第64話…湖上の島
『旧都』までハルの翼で1日の距離まで来たところでジャスパー・ファーウッドは偵察と先触れのために先行した。
現在の『旧都』に領主である貴族は居らず、国王の直轄地として代官が派遣され統治を代行している。
「それは難しいと言わざるをえません」
小太りしたボロー代官が、しきりに脂汗を拭きながらジャスパーに進言した。
「リーヴァ殿下率いる軍に食料の提供は出来ないという事ですか?」
メドラウド国王の姪にして養女であるリーヴァの地位は高い。
そして10年前まで『旧都』周辺を領地にしていたグズルーン公爵の忘れ形見でもある。
そのリーヴァ率いる軍に協力出来ないという代官の態度をジャスパーは疑問に思う。
「碧竜伯殿も御存知の通り『旧都』は、10年前の水害で大きな被害を受けており、また国王陛下の遠征軍に『旧都』の提供出来る限りの食料を提供いたしました。
リーヴァ殿下を軽んじるつもりなど毛頭なく、『旧都』には本当に余剰の食料が残っていないのです」
アルスゥル王子殿下率いる先遣隊とメドラウド王率いる本隊。
総数1万2千人。
水害の被害により衰退した『旧都』には、1万2千人分の食料を提供するだけで限界だった。
いや実際には限界を越え、食料不足による混乱が都市内に起き始めている。
「宿と水の提供は惜しみませんが、食料は難しいのです」
ジャスパーとボロー代官が交渉する足元でハルは左肩をポリポリ掻く。
「兄貴、兄貴」
「何だハル?」
「水浴びしたいんだが、私は席を外していいか?」
ハルが霜の巨人との戦いで負った傷は再生したが、新しく生えてきた鱗が馴染んでおらず痒いらしい。
窓から見える大きな湖と白い島。
幼竜形態ならともかく体長7メートルの成竜形態で水浴び出来る場所は少ない。
あの湖なら十分な広さがあってハルが水浴びするに不足ないだろう。
「そうだな…」
ジャスパーはボロー代官に今夜ジャスパーが泊まる宿舎を確認しハルに告げる。
「うむ、水浴びが終わったら、そちらに向かう」
「うん、気をつけて行ってこいよ」
ハルは窓から跳び出し成竜形態に変身すると湖目指して飛んで行った。
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「うぇひひひ!」
成竜形態になったハルは湖に飛び込む。
水で身体の汚れを落とす。
再生した鱗の隙間には人間なら瘡蓋と呼ぶだろう再生途上で出来た物があり、ハルは痒さを発生させる其れを剥がしていく。
「やっと痒いのが治った」
ハルは綺麗になった鱗の隙間を満足そうに見る。
「ん?魚が居るな」
ハルの眼の映ったのは魚の群れ。
水害で軍船は元より、湖で漁をする船すら多くが失われ、結果として漁が出来ず漁獲量が減り、相対的に魚の数が増えているようだ。
「街に食料が少ないって事は晩飯も期待できないよな」
そう考えたハルは当然の結論を出す。
「師匠は言っていた!『腹が減ったなら狩りに行け!』と!」
ハルは腹を満たすために魚を追いかけ始めた。
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長く激しい戦いだった。
元々個体数が少なかった真竜。
戦いが終わった時、生き残った真竜は10匹に満たず。
その大半は長く生きられない程の深手を負っていた。
最初に亡くなったのは赤き鱗の竜だった。
赤の一族の残した卵から産まれた子らの姿を見て、絶望しながら死んでいった。
最後に亡くなったのは緑の鱗の若竜だった。
孵らぬ卵を嘆き死んだ青い鱗の雌竜の亡骸の側で息絶えていた。
彼は世界を回った、数百年をかけて世界中を回った。
生き残った仲間を探して、世界中を回った。
しかし、世界の何処にも彼の仲間はいなかった。
最後に生き残った真竜。
種の最後を見届ける事になった真竜。
仲間と共に戦った懐かしい日々。
世界を守るために戦い、勝利した栄光の日々。
その決戦の地を死に場所に定めた最後の真竜は眠りについた。
孤独と絶望を抱いて眠りについた。
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「獲れた獲れた!」
大きな淡水魚を両腕に抱えハルは、湖の中にある白い島に上がった。
ハルの味覚は二種類ある。
1つは前世で人間だった時の味覚。
もう1つは、今の身体である竜としての味覚。
「あ~ん!」
ハルは生のまま大きな淡水魚に齧りつく。
その気になれば樹の皮でも草の根でも平気で食べれる竜としての味覚。
人間ならば生臭く不味いだろう生魚も竜の味覚には美味しく感じる。
「旨!旨!」
2匹の大きな淡水魚を食しハルは手についた脂を舐めとる。
とりあえず満腹になったハルは島の上で欠伸をする。
少し昼寝しようか等と考えていたハルの耳に女の悲鳴が聞こえた。
「何だ?」
ハルは圧倒的視力を持つ竜眼で悲鳴がした方を探る。
ハルの眼に映ったのは、島から程近い水面から上半身を出して踠く美しい少女。
その身体は衣服を纏っておらず、豊かな胸を揺らして少女は踠く。
「溺れている?
いや…何かに襲われているのかっ?!」
少女の下の水中に何か怪物が潜み、少女を襲っていると判断したハルは迷わず水に飛び込み少女の元へ泳ぐ。
「今、助けに行くぞ!と言っても聞こえないか…」
ハルは尻尾と手足を使って高速で泳ぎ水中から少女の足元を見た。
「ん?犬?」
少女の下半身を襲っているらしいのは犬に見えた。
それは5~6匹分の犬の頭と脚。
水生の魔獣にしても奇妙な姿な気はするが、少女を助けるのが先決だとハルは犬のような魔獣から少女を守ろうと向かう。
犬のような怪物もハルに気づいたのか牙を剥き出しにしてきた。
「てぃひ?」
違和感、奇妙な感じ、無敵の竜種故の無意識の油断。
それらがハルの判断を一瞬遅らせた。
「女の子じゃない?!アレ自体が疑似餌?!」
犬ような怪物は少女を襲っていたのではなかった。
6匹の犬のような怪物が少女の下半身から生えていたのだった。
美しい少女の上半身で人を誘い、犬のような怪物の下半身で貪り喰う魔獣・水犬女。
「あんぎゃー!」
ハルは悲鳴を上げた。
水犬女の6頭の牙がハルに噛みついた事よりも魔獣の嫌悪感溢れる外見と少女を助けようとして騙された事への驚きが悲鳴を上げさせた。
実際、ハルの鉄より硬い鱗は水犬女の牙でも貫けていない。
しかし、驚いたハルはバタバタと踠き、反撃の機会を失う。
ハルの悲鳴が湖に響いた。
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夢を見ていた。
昔の夢を…
仲間たちと過ごした日々の夢を…
もう居ない同族と共に笑いあった日々の夢を…
声が聞こえた…
聞こえるはずのない声が…
下位竜や亜竜が失った念話という機能。
それが眠りの中に響いた。
(誰だ…?)
微睡みの中で数十年ぶりに僅かに眼を開ける。
見えるはずの無いモノが見えた。
あり得ないはずのモノが見えた。
ああ…夢を見ている…
幸せな夢を見ている…
孵らぬはずの卵が孵り、産まれぬはずの子が産まれた夢を…
滅びる運命の種族に最後の希望が産まれた夢を見ている…
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「あんぎゃー!」
それは爪だった。
あまりにも巨大な爪だった。
成竜形態のハルの爪よりも倍はある巨大な爪が、軽々と水犬女を引き裂いた。
ハルは呆然と其れを見た。
其れは島に見えた、島に見える程の大きさだった。
王都に向かう途中で『ハルの昼寝している姿に似ている』と皆が言った、湖に浮かぶ白い島。
それが起き上がる。
『お前は白くて島のように大きいのですぅ!
だから、お前の名前は島白ですぅ!』
かつて彼の姿を見た盟友が、そう名付けた巨体。
それは体長15メートルを越える真竜。
800年前の大戦で最強と唄われた白の竜。
白の竜の瞳に映るのは、青と緑の中間の色、碧色の幼竜。
生き残った真竜たちの中で最も若かった緑の雄竜と青の雌竜が造った最後の卵。
孵らなかった最後の卵。
産まれなかった最後の子。
それが白の竜の瞳に映っていた。
「産まれたのか…最後の希望が…最後の子が…」
巨大な白い竜は涙を流す。
「お前は…真竜なのか?
私の同族なのか?」
碧の真竜ハルは、呆然と白い竜を見上げた。




