第70話…長老
永い時を生きた。
長命な真竜の中でも1000年を越えて生きた者は彼くらいだろう。
その生も間も無く尽きる。
彼の生の最後は、悲しみと後悔しか無かった。
「島白」
懐かしい声。
死を前にした幻聴だろうか?
懐かしい声がした。
「何をしている島白」
「おお…白涼か…」
それは幻聴では無かった。
湖上で眠る彼の巨体の上に小さなぬいぐるみが立っていた。
かつて友が作ったぬいぐるみ。
その中から懐かしい気配がする。
「何をしている島白」
再びの問いかけ。
「死を待っている…我は…間も無く死ぬ…」
ぬいぐるみは怒る!
「島白!お前はまだ生きているのだろう!
その心臓は脈打っているのだろう!
ならば!最後の瞬間まで!最後の一瞬まで!己の成すべき事を成せ!」
成すべき事?
そんな事が残っているはずがない。
もはや年老い、死を待つだけの身に残っているはずが…
泣く声が聞こえた。
絶望に泣く声が聞こえた。
幼い子の泣く声が聞こえた。
最後の同族の泣く声が聞こえた。
示さなければ!
幼子に!最後の子に!
そなたは望まれて産まれてきたのだと!
そなたは愛されて産まれてきたのだと!
例え短い時間でも!
例え死する前の一瞬でも!
それを示さなければ成らぬのだ!
最後に残った同族として!
「ならば再び飛べ!
かつて世界を救いし者よ!」
老いた竜は再び翼を広げる。
もはや、かつての力は無い。
ただ死を待つだけだった老竜は再び飛ぶ。
最後の同族のためだけに飛ぶ。
■■■■■■■■■
ズライグ王国、王都近郊にある翼竜を飼育するための竜舎。
「嘘だろ…」
戦える竜は全て戦場に向かった。
煩く騒ぎ立てる幼竜たちは北部に遊びに行った。
この竜舎に残っているのは、年老い死を待つ老竜だけだった。
竜は寿命を向かえると眠りにつく。
そして二度と目覚める事なく逝く。
寿命を向かえた3匹の老竜たち、十数年の間、一度として目覚めなかった老竜たち。
その姿が消えていた。
■■■■■■■
「どうやら転位場所がズレたようだな」
『旧都』より離れた東の森の中。
一際巨大な霜の巨人王ルグニルを目印に亜人たちが集まって来る。
20人程の霜の巨人に、多数の猪鬼、岩鬼、小鬼。
『旧都』を落とすには十分過ぎる軍勢だった。
何しろ『旧都』は10年前の水害で防壁の一部は崩れ、守備兵も少数しかいないのだから。
「集結状況は?」
「モゴースとベリンの姿が見えませぬ。
猪鬼や小鬼も転位してきた数の半数ほどかと」
「其奴らは別の場所に転位したかもしれんな」
「では?」
「これ以上は待てん!進軍するぞ!」
東より霜の巨人王ルグニル率いる軍勢が進軍する。
==========
「あれは…神鷲?!」
『旧都』より西の戦場を目指し飛ぶ翼竜グラムの背で、リーヴァ王女は黄金に光る巨鳥に遭遇した。
真竜たる碧竜を一度は打ち破ったという最強の魔鳥・神鷲。
それが2羽。
「ジャスパーの話では、神鷲には竜の息が効かないって…」
リーヴァは『雷の短杖』を手にする。
リーヴァの残り魔力からして、射てて1発。
仮に当たったとしても体長10メートルもの巨鳥が一撃で墜ちるのか?
勝てるのか?
真竜すら倒す怪物に?
成竜になったばかりの翼竜と飛行騎兵の騎乗訓練すら受けていない姫君が?
恐怖と緊張に包まれていたリーヴァは、愛竜からは恐怖の気配が微塵も発せられていない事を知る。
グラムと4匹の翼竜たちが尻尾を振る。
「えっ?東?」
リーヴァは振り向き東の空を見た。
遠くに見える竜の影法師。
「翼竜騎士?
そう、援軍が…」
助けが来た。
その気配をグラムたちは察知していたのだろう。
いかに神鷲が相手でもズライグ王国最強の翼竜騎士団ならば…
そこまで考えたリーヴァは気づいた。
「東?なぜ東から?
全ての翼竜騎士は西の戦場にいるはずでしょう?」
その疑問に答える者は居らず。
「ギャギャッ!!」
「ギャギャ~!」
「ギャーギャギャギャ!」
翼竜たちが甘えるように鳴く。
「向こうも此方を見つけたのかしら?」
リーヴァは、2羽の神鷲が高度を上げるのを見た。
空中戦の定石。
上を取った方が有利という事実。
何故なら、上から下に進むより、下から上に進む方が何倍も労力が必要だからだ。
「グラム、上昇なさい!」
リーヴァは対抗して上昇しようとグラムに命ずるが、グラムは動かない。
まるで神鷲など見えていないかのように真っ直ぐ西を目指して飛ぶ。
「グラム?」
愛竜の奇妙な様子にリーヴァは小首を傾げた。
===========
「『盟主』より神鷲を賜りながら戦果を上げられぬかと思っていたが、獲物が残っていたか」
2羽の神鷲の背には闇妖精の姿があった。
金銀で作られ宝石が散りばめられた兜を被る闇妖精の男たち。
闇妖精ガンハは僚騎に命じる。
「フォフォン、貴様は右のヤツからだ。
俺は真ん中のヤツを殺る」
「承知!」
2人の被る兜には通信の魔法効果がある。
これを被る2人は離れていても会話が可能だった。
他の飛行騎兵が声が届かない範囲の相手に手旗などで簡単な連絡しか出来ない事を考えるなら、2騎とはいえ会話による意思疎通が出来て連携して戦える。
その優位は語るまでも無いだろう。
2羽の神鷲は上空より翼竜の群れに向けて急降下した。
その爪には圧倒的防御力を持つ竜種の鱗を軽々と引き裂く力があった。
「人間が乗っているのは1騎だけか?」
闇妖精ガンハは愛騎を急降下させながら冷静に敵を観察する。
西の戦いで敵の飛行騎兵は壊滅した。
翼竜騎士の大半も戦死したはずだ。
眼下の翼竜たちは戦う準備が終わっていない調教不足の個体を無理矢理飛ばせてきたのか?
それとも乗るべき騎士がいない個体なのか?
どちらにせよ、見逃す理由は無い。
例え、まともに戦えぬ竜であろうと竜を討ち取った功績には変わらないのだから。
「グラムッ!?何故動かないのっ?!」
リーヴァの悲鳴が空に響き。
神鷲の爪は翼竜の背に突き刺さり、鮮血が吹いた。
=======
間に合った…
この時のために生き長らえてきたのだと。
長老と呼ばれる老竜は、そう思う。
時が過ぎた。
800年もの時が過ぎた。
長命な竜種でも寿命を向かえる程の時が過ぎた。
彼の兄弟も次々に命尽きた。
もはや、彼と共に卵から産まれた兄弟たちは残っていない。
あの時、あの場で、あの涙を見た者は、彼しか残っていない。
「もはや我が一族の命運は尽きた。
我が子は、我が子孫は、力も知恵も失い、獣へと堕ちるだろう」
そう嘆き、涙を流した最後の赤き鱗を持つ真竜。
最後の祖。
その言葉の意味も、その涙の意味も…
きっと彼には理解出来ない。
その知能が彼には残っていない。
それでも血が訴える!
偉大なる祖たる赤き竜の血が訴える!
戦え!戦え!戦え!
戦って赤き竜の血を赤き竜の意思を未来に繋げ!
「まさか長老?」
来るはずのない援軍。
来るはずのない翼竜。
もはや年老い死を待つばかりだったはずの老竜たち。
それでも…
彼らは来た!
赤き竜の一族として戦うために!
幼い子供たちの未来を守るために!
「「「ギャギャ!ギャギャ!」」」
5匹の子供たちが尻尾を振り、甘える鳴き声を上げる。
子供たちの身体に、彼らを庇い傷ついた老竜の血がかかる。
「ギャオォォォォー!」
老竜たちの咆哮。
『先に行け!』
『行って使命を果たせ!』
3匹の老竜と2羽の神鷲。
勝てるはずのない戦いだろう。
それでも…
子供たちは振り返る事すらなく西へと飛び去った。
彼らの遊び場だった眠れる老竜たち。
彼らの祖先たち。
死を覚悟して戦う赤き竜の一族が『先に行け』と示したのだから!
赤き竜の子供たちは使命を果たすために西へと飛ぶ!
==========
『旧都』の街中は未だに混乱の内にあった。
北部派遣軍の騎兵が縦横無尽に走り、転移してきた亜人を駆逐する。
それでも完全に駆逐し終わるには、まだまだ時がかかるだろう。
『旧都』防壁の北壁上にアンリエットと狐嬢の姿はあった。
広大な湖に面した北壁は、何ヵ所も崩れ穴が開いている。
10年前の水害の被害から補修が全く進んでいないからだ。
とはいえ敵である亜人軍は西の地上にある門より出現するのだから、水軍も軍船もあるはず無い。
つまり北壁は最も安全であり、アンリエットと狐嬢が此処に配置されたのは見張りという名目で安全な場所に避難させたという事だろう。
「アンリエット様、船です」
人間より視力が高い獣人の狐嬢が最初にそれを見つけた。
「船ですか?」
アンリエットは目をこらすが、人間の目では何も見えない。
他の見張りの兵士たち、最低限の老兵と少年兵たちも目をこらすが何も見えない。
「何処の船でしょうか?
商船が来るはずも無いですし、船を使って兵士か兵糧を運んできたのでしょうか?」
兵士長という事になっている老兵が疑問の声を上げる。
やがて人間の目にも船の姿が見えてきた。
そして人間より視力が高い狐嬢には別の物が見えてきた。
「アンリエット様!猪鬼です!船に乗っているのは猪鬼の軍勢です!」
「兵士長さん、直ぐに援軍を…」
アンリエットは援軍を呼ぶべきと言葉にして気づいた。
気づいてしまった…
援軍?
いったい何処から?
今の『旧都』には最低限の…いや最低限以下の兵力しか無いのだ。
向かってくる船団に乗った軍勢と戦える兵力など何処にあるというのか?
街中で戦っている騎兵たちを北壁に向かわせれば、街中は亜人軍に蹂躙される。
他の防壁にも最低限の見張りしか残っていない。
つまり…
あの船団から敵兵が上陸すれば…『旧都』は…終わる…
それは絶望でしかなかった。
================
東の防壁。
そこの指揮官となったのはユーリア。
北部派遣軍の主将代行となったユーリアだが、実際の指揮官としての能力ならばヴォル騎士隊長やロロフ卿の方が上である。
そこで名目上の指揮官であるユーリアは邪魔にならないように比較的安全な東の防壁の指揮官という形で配置されている。
敵は西から来る。
東から来るとすれば味方の援軍。
それが当たり前の判断。
そのはずだった。
「ユーリア卿!あれは…あれは何ですか?!」
悲鳴のような…いや悲鳴を上げる兵たち。
ユーリアの眼にも兵たちと同じ物が見えた。
恐るべき物が見えた。
「霜の巨人の軍勢…」
隊伍を組んで進む青白い肌の巨人の軍勢。
人間の軍勢では勝てるはずもない最強の亜人たち。
『旧都』に残った全戦力を集めても決して勝てぬ軍勢の姿が其処にあった。
それは絶望でしかなかった。
==========
『旧都』の命運は尽きようとしていた。
『旧都』の兵力では敵に抗し得ず。
王国軍本隊は、西の戦場で決戦中であり。
王都や他の地域からの王国軍の援軍も間に合わない。
もはや人の力では『旧都』の陥落は防げず。
ジャスパー・ファーウッドの妻たちも『旧都』と命運を共にするしかなかった。
そう、この時…
もはや『旧都』の命運は人の手より離れた。




