第22話 作戦の立案
「よし、こっからどうするかについて決めようか。目的への齟齬は無くしておきたいしな……ん? どうした?」
「うぅ………流石にまずい気がしてきたわ」
現在の場所、宿屋。シュウが寝泊まりする寝室だ。
ベットに腰を降ろして、頭を抱えているミレナ。シュウはその彼女と対面するように、椅子の背凭れ側を前にして座っている。
部屋の光源は壁に掛かった蝋燭の光のみで、眠気を誘うように蒼然としている。
時刻は日が落ちた陰刻の三時。
ミレナがどうして頭を抱えているかというと、彼女が領主にとんでもないことを言ったからである。
顛末を話そう。
ミレナのコネによって、ジェスパー領で宿を無償で借りることになったのだが。ミレナが予定よりも早く来たことと、見知らぬ青年であるシュウと居ることに対して、領主が疑問を投げかけたことが事の発端だ。
『ミレナ様、今日はどうなされたのですか? 確か、カナリー様の誕生日パーティーと社交界は、三日後のはずですが……それとそちらの御仁は?』
『三日後? 二日後じゃなく——』
『ええっと! それは何というか、そう! この子と駆け落ちしたの!!』
『『え? えぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!』』
そう、開口一番ミレナは「駆け落ちしたの!!」と、領主のウィリアム・ジェスパーに嘘を吐いたのだ。
その突拍子もない発言には、一緒に駆け落ちした設定であるはずのシュウでさえも、吃驚に声をあげてしまった程だ。
当然、一緒に吃驚したシュウに領主は疑いの目を向けたが、そこは即座に「いや、まさか暴露してしまうとは、ハハハ!」と白を切って、何とか乗り切った。
あの時は途轍もない冷や汗を掻かされた。
固い頭でありながら、良い判断が出来たといえよう。
これが顛末だ。
「まぁ、なんやかんやの説明をする必要はなくなった。て、いってもだ……そのメリットを考えても、デメリットの方が大きいけどな」
シュウはそう言ってミレナに指を差した。ミレナは「ごめん……」と、俯いて自省を露わに。全く困ったものだ。
メリットは、何故予定よりも早く、それもシュウとミレナの二人だけで、ジェスパー領に訪れたのかに対しての質疑応答。モワティ村への確認や、シュウの氏素性の取り調べ。
この二つが、ミレナの駆け落ち発言でスキップされたことと、ツケ無しで宿を借りれたことだ。
デメリットは、広まった噂の払拭に奔走しなければならないこと。そして、これに掛かる時間だ。
メリットは、順繰りに説明を施せば解決できた問題だ。だがデメリットはそうはいかない。
何故なら発言の払拭よりも、広まる噂の方が確実に早いからだ。故に、一人一人順繰りに払拭したとしても、後の祭りである。
噂が広まり切って飽和状態になった後、嘘だという事実を広めていくしかない。
とはいえ、莫大な時間が必要とされるが。
ため息を吐くシュウ。そのシュウの怖い顔を見て、ミレナは長耳と顔をしょんぼりさせ「ごめんなさい」と、もう一度自省した。
因みに、シュウは自分が怖い顔をしていることに気付いていない。
普段は天真爛漫な彼女も、流石に短慮であったと慚愧しているようだ。
「ま、やっちまったもんはやっちまったんだ。気にしすぎるな……それに、今は作戦を立てるっていう、大事なものが残ってる」
そう呟きながら、シュウは錯綜する情報を脳内で纏めていく。
このジェスパー領に来て分かったことが一つある。それは社交界の日が二日後ではなく、三日後であった事実だ。
シュウは最初、起きる事象が創造主によって攪拌されたのではないかと邪推していた。しかし、その邪推は根本的な解釈違いによって、瓦解させられた。
というのも、前の世界線で毒によって侵され、眠りについた時間——実は数時間ではなく、一日以上だったのだ。
この解釈ならば、村が存在するはずの場所に、森が広がっていた事への説明にもなるし、溜池でミレナが水浴びをしていなかったとしても、辻褄が合うのだ。
前回は開始早々に滑落し、一日分の時間を無駄にした。だが、今回はそうではない。一日でも猶予が増えたと考えれば、やれることも豁然と広がる。
これは大きなメリットだ。気持ちの部分でも、物理的な時間としても、だ。
「うん。具体的に、これからどうするの?」
「先ずは、中央都に向かって、スラム街にいるリメアさんに会う」
首を傾げ、疑問符を浮かべるミレナにシュウは切り込む。
傑人員。詰まり、国の最高権力者の一人の伝手を使って、今後の行動を楽にする訳だ。具体的には、
「彼に会ったら、騎士団がジッケルの森に進行するのを止めてもらうつもりだ」
リメアの伝手を使って、騎士団の進行を中止してもらう。
見聞と接触した時の体験から、リメアが善人であったことは確かだ。彼なら真摯に聞いてくれるだろう。
「騎士団がジッケルの森に? 何でそんなとこに?」
「噂で聞いてないか? 霧が発生してるって……」
ジェスパー領での昼食中に、グレイから聞いた『ジッケルの森の霧』の噂だ。
——大まかな事柄は、
霧の中に入った商人が姿を眩ました事件。一万年以上も前、大犯罪を起こしたソグームドが封印されているジッケルの森。そこに、忽然と発生した霧。霧の中に入れば、二度と帰ってこれない。
——こうだ。
「そういえばそんなこと、グレイが言ってたかしら。森に入ると、二度と戻ってこれないって……」
「霧が発生してる原因までは分からないが、危険って理由でそこに騎士団が向かうんだ。未来じゃそうだった」
憶測でしか物を図れないが、これは国の最高戦力である騎士団自体を、都から離す為のブラフだとシュウは考えている。だって余りにも、タイミングが良すぎるのだ。
水を魔法で発生させることが出来るのなら、人為的に霧を発生させることも出来るはずだ。
それに敵は、国そのものを転覆させようとしている節がある。
『権力者は全員殺すって予定だったからね……』
金髪の少年——リメアが言っていた、光屈折操作を成し得る詐欺師は、そう発言した。
故に、敵の狙いは国家転覆だと考えられる。
「わかったわ。それで騎士団を止める理由は?」
「丁度、今から四日後、モワティ村を含めたアルヒストに、無差別的な急襲が行われる。中央都は、社交界が終わった後に。モワティ村は、ミレナ達が中央都から帰還している時に」
「戦力を分散させた時に、襲ってくるってこと……?」
「九割方そうだな。敵の狙いは、国家転覆だと思う」
シュウはミレナに、知り得ている敵の情報を詳述した。
全てを見たわけではない為、確定とは言い切れないが、恐らく間違いない。
「大体の筋は分かったわ。でも、騎士団が動くってことは、傑人員のカザブ・ゼルブスキーって子か王、或いは両方からの指示のはずだから、リメアだけじゃ止めるのは難しいかも……私も声掛けはするけど、証拠がないと決定打に欠けるわよ」
計画の稚拙さに指摘を入れてくれるミレナ。
彼女の言う通り、証拠がなければ計画の全てが無意味になる。至極当然の疑問だ。だが、シュウはそれを見越したうえで計画を立案したのだ。
「そこは大丈夫だ」
シュウは超然とした表情でミレナを見る。
「何か証拠があるってこと?」
ミレナは怪訝に眉を寄せた。
シュウは彼女の疑念を解消する為、昂然とした表情で「あぁ」と口を開け、
「魔女の切手を使う」
豪爽に言ってみせた。
「え!? 魔女の切手!? シュウ持ってるの!!?」
「馬鹿、声がでけぇよ。後、今は持ってない」
ミレナは身体をベットより前に乗り出して、怪顛する。その彼女の予想を上回る驚き方に驚きつつも、シュウは唇の前に人差し指を立てて窘めた。
——魔女の切手。
災厄の象徴であり、その罪滅ぼしの為に死後、魂だけを蘇らせる魔女。蘇った魔女の魂と邂逅した者は、未来の啓示と証拠になる切手を賜ることができる。
摩訶不思議なおとぎ話に聞こえるが、異世界では常識のように蔓延している。仮に切手さえ手に入れられれば、啓示とは違う嘘であっても人々を動かすことも出来る。
シュウの根拠の無い無差別的な急襲——詭弁でさえも、真実だと罷り通ってしまうだろう。
なら、この好機を逃す訳にはいかない。
「ごめん。じゃあもしかして、シュウは未来で、魔女様が現れるのを見たってことかしら?」
「そう思ってもらっていい。正確には現れる場所を知ってるだけだがな……」
「すごいじゃん! 切手さえあれば証拠になるわ! それなら騎士団を止められる。魔女様が現れる場所ってどこ? わっとと!」
喜色満面に長耳をぶるんぶるんと上下させ、座っているシュウに裸足のまま近づくミレナ。
まだ共感覚の弊害が残っているのだろう。バランスを崩しそうになった彼女を、シュウは「おい、気を付けろよ」と支えた。
ミレナは「ごめん、ありがと」と、ベットの上に腰を落とす。
「魔女が現れる場所は、前に訊いたリーカル領跡地で、二日後だ」
リメア達から正確な時間も聞いておけばよかったのだが、過ぎ去った過去の——いや、過去と言うのはおかしい。無理な話というべきか。
ともかく二日後の朝から、リーカル領跡地に居座って待つしかない。
「リーカル領跡地……結構距離があるわね。馬車だと往復も考えて、少なくとも四日以上。え、嘘、間に合わ……」
そう言って、ミレナの直下していく感情——元気がなくなっていく顔。だが、彼女は言葉尻を濁したと同時、元気がなくなっていく顔を吹き飛ばして、喜色に転変させた。
シュウはその彼女の顔を見て、
「そうだ。俺の足の速さなら、三日もあれば往復できる。当然休みを含めてだ」
再び、豪爽に言ってみせた。
ミレナを背負って下山した時の速さは、凡そ時速三十キロだろうか。かの速さなら、余力を持って長距離移動できるだろう。
もしかすれば、時速四、五十キロでも長距離移動が可能かもしれない。試したことは無いが、全力ならば時速百キロ近く出せるのではないかと、シュウは思っている。
「ここからなんだが、ミレナ……お前にやってもらいたいことを話す」
突として、シュウは快暢な雰囲気に言葉のメスを入れ、ミレナを真面目な顔で見た。そのシュウに、ミレナも真面目な顔でコクっと頷く。
「先ず直筆で、リメアさんに手紙を書いてもらえないか。あの人なら、お前の手紙だけでも、俺の言葉を信じてくれるだろう。それに、中央都にもミレナのこねで入れる」
「うん、おっけい。了解よ」
「次は、ミレナ。明日になったらモワティ村に一旦帰ってくれ。リフに怪しまれたら、敵の行動が大きく変わる可能性がある」
「それはいいけど、一人で大丈夫なの……?」
ミレナの憂いが孕んだ翠眼に見つめられ、シュウは少しだけ気弱に目線を落とした。本音は、彼女の安否を確認できるように共に行動したい。しかし、それはシュウの利己的な感情である。
四日後まで、彼女が無事であるのは確定事項だ。今の感情を優先させて、結果が『失敗しました』では、二の舞を演じる馬鹿になる。いや、馬鹿を越えて大愚だ。
優先されるのは今の感情ではない。後だ。
「大丈夫だよ。心配無用だ」
「そう。そこまで言うなら、引き下がるしかないわね……」
温容で言ったシュウを見て、ミレナも温容で返した。
「助かる。もう一つ、多少の金が欲しい。一日三食で、三日分の食料を買う金だ。宿泊代は、まぁ野宿でも俺は行けるから——」
「野宿は駄目よ! 絶対に!!」
唐突、シュウの言葉尻を遮って割り込むミレナ。
シュウはその勢いに、椅子の背凭れに乗せていた両手を上げて、ミレナを驚きの目で見た。
前言に何か杜漏な部分があったのかと、振り返ったが分からない。
そんなシュウを見て、ミレナが更に怒った顔で指を差し、
「野宿は危険なの! ていうか、何で知らないの!? 馬鹿なの!? 常識はずれなの!!?」
先程、共感覚の弊害で転びかけた彼女は何処に言ったのやら。人差し指で、こちらの鼻を何度も強く突っついて来た。
シュウはそんなことかと、あげた両手を降ろし、
「すごい不評だな……野宿っつっても魔獣なら心配ない。俺は気配を感じたら直ぐ起きれるように訓練してる。それに、囲まれたのなら突っ切れる自信もある」
真面目に淡々と返す。だがミレナは「そうじゃない!」と、激昂した表情でシュウのおでこを人差し指でグイっと押し、
「魔獣だけならまだ序の口なの! 一番危険なのは魔吸虫とのコンビネーション!!」
今度はおでこを何度も強く押した。
「魔吸虫との、コンビネーション?」
シュウは知らないが、魔吸虫とは人や動物の体内にあるオド。または、オドやマナを多く含有する植物の実を好む虫のことだ。
蝶のような形をした虫で、同様に口吻が備わっている。その口吻から魔力を吸い込み、体内で栄養素に変換させて生存しているのだ。
生息区域は主に、マナが多い森や動物が多く生息している山の中である。
「頭のいい魔獣は、獲物を確実に仕留めるために魔吸虫を操作するの。寝てる獲物に大量の魔吸虫を仕向けて、獲物のオドを吸わせて、それで疲労困憊で動けなくなった所に噛みつくのよ……」
前回の世界線。オドを捻出した後に気を失い、地下で目覚めた過去。丹田に、ぽっかりと穴が開いたような虚無感をシュウは思い出す。
鉛のように重く、傀儡のような身体を動かしているような、最悪の気分だった。
あの憔悴しきった状況で、襲われるのだと考えると、恐怖でしかない。
「駆け出しの商人とか、若い狩猟者とか、旅慣れしてない子とか、新人の騎士とか……魔法に心得のある子でも、野宿中に、魔吸虫にオドを吸われて、魔獣に食い荒らされるって事件は、後を絶たないわ」
「かなり危険だな……」
「でしょ? だから野宿はなし。領地か村に泊まる。お金は食事代と宿代分用意するから。わかった?」
「はい。わかりました」
メッと幼子を叱りつけるように、ミレナはシュウを睨み付ける。それに対し、シュウは素直に首肯して、改悛の情を表した。
わざわざ身を危険に晒す必要はなく、厚意をむざむざと溝に捨てる必要もない。ただでさえ状況は芳しくないのに、自ら難易度をあげるなど道化もいいところだ。ここはミレナに甘えよう。
「それでよし!」
「——取り敢えず、作戦立てはこれで終わりだ。風呂と飯も済ませたし、あと手紙終わらせて、今日は寝よう」
「うん!」
「紙と筆記用具借りてくるから、ちょっと待っててくれ」
こくりと相槌を打つミレナをよそ目に、シュウは椅子から立ち上がってそう言った。
「はぁい。あ、魔刻印も借りるの忘れちゃ駄目だからね。それがなきゃ本人証明ができないから」
「魔刻印、印鑑みたいなもんか……わかった」
返事して部屋を出れば、シュウは廊下を抜けて階段を降り、宿主の好々爺から羽ペンとインク。両掌サイズの羊皮紙に、ミレナから言われた魔刻印を受け取った。
「ありがとうございます」
「いえいえ」
「…………」
感謝を述べ、シュウが振り向いて階段に向かおうとした時。
「かけおち………だとよ」
「そ……の、………んでふたへ……?」
宿主とその妻らしき女性が、何やら小声でやり取りしているのを、シュウは足を止めて盗み聞きした。
「………ぇよ。お……いお…てなんじゃ………か?」
「あんたは………にあわず……ししだ……ね」
何を話しているのか、微妙にだが分かってしまったシュウは、絶妙な顔で階段を登った。彼らが話していた内容は、ミレナの駆け落ち発言についてだろう。
既に、領地内には知れ渡っているようだ。
駆け落ち発言の払拭活動は、苛烈を極めそうである。
——てか、どうやって使うんだこれ……?
部屋までの移動中、シュウは興味本位で魔刻印を珍重に見まわした。
一見、変わったところはない。というか、変わったところが無いことが、却って引っ掛かった。
スイッチのような凸部分はあるのだが、その反対側は平坦なのだ。
このまま押印しては、本人証明もクソもないのでは。
いや、待て。ここは異世界だ。
——もしかして、オドを込める云々が、関わってんのか……?
シュウは異世界を踏まえたうえで、そう結論付けた。
部屋のドアノブに手をかけ、
「ミレナ、借りて来たぞ」
「おかえりー」
「ただいま……手紙頼むわ」
仰向けになって、枕を抱きかかえていたミレナに手を振られ、シュウも振り返して入室する。
ミレナはベットから立ち上がって椅子に着席。シュウは机まで移動し、借りて来た物を置いて彼女の横に立った。
「なんて書く?」
「そうだな……」
手紙の内容に、貴人が書くような堅苦しいのはいらないだろう。要件さえ伝わればそれでいい。
「拝啓、リメア・ニュートラル様へ。今回、手紙を書かせていただいたのは、今手が離せない状況にいるからです。代わりに——」
「ストップ! ちょっと早い」
ミレナはシュウに掌を見せて、喋るのが早いと停止の合図。シュウが言ったことを手紙にすらすらと書き記し、
「いいわよ」
彼を見て開始の合図をした。
「えぇと、今手が離せない——」
「そこは書いたわ。見れば分かるでしょ?」
「え? あぁ……ごめん」
実は文字の三分の一も読めないのである。
ミレナの言葉が胸に突き刺さる。
見ても分からないんです。ごめんなさい。
横から手紙の内容を見る魂胆はよかったのだが、肝心の文字が読めないことを考慮していなかった。
シュウは机に手を突いて、
「代わりに、遣いの者を、そちらにお送りしましたので……詳しい話は、その者に、お尋ねください……」
今度はミレナの筆の速度と発言速度を鑑みながら、訥々と紡いでいく。
ミレナが合間合間にする「うん」という首肯が、区切りまで書き終えたという合図となった。
「その者の名前は、イエギク・シュウと、申します。彼を受け入れてくださると、幸いです。敬具……こんな感じか?」
そのまま、最後まで同じやり方でミレナに手紙を書いてもらった。
「ん、じゃあ魔刻印を押して……」
シュウが机の上に置いておいた魔刻印をミレナは持ち、凸部分を指で押し込んだ。
すると突如、魔刻印を軸にして、三つの蒼い小さな魔法陣が出現する。
三つの魔法陣の位置は、まずミレナの手元に出た魔法陣。次に、魔刻印の中心部分を囲うように出た魔方陣。最後に、魔刻印の印の部分に出た魔方陣である。
ここでタイムストップ。
ちょこっとミレナちゃんが颯爽と登場。
魔刻印について、ざっと説明するわね。
まず、魔刻印は本人証明をする為の道具よ。
使い方は簡単。凸部分の方を上にして、オドを込めながら凸部分を押すの。
すると、自分の属性にあった色の、三つの魔法陣が出て来るわ。
三つの魔法陣の役割は入力、変換、出力よ。
先ず、手元に出て来た魔法陣が、込めたオドを魔刻印に入力してくれるわ。
次に、魔刻印の中心部分に出て来た魔法陣が、入力されたオドを変換してくれるわ。
最後に、魔刻印の印の部分に出て来た魔法陣が、変換されたオドを特定の形に出力してくれるわよ。
この三つの工程が終わった後から、押印してね。そうじゃないと、ただ塗り潰しただけみたいになっちゃうから。
気を付けるよぉに。
使用した人によって印の形も変わって来るから、本人かそうじゃないか一目瞭然よ。当然だけど、互いに印の形を知っておかないといけないからね。
これで説明終了。
ちょこっとミレナちゃんは颯爽と退場。
タイムストップ解除。
「はい完成。変なとこないか見てみて」
「え、あぁ……そうだな」
手紙を渡され、シュウは勢いで読んでいる演技をしてしまった。だがこれでは、ミレナが誤字脱字、衍字をしていないか判別がつかない。
シュウはバツが悪くなり、手紙を机の上に置いた。
当然、確認にしては早すぎるシュウの行動に、ミレナは訝し気に眉を顰める。シュウは彼女をじっと見て、
「——悪いんだが、実はミレナ……」
「あ、間違ってた……?」
その長耳に反省の色を見せるミレナ。その彼女の感情表現が、シュウに更なる羞恥——忸怩を招いた。
シュウは一度目を逸らし、赧然とした顔でこめかみを掻きながら、
「——俺、文字読めねぇんだ」
「———は?」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
文字の読めない理由と経緯を一通りミレナに話すと、どうしてか読みの練習をすることになった。
「はい、これは何て読むでしょうか?」
「……分からん」
「じゃあこれは?」
「ええっと……」
手紙に書かれたとある文字に指を差すミレナ。
ふむ、全く分からん。だがそれを言うのは、余りにも恥ずかしい。
「いまてがはな」
シュウは誤魔化そうと、彼女が指を差している文字の位置から、読みを推測しようとしたのだが、
「あ! 文字の位置から読みを推測しようとしたでしょ? ちゃんと一文字だけ見て考えないと駄目だからね。じゃあこれ……」
バレた。
ミレナは腕を使って、シュウが推測できないように周りの文字を覆い隠した。
シュウは姑息な手を使った自分に良心の呵責を覚えつつ、次なる文字が何であるかに脳を奔走させる。
させたが、
「うん、分からないです」
結果は完封負け。汗顔だ。顔が熱い。
今の自分の顔は、恥ずかしさを湛えているだろう。
事実、ミレナは赧然としたシュウの顔を見て、
「ぷぷぷ! ぷひゃぁぁ!!!」
堪えようと頬を膨らませ、しかし堪えきれずに、破裂させるように口から息を吹きだして爆笑し始めた。
彼女が笑う中、シュウは何も言い返せずに視線をずらして「ぐぬぬ」と黙り込む。
「ダメ! お腹痛い! 笑い死んじゃう! アハハハ! キャハハ!!」
そんなシュウの肩をミレナは手で突っついて、更なる追い打ちを掛けていく。
そして到頭、シュウの絶妙に大きい堪忍袋の緒が切れてしまい、
「だぁ! うるせぇ!! 田舎馬鹿だからしょうがねぇだろ!! 笑うんじゃねぇ!!」
そう言って感情を爆発させた。
だってそうだろ。ミレナの煽りレベルが、天井を突き抜ける程に高いのだ。これは、長耳を引っ張って反省させなければ。
「ぷふふ! あぁ可笑しい! あれだけキリッ! って顔して手紙の内容考えてるシュウが、実は文字が読めないだなんて……あぁ、面白いったらありゃしないわ! やーい子供ぉ~文盲ぉ~あはは!」
「誰が子供で文盲だぁ?」
「うぅ! ごめん言いすぎた! 許してください!!」
シュウは青筋を額に作って、おふざけが過ぎるミレナの長耳を引っ張って折檻執行。
果たして、侮辱罪によりミレナは長耳を赤く腫れさせましたとさ。めでたしめでたし、とはいかない。というか全然めでたく——、
「うるせぇぞ!! ガキが盛ってんじゃねぇ!!」
突として、横室から足蹴りと憤慨の声が室内に響く。二人だけの世界に入りこんでいたシュウとミレナは、体をびくりと跳ねさせた。
賑やかだった雰囲気は次第に凋衰していき、シュウとミレナは現実に引き戻された。
二人は互いを見合って苦笑。ミレナははぁと息を吐く。それから「というかガキじゃないし、盛ってなんか……さか、さかッ!?」と言葉尻を切り、耳から湯気を出した後、顔をトマトのように紅潮させ、
「なッ!? バッ!? 盛ってなんか——ッ!」
「馬鹿お前、言い返さんでいいわ!」
何を血迷ったのか、慙憤したミレナは横室の男に抗弁しようとしたのだ。シュウは咄嗟に、彼女の口元を無理矢理に塞いで黙らせた。
「むぅ……」と、こちらの腕を甘噛みするミレナをよそに、シュウは嘆息。止めていなかったら、どうなっていたことやら。
旅人なのだろうが、まだ駆け落ち発言について知らないらしい。もしこの場面を見られてしまえば、最悪の場合、駆け落ちの噂が山を越してしまう。
国境を越えた釈明など、御免被りたい。
「ッたく。人が下手にでりゃぁ、調子乗りやがって……」
「ごめんってば……でもなんか安心。完璧な子は私、どうも苦手なのよ……」
「何でだ? 完璧な奴の方が色々やってくれるし、楽じゃないのか?」
ほとぼりが冷めると、シュウはそう言ってミレナの口から腕を離した。
それから、腕に付いたミレナの涎を服で拭って、噛みつかれた跡を眺めながら応答する。
「うーん、なんていうか、こっちまで姿勢正さなきゃってなるからさ。クレイシアって子がいるんだけどね……って、シュウは未来から来たんだったわね。もう知ってるか」
「まぁな。ただ未来っていっても、数日後の近い未来だし、二度と過去には戻れないって短所付きだけどな」
顎の下を人差し指で触れながら呟くミレナに、シュウは洒然と返答した。
続いて心の中で、矮躯な一人の人間だと独り言ちる。
「切もいいし、今日は寝て明日に備えるぞ……ほれ、背中乗れ」
「わかりました、隊長殿」
「何で隊長……」
彼女が背中に乗ったのを確認し、部屋のドアを開いて退室。足を引っかけて閉じれば、右隣のミレナの寝室へ。
ミレナが横転して怪我をしないように、ベットの真横で腰を降ろして、彼女が降りるのを待つ。
「そういやさ、ふと疑問に思ったんだが……」
「なに?」
「共感覚の弊害でぶっ倒れたんなら、自分自身に治癒魔法掛けて、快復することだって、できたんじゃないのか?」
身体を反転、ちょこんとベットに鎮座するミレナを見て、シュウは真っ当な質問を投げた。
治癒魔法によって他者の傷を治すことが出来るのなら、自分自身にも治癒魔法を掛けることができるはずだ。
そもそも、彼女が自身に治癒魔法を掛けていたところを見ている。どうして、自分に治癒魔法を掛けないのだろうか。
いや、もしかすると——、
と、いろいろ思索に耽っているシュウ。その彼に、ミレナは「それがね」と、前置きを入れ、
「実は、治癒魔法って結構欠陥が多いのよ。効く時と効かない時があるの……」
「…………って、ことは、今回は治癒魔法を掛けたけど、効果が無かったってことなのか?」
「うん。治癒魔法って、そこまで万能じゃないのよ」
やはり、そうだった。
掛けなかったのではない。掛けたうえで、意味がなかったのだ。
自分に治癒魔法を掛けることが出来るのに、年長者である彼女が治癒魔法を掛け忘れるわけがないのだ。
そう考えることができたのなら、治癒魔法を掛けたが効き目がなかったと類推することもできたはずだ。
いやはや、これは自分が馬鹿であった。
「猿並みの自分の知能に、辟易してきた……」
「それでさ、私の今までの経験則なんだけどね……多分、治癒魔法は、その人にとって最高の状態にまでしか、治せないってことなのかなって考えてるの」
「と、いうと?」
注釈してほしいと催促。ミレナは疑問符を浮かべているシュウの手を取って、掌で腕や足を一筆書きするように触り、
「こうやって、シュウは産まれ持って手とか脚とかちゃんとあるでしょ」
「あぁ」
「でも、生まれても片手や片足がなかったり、手足がどっちともないって子もいるでしょ? 普通に手足がある子からすれば、手足の無い子って不自由に見えちゃうけど、その実、手足の無い子からすれば、それが自然体じゃない?」
「まぁ、そうやって生きて来たなら、それが当たり前になるからな」
別段、不思議なことではない。他の話にも置き換えられることだ。例えば、人間であれば人間として生き、動物なら動物として生きるといったものだ。
自分は自分だ。そのままの状態が一番楽で、当たり前だったりするものだ。それが常だ。
まぁ人間をやめた奴を知ってはいるが。
「だから治癒魔法を掛けても、元々無かった手足は生えてこない。それはその子にとって最高の状態だから。他の子が欠陥、瑕疵や怪我だと解釈しても、その子にとっては無いのが最高の状態だから、関係ないってことかな……治癒魔法は飽くまで、その人、個から抜け落ちたモノ。それをできるだけの範囲で修復する魔法だと、私は思ってるの。それと、ここからは私の独断の仮説なんだけど……」
ミレナは片手をベットにつき、もう片方の手は指を立てて、
「自分から渡したモノは、治癒できない対象だって思うの」
仮説を言った。
「渡した物……等価交換みたいなもんか?」
「あ、その言い回ししっくりくるわね……」
シュウの不失正鵠な言葉に、ミレナは長耳をピクリと跳ねさせながら言う。
「でね、治癒魔法って傷は治せるくせに、オドや体力は治せないのよ。オドは体の一部じゃないって見解が今では常識だけど、体の中にあって、体から作られるのに、体の一部じゃないっておかしな話でしょ? 体力も言わずもがな……なら、解釈が元々間違っていた……」
恐らく、体の中にあるモノ全てがその対象なのだろうと、シュウは推測した。
最高の状態というのは種々雑多で、万全な状態は然り、体力を少し失った状態での最高、疲弊しきった状態での最高と様々なのだろう。
仮に治癒魔法が万能ならば、治癒魔法を行使できる者は無限に体力を回復し、無限にオドを補填できてしまう事になる。
要は無限循環を、永久機関を可能にしてしまうのだ。
そうなれば無限に働き、無限に魔法を行使できるということ。もっと言及するなら、寝る必要はなくなり、食べる必要もなくなるのだ。
破綻している。
「それで、渡したモノは治癒の対象じゃないって考えに至った訳か……」
「うん。日によって万全の状態が違うのと同じで、今の状態での最高までしか治せない。だから、私が共感覚で使った体力は、治癒魔法では治せない……動けるようになるには、ご飯を食べて栄養摂取したり、休んで疲れを取ったりして、体力を作らないといけないってことね」
納得顔のシュウに、更に講釈をたれるミレナ。異世界での予備知識の蓄積だ。
体外にあったモノを体内に取り込めば、それも体の一部となる。逆も然りだ。ここがミソなのだとシュウは解釈。
異世界に於いても、万能な存在や概念は存在しないということなのだろう。
「疲労が溜まった状態が、今の最高の状態」
理解しましたというシュウに、ミレナは「そゆこと!」と、大きく頷く。それから、何故か急にあげたテンションを減衰させ、
「ただ一つ、おかしな点があって……」
問題があると長耳を垂れさせた。
「おかしな点?」
シュウは眉毛を上げてミレナを見る。
「うん、私の治癒魔法だけ、ちょっと他の治癒魔法より勝手が違うのよね……なくなっちゃった腕や足が治せちゃうの。普通なら体の損傷が酷い部分とか、消えちゃった部分は、治癒魔法では傷を塞ぐぐらいで完全には治せないのに、なんでか私は出来るの……」
薄緑の横髪を指先でいじくりながら、ミレナは述懐した。
前回の世界線で、グレイから聞いた言葉を回顧する。記憶の海をかき乱し、浮き上がって来た断片を抜粋。
そう確か、王の孫娘の命を救った話だ。
グレイは、ミレナが命に関わる傷を治したと言っていた。先のミレナの言が真意なら、傷は塞げても、死に瀕した者の命までは救うことが出来ないことになる。
矛盾だ。とはいうものの、ミレナが命に関わる傷を治したのは事実だ。
ミレナの解釈違いで、単純に彼女の治癒魔法師としての才能が、超邁しているだけなのかもしれない。
「そうか。なら単純に、ミレナの才能が超邁してるってことだろ……特別ってことだ」
「特別か……私は、あんまり好きなことじゃないな」
ミレナは長耳を悄然と垂れさせ、ベットを軋ませながら臥床する。その翠眼は、落ち込むように陰っていた。
『わたしを、ひとり、の、おんなのことして、せっして、くれたこと……』
思い出す。前回の世界線で、彼女が余喘を吐きながら言った言葉。
ミレナは特別扱いを毛嫌いしている。
シュウは落ち込む彼女の表情を、少しでも軽くしようと言葉を熟思。思い付き、ミレナの瞳を見つめて、
「特別っていっても、いろいろ違うだろ? 何も悪いことだけじゃない。少なくとも、俺はいい意味で特別だって言ったし、そう思ってる……」
微笑みながら言った。
ミレナは、シュウの仁慈に溢れた言葉と表情に「ん……そう」と、恥ずかしさを紛らわせるように、横髪を指で弄り、
「ありがとシュウ。ちょっと気が楽になったかも」
ベットの頭の方にある枕ではなく、膝の上に置いていた枕を抱きしめた。
「おう。じゃあ俺は戻るから、しっかり休めよ」
「はーい」と、微笑むミレナに軽く手を振られ、シュウも軽く手を振ってドアを開ける。
「お休みぃー」
「お休み」
そうやって挨拶を終えて、シュウは自室に戻った。
そして違和感に気付く。
「あれ、俺の枕は?」
自分が寝るベットの上に、枕がない事を。
「ごめん、流れで持ってきちゃった」
シュウはミレナから枕を取り戻し、その後無事就寝した。




