第5話…野戦陣地防衛戦
ジャスパー・ファーウッドは、真竜ハルの背中から地上の戦況を見ていた。
「竜の息で一網打尽ってわけにはいかないか」
「アイツら30匹くらいの群れの集まりだからな」
小鬼の社会は単純に力が強い者が、群れの長となる。
極端に強い長でもない限り、数が増えると統率出来なくなるし、弱い種族である小鬼は頻繁に巣分かれする。
これは群れを分ける事で一つの群れが全滅しても分かれた血縁のある群れが生き残る可能性が増えるからだ。
結果、50匹を越える群れは稀であり、人間の軍隊のように数百、数千が密集し陣形を組む事も無い。
これは集団戦では圧倒的に不利であるが、今の状況に限定するなら一息で吐ける竜の息の範囲に捕えられる数が限られるという利点になっていた。
「とりあえず陣地の周りを一周して固まってる連中を叩こう」
「了解」
ハルは低空飛行しながら竜の息を吐き続ける。
小鬼たちの一部は悲鳴を上げて逃げ惑うが、ハルの攻撃を直接受けていない群れは構わず陣地攻撃を行っており、ハルは竜の息に巻き込まないために陣地近くに炎を吐きかける事が出来ない。
「ハル、連中が柵を乗り越えてる場所。
山になってる死体が解るか?」
「うげぇ~マジかよ~
アイツら本当に気持ち悪いな」
「あの山を崩せば陣地への侵入を防げる」
「ん~竜の息じゃ、柵や中の人も焼いちゃうな」
ハルは力強く尻尾を振る。
「つまり、我が霧宮流古武術の出番というわけだな!」
ハルは咆哮を上げて急降下する。
ハルの背中で二列並んだトゲに革製ベルトで身体を固定したジャスパーは連弩を手にする。
射程距離は短く威力も低いが、レバー操作で連射出来る連弩は飛行型魔獣の乗り手が好んで使う飛び道具。
ジャスパーは弾倉に12本装填された矢を連射する。
貫通力など皆無で鎧で簡単に防げる連弩の矢だが、ほとんどが腰ミノ程度の格好で半裸の小鬼には十分な威力。
5、6匹の小鬼がバタバタと倒れ、ジャスパーの射撃に支援されたハルが地に降り立つ。
「霧宮流尻尾戦闘術!!竜尾撃!!」
ジャスパーの『お前の師匠には尻尾が生えていたのか?』という疑問に関係なく、奇妙な技名を叫びながらハルの強靭な尾が山になった小鬼の死体を登っている者ごと薙ぎ払う。
地に降り立ったハルに小鬼たちは矢を射かけ槍を投げつけるが、硬い鱗に守られたハルには全く意味の無い攻撃。
仮に眼や口内といった鱗の無い場所に当たっても魔力で強化された真竜の肉体には傷はつけられない。
「えーい!鬱陶しい!」
セイブルから辺境伯領までの長距離飛行と竜の息の連射でハルの体内の残存魔力は少ない。
ハルは魔力消費が激しい竜の息から格闘戦に戦い方を切り替え、小鬼の群れを爪で引き裂き尾で薙ぎ払う。
全長7メートルの巨体が群がる小鬼を駆逐していく。
「貴様らなど霧宮流の敵では無い!」
たった一匹の竜に一万の小鬼が手も足も出ない。
害虫でも駆除するように一方的に駆逐されていく。
しかし…
「ハル、上昇…頼む」
「兄貴?」
ハルは背中のジャスパーの声に僅かな苦痛が滲むのを感じる。
それを見たハルは怒りの咆哮を上げ、飛び上がった。
ハルの身体に小鬼の攻撃は全く効果は無い。
しかしハルの背に乗るジャスパーは生身の人間でしか無い。
飛行型魔獣の騎士の常としてジャスパーの装備も軽装。
騎獣の負担にならないように鎧は、軽いが防御力が低い硬革鎧の胴鎧。
武器は騎乗しながら使うための騎兵槍と連弩、それと愛用の片手半剣に道具としても使う短剣の装備だが空中では邪魔になる盾は持っていない。
そんな軽装備のジャスパーの身体には数本の矢が刺さり血が流れていた。
石の矢尻は硬革鎧を簡単には貫通出来ないが、鎧に覆われていない部位を傷つけるには十分な鋭さを持っている。
地上で、敵の飛び道具の射程距離内で戦う事の危険性をハルは知った。
自らの愚かさと兄を傷つけた小鬼への怒りでハルは空中に飛び上がり、持てる最大火力で竜の息を吐き出した。
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「ハル、一度陣地内に降りよう、状況を確認したい」
真竜ハルの力に恐れをなした小鬼たちは一度退き、遠巻きに陣地を包囲している。
いつ攻撃が再開されるか解らないが一息つけるのは間違いないだろう。
ジャスパーは騎兵槍の先に飾り布を付け、陣地の見張り台の上の指揮官らしい騎士に振って見せる。
飛行型魔獣を運用するズライグ王国では飛行騎兵が仲間同士や地上と連絡するための合図が決められている。
父親が翼竜騎士であるジャスパーも当然心得があった。
見張り台の板金鎧の騎士…ではなく隣の軽装の人物が手旗を振り返してきた。
「ハル、陣地内の広場に降りるよ」
「ん~?あの辺かな?」
ハルは、眼下で歓声を上げて手を振る農民兵たちを踏み潰さないように、ゆっくり陣地内に降りていった。
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「竜騎士殿、ご助力感謝します!
ウォードエンド辺境伯アンドレイが第五子、騎士爵ユーリア・ウォードエンドと申します」
「辺境伯家の騎士ボリシス・ロロフであります」
広場に降りたジャスパーを辺境伯令嬢と辺境伯家に仕える騎士が礼を持って迎える。
一方でジャスパーは困った顔をする。
現在のジャスパーは無位無冠で、父親が騎士爵を持っているだけで貴族でも騎士でも無い。
辺境伯令嬢ユーリアも騎士ロロフもジャスパーより遥かに身分が高い。
そんな相手に感謝されても困るだけである。
「セイブル領主モンド・ファーウッドの三男ジャスパー・ファーウッド
勝手ながら助勢させていただきました」
ジャスパーはハルの背中から降りる。
その様子にユーリアやロロフは不思議に思う。
ハルの背中に鞍が無かったからだ。
飛行騎兵は、どの魔獣に乗るにしろ鞍は必須と言っていい。
身体を鞍にベルトで固定して振り落とされる事を防ぐためと鐙に足を掛ける事で踏ん張り武器を使う際に力を入れやすくするためである。
それが目の前の碧の竜には無かった、背中に二列生えているトゲにベルトを巻き付け、そのベルトがジャスパーの腰に繋がって落ちないように最低限の命綱になっているだけ。
この奇妙な騎乗方法の理由がジャスパーが地上に降り立った次の瞬間に解った。
7メートルはある巨大な竜の姿が消え、体長1メートル程度の幼竜が現れたからだ。
「疲れた…お腹空いた…」
魔力の大半を使いきったハルは地面に座り込む。
成竜の姿への変化も魔力を消費し一時的に変身しているだけ、変身し飛行し火を吐く、その全てに魔力は消費する。
回復するには栄養と休息が必要だった。
「ユーリア卿、申し訳ありませんが、まずはハル…僕の竜に水と食事をいただきたいのですが…」
800人が立て籠る陣地だ、兵糧の備蓄もあるだろう、そう思って腹を空かせたハルのために食事を頼むジャスパーだが…
「あれ?ハル?どこに行った?」
先程まで地面に座り込んでいたハルが消えている。
ジャスパーが辺りを見渡しハルを探すと、広場の端に大鍋が見えた。
敵が一度退いた間に食事をするため粥を大鍋で煮ており、農民兵たちがジャスパーの様子を遠巻きに見ながら並び、粥が入った皿を受け取り食べている。
その最後尾に碧色の生き物がいた。
農民兵と一緒に並び、粥を貰おうとしているらしい。
「ハル…」
「師匠が言っていた!腹が減っては戦は出来ない!と」
小さくなった竜と、その食い意地が張った姿にユーリアとロロフの眼は点になっていた。
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殿軍指揮官であるユーリアの使う天幕にジャスパーとハルは案内された。
元は女子高生だったとは信じられない勢いで大麦の粥を掻き込む元妹をジャスパーは呆れた表情で見る。
ユーリアの好意で、ユーリアが個人的に持っていた干し肉が追加された大麦粥をハルは既に三杯おかわりしている。
ユーリアからすれば兵士三人分どころではない活躍をしたハルが粥を十人前食べても全く気にしないのだが、ジャスパーからすれば申し訳ない気持ちになる。
「ジャスパー卿、傷の手当てをしますので服を脱いでいただけますか?」
明らかに赤面しながらユーリアが消毒に使う蒸留酒と新しい包帯を出してくる。
ジャスパーの傷は浅く、ジャスパー本人が応急手当したが不潔極まりない小鬼の武器で付けられた傷は化膿や破傷風の可能性がある。
ズライグ王国の人間に細菌といった概念は無いが経験則として傷を放置すればどうなるかとアルコール度数が高い酒が消毒薬になる事は知られていた。
最も蒸留酒なんて物を消毒に使えるのは貴族や騎士階級だけだが…
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ユーリアは、目の前の若い騎士の顔を見つめる。
柔和で女性的とも言えそうだが整った顔立ち。
ズライグ王国では成人男性は髭を伸ばすのが普通だが、ジャスパーと名乗った若い騎士は髭を生やしていない。
まだ成人年齢になっていないというのもあるだろうが、ユーリアの眼には髭が無い方が綺麗な顔が隠れなくていい気がした。
お姫様の危機的状況に駆けつけてくれる白馬の王子様。
そんな御伽噺を笑ってきたユーリアだが、自分がお姫様の立場になってみれば胸の高鳴りを抑えられなかった。
相手は白馬の王子様ではなく。
碧の竜騎士だったのだが。
全体的に細いが鍛えられた身体。
脂肪が無さすぎる事から持久力には問題があるかも知れない。
そんな事を考えながらユーリアはジャスパーの傷口を蒸留酒で消毒し包帯を巻いていく。
何気ない世間話を装っても、ユーリアが、その質問をするのは勇気が必要だった。
騎士爵を得て、ロロフ卿や経験豊富な騎士数人と領内に巣くった大鬼の討伐に参加した時でも、ここまで緊張しなかった気がする。
「その…ジャスパー卿には婚約者など居たりするのだろうか?」
ユーリアの緊張に気づいていないらしいジャスパーは世間話の話題としか思わず答える。
「騎士家の三男に好き好んで娘を嫁に出す騎士が居るとでも思いますか?」
「そ…そうか…そういう事もあるだろうな
実は私も婚姻相手が決まっていなくてな」
ジャスパーは、ユーリアが辺境伯爵令嬢という立場なのに結婚が決まっていない事を気にして誰彼構わず同じ質問をしているのだろうくらいにしか思わなかった。
「ウヒヒヒ…チョコバナナうまうま…」
「念話でも寝言を言えるんだな」
満腹になり眠ったハルの寝言に気を取られたジャスパーが、ユーリアが真っ赤な顔で、うつむいた意味に気づく事は無かった。
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辺境砦。
ズライグ王国西端のウォードエンド辺境伯領の西端に造られた、門からの侵攻に対抗するための砦。
頑丈な石造りの防壁に囲まれた砦の中には複数の井戸が掘られ兵糧が備蓄され多数の兵士の食事を作る調理場、武器や防具を修理する鍛冶屋の仕事場などもある。
完全に外部との行き来が遮断されても半年やそこらは籠城する用意がされた砦であった。
その砦内に辺境伯の執務室はあった。
この部屋の主アンドレイ・ウォードエンド辺境伯はイライラと室内を行ったり来たりする。
家臣や兵士たちには見せられない姿だが、今は一人きり辺境伯は不機嫌を隠す事なく室内を歩きまわる。
「ユーリア…何をしている?」
殿軍指揮官として残した娘が戻ってこない。
天馬騎士である娘ならば小鬼の大群に囲まれた陣地からでも撤退して来れるはずだ。
そして、もう帰還の報せがあっても不思議ないはずだ。
だが、その報せがない。
「まさか陣地に残ったわけではあるまいな?」
娘が、そこまで愚かでは無いと思いたいが、若く責任感が強い娘が農民兵に同情し共に討ち死にを選択した可能性も…
「いやロロフ卿ならば娘を脱出させるはずだ」
愛妾に産ませた娘であるユーリアは、身分は低いが美貌の持ち主である愛妾に良く似た美しい娘に育ってくれた。
辺境伯に嫌な考えが浮かぶ小鬼や猪鬼といった亜人が人間の娘を襲い犯すという噂。
亜人との戦いを知る辺境伯からすれば根も葉もない噂と思っているが、亜人たちの生態など知られていない。
まさか娘が…
辺境伯は、嫌な想像を首を振って追い払う。
「こんな事ならば、早く嫁に出すべきだったか…」
そんな後悔は、もう遅いのだろうか?
その時、辺境伯の執務室の扉が激しく叩かれ、伝令の騎士が辺境伯が待ち続けた報告を持ってきた。
「辺境伯!殿軍の約800名が間もなく砦に帰還いたします!」
「何?殿軍ほぼ全てがか?!」
「はっ!斥候に出ていた鷲馬騎士ジョルジュ卿より報告です!ユーリア卿の天馬と殿軍の約800名が砦に帰還中であると!」
報告に来た騎士は、そこで口ごもる。
その様に辺境伯は何か悪い報せがあるのかと疑う。
「どうした?まだ何かあるのか?」
「それが…ジョルジュ卿が…」
「ジョルジュ卿がどうした?速く話せ!」
「殿軍を竜騎士が率いている…と」
「なんだと?」
その報告に辺境伯は首を傾げる。
もしや国王陛下が翼竜騎士を偵察に派遣していたのか?
ウォードエンド辺境伯にも真竜を駆る竜騎士の存在など想像の範疇に無かった。
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「帰ってきた…」
「生きて帰ってこれた…」
装備も食料も最低限な物だけを持ち、何度も小鬼の襲撃を受けながらも殿軍の農民兵は歩き続けた。
上空より彼らを守る竜騎士が居なければ撤退など不可能だっただろう。
無論、戦死者が皆無だったわけでは無い。
負傷者も相当数にのぼる。
それでも全滅するはずだった殿軍の農民兵たちの多くは生き残り、その眼に辺境砦の防壁と農民兵たちを出迎える鷲馬騎士の編隊が映っていた。
「ユーリア!戻ったか!」
辺境砦の中庭に娘の天馬が降り立ったと報せを受け、アンドレイ辺境伯が駆けつけると…
「ジャスパー卿!貴卿には感謝しかない!」
「ユーリア卿!ちょっと落ち着いて下さい!」
そこには歓声を上げて若い騎士に抱きつき頬に口付けする娘の姿があった。
「これは、どういう事だ!!貴様は娘とどういう関係だ!」
アンドレイ辺境伯は、軍指揮官の立場を忘れ、娘の父親として何処の馬の骨とも知れない若い騎士を怒鳴りつけた。
「未婚の娘に何をした貴様ーっ!!」
腰の剣を抜きそうな勢いの辺境伯に兄がしどろもどろな言い訳をする様を尻目に幼竜の姿になったハルは固焼きパンを口に放りこんだ。