最終話…最後の竜の物語
「あの糞婆ぁ!」
赤竜妃リーヴァ・ペンズライグ女王陛下は、高貴な身分とは思えない汚い言葉を吐いた。
「リーヴァ…下品だよ」
王婿ジャスパー・ファーウッド=ペンズライグ殿下は、不機嫌な妻を嗜めるが、リーヴァはジャスパーに手にした羊皮紙を投げつけ応えた。
「手紙?」
差出人は、ズライグ王国の東に位置する大国アロン王国グニエーヴ王妃。
先王であるメドラウド王の姉でありアロン国王に嫁いだリーヴァの実の伯母。
「うわぁ…何かリーヴァがメドラウド王とアルスゥル王太子、リイル王女を暗殺して王位を簒奪したって書いてるんだけど…」
手紙の内容は、先王らを暗殺し王位を簒奪したリーヴァの女王即位を認めないという糾弾文。
「私が伯父様に早死にして欲しいと思っていたのは事実としても」
「それ認めちゃうんだ…」
「私が伯父様を暗殺するなら、もっと上手くやるわ!
私に容疑がかからないように手を打っていたわ!」
「そういう問題じゃないよね…」
ジャスパーは政治には疎い。
さらに王侯貴族間の陰謀には、もっと疎い。
ジャスパーは妻の役に立てない事を自覚しながらも、妻が考えを纏めるために質問してみた。
「グニエーヴ王妃は何が目的だと思う?」
「国力も軍事力も低下したズライグ王国への干渉。
さらに私を退位させてアロン王国の第二王子をズライグ国王に即位させる腹でしょうね」
アロン王国第二王子ラハッドは、血縁上リーヴァの従兄。
つまりメドラウド先王の甥に当たる。
メドラウド先王の姪であるリーヴァよりも甥であるラハッド王子がズライグ国王に相応しい。
そう主張し、グニエーヴ王妃は自分の息子をズライグ国王にするつもりなのだろう。
「問題は、国内の貴族の中にも糞婆に同調する1派が居る事ね」
王国西部と国軍の被害によりズライグ王国の財政は火の車。
ラハッド王子をズライグ国王に向かえる事で大国アロン王国の経済支援を受けられる。
そんな考えの貴族も存在するという事だ。
「それでリーヴァは…」
どうするつもりかとジャスパーが問おうとした瞬間、リーヴァの執務室の扉が勢いよく開いた。
「ジャスパーさん!」
慌てた様子で駆け込んで来たのは、ジャスパーの公式愛妾にして専属侍女の狐嬢。
リーヴァは失礼極まり無い狐嬢の態度に眉をひそめるが、緊急の要件だろうと察して何も言わなかった。
「ジャスパーさん!アンリエット様が!!」
「アンリエットが?!」
数日前から体調を崩し、今日は医師の診察を受けているはずのアンリエットの身に何かあったのかと、それ以上聞かずにジャスパーは走りだした。
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今のズライグ王国が飼う6匹しか居ない竜種。
その内の2匹がアンリエットの部屋で鳴いていた。
「アンリエット!!」
部屋に飛び込んできたジャスパーにアンリエットは、とびきりの笑顔を向けた。
顔色が悪く、ベッドの上で横になっているアンリエットを心配し駆け寄るジャスパー。
「アンリエット、身体の方はっ?!」
その問いにアンリエットは…
「赤ちゃんが出来ました」
「赤ちゃん?」
「はい!」
「誰に?」
「私です」
「誰の?」
「ジャスパー様のです」
ジャスパーは言葉の意味を理解出来ないまま思考停止し放心する。
「ジャスパー様?」
不思議そうなアンリエット。
そこにノテノテと碧竜がやってきた。
「あんぎゃ~」
そして放心する兄に蹴りを入れた。
「はっ?!僕は何を?」
「しっかりしろ兄貴、父親になるんだろ?
目出度い事じゃないか!」
「ハル…」
妹に言われて、自分が父親になるという事実を噛み締めるジャスパーだが…
ふと、妹が何か背負っている事に気付く。
「ハル…それは何だ?」
「見て分からないか?
鞍だ!」
「鞍?」
それは乗馬の際に馬の背に着けそうな鞍。
「兄貴の子供なら私の甥か姪だろう。
だから私が竜騎士として英才教育してやろうと思ってな」
アホな事を言っている妹を無視する事にして、ジャスパーはアンリエットのお腹に耳を当てる。
「まだ何も聞こえませんよ」
そう言いながらアンリエットはジャスパーの頭を優しく抱き締めた。
新しい命が宿った。
その様子をハルは見ていた。
ハルの背には騎士を乗せる鞍。
でも、ジャスパーの子供が大きくなった時にはハルには成竜化する力は残っていないだろう。
そして魔力が薄くなった世界で、ハルたち幼竜が成竜に成長する事も無いだろう。
「二人にしてやろう」
竜鍋のレシピを守るために、体調を崩したアンリエットの護衛についていたメーターとヤードに声をかけハルは部屋を後にした。
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月日が過ぎた。
ズライグ王国・赤竜妃リーヴァ女王とアロン王国グニエーヴ王妃の対立は戦争にまで発展し、アロン王国に同調したウネズ王国、イヴァン王国の三国同盟軍とズライグ王国は開戦。
皮肉な事に、6匹の火を吐く竜種を従えたズライグ王国が勝利し、三国から莫大な額の賠償金の獲得した事で財政問題を解決させ。
グニエーヴ王妃に同調した国内貴族たちを粛清して得た領地を亜人軍との戦いで功績があった貴族に与える事で論功行賞に不満があった貴族たちの支持を取り戻す結果となった。
この戦が、力を持った竜種の最後の戦いとなった。
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月日が過ぎた。
ジャスパーとの間に1女をもうけたユーリアは、西部総督に就任。
王家直轄地である『旧都』に着任したユーリアは西部の復興に尽力する事になる。
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月日が過ぎた。
アンリエットは、ジャスパーの故郷セイブルと自身の故郷アーミンを含む一帯を領地として侯爵位を与えられた。
アンリエット自身が領地に赴く事は無かったが、アンリエットの息子が侯爵領を守っていく事になる。
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月日が過ぎた…
月日が過ぎた…
月日が過ぎた…
あのカムラの戦いから10年の月日が過ぎた…
「ジャスパー、遥か東方の国から珍しい薬が届いたの。
これなら、きっと効果があるわ」
2女を産みながらも美貌と体型を維持する赤竜妃リーヴァは、病で痩せ細った夫に東方から遥々届けられた薬を差し出す。
弱々しく微笑むジャスパーは湯に溶かした薬をゆっくり飲み干す。
どんな名医も森妖精の魔法薬もジャスパーを回復させる事は無かった。
「ありがとうリーヴァ。
元気が出たよ」
それは優しい嘘。
人の身で竜の血を浴び、竜のような力を得た。
これは、その反動だろう。
ジャスパーには、それが分かっていた。
自分の命が長くない事も…
「ユーリアから手紙が来ているの。
ジャスパーの見舞いに来るって」
「そう…ユーリアは忙しいから…迷惑かけちゃったね」
「迷惑だなんて…」
どこまでも優しい夫にリーヴァは涙を堪える。
碧竜伯ジャスパー・ファーウッドの功績を知る人は、ほとんど居なくなってしまった。
ジャスパーは自らの功績を赤竜姫リーヴァ・ペンズライグの功績だと変えていった。
碧竜の存在すら、たった10年で忘れられつつある。
その姿を実際に見た少数の人々以外からは忘れられ、赤竜姫リーヴァと赤竜グラムの伝説に上書きされてしまった。
それはリーヴァの名声に繋がり、親族殺しの悪評を持つリーヴァの治世を助ける力になった。
「ジャスパー、私にして欲しい事は無いの?
何か欲しい物は?食べたい物は?
私は、この国の女王なのよ。
大抵の事は叶えて上げられ…」
耐えきれずリーヴァの瞳から涙がこぼれた。
夫1人すら救えないのに、何が女王か…
「リーヴァ、おいで」
ジャスパーは両腕を広げリーヴァを誘う。
そして童女のように泣きじゃくるリーヴァを抱き締め続けた。
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涼しい夜風を入れるために開けていたバルコニーに続く窓から2匹の珍客が訪れた。
「久しぶりだなハル」
「あんぎゃ~」
ハルとグラムはノテノテとベッドに近づく。
「セイブルは様子はどうだい?
リーヴァがセイブルを竜種の保護区にするって言っていたけど」
成竜化も出来ず。
成長も出来なくなった竜種が静かに暮らせるようにリーヴァはセイブル一帯を竜種の保護区にした。
そこは、幼態成熟により幼竜の姿のまま大人になったハルたち6匹と、その子供たちが暮らす竜種の楽園。
もう念話を使う力も失ったハルは肩に掛けていた袋から何かを取り出しジャスパーに差し出す。
「ジャガイモ?」
「あんぎゃ~」
ハルは自分の手を見せる。
土のついた手。
「そうか、ハルが育てたジャガイモか…」
「あんぎゃ~」
ジャスパーの死期を悟ったのか?
それとも自身が知能を完全に失う事を悟ったのか?
ハルが最後の挨拶に来たのだとジャスパーは理解する。
「んん?グラム?」
ジャスパーの隣で眠っていたリーヴァも目を覚まし、愛竜グラムの頭を撫でた。
最後の挨拶を終えた2匹はノテノテと寝室を後にする。
ジャスパーは、かつては人間であり、今は完全に竜となった妹が赤竜の脚に掴まり飛び去るのを見送った。
それがジャスパーが妹の姿を見た最後だった。
寝室の床には、ただ1つのジャガイモだけが残されていた。
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〖エピローグ〗
朝日が昇ると同時に竜の鳴き声が響く。
「ギャギャー!」
「アンギャー!」
朝日に向かって吠える体長1メートル程の小さな竜たち。
鱗の色は様々で、一番多いのは赤い鱗だが、青、緑、紫と多彩だ。
姿は大きく分けて2種類。
翼が背中にあり不器用ながらも腕にある手指を使える個体と腕が翼と一体化していて短距離ながら飛行する個体。
目覚めた竜たちはノテノテ歩き餌場を目指す。
ここセイブルは竜保護区。
国に雇われた飼育員たちが竜のための朝食を用意しているはずだ。
大食らいで人間を舐めきりバカにしている役立たずたちが、この国では何故か聖獣として保護されているのだ。
「全く、可愛げの欠片も無いな」
若い飼育員がセイブルでのみ栽培されている竜 の餌ジャガイモに齧りつく邪悪な生き物たちを見て愚痴る。
普段は態度がデカくて傍若無人な竜が、竜を見るために訪れる観光客には愛想を振り撒き、玉乗りだの曲芸すら披露して見せるのが、またムカつく。
「ズライグ王国中興の祖リーヴァ女王が竜に乗って戦ったとかいう伝説だけどな」
大人になっても1メートルしか無い竜に人間が乗れるわけがない。
学者の中には竜は昔は巨大だったとバカな事を言う者が居るが…
若い飼育員は、大樹の根元で寄り添って眠る2匹の竜を見る。
飼育員の爺さんのそのまた爺さんが子供の頃から眠っているらしい長老の愛称で呼ばれる2匹。
四肢と背中に翼を持つ青とも緑ともつかない奇妙な色の竜と腕が翼と一体化した赤い竜。
あの2匹が体長1メートルなのに、昔の竜が巨大だったなど信じられるはずも無い。
「アンギャー!」
「ギャギャー!」
一際大きな鳴き声が響き、多数の卵が産み落とされた巣から孵化したばかりの小さな子を抱えた雌竜が走ってくる。
そして目覚める事がない長老たちの前に見せに行く。
新しく子が産まれると必ず竜たちが行う習性。
急に日が陰った。
空から何かが舞い降り、その翼が陽光を遮ったのだ。
「クェエエエーッ!!」
それは鷲の上半身と獅子の下半身を持つ最強の魔獣・鷲獅子。
「鷲獅子だーっ!!」
飼育員たちが鷲獅子に勝てるはずも無い。
肉食の魔獣を恐れ建物に逃げ込むだけだ。
飼育員たちが建物の中から外を伺うと、どうやら鷲獅子は巣の中の卵を狙っているらしい。
巣を襲おうとする鷲獅子に小さな竜たちが翼を広げ尻尾を立て威嚇している。
しかし数倍の体躯の鷲獅子が小さな竜など恐れるはずも無かった。
卵を守ろうと鷲獅子に飛びかかった竜たちは、呆気なく鷲獅子の強靭な前脚に弾き飛ばされた。
勝てない…
小さく弱い竜たちは鷲獅子の餌になるしか無い。
それが現実…
そのはずだった。
月日が過ぎた。
長い長い月日が過ぎた。
もはや、力も知恵も失い獣に堕ちた。
それでも失わない物がある。
戦え!戦え!戦え!
戦って!その血を!その想いを未来に繋げ!
かつて祖先が、そうしたように!!
我が物顔で進む鷲獅子の前に、長老と呼ばれる2匹の竜が立っていた。
体長1メートル程の小さな老竜たちが立っていた。
「あんぎゃーっ!!」
「ギャギャーッ!!」
青と緑の中間の碧色の鱗の竜と赤い鱗の竜 は、子孫を守るために己の数倍の大きさの敵に跳び蹴りを放った。
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異界。
その冥府の底。
そこにある六畳間。
2柱の邪悪な神性は、部屋の中心に鎮座する大きな卵を見ている。
邪悪なる神性・阿穂之古狛白神と阿穂之狐山白神。
「狛白…何か忘れているような気がするのですぅ」
「山白、思い出せない事なら、きっと大した事では無いのですぅ」
2柱の邪悪な神性は、ゲヘゲヘと不快な笑い声を上げる。
そして卵にひびが入った。
「産まれるのですぅ!」
「新しい同胞ですぅ!」
卵から産まれたのは赤ん坊だった。
人間と同じ姿の赤ん坊。
ただ人間と違うのは竜を模した着ぐるみ姿で産まれてきた事。
「お前の名前は島白ですぅ!」
「早く大きくなってママのために働くのですぅ!」
新しく産まれた邪神・白涼の眷属神・阿穂之湖島白神は、小さく鳴いた。
彼が前世で何であったのか?
それを思い出す事は無かった。
ただ、白い鱗が無い自分の手を不思議そうに見ていた。
「可愛いのですぅ!」
「弟ですぅ!」
そう言って喜ぶ2柱が、アニュラス界と呼ばれる世界から、六尾狐の魂を回収し忘れた事を気付く事は無かった。
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泣き声が響いた。
竜たちの泣き声が響いていた。
地に倒れている鷲獅子の亡骸。
その鷲獅子と戦い、卵と子孫を守った偉大なる祖もまた深手を負い倒れた。
その傷は深く致命傷であった。
竜たちは自分たちの祖を悼み泣く。
間も無く死する偉大なる祖を悼み泣く。
いつの間にか女が立っていた。
銀色の髪と狐の耳、六本の尾を持つ女が、そこに立っていた。
「ハルさん…グラムさん…」
女は傷つき倒れた2匹の竜を優しく抱き締める。
言葉は通じない。
その知能が彼女たちには残っていない。
それでも…
「おやすみなさい…」
その声に懐かしさを感じ。
その腕の中で、古い時代の最後の竜たちは、静かに眠りについた。
『完』




