を擦ってシュウに答えた。
清貧を体現したリメア。だが、傑人員であり教育長官である彼にとって、集中が欠かれてしまう状況は避けたくあった。その結果、金を捻出して作った物が、勉強や執務をする為の部屋だ。
この世界基準での、中流家庭以上の内装である。
『急にどうしたんですか? イエギクさん』
リメアが天井の照明に右手を翳すと、合図を受けた光の魔刻石が光を放つ。
照明器具だ。軽くオドを込めれば光が放たれる仕組みになっている。
普段なら、節約の為に蝋燭に火を灯して光源を作るのだが、彼がいる部屋と来客用の部屋だけは、光の魔刻石によって部屋全体を照らせるようにしていた。
『そうっすね。ちょっと、引っ掛かることがあって……敵の動き、おかしいと思いませんか? 何ていうか、顕著がすぎるというか』
『と、いいますと? あ、そこの椅子に座ってもらっていいですよ』
部屋に入ったシュウを立たせたままにするのは失礼だと、リメアは椅子の上に置いてある数冊の本を退け、座するように促した。
『わざわざ、ありがとうございます』
流れるようにシュウはどっかりと椅子に座り、引き続き怜悧な顔つきで話を進める。
『確か中央都に攻めて来た敵の数、一人だけでしたよね?』
『はい。騎士団の人達の情報によれば、一人と……』
シュウの婉曲な言葉に、リメアは眉間に皺を寄せた後、数秒間沈思するように黙った。それから、彼が言った言葉はこうだ。
『まさか、少ないと言いたいのですか?』
『察しが良くて助かります。首魁は転移魔法で逃げたと聞いています。なら、予め逃げの算段があった訳です。貴族馬車で都内に入ろうとしたり、敵は無策で動いてはいない。寧ろ、用意周到な計画を立てて、動いているはずです。そして、首魁の常軌を逸した強さ……俺も、ミレナやモワティ村の村民を、神将とグレイさん達に護衛してもらいながら避難させることに、賛成でした』
更に戦力が増すはずの次の襲撃を考えて、今後の動きは守りを固める方針になっていた。攻めを失敗した今、敵が戦力を上げてもう一度攻めて来る可能性は、論理的に考えれば高い。
だがもし仮に、敵の本命がミレナだったら。
『でも、中央都に攻めて来た敵の圧倒的な少なさ……』
言葉を切るシュウにリメアは『不自然ですね……』と、続ける。
『はい。普通なら、重要な場面に注力するのは当たり前ですよね? でもそうしない。何故なら、敵は中央都を転覆させることより、重要なことがあるから……』
声の調子を段々と落とし、剣呑な雰囲気を出すシュウ。剣呑が部屋全体に伝播した中、リメアは考え込んだ。
積まれていた本が崩れる音——雑音に二人の気は引かれない。
『ミレナ様を捕らえること、ですか?』
シュウからのヒントを受け取って、リメアは答えを声に出した。
『多分そうだと。敵の本命は、ミレナを捕えること。それなら、他にも強力な仲間がいるのにもかかわらず、中央都を攻める戦力が一人だけだった説明にもなる。実際、未来で俺たちは敵の幹部たちに襲われたので、間違いないです』
国家転覆の過程で、神子であるミレナを狙っていただけなのなら、殺すだけで充分なはずだ。だが前回の世界線、敵は彼女を殺さず捕らえようとしていた。
詐欺師がミレナを殺したが、性格的にあれは激昂していたからだろう。
そして、上述した不均等な戦力の分散。敵の本命がミレナなのは確かだ。
失敗を顧慮していた敵の計画から推し量るに、本命は絶対に達成したいはずだ。
『ですが、それなら益々ミレナ様やモワティ村の方々を、安全な場所に避難させるのがよろしいのでは……? いや、その上で否定しているのですよね』
リメアはふと疑問を口にしたが、説明の途中に出すぎたと翻した。
目敏い人だ。シュウはコクっと首肯し、
『先日、光屈折操作を成し得る詐欺師が、どこかに潜んでいるって言いましたよね』
切手を信託した日の話を掘り起こした。当然、リメアは『はい』と返す。
『なら、例えミレナ達を安全な場所に避難させても、敵にはミレナを捕える術がある。或いは、人質を取って、ミレナを差し出せと要求することも簡単なはずです』
『確かに、それは盲点でした』
シュウの正確な言葉の射撃に、リメアは目を見開いた。
変装できる以上、民衆に成りすましたり、騎士に成りすましたり、王侯貴族に成りすましたり、モワティ村の村民にすら成りすませるはずだ。
となれば、ミレナや村民を避難させても、容易に接触することが可能だ。
そうなる前に、詐欺師を探し出せれば最善なのだが、変装できる奴を見つけるのは至難。否、不可能と言ってもいい。
『守りを固めることは、敵の術中に嵌ることになる。ということですか』
眉間に皺を寄せ、恐る恐ると唾を飲んだ後、リメアはそう呟いた。
シュウは小さくゆっくりと頷いた。彼の肯定にリメアは表情を強張らせ、額から冷汗を流す。
もし、このまま何も気づかず動いていたら。そう思い、肝っ玉を冷やしたわけである。そして今その感情を抱けて、気付けてよかったと、リメアは大きく息を吐いた。
『その逆の発想、というのもなさそうですね。ミレナ様を狙う理由は捕縛した者から聞き出すとして……そうですね。わかりました。でも、分かったとしてもどうするのかが重要です。案は既にお持ちで?』
思索をやめたのか、リメアは中途で独り言ちるのをやめ、顎に手を当てがったままシュウを見据えた。
シュウは右手を後頭部に当てて『一応ですけど』と、答える。
『おぉ! 流石イエギクさんです!』
打開策を練ってきたシュウの準備の良さに、感嘆符を言葉に乗せるリメア。シュウの男らしさに目をキラキラさせる。
果たして、リメアの期待に面目の躍如ができるのか苦笑いのシュウである。
『つっても、聡明どころか馬鹿みたいな案ですけどね』
だから一応、保険を掛けてしまった。とはいえ、自信を持って言うつもりだ。
『お聞かせ願いしても?』と両手を合わせて、瞳を煌煌と輝かせるリメア。その彼の目を見据え返して、シュウは小さく、深く息を吸い、
『詐欺師がいる以上、ミレナ達を避難させても、危険であることに変わりはありません。なら、詐欺師が確実に現れる場所に敢えて赴き、危険因子である奴を、残党ごと一網打尽にする……』
言い切った。
『具体的にお聞きしても?』
リメアにそう返され、シュウは錯雑している記憶を纏め上げる。
『未来で、敵は俺達が乗っていた馬車を的確に狙ってきました。場所は、中央都からモワティ村に帰る途中の、森の中です。だから、強力なメンバーがその客車用の馬車に乗って、あたかも、ミレナがモワティ村に帰っているよう装う。そこで、襲ってきたところを返り討ちにして、敵の思惑を悉く潰す! それが俺の案です!』
シュウは左掌に右拳をぶつけ、果断に案を述べた。
相手は今、自分達の情報が露見していないと思っている。普段なら姿を現さないはずの詐欺師と、必ず逢着することができる訳だ。
危険因子を取り除くチャンス。この状況はかなりよい。
——攻めに転じるなら、今しかない。
『ミレナ様が本命なら、一番戦力が薄くなる、帰還中に狙うのは至極当然。それに加えて、未来から来たイエギクさんの証言』
『どう、ですか? 俺なりに沈思黙考したんですけど……』
またも独り言ちて、抜け目がないかを確認するリメア。シュウは最終確認を終えた彼に、良し悪しを問う。
『素晴らしい案かと!!』
返って来た答えは、良しであった。
よかった。リメアが言ったのならば、問題はない。
『それじゃあ、このプランで行きましょう!』
シュウは立ちあがり、両拳をぶつけ合って声を大きくした。
掌に打ち付けた拳に、敵への怨恨を、己への赫怒を、クソッたれた理不尽への激憤を乗せる。
『委細承知しましたとも! では早速、メンバーの編成と作戦の練り直しを!!』
※ ※ ※ ※ ※ ※
これが、上からの命令の詳細だ。
ただ、これは飽くまで予想。覆すのなら、覆されるのも視野に入れなければならない。
——忘れるな。
殺さず身柄を捕らえるはずのミレナを、殺してまで鬱憤を晴らそうとする存在。計画の根幹を、私憤で崩す金髪の詐欺師。
形容しがたい歪さ。今、最も恐れるべき危険因子だ。
今度は必ず、村を、グレイを、ミレナを、仲間全員を守ってみせる。
守らなければ、元の世界に戻る権利を捨ててまで、異世界に留まろうとした決意が全て無意味になる。師匠への尊敬が、口先だけの侮辱に変わってしまう。
成功は絶対。奴を殺す。ほかのことは後回しでいい。
シュウは自身の覚悟を薄弱とさせないために、膝の上に乗るミレナを、心強い仲間を強く抱きしめた。
「審査官に、ワシらのことを意識しとる奴はおらんな。てことは、とある場所から、敵が監視しとるって線でよさそうや……んじゃ、作戦の再確認といこか。シュアシュ」
「はい。わたくし達はこれから、イエギク様が仰った中央都と、ジェスパー領の間にある無名の森に向かいます。そこで、ジェスパー領で待機している騎士の方々と合流し、ミレナ様を襲う残党と闘います。イエギク様から頂いた情報によると、敵は白蛇に属している一人だと思われます。そして、土魔法師。その男とは、同様に土魔法師であるわたくしたち三人が会敵します」
ヴォルフに名指しされた狐顔の女性——シュアシュが、淡々と作戦について述べていく。
同時、馬車が中央都の門を抜け、軌道に乗り始める。
オレンジ色の空と草原。山の背景となっている赤い積乱雲が、不吉さをより一層強める。いよいよ、残党との闘いが近くなってきた。
「イエギク様は前の馬車の騎士と、ジェスパー領で待機されているグレイ様と共に、更なる敵と会敵してください。そして最後に、ミレナ様はイエギク様の背中の上で一緒に戦う。これでよろしいですね?」
前回の世界線、森に入ってすぐ会敵したのは、白蛇と呼ばれる組織に属している男。故に、白蛇の男がいる場所は中央都側だ。なら、消去法で金髪の詐欺師がいるのは、ジェスパー領側の森だと仮定していい。
白蛇の男はヴォルフ達に任せ、詐欺師は自分とグレイ達で相手をする。
一度経験している自分が、作戦の瓦解となりかねない危険因子と対峙することで、予想外の出来事にも対応できるようにする。そういったところだ。
「それで大丈夫だ。ミレナもそれでいいな?」
「ぐ、苦しい……」
「あ……ごめん」
ミレナを抱きしめていた両腕を、シュウは咄嗟に離す。強く抱きしめたことで、締まってしまったのだ。
——その節は、本当に申し訳ございませんでした。




