第66話…難民
「これ以上進めません!」
ズライグ王国西部の中心都市『西域都市』は陥落した。
しかし、東に撤退するズライグ王国軍には、まだ余力があった。
『辺境砦』を守備していたウォードエンド辺境伯の辺境伯軍、アルスゥル王子率いる王国軍先遣隊、そしてメドラウド王自身が率いる王国軍本隊。
『辺境砦』と『西域都市』の2戦で大きな被害を受けたとはいえ、残存兵数は8200名。
まだまだ一戦するには十分な兵力。
まずは『旧都』まで撤退するという方針の元に東進する軍は、カムラの地で足止めされる事になった。
「『旧都』までの街道は難民で溢れ、軍が進む事は出来ません!」
斥候の騎士の悲痛な叫び。
『西域都市』周辺の小都市や村々は『辺境砦』陥落により事実上見捨てられた。
亜人軍より分派された小規模な部隊は近隣の小都市や村々を襲い、王国軍に止める余力は無かった。
さらに各地の領主は『辺境砦』への派兵を求められ自領には最低限の兵力しか残せていなかった。
小都市や村々は亜人軍に襲われ、蹂躙され虐殺され略奪され、生き残った人々は東を目刺し逃げるしか無かった。
その大量の避難民が街道を塞ぎ、撤退する王国軍の行く手を阻んでいたのだ。
「難民共を押し退けられんのか?!」
豪奢な飾りが着いた貴族が怒声を上げる。
自分だけが助かれば、難民が追撃する亜人に蹂躙されても…いや軍が難民を蹂躙してでも構わないという自分勝手な貴族の叫び。
しかし、斥候の騎士は首を横に振る。
「難民の数は多く、この先の森の中の街道どころか周辺まで塞いでおります。
難民に道を開けさせる事は不可能です」
ウォードエンド辺境伯は、メドラウド王に進言した。
「陛下、あそこに見えるカムラの丘に本陣を構え、亜人軍を迎え撃つ他ありません」
背後には鬱蒼と繁る森。
そこを背にしたカムラの丘の上に陣を敷くのが現状の最善策。
決断力に乏しいメドラウド王は左右に控える側近たちに目を向けるが、側近たちに別の策は無く、メドラウド王は家臣に命じる。
「前衛軍は辺境伯、右軍はルカン侯、左軍はグレット伯に任せる」
ズライグ王国軍8200は、カムラの丘にて決戦を挑む事になった。
「まさか、我がズライグ王国が空を制されるとはな」
前衛軍本陣に向かうウォードエンド辺境伯アンドレイは忌々しく空を見上げた。
王国軍上空には人面鳥と呼ばれる半人半鳥の亜人が飛び回っている。
翼竜騎士団を始めとする王国の飛行騎兵は壊滅的被害を受け、残存兵力に人面鳥の群れを駆逐する力は残っていなかった。
そして空を制された王国軍には伝書鳩や天馬による伝令を送る事も出来ず。
『西域都市』陥落は、王国の他地域に伝わっていなかった。
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「『西域都市』からも王国軍本隊からも伝令は無しですか…」
「国王陛下は『旧都』を重視しておりませんので、我々に情報を伝達する必要を感じておられないのでしょう」
ボロー代官の話は事実だろう。
10年前の水害で大きな被害が出た『旧都』は、歴史があるだけで価値が低い街。
守備隊の戦力も最低限だし、補給拠点になる物資もない。
防壁も湖側は崩れて穴が開いている箇所が沢山あり補修は全く進んでいない。
ジャスパーは質も量もイマイチの朝食を腹に詰め込む。
明け方に水浴びから帰ってきたハルは無言で魚の干物を齧っている。
西部の戦況を気にするジャスパーは、何時もは明るく何かとうるさい妹が、朝から静かな理由を考える事は無かった。
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そして、地獄が出現した。
「難民です!数千に及ぶ難民が押し寄せています!」
『旧都』に西より押し寄せる難民の群れ。
街道を完全に塞ぎ、道の左右にすら人の群れが溢れていた。
西の防壁上の指揮所に急ぎ入ったジャスパー碧竜伯、ボロー代官、ベローズ騎士隊長。
「まさか『西域都市』が墜ちたのでしょうか?」
滝のように冷や汗を流すボロー代官は、あくまで統治を代行する文官。
名目上は『旧都』のトップでも戦争時の判断力には不安がある。
「西から伝書鳩や天馬による伝令は?」
ジャスパーは一応確認するが、それがあったならジャスパーに隠す必要は無いだろう。
「伝令は本当に無いのです。
ですから私は、そこまで酷い事態では無いのだと…」
難民たちは、とりあえず街中には入れずに防壁前の草原に留められる。
「アレは…?」
防壁上で偶然見えた10人程度の女子供の集団を確認したジャスパーは防壁を駆け降りた。
「ハンナ?!ハンナか?!」
ジャスパーが見つけた集団を率いる中年女性。
「ジャスパー坊っちゃま!!」
ジャスパーの実家ファーウッド家に雇われていた女中頭ハンナは、ファーウッド家の三男の手を取り、気が抜けたように崩れ落ちる。
「セイブルは?兄さんたちは?どうなったんですか?」
「分かりません!本当に分からないのです!
セイブルに小鬼の群れが襲ってきて、ラルド様とシュラー様が男衆を率いて戦われました。
私たちは村より東に逃げるように言われて…」
ジャスパーは考える。
『辺境砦』が陥落すれば、辺境伯の軍が健在でも『西域都市』まで撤退するしか無い。
そして辺境伯軍が『西域都市』で防衛戦をするなら、周辺の小都市や村を守る余裕などあるわけが無い。
ジャスパーの兄ラルドとシュラーは騎士爵を持つ正規の騎士であり、剣の腕は猪鬼の戦士にも引けを取らないだろう。
1対1ならば…
猪鬼数人が率いる1隊だけで、セイブルという小さな村は簡単に滅ぶ。
兄たちにもセイブルの領民にも、それを防ぐ力なんてあるわけが無い。
ハンナたち10人程の女子供が逃げられただけでも幸運だった。
「ハンナ、他に知っている事は?」
セイブル周辺の村々、その中にはジャスパーの幼なじみで妻の1人アンリエットの故郷アーミンもある。
しかし、ハンナは首を横に振る。
自分たちが逃げるだけで精一杯だったのだろう。
ジャスパーは、他の難民たちが自分たちに注目してない事を確認すると、周りから見えないように懐から銀貨の入っている袋と携帯していた保存食を出しハンナに渡す。
「ハンナ、よく聞いて…」
小声でハンナに囁くジャスパー。
「『旧都』には、避難民を受け入れる食料が無いんだ。
もっと東に逃げてほしい」
「ジャスパー坊っちゃま…」
「僕は、これから戦に行かないとならない。
これくらいしか出来ないんだ」
難民を『旧都』で受け入れる事は出来ない。
受け入れたなら『旧都』の食料事情は崩壊する。
ボロー代官は難民のために門を開く決断はしないだろう。
「僕がする事は、難民問題を解決する事じゃない…」
ジャスパーの故郷セイブルは壊滅しただろう。
その事を悲しむ余裕すらない。
「ハル!行こう西へ!戦いを終わらせるために!」
「ああ…そうだな」
ハルの元気がない事に気づかないまま、ジャスパーは成竜化したハルに股がり出陣した。
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ジャスパーと入れ違いに、リーヴァ率いる北部派遣軍は『旧都』に到着した。
予定をかなり前倒しした強行軍である。
「あの旗は…」
東の防壁上の見張りの兵士は、北部派遣軍の掲げる旗に眼を凝らす。
「グズルーン公爵家の軍旗…何処の馬鹿が使ってやがる!!」
『旧都』の領主だった王弟殿下の旗を見て憤る部下の頭に兵士長の拳骨が落ちる。
「馬鹿はお前だ!!
リーヴァ殿下の軍が来ると通達があっただろうが!!」
「じゃあ、あれがリーヴァ殿下の?」
「ああ、リーヴァ殿下が…『旧都』に帰ってきて下さったんだ…」
リーヴァは自分の姿が周りから見えるように大型馬車の車上に立ち上がる。
相応しい豪奢なドレスに魔法銀製の胸甲と兜を身に付けた美しい戦乙女は、兜を脱ぎ銀色の長い髪を靡かせる。
「リーヴァ殿下!!」
「王女殿下!!」
「リーヴァ姫様!!」
半壊した『旧都』に、それでも残った人々は、『白銀の姫』の帰還に涙を流し歓声を上げた。
数は少ない。
たったの700人の軍勢。
それでも不安に包まれていた『旧都』の人々の眼には希望に見えた。
絶望が、すぐ其処に迫っていても…
「碧竜伯は、西に向かわれました」
タンザ・ベローズ騎士隊長ら旧知の騎士たちとの再会を喜ぶ間も無く、リーヴァは夫の独断専行を聞いた。
「全く、ジャスパーにも困ったものね」
直ぐに追いたい気持ちはあるが、それが難しい事は解る。
疲れた兵も馬も休ませないとならないし、難民に街道が塞がれていては、北部派遣軍は西に進めない。
「まずは兵を休ませるわ。
ヴォル騎士隊長、細かい事は任せるわ」
ボロー代官とヴォル騎士隊長が話し合い、兵士たちの宿舎を決めていく。
その様を横目にリーヴァは『旧都』に立ちよった理由の1つを果たす事にする。
「私は旧王城に向かうわ。
護衛にはグラムたちと…」
「私が行きましょう」
リーヴァは騎士を指名しようとしたがユーリアが名乗り出る。
「人手が必要かもしれないですよね?」
「私たちも同行いたします」
アンリエットと狐嬢も進み出た。
戦場では後方に控える事になる3人。
騎士や兵士を休ませたいリーヴァは、グラムたち幼竜と3人を連れて行く事にする。
半壊し治安が悪いと言っても、重装歩兵に匹敵する幼竜5匹で対応出来ない相手と遭遇する事など無いだろう。
「スィーラスーズ白竜公の聖遺物、戦の役に立つ物だと良いけれど」
リーヴァは護身用の2本の杖を見る。
雷の短杖と氷結の長杖、これらの魔法具より強力な物があれば、戦況に寄与出来る可能性もあるだろう。
王城に向かうリーヴァ。
その判断が間違っていたとは言いがたい。
何故なら、そこから起きる事を予想出来る人間など誰もいるはず無かったのだから…
そして地獄の蓋が開いた。
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最初に現れた物の意味を知る者はいなかった。
『旧都』各地に現れた空間の歪み。
それが『辺境砦』の中庭に作られた魔法陣から転移させる門の出口だと知る人は誰もいなかった。
最初に小さな歪みから出てきたのは1匹の小鬼。
その姿を見た女性の悲鳴を聞いた男たちが適当な棒っ切れで殴り殺し、何の被害も起きなかった。
しかし、歪みは次々に発生し小鬼たちが次々に出現した。
その出現地点は『旧都』全域から周辺まで様々で、各地域の出現数は多くて10匹。
それでも何の前触れもなく出現する小鬼の脅威は言うまでも無かった。
街の人々や街の外の難民たちが小鬼に襲われ餌食になった。
「どうやら『旧都』の中に転移できたようだな」
魔法陣に飛び込み、気付けば人間の都市の中。
猪鬼バラッハ氏族の戦士、大猪鬼ハンプ・シャ・バラッハは周囲を確認する。
この魔法陣による転移は、転移先の座標の正確性が低く、『旧都』の周辺の何処かに転移する程度。
ハンプが防壁内に転移出来たのは幸運と言えるだろう。
「霜の巨人も転移したはずだが、姿は見えんな」
「ハンプ隊長」
数人の猪鬼の戦士たちが20程の小鬼を率いて集まってきた。
目立つ物を探して見回すハンプの耳に建物が崩れる轟音が響く。
「下位巨人!」
身長6メートルの下位巨人が手近な建物を殴り破壊していた。
「強力な巨人が防壁内に入れたのは僥倖だが、あの目立つ巨体を敵が見逃すはずもないな」
直ぐに敵兵士が、ここに殺到するだろう。
ハンプの役割は後方撹乱。
「ここで敵を迎え撃ちますか?」
少数でも勇猛果敢な猪鬼が臆するわけもない。
敵地のど真ん中に転移した戦士たちは戦意十分。
ハンプは遠くに見える目立つ建物に目を止める。
「我々はアレを攻めるぞ」
「おおっ!それは面白い!」
ハンプ・シャ・バラッハ率いる猪鬼の戦士たちは王城目指して走り出した。




