第7話…火と水と
ウォードエンド辺境伯令嬢ユーリアは、自室の大鏡に自分の裸体を写していた。
多くの人が美しいと誉めそやす容姿。
しかし、有力貴族であるウォードエンド家の令嬢に面と向かって醜いなどと言える人間はいないだろう。
自分は本当に美しいのだろうか?と、ユーリアは疑問に思う。
決して醜いと呼ばれる容姿では無いと思う。
しかし、騎士として鍛えられた身体は女性的柔らかさをギリギリ残しながらも筋肉質で、肌は日焼けし、髪も太陽の光で痛みがあり、手には剣技を習得するために付いた豆もある。
ユーリアは王宮の舞踏会で出会った貴族の令嬢たちの姿を思い出す。
青く血管が浮く程に白い肌、入念に手入れされた艶やかな髪、高価な化粧品と香水に美しいドレスを纏った女性的な肢体。
女性の眼から見ても美しいと憧れる令嬢は多数いた。
その中でも国王陛下の息女である黄金の姫リイル・ペンズライグ王女殿下と国王陛下の姪にあたる白銀の姫リーヴァ・ペンズライグ王女殿下の美しさは諸外国にも響きわたり、国内有力貴族だけでなく他国の王族からも多数の求婚が申し込まれている事が納得出来る美しさだった。
そんな美姫たちと自分を比較して悲しくなる。
「やはり殿方は、ああいった女性が好みなのだろうな…」
ユーリアは、自分の意中の騎士が、どのような女性が好みなのだろうか?と、想像し自分のような女では無いだろうと自嘲した。
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「変な生き物だな」
辺境砦の中庭で真竜のハルは、50騎ほどの魔獣が身体の手入れをされてる姿を見ていた。
魔獣は二種類。
天馬と呼ばれる魔獣は、鳥のような大きな翼を持つ馬といった姿の魔獣で、これが20騎ほど。
天馬は、臆病な性格の魔獣で、近接戦闘は不可能で上空から弓などで攻撃するのがやっとという戦闘に向かない魔獣だが偵察や連絡に活躍している。
比較的飼育しやすいため軍用以外にも裕福な商人なども所有しているアニュラス界で最も普及している乗用可能な飛行型魔獣である。
鷲馬は、鷲の上半身に馬の下半身が付いた姿をした魔獣であり、鷲の戦闘力と馬の気性をあわせ持つ。
これが30騎。
上半身が鷲で下半身が獅子の鷲獅子と馬の混血で産まれた魔獣とも亜種ともいわれている魔獣。
鷲獅子を飼い慣らし騎乗する事が、獅子や虎を飼い慣らし騎乗するのと同等の難易度であり鷲獅子騎士とは極一部の鷲獅子と極端に相性が良い英雄にしか成れない事を考えるなら、戦闘力では劣っても気性が馬に近い鷲馬を飼い慣らす方が現実的であり多くの国で飼育され空中騎兵の主力魔獣となっている。
余談であるが前脚が翼状になった飛行型亜竜種である翼竜の戦闘力は鷲獅子にすら勝る。
しかし、鷲獅子が獅子や虎の気性ならば翼竜は巨大鰐や肉食大蜥蜴に近い気性であり、ズライグ王国以外に翼竜を多数飼育しようなどという馬鹿な真似をする国は無い。
ズライグ王国が、どうやって翼竜を調教し翼竜騎士を育成しているかは国家の最重要機密である。
「翼が生えた馬に鷲と馬の間の子…珍獣どころじゃないな」
そう呟く真竜がズライグ王国で一番の珍獣である事をハルは忘れていた。
そこに偵察に出ていた天馬騎士たちが次々に帰還してきた。
そして口々に叫んだ。
「敵が動いた!約一万五千の大軍だ!」
その声にジャスパーは背中に碧色を生き物を張り付かせたまま防壁上に走った。
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「ハル、まずは攻城兵器を叩くぞ」
「こうじょう?なに?」
「攻城兵器!」
「あー?
指示は兄貴に任せるから、どれから壊すか教えて」
ジャスパーとハルは、防壁上から辺境砦に攻めこんでくる敵の大軍を見ていた。
一番多いのは一万匹を越える数の小鬼、今回は強小鬼と呼ばれる一回り大きな亜種や数百匹の群れを率いる小鬼王という上位種の姿も見える。
3メートルを越える巨体を持つ岩鬼は、ハルが「カバみたいなヤツ」と言うように灰色の分厚い皮膚に覆われカバのような巨大な口を持つ亜人。
圧倒的な膂力と体力を持ち、体内魔力を消費して、負傷を急激に再生させる事が出来る強力な種族だが、知能は低く技術力も無いため武装は棍棒と腰に巻いた毛皮くらい。
数は少なく群れる習性も無いため少数が圧倒的数の小鬼の大軍の中にバラバラに居るように見える。
そして軍勢として一番厄介なのが猪鬼だろう。
人間と同じように技術と戦術を持ち、人間を凌ぐ肉体を持つ戦闘種族。
門の向こうの世界では、利用可能な鉄が貴重であるため板金鎧や鎖帷子を身につけた者はいないが、鉄製の刃を持つ戦斧や鉄と木材を組み合わせた重鎚矛で武装している。
体力や耐久力が人間より優れた猪鬼は、毛皮鎧や革鎧でも十分な防御力を持ち、木製の盾で弓矢などの攻撃を防ぐ用意もある。
大猪に騎乗する騎兵隊、人間の重装歩兵に匹敵する歩兵隊、弓兵、様々な技術を持つ工兵の姿もある。
この猪鬼が約2000。
他にも雑多な亜人の姿がある。
「進軍せよ!」
砦を包囲する亜人軍を実質的に指揮する猪鬼氏族の族長バーク・シャ・バラッハの命令の下、進軍合図の角笛が鳴らされる。
指揮官と言っても小鬼や岩鬼へは突撃と撤退の合図をする程度の事しか出来ない。
何しろ連中は頭が悪く、戦場では興奮状態になり細かい指示など聞かないからだ。
それでも予め猪鬼が用意し使い方を教えておいた防壁を登るための梯子と砦の門を破壊するための破城鎚…という名の丸太を抱え小鬼たちは辺境砦目指して突撃する。
「投石器、攻城弩、支援攻撃を開始しろ!」
巨石を投射する投石器と巨大な矢を放つ攻城弩が辺境砦目指して射撃を開始し、その支援を受けながら圧倒的数の小鬼と圧倒的個体戦闘力を持つ岩鬼が走る。
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防壁の幅は広く、馬や飛行型魔獣の行き来すら可能だ。
ジャスパーとハルが居るのは一番激戦となりそうな西壁。
「ジャスパー卿、私が同行し補佐します」
ジャスパーと辺境伯との連絡役であり、ジャスパーの世話役であるユーリアが愛騎天馬と共に横で待機している。
ジャスパーとハルが飛び立てば同行して補佐するために。
「それで兄貴、どれから壊す?」
防壁に迫る多数の梯子、門を狙い突撃する破城鎚。
防壁上からは多数の矢が放たれ、最も低コストな飛び道具である適当な石を防壁上まで運んでおき投げるだけの投石攻撃も始まる。
眼下には小鬼が次々に戦死する様が広がるが、津波のように押し寄せる大軍を阻むには手数が足りなすぎた。
「まず梯子から叩くか…?」
ジャスパーが、そう呟いた瞬間だった。
巨石がジャスパーの頭上を唸りを上げて飛び越えていった。
巨石は砦内に落下し施設を破壊する。
「……」
「……」
ジャスパーとハルは顔を見合わせる。
鱗に覆われたハルの顔色は不明だが、ジャスパーは真っ青だった。
「兄貴…」
「そうだな…投石器を優先して叩こう…」
巨大化したハルとユーリアの天馬が防壁上から飛び立った。
「ハル、小鬼は無視していい竜の息はデカイ兵器を破壊するのに必要だ。
魔力を節約していくぞ」
「はい、はーい」
まず狙うのは巨大な木製の投石器。
分解して辺境砦の近くまで運び組み立てた投石器は猪鬼の技術力の高さを示していた。
「デカくても木製だ」
「燃えろー!」
人間が飛行型魔獣による空中騎兵を運用している事は猪鬼たちも知っている。
上空からの天馬や鷲馬の攻撃に備え投石器には弓兵が護衛に付いている。
低空飛行で竜の息の射程内に投石器を納めようとするハル目掛けて一斉に矢が放たれるが、硬い鱗に覆われたハルの身体は鉄製の矢尻でも傷一つ付きはしない。
「兄貴、怪我したら直ぐに言ってくれよ」
「そうするよ、僕も死ぬなんて真っ平だしね」
ハルは大きく口を開け必殺の火炎を放射する。
投石器に火炎が放射され、操作していた猪鬼たちは我先に逃げていく。
「よし、次に行くぞ」
投石器に竜の息が命中した事を確認したジャスパーは二基目の投石器に目標を変更しようとするがハルは奇妙な手応えに首を傾げる。
「ハル?」
「んー?何でもない、次に行こう」
奇妙さの理由が解らずハルは次の投石器に向かって飛ぶ。
同じように簡単に投石器に竜の息は命中し猪鬼たちが逃げていく。
「ジャスパー卿!」
低空を飛ぶのハルの上、弓矢が届かない位置を飛行していたユーリアが降下して来てジャスパーに叫ぶ。
「ユーリア卿?」
「投石器破壊出来ていません!
猪鬼たちが修理しています!」
「うぇ?」
ジャスパーがユーリアが指差す方を確認すると竜の息で破壊したと思った投石器に猪鬼工兵が取り付き修理している。
少なくとも原型は留めており、簡単に修理出来る被害のようだ。
「竜の息が効かない?」
「おそらく木材に予め水を吸わせて耐火能力を上げているんです」
火矢などの攻撃に対抗するための古典的方法だが、投石器は防壁から放つ矢の射程外に設置されている。
「ハルの竜の息を警戒してたって事か…」
簡単に修理されては時間稼ぎにしかならない。
完全に破壊しなければ…
「ハル、格闘戦だ!
確実に破壊しよう!」
「それじゃ兄貴が…」
直接攻撃する距離まで降下すればジャスパーの危険は増す。
ハルは、それ故に躊躇するがジャスパーは叫ぶ。
「危険は承知の上だ!一撃離脱で素早く破壊する!出来るよなハル!」
ハルは深呼吸する。
そして決意を固める。
「出来るよ!霧宮流古武術は最強だからな!!」
「よし!ハルの力を見せてやれ!」
ハルは竜の咆哮を上げ急降下する。
そして強靭な四肢を木製の投石器に叩きつけ確実に破壊した。
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「ハル、魔力はどのくらい残ってる?」
眼に見える投石器と攻城弩は破壊した。
ハルの攻撃以外にも砦の防壁に装備された投石器や鷲馬騎士たちの攻撃で破壊された物もある。
ジャスパーは視界内に大型攻城兵器が見えなくなった事を確認しながら、硬革鎧に突き刺さった矢を抜く。
傷は浅いが、後で消毒するべきだろう。
「んー?残りの魔力は三割くらいかな?」
「そうか、それじゃ一度砦で戻ろう」
「なんで?地上の連中を燃やした方が良くない?」
投石器と攻城弩の長距離攻撃は封じたが地上には圧倒的数の小鬼が見える。
防壁には多数の梯子がかけられ登る小鬼を弓矢や投石で必死に迎撃する兵たちの姿も見える。
少しでも兵たちの負担を減らすために魔力切れまで竜の息で支援するべきとハルは思うが、ジャスパーの考えは違った。
「ハルの魔力の限界を敵に知られるリスクは避けたいし、魔力が完全に切れた時に戦況が悪化するような緊急事態が起きたら対応出来ないのも不味い」
「ふーん、兄貴は色々考えてるんだね」
ハルは戦略的思考が苦手な事を自覚し兄に従う事にした。
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中庭にハルが降りると即座に飲み水の入った手桶を抱えた女中が駆け寄ってきた。
幼竜姿に戻ったハルは一緒に持って来てくれた杯を使わず手桶に直接口をつけ水を飲む。
「生き返る~」
ハルが一匹で全て飲み干した様に若い女中はオロオロした後。
「直ぐに竜騎士様の分を持って参ります!」
と、頭を下げて走りだした。
その後ろ姿にハルは…
「この世界にもメイド服ってあるんだな」
と、呟いた。