第23話 信託
「よし」
シュウは早朝の陽刻零時にミレナと別れ、中央都に赴き、門の前に到着していた。周りの者達——中央都に入ろうと列に並んでいた者達は、徒歩なのに物凄い速さで到着したシュウに、目を白黒させていた。
シュウはその視線に目もくれず、自分の番が来るまで待機。
中央都内に入ろうとしている理由は、時短が目的だ。リメアが住むスラム街は、中央都の北側にある。故に壁に沿って走っては、回り道が過ぎるのだ。
少しでも時短はしておきたい。
「次の方、貴方は何の目的で中央都に? あと滞在期間は?」
「リメア・ニュートラル様が住んでいらっしゃるスラム街へと向かう為、中央都に訪れました。滞在するつもりはないです」
「では、中央都内通行許可が欲しいということですね?」
用箋挟に挟んだ羊皮紙に、審査官が何か書きながら質問してくる。
——中央都内、通行許可? まぁ、通れるなら何でもいいか……
「あ、はい。そうです……」
知らない情報を聞かされたシュウは、少し戸惑いながらも肯定した。
差し詰め滞在せず、中央都を通過したい者の為の制度か何かだろう。
「では、何の目的でリメア様の元へ赴かれるのですか? それと出身地は?」
「私はミレナ様の遣いの者です。この手紙を届け、彼と会うのが目的です」
シュウはミレナの手紙を審査官に見せた。審査官はシュウの手紙を手に持つと、壁の中身をくり抜いて設置された事務室の中に入っていった。
数分時間が経った後、審査官の男は手紙を持って戻ってきた。
「本人確認済みました。それでは、持ち物のチェックをさせていただきます」
シュウは審査官から手紙を受け取り、言われた通り身体検査を受けた。
身体検査は問題なく終了。
「中央都内通行許可証です……首に掛けて、通行してください。」
象形文字が書かれたひも付きの許可証を受け取り、シュウは「どうも」と返答。
これでやっと入れると、走る準備をしていると、
「ここで馬車の手続きは出来ますが、どういたしますか?」
審査官の男が訝し気に訊いてきた。
馬車にも乗らず、手ぶらと言っても差し支えないシュウに、違和を感じたのだ。
「必要ないです。走り抜けるんで」
シュウは審査官に目を合わせず、ミレナから貰った革製の水筒をがぶりと一飲みしながら答えた。
審査官はシュウの言葉に「走り!?」と、瞬刻だけ蒼惶する。その後すぐ諦めたように「あぁはい……」と零し、
「中央都へ、ようこそ。現在時刻から三日以内には、都内から出てください。もし、三日以内に都内から出ない場合、処罰の対象となるので、留意しておいてください。許可証は審査官の者が回収しますので、門に着いた時にお渡しください。では、どうぞ」
最低限の仕事を済ませた。
シュウは深呼吸すると、水筒の蓋を閉めて懐に仕舞い、額に滴る汗を腕で拭う。
——そして、走り出した!!
「イッ!?」
審査官や周りに居た者達は、シュウの走る速さに腰を抜かした。
それも、夢でも見たというような顔でだ。
馬車が行き交う中央道路を、シュウは駆け抜けていく。それも前を走る馬車を追いこす程の超高速で。
「何だありゃ!?」「人だ!? 人が走ってるぞ!?」
「嘘つけ!? 人があんな早く走れる訳ないだろ!?」
「でも、どう見たってありゃ人だぞ!?」
都内にいた人々が、シュウの走る姿を見て喧々囂々となるが、シュウは構わず走り続ける。火急の今、目立つ目立たないなど気にしてはいられない。
今はただ、脇目を振らずにリメアの元へ。
そうして直線を数時間。ジェスパー領から中央都までの時間を含めれば、九時間強の移動を果たし、スラム街に着いた。
「確か、ここら辺だったような……お」
隙間なく建ち並ぶぼろ屋群。中には、木材が腐り倒壊しているものもある。ゴミの山から風に乗ってくる悪臭には、鼻が曲がりそうだ。
シュウは人一人ぐらいしか通過できない通路を通り、目印である河を発見。
記憶からルートを引き出し、着いた場所は突き当りにある三件の簡素な家屋。あらかじめ傑人員がここにいると知っておかなければ、気付くことは決してないだろう。
まさに清貧の体現だ。
「ええっと、確か……グーダとブーノとフーナ、だったか。リメアさんに話がある! 俺は怪しい奴じゃねぇ!」
「てめッ!? 何で俺の名前を!!」
シュウから見て右側の家から一人の少年が出てくる。柑子色の髪に、口の間から覗く大きな犬歯。特徴的な歯は、獣人の血を微量ながら引き継いでいる証拠だ。
「おい馬鹿ブーノ!! 出ちまったら奇襲にならないだろうが!!」
「うるせぇ! 俺に指図すんな!! こいつ、微かに血の匂いがしやがる! 気に入らねぇ」
いかにも子供らしい言い訳を振りまきながら、少年——ブーノはシュウを睨み付ける。初対面とは思えない程の剣呑な空気だ。
血の匂い。
生前、シュウが暗殺者であったことに勘づいているらしい。
前回の世界線で、少年が執拗に攻撃を仕掛けて来た理由が分かった。
仕草や話し方だけで相手の心理を読み取る者がいるように、生前の切っても切れない因果に勘づく者もいるということだ。
しかし血の匂い——嗅覚で勘づくとは。犬系の獣人の血を引いているのだろうか。
「敵意丸出しって顔だな……名前を知ってんのは、事前に教えてもらったからだ。俺はミレナからの遣いの者だ。手紙もある。本人の刻印付きだ……通してくれ」
「誰が通すかよ!! 身包み置いて立ち去り——ッ!?」
シュウは片手を天に、もう片方の手に手紙を持って、敵意がない事を露に。その彼の懇々とした行動を見ても、ブーノは嫌厭を無くすことなく威嚇し続ける。が、
「てめぇは大人しくしてろ!!」
「イテェ!!」
家屋の扉から出て来た、同じく柑子色の髪の少年——グーダが、ブーノの頭を叩いて首根っこを掴み、抑止した。
それでもブーノは、気に入らないシュウを気随させていられないと、
「何しやがんだグーダ! 離しやがれ!!」
手足をバタつかせて暴れ出す。
「離したら、お前はあいつに突っ込むから離さねぇ! ミレナ様の使者だってんのに、乱暴なことしちまったら、若頭の名に傷がつくだろうが! ボケ!!」
「イテェ!!」
だが、グーダも引かずにブーノの頭をもう一度叩いて、抑止を続行する。
そして、シュウと目を合わせて、
「使者さん、入りな」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「はい。事情は把握しました。それで話というのは……?」
手紙を一通り見まわし、本人証明である刻印を確認すると、丁子色の髪を生やした少女のような美少年——リメアが、机の上に手紙を置いた。
シュウの根を詰めた顔を見て、並々ならぬことを聞かされるのだろうと、彼の顔は真摯になった。
「俺、社交辞令とかは苦手なんで、単刀直入に言います。三日後、中央都とモワティ村に、無差別的な急襲が行われます。中央都は、社交界が終わった後に。モワティ村は、ミレナ達が帰還中にです」
「それは、一体どういう!?」
前置きや冗漫さを無くし、シュウは簡潔に起きることを述べた。
ある程度のことなら、受け止める覚悟をしていたはずのリメア。だが、シュウの突拍子もない言葉に、彼は愕然と表情を変えた。
「言葉のままです。三日後、騎士団がジッケルの森に向かった時……要は戦力低下した時を敵が狙ってきます。恐らく他の場所でもそうかと、全てを見た訳じゃないので、絶対ではないですが……」
「それが本当なら、一大事です! ですがもし嘘であったのなら、ミレナ様まで罪を被ることに……いえ、出すぎた真似をしました」
途中、リメアは察したように言葉を切り、その後すぐ猛省するように謝罪した。
彼がそうやって考えを翻したのは、使者であるシュウがそんな嘘を吐く意味がないこと。シュウの顔色や仕草に、寸毫の異変もなかったことに起因する。
もし仮に、シュウが何らかの手段でミレナから手紙を奪い、使者を騙っているのなら、異変が生じるはずなのだ。だが、その異変が寸毫も無い。
即ち、嘘ではない真実だと捉えても問題ないという事だ。
「では、何故あなたは敵の情報を……?」
「未来から来たからです。四日後の朝から……俺は、ミレナやグレイさんを助けられなかった。だから、急襲してくる敵をぶっ倒す為に、時間を遡行させて戻ってきたんです」
シュウは己の拳を見ながら、握りこぶしに悔恨の力を込める。
相手に理解してもらおうという考えから発した言葉ではなく、ただ己の感情を吐き出すように発した言葉だった。
真面目な顔つきを、険を帯びたものに変えたシュウ。その彼を見て、リメアは少しだけ口を開けた後、すぐに開けた口を閉じた。
「あ、すいません。いきなり未来から来たって言われても、理解できないっすよね」
シュウは感情を先行させすぎたと悔悟。後頭部に右手を当てて、頭を下げる。それから、
「未来から来たっていうのは、その……正直、自分でもなんて説明したらいいか、わからなくて。特殊な力を持った奴に、俺が持ってる物を差し出して、その対価で、時間を遡行させてもらったっていうか……」
分かり易く説明できない自身の愚かさに、気恥ずかしさに目を合わせられず、でもリメアに理解してもらおうと真摯に発言した。
しかし、自分の鈍ましい頭には辟易せざるを得ない。
ミレナに未来から来た説明を省けたのは、彼女の信じる力に縋ったからだ。説明は絶対条件で、仮に説明しても呆気にとられるのが理だろう。
リメアに理解してもらうには、一体どうすればいいのか。不失正鵠に説明するのは無理。ならばやはり、只管に信じてほしいと懇願するしか——、
「——未来から、それに時間遡行、ですか……何故でしょうね。普段なら唾棄しそうなことなのに、貴方の瞳には嘘が一つもない」
「…………」
ところがだった。あれやこれやと思考を巡らせているシュウに、リメアは意外も意外な言葉を言ってみせた。
彼にとって、シュウは初対面。であるにも関わらず『瞳に嘘がない』という、感覚的なものだけで、彼は信じると言った。
たった数分数秒の言行で、こっちの性質を把握したというのか。
分からない。信じるには、まだリスクが大きすぎるというのに。
「何故、そう思うのかって面貌ですね。こうやって、傑人員になって色々な人達と対面すると、相手の方の仕草や目の動きで何を思っているのか、大体は分かるんですよ。子供達はいい。皆真っすぐな目をしています……嬉しさや楽しさも、怒りや悲しさも、嫉妬に嫌悪でも、偽りがない」
窓の外からシュウ達を覗き見る子供。更にその奥では、石ころを積み重ねて遊ぶ子供達がいる。
彼らを見て、リメアは郷愁を味わうように微笑んだ。
「教育者になって、本当によかった……年を重ねる、経験を積み重ねていくと、隠したり誇張したりするのが、当たり前になりますからね……」
その言葉はもはや、シュウに語り掛けるものではなくなっていた。
まるで貴方のことを信じるから、自分の事も知って信じてほしいと、やられたことをそのままやり返すように。
「全く……一方では理屈抜きで信じておいて、もう一方では、理屈が無いと信じられない。なんと都合がいいことか。結局私も、愚かな人間なんですね」
「…………」
「話が逸れましたね! 申し訳ない! 要するに、私は貴方を信じてみたいのが本音です」
急な述懐に、溜飲が下がらないでいるシュウ。その彼を見かねたリメアは、苦笑いしながら謝った。
——信じてみたい。
少し前にも言われたセリフだ。
シュウは浅くても、リメアの気持ちを読み取れたと思った。
そして評する。
——全く俺は馬鹿だ。
「はッ! ハハハハハハハ!!」
笑いが込み上がった。どうしよもない馬鹿な自分に対しての笑いが。
リメアと会う目的——思考に混じった不純物。
相手を信じさせようと、信じさせるにはどうすればよいかと考えを巡らせる一方、信じてもらえることに疑問を抱いている。不安を感じている。
これを馬鹿と言わず何という。
「え、あの私、何かおかしなことを……」
「あ、いや、そうじゃなくて、意味のない事を考えてた自分が、馬鹿だったなと思いまして……」
戸惑うリメアに、シュウは笑いを抑えながら手を振り、
「リメアさんの信じる力には、恐れ入りましたよ」
温色で返す。
リメアは同じ温色で「いえ……」と、挟み、
「凄いのは、貴方の信じてほしいというストレートな気持です。えっと、呼び方はイエギクさんでいいですか?」
「はい。大丈夫です。俺からは、リメアさんと呼んでも?」
「はい。問題ありません」
小さく笑い合い、空気を柔和にしていく二人。
場面は少しだけ切り替わり、少年と少女——グーダとフーナが、ドア越しに聞き耳を立てていた。
「若頭が大人と笑い合ってるのって、珍しいよな」
「確かに……」
日常では見ないリメアの物珍しさに、グーダとフーナは目を互いに見合って頷いた。グーダに首根っこを掴まれたブーノは何処にいるかというと、木に縛り付けられている。「ちくしょー!!」と叫ぶブーノを、子供達は面白おかしく眺めていた。
場面は元の二人へ。
「ではイエギクさん。三日後、中央都やモワティ村に急襲が行われるとして、私に何をしてほしいのですか?」
「リメアさん、騎士団がジッケルの森に向かうのを、止めてもらえませんか?」
「私にですか!? というか、ミレナ様の手紙をお持ちなら、カザブさんに直接面会すればよかったのでは!? 彼なら騎士団を止める権限がありますし!」
どうして自分なのかと、思わず声を大きくしてしまうリメア。
この国での国防長官といったところであろうとシュウは思う。騎士団を派遣し、霧に対して民に厳戒態勢を取らせたのも、そのカザブであろう。
つまり、回りくどいと指摘されたわけだ。
「それは……リメアさん、アンタ、亜人迫害の問題を解決しようと活動してるんですよね」
「あ、はい。それが何か?」
「その問題解決には、金が圧倒的に足りない」
「そうですが、ちょっと待って下さいね……話の趣旨が読めないのですが」
話の着地点を教えないシュウ。その焦らすような彼に、リメアは両掌を見せて停止の合図。説明を催促する。
忘れるな。彼は前回の世界線の彼と違う。
「すいません。俺も決してかき乱そうとしている訳じゃなくて……リメアさん。さっき俺、未来から来たって言いましたよね」
自分本位に話してしまったと、シュウは自省しながらそう切り出す。
当然「はい」と返すリメア。その彼に、
「魔女が現れる場所、俺知ってるんですよ」
シュウは躍如とした表情で道破した。
「!? いつ何処に現れるんですか?」
椅子と机を大きく揺らせて、リメアは震撼する。
それもそのはずだ。この世界に於いて魔女とは死後、罪滅ぼしの為に魂を蘇らせ、邂逅した者に未来の啓示と切手を渡す存在だ。
それが指し示す解は『未来の啓示と切手を賜れる』ということ。そして、切手を賜れれば、それだけで騎士団を止めるにたり得る証拠になるということ。
「明日、リーカル領跡地に魔女が現れます。俺はそこに向かって、魔女に会って未来の啓示と切手を貰ってきます。そのカザブって人じゃなくて、リメアさんのとこに来た理由は、アンタに金になる魔女の切手を託したいからです」
立ち上がったまま額に汗を流すリメア。彼はシュウから視線を一度離し「そんな……」と声を篭らせながら、椅子に座った。そして、狼狽えながらシュウに視線を戻し、
「貴方は、見も知らない者に、見返りがあるかもわからない私に、何故そこまで……」
「見も知らない訳じゃないです。それに見返りだってある。リメアさんが亜人迫害問題の解決に注力してくれるなら、ミレナやグレイさん、村の連中も特になる。仲間が特になれば、俺も相対的に特になるってことです」
問いかけて来るリメアに、シュウは謹直な姿勢で答酬——否定した。
そう、飽くまで自分の為だ。仲間が無事で、馬鹿話をして笑い合うことが出来る未来を見る為、リメアに託すのだ。何故なら、彼がその未来を見せてくれる可能性が一番高いから。
互いの為になるのならなおよし。
「それに、敵は国家を転覆させようとしてます。金なんてあっても、対処できないなら意味がないっすよ。だから、期待できるリメアさん。アンタに全部任せようって……」
「———人生で、ここまでの聳動を受けたことは一度もありませんよ……そこまでおっしゃるのなら、無下にはできませんね」
「助かります」
差し出された手を掴んで握手を交わす。
この人になら託せる。この人の言葉なら信用できる。そういったやり取り、確実な絆の結びだ。
これでリメアと仲間になれたはずだ。なれたと思いたい。
「それじゃあリメアさん、俺が帰って来るまで……そうっすね。二日後の朝を迎えるまでに、必ず戻ってきます。それまでに、騎士団を中央都に留めてください」
「はい! 承知しましたとも!! 出来るだけのことはやってみせましょう!!」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
草原を走り抜け、森を駆け抜ける。中央都の壁に辿り着くと、既に門は閉まっていて入ることは出来ない。
月明かりに照らされる中、シュウは壁に沿って走り続け、ようやっとスラム街に到着。三件の簡素な家屋に辿り着き、明かりの点いた扉の前で腰を落とした。
「だぁ、はぁ……あぁ、マジ疲れた……」
「待ってましたよ! イエギクさん!! それで、切手の方は?」
息を吐き出して休憩しているシュウの前に、走る足跡で気付いたであろうリメアが、扉を開けて現れる。
シュウは「持って、ます……」と、げろを吐く勢いで呼吸しながら、リメアに切手を渡した。
「今、何時っすか?」
夜の帳が世界を包み込む時間。
宣言通り、二日後の朝までには戻ってこれた。というか、その啖呵のせいで思った以上に気張り過ぎてしまった。
「陰刻の七時です。というか、本当に走って往復したんですね……」
リメアのツッコミに返す元気がないシュウは、面倒臭くなって完全にスルー。
所要時間は約一日半だそうだ。食事と寝泊まりの時間以外は、ほぼ走りっぱなしだった。
「これが魔女の切手……凄いです。こんな刻印、見たことない」
「俺、そういうの疎いからよくわからないんですけど、そんなに、不思議なもんなんですか?」
リメアは切手の表と裏を交互にして、珍重に観察する。
肩で息をしているシュウは、リメアに講釈をしてくれと言外に言った。
その常識知らずなシュウに、彼は『何を今更』と言いたげに腰に片手を当て、
「そりゃそうですよ。刻まれる印字の緻密さは、魔法師としての高さの現われですからね」
「そういや、ミレナの刻印も、結構緻密だったような」
ミレナが手紙に魔刻印を押印した後、吉相体のような刻印が刻まれていたのを思い出す。
自分のような魔法の素養が低い者なら、楷書体のようにくっきりした刻印になるのだろうか。
そもそも、魔刻印を扱う事さえできるのかわからない。魔法も碌に扱えず、俗世にも疎く、文字もまともに読み書き出来ない。
何とも浮き川竹である。
「ミレナ様も高位の水魔法を行使なされる方ですからね。それで、どのような啓示を?」
「魔女様からの啓示は……」
深呼吸し、体と脳みそをリセットさせた。記憶の滝を泳ぎ登るように、魔女と対面した時のやり取りを捻出。
そうして、時間は半日前に遡行する。
※ ※ ※
すぐ横で河が流れる渓谷の中。不自然に残る小さな古城。領地の見る影は無く、周囲には瓦礫や雨風に晒された瓦などが散らばっている。
すぐ横に、今も街道として使われているであろう、石造りの橋があることから鑑みるに、旅人や商人の宿泊地だったのだろう。
領地というには聊か小さく、住むにしても五百が限界に見える。
「ここの近くに、魔女が……」
瓦礫の上に腰を降ろして、待つこと一時間程度。晴天の空を眺めながら、水分補給をしていると、
「あ? なんだ……? これは、霧?」
唐突、周囲が白く濃い霧に包まれていくではないか。
霧はあっという間にシュウと跡地を飲み込み、真っ白の希薄な世界へと一変した。
心なしか、少しふわふわする。
『私は災厄の魔女。死後、私の子供達と私自身が犯してしまった罪を償うために、魔力核を削剝し蘇る罪深き女。悠久の時の中、貴方を待っていました』
シュウは目を白黒させながら立ち上がった。
——声が、耳からではなく、内側、から。
流麗な少女の声が、体の内側——心から聞こえてくる。
生前、念話なるもので会話をしたことがあるシュウだが、改めて感嘆符が浮かんできてしまう。
「この霧が、魔女様なのか……」
『……いただいたこの手紙の通り、まさか本当に来てくださるとは、とても嬉しく思います。やはり、あの人の言葉は嘘ではなかった』
「あの人? な、何の話だ?」
『いえ、私は待つだけの身、これ以上は詮無いことです……申し訳ございません』
何の話か分からず、腑に落ちないシュウは呟く。
疑問符を浮かべる彼に、魔女は声を落としながら話を切った。
「何だかわからねぇが、それより魔女様! これから、この国を襲おうとしてる敵を撃退するには、どうすればいいでしょうか! お聞かせ願いたい!!」
何処にいるかもわからない魔女——否、シュウを包む霧全てが魔女なのだろう。魔女の魂の中心——一番霧の濃い上空を見上げて、シュウは懇願する。
『既に存じております。イエギク様、大筋は貴方の考えている通りで事は進みます。私から言うべきことは四つ……アルヒストを襲う敵の首魁は、明日の夕刻、貴族馬車に乗って都内に侵入してきます。その者を退けるために、今代の神将と面会してください。彼にそのことを伝え、会敵させるのです。そして退け次第、彼を連れてモワティ村の防衛を……』
——なんか、少なくねぇか……
余りの情報の少なさに、シュウは肩透かしを食らった気になってしまった。
噂によって誇大されているだけで、現実は陳腐なものなのかもしれないと、そう思える程に簡潔だったのだ。冗多が一切省かれていたのだ。
もっとこう、なんというか。未来の啓示なら、細かく的確な指示をされると思っていた。
——いや、今はそんなことを考える時じゃねぇ……
シュウは切り替えを挟んで軌道修正。
魔女は、実際にこれから起きることを言い当てている。未来の啓示は本当のことだ。それは疑いようのない事実。
言葉の表面だけで、想像を膨らませ過ぎた自分が悪い。
未来の啓示が出来るのなら、何らかの力で対象者の未来を見たという事だ。
なら、魔女が対象者の記憶を覗き込んだりしても、何の違和感もない。
故に、啓示によって差し出される情報に多寡があったとしても、おかしくはない。
それに、自分は未来の啓示など必要がない程に、これから起こる事象を承知している。加えて、啓示が違えば改竄することも視野に入れていた。
些事である。
「啓示はこれで……?」
『はい、これで啓示は終了です。それに、あの人からの言ですから、ご心配には及びません。最後に、手を出してもらえませんか……』
「わかりましたが、何を?」
『切手です。この魔霧を一点に集めて、切手を生成するんです。ですから、少しだけお時間をください……』
シュウは魔女の指示通り、両手を前に出した。
首を回しながら眺望していると、霧が刻々と収縮していくのが感覚で分かった。
——別れが来る。
『あの、イエギク様……少し、よろしいですか?』
だが、その別れの前に魔女が話しかけてきた。
差し出した右手に霧が収束している中、シュウは「はい。何か?」と、上空を見上げた。
『私は、この魔霧の中でしか、貴方と会話することができません。ですので、切手を完全に顕現させてしまえば、私は消えてしまいます。だからその前に、一つだけ、いいでしょうか?』
大丈夫です、とシュウは返す。
『ありがとうございます……』
その声だけで、魔女の感情が揺れているのが分かった。
今までの必要最低限のやり取りではなく、魔女の個人的な話なのだと、シュウは直感的に理解した。そして、相応の気持ちで受け止めようと決意を固める。
霧の濃い部分が、風で揺れるように揺蕩い、
『これから何があろうと、私の半身であるあの子の傍にいてあげてください。辛いことがあれば、苦しいことがあれば、支えになってあげてください。どうか、どうかあの子を、頼みます……』
最後の言葉が起点となって、霧の収束する速度が速まっていく。同時に、魔女との別れも急速に迫ってくる。
シュウは魔女の言う、あの子という人物が誰なのか分からず、問おうと上空を見て、
「あの子? あの子って誰で——ッ!」
——だが、
「消えた?」
——シュウが質問をするよりも早く、魔女と霧は完全に消失した。
「霧が晴れてる……あの子って一体……?」
晴天の空から視線を落とし、周囲を四顧しても霧は、魔女はいない。
霧が収束して出来上がった切手を見るが、反応はない。ただ固く、冷たい感覚だけが掌に残る。
「これが、魔女の切手……」
シュウの右手には、将棋の駒サイズの切手が一枚だけ乗っていた。正面であろう面には、とんがり帽子と杖のアイコン。裏面には、吉相体で刻まれたような刻印。
見た目は青い紙のようだが、質感は鉄のように冷たく重厚感がある。曲げたりすり潰したりさせないように、顧慮しているのだろう。
何故、切手なのかについては考えないでおこう。あの子というのも気になるが、今は一刻を争う。
念頭に置くだけおいて、シュウは河を飛び越え橋を渡り、山道を走って引き返した。
※ ※ ※
時間は戻り陰刻の七時。
シュウは受けた啓示を、リメアに遺漏なく伝えた。
魔女の信託——あの子に関しての話はしていない。
話したくないといった方がいいかもしれない。闇雲に話すことではないと思ったからだ。
また言ったところで何にもならないことも、目に見えている。
「夕刻、敵の首魁が貴族馬車に……でも、貴族馬車には必ず数名から十数名の近衛騎士が……」
言葉を切るのは、結論に至った証拠。人の死を悲嘆するが故の行動だ。
「既に近衛騎士は殺されていて、この中央都に向かっている……」
シュウはただ冷徹に、リメアの言葉を引き継いだ。
「——痛ましいですが、過ぎたことよりも、被害を最大限に抑えることが先決です。例え怪しい存在であっても、貴族馬車に乗っているなら入都審査を受けずに、中央都へ侵入できてしまいます」
審査を受けずに済むというのなら侵入は容易だ。
加えて、敵の首魁が閑静と都内に侵入出来た理由にも頷ける。至極当たり前ではあるが、騒動が起きれば騎士団の目に入る。だが現実はそうならず、誰も気付くことはなかった。
敵の練り込まれた奸計が見えてくる。
「とはいえ、無条件で都内に入れる訳ではないです」
「というと?」
「馬車を所有する本人の確認が無ければ、都内には入れないんですよ。となれば、所有者は必ず、無事に生きているはずです」
「所有者を迅速かつ安全に救出できるのは、首魁以上の強者だけ、だから神将ってことか……」
魔女が神将を推している理由が、はっきりした瞬間だった。
近衛騎士となれば、通常の騎士以上に剣才に富んだ者であるはずだ。その近衛騎士を圧倒して馬車を奪った敵から、所有者を助け出すことが出来るのは、近衛騎士以上に俊逸した神将だけだろう。
「それにしても、敵の計画性の高さ……アルヒストのことをよく知った、頭の切れる知謀者か、或いは内通者の可能性が懸念されますね」
「それに関しては後者だと」
シュウの断言に、リメアは訝し気に眦を細めた。だが直後、納得がいったように顔を『ハッ』とさせる。
シュウは頷き、
「リメアさんは既に知ってると思いますが、光の屈折を操る存在が、この国のどこかに息を潜めてます」
光屈折操作を成し得る、詐欺師の存在をリメアに話した。
「誰かに変装し、裏で敵に支援をしているということですか?」
「はい。どこに潜めているのかは分からないですが、確実にいます」
「その者を、捕らえることは……?」
リメアが真剣な顔で問うてくる。
詐欺師の強さは確かなものだった。ミレナが居なければ、確実に負けていた。
その詐欺師を捕らえ、エドリックの事件の真相を吐かせるのは無理に近い。
だからシュウは、
「無理です」
言い切った。
婉曲的でもなく冗長さもない、はっきりした一言。偽りのない真摯な顔つきから放たれた言葉は、より意味を増幅させた。
リメアにとって、その悪辣なる存在は高祖父の仇敵だ。報復を与えるべき卑俗者だ。弾劾しなければならない罪人だ。
だからこそ、シュウは逃げの言葉ではなく、伝えるべき真実を伝えた。
凶悪で強力な存在を捕らえることは困難だ。変装ができるのなら、逃亡は造作もないことだろう。始末しなければ、事が悪化してしまう。
「わかりました……」
下唇を噛んで血を滲ませるリメアの慨嘆な表情は、その感懐の苛烈さを表していた。
その胸懐で、万感が綯い交ぜになっているのが伝わって来る。
それでも、リメアはシュウに捕らえてほしいと希求はしなかった。
彼が教育者で、傑人員である理由の一つだろう。
「すいません。リメアさん……」
「いえ! 決してそんなことは!」
リメアは粉飾するように苦笑いしながら、両手を振って否定する。拙劣なれど、彼がその粉飾を貫徹するのなら、掘り返すのは野暮というもの。
リメアが穎悟で弁えられる善人でよかった。
「では最後の、神将と共に、モワティ村の防衛をするという啓示から……ここから察するに、敵はミレナ様の逃げ道を完全に無くして、捕らえようとしているのでしょう……神将以外の大多数の騎士達は、中央都や他の領地の防衛と巡回に当ててよさそうですね。どうせなら、ミレナ様を含む、モワティ村の方々を、安全な場所に避難させる方がよいかもしれません……」
穎悟であるリメアの案。彼の頭脳は相変わらず凄まじい。
シュウは「俺もそれでいいと思います」と同意。それから、
「じゃあリメアさん、これを……ちと汗臭いですが許してください」
シュウは上着の内ポケットから、魔女の切手を取り出した。そして、切手を取り出した方の手ではない、もう片方の手でリメアの手を掴み、切手を託した。
貴方にこれを託しましたと、信託の意味を込めての行動である。
伝わればそれで上首尾。
「切手。確かに受け取りました。感謝します。これは使者に……いや、今すぐ、私自身でカザブさんに届けてきます。神将との面会は明日にしましょう……お疲れ様ですイエギクさん。宿は貧相ですが、私の家を使ってください」
「そうさせてもらいます……」
頭を下げて謝意を伝えるリメアに、シュウも軽く会釈して言葉を返した。
どうやら伝わっていたようで何よりだ。
「イエギクさん! 絶対に敵を征伐し、アルヒストを救いましょう!!」
「当然です!」
二人は、仲間同士が気兼ねなくするような握手を交わす。
リメアはもう一度、恭しく頭を下げて都内に向かった。
横の家屋から、一人の少年——グーダが姿を現すと、シュウに一度だけ目を合わせてリメアの後を追った。
二人の背中を、暗い夜の中に溶け込むまで見送れば、シュウは空を仰ぐ。
大小二つの月を見て、ミレナの陰惨な死を思い浮かべる。看取る事さえできなかった、グレイやリメアの死に際を想像する。
その最悪を脳に焼き付け、刻み込む。二度と、あのような悪夢を見ない為に、心に覚悟を刻み込む。
「仲間に知り合った奴、救えるもの全員の命。俺が助けてやる。ぜってぇに……」
——この異世界に留まると決めた以上、絶対にだ。
「当然です! かぁ……私もあれくらいの、男気がある男性になりたい!! 手を握られた時は、思わずドキッと……」
「何ニヤけてんだ若頭。早く行こうぜ」
「あぁははは、失敬失敬……」
一方その頃。そんな他愛ない会話をしているリメアとグーダであった。
ネタの創作に時間が掛かってしまいました。
不定期更新ではありますが、これからも付き合ってもらえると幸いです。




