第68話…ぬいぐるみ
「はて?ルグニル王は何処だ?」
霜の巨人ベリンは、人間の小さな建物が立ち並ぶ街の中で、霜の巨人王や同胞たちを探す。
しかし、同胞たちの巨体は何処にも見えなかった。
「人間の街に転移したのは我だけか…」
どうするべきか?と周りを見渡す巨人ベリンの眼に、人間の小さな建物の中では大きな部類の物を目指して進軍する猪鬼の一団が見えた。
「とりあえず、アレに付いて行ってみるか…」
霜の巨人ベリンは手斧を握り、ゆっくりと歩き出した。
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「ななな…なんで街中に猪鬼が?!」
旧王城守備兵は、咆哮を上げ突撃してくる猪鬼たちに泣きそうになっていた。
所詮は重要でもない遺物の警備兵。
崩れかけて危険な旧王城を遊び場にしようとする悪ガキの頭に拳骨を落とすのが仕事程度の兵士たち。
身長2メートル近い大猪鬼が率いる一団に勝てるはずもない。
旧王城には守る物も守る価値もない。
直ぐに逃げるべき!
そう判断し、撤退を命じようとした兵士長は、先ほど旧王城内に入っていった美姫の姿を思い出す。
この地を治め、西部の平和と安定に尽力したグズルーン公爵。
あの優しい公爵の死に、あの美しい公爵婦人の死に、旧都の誰もが涙した。
その忘れ形見を残して逃げるわけにはいかない。
例え、勝ち目など万に1つも無くても…
「ポーン、ロネ、お前たちは城内のリーヴァ殿下に敵襲をお伝えしろ!
そして、他の出口からリーヴァ殿下を逃がすんだ!」
若い2人の兵士に命じて、兵士長は震える脚を踏ん張り震える手で短槍を構える。
「神よ…姫殿下だけでも御守り下さい…」
突撃してくる猪鬼たちに守備兵たちは悲鳴のような大声を上げて自身を鼓舞し槍を突き出した。
そして、彼らは一瞬で肉塊となった。
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「殿下ー!リーヴァ殿下ー!」
リーヴァ王女を逃がそうと走った2人の兵士の命懸けの行動は無駄だった。
いや害悪でしかなかった。
足跡とリーヴァ王女の目的から、目的地の塔に目星をつけ駆けつけた兵士たちが塔の扉を開け、中に飛び込んだ次の瞬間、扉は粉砕され大猪鬼ハンプ・シャ・バラッハが姿を表したのだから。
リーヴァ王女殿下の元に敵を案内してしまった。
そう後悔する間もなく2人の兵士は、後ろから襲いかかる猪鬼の攻撃で絶命した。
塔一階の広場で対峙したリーヴァ一行と猪鬼の一団。
「大猪鬼に猪鬼が4人か…」
先頭のユーリアは細剣を構えるが、彼女では大猪鬼1人すら討ち取れないだろう。
「ほう?貴様は竜騎士の女だな」
大猪鬼ハンプは、かつて猪鬼の捕虜になった事があるユーリアの顔を覚えていた。
「我々の決闘を汚した竜騎士の女を殺せば、ヤツも少しは我々の怒りを知るだろう」
ハンプは両手持ちの大剣を構える。
猪鬼には珍しい武装。
ハンプの甥、氏族1の戦士と呼ばれたヨーク・シャ・バラッハが『廃都市』を落とした際に戦利品として手に入れ、指揮官の座を譲ってくれた叔父ハンプに贈った大剣。
「我が甥ヨークの無念も貴様を殺せば少しは晴れるであろう」
ハンプの怒りの声。
ユーリアの背に冷たい汗が流れる。
勝てない。
ジャスパーが決闘した大猪鬼。
あれより1段低い戦闘力だとしてもユーリアの技量では勝ち目など無いと、ユーリア自身が一番よく分かっていた。
そして彼女が背中に庇う女性たちは武芸など修めていない。
戦えるのはユーリアしかいない。
絶望的状況だった。
ノテノテ…ノテノテ…
女性たちを守るように前に出たのは5匹の幼竜。
身長は1メートル程度しかないチンチクリンな生き物たち。
「「「ギャオォォォォォォーッ!」」」
5匹は戦いの咆哮を上げる。
全身の鱗が逆立つような感覚。
それは血に刻まれた記憶。
敵だ!
コイツらこそ我らの敵だ!
コイツらと戦うために我らは来たのだ!
そう赤き竜の血が訴える。
メーガジット界からの略奪者を討てと訴える。
5匹の赤竜と対峙する敵は大猪鬼に4人の猪鬼、そして20匹の小鬼たち。
赤き竜の末裔たちは両足に力を込める、両翼に力を込める。
「誰がジャスパーの女かしら?
ジャスパーの女と呼ぶのなら本妻の私を事を呼ぶべきでしょう」
左手に氷結の長杖を握るリーヴァ王女は不機嫌に口元を扇子で隠す。
いや、今はそんな事を言っている場合では無いのでは?
そんなユーリアの思いに関係なくリーヴァは叫んだ。
「グラァァァァームッ!!殲滅せよっ!!」
「消え…」
リーヴァが叫んだ瞬間、赤竜グラムの姿が消えた。
人の動体視力を凌ぐ加速。
「ぬっ!?」
殲滅の赤竜の一撃に反応出来ただけでもハンプの技量は並みではなかった。
ハンプの毛皮鎧に守られた巨体。
その左肩辺りから一筋の血が流れる。
ハンプで無ければ頭が無くなっていただろう。
「ほう?速いな…」
見た目に反して強敵だとハンプは笑う。
強敵を求める猪鬼の本能が笑みを浮かばせる。
「いいぞ!もう一度来い!」
グラムと相対するため後ろを向くハンプ。
その背を…
「『氷結よ』」
リーヴァの氷結の長杖による魔法が撃った。
凍りついたハンプが動きを止めた一瞬。
その一瞬でグラムがハンプの首をはねた。
「卑怯な!」
猪鬼の非難の叫び。
「あら?何を言っているのかしら?
私、豚の言葉は分からないの」
リーヴァは口元を扇子で隠し冷たい視線を猪鬼たちに向けた。
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猪鬼たちは決して弱くなど無かった。
その戦闘力は、板金鎧を纏った重装騎士に匹敵しただろう。
しかし、相手が悪すぎた。
敵は最優の亜竜グラムと仲間たち。
リーヴァが再び魔法具を使う事すらなく猪鬼たちは次々に倒れていった。
小鬼の中には後ろに控える女性陣を狙った者もいた。
しかし幼竜の爪と牙を逃れてもユーリアの細剣とアンリエットの平鍋の前に散っていった。
「何故、この場所に猪鬼が?」
全ての敵を殲滅し、リーヴァは首を傾げる。
この時、まだリーヴァは『旧都』を襲う亜人軍の存在を知らなかったのだから、その疑問は当然だろう。
「リーヴァ殿下、疑問は後です。
まずは、この場を離れ、軍と合流しましょう」
ユーリアの当然の提案。
「そうね」
リーヴァが疑問を棚上げし、立ち去ろうとした瞬間。
天井が崩れた。
「あれは…まさかっ?!」
天井の穴から覗き込むのは青白い肌の巨人だった。
「まさか霜の巨人かっ?!」
ユーリアの恐怖に満ちた驚愕の叫び。
その視線の先には、北部でズライグ王国最強の竜騎士ジャスパーすら苦戦させた強壮な巨人の姿があった。
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「ハルっ!しっかりしろハルっ!」
上空から飛び降りる形になったジャスパーが無傷だったのは、騎兵槍が当たった『盟主』の身体で落下速度が落ちたためだろうか?
ジャスパーは左腕でハルを肩に抱き上げるように抱え、右手で腰の片手半剣を抜く。
ハルは重傷のようだが息はある。
剣が届かぬ上空からジャスパーとハルを見下ろす『盟主』
今のジャスパーに『盟主』を討つ力は無い。
さらに『盟主』を守るように炎の巨人も控えている。
逃げなければ…死ぬ…
ジャスパーは『盟主』に背を向け必死で走り出す。
今、この瞬間に『盟主』が魔力矢をジャスパーの背に射つだけでジャスパーは簡単に死ぬ。
だが…
『盟主』からの攻撃は無い。
既に動けないハルと、ただの人間でしか無いジャスパーに逃げられるはずもないとの判断か?
それとも、自分が手を下すまでも無いと思っているだけか?
亜人軍本陣に空から向かってきたジャスパーは敵陣内で孤立している。
ハルを抱え逃げるジャスパーを十重二十重に囲み襲いかかるのは小鬼の群れ。
「邪魔をするな!」
ジャスパーの魔法剣は1振りごとに1匹の小鬼の命を奪う。
それでも殺到する小鬼の数は100や200では無かった。
人は無限に剣を振れるわけではない。
直ぐに少年騎士の腕は疲労で悲鳴を上げるだろう。
そんな事は分かっていた。
「もういいよ…」
苦しそうな妹の言葉。
「もう私を捨てて逃げてよ…」
石槍を構え奇声を上げる小鬼を斬り、棍棒を振り上げる小鬼を斬る。
右肩が痛い。
右腕が痛い。
右手が痛い。
何匹斬ったか分からない。
数える余裕など無い。
「兄貴には家族がいるじゃないか…」
ジャスパーの脳裏に浮かぶのは美しい妻たち。
「私なんて居なくても家族が居るじゃないか…」
ハルを捨てて逃げれば、逃げ切れる可能性は増える。
『旧都』まで逃げて、王都まで逃げて…
それから…ズライグ王国が滅んでも…
東にある国々に亡命してもいい。
ペンズライグ王家と血縁がある王家が治める国なら、リーヴァを迎え入れてくれるだろう。
王都に残した財産を処分して、何処かで静かに暮らしてもいい。
ジャスパーの帰りを待つ美しい妻たち。
やがて可愛い子供も出来るだろう。
抱えた妹を捨てるだけで、手に入る未来。
「兄貴…私の同族は何処にもいないんだ…
真竜は滅んだんだ…
私は独りぼっちの化け物なんだ…
だから…私なんて捨てて逃げてよ…」
ジャスパーは妹を見捨てる事で得られる全てを想う。
そして、口を開いた。
「ハル、お前が僕を兄と呼ぶように、お前は僕の妹だ。
ハル、お前が此処で死ぬのなら、僕が一緒に死んでやる。
ハル、お前が世界でたった一匹の化け物だと言うのなら、1人と一匹の兄妹として僕が一緒に逝ってやる。
ハルを捨てる事で得られる安寧な日々。
それがどうした!そんな事は僕がハルの兄を辞める理由にはならない!
僕は、この世界に産まれる前から、ハルのお兄ちゃんだ!
だから、この手は決して離さない!
生きるも死ぬも僕たちは一緒だ!」
世界で最後の化け物。
滅び行く種族の最後の一匹。
その絶望は、その立場に立った者にしか分からない。
ハルにしか分からない。
ジャスパーにも、きっと本当の意味では理解出来ない。
それでも兄は妹に寄り添う。
例え、その結末に死が待ってはいても…
「お兄ちゃん…お兄ちゃん…お兄ちゃん…」
慟哭を上げる妹を抱え、兄は剣を振るう。
しかし、その体力は限界を向かえつつあった。
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「霜の巨人…」
絶望的状況だった。
最強の竜騎士すら苦戦させる化け物に勝てるはずも無かった。
「『雷よ』」
この場に居る者の出せる最大の攻撃、リーヴァの雷の短杖による雷撃。
それは巨人をよろけさせる。
だが、それだけだった。
「ギャオォォォー!」
己を鼓舞するように咆哮し、幼竜たちは巨人に立ち向かった。
しかし、身体の大きさが違い過ぎた、筋力が違い過ぎた、体力が違い過ぎた。
鉄より硬い鱗の防御力も意味をなさない圧倒的暴力。
殴られ…蹴られ…叩きつけられ…
ついに幼竜たちは力尽きた。
「キュ~キュ~」
悲しい声を上げる幼竜たち。
せめて、後100年の時間があったなら…せめて、成竜だったなら…
己の無力を嘆く幼竜の悲しい鳴き声。
「ギャギャー!」
血を吐きながら最後の突撃を行ったグラムは巨人の腕で簡単に殴り飛ばされ…
「きゃあ!!」
壁際まで逃げていた狐嬢の側の壁に激突した。
その衝撃で狐嬢は、抱いていたぬいぐるみを取り落とす。
その衝撃で壁に穴が開き、そこから空が見えた。
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それは、小さなぬいぐるみだった。
それは、古びたぬいぐるみだった。
それは、汚れたぬいぐるみだった。
約束をしました。
いつか必ず帰ってくると…
約束をしました。
いつか必ず迎えにくると…
空から光が射し込む。
空から力が射し込む。
待っていたよ…
ずっとずっと待っていたよ…
約束をしました。
約束をしました。
約束をしました。
ずっと昔に約束をしました。
だから…
その声は響くのです。
例え冥府の底に縛り付けられても…
例え永い永い時間が過ぎても…
それでも…
約束をしたんですから!
『待たせてしまったのですぅ』
待っていたよ…待っていたよ…
ずっとずっと待ち続けた…小さな…古びた…汚れた…ぬいぐるみ。
その日々は決して無駄では無かったのです。
だって、彼女は約束を守ったのだから…
『後は任せるのですぅ!』
ぬいぐるみの魂は彼女の胸に抱かれ、彼女と1つになった。
それは、小さなぬいぐるみだった。
それは、古びたぬいぐるみだった。
それは、汚れたぬいぐるみだった。
けれど…
それは、無敵のぬいぐるみだった!
それは、無双のぬいぐるみだった!
それは、無敗のぬいぐるみだった!
800年前、世界を守るために、この世界に残されたぬいぐるみ。
その身体に彼女は宿る。
霜の巨人が斧を振り上げる。
「霧宮流格闘術…」
その攻撃を防げる者は誰もいない。
「奥義…」
その斧が振られたなら、その場の少女たちの命は無いだろう。
その場に、彼女が降臨しなかったのなら!!
「真・竜爪脚ーっ!!」
それは、ぬいぐるみだった。
小さな、古びた、汚れた、ぬいぐるみの蹴りは巨大な霜の巨人を吹き飛ばした。
ぬいぐるみは、誇り高く尻尾を立て叫ぶ。
「我こそは白涼!かつて白い竜と共に世界を救いし者!!」
800年を時を経て、彼女は再び降臨する。
霧宮白涼。
かつて『白の竜騎士』と呼ばれた者。




