第6話…騎士爵
「しゅほしょうにん?」
最強の魔獣・真竜の幼体ハルは聞き慣れない単語に首を傾げた。
「酒保商人って言うのは、解りやすく言うなら砦内の売店みたいな物だな」
「なるほど数千人が暮らす砦なら、売店くらいあって当たり前か」
実際には砦を所有する辺境伯家と契約して、補給物資を買い付け販売する商人といったところ。
辺境砦の兵士たちには最低限の武器防具と日々の食事が支給される。
そして、その他に給金が支払われている。
昔は、給金のみ支給して食事も武装も個人で酒保商人から買うという方式だったのだが…
兵士が給金を酒やギャンブルで使いきり最低限の食費すら手元に残さない事態が多発したため最低限の食事は無料で支給されるようになったのだった。
給金の支給を完全に無くさなかったのは、娯楽など無い砦の中に籠る兵士たちの士気を保つためだろう。
酒に女、日々の不味い飯を少しでもマシにする食料品、そんな物を買う事でストレスを軽減させるために。
「ふむ、ここが酒保商人とやらの店か…」
ハルの目の前にあるのは大きめの馬車の荷台を使った屋台を思わせる店だった。
「おや、兄ちゃん見かけない顔だな」
高齢の酒保商人が値踏みするようにジャスパーを見る。
身なりや武装を見れば、身分も解り、どれくらい金を使う余裕があるのも解る。
酒保商人の眼に映るジャスパーという少年の評価は、金を持っていない下級騎士か騎士見習い。
ジャスパーの装備は、ファーウッド家の蔵にあった何代か前の先祖が使っていた物で、元の質が悪いわけでは無いのだが使い古された代物。
中古品を安く買ったと思われても仕方ないだろう。
金を使わない貧乏な下級騎士に愛想を振り撒く必要は無い。
そんな雰囲気を見せる酒保商人に、本当に金が無いジャスパーは首をすくめた。
「それで何を売っているんだ?」
ジャスパーの背中に張り付き肩越しに商品を見るハルは興味津々といった姿。
転生してから買い物出来る店など始めて見たのだから好奇心を刺激されるのも当たり前だろう。
「ウチは金さえ払えば何でも仕入れてくるがね。
売れ行きが良いのはエールやワインといった酒類と食べ物。
他には衣類なんかは良く売れるな。
下着一枚だって砦じゃウチからしか買えないからな」
酒保商人の馬車は複数あり商品の在庫が備蓄されてるようだ。
ハルは食べ物を売っていると聞いて、ジャスパーに何を売っているのか確認させる。
「パンに干し肉、魚の塩漬けなんかもあるよ。
知っての通り、砦で支給される飯は、雑穀混じりの麦粥だけだからな、干し肉一枚入れるだけで旨さが跳ね上がるってもんさ。
他には…」
酒保商人の眼が悪戯っぽく光る。
そして、目の前の少年には手が出ないだろう高級品を出して見せた。
「砂糖菓子なんかもあるぞ」
「砂糖菓子?!」
酒保商人が取り出して見せた砂糖菓子は、砂糖で甘く味付けした小麦の生地を焼いた、焼き菓子。
元日本人のジャスパーの目には、大きなクッキーを連想させる物だった。
「兄貴!あれ欲しい!食べたい!」
前世ぶりの甘いお菓子にハルは興奮して買ってほしいとねだるのだが…ジャスパーにはオチが見えた気がした。
「その砂糖菓子って幾らですか?」
「大銀貨一枚、銀貨なら五枚だな」
やっぱりな、とジャスパーは肩をすくめる。
ジャスパーには買えないだろう高価な品物を見せて、からかうのが目的だったのだろう。
セイブルを出る時に、兄から軍資金は渡されたが、高価な砂糖菓子を買える額では無い。
「兄貴!買って!あれ買って!」
興奮してジャスパーの背中から飛び降りピョンピョン跳ぶハルはジャスパーは悲しく見つめた。
「ごめんなハル」
「兄貴…?」
「あんな高価なお菓子は買えないんだ」
ハルはジャスパーの言葉にポロポロと涙を流す。
「沢山飛んで、沢山火を吐いて、頑張ったんだぞ…
それなのに砂糖菓子1つ買って貰えないのか?」
ジャスパーは泣くハルを抱き上げる。
「ごめんなハル…」
「貧乏が!貧乏が憎い!」
「…………」
ジャスパーの胸に顔を埋めて泣くハルをユーリアが見ていた。
ユーリアは酒保商人の元に行くと注文する。
「その砂糖菓子と甘い林檎酒を3つ」
「はいよ、ユーリアお嬢様」
ユーリアは戦場のド真ん中にも商品を届ける有能な酒保商人の慇懃無礼な態度にタメ息をつく。
「ジャスパー卿、これを」
「ユーリア卿?!」
ユーリアから差し出された砂糖菓子と二杯の林檎酒にジャスパーは目を白黒させる。
「そんな高価な物を戴くわけには…」
「私の部下たちの命と比べるなら安い礼だと思うのだが」
そう言ってユーリアは砂糖菓子と林檎酒を押し付け、自分も林檎酒を呷った。
「ハル、食べていいぞ」
ジャスパーはハルに砂糖菓子を差し出す。
ハルは恐る恐るといった動きで高価な砂糖菓子を受け取り口に運んだ。
「甘い…」
「美味しいか?」
「うん…」
甘い砂糖菓子を味わいハルは言った。
「兄貴、好きな物を好きなだけ食べられる身分になりたい」
「そうだな、戦場で活躍すれば成れるかもな」
「兄貴、一緒に成り上がろう!!」
ハルは、そう誓った。
好きな物を好きなだけ食べるために誓った。
ユーリアは林檎酒を口に運ぶジャスパーとハルを見て考える。
直ぐに父である辺境伯から十分な褒賞金が出るだろう。
そして父が貴重な戦力である竜騎士を手元から逃がすわけも無いだろう、と。
「此方に居られましたかジャスパー卿」
辺境伯に様々な報告をしていたロロフ卿がジャスパーを呼びにきた。
「ジャスパー卿、辺境伯が御呼びです」
「うぇ…」
ジャスパーは自分の第一印象が最悪だろう有力貴族の呼び出しにゲンナリした。
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猪鬼とは戦闘種族である。
猪鬼の戦士の平均身長は人間と大差無いが横幅は大きく違う。
その肉体は、肥大化した筋肉を搭載し分厚い脂肪に鎧われており人間の数倍の大きさに誤認させる程。
猪に例えられる顔は、それほど猪に似ているわけでは無い。
発達した下顎の牙が口から突き出た精悍を通りこした野性味溢れる狂暴な面相が猪を連想させるだけである。
その漢は、他の猪鬼より一回りは大きかった。
大猪鬼と呼ばれる上位種であり猪鬼の中でも武名を轟かせるバラッハ氏族の族長バーク・シャ・バラッハ。
バークは、大猪の中でも一際巨大な魔猪に騎乗し、300騎の大猪騎兵隊を率いて辺境伯軍の殿軍が立て籠っていた陣地跡に来ていた。
「………」
陣地の周りには焼け焦げた小鬼の死体が散乱している。
大猪より降りたバークは地面の土を調べる。
その目には地表が高温で焼かれた跡が見えた。
「兄者ーっ!!」
空を切る羽ばたき音と共に大猪鬼の巨体を乗せた巨大な禿鷲が降りてくる。
バークの実弟であるヨーク・シャ・バラッハと騎獣たる大禿鷲。
「小鬼どもの話は本当だったのか?」
「見ろ、地面が激しく焼けている」
「おおっ!では伝説の竜騎士と戦えるのだな!」
まだ若く十年前の侵攻戦に参加していないヨークは人間たちとの戦いに心踊らせていた。
強さこそが全てであり、強敵と戦い、勝利し、略奪する事を史上の喜びとする猪鬼には典型的な反応だ。
族長バークとて強敵の出現に闘志が漲るのを抑えられない。
だが族長には氏族の繁栄を考える義務がある。
「空を飛び、火を吐く、人間どもが下位竜とか呼ぶ竜だな」
「人間の騎士団とかいうのが使う翼竜では無いのか?」
「ヨーク、火を吐くのが下位竜、吐かんのが亜竜だ
亜竜の翼竜は火を吐かん」
族長である兄バークの説明をヨークは聞き流す。
細かい分類など興味ないからだ。
「やっかいだな、我が神鷲が必要かもしれん」
そんな族長バークの言葉をヨークは笑い飛ばす。
「俺の大禿鷲で十分だ!
俺の戦斧の錆びにしてやるさ!」
若いが氏族随一の戦士である実弟ヨークを頼もしく思いつつも、族長バークは火を吐く竜への対応策を考えていた。
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「ジャスパー卿。
まずは助勢に感謝する。
これは感謝の印だ」
辺境伯と側近である騎士たちの前にジャスパーの姿はあった。
無位無冠であるジャスパーには雲の上の存在である辺境伯。
その辺境伯の側近の一人がジャラジャラと音を立てる重そうな袋をジャスパーに差し出す。
受け取ったジャスパーは中身が大量の銀貨だと予想しながらも辺境伯の前で確認するような無粋な真似はせず、足元で袋を寄越せと全身で表すハルに袋を預けるが…
ハルは人目も憚らず袋の中身を確認し『ウヒヒヒ』と笑い声のような鳴き声を上げている。
「兄貴、金貨だ!金貨!」
その失礼極まりない声が理解出来るのが自分だけである事実を神に感謝しつつジャスパーは辺境伯の次の言葉を待つ。
「ジャスパー卿」
「辺境伯閣下、自分は無位無冠で卿と呼ばれる身分では…」
「そうなのか?」
辺境伯の隣に立つ娘のユーリアから聞いているだろう事実をジャスパーは告げる。
勝手に勘違いされているだけでも否定しておかないと身分詐称に成りかねない。
貴族や聖職者を詐称する事はズライグ王国では重罪だ。
こんな事で斬首なんて冗談では無い。
そう思い否定するジャスパーに辺境伯は宣言する。
「ウォードエンド辺境伯爵アンドレイはジャスパー・ファーウッドを騎士爵に推薦する」
「騎士ユーリア・ウォードエンドはジャスパー・ファーウッドを騎士爵に推薦いたします」
「騎士ボリシス・ロロフはジャスパー・ファーウッドを騎士爵に推薦いたしまする」
「うぇ?」
目の前の状況にジャスパーは目を白黒させる。
さらに従軍司祭が宣言する。
「騎士爵以上の爵位を持つ三名の推薦によりセイブル領主騎士モンド・ファーウッド卿の三男ジャスパー・ファーウッドに騎士の位を与える事を国教教会の名において宣言いたします」
予め決めておいた茶番劇だろう。
これでジャスパーは正規に騎士爵を得て名実共に騎士となった…のは良いのだが…
「推薦に感謝します、辺境伯…」
礼を言いつつもジャスパーは辺境伯が好意だけで、こんな真似をしない事を理解していた。
自分を推薦してくれた相手には敬意を払うのは当然の事。
これでジャスパーは辺境伯に恩義が出来た事になるし、他の貴族たちからは辺境伯の派閥と認識される事になるだろう。
嵌められた…などと後悔しても、もう遅い。
「さてジャスパー卿、話を続けて構わないかな?」
「はい」
「私としてはジャスパー卿には、このまま辺境砦に残り助力してもらいたい。
立場としては辺境伯爵家の客分。
それが嫌であれば傭兵として契約してもいい。
もちろん給金と戦功に応じた褒賞金は約束しよう」
辺境伯の秘書官が給金や褒賞金の規定が書かれた羊皮紙を見せてくる。
真竜の竜騎士を雇う適正価格など誰も解らないわけだが、ジャスパーに提示された金額は翼竜騎士を雇う場合の1.5倍。
悪い条件では無いのだが…
「好条件の提示には感謝いたしますが、自分はセイブル領主代行の兄の命令により辺境伯領の状況確認に来ております。
兄に報告するためにセイブルに戻らなくてはなりませんし、ファーウッド家当主である父に無断で辺境伯と契約するわけにもいきません」
「なるほど、ジャスパー卿の言われる事は、もっともであるな」
ジャスパー個人としては辺境砦で武勲を上げて、ハルが好きな物をお腹一杯食べられる爵位や領地を得るために働くのは悪くないと思うのだが。
ファーウッド家という家が関わると好き勝手するわけにはいかない。
しかし、辺境伯と田舎の騎士家の三男では交渉の場数が違った。
「まずセイブルの領主代行殿には私の隷下の天馬騎士を伝令に派遣しよう。
ジャスパー卿が報告の手紙を書かれるならば、私もユーリアも一筆入れよう。
ジャスパー卿の父上は翼竜騎士団のモンド・ファーウッド卿であったな。
既に国王陛下に援軍を要請している。
おそらくモンド卿も派遣されて来られるであろう。
この辺境砦で父上を待たれてはいかがかな?」
辺境伯はジャスパーの逃げ道を潰していく。
さらに駄目押しに辺境伯は話を続けた。
「我が辺境伯爵家には国家の非常事態に際して、辺境伯領近隣の領主の兵を徴用し指揮下に置く権限が与えられている。
私はセイブルを含めた各領主に参陣を要請するつもりだ。
だがジャスパー卿が参陣してくれるならばセイブルには、それ以上の兵を出させる事は控えよう」
セイブルから出兵すれば、当然領地の防衛は難しくなる。
あの圧倒的数の小鬼の一部が辺境砦や辺境伯領の都市を無視して近隣の村々を襲ったならば…。
派兵で戦力を減らした領主が領地を守るのは難しいだろう。
セイブルとて同じ事だ。
ジャスパーは辺境伯の提案を受け入れる事にする。
「まず父より命令があれば、そちらを優先いたします」
「うむ、それは構わない」
「それとセイブル近隣に侵攻があればセイブルの防衛を優先させていただきます」
「その条件を契約に盛り込もう」
ジャスパーと辺境伯は従軍司祭の前で契約書にサインし、契約を違えない事を神に宣誓する。
これでジャスパーは辺境伯家の客分として戦いに参加する事となった。
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ジャスパーは砦内に用意された部屋に案内され、側近たちも去り、辺境伯の執務室にはユーリアだけが残された。
「お父様、あのような交渉で本当に良かったのでしょうか?」
「敵前衛だけで一万の大軍だ。
さらに、これから本隊が侵攻してくるだろう。
領地を国を守るためには卑怯と呼ばれようと、あの竜騎士を手離すわけには絶対にいかない」
「しかし、ジャスパー卿の不興を買っては…」
辺境伯は娘の抗議を手で制する。
「手は考えている」
そう言って辺境伯は娘を上から下まで見た。
愛妾によく似た美貌に豊かな胸、少し筋肉質だが十分に女らしい細い肢体。
親の贔屓目無しでも魅力的と言えるだろう。
「ユーリア、お前はジャスパー卿をどう思う?」
「ジャスパー卿は、善意には善意、悪意には悪意を持って応える方と見受けます。
誠心誠意説得した方が良いかと…」
辺境伯は再び娘の発言を手で制する。
「私が聞きたいのは、あの男に女として抱かれる事が出来るかという事だ」
「お父様っ!!」
真っ赤な顔で抗議する娘に辺境伯は命じた。
「お前をジャスパー卿の世話役に付ける。
身体を使ってでもジャスパー卿を味方に留め置け」
「そんな事を…」
「竜騎士であれば、いずれは爵位も得るだろう。
おそらくは伯爵、悪くても男爵という事はないはずだ」
そして辺境伯は娘の目を見て言った。
「ユーリア、私は、お前をジャスパー卿の元に嫁がせるつもりだ」
ユーリア・ウォードエンド辺境伯爵令嬢は、自分がジャスパー・ファーウッドに抱かれる様を想像し赤面した顔を両手で覆った。