第61話…陥落
「帰ってきたか…」
馬車で北部総督府の門を潜ったジャスパーは、安堵の息を吐いた。
強壮な霜の巨人。
そして、あの隻腕の幼女の姿をした怪物。
生きて戻ってこれた事は幸運以外の何ものでも無いだろう。
ほんの僅かに何かが違っていたならジャスパーとハルは氷上に屍を晒していたはずだ。
「アレがメーガジット界の『盟主』」
ユーリアの話では、ウォードエンド辺境伯爵家に伝わる古文書に、800年前の大進攻でメーガジット界の亜人軍を率いたのが、女の姿をした『盟主』と呼ばれる鬼神でありスィーラスーズ白竜公に右腕を切り落とされ敗走した、と書かれているそうだ。
「隻腕の怪物…アレが『盟主』じゃなければ、あんな化け物が複数いる事になる。
それは勘弁して欲しいな」
『盟主』の姿は日本人の幼女に見えた。
ハル曰く、ハルと師匠から古武術を習った姉弟子、師匠の姪っ子に似ていたと言う。
「他人の空似だよな。
ハルの話だと師匠と師匠の母親、姉、姪っ子姉妹は、顔が似ていたって話だけど。
世界には3人同じ顔がいるなんて俗説もあるしな。
メーガジット界にも日本人と似た顔の女が居ても不思議じゃないさ」
独り言を呟きながらジャスパーは不安を振り払おうとする。
ユーリアの話だと、800年前あんな巨人が軍を成して攻めてきて、『盟主』なんて化け物が指揮していた。
もしも、今再び『盟主』率いる巨人の軍勢が門から攻めてきたのなら…
「ズライグ王国は…」
間違いなく滅ぶ。
ジャスパーの背筋が冷たくなり身体が震える。
「ジャスパー?」
開拓村に帰還してから一時も離れようとせずに抱きついたままのリーヴァが、ジャスパーの震えを感じて目を覚ます。
名ばかりの主将でもリーヴァの精神を削り、疲労を溜め込んだらしいリーヴァは馬車で移動中は眠っていた。
眠っていてもジャスパーから離れようとしなかったわけだが…
「あんぎゃー!」
「ギャギャー!」
ジャスパーたちの馬車の後ろを進んでいた大型荷馬車の荷台から幼竜たちの鳴き声が響く。
脚を怪我したハルを背負ったグラムと4匹の幼竜たちは荷台から飛び降りてノテノテ走っていく。
あの方向は厨房だろう。
「鍋だ!鍋だ!」
ハルの声からして先触れに帰還を知らされていたアンリエットが幼竜たちのために『竜鍋』を作っていたのだろう。
大好物の『竜鍋』の匂いに幼竜たちは駆けて行く。
ジャスパーの専属侍女狐嬢が出迎え、軍馬でジャスパーたちの馬車を守っていたユーリアも下馬して駆け寄ってくる。
これからの数日間が最後の団欒になるとは、この時は誰も予想していなかった。
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「炎の巨人に遅れを取るな!」
「我々こそが最強だと霜の巨人に教えてやれ!」
2人の巨人王の号令の下、巨人の軍勢は進む。
「射て!射て射て!」
巨人を近付けまいと辺境砦の防壁から雨のように矢が射掛けられた。
「鷲馬騎士全騎!騎兵槍突撃!我々で巨人を止めるぞ!」
弩の射撃の後、鷲馬騎士たちは騎兵槍を手に突撃する。
機動力が高い飛行騎兵たちは巧みに巨人たちの背に回り込み、複数騎の一斉突撃で騎兵槍を巨人の背に深々と突き刺した。
「騎士爵ガレス・ベンが巨人を討ち取ったぞ!」
倒れる巨人に、己の武勲を叫ぶ騎士。
だが全ての騎士に幸運が味方したわけでは無かった。
巨人族は、獣並みの知能しか無い大型魔獣とは違う。
人間と同等の知能を持ち、武芸と戦術を持つ種族だからだ。
何騎もの飛行騎兵が巨人の投げる砥石の餌食になり、突撃した騎兵を迎撃する武器の一撃に散った。
背中といった死角も巨人が単独であればの話に過ぎない。
複数で連携するなら死角を埋めるなど容易い事。
離れた場所から複合弓や弩で射撃しても、身体の大きさは耐久力を保証する。
人間相手ならば板金鎧すら貫き命を奪う攻撃も巨人たちを即死させるには弱すぎた。
「800年前には無かった投石機に攻城弩か…小賢しい!」
巨人の戦士たちの中で最も高齢な霜の巨人王ルグニルが800年前の進攻を懐かしみながら叫ぶ。
「猪鬼も似たような物を使っているではないか?
老体は、そんな事を忘れるほど耄碌したか?」
巨人の中では若者と言える炎の巨人王ヴァティンが笑う。
「若造が!耄碌しておらんわ!」
巨人王ルグニルは、メーガジット界では貴重な鉄をどれだけ使ったのか解らない巨大な大盾を構え突撃する。
防壁上から放たれる投石機の大石も攻城弩の太矢も巨大過ぎる大盾の前では意味を成さなかった。
「巨人を近付けるな!射て!射てーっ!」
あらゆる射撃武器が放たれ巨人王ルグニルを止めようとする。
だが、巨人王の突進を止めるには威力が低すぎた。
巨大な戦槌を振りかぶり巨人王ルグニルは迫る。
「あんな物を喰らったら…防壁は一溜りも…」
防壁上の兵士たちが我先に逃げようとする。
敵前逃亡は死罪。
そんな簡単な軍規を忘れるほどの原始的恐怖が兵士たちに逃亡を選択させた。
巨人王ルグニルの戦槌は遂に防壁に…
いや!メーガジット界に巨人族が居るならば、アニュラス界には彼らが居る!
「ギャオオオオーッ!」
巨人族よ!思い出すがいい!
800年前、汝らの進軍を止めた者が何者であったのかを!
この地の守護者が何者であったのかを!
「翼竜騎士団!見参である!」
巨人たちに襲いかかるのはズライグ王国最強の騎士たち。
800年前、ズライグ王国滅亡の危機にペンズライグ王と共に戦場を駆けた赤き竜の子孫たち。
赤き鱗の一族の末裔たる翼竜!
体長9メートル近い巨躯を誇る翼竜が空より急降下し巨人王ルグニルに挑む。
「小さ過ぎるわ!竜は、もっと巨大だったはずだぞ!」
800年前、巨大王ルグニルと戦友たちを敗退させた古竜達は10メートルを軽く越える体躯だった。
最強と唱われた白の竜にいたっては15メートルもの巨体だった。
それが、翼竜たちの全長は7~8メートル程度しか無い。
何人もの霜の巨人の戦士を屠った竜の息を吐く事すら出来ない。
「霜の巨人を舐めるな!」
巨人王ルグニルの戦槌が翼竜の片翼を粉砕する。
鉄より硬く無敵の防御力を持つ翼竜の身体が一撃で粉砕される。
圧倒的な膂力と技量だった。
「ギャオオーッ!」
悲鳴を上げ墜ちる翼竜。
派手に土煙を上げて地に墜ちた片翼の翼竜は、地で踠く。
墜落の際に背に乗っていた騎士は潰され絶命していた。
「翼竜が一撃で…
もうダメだー!」
ズライグ王国最強の騎士の敗北に絶望の悲鳴を上げる兵士たち。
「仇敵が、これほど劣化していたとはな」
巨人王ルグニルは、地表で踠く翼竜を無視し防壁を粉砕しようと向き直り戦槌を振り上げた。
だが…
傲るな霜の巨人の王よ!
確かに、赤き鱗の一族は、力も知恵も失った。
祖程の体躯も無く、炎を吐く事も、念話を操る力も失った。
それでも、赤き鱗の一族は戦うのだ!
この地を守るために戦うのだ!
「ぬぅ!」
片翼を失い、もはや飛ぶ事も出来ない。
騎士を失い、誰に命令されるわけでもない。
それでも翼竜は戦う。
地に倒れたまま這い、背を向けた巨人王の左脚に噛みつき進攻を止めようとする。
「貴様!離せ!」
霜の巨人王の戦槌が翼竜の背を撃つ!一撃!二擊!三擊!
それでも翼竜は牙を離さない。
「ルグニル王!」
王の脚に喰いつく翼竜を見た霜の巨人の戦士が駆け寄り翼竜の首をはね…遂に翼竜は力尽きた。
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「火矢だ!火矢を射て!」
霜の巨人が苦手とする火による攻撃。
可燃性の油を入れた壺を投げつけ、そこに放たれる火矢。
致命傷とはならなくても苦手とする火の攻撃に霜の巨人たちは怯み、足を鈍らせる。
「辺境伯、アレを!」
家臣が指さした方向、見張り塔から戦況を見ていたウォードエンド辺境伯の目に絶望が映る。
熱への完全耐性を持ち火矢などものともしない炎の巨人たち。
その進攻を阻止しようと戦う翼竜騎士団の奮戦も虚しく。
遂に炎の巨人王の大剣が防壁を捉え粉砕した。
「ふははは!賭けは我の勝ちだな!ルグニル!」
「むぅ!若造が!」
砕けた防壁の穴から下位巨人たちが砦内に侵入してくる。
下位とはいえ、その体躯は6~7メートル。
並みの騎士や兵士では相手にならぬ強大な怪物たちだった。
「我々が苦戦した砦が、あれほど簡単に落ちるのか…」
大猪に騎乗し猪鬼バラッハ族の族長バーク・シャ・バラッハは、巨人族の力に戦慄する。
「バラッハの小僧、我らも突撃せねば巨人どもは砦丸ごと粉砕しかねんぞ」
轡を並べる猪鬼ヂュウ族の族長ゴノ・ウー・ヂュウが呵々と笑いながら言う。
「うむ、砦は補給拠点として必要だ、完全に粉砕されては目も当てられん」
バークは進軍の角笛を鳴らす。
連日の敗戦でヤル気を失っていた小鬼や岩鬼も巨人族の力に興奮し吠えながら突撃していく。
バークも大猪に拍車をかけ突撃した。
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「妾が出るまでも無いか…」
北部より帰還した『盟主』は陥落寸前の辺境砦を見た。
砕けた防壁の穴から次々に下位巨人たちが砦内に侵入し、炎の巨人、霜の巨人の攻撃で機能を失いつつある防壁上からの攻撃を掻い潜り猪鬼や小鬼が砦の門を破壊している。
「既に撤退を選択したのか?
良い判断であるが…」
『盟主』は門から流れ込む高純度の魔力を吸い込み、消費した魔力を回復させる。
「せっかく、この姿になったのだ。
少しばかり白涼に嫌がらせをしておくか…」
今の『盟主』の姿は、800年前の怨敵『霧宮白涼』の姿を模倣した物。
師匠・白涼の子供時代の姿を知らないハルは、姿がよく似た白涼の姪・天白と見間違えたわけだが。
人間、それも若い女が屈辱と思う全裸を晒すという白涼への小さな嫌がらせで選択した姿。
『盟主』は辺境砦に向かっている増援らしい軍団を察知し転移した。
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「女が!裸の女が空中に浮かんでいると!」
「何だ、その報告は!」
その報告を受けた先遣隊副将ガム侯爵は兵士たちが酒に酔っているのかと激怒した。
「ガム侯爵、何であるか?」
疑問顔のアルスゥル王子にガム侯爵は困った顔を見せる。
「どうやら兵士の中に二日酔いの者がいるようで…」
アルスゥル王子の方を向き、苦笑したガム侯爵の目にアルスゥル王子の顔が驚愕に歪むのが見えた。
「ガム侯爵、アレは?」
アルスゥル王子の目に映るのは、美しい隻腕の幼女。
怨敵の全裸を晒す『盟主』の放つ無数の火球が先遣隊5000名に降り注いだ。
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この日、メーガジット界より進攻した亜人軍は、『辺境砦』を陥落させた。




