第23話 迷わず奥へと進むのです
エンタク、七階層目を突破。
通常のヌザンビよりも十倍ほど強いヌザンビ――強化ヌザンビを三体斃して、八階層目に入ろうとするところだ。
エンタクが六階層目の攻略後にシュウ達に連絡しなかったのは、彼女の言葉で答えよう。
『シュウ、ミレナ。聞こえる?』
返り血が全くついていない状態で、エンタクは千里の通いを使う。
『少し長かったな』
『手強かったの?』
エンタクにしては時間がかかったなと、憂慮してくる二人に彼女は『それはそうなんだけど……』と、何か言いづらそうに口ごもる。
シュウとミレナが『ん?』と疑問を喉で鳴らすと、エンタクは『実は今、八階層目に差し掛かるところでな』と、申し訳なさそうに吐露した。
『え? なんで?』
『……新たな強化ヌザンビが、傑出能力を使ってきたんだ』
ミレナが率直に質問すると、エンタクは間をおいて真面目な声で答えた。
『まさかそれって、ボトーさんが言ってた、誰かの傑出能力を真似たってことか?』
『だと思う。事前に誰かとヌザンビを戦わせて、強化させたんだろう。それで気になって、対策を練ろうと七階層目も攻略したんだけど、三体のヌザンビ全部が、違う傑出能力を使ってきたんだ』
『全員が違う傑出能力。それって、対策を練れないってことじゃ?』
エンタクはシュウの言葉を肯定し、ミレナの推測に『だね』と頷く。
一体一体違うなら、権変で対応しなければならないということだ。
『いちおう、参考程度に報告するけど、先入観は持たないでね……まず一体目は、肉片に強酸を仕込み、それで攻防一体の戦場を展開する傑出能力だった』
戒飭しつつ、エンタクは六階層目の戦いを回想し始めた。
時間は数分前までに遡上する。
第六階層目に入ったエンタクは、異形となりつつあるヌザンビを泰然と観る。どういった行動をするのか、相手の行動を待った。
「コロス!!」
「なに!?」
ヌザンビの行動に、驚き目を見開くエンタク。
無理もない。
何故なら、ヌザンビは卒遽に自身の両腕を嚙みちぎったのだ。ヌザンビとはいえ謎すぎる自傷行為だ。
だが同時に、謎すぎる自傷行為にエンタクは答えを導き出した。
何かしらの行動に移るために、このヌザンビは自分の腕を噛みちぎったのだと。
噛みちぎられ、吐き捨てられた腕がゆっくりと蠢き始める。そして蠢蠢たる動きを止めずに、腕は数十に分裂した。分裂した肉片は、様子見しているエンタクに飛びつき、
――軌道が!?
避ける彼女に向かって、放物線を描きながら追尾する。避けても避けても、どれだけ避け続けても追尾してくるため、埒が明かない。
避ける中、見れば、ヌザンビは集中することなく、快然とこちらを観察している。
どうやら、自動追尾らしい。
相手の能力を悟ったエンタクは乾坤炎輪を忽焉と取り出し、もう十分だと肉片を打ち落と――、
「!?」
突如、乾坤炎輪で打ち落とした肉片が破裂。四方に飛び散ったのだ。
一瞬ですべてを打ち落とした彼女は、破裂した肉片に囲まれた状況。中心にいた彼女に、破裂した微細な肉片が瞬刻で――ゆっくり、ゆっくりと付着――、
「馬鹿ナ!? ドウヤッテ!?」
だが中心にいたはずのエンタクには、肉片が一つも付着していなかった。彼女に付着するはずだった微細な肉片は壁面や床、天井に付着している。
まるで彼女の周りだけ、謎の障壁が展開されたように肉片が付着していないのだ。
実際は、エンタクが微細な肉片をただ乾坤炎輪で弾いただけなのだが。強化ヌザンビには上述したように、エンタクが障壁で守られたように見えたことだろう。
目で捉えきれなかった訳だ。
微細な肉片は『ジィウジィウ』と音を立て、付着した部分を溶解しながら蒸発する。
「ふむ。そういうことね。肉片の中に酸を混ぜたってわけか」
エンタクから凄まじい殺気を感じ取ると、強化ヌザンビは治っていた両腕を噛みちぎり、もう一度攻撃する。そして、超速再生させた腕を再度噛みちぎって、今度は自分の周りに肉片を浮遊させた。
ほんの数秒で、自分にとって有利な戦況を用意したのだ。
「何トイウ……何トイウ身体能力」
またもエンタクが紙一重で避け続ける中、強化ヌザンビは肉片を展開し続け、室内全体を浮遊する肉片で埋め尽くす。
これぞ、ヌザンビが扱う傑出能力の真骨頂。学習させた者が思い描いていた能力の理想形。
肉片ひとつひとつは微細で溶解する力は弱いが、それを避けられないように覆いつくして、じわじわとだが着実に追い詰めていく戦法だ。
たとえ相手が捨て身の攻撃を嘗試、敢行して巻き込まれたとしても、ヌザンビ故に元の木阿弥。
相手が格上であろうとも、関係なく通じてしまう討究された能力なのである。
余裕なエンタクを見るヌザンビの表情は、まだ本気を出していないのに余裕ぶるなと言いたげだ。
「いかにも、これで無敗の最強ですって、誇示してる能力だな」
「!??!?!?」
警戒しているヌザンビに向かって、百は超えるであろう肉片の追尾を躱し続けているエンタクが、躱すことに集中しているはずのエンタクが、涼し気な声で侮蔑した。
――露の間だけ、視点はヌザンビに。
なぜそこまで余裕ぶれるのか。驚きと同時に怒りがこみあがってくる。
侮蔑されたことに恚乱したヌザンビは、舐めるなと青筋を浮かべ、自身の周りに浮遊している肉片をエンタクに向かわせる。そして、避けるなど不可能な全方位からの一斉包囲で、彼女を攻撃した。
「――――ッ!?」
時間が遅くなっていく感覚の中――初めての体験に驚きながら、ヌザンビは見た。
残像が肉片と肉片の間を縫いながら、
「だから負けるんだよ」
敵を湮滅せしめんと、槍を振り上げる瞬間を。
――ぐちゃ。
ヌザンビの意識はそこでなくなった。
時間は一旦元にもどって現在へ。
『二体目と三体目は、相手の視覚の上下と左右の感覚を逆さまにするやつだった』
一体目のヌザンビとの戦いを、かいつまみながら説明したエンタク。今度は七階層目の二体のヌザンビとの戦いを、二人に説明し始める。
「俺タチノ能力、上天下土ノ鏡界・コンフュ。惑ワサレテ、死ネ。敵」
「こいつは?」
――魔霧だ。
七階層目に立ちはだかった二体のヌザンビは、エンタクを見て早々に能力を行使した。
警戒しながら空気を吸って、異常に気付く。
視界がかき混ぜられたかのように、ぐるぐると渦巻き状に歪んでいくのだ。その歪みの目が順々と増えていくと、今度は数が減っていき、最終的に――、
「上下が反転してやがる……」
上下が、見る世界が全く逆になっていた。否。「それに」とぼやきながら、もう一つの異常にも気付く。
視界だけでなく、右腕を動かそうとすれば左腕が、左足を動かそうとすると右足が動くのだ。
感覚の左右も反転している。
「なんとなくわかったぞ」
魔霧が薄くなり、扉の前にいた二体のヌザンビが目視できるようになる。
考えるに、魔霧を吸った者の視界と感覚を、全く逆にする傑出能力といったところだろう。
屋外なら、退避して遠距離から攻撃できるのだが、今は地下でそのうえ室内。退避できない。こういった室内ならではの傑出能力だと言える。
まぁ、本当にただの室内なら、壁を壊して解決してしまうのだが。
「ドウダ? 理解デキナイダロ?」
「理解デキテモ、対応デキナイダロ?」
ケラケラと戯笑する二体のヌザンビ。
エンタクはそれに「それはお前らが決めることじゃねぇだろ」と、鼻で笑い返した。
「ドウイウコトダ」
「そのままの意味なんだけど」
「ア?」
「イキガルナ!」
二体のヌザンビが激昂して叫ぶと、急に魔霧が濃くなって視界が悪くなった。
だんだんと二体のヌザンビの影が薄くなり、淀んだ魔霧と同じように揺蕩い始める。
「…………?」
やにわに影が視界から消えた。
――シン、シン。
鈴のような閑寂な音が鳴ると、消えた影が音に合わせながら、現れては消え、現れては消えて接近してくる。
「シャ!!」「ヒュウ!!」
見え隠れする影は間合いに入ると、左右から挟むように長い爪と牙を使って仕掛けた。
それはまるで、舞を踊りながら戦う戦士。舞踏戦士だ。
エンタクは左右の感覚が反転しているのを留意しながら、空いた左側――即ち右側に向かって攻撃を避ける。
意識していれば反転していようが特段問題ない。
「中々ヤルナ」
「ダガ、次ハドウカナ?」
ならば無意識はどうかなと言いたげに、二体のヌザンビは先ほどよりも早く移動して、もう一度仕掛けてくる。
ただ今回仕掛けてくるのは、一つの影だけ。もう一つの影は消えたままで、仕掛けてこない。
「シャ!!」
エンタクは問題なく一つ目の影の攻撃を回避。だが、
「ヒュウ!!」
それを狙っていたもう一つの影が、右手で切りかかろうとして左蹴り――フェイントを入れて攻撃してくる。
フェイントは気づけたが、反射故に左蹴りを右足で防ごうとしてしまう。だが左右の感覚は反転中。出るのは右足ではなく、左足になってしまう。
ヌザンビの攻撃が腰に入る直前、強制的に時間の感覚が遅くなる。
だが――、
「入ッタ!!」
二つ目の影の攻撃が、エンタクの腰に入る。数メートルふっとぶエンタクの身体。
ヌザンビは確かに感じただろう。心地いい感触を。
エンタクは勢いを宙で殺し、地面に降りた。
「手応エ、ア……ナン、ダ!?」
急に色然と驚くヌザンビ。
何が起こったというのか。
「確かに、これは少し厄介だな。勉強になったよ。ありがとね」
そう言って嘆美するエンタクの右手には、黒い何かが握られている。
刮目してよく見ると、それは左足だった。
ヌザンビが驚いたのは、その左足がなくなっていたからである。
「――ッ!」
エンタクはゴミでも捨てるように恬然と左足を投げ捨てると、片方の足を失ったヌザンビに急接近。瞬刻で懐に入り、鳩尾に拳を叩き入れ、一撃でヌザンビの身体を消し飛ばした。
左右反転の傑出能力が解除される。
左右の感覚が、能力を行使する者がいなくなったことで元に戻ったのだ。
エンタクはヌザンビの蹴りを避けられていた。それでも避けなかったのは、自身への戒めと学び、そして相手の能力への純粋な嘆美があったからだ。
傑出能力と身体能力だけに頼ってしまったという、驕りへの戒め。もし、攻撃を避けられなかったらという、予想外への学習。
嘆美はその二つの機会を与えてくれたからである。
だから一撃を食らいながら、攻撃に使った左足を引きちぎったのだ。
「さて、お前も魂の元に帰してやる」
エンタクは恐れ戸惑っているもう一体のヌザンビを睨む。
彼女の殺気を孕んだ鋭く無慈悲な視線に、ヌザンビは悚然と全身を強張らせ、冷や汗をかいた。
もう一体のヌザンビも、エンタクに容易く斃されることとなる。
『まぁ、こんな感じだ』
かくかくしかじか。七階層目の戦いの説明を終え、エンタクは二人の考えを聞くことにした。
『それじゃあ問題だ。傑出能力を使ってくる奴らに、君たちならどうやって戦う?』
傑出能力を行使してくる相手にどう対処するのか。
自分と違って、シュウとミレナは干渉してくる能力に対する能力を体得していない。不利な状況に持ち込まれたとき、どうするのか聞いておきたい。
『どんな能力も発動させなきゃ、無用の長物だ。先手必勝。最初から出し惜しまずに攻める』
『うむ、悪くない答えだ。シュウなら、ある程度なら可能だろう。ただ、その考えだけじゃだめだぞ』
慢心してはだめだと注意され、シュウは『そうだな、肝に銘じる』と返答する。
刻操を行使できる彼にとって、先手必勝はそう難しくないこと。それでも、それだからこそ、慢心してしまうものだ。そうなっては、先手をとれなかった時の反動が甚大となる。
翻せたのなら、何も言うことはない。
『ミレナは?』
『シュウの言うことはもっともだと思う。それでも、私は相手の戦い方を観るわ。エンタクが七階層目で戦った相手は、回避不可能な傑出能力を使ってきた訳でしょ? なら、なんでもかんでも先手必勝って訳にはいかないじゃない。だから、細心の注意をしながら、相手の虚を突く。それが私の考え』
まるで二人目が言うべき模範解答のような鋭い意見だ。
望んだ以上の回答が返ってきて、エンタクは『いい答えだ』と称賛する。
『シュウとは違って、ミレナはやっぱり身体能力に欠ける。権変で対処しようとするのはいい考えだ。ただ相手の様子を見すぎたり、自分の鑑識眼を過信するなよ。いつの間にか追い詰められたり、手酷い攻撃を食らったりするからな』
『分かったわ』
様子見しすぎて、そのまま畳みかけられてしまうという線は十二分にある。とりあえず様子見と考えなしに行動するのは、賢明とは言えない。
ミレナもしっかり翻してくれたようで何よりである。
『それじゃあ、僕は先に進むよ。また変わったことがあったら、僕から連絡するね』
そう会話に区切りをつけ、千里の通いを切ろうとするエンタク。シュウとミレナは相槌を打って返事する。
『死ぬんじゃないぞ。絶対だ』
『死なねぇよ』
『そうそう、私たち強いから!』
エンタクは二人の自信ありありの返しに微笑した。
千里の通いを切り、八階層目に入る。
※ ※ ※ ※
シュウとミレナは五階層目をクリアし、問題の六階層目を目の前にする。
まずはミレナからだ。
扉に触れ、階段を下りて六階層目に入る。
報告通り、今までのヌザンビより体が大きく異形じみている。女性のヌザンビだ。白く体形が女性のそれである。
矢筒の中にはまだ矢は残っているが、連戦してそう多くない。
できるだけ、矢は無駄にしたくない。ここぞという時にだけに絞って、撃たなければ。無駄にした分、戦いは厳しくなる。
奥の手も、まだまだ使いたくない。
「チビカ、ヨクココマデ来レタナ」
「誰がチビよ!? ちっさいことと、強さは別よ!!」
一つ目の発声がムカつく罵倒だったことに、ミレナは長耳を逆立たせながら食って掛かる。失礼すぎるぞこのヌザンビ。
「イウナ、身軽デ虚弱ナオ前ニ、コレハ耐エラレルカイ?」
異常に気付いたのは、鼻から空気を吸おうとした瞬間だ。
「なに? 空気が急に重くなって……ッ!?」
ミレナは口を押えてながらぼやく。
というか何だか、まともに立てなく――、
「重イダロウ」
「なんなの!? 身体が、重くて、動かない!!」
「無駄ダ。コノ環境ニ慣レテイナイオ前デハ、身動キデキナイヨ」
両手と膝をついて睨むミレナを、ヌザンビは見下し嗤う。
ミレナは知るかと、必死に上体を持ちあげて立ちなおそうとするが、叶わない。それをヌザンビは嘲笑の言葉で刺す。
「一体、どんな傑出能力、なの!?」
予備動作などはなかった。いつの間にか傑出能力を行使され、能力を強制されていたのだ。
何を考えてか、歩いて向かってくるヌザンビに、ミレナは弓に矢をつがえて応戦しようとするが、
「うそ!?」
矢が重さに逆らえずにバキっと折れてしまった。
ミレナだけに能力――重さを強制させたわけではない。この部屋全体の重さ――恐らく重力を強くして、強くした重力を自他含める部屋のすべてに強制させている。
見れば、地面を覆っている肉の管がミチミチと潰れている。ヌザンビが走って向かってこなかったのも、自身にも重力を強制させているからだろう。
「死ネ!」
「負けるかぁぁぁぁ!!」
力を振り絞り、獣のように四足歩行でヌザンビの攻撃を避けた。立っての移動は体に負荷がかかりすぎる為――というか無理だから、四足歩行で動くしかない。
――まずいわ……
ミレナはそれを見て、心中でぼやいた。
ヌザンビが拳を叩きつけた場所の抉れ方が尋常ではない。叩きつけた拳も、ぐちゃぐちゃに歪曲している。
やはり、このヌザンビの傑出能力は、強くした重力を自他含める部屋のすべてに強制させることだ。
一撃でも食らえば、致命傷は免れない。
幸い、相手も自分自身の傑出能力を精巧に扱えていない。避けて反撃できる隙は十分ある。
「イツマデ、逃ゲラレルカナ?」
「貴方を倒すまでよ!」
「言ウネェ!!」
――さっきより、早い!?
足の筋肉を膨張させ、走り出したヌザンビ。
精巧に扱えていないのではない。全力を出していなかっただけだ。
「オラ! オラ! オラァ!!」
「ッ!!」
拳を振り下ろして攻撃し、歪曲した拳を振り上げ、また叩きつける。
ミレナは猫のようにすばしっこくすべてを避け、距離をとった。
一撃でも入れられたらまずい。矢を撃ちこみたいが、接近戦は危殆だ。距離をとり続け、様子を窺いながら虚を突いて矢を撃ちこむしかない。
「コウイウコトモ、デキルノヨ!」
「やば!」
ミレナの心の声でも聞いていたのか、ヌザンビは地面に足を食い込ませて、蹴り抉って小石を飛ばしてきた。
逃がしはしない。遠距離も戦えると。
ミレナは飛びのけながら両手両足を盾にして、頭や心臓などの大事な個所を守る。
がしかし、
「ぬぬぅ……グ、あ、うッ!」
盾にした両手両足が飛んできた小石によって剥がされ、大事な個所に被弾してしまう。たかが小石だろうと、強力な重力の中で飛ぶ以上、威力は並大抵のものではない。
盾にした両手両足が、被弾した大事な個所が、打ち身で赤く染まる。頭からは少量の血が垂れてきた。
致命傷とまではいかないが、深手だ。
「ココハマナガ無イ地下。治癒魔法ハ使エ――」
「お生憎様」
だがミレナには、
「ナニ!? 馬鹿ナ!?」
再生の傑出能力がある。治癒魔法ではなく、傑出能力が。
魔法が使えない地下でも、傑出能力なら難なく使えるのだ。
ミレナの傷は完治。彼女への中途半端な攻撃は、眇然たる行動にしかならない。
「相性は五分五分ってところね」
「ホザケ! 小娘!!」
「私の方がお姉さんよ!!」
言葉の綾に正論で返し、ミレナは散らばっている小石を投げつける。反射的に小石を弾くヌザンビ。ミレナはその隙を活用して、落とした矢じりの柄を掴む。
間髪入れずに、床に散らばる小石を拾って――、
「ふみゃ!? なに!?」
握りしめた小石が倉卒に動き出した。
「まさか」
ミレナはその現象を体感して、上層での戦いの時を回顧する。
四階層目、五階層目の戦いでヌザンビを葬った後、ミレナはとあることに気付いていた。
ヌザンビが壊した壁や床が、不自然に治っていたのだ。
――ここは生物の体内。
もし、もしも、壊れた個所が治るのだとしたら、飛び散った小石は。
「まさか!?」
ミレナは振り返った。
「今頃気付イタカ!」
飛び散ってばらまかれていた小石たちが、一斉に壊れた地面に向かって戻っていく。その軌道上にいるミレナは、
「うッ! うぅぅぅう!!! いやぁ!」
再び小石の攻撃を被弾してしまう。体を元に戻し、前を見たミレナの背中に、小石の嵐が猛威を振るう。
床を壊して小石を飛ばしたのはヌザンビ。吹き飛ぶミレナの軌道は、ヌザンビの方向へ。
完全な無防備。
隠然と力むヌザンビ。そして大きい構え。
重い一撃が来る。
その洞見。
そうだ、重い一撃がだ。
ミレナは敢えて小石の攻撃から身を守らずに、背中で被弾したのである。
――これはチャンスだ!!
『戦う時、相手の一挙手一投足を見落とすな。見落とさず、そこから何をしようとしているのか、脳みそをフル回転させて考えるんだ』
ありがとうエンタク。
――ミレナは一か八かの賭けに出る!!
「食ライヤガレェェェ!!」
ヌザンビの拳がミレナの鳩尾に直撃する。
受け身をとれずに血を吐き嘔吐くミレナ。思い切り殴り飛ばされ、壁、天井、床にボールのように叩きつけられながら、地面に倒れた。
「体ヲ治セヨウト、今ノ一撃ハ堪エタダロウ!」
「え、えぇ……ゴホッ! ゲホッ! いい一撃、うぅ……だったわ」
「…………?」
嘆美か皮肉か。疑問を湛えるヌザンビ。
彼女には分かるはずもない。
「手に、矢じり?」
ふと自身の腕を見たヌザンビ。
拳が鳩尾に直撃する寸前、反撃で矢じりを腕に突き刺したのだ。
ミレナの狙いは、
「凍れ」
ヌザンビの右前腕に突き刺さった矢じりが、唐突に凍り始める。氷は瞬く間にヌザンビの身体を蚕食し、全身を瞬く間に凍結させていく。
肉を切らせて骨を断つ。
一か八かの大博打に勝った。
「クソォォォ!」
ヌザンビは咄嗟の判断で自分の首を切り落とし、すんでのところで全身凍結を免れる。ヌザンビの長所を活かして、再び戦線復帰するつもりなのだ。
「させないわ!!」
だがミレナは矢筒の中にある矢を折って、矢じりを首だけになったヌザンビに投げつける。
「ガァッ!?」
矢じりは見事にヌザンビへと突き刺さった。
逃がしはしない。
「凍れ!!」
「ヌオォォォォォ!! ミミッチイ、貧相ジャジャ馬ガァァ!!」
負け惜しみという名の断末魔を聞きながら、ミレナはヌザンビを凍結させた。
首無し人体氷像と、首だけの氷像が出来上がりだ。
「誰が貧相じゃじゃ馬よ! ハイ! セイヤ!!」
ミレナは四足歩行で走って二つの氷像を瞬時に破壊。
「私はとっても大人のおねぇさんなんだから!!」
白い液体となって蒸発するヌザンビを見下げながら、決め台詞を吐いて辛勝を手にした。
なんたって大人のおねぇさん。シュウが抱き着いて泣きじゃくってしまう程の、魅力的な大人のおねぇさんだ。貧相なじゃじゃ馬とは、かけ離れたおねぇさんなのだ。
「手強かったけど、私のかちぃぃ!!」
弱くなっていく重力の中、ジャンプして天井にガッツポーズした。
次はシュウと強化ヌザンビとの戦いだ。
六階層目に降りたシュウは、
「跳弾!」
六階層目の強化ヌザンビと拮抗した勝負を繰り広げていた。
「追尾弾!」
「クソ……ッ!」
「操作弾!」
「ッ!?」
「無理ダ! コノ距離ヲ縮メルコトハデキナイ!」
変幻自在の肉の弾丸が、至近距離を得意とするシュウの接近を許さない。一撃一撃が大砲の玉のように重く、そして早いのだ。
だがそれよりも厄介なのが、
「焼夷弾!!」
「チッ!」
防御無視の爆炎をまき散らす弾と、
「強酸弾!!」
酸で溶かしてくる弾だ。
何回か寸隙から、発射と発射の間を縫って距離を縮められたのだが、焼夷弾と強酸弾の牽制で退かざるを得なくされるのだ。
となれば、捨て身での突進はどうだとなった。しかし、もし捨て身の覚悟で突進すれば、焼夷弾と強酸弾の連射で致命傷を喫することになる。そして何より、相手の戦い方に違和を感じていた。
何かおかしいのだ。
このまま弾丸をうち続ける戦い方を続けるのだろうか。そういった雑念にも等しい違和だ。
弾丸を発射する攻撃は傑出能力。それを行使し続ければ、相手のオドの総量を図れないとて、必ず竭尽するのが定め。
だのに、使い続ける謎の自信はなんだ。
そこはかとない危機感。
言い換えよう、何か一撃必殺の奥の手を狙っていると、直感が警告している。
出し惜しむ前に、
「仕方ねぇ……積羽沈舟、使うぜ」
訓練の成果をここで見せる。
「何ダ?」
シュウが構えに入ると、室内のオドが彼を中心に波を打つように伝播。今度は吸い込まれていく。
まるで、周囲の環境が彼の意に付き従っているような光景。そんな錯覚を、ヌザンビは覚えただろう。
ヌザンビはシュウの今までにない行動に厳戒したのか、
「サセルカ!!」
焼夷弾を連射した。
相手が何かしようとしているのなら、何かをさせるまえに叩き潰せばいい。その為の防御無視の焼夷弾連射である。
しかし、
――構えたシュウの両腕に、花びらのような蒼色の断片が吸い込まれていく。
焼夷弾の連射がシュウに着弾する前に、
――吸い込まれ、チリ紙のように張り付いた断片たちは、とある形を成す。
謎の衝撃波がすべてを弾き返した。
――形を成したそれは籠手だ。
――籠手となり、亜音速のオドを目にもとまらぬ速さで掃射する。
弾かれた弾は、ヌザンビへと牙をむく。
「ナニィぃィ!?」
――それはまさに、圧倒的な質量による風圧の暴威であった。
ヌザンビは己が焼夷弾で体を焼かれ、さらに弾を跳ね返しても凋衰することのない風圧の暴威で、全身を隈なく抉られる。
たった一秒ほどの時間で、ヌザンビの身体はすかすかで朽壊した蜂の巣のようになった。虫の息となったヌザンビをシュウが見逃すわけもなく、
「ドウナッテ……」
再び風圧の暴威が荒れ通る。
「コノママデ終ワレルカァ!!」
その瞬間、ヌザンビの身体が一瞬だけ膨張し、弾のような形となって爆発四散する。
弾が炸裂し、炸裂して小さくなった弾が更に破裂――鼠算式に炸裂弾が増えていく。シュウは、
「…………」
遅くなった世界の中で、すべての炸裂弾をオドの放出で熄滅させた。
パラパラと土煙と小さな土塊をまき散らしながら、炸裂が止む。
視界が晴れるとぼろぼろに壊された部屋とシュウだけが残っていた。シュウの周りの壁や天井、床だけは壊れず綺麗なままだ。
「終わったか……」
戦いに勝ち、シュウは扉に向かって歩き出す。
ニュル。
部屋の片隅で、何かが蠢いていた。よく観察すると、それは黒い肉片だった。爆発四散して自滅したはずのヌザンビの肉片だった。
勝ったと思っただろう。戦いが終わったと断定しただろう。
シュウは気づいていない。次の階層に移ろうと扉を眺めている。
ヌザンビは一点集中。自身の肉片を螺旋状に巻きながら先端を尖らせ、それをシュウの脳天へと――、
「やっぱりな、そいつが一撃必殺の奥の手か」
シュウの形影が扉の前から消え、一瞬で背後に回ってヌザンビを、
「合理的だな――ッ!」
風圧で完全に叩き潰した。
「机上の空論ってのに、目を瞑ればだがな」
相手の油断を誘って、虚を突いた一撃必殺で殺す。これがこのヌザンビの奥の手か。
爆発四散で自滅しては、勝っても意味がない。だからヌザンビの長所を活かした奥の手を隠し持っていたことは、爆発四散したときに予想できていた。
あとは寸毫の殺気と気配があれば十分だ。
シュウも次の階層に移る。