第59話…孵らぬ卵を嘆くなら
「神様、ジャスパー様をお守り下さい」
北部総督府内の礼拝堂。
国教教会の聖印に向かいアンリエットは祈る。
愛する人の無事を祈る。
ピシッ!
そんな音がした。
「えっ?」
それを見たアンリエットの背筋が凍りついた。
何故なら、目の前の聖印にヒビが入り割れてしまったのだから…
「ジャスパー様…」
アンリエットは不吉な気配を感じつつも何も出来ない我が身を嘆いた。
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「ギャオオオオー!」
5匹の翼竜が一斉に飛び立つ。
「幼竜に何が出来るか!!」
霜の巨人ガルザの咆哮。
ガルザが知る古竜とは形が違うが幼体で間違いない大きさ。
身長10メートルのガルザからすれば身長1メートルの幼竜など相手にならない。
先頭でガルザの顔面目掛けて突っ込むのはグラム。
5匹のリーダー格で、明らかに他の幼竜たちより高い加速力で先頭を駆ける。
グラムに続くのは一番身体が大きく好戦的なリッター。
メーター、ポンド、ヤードの3匹は、やや遅れて氷上スレスレの低空を飛ぶ、脚を狙っての行動だろう。
「このガルザを舐めるな!100年後に出直してこい!」
顔面目掛けて飛ぶグラムに巨人ガルザの鎚矛が振られる。
成竜形態のハルの肉体すら砕く一撃を受ければ幼竜など一溜りも無いだろう。
だが翼竜とは飛行に特化した亜竜種。
まして彼女は、アニュラス界が邪竜を討つために産み出した最優の亜竜・殲滅の赤竜。
空中で羽ばたき軽々と鎚矛を躱す。
「鬱陶しい!」
しかし、続くリッターにグラム程の機動性は無かった。
巨人ガルザは、傷つき既に感覚すら麻痺した左腕を翼竜リッターに叩きつける。
「ギャギャー!」
悲鳴を上げ吹き飛ばされるリッター。
グラムも鎚矛を躱した事で攻撃起動が擦れ、攻撃の機会を失う。
だが、真っ先に突撃した2匹こそ囮だった。
本命は低空を飛ぶ3匹。
「ギャオォォォー!」
「ぬうっ!!」
翼竜と霜の巨人の咆哮が氷上に響く。
咄嗟に蹴り上げた脚にヤードは吹き飛ばされる。
だが、メーター、ポンドの2匹は、見事に巨人の左右脚の踵あたり踵骨腱に鋭い牙を立て噛みついた。
人体の急所は巨人にも急所だったらしい。
「おのれ幼竜ごときが!」
食い千切られるまではいかなくても深く突き刺さった牙の傷は軽くない。
幼竜といえど、その牙は鉄製の平鍋を食い千切る威力があるのだから。
巨人ガルザは脚に噛みつく2匹に鎚矛を振るうと、メーターとポンドの2匹はノテノテと逃げていく。
「いかん!」
ガルザは幼竜より危険な相手の存在を思い出す。
左肩を潰されながらも氷上に僅かに浮き上がり空中浮遊する大きく顎を開いた若竜の存在を。
碧竜ハルの大きく開いた顎。
その喉の奥が激しく光る。
それは竜の息を吐く前兆!
ガルザは傷ついた脚で走る。
もはや動くのが不思議な深手の左腕で顔面を守りつつ、真竜を空に逃すまいと!竜の息を吐かせまいと!ガルザは走る。
脚の傷による走行速度の低下は、歴戦の戦士ガルザを焦らせる。
一秒を争う状況で攻撃が間に合わぬのでは無いかとの焦り。
それで僅かな失策を呼んだ。
いや、それは通常ならば失策とも呼べない些細な事だっただろう。
空中浮遊するハルの真下。
そこが大河の真ん中だとガルザは気付かなかった。
ハルが何故に低空で空中浮遊しているのかに気付かなかった。
鎚矛を振り上げ跳躍する巨人ガルザ。
「認めよう霜の巨人よ!
お前は私より強かった。
戦士としてのお前は、拳士としての私より強かった。
盟友の助力なくば私は勝てなかっただろう」
ハルは強壮なる巨人ガルザを称賛する。
ガルザの全身より激しく冷気が吹き出す。
仮にハルの竜の息が直撃しても、既に破壊されつくした左腕を失うのと引き換えに霜の巨人ガルザの鎚矛がハルの頭を叩き割るだろう。
「我の勝利だ!邪悪なる白涼の手先よ!」
巨人ガルザは勝利を確信して跳躍する。
「竜の息!」
ハルは激しく炎を吐く!
それは巨人ガルザではなく、ハルの真下の氷面へと吐きつけられた。
「何っ?」
竜の息の威力と翼の羽ばたきで上昇するハル。
魔力で強化された巨人ガルザの身体能力も両脚の傷により跳躍力が落ちていた。
鎚矛は空を切り、巨人ガルザは氷面へと落ちる。
ハルの竜の息、ガルザの鎚矛。
双方の必殺の攻撃は外れ、戦いは仕切り直される。
そう考えたのは巨人ガルザだけだっただろう。
「僕たちの勝ちだ!霜の巨人!」
ハルの背でジャスパーが勝利を宣言し、着地した巨人ガルザの足元の氷が砕けた。
「何だと?!」
巨人ガルザは足元が凍りついた大河の真ん中だと、一番氷が薄い場所だと気付かない失策をした。
それ故に足元の氷は巨人ガルザの体重に耐えられず砕け、巨人ガルザを水底に誘う。
もしも、ガルザが霜の巨人で無ければ、他の巨人族だったならば、これで決着はついただろう。
冷たい水は軽々と巨人の命を奪っただろう。
しかし、ガルザは冷気に完全耐性を持つ霜の巨人、水の冷たさなど意味は無い。
ガルザは踠き氷上に這い上がろうとする。
「霜の巨人よ!それを僕たちが!」
「私たちが!」
「「許すと思うかっ?!」」
ハルの内蔵魔力は残り少ない。
再び竜の息を放つ余力は無い。
だが、彼女は霧宮流拳士!
炎を吐けずとも、その技は健在なのだ!
遂にハルの成竜化は解ける、空中に残ったのは騎兵槍を手にした少年騎士と無敵の技を身につけた幼竜。
「貫けーっ!!」
「霧宮流!格闘術奥義!竜爪脚!」
兄妹の声は響き。
魔法の力を持つ騎兵槍と最強無敵の真竜の必殺の蹴りが霜の巨人ガルザの背に突き刺さった!
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「あれが伝説の巨人か…」
辺境砦の見張り塔から、ウォードエンド辺境伯は進軍する巨人の軍勢を見た。
辺境伯爵家に伝わる古文書にある巨人族。
800年前にズライグ王国を滅亡寸前まで追い詰めたとされる巨人族。
「古文書には、800年前の巨人族はスィーラスーズ白竜公率いる竜の軍勢に敗退したと書かれている」
この場に真竜を駆る碧竜伯はいないが、スィーラスーズ白竜公と共に戦った赤竜の子孫たる翼竜たちが居る。
当時のペンズライグ王が騎乗したという赤き竜の子孫たちが居る。
今、辺境砦に派兵されている翼竜騎士は、メドラウド王直属に残された2騎を除く、全ての騎士。
王国の飼育する翼竜も騎乗出来ない幼竜5匹と老いて眠っている老竜たち以外の戦える翼竜全てが騎士を乗せ戦場に出ている。
つまり辺境砦の竜騎士戦力は、王国の持てる全力と言っていいだろう。
「メドラウド国王陛下の本隊も近日中には到着する」
メドラウド王の第一王子アルスゥル殿下率いる先遣隊5000は既に辺境伯領の中心都市『西域都市』に到着している。
王本人が率いる本隊は、少し遅れているが、それも数日内に到着するだろう。
その間だけ持ちこたえれば勝てる。
それが辺境砦の全将兵の総意だった。
それ故に辺境砦の士気は高い。
竜騎士ジャスパーの活躍とジャスパーが去った後は翼竜騎士たちの活躍で何度も亜人軍の攻撃を凌いだ事も士気が高い理由だろう。
「投石機、攻城弩、射撃用意!敵はデカイぞ!外したら笑いものだからな!」
身長で人間の5倍の炎の巨人と霜の巨人の軍勢を前にしても兵たちには冗談を言う余裕すらあった。
それが未来では正常性バイアスと呼ばれる、異常事態や危険性を無意識に無視し心の平穏を守ろうとする心理である事に気付く者が居たかどうか?
体長7~8メートルを誇る翼竜たちが次々に飛び立つ。
鷲馬、天馬も負けじと飛び立つ。
元々、数が少ない上に連日の戦闘で、さらに数を減らした亜人軍側の魔鳥たちに飛行騎兵を止める力は残っていないだろう。
空を制するのは我々だとばかりにズライグ王国の飛行騎兵たちは飛ぶ。
『盟主』は浮き上がり炎の巨人王ヴァティンの肩に乗る。
「火も吐けぬ下等な竜では、霜の巨人でも簡単に駆逐出来るでしょう」
熱に対する完全耐性を持ち竜の息でも傷を負わない炎の巨人王は霜の巨人を下に見るかのように発言する。
「聞こえておるぞ!ヴァティン!」
遠くから怒りの声を上げるのは霜の巨人王ルグニル。
「何だ、老いて耳が遠くなったのでは無いのかルグニル?」
「老いておらんわ!」
炎の巨人王は、辺境砦を指差す。
「では炎の巨人と霜の巨人、どちらが優れているか?
アレで試そうではないか?」
「吠え面をかくなよ、ヴァティン!」
「お前こそな、ルグニル」
二人の巨人王は隷下軍勢の進軍速度を上げる。
相手より先に辺境砦を破壊するために。
『盟主』は遥か北の空を見上げる。
「ヴァティン、ルグニル、ここは任せる」
「『盟主』?どちらに?」
炎の巨人の肩より舞い上がった『盟主』は左手を突き出す。
「やはり片腕では時間がかかるな」
魔法具では無い本物の魔法。
『盟主』の前の空間が光り歪んだ。
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巨人ガルザの背に深々と騎兵槍が突き刺さる。
ハルの必殺の竜爪脚も巨人の背を撃ち骨を砕いた。
それでも巨人ガルザは圧倒的生命力で踠く。
踠く度に冷たい水が巻き上がり、空中で凍りつきジャスパーを傷つける。
「兄貴!とりあえず逃げるぞ!」
冷気に高い耐性を持つハルはともかく、普通の人間であるジャスパーが氷水を浴び続ければ命に関わる。
そう考えたハルは、最後の魔力を振り絞り成竜形態になりジャスパーを抱えて飛ぶ。
割れた氷の端まで、何とか飛び幼竜に戻るハル。
「ほぼ魔力を使い切った…」
証拠に腹を激しく鳴らしながらハルは呟く。
「くそ!後少しなんだがな…」
後一手。
後一手が足りない。
巨人ガルザは深手を負ったが、まだ氷面に上がり回復される可能性はある。
一方でジャスパーたちは限界に近い。
再び巨人が上がってくれば戦う事は難しいだろう。
それを解っているのだろう。
だからハルはジャスパーに手を差し出す。
「兄貴、食い物をくれ!何か持ってるだろ?」
「こんな物しか無いぞ」
ジャスパーが差し出す半ば凍った干し肉。
ハルは、それを口に放り込み、僅かに魔力を回復させる。
「グラム!」
「ギャギャ!」
「超合体!ダブル・ドラゴン・ドッキング!」
まだ動く右腕でグラムの脚に掴まりハルは飛ぶ。
巨人ガルザの真上まで到達したグラムは可能な限り上昇する。
身体が小さく体重が軽い幼竜が落下による加速で威力を稼ぐために上昇する。
「いくぞグラム!」
「ギャギャ!」
グラムは上空から急降下する。
殲滅の赤竜全力の急降下、自由落下速度より速くグラムは降下する。
「ギャギャーッ!」
『行け!』と言わんばかりに一声吠え、グラムはハルを切り離す。
「竜爪脚ーっ!!」
今度こそトドメの一撃。
グラムにより加速されたハルの蹴りが巨人ガルザを襲う!
ハル個人では出せない威力の蹴りは巨人の強靭な背骨を直撃した。
メキメキと音を立てるのは巨人の背骨か?
それとも限界を越えた一撃に耐えきれず、へし折れたハルの足首か?
「師匠は言っていた!
『霧宮流は無敵だ!』と!
師匠より受け継いだ霧宮流奥義を食らい!砕け散れーっ!」
限界の速度で急降下したグラムは冷たい水面に突っ込み。
着水の衝撃と水の冷たさに踠く。
地上、空中、水中と全ての環境に高い適応力を持つ真竜ハルと違い、飛行に特化した翼竜グラムは泳ぐのを苦手とする。
みっともなくジタバタ泳ごうとするグラムをメーターとポンドの2匹が飛んできて空中に持ち上げる。
単独でハルを吊り下げたまま飛行するグラムと比べ、力に劣る2匹は、2匹係りで何とかグラムを氷上まで運び。
3匹は力尽きたように氷上に転がる。
一方、ハルは…
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気温より水温が高い水中だからだろう。
巨人の背中から流れる血が凍らずに水中に流れる。
「あんぎゃー!」
水中行動も苦にしない真竜といえど、体力と魔力を限界以上まで絞り出し、左肩と右脚を負傷した状態では素早く泳ぐ事は出来ない。
必死で氷上を目指すハルの尻尾を巨人ガルザが掴んだ。
もはや巨人ガルザの身体も限界だった。
それでも命尽きる前に、怨敵の眷属たる邪竜を道連れにしようとする。
「あんぎゃー!」
ハルは竜の咆哮を上げ、巨人の手から逃れようとする。
しかし、体力も魔力も使いきり負傷した幼竜に、巨人から逃れる力は残っていなかった。
それは何に導かれて来たのか?
巨人の血の臭いか?
それとも青と緑の中間の色の竜種の鳴き声か?
「一緒に来い…邪竜…」
霜の巨人ガルザは、最期の時に笑う。
邪悪なる異界の神の眷属を相討ちとはいえ討ち取ったと笑う。
だが…
「ぐぉおおおー!」
巨人の悲鳴が水面に響いた。
一瞬、遅れて水面が巨人の血で真っ赤に染まる。
「何だ?何が起きた?」
ジャスパーは状況を理解しようと目を凝らす。
そして見えた。
水中に何かが居る。
成竜形態のハルよりも、霜の巨人よりも巨大な何かが居る。
「あれは…海竜?!」
それは青い鱗を持つ巨大な亜竜だった。
古代の水生爬虫類・首長竜を思わせる姿の巨大な海竜。
水中活動に特化し、翼竜などより巨大な身体を維持する海竜が、霜の巨人の腹わたを食いちぎっていた。
巨人ガルザは踠くが、自身より巨大で水中活動に適した身体を持つ海竜には抗えず、水底へと沈んでいく。
当然、巨人が最後の力で掴み離さぬ碧竜も…
「ハルーっ!!」
「あんぎゃー!」
悲しい声を上げ…水中に消えた…
ジャスパーは氷の途切れる端まで走り、水中を覗く。
必死で覗き、妹を探す。
低すぎる気温が氷面に出来た穴を急速に塞いでいく。
水中活動を苦にしないハルも、水中で呼吸は出来ない。
穴が完全に塞がれば…ハルは…確実に…溺れ死ぬ…
そして、ジャスパーの目の前で氷の穴が完全に塞がった。
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残された全ての卵が孵化した。
しかし、産まれた子は全て奇形だった。
まともな姿をした者も獣並みの知能しか持ち合わせていなかった。
生き残った真竜の中で、唯一の青の鱗の雌竜と最も若い緑の鱗の雄竜とが交わり、最後の雌竜が、最後の卵を産んだ。
最後の希望だった、最後の卵。
しかし、最後の卵は孵化しなかった。
最後の卵は孵らず。
最後の子は産まれなかった。
力も知恵も失い獣に堕ちた竜たちは世界各地に散っていった。
それでも…
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鳴き声を聞いた。
幼い子の鳴き声を聞いた。
覚えていない記憶。
知るはずのない記憶。
自身ではなく、血に残された記憶。
青の鱗を持つ一族。
最後の雌竜の嘆きの記憶。
孵る事の無い卵を嘆く母の記憶。
声を聞いた。
幼い子の声を聞いた。
産まれるはずのない子の悲しい声を聞いた。
力も知恵も失い獣に堕ちても覚えている。
その嘆きを覚えている。
その血に刻まれた想いを覚えている。
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「ハルーっ!!ハル!ハル!ハルーっ!!」
兄の叫びは届かない。
水底に消えた妹に届かない。
剣を抜き氷面を叩く。
弱小な人間の力では氷が砕ける事は無い。
それでも兄は氷を叩き続ける。
その行為に意味は無い。
そんな事で奇跡など起こらない。
ただ…
想いがあった。
800年前から受け継がれた想いがあった。
産まれぬ子を嘆く母の想いがあった。
力も知恵も失った、その姿も祖と似ても似つかない。
それでも受け継がれた嘆きが氷を砕く。
「アンギャー!」
水中より氷を砕き、巨大な竜が姿を表す。
「おおう!」
その頭に生える1本の角にしがみ付くのは、碧の鱗の幼竜だった。
全長15メートルを越える巨大な海竜の成竜は、碧の竜を氷面へと落とし、顔を近づける。
「私を食べても美味しくないぞ!」
そう叫ぶ、青と緑の中間の色の鱗の幼竜に、青の鱗の海竜は顔を寄せ匂いを嗅いだ。




