第63話…出陣
大きな湖の畔。
人とも獣ともつかない生き物が大きな尻尾を揺らしながら、針を動かしている。
「何を作っているのだ?」
白の竜は、『着ぐるみ』と呼ばれるらしい服を着た人間に似た生き物に問うた。
「『ましろん』を作っているのですぅ」
どうやら『ましろん』という名前の『ぬいぐるみ』を作っているらしい。
大きな尻尾の生き物は、完成したぬいぐるみの出来に満足すると、遠巻きに生き物を見ていた女の子にぬいぐるみを差し出す。
門から進攻してきた小鬼に村を焼かれて逃げてきた小さな女の子。
着の身、着のまま、玩具の1つも持ち出せないまま逃げてきた女の子は満面の笑顔でぬいぐるみを受け取り、何度もお礼を言って頭を下げる。
その様に生き物は、ゲヘゲヘと奇怪な笑い声を上げていた。
「赤い鱗が戻ってきたな」
白の竜は、空に赤い竜を見る。
この西の地を縄張りにする赤い鱗の一族の者が、偵察から戻ってきたのだ。
その背には、銀色の髪の女。
この地の人間の国の王族とかいう女らしい。
「『島白』行くのですぅ!この世界の命運は白涼と島白の尻尾にかかっているのですぅ!」
アニュラス界最強の白の竜と異世界人・霧宮白涼は歩き出した。
それは、まだ本物の竜が居た頃の物語。
真なる竜が滅ぶ前の…
800年前の物語…
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「『辺境砦』が落ちた?」
王都から伝令に派遣された天馬騎士の話を聞いたジャスパー・ファーウッドの顔面は蒼白だっただろう。
「ウォードエンド辺境伯は?お父様は無事なのですか?!」
辺境砦で指揮をとっていた父親の安否を確認しようと使者に叫ぶユーリア。
西部出身のジャスパーやアンリエットも身内の身を案じているのは変わらない。
しかし、大貴族であるウォードエンド辺境伯と違い、1領主騎士の家系にすぎないジャスパーやアンリエットの家族の安否を王都が把握しているわけはないだろう。
「『西域都市』から第一報があったのみで、王都でも詳しい状況を把握出来ていないのです!
そして、王都のリイル・ペンズライグ王女殿下より、リーヴァ殿下と碧竜伯に西部へ増援に向かってほしいとの要請です」
要請。
命令ではなく要請。
国王と第一王子が、軍を率いて西部に向かった。
留守を守るのはリイル王女殿下。
もちろん宰相を始め、多くの家臣たちがリイル王女を補佐しているはずだが、王都も状況を把握出来ず混乱しているのだろう。
ジャスパーの隣に座り、扇子で口元を隠していたリーヴァ王女は執事に命じる。
「ヴィーグ伯爵に、今すぐに出せるだけの兵を西部に派兵するように伝えなさい。
第一陣は、数より移動速度を優先し騎兵と戦車のみで編成するように伝えなさい」
リーヴァは西部に向かうための準備を次々に命じる。
「僕は、ハルに乗って先に…」
ジャスパーは当然の事として碧竜ハルによる長距離飛行を選択する。
いくら速度を上げても地を駆ける馬と飛行する竜では速度に雲泥の差がある。
ジャスパーだけならば、到着までの日数を何日も短縮出来るだろう。
「ダメよ」
「リーヴァ、何故?僕だけなら西部まで素早く移動出来るよ?」
「辺境砦には翼竜騎士団が派兵されていたのよ。
20騎を越える翼竜が。
それでも辺境砦は陥落した。
ジャスパーの碧竜は確かに強いわ。
最強の翼竜騎士にも一騎討ちなら勝てるくらいに。
でも、仮に3騎の翼竜騎士を同時に相手にするならジャスパーは勝てるのかしら?」
ジャスパーとハル、ズライグ王国最強のコンビも20騎以上の翼竜騎士たちより強いわけではない。
単騎で行ってもジャスパー1人で戦局は変えられない状況だろう。
「まずは旧王都である『旧都』を目指すわ。
お父様の領地だったグズルーン公爵領なら、私の騎士たちに地の利があるし、ウォードエンド辺境伯領の状況を知る事も出来るでしょう」
グズルーン公爵領。
公爵令嬢リーヴァが5歳まで過ごした故郷であり、リーヴァの父に支えていた騎士たちの出身地。
とりあえずグズルーン公爵領の中心都市『旧都』を目指す方針をリーヴァは取る。
800年前、白竜公スィーラスーズがメーガジッド界の亜人軍を迎え撃った決戦の地。
「時間が惜しいわ!
皆、直ぐに準備をなさい!」
リーヴァが命じ、旧グズルーン公爵の騎士たちが走り出す。
かつての故郷、主君を守りきれなかった苦い思い出が残る地に舞い戻るために騎士たちは走り出す。
今度こそ、主の忘れ形見を守り抜くを誓いながら走り出す。
「リーヴァはアンリエットと狐嬢と一緒に王都に戻って。
ユーリア、十分な数の護衛は付けられないだろうけど、リーヴァたちを無事に王都に送り届けるための護衛隊の指揮を頼むよ」
リーヴァの執事や騎士たちが、それぞれに出陣準備に向かった後、ジャスパーは当然の事として妻たちに王都に避難するように言った。
仮にズライグ王国西部が亜人軍の手に落ちても、王都ならば簡単に落ちる事は無いだろう。
王族であるリーヴァと取り巻きなら、王都が落ちる事態でも王国東部に脱出、さらには他国へ亡命も可能だろう。
「嫌よ」
ジャスパーの当たり前の提案にリーヴァは異を唱える。
「ジャスパーだけを戦場に向かわせるなんて絶対に嫌!
私は王族よ!そして『旧都』を守るグズルーン公爵家の後継者でもあるの!
私も戦うわ!10年前に王国西部のために力を尽くし命を落としたお父様のためにも!」
リーヴァの足元で赤き竜が咆哮する。
今、再び戦いの時が来た。
800年前に赤き竜の長の娘と一緒に戦った祖のように、戦う時が来た。
赤き竜の子孫は戦いの咆哮を上げる。
「ジャスパー伯、私は王国西部を守るウォードエンド辺境伯家の娘だ。
私も共に戦わせてくれ」
ユーリアも進み出る。
数百年に渡って王国西部を守り続けてきた辺境伯家の血族としての使命をはたすために。
「私に前線で戦う力はありません。
でも、私にも出来る事はあるはずです。
私もジャスパー様と共に行きます」
戦う力が無い少女は王都で夫の帰りを待つべきだろう。
そんな当たり前の事を分かった上で、アンリエットは共に行く選択をする。
自分にも何か出来る事があると信じて選択する。
「ジャスパーさんが居る場所が、狐嬢の居る場所です」
狐獣人の少女は、それだけ言って微笑んだ。
「碧竜伯家当主として、夫として、皆がついて来る事は許さない!
王都で僕の帰還を待て!」
ズライグ王国は男尊女卑社会。
夫であり当主であるジャスパーの命令は絶対であるはず。
日本人的価値観に引きずられるジャスパーはズライグ王国の常識である男尊女卑な思考を忌避する傾向がある。
それでも、この時だけは夫であり男であり当主である権力を行使しようとした。
妻たちを守るために…
「ズライグ王国グズルーン公爵の第1子にして、国王メドラウド・ペンズライグの養女リーヴァ・ファーウッド=ペンズライグが、貴方の命令を拒否するわ」
リーヴァは、ジャスパーの前に立つ。
そして、ジャスパーを抱きしめ口付けした。
「お願いジャスパー、私も一緒に戦わせて」
「リーヴァ…」
「私もだ、ジャスパー伯」
リーヴァに代わり、ユーリアがジャスパーを抱きしめ口付けする。
「ユーリア…」
ジャスパーは幼なじみの少女を見る。
戦う術を持たない少女を見る。
アンリエットもまたジャスパーを抱きしめ口付けした。
「あなたのアンリエットは、ずっと側にいます」
例え、死が待つとしても、幼い頃から側に居た少女は、ずっと側に居ようとする。
「アンリエット…」
微笑むのは異界の亜神。
自身の名前も存在理由も覚えていない彼女こそ異界の邪神の眷属神『阿穂之狐山白神』がアニュラス界を守るために送り込んだ神性『六尾狐枯葉神』
「狐嬢はジャスパー様の物です」
そう言って、狐嬢もジャスパーを抱きしめ口付けした。
その選択は愚かと呼ぶべきだろう。
それでも少女たちは愛する人と戦場に向かう。
「兄貴、言っても無駄だよ」
「ハル?」
「女にも女の意地があるんだ」
「それでも…」
「安心しろ兄貴!私が兄貴の家族くらい守ってやるさ!」
碧竜が力強く親指を立てた。
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「此処も静かになっちまったな」
ズライグ王国、王都近郊にある竜舎。
20匹を越える翼竜が飼育され、近年では特に喧しい幼竜たちが走り回っていた竜舎。
そこで働く飼育員は、竜の鳴き声1つ聞こえない静かな竜舎を寂しく思う。
今の竜舎に残っているのは年老い眠っている老竜だけ。
竜種は老化し寿命が近くなると眠りが長くなっていく。
長老と呼ばれる最も歳上の個体は何十年も眠り続けており、その巨体は幼竜たちの遊び場になっていた。
飼育員たちは、いつもの日課として竜舎内を掃除する事にする。
派手に走り回って竜舎内を汚す幼竜たちがいないため、掃除は短時間で終わるだろう。
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それは産まれたばかりの記憶。
その本当の意味は獣に堕ちた彼には理解出来ないのかも知れない。
傷ついた赤い鱗の竜が自分を見ている。
その傷は深く、此処まで戻って来れた事が不思議なくらい。
再び飛び立つ事も出来ず、死を待つばかりの最後の赤き竜。
彼の…彼らの祖。
その竜が、彼を…彼らを見ている。
その瞳から流れ落ちるのは涙。
命尽きる最後の瞬間に、自分たちの一族の子供たちを目に焼き付けようと、最後の力を振り絞り戻ってきた最後の赤き竜が見た物は絶望だった。
決戦の前に残した卵。
個体数が少ない竜たちの多くが命を落とすだろうと理解し、次世代を残すために産み落とした卵。
しかし、孵化した卵から産まれた子は全て奇形だった。
腕も無く、火を吐く力も無く、知能も無く、もはや真竜と呼べぬ退化した子ばかりだった。
「もはや我が一族の命運は尽きた。
我が子は、我が子孫は、力も知恵も失い、獣へと堕ちるだろう」
傷つき死を待つだけの赤き竜の嘆き。
未来を失った赤き鱗の一族、最後の竜の嘆き。
その言葉の意味を、その嘆きの意味を、きっと彼は理解出来ない。
理解する知能が彼には残っていない。
それでも、その涙を覚えている。
「大丈夫だ、盟友よ。
例え力を失い、知恵を失い、獣に堕ちたとて、その想いは継がれるのだから。
時が過ぎ、人の子が我らの事を忘れさっても、その想いが忘れ去られる事は無いのだ。
何度でも、何度でも、盟友の子らは戦うのだ。
この地を守るために戦うのだ。
その血から、盟友の想いが消え去る事は無いのだ。
赤き竜の血は、この地を守り続けるのだ」
誰かの言葉。
その意味も、きっと彼は理解出来ない。
それでも…
時が過ぎた。
800年もの時が過ぎた。
長命な竜種でも寿命を向かえる程の時が過ぎた。
彼の兄弟も次々に命尽きた。
もはや、彼と共に卵から産まれた兄弟たちは残っていない。
あの時、あの場で、あの涙を見た者は、彼しか残っていない。
それでも…
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「嘘だろ…」
それを見た、竜舎の飼育員たちは呆然と箒を落とした。
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出陣の喇叭が鳴り響き、勇壮な騎兵たちが進んで行く。
さらに二頭立ての戦闘用馬車である戦車の1隊が続く。
最後尾には兵糧など様々な物資を運ぶ荷馬車隊。
歩兵を伴わない機動力だけを追及した部隊編成だった。
部隊の中央を進む八脚馬4頭が牽く大型戦車に乗るのは北部派遣軍主将リーヴァ・ファーウッド=ペンズライグ王女殿下と副将ジャスパー・ファーウッド碧竜伯。
「リーヴァ、『旧都』より『西域都市』に直接行った方が良くない?」
ジャスパーが隣のリーヴァの耳元で囁く。
リーヴァは扇子で口元を隠しながらジャスパーに答えた。
「『旧都』の旧王城の地下にはスィーラスーズ白竜公が残した聖遺物があるはずなの」
「それは戦局を変える程の魔法具みたいな物?」
「私も詳しくは知らないの。
お父様なら知っていたのでしょうけど」
北部派遣軍700名は『氷壁都市』より西部目指し走りだした。




