第75話…赤竜妃
「そなたらは本当に愚かだ…」
地に墜ちた美しい裸体の幼女。
彼女には右腕と下半身が無かった。
腹部から千切れた真新しい傷痕。
いかに亜神たる『盟主』でも致命傷となる傷。
その『盟主』を赤い鱗の幼竜が見下ろしていた。
この世界の守護者たる殲滅の赤竜。
「妾は間も無く死を迎える。
妾が死すればメーガジット界とアニュラス界を繋ぐ門は、自然発生する小規模な物だけになり、2つの世界は衰退に向かうだろう」
魔力に乏しい世界であるアニュラス界。
金属資源に乏しい世界であるメーガジット界。
数百年に一度、2つの世界を繋ぐ大規模な門は双方の世界に争いと利益をもたらした。
アニュラス界の守護者はメーガジット界の『盟主』に宣言する。
「案ずるな異界の亜神よ。
古き種族が手を引かずとも、新しき種族は立って歩けるのだ」
アニュラス界の頂点たる真竜は滅ぶ。
その子孫たる竜種も力と知恵を失い獣に堕ちる。
それでも…
知恵を持つ竜種、その最後の世代となるだろう赤竜は空を見上げる。
空に銀色の髪をなびかせる少女を見る。
魔力を使わずとも知恵を持って生きられる人間という種族。
竜種が知恵を失い、アニュラス界を守る力を失った後は、あの種族が世界を守っていくだろう。
例え魔力と魔法が失われた世界であっても、あの種族は繁栄していけるだろう。
「メーガジット界も同じだ。
アニュラス界より略奪などしなくても、その地に生きる者は繁栄への道を見つけるのだ」
『戦い、勝利し、奪い、繁栄せよ!』
古き『弱肉強食』の掟を作りし亜神は間も無く死する。
世界の繁栄を願った亜神が手を引かずともメーガジット界の民は自らの足で立って歩き繁栄への道を見つけるだろう。
「妾が死してより三月と待たずに門は閉じる」
「ならば、メーガジットの民は、門が閉じる前に故郷に帰るがよい」
『盟主』は残された左手を掲げる。
命つきる前の最後の魔法を使い、2人の巨人王に意思を届けた。
「ヴァティン…ルグニル…メーガジット界の民を率いて帰還せよ」
永き時を生きた古き種族の最後の1柱は霞む眼で空を見上げた。
「空は…どちらの世界も変わらぬな…」
空より炎の巨人を雷と氷で打っていた飛竜たちも攻撃を止め、地上を監視するように、ゆっくりと旋回していた。
この地で戦う民は炎の巨人王ヴァティンが、『旧都』で戦う民は霜の巨人王ルグニルが、メーガジット界に導き帰還させるだろう。
「2つの世界に繁栄を…」
掲げた左手が力を失い墜ちる…
その命が間も無く尽きる『盟主』の眼に、一抱えもある岩を振り上げる碧竜が映った。
「ハルカ…」
「なんだグラム?」
「それは何だ?」
「師匠は言っていた!
『トドメは刺せる時に確実に刺せ』と!
死んで私の経験値になれー!
お前の命でレベルアップしてやるー!」
『盟主』の頭目掛けて岩を落とそうとするハルに…
グラムは、とりあえず蹴りを入れておいた。
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「敵が引いていく…」
カランの丘の戦場で、ウォードエンド辺境伯アンドレイは、敵軍が撤退する様を見た。
撤退の角笛が戦場に鳴り響く中。
まだまだ王国軍に倍する数を有する亜人軍が、赤黒い巨人たちを殿軍に逃げていく。
「辺境伯、追撃は?
追撃は、いかがいたしますか?」
戦いでは追撃戦こそ一番戦果を上げやすい。
一時撤退した敵が再進攻する可能性を考えるならば追撃して少しでも敵の数を減らすべきだ。
そんな軍事的判断を1つの意思が遮る。
「我は赤き鱗の一族グラム!
アニュラス界の守護者にして裁定者!
赤き竜の民よ、逃げる者への追撃は不要だ!
戦う意思無き者を討つ事は、我が許さぬ!」
4匹の翼竜が両軍の間に降り立ち。
命令を待たず追撃しようとした王国軍の一部を押し止めた。
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『旧都』でも亜人軍の撤退は始まっていた。
『旧都』と周辺の難民たちを守るように多数の蛇竜が周りを囲み。
その外側を青白い霜の巨人に率いられた亜人軍が撤退していく。
人が通るのが難しい森林を霜の巨人の刃が凪払い、西を目指して逃げる亜人軍。
「グラム?リーヴァ殿下の翼竜?
追撃は不要だ!逃げる敵には手を出さないように全軍に通達!急げ!」
グラムの念話を聞いたユーリアは撤退する亜人軍への攻撃を禁じる命令を出した。
例え追撃しようにも『旧都』には、余剰戦力など残っていなかったのだが…
「私たち…助かりました…」
「アンリエット様ぁ…怖かったですぅ…怖かったですぅ…」
防壁上で撤退する亜人たちを見て、抱き合って無事を喜ぶアンリエットと狐嬢。
「やれやれ、若い頃のようにはいかぬものです」
百の敵兵を1人で食い止めた老騎士ロロフ卿は、地面に腰を下ろした。
何度となく死地より生還した老騎士、まだまだ神は彼を天に召すつもりは無いらしい。
亜人軍の撤退を見届けるように『旧都』周辺に残っていた亜竜たちは、それぞれの住みかへと戻っていった。
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「終わったのか…」
ジャスパーは翼竜リッターの騎上で撤退していく亜人軍を見て呟く。
「そうね、でも…」
リーヴァ・ファーウッド=ペンズライグ王女は、これからの事に想いをはせる。
「本当に大変なのは、これからよ」
「そうなの?」
楽観的というか、考え無しというか。
そんな夫に呆れつつリーヴァは答えた。
「大きな被害を受けた西部の復興と、軍の再編にどれだけの時間とお金が必要か解るかしら?」
「ああ…」
本当には理解してなさそうな夫。
「伯父様が戦死されたって話は本当かしら?
その場合は、アルスゥルお義兄様が即位する事になるはずだけど…
この状況での新王の即位は難しい事が多そうね」
リーヴァは、伯父であるメドラウド王の安否と義理の兄に当たるアルスゥル王子の未来を心配するが、国王と王太子が2人とも戦死しているという最悪の事態までは想像出来なかった。
残された王族の中での王位継承権は1位がリイル・ペンズライグ王女殿下、そして2位がリーヴァ・ファーウッド=ペンズライグ王女殿下。
この時、カランの丘の戦いで戦功を上げた赤竜姫リーヴァ・ファーウッド=ペンズライグは、自身が国政の中心となるだろうと予測はしていた。
しかし、自身が王位につく事など想像してすらいなかった。
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「「「ギャギャー!」」」
力を使い果たし幼竜に戻った仲間たちがノテノテと駆け寄ってくる。
「そなたらも十年と待たずに力も知恵も失い獣へと堕ちる」
間も無く命尽きる『盟主』は最後に2匹の竜に問う。
「本当に、それで良いのか?」
ハルは自分の手を見る。
鱗に覆われた短い指に鋭い鉤爪。
人間とは違う化け物の手。
他にも道はあったと思う。
人間になる道も…
真竜として生きる道も…
半竜人として生きる道も…
ハルは隣の赤い幼竜を見た。
駆け寄ってくる赤い幼竜たちを見た。
「いいんだ…」
自分も同じになる。
力も知恵も失い獣に堕ちる。
「私は、それでいいんだ…
力を失っても、私が私の誇りを失う事は無いんだ。
知恵を失っても、一緒に鍋を囲むだけで友達になれるんだ。
だから、それでいいんだ」
この時、真竜という種族が滅びる事が決まった。
古竜とも呼ばれる種族は、古い時代へと消えていく。
「グラム、行こうか…」
「ギャギャ!」
小さな2匹の竜は駆け寄ってくる仲間たち目指して歩き出す。
力も知恵も失い獣へと堕ちる道を歩き出す。
大きな岩で頭部を潰された『盟主』の遺体を振り返る事も無く歩き出す。
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ズライグ王国『王都』
『王都』の人々は喜ぶべきか悲しむべきか分からないまま『王都』に凱旋する軍勢を見ていた。
『王都』に帰還した軍勢の数は出陣した時の半数にも満たない。
王国最強の翼竜騎士団も全滅し、勇壮なる翼竜の姿も無い。
そして何より、国王メドラウド・ペンズライグ陛下と王太子アルスゥル・ペンズライグ殿下の戦死の報。
各種式典を全て無視してリーヴァは王宮内の1室を目指して走った。
そこは、リーヴァの従姉妹リイル・ペンズライグ王女の居室。
「ああ、間に合ったのね…リーヴァ…」
病に倒れ、ベッドの上で弱々しく手を振る黄金の姫。
「リイル!!」
リーヴァはベッドに駆け寄り義理の姉妹でもある従姉妹の手を握った。
「ごめんなさい、貴女に全てを任せる事になってしまって…」
「何を言っているのリイル?
少し疲れただけでしょう?
直ぐに良くなって貴女が女王になるのよ、リイル」
リイル王女は寂しく微笑む。
「女王になるのは貴女よ、リーヴァ。
この国の事をお願いね」
「リイル?
リイル?!目を開けて!リイル!!?」
そして、リイル・ペンズライグ王女の手から力が消えた。
リイル・ペンズライグ王女。
享年15歳。
父王と兄の死による心労から病となり、短い生涯を終えた。
それが公式の記録。
しかし…
メドラウド王、アルスゥル王太子が戦死した戦場から生還し、リイル王女の死を看取ったリーヴァには親族を暗殺し王位を簒奪したという悪名が付いてまわる事になる。
王位継承権第1位だったリイル・ペンズライグ王女の病死により。
赤竜妃リーヴァ・ペンズライグ女王が即位し、ズライグ王国は混迷の時代を向かえる事となった。




